4月1日。帝国と同盟の双方にて大規模な内乱が発生。
この報を聞かされて、イゼルローン要塞で酒盛りをしていたそれぞれの軍人は一気に酔いが醒めた。
当然ながら捕虜交換式は無期限の延期を言い渡されて、ヤン麾下の第13艦隊は武装蜂起した反乱軍・自称【救国軍事会議】の鎮圧を、キルヒアイス率いる艦隊は即刻オーディンへの帰還を命じられた。
同盟領内で武力制圧されたのはイゼルローンにほど近い惑星シャンプール、他三つの惑星。
さらに武装蜂起ではないが地方政府のうち、バラトプール星系、ジャムシード星系、シャンダルーア星域がハイネセン中央政府の度重なる政治的失態を理由に、独立を掲げて『自由連合協定』を結成。自由惑星同盟領内にもう一つの国家が誕生した。この三つの星系はフェザーンに地理的に近く、彼等の資本が深く根付いている。
帝国も門閥貴族の連合【リップシュタット貴族連合】が、奸臣リヒテンラーデ公爵とローエングラム侯爵への排除を正式に表明した。キルヒアイスもラインハルトから呼び戻されており、一刻も早くオーディンへ帰還しなければならなかった。
問題は両方の陣営が内乱に乗じて、互いの領域に攻め入る危惧を否定しきれないため、普通に考えたら迂闊に動けない事だ。
ただしここにいる両軍の最高階級の二人は普通ではなかった。お互いに何の約定も交わす事無く粛々とイゼルローン回廊から離れる準備を始めた。
「「もう回廊に拘る理由はお互い無いでしょう」」
フェリクス・フォン・フレーゲルがこの世に産み落とした異層次元航法システムにより、か細い回廊を通らずとも好きに銀河を行き来する事をヤンとキルヒアイスは知っていた。よって同盟は要塞に最低限の人員だけを残して出撃。帝国は一兵も残さず完全撤収を選べた。
帝都オーディン星への帰路の最中、フェリクスとキルヒアイスは互いの艦の中で通信を交わす。
「内乱は時間の問題と思っていましたが、いざ事が起きるといい気はしないですよ」
「それだけ帝国には様々な不満が渦巻いていたという事です。皇帝が誰になったところで、いずれ誰かが内乱を起こしていた」
キルヒアイスの分析にフェリクスは溜息を吐きながら頷いた。
そしてフェリクスは幸運は叔父や兄ではなく、金髪の友人の方に傾いた事を確信した。いっそ年単位で睨み合って、政治闘争に切り換えれば勝機もあったろうに。誰かが我慢の綱を切ってしまったか。あるいは意図的に切らされたか。
仮にエルウィンの代わりにエリザベートが女帝になったとする。その場合、叔父が摂政になってリッテンハイム侯爵が不満を持つかもしれない。反対の場合は叔父はそれほど不満に思わないだろうが、一門全体が怒りと妬心から暴発するのは目に見えている。それを押さえつけるのは不可能と言っていい。
せめてリヒテンラーデが新皇帝即位と同時に国務尚書を引退していれば、その後継を巡って二人が火花を散らす程度の諍いで済んだものを。
やはり叔父は止めたがあの爺を暗殺しておくべきだったか。―――否、平民階級の門閥貴族への不満と成り上がりの機運は極限にまで高まっていた。行き場の無い鬱屈したエネルギーを、姉を奪われた恨みを持つラインハルトが基盤として、既存の特権階級へ挑戦しただろう。これも五百年近く続いた銀河帝国の
「分かっていると思いますがフェリクス、貴方は門閥貴族側に加担してはいけませんよ」
「そういう約定で貴方と艦隊を借りた以上は約束を守ります。オーディンで医者の仕事をしますか」
元々フェリクスの公的な立場は宮廷医師である。他の同僚も多くはどちらの勢力にもつかず、今も
叔父やリッテンハイム侯爵が敗北するのは道理である。宮廷闘争ではなく、戦争を選んだのが拙かった。相手は戦場を住処として糧を得る職業軍人の集団。それも一人の英雄に率いられた一枚岩の軍勢。内部対立は期待するだけ無駄。
反対に門閥貴族連合は雑多な連中を集めて数こそ多いが、元々ライバルだったブラウンシュヴァイク公爵一門とリッテンハイム侯爵一門の二つが組んだところで、二つの頭があっては指揮系統がどうあっても一本化されない。かつ兵の質は比較にならないほど低い。せいぜいが自領のパトロールか宇宙海賊退治程度しか経験の無い兵士ばかり。正規軍も一部は合流しても全てを纏められる将が居なければ十全に働かせるのは難しい。メルカッツ上級大将やファーレンハイト中将は良将でも、気位が高い貴族は彼等に従わない。それぞれ勝手に戦ってクロプシュトック領の討伐戦のような醜態を晒して、ラインハルト達に狩られるのがオチだ。
「ラインハルトは狩猟の鹿じゃないのに。相手も同じ銃を持っている事をどれだけの貴族が理解しているのか」
「たぶん九割の門閥貴族は理解していないでしょう。彼等は平民が自分達の喉笛に牙を突き立てると思いもしない」
同じ門閥貴族の生まれでも、友人と馬鹿貴族にこうまで意識に差があるのをキルヒアイスは不思議に思う。そして友人とごく早い段階から友好を結び、今も中立の立場に留まるように取引を成立させた主君の英断と強運に感謝する。もしフェリクスが貴族連合の一員として立ち塞がっていたら、自分達は勝利すら定かではない。代わりに肉親を死なせてしまう辛い目に遭わせてしまうのが悔やまれる。
「もし貴方の家族が討たれても、ラインハルト様を恨まないであげてください。もしも無理と言うなら私が代わりに受け止めます」
「大丈夫ですよ、叔父や兄は自らの意志と矜持で戦う事を選んだ。叔母上も覚悟の上ですから恨みません。ただ、エリザベートやサビーネは」
従姉妹やよく知る少女はただの神輿として担がれた。彼女達のような自分の意志すら無く、至尊の権力を象徴する王冠として扱われて、ずっと選択権すら与えられなかった。家と血の都合で戦場に放り込まれたある種の被害者。そんな子達に死んでほしくない。
友人の葛藤にキルヒアイスは迂闊な事を言えなかった。通信能力の高い【バルバロッサ】と【ターキッシュデライト】にはオーディンの状況が全て伝わっている。貴族連合は自分達の妻子も連れて首都を退去している。ブラウンシュヴァイク公爵、リッテンハイム侯爵両方の妻子もだ。貴族は領地に戻らず、オーディンから200光年離れた星域に設けられた軍事要塞【
主君と仰ぐ金髪の美丈夫は特権に浸る門閥貴族を駆逐する気だ。『無能な者に生存する権利は無い』という始祖ルドルフの意志をそのまま子孫に適用して、無用な者は粛清する。
無論全ての貴族を根絶やしにはしない。自分に与する見識のある貴族は変わらず地位と財を保証する。敵対しない中立貴族も不遇な扱いはしない。仮に敵対しても幼い子息や婦人には乱暴狼藉はせず、丁重に扱う事を兵に厳命した。決してラインハルトは苛烈で不寛容な男ではない。彼なりの越えてはいけない境界線があり、慈悲も持ち合わせていた。
問題はあの義眼の参謀は必要とあらばどのような外道な行為も意見具申するだろう。まして彼は銀河帝国の負の象徴、劣悪遺伝子排除法の犠牲者である。ゴールデンバウム王朝の血を引く皇族を根絶やしにする可能性とてある。
万に一つ参謀の謀略を受け入れて取り返しのつかない悪手を選んでしまえば、友人との縁に致命的な断絶を生むかもしれない。それを止めるのが己の役目と、キルヒアイスは心身を引き締める。
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フェリクスとキルヒアイス艦隊は4月の半ばに帝都オーディンに帰還した。銀河の中心たる帝都は閑散としている。貴族の大部分が戦のためにそれぞれの邸宅から離れ、臣民は街が戦場にならないか戦々恐々として、無用な外出を避けて家の中で大人しくしていた。
ローエングラム元帥府に出頭した二人は、ラインハルト以下将官達の出迎えを受けた。まだ出陣はしていない。彼等はキルヒアイス大将を待っていたのだ。
「借り受けた艦隊とキルヒアイス大将、共にお返ししますローエングラム元帥…軍務尚書とお呼びしましょうか?」
同盟領に行っている間に、この金髪の友人はエルウィン皇帝から、宇宙艦隊司令長官、軍務尚書、帝国軍統帥本部長の、俗にいう軍務の三長官全てを兼任する軍事的独裁権を与えられた。元々軍務尚書を務めていたエーレンベルク元帥、帝国軍統帥本部長シュタインホフは、既にラインハルトの命により拘束されて職を追われている。もはや軍事力で彼に比肩する者はこの銀河に存在しない。
「呼び方など好きにすればいいさ。さて、分かっていると思うが約束は守ってもらうぞ。と言ってもオーディン星から出なければ好きに過ごせ。監視もせん」
フェリクスは頷き、ラインハルトの傍に仕えるオーベルシュタインは顔色こそ変えずとも、どこか不満そうにしている。口約束程度いざとなれば破られるため、軟禁まではせずともせめて監視の兵ぐらいは付けたかった。とはいえフェリクスの私兵に本気で抵抗されたら、留守番部隊程度では簡単に蹴散らされて、逆にオーディンを乗っ取られる可能性もある。さらに帰還の途中にバーミリオン星域でのBRミッションの報告を聞き、迂闊に刺激するリスクを主君ラインハルトから指摘されて、渋々自由を認める羽目になった。さしもの冷酷参謀とてオーディンを惑星パラスのような地獄に変えるのは不本意だった。
それとキルヒアイスは大将から上級大将へと昇進して、宇宙艦隊副司令長官に任命した。平民出身の21歳の青年が銀河帝国軍のNo.2になった瞬間である。
そして麾下の艦隊は三日間の休息を与えられた。予期せぬ同盟への出撃に対する僅かばかりの気遣いである。
「あとは報告にあったフェザーンの領主補佐官の背信行為だが」
「どうせ自殺していたとか、自治領主のルビンスキーから謝罪でもあったのでは?」
フェリクスのあからさまな軽蔑の声色に、ラインハルトも美声の中に同様の蔑みを含ませて肯定した。あの商人どもは必要なら昨日までの部下をトカゲの尻尾切りで死体にして、詫びの品として送り付ける。地球教徒の麻薬騒動から何も変わっていない。
次の日には代わりの補佐官が自治領主に付いていた。新たな補佐官はルパート・ケッセルリンクという大学を出たばかりの青年らしい。
フェザーンの面従腹背には元帥府の面々も腹を立てているが、今は貴族との戦いの方が優先される。報いを受けさせるのは後回しだ。
話を済ませたフェリクスは退席した。あとは元帥府の宿将らの今後の戦の打ち合わせの時間だった。
帰り際、見知った少年ハインリッヒ・フォン・キュンメル男爵に呼び止められた。
男爵は伯父のマリーンドルフ伯と共にローエングラム陣営に付いた。正確には従姉妹のヒルデガルドに勝馬に乗るように説得を受けた。もしフェリクスが貴族連合に参加していたら、迷わずそちらに合流していたが、生憎とそうはならなかったので血縁を優先した。
彼は伯父に代わり伯爵家の私兵と自家の兵を率いて、今度の戦に参加する。ブラウンシュヴァイク公爵には大恩人のフェリクスを紹介してもらった恩義があり、砲を向けるのは心苦しいがこれも家の存続のためと割り切るしかなかった。
まだ17歳の少年男爵には重い決断ゆえに、恩人への心苦しさが顔に出ている。
「私の心証は気にしてはいけません。まずは貴方自身と家の兵を無事に帰す事を最優先に考えなさい」
「分かりました。博士のご忠言に従います」
素直に忠告を受け入れてくれたハインリッヒの素直さが羨ましくなる。だからか、彼なら一つ頼み事を聞いてくれるかもしれない淡い希望を抱く。
事務士官にしばらく出かける旨を伝えて、二人は
郊外の湖畔にはフェリクスの艦隊が駐留していた。オーディンの軍港は全てローエングラム艦隊が使っていたため係留する場所が無く、規格外の巨艦が多いのもあって露天待機するしかなかった。
宇宙母艦【ターキッシュデライト】に戻ったフェリクスはハインリッヒと共に艦内の工廠を訪れる。最初から外銀河への航行を目的とした艦ゆえに、自前である程度兵器の製造能力を持ち、中には人工生命体の培養プラントや新型R戦闘機の開発設備もある。
工廠の奥にあるR戦闘機の製造区画は、組み立て途中の機体や、剥き出しのRフレームの耐久テストを行う技術者、既存のPOWアーマーに水中用装備を取り付ける作業員もいる。
その中の既に完成したと思わしき機体の前でフェリクスは足を止める。機体は青と鋼色を基調としたR戦闘機だった。ただ、ハインリッヒも使った事のあるR-9Aに比べてやや角ばったフォルムをしており、後部の大型スラスターユニット2基と機体下部に懸架した大型の銃身が目に付く。
フェリクスが側の端末からZ式慣性制御機構を起動して機体を宙に浮かす。さらに端末を操作すると、機体の各ブロックが移動して手足がせり出し、五本の指が下部に備えてあった銃身を掴む。両足は約30tの自重を支え、背部に大型スラスターを背負う。一瞬にしてR戦闘機が10mを超える人型ロボットに変形した。
「人型になった!?フレーゲル博士、これはいったい」
「人型への可変フレームを用いた特殊型R戦闘機【TL-2A】の改良機。実験要素が強いですが最新鋭の機体です。例えば―――」
端末を操作すると空いた腕が円筒状の装備を掴み、筒の先端から赤い光が伸びて一定の長さで留まった。まるで剣を構えた騎士、あるいは古のマスケット銃士のようだ。
「白兵戦用のビームソードに、二種類の波動砲を撃ち分ける銃身。R-9Aを凌駕する機動性も与えてあります。勿論フォースも。貴方の機体ですよ」
「僕に…いいんですか?」
「この機体以外にも、以前貸し出したヘイムダル級2番艦【メロマカロナ】と最新兵器も譲ります。代わりに頼みがあります」
ハインリッヒは恩人が極めて重要な頼みごとをするのを察して、直立不動で言葉を待った。
「叔母のアマーリエ様と従姉妹のエリザベートを死なせないように力を尽くしてください。必ずとは言いません、どうにもならない時は覚悟の上ですが」
ハインリッヒは恩人が微かに唇の端を噛む仕草に気付き、無理とは言わなかった。
「―――分かりました。微力ながらこのハインリッヒに任せてください。必ず御身内と再会できるように努めます」
「無茶を押し付けて申し訳なく思いますが、貴方ぐらいしか頼める相手が居ないんです」
二人は手を取って固く握る。すなわち対等な男と男が取り交わした誓約である。
ハインリッヒは嬉しかった。これまでずっと自分が恩人のフェリクスに助けてもらうばかりだった。明日をも知れぬ身を治療してくれた、イゼルローン要塞に連れて行ってくれた、カストロプから領地を奪い返すのに戦力を貸してくれた。貰ってばかりでずっと心苦しかった。それが今回やっと自分を頼ってくれた。初めて恩返しが出来る機会に、不謹慎と思いつつ心が躍った。ここで彼の期待に応えて一人前の男になれる。
五日後、英気を養ったキルヒアイス艦隊は一足先に出陣した。彼は主君ラインハルトから計略を授けられて別動艦隊3万隻を率いる。
さらに数日後、満を持してローエングラム元帥が自ら率いる全軍が帝都オーディンの空へ舞い上がる。
ここに後世の歴史書に記される銀河帝国最大の内乱『リップシュタット戦役』が始まった。