帝国軍元帥ラインハルト・フォン・ローエングラムが最も信頼する友キルヒアイス上級大将は、
貴族連合に参加した貴族の根拠地は軍を抽出して防備が手薄になっており、多くは戦闘らしい行動も無く制圧は容易だった。
少数の貴族は軍艦を使って抵抗したものの、辺境の貴族の戦力などたかが知れており、十倍の兵力を見せれば大抵は抵抗する前に降伏した。さらに一部は無謀にも戦いを挑んでも、正規軍に敵うはずも無く鎧袖一触である。
制圧した惑星の領民の多くは圧政と重税に喘いでおり、キルヒアイスの解放を諸手を挙げて歓迎した。さらにこれみよがしに威張り散らし、暴力で好き勝手に民を苦しめていた領主の一族や代官などは、報復に殺害されるケースも多かった。それらをむしろ止める側になったのが帝国軍だった。
一部、良識のある貴族が統治する星は治安が保たれて税も安く、無血開城の後は領主自ら首と財貨を差し出す代わりに民への略奪暴行はしないように懇願した。民も一丸になって領主一家を庇い、キルヒアイス達の方が悪人扱いを受けるのには、副司令官のワーレン、ルッツ両中将も苦笑いを浮かべた。
とはいえそんな出来た貴族は全体の5%未満であり、大半の民は貴族追放を歓迎した。
こうしてキルヒアイス艦隊は数十を超える星系を解放して、民は【善良の王キルヒアイス】の統治を受け入れた。
間違っていけないのはジークフリード・キルヒアイスは、決して新たな統治者として貴族の領地を占領していない。あくまで主君ラインハルトの命により、貴族連合の策源地や資金源を断つために辺境各地を回っている。彼に王になる野心やラインハルトと決別する独立心は皆無だった。
辺境を転戦しては治安維持に精を出すキルヒアイス艦隊に、ラインハルトからの連絡が届いた。ブラウンシュヴァイク公爵と袂を分かったリッテンハイム侯爵が辺境星域を収奪するため、近くをうろついている。これを撃破する新たな命令が追加された。
リッテンハイム侯爵といえば賊軍の二大派閥の長。大貴族が率いる軍勢となると軽く見積もっても4~5万隻はある。辺境での小規模な戦闘とは比べ物にならない大戦の予感にワーレン、ルッツ、幕僚達は一様に緊張する。
部下たちの様子にキルヒアイスはむしろ安心した。
「敵を見下し油断するより余程良いです。我々は貴族と同じ過ちをしてはいけません。まずは敵主力を探し出しましょう」
一斉に敬礼して、それぞれの仕事にとりかかった。
方々に偵察隊を出して情報収集に当たり、リッテンハイム軍はキフォイザー星域のガルミッシュ要塞を拠点にしている事が分かった。
そこでキルヒアイスは最初に、要塞に通信を送る事にした。
「降伏勧告ですか?」
「いえ、ちょっと友人の頼みを果たしておきたいので」
幕僚のベルゲングリューン准将は数秒考えた後、あのイカレ外道腐れ科学者の顔が思い浮かんだ。
旗艦【バルバロッサ】の艦橋、通信士官のモーリッツ・フォン・ハーゼ少尉はガルミッシュ要塞に通信を繋げる。
数度のやり取りの末、艦橋の大型ウィンドウに40代半ばの品の良い男が映し出された。
「お初にお目にかかります。帝国宇宙艦隊副司令長官キルヒアイスです」
「ふん、平民に名乗るのは腹立たしいが一軍の副将への礼は払おう。私がリッテンハイム侯爵である。それで降伏の申し出かね」
「いいえ、むしろ貴方が降伏するなら受け入れましょう。出来ないというなら戦うほかありません」
「はっ!下賤な平民が増長しおって。話はそれだけか?」
「いえ、もう一つお願いと言いますか、私の友人フェリクス・フォン・フレーゲルからの頼みです。貴方のご令嬢のサビーネさんは死んでほしく無いから、要塞に留まってほしいと」
「……無論だ。女を戦場に連れ出すような事はせん。まったくフェリクス君は―――あっ通信を切れ!」
要塞の方から通信を切られた。艦橋内には妙な空気が漂ってた。沈黙が流れる中、ベルゲングリューンが最初に口を開く。
「意外ですな。フレーゲル博士が気遣う女性がカーテローゼ中尉以外に居たとは。リッテンハイムの令嬢と恋仲だったのですか?」
「さあそれは知りませんが、従姉妹と同じぐらい気にかけていたのは確かです。むしろ令嬢の方が執心に見えましたよ」
同盟人1000万人を悪魔の餌にしながら平然とし、捕らえた捕虜を瀕死に追い込んで自白させる、倫理観の破綻した狂気の科学者に惚れる貴族令嬢。平民には理解しがたい怪奇な嗜好と価値観に、ベルゲングリューン他艦橋の軍人の多くは言葉を失う。
数少ない例外は友人のキルヒアイスと、幼年軍学校時代にフェリクスが色盲を治療したモーリッツぐらいだろう。
「―――んんっ!それはさておき、リッテンハイムは降伏勧告を拒絶しました。すぐにでも戦になります」
弛緩した空気を入れ替えて、キルヒアイス艦隊は全軍キフォイザー星域へ進軍した。
□□□□□□□□□□
帝国歴488年7月。キルヒアイス艦隊3万隻とリッテンハイム軍5万隻がキフォイザー星域にて対峙する。倍近い戦力差のある集団が真正面から戦う場合、分かり切った事だが普通は数が少ない方が負ける。リッテンハイム侯爵は軍事の基本ぐらいは知っているから勝ちを確信している。他の貴族達も同様に勝つと信じ切っている。
キルヒアイス軍はといえば、当初は対峙する大軍の横陣を見てどう戦うか苦心して、艦隊の幕僚達は次第に違和感に気付いた。艦の配置と戦列が極めて雑で合理性に欠けている。戦艦の横に駆逐艦が居る、ミサイル艦が砲艦の前に、巡航艦と航宙母艦が一緒に居るのを見て唖然とした。
「連中は艦の特性を無視して適当に軍艦を集めただけだ。碌に指揮官の居ないド素人の集団だぞ」
おそらく末端の兵はそれなりに戦の知識はあっても、統率する上位の指揮官が軒並み素人の貴族なのだろう。キルヒアイス軍の将官らは希望を見出した。これなら敵が倍の数だろうと怖くない。
戦の号砲はリッテンハイム側から放たれた。全艦が突撃しながらそれぞれの判断で砲撃したものの、有効射程距離から遠く離れており、全て防護フィールドに防がれて全く有効打を与えられていない。
キルヒアイス軍は全く撃ち返さない。それに気を良くした貴族はさらに調子に乗って速度を上げる。
「頃合いかな。左翼のルッツ、右翼のワーレンは横に動いて敵軍をもっと広げてください」
キルヒアイスの命令に両提督は一秒も遅れず、統制の取れた見事な艦隊運動で司令官に応えた。
一部の乱れも無く整然と左右に移動する帝国軍に、雑多なリッテンハイム軍はそれぞれ好き勝手に砲撃を続けるなり、追いかけようと艦を移動させて隣接する僚艦にぶつけるか射線上に入って後ろから撃たれる醜態を晒す。
ルッツとワーレンは全く統率の取れていない貴族軍に憐れみすら抱く。兵の練度は並以下、各艦長も稚拙、とどめに優秀な司令官が不在。メルカッツ提督やファーレンハイト提督がいれば少しはマシだった。それこそシュターデンでもここまで酷い指揮は執らないだろう。
両軍が左右に際限なく陣形を広げた。一見無秩序に見える戦況だったがキルヒアイスの思い描いた通りの展開である。
「観測班、敵旗艦【オストマルク】の位置は?」
「中央の艦が左右にバラけて丸見えです。しかもスラスター発光が見えないので、どうしていいか分からずに艦を停止させていると思われます」
「よしハーゼ少尉、直衛艦に命令。これより敵旗艦へ接近して撃破する。旗艦【バルバロッサ】に続け!」
バルバロッサのメインスラスターから噴炎が吐き出される。続いてZ式慣性制御機構を起動、巨体に似合わぬ初速から一気に加速を行う。足の速い巡航艦による快速艦隊100隻は旗艦に追従して、真っすぐ敵旗艦を目指す。
旗艦を先頭にした偃月の陣。一本の飛槍と化した小艦隊は、死を恐れず薄くなった敵陣中央に突っ込む。薄い絹布を引き裂くが如き容易さで壁になっていた敵艦を蹴散らして、あっという間に敵旗艦【オストマルク】に肉薄。
ここでようやくリッテンハイム侯爵は己が絶体絶命の窮地に立たされた事を認識。前方の戦艦をミサイルの乱舞で粉々にして、目前に迫るおぞましい異形の巨獣を前に恐怖で絶叫する。
「ひっひぃ!に、逃げるぞ!反転しろっ!」
「なりません侯爵様!敵前回頭などしては後ろから撃たれます!」
「うるさい!やれと言ったらやれっ!!盾艦も切り離せ。軽くするんだ!」
貴族に尽くすように何代も掛けて徹底した教育を受けた帝国騎士階級の軍人達は、侯爵に言われるがままに両舷に接続した盾艦を切り離し、文字通り旗艦の盾になるように配置。その場で180度回頭を始めて敵に背を向けた。
100隻の巡航艦の一斉射撃により、片割れの盾艦は轟沈。もう片方は自ら炉心を臨界まで暴走させて自爆。その爆発を目くらましにして、オストマルクは回頭の時間を稼いだ。
爆発の向こうに遠ざかる敵の総大将を歯痒く見送るしかない。しかしキルヒアイスは動じなかった。
「どれだけ小細工を弄しても無駄ですよ」
貴族が恐怖に駆られて逃げ出すのは読み通り。唯一逃げ切られる可能性があったのは、むしろ直進して砲撃に耐え、すれ違いながらどちらか片翼の軍勢に紛れ込む事だった。
通常の戦艦なら爆発のせいで砲の照準が付けられない。しかしこのヨトゥンヘイム級【バルバロッサ】は友人の底無しの狂気が産み出した殺意の具現。決して相対した敵を逃す事は無い。
射撃管制官は冷静に重力振動レーダーと艦首波動砲をリンクさせて、逃亡したオストマルクを標準戦艦の数倍の有効射程範囲に捉えた。
艦首に星間物質より取り出した青白い波動粒子が収束する。かつて存在したイゼルローン要塞のような要塞砲を除けば、人類が産み出した最強の砲が己を狙っている事などリッテンハイムは露ほども知らない。
砲身に限界まで波動粒子を収束、圧縮。射撃管制官は自らの一撃が戦いを終わらせる事実に固唾を飲みながら、一切の躊躇無く発射した。
亜光速で飛来する光の柱は盾艦の爆発をも貫き、1mのズレも無くオストマルクを飲み込んだ。
リッテンハイムが己の死を認識する間も無く、波動弾体の接触により肉体の全てを粒子に分解されたのは幸いだったのかもしれない。
かつて大貴族の栄誉だった戦艦は主と共に、装甲の一かけらも残さずこの世から消え去った。
「敵旗艦に命中を確認。脱出シャトルの射出無し、生存者は確認する必要もありません」
「終わりましたね」
ベルゲングリューン准将が感極まって一言漏らした。我が上官はついに貴族連合の両巨頭の一人、リッテンハイム侯爵を討ち取ったのだ。
しかしキルヒアイスは硬い表情を崩さない。ベルゲングリューンはすぐにまだ戦が終わっていない事に気付いて己を恥じた。
「敵味方全艦に知らせよ。リッテンハイム侯爵は戦死した。これ以上の戦闘は無意味であり、貴族連合はすぐさま降伏せよ。降伏すれば命は保証する」
キルヒアイスの宣言により戦場は一瞬静まり返った。しかし、すぐ後にそれまで以上の混乱に晒される。
唯々混乱して動けぬ艦、素直に降伏する艦、戦場から離脱を図る艦、構わず戦い続ける艦。あるいは総司令官が死んで自らが司令官になったと複数の貴族が主張し合う始末。雑多な指揮系統しか持たない集団は頭を失えば意思の統率すらままならない。
どう戦を終わらせるか、キルヒアイスは思案した末に、降伏信号を出していない敵艦は全て敵として扱い、艦隊は攻撃を再開した。
二つに割れた両軍は砲の撃ち合いに興じているが、リッテンハイム軍は半数以上が降伏ないし逃亡したため、戦力差は既に逆転した。さらに負け戦で士気がどん底に落ちた艦は、味方がやられるごとに徐々に降伏者も増える。最終的に七千隻ほど撃たれた頃には、全ての艦が降伏したかどこかに逃げていた。
逃亡艦を追いたいのは山々だが降伏した艦は自分達よりも多いため、武装解除と貴族の拘束にかなりの時間と労力を割く羽目になった。幸い副盟主のリッテンハイムは既にこの世におらず、逃亡の心配が無いのが幸いだった。
戦の事後処理を終えたキルヒアイス艦隊はルッツの艦隊を捕虜の監視に置いて、貴族連合が拠点に使っていたガルミッシュ要塞に向かう。
銀色の球体の要塞を視認するには二日をかけた。要塞の兵にも艦隊は見えているはずだが通信も無ければ砲撃の歓迎も無い。奇妙な沈黙はさて、逃亡した艦が要塞に残っていた貴族の妻子を連れて既に逃げてしまったのか。大半の貴族は拘束してあるからそこまで問題はないのだが。
とりあえず要塞の占領に揚陸艇と陸戦兵の用意を命じようとした矢先、要塞から複数の艦の発進を確認した。
遠目から見ても明らかに動きが雑というか、何かに追われて急いで逃げている挙動だった。
さらに後ろには数十の軍艦が次々発進している。
「ハーゼ少尉、あの集団の通信を傍受出来ますか?」
「やってみます。――――――これは、先に発進した艦にリッテンハイム夫人が乗っている?後続の艦はそれを捕まえるつもりです」
「キルヒアイス提督、あの集団が発砲しています!我々への攻撃ではなく先団の足を止める意図があるかと」
事情は不明だがこれ以上の人死には沢山だ。キルヒアイスはワーレンに追われている艦の確保と、後続艦の排除を命じた。
攻撃していた艦はあっさり撃破されて、一部の艦は捕獲された。数十の艦が万を超える艦隊に抗えるわけがない。
追われていた艦の乗員は旗艦バルバロッサに収容される。多くは貴族の女子供で誰もが泣き腫らして怯えている。あとは彼等の使用人や護衛の兵だった。
事情を聴く為、キルヒアイスは保護された人々と面会する。
はじめに赤いドレス姿の気品のある黒髪の中年女性が進み出た。
「保護して頂いた事、心より感謝いたします。私はクリスティーネ・フォン・リッテンハイム。リッテンハイム侯ウィルヘルムの妻です」
「帝国軍宇宙艦隊副司令長官キルヒアイスです。追われているようでしたが、侯爵夫人は理由に心当たりはありますか」
「あの痴れ者共は降伏した時に少しでも心証を良くするため、私や娘を差し出すつもりで捕らえようとしました」
クリスティーネは口にするもの不快とばかりに、形の良い眉を歪めて顔の半分を扇子で覆い隠す。
追っていたのは先日の会戦から逃げ帰った貴族だった。彼等はリッテンハイム侯爵が戦死した以上は降伏するしかない。ならその妻子を差し出し、皇帝やローエングラム伯爵に忠誠を見せて、今の地位と家を安堵してもらう腹積もりだった。
さらに私兵は負けた腹いせと自暴自棄から、何人かの貴族の令嬢を暴力で組み伏せて凌辱を始める。日頃から家畜と見下していた平民に逆襲を受け、要塞内は秩序の無い凄惨な狩場と化した。
また兵達は怨みのある上官や貴族を集団で拷問した後に殺害。首を柱に吊るして祝杯を挙げる。
普段から些細な事で使用人を殴打して、時には殺害した貴族は頭から煮え滾った油をかけられて、のた打ち回って死んだ。
別の貴族は領地の女を権力で何人も手籠めにした後、飽きたら有頭犬の餌にしていた。妻や肉親を奪われた遺族に囲まれ、男性器を切り落され、一人一人ブラスターで撃たれて数時間かけて殺された。
規律と忠誠などといった、良識や道徳を剥ぎ取った獣の狂宴が要塞内のそこかしこで繰り広げられた。
狂乱に参加しなかった兵も良識的とは言えない。要塞内に残っていた物資や貴族の財貨を船に積み込んで何処かに消えた。
そんな中でごく僅かに理性を失わずにいた貴族の近習は、無事な者をかき集めて主人等を護衛しながら宇宙船を奪取。大粒の宝石を握らせて抱き込んだパイロットに操縦させて、命からがら要塞から脱出に成功した。
キルヒアイスは落城する時に度々起こる、目を背けたくなる狂乱は歴史的知識で知っていたが、実際に直面すると自分達が打ち倒した兵らの凶行ゆえに、忸怩たる思いを抱かずにはいられない。主君ラインハルトなら「そんなものは貴族の自業自得の結果」と冷ややかに受け取っても、自分はそこまで割り切れない。
「私の身はどうなろうと構いません。ですが他の子女に手を出さないでいただきたい。必要とあれば今この場で裸になり、伽もいたします」
クリスティーネは何のためらいも無くドレスに手を掛けて、肩から臍まで肌を露出させる。30代の後半、年齢に合わない瑞々しい肌、慎ましい乳房まで晒してなお、夫人は高貴な意志と覚悟に溢れていた。
「お、お待ちください侯爵夫人!そのような真似を致さずとも、規律ある正規軍の兵は降伏した者を辱めるような事は致しません!どうか服を改めてください」
キルヒアイスは急いで軍服の上着を脱いで、可能な限り夫人を視界に入れないように自分の上着を差し出した。
今のはクリスティーネの駆け引きだった。一目でキルヒアイスが良識のある誠実な青年と見抜き、自らを差し出す覚悟を見せれば必ず名誉を重んじる計らいを約束してくれる。たとえ夫を殺した軍の司令官に肌を晒し、情に訴えるのが貴族として恥ずべき行為だろうと、娘の為ならこの程度痛くも痒くもない。
「慈悲深いキルヒアイス殿に感謝いたします。もう心配ありませんよサビーネ」
母の言葉に集団から少女が出てきて、クリスティーネに抱き着く。サビーネは涙と鼻水で化粧がグシャグシャに乱れている。嫌というほどに地獄を見てそこから逃れたのだから仕方がない。
サビーネはキルヒアイスを睨む。彼女にとっては愛する父を奪った敵でしかない。そのような男に膝を折って慈悲を乞うのは屈辱の極みだった。
「こうして顔を合わせるのはブラウンシュヴァイク公爵邸での爆破テロ以来ですね。侯爵令嬢が無事でよかった。フェリクスの頼みも果たせます」
「どういう意味でしょうか?」
「友人から貴女を死なせないように頼まれていました。(叔母や従姉妹の次に)大事な人だから、約定から戦に加われない自分に代わって可能なら保護してほしいと」
サビーネの頬に朱が差す。
亡き父から、もしかしたら婚約者になると聞かされた時は心臓が跳ね上がるほど動揺した。その後によく分からない理由で叛徒の領域に行き、婚約話が流れたのを残念に思うぐらいには、心に彼が食い込んでいたのに気付いた。もう一度生きて逢えるなら、父の仇に膝を折る事だって耐えてみせる。
「ともかく皆様の身の安全は私が保証いたします。軍艦ゆえに些か不自由を強いますが、近日中に帝都オーディンへお送りしましょう」
キルヒアイスの言葉に、多くの貴族達は心から安寧を得た。
この後、軍は要塞に赴き獣と化した兵を次々射殺していった。多くはこれは正当な報復と主張して正当性を誇示したが、現場の士官は耳を貸さずに殺した。名目は命令不服従である。
正気に戻って大人しくした一部の者は取り押さえられて牢に放り込まれた。私兵は正規軍とは違うから厳密には軍法で裁けなくとも、何かしらの刑罰には問われるだろう。
狂乱の宴の後に残った無数の死体の惨状は兵達の目に焼き付き、暫く肉が喉を通らない者が大量に生まれて、料理担当者は食べ残しの処理とメニューの変更に追われた。
生き残った貴族は纏めてオーディンへ送られた。あとは政治の最高責任者であるリヒテンラーデ宰相が処遇を決めるだろう。少なくとも女子供を処刑する事はあるまい。
諸々の後始末を終えたキルヒアイス艦隊は補給を済ませた後、辺境平定の任務を再開した。未だ主君ラインハルトとの合流には遠い。