フェリクスがオーディンのブラウンシュヴァイク公爵邸に帰宅したのは新学期の始まる二日前だった。
予定通りの帰宅だったものの、公爵家の使用人たちは彼に手を引かれる見知らぬ幼女に首を捻る。
「この子の相手を。叔父上と兄…フレーゲル男爵は?」
「はい、今は屋敷のサロンにおられます」
「では会います。フェルナー大尉も同席を」
「はっ!」
暫定主従は息の合った歩幅で付かず離れず屋敷を歩き、主の寛ぐサロンへと入った。
サロン中央のテーブルにブラウンシュヴァイク公爵とフレーゲル男爵がお茶を飲みながら談笑している。二人はフェリクスを見て、顔を崩して声をかけた。
「戻ったかフェリクス。フェザーンはどうだった?」
「……どうしたフェリクス?何か都合の悪い事が起きたのか?」
兄は弟がいつもより表情が固いのに気付いて、珍しい事もあると思った。
「兄上の洞察力には恐れ入ります。お察しの通り、少々問題が」
フェリクスの言葉に、叔父がまず座るように促す。フェルナーも少し離れて後ろに直立で控える。
まず最初にフェザーンの路地裏で食人鬼に襲われた女性を助けて、彼女を病院にまで運んだことを告げる。初っ端から衝撃的事実に二人は目を見開く。そして公爵は甥の無事を問い質し、フェルナーが護衛として十二分に働いてくれたと伝える。公爵は労いの言葉をかける。
「そうかご苦労だったフェルナー大尉。して、そのような気狂いはどうなった」
「フェザーン警察に拘束されましたが、些か奇妙な背景がありました」
「というと?」
フェリクスはフェルナーに指図する。彼は懐から機器を取り出し、サロンの壁に投射する。すると、うつ伏せになった血で汚れた長衣の男が映し出される。機器はカメラ兼プロジェクターだった。
「フェルナーの私物で撮影したものです。男は地球教の信徒だそうです」
「地球……ああ、新興宗教にそのような団体があったか」
地球教とは人類発祥の地である惑星・地球を神聖視して、原点回帰の思想を唱えて人類の母なる星地球を再び宇宙の中心とすべく活動を行っている宗教団体である。しかし資源を取り尽くし、戦役により汚染された惑星など今更誰も見向きもせず、一部の信心深い者達が細々と巡礼の旅に出かけたり、文明から遠ざかった荒れ果てた環境で禁欲生活を送っているに過ぎない。
人類が宇宙に飛び出してからゆうに1000年以上が経った現在では地球という惑星は、単なる『人類発祥の地』として知識で語られる程度の存在だった。そんな星を信仰する者は物好きにしか思われず、公爵と男爵は共にうっすら名称を耳にした程度でしかない。
「それで、その宗教被れが今度は食人嗜好に走ったと」
「問題はその男がサイオキシン麻薬を常用していたことです」
フェリクスの口からサイオキシン麻薬と聞いて、二人は一気に顔が渋くなる。
サイオキシン麻薬とはここ数年帝国に出回っている新型の麻薬である。工場等で化学合成する麻薬で、快楽性が高いものの幻覚作用と中毒性が強く、何度も使い続けると簡単に正気を失って、最後は廃人になる厄介な代物だ。さらに戦いの恐怖心を麻痺させるため、軍の兵士が使用しているという噂もある。
むろん違法であり、使用が見つかれば即座に逮捕される。販売する者は死刑宣告もありえた。
「たまたま地球教徒が麻薬中毒者だったかもしれませんが別の可能性もあります」
「まさか地球教が信者に麻薬を提供していると?」
「可能性の一つとお考え下さい。文献で得た知識ですが、宗教と麻薬は数千年も前から密接な関係があります。それが今も変わらぬ蜜月でも私は驚きません」
酒や麻薬は精神を高揚させて陶酔感を産む。さらに服用者に非現実的な光景を見せて、神秘の世界へと誘う。その体験が宗教の信仰心を補強して宗教団体への依存へと繋がる。
甥の淡々とした指摘に公爵は唸る。しかし甥の意見はまだ予想にすぎず、すぐさま地球教全てを敵と認定するつもりはない。一旦地球教は置いて話を続ける。
病院に救急搬送されたローザラインは治療の甲斐なく、一人娘のカーテローゼを残して二時間後に息を引き取った。
「お前が困った事というのは、その残った娘を連れて帰ったのか?」
「はい、勝手な事をしたと思いましたが身よりも無く。死にゆく者から頼まれた以上はどうにも見捨てられず……」
「ふーむ、まあどうせ平民の娘一人ぐらい
フレーゲル男爵は慈悲があり過ぎる弟を窘める。どうにも弟は気が優しすぎて、この先貴族としてやっていけるか不安になる。
門閥貴族にとって平民の娘など犬猫の類。いちいち生き死にを気にしていたら、億を超える領地の民草を管理する事など不可能だ。
弟を安心させるために度量のある姿を見せたが、それでも弟は困った顔を崩さない。まさかと思ったフレーゲルはカーテローゼが平民ではないと察する。
「実は母親が両親と共に叛徒に逃亡した貴族です。ローザライン・エリザベート・フォン・クロイツェルといい、叛徒に下ったは良いが食うに困り、幼い娘を連れてフェザーンに出稼ぎに来ていた所を運悪く殺されたと、最後に話していました」
今日日、帝国貴族が亡命する事は珍しくない。大抵は政争に負けて領地を失ったり、家名を傷つけるような行為をして一族から追放されて、フェザーン経由で叛徒の領域に逃げる者がそれなりに居る。
被害者の出自が分かった途端、二人から僅かに含んでいた同情心が消えた。帝国貴族の身にありながら落ちぶれて、卑しい商人の都で平民同然に糧を得るなど貴族の恥晒しでしかない。口には出さなかったがどうして娘をフェザーンの孤児院なりに放り込んで帰ってこなかったと言いたくなった。が、さらに話は悪い方向へと向かう。
「娘の父親はやはり叛徒に逃亡した貴族で、ワルター・フォン・シェーンコップという男です。フェルナーの調査では、皇帝陛下への反逆罪に問われて逃亡したシェーンコップ男爵家の生き残りです」
「お、おまっ!!」
フレーゲルは次に続く声が出なかった。ただの平民ならどうとでもなるが、さすがに反逆罪を犯した一族の娘を連れてくるのはどう考えても不味い。
幸い、ローザラインとワルター・フォン・シェーンコップは正式に結婚しておらず、相手も娘がいる事を知らない。叛徒にも私生児として記録されて父親の情報は無い。娘は血筋こそ貴族でも、今は本当に何も無い天涯孤独の孤児だった。とはいえ今さらそんな事を聞かされても、安心など出来るはずもなかった。
狼狽するフレーゲルを横目に、ブラウンシュヴァイク公爵は甥に厳しい目を向ける。
「……フェリクスよ。今からでも遅くは無い、その娘を殺して知らぬ存ぜぬを貫けぬか?」
「助けた以上は最後まで責任を持たねばなりません。叔父上や兄上には申し訳ないと思っています」
「………その娘の姓を捨てよ。クロイツェル、シェーンコップ両方だ。ただの親無しの平民としてなら生かしておいて良い」
「叔父上!事が露見すれば我々にも累が及びます!!」
「ならばフレーゲルよ、貴族として秘密の一つや二つ隠し通して見せよ。フェリクス、もし事が洩れたら毒酒を飲み干してもらうぞ」
出来なければ今すぐカーテローゼを殺す。公爵の目は雄弁に語っていた。今の彼は優しい叔父ではなく一族を率いる門閥貴族の雄、ブラウンシュヴァイク公爵だった。
秘密を護れなければ死あるのみ。11歳の少年には些か重い言葉だったが、フェリクスには馴染みのある規定だ。前世の研究者時代は機械操作一つ間違えたら死、実験の手順を間違えれば最悪死すら慈悲あるバイド汚染、迂闊に情報漏洩などしたら明日から研究者から被験者にジョブチェンジする職場で長年過ごしてきた。機密の一つや二つ扱えないでTEAM R-TYPEには居られない。
「承知しました。情に流された上に失態を犯した時は、我が命を以って償います」
「よかろう。フェルナーよ、貴様もすべて忘れよ」
「はっ!ご命令承りました」
フレーゲルは言いたい事が千も万もあったが、尊敬する叔父が命じた以上は蒸し返す事を躊躇った。そして弟が自分たちに深々と頭を下げて謝意を示したので冷静になる。
あとはフレーゲル領の邸宅に預けて、使用人として教育する事でカーテローゼの件は決着した。
厄介な案件をひとまず片づけた三人は休息を入れる。フェリクスはハーブティーを飲み、あとの二人はフェザーン土産の黒ビールを出した。
フレーゲルはビールを一口含み、苦々しい顔になる。苦いのは味だけではあるまい。反対にブラウンシュヴァイクは素知らぬ顔でグラスを空にした。
「これほど苦いビールは生まれて初めてだ。次からは甘いワインを土産にしろ」
「ビールもたまには悪くない。甥がわざわざ土産に買ってきた物ならな。……さて、地球教はどう扱うべきか」
一度棚上げした案件を再び戻す。と言っても現在分かっているのは、あくまで遠く離れたフェザーンの、新興宗教の一教徒が麻薬中毒者になった程度。それだけで全ての地球教徒が麻薬中毒者と断ずるのは道理が通らない。帝国は公に宗教の自由を認めてはいないが禁じてもいない。そもそも銀河帝国は古代ゲルマン神話から派生した北欧神話を信奉している。大神オーディンを主神に据えて首都の名にも採用した。が、それは文化の一部として復興させたに過ぎず、特別な教義があるわけではない。神官も居なければ神を祀る神殿すらない。何となく大昔にそういう神が居て、ルドルフ大帝が信じているから帝国民は信じているだけ。星系の名前に採用した程度の、生活に根差した教えとも言えなかった。
だからこれまで地球教と言われても理解に乏しく、領地の中で暇人が遊んでいるとしか思っていなかった。甥が話題に上げたからまともに聞いているだけで、それ以外の者が言っても一笑に付して終わりだ。
「ひとまず領地内の地球教の集会場や教会の家宅捜査でもしてみては如何でしょうか。弟の言う通りサイオキシン麻薬が見つかれば関係者を全員逮捕しましょう」
「うむ、そうだな。まずは穏便に捜査からだ」
公爵は腹心のアンスバッハ大佐を呼び、サイオキシン麻薬の事を伝えてフェルナーを副官に、共に地球教の捜査を命じた。
フレーゲルも領地の私設軍指揮官を呼び寄せて、後日公爵軍と綿密に打ち合わせをするよう差配した。貴族の仕事は配下に仕事を割り振る事。あとは現場の仕事である。
当然幼年学校生のフェリクスに仕事はなく、捜査が終われば学校に連絡を入れるから、新学期の準備をしろとだけ言われた。
その前に叔母のアマーリエと従姉妹のエリザベートに土産を渡し、カーテローゼに暫く会えない事を伝えて、泣く幼児を宥めるのに時間を費やす羽目になった。彼女は三日後にフレーゲル領に送られて、今後は屋敷の主人兄弟が居なくなって暇を持て余している執事のホルツと老メイドが教育を施す。
カーテローゼがフェリクスと再会するのは暫く先である。