貴族の名はシャイド男爵。ブラウンシュヴァイク公爵の甥にあたり、伯父の代わりに公爵家が保有するヴェスターラントという惑星を統治する代官の青年である。辺境の中では比較的裕福な惑星で、レアアースの採掘などで潤っていた。
シャイド男爵に降りかかった危機の原因はある意味彼自身にありつつ、時勢が変わった事で起きた不幸とも言える。
「伯父上のために物資を送ろう。金は民草から巻き上げれば善し」
戦時における臨時の徴税は貴族の領地ならよくある事だった。これまではそれで片付いていた行事だったが、この時ばかりは事態が違った。下級貴族出身のローエングラム元帥と貴族連合の戦いがフェザーン商人の口から広がり、門閥貴族の力が衰えた事に気付いた民衆は納税を拒否。これを不服としたシャイド男爵は民衆の弾圧を決行。それが火に油を注ぐ結果になり、大規模暴動に発展して男爵は襲撃されて、命からがら宇宙へ逃亡。伯父ブラウンシュヴァイク公爵に助けを求めた。
そして辿り着いてすぐに息を引き取った。数日前にもう一人の息子同然の甥を亡くした公爵の中で何かが切れた。幽鬼の如き血の気を失った相貌でアンスバッハに命じた。
「核でヴェスターラントを焼け。皆殺しにして我が甥の手向けとする」
「公爵閣下、何卒お考えをお改めください。男爵を襲った者を処刑するのは構いませぬ。ですが核は使ってはなりません」
いつも冷静沈着なアンスバッハが珍しく狼狽して公爵を諫める。核兵器の使用はかつて旧時代に地球を焼き払った『十三日戦争』以来、居住惑星への使用は忌避される蛮行と見做されている。いかに領民の生殺与奪権を握る公爵と言えども、限度を超えた虐殺は大きな汚点となる。
「黙れ。貴様の意見など聞いていない。惑星一つを治める貴族を殺したのなら、その惑星全ての民草を殺さねば釣り合いが取れぬ。これは正当な処罰である」
周囲は押し黙る。決して公爵の主張に納得したわけではない。主の正気を失った目を見て、反抗すれば今この場で殺されると一目で察した。ゆえに粛々と主命を果たさねばならなかった。
ヴェスターラントへの核攻撃が決まった翌日、ローエングラム軍に投降する兵士が居た。最初は負け続きの貴族軍に見切りをつけて早々に下った方がマシな扱いになると考えた兵士と思われたが、切羽詰まった様子で事のあらましを語った事から、すぐさま核攻撃の情報はラインハルトまで届いた。彼はすぐに艦隊をヴェスターラントに派遣する命令を下そうとしたが、側近の参謀長が押し留めた。
「閣下、ここはいっそ核攻撃をブラウンシュヴァイク公爵の手で実行させましょう。さすれば民衆や兵士からの支持を失い、貴族軍は一層の窮地に立たされます」
義眼の参謀は冷酷なまでに合理性を突き詰めた策を献上する。ラインハルトは感情的に否定する前に、オーベルシュタインに罪の無い住民200万人を見殺しにする程の価値があるか問うと、さらに内戦が続けばより多くの民が死ぬかもしれない。概算では内戦の長期化で1000万人が犠牲になる。そのためには門閥貴族の蛮行を帝国中に知らしめて、戦争の早期決着を目指した方が帝国民250億のためになる。そのように極めて打算的に主君に迫った。
ラインハルトは苦悩する。この参謀の言い分はおそらく正しいのだろう。より早い戦争終結と貴族と平民の分断により、自分達の兵力を温存しつつ敵の力を削ぐ優れた策だ。ただし何も知らぬ、ただ日々を生きているだけの素朴な民数百万を率先して犠牲にする事を除けば。
キルヒアイスが何と言うだろうか。己の半身なら間違いなく反対する。さて、もう一人の友人はどうだろうか。フェリクスは狂人だが女子供には甘い。それに家族愛が強いから公爵が虐殺に及んだと知れば、内心穏やかにはなるまい。
「―――核攻撃をブラウンシュヴァイクが命じたのだったな。ならば今すぐヴェスターラントに艦隊を派遣して核攻撃部隊を撃破。可能なら一部の兵も捕らえよ」
「閣下、情に流されてはいけません」
「まあ聞け参謀長。これはフェリクスへの極めて大きな貸しだ。奴は叔父の公爵を親代わりに思っている。その親の悪鬼の如き非道を我々が止め、表沙汰にせぬように取引する。奴は狂っているが律儀で誠実な性格だ。叔父が背負う大量虐殺者の汚名を未然に防いだ俺に借りが出来たと思う」
「フレーゲル博士への気遣いが1000万人の犠牲、ひいては250億の帝国臣民に勝ると」
「そうだ、奴にとって地位や財など無価値。味方のまま扱うには貸しを多く作って言う事を聞かせるしかない。オーベルシュタイン、貴様はフェリクスが敵に回って一切の枷を外した時、どれだけの被害が積み上がると考える?おそらくこの内戦の死者の数千倍。あるいは人類そのものが死に絶えるぞ」
オーベルシュタインは表情こそいつもの血の気の無い陰気な面を崩さないが珍しく固唾を飲む。上官の言う通り、あの男は人類を絶滅させかねない常軌を逸した劇物だ。使いようによっては数百億の人を活かし、また殺し尽くす、理性を持ったまま狂った怪物。それは同盟の惑星パラスを丸ごと地獄に変えた事実が証明している。
では自分があの怪物を殺すか制御可能かと言われれば、おそらく無理だろう。狂人の思考など読み切れるものではない。仮に暴力で排除しても、既に生み出された悪魔達が誤って世に出た場合、誰も止める手立てが無い。もはやあの男を排除する段階はとうに過ぎ去っている。
古の言葉に『豹は死して皮を留め、人は死して名を残す』というものがある。人は死んだところで何かを世に残す。あの狂人が世に残す物が決して良い物ばかりとは主従は思えなかった。
「フェリクス・フォン・フレーゲルに気を遣いながら枷を増やすのが最適解ですな。閣下があの者と友人だったのは人類にとって幸いでした」
「理解してくれて助かる。では改めて命令を下す。最も足の速いミッターマイヤー艦隊をヴェスターラントに派遣して、近付く艦を悉く撃墜するか捕縛せよ」
命令を受けたミッターマイヤー艦隊はすぐさま出撃。最速で惑星ヴェスターラントに赴き、近寄る船を軍民問わず捕縛するか撃墜した。ブラウンシュヴァイク公爵に命じられた核攻撃隊は艦隊を確認して投降。彼等も虐殺の片棒を担ぐ事に嫌悪感を持っており、捕らえられた時は誰もが安堵の息を吐いた。兵士の証言と、核兵器の実物を証拠にミッターマイヤーは帰投した。
ヴェスターラントはその日、何も無い一日だった。次の日もそのまた次の日も平穏な時を刻み続ける。
ヴェスターラントへの核攻撃が阻止されて数日が経った。現在ローエングラム軍は
やはりというべきか領地への核攻撃を指示した噂が平民の反発と失望を生み、離反者が相次いでいる。実際に核攻撃を受けてヴェスターラントが壊滅した話は無い。出撃した部隊は誰も帰ってこないので、未然に防がれたのだろうと兵は噂し合った。任務失敗を喜ぶ声が大きいほど、実際に命をかける平民兵士からの支持が失われている証拠である。
貴族は平民を蔑視して軽んじるが、彼等は建物の土台や基礎に当たる。基礎無くば大型の建物は簡単に倒壊する。平民が失われるだけ、貴族もまた弱体化する。それを理解している貴族は驚くほど少なかった。
平民と異なり、面子に縛られた貴族は現実から目を背けて酒に逃げた。あるいは息子を失った老貴族は絶望して毒酒を呷るか、自ら手首を切って失血死している。
半年前に決起に参加して署名した頃に溢れていた戦意とローエングラム=リヒテンラーデへの敵意は、もはや萎えて霧散していた。
盟主ブラウンシュヴァイク公爵を批判する声もある。政治的選択を誤った、軍事的統率を欠いた、敵の力を過小評価した。これらは全て事実、しかしそうした失態を犯した者を盟主に押し上げて集った己の人を見る目の無さを認める事になるため、大きな声で批判は無い。代わりになぜこのような窮地に陥ったか嘆く声が要塞内に溢れた。
盟主のブラウンシュヴァイクは酒に溺れていた。元より乗り気でなかった皇位争奪戦は一族の圧力で、仕方なく盟主の席に座っていたに過ぎない。好き勝手に威勢の良い事ばかり口にする若い一族が戦死していくたびに、内心嘲笑していた所もある。ライバルだったリッテンハイムが死んだと聞かされた時も清々したと同時に、義兄弟を失った悲しみもあった。戦いそのものが好きではない事に今更ながら気付き、いい加減止めたいと思っても馬鹿共は和平を口に出さない。ズルズルと続けた末に息子と思っていた甥を死なせた。
(儂が優柔不断だったゆえにヴィクトルは死んだ。一族にはもっと厳格であるべきだった)
いつかもう一人の甥フェリクスに言われた事を思い出す。一族の意を汲むのは器量でも、顔色を窺い過ぎるのは弱さでしかない。
(儂は弱かったのだな)
今更ながら己の至らぬ点を思い知る羽目になった。ここまで戦いが続いてしまえば戦を治めるには相応の条件が必要になる。
次に貴族の持つ財、領地は接収されても帳簿に乗らぬ隠し財産を残らず差し出せば、最低でもそれぞれの妻や娘は流刑になっても命は助かる。
それこそローエングラム軍の提督は若手が多い。連中に嫁がせる事で爵位を得て領主として君臨する名分が得られる。
エリザベートも……この時ブラウンシュヴァイクは首を振って考えを否定した。娘をこれ以上政争の駒になどさせたくない。この戦自体が娘の意志を無関係に争いを起こした己の不徳ではないか。二度と身内を政治の道具になどさせたくない。
「くくく、なら儂以外に差し出すものは無いな」
結論は出た。だが只では死んでやらん。誰か道連れにしてやる。後ろ暗い謀を思いつき、実行役を呼ぼうとした時、自分から訪ねて来た。
「ちょうど良かったアンスバッハ。今貴様に仕事をさせようと思っていた所だ」
「承知しました。ただ、その前に公爵閣下にローエングラム元帥から使者が参っています」
「ふん、どうせ降伏の使者だろう。平民とは席を共にはせん」
「なれば問題ございません。使者はキュンメル男爵でございます」
ブラウンシュヴァイクは口籠る。確かに貴族が交渉の相手なら会わないわけにはいかない。ただ、キュンメルは元々
「男爵は閣下の甥のフェリクス様の名代とも仰っていました。いかがいたしましょう」
「―――分かった。会おう」
帝都に居残る甥の名を出されては仕方がない。酒気を纏ったまま使者と会うのは非礼だが今の自分にはその方が似合いだろう。
ブラウンシュヴァイク公爵の顔を見たキュンメル男爵は一礼して、立場が下の者の形式的な挨拶をする。相手は追い詰められていても、未だ爵位は天と地ほどもある。公爵も娘と同じ年頃の若者に横柄な扱いを受けるのは不本意だろう。
そして交渉に入る前に男爵はブラウンシュヴァイクにフレーゲル男爵を討った事を謝罪した。一瞬公爵の顔が険しくなったが、動揺を抑えて甥の最期を尋ねた。
「一対一の尋常な決闘でした。彼は最後まで逃げずに戦い、死の瞬間まで笑っていました。貴族として誇りある方です」
「誇りがあり過ぎた。だから儂より早く死ぬのだ」
誇りと面子が無ければ貴族とは言えない。しかしあり過ぎても死に急ぎ過ぎる。嘆きと悲しみを滲ませる公爵を見て、キュンメルはままならないと思った。
ブラウンシュヴァイクは甥の仇を前にしても、感情は脇に置いて交渉を始める。まず最初に降伏はしないと宣言。貴族連合は未だ戦力を有しており、戦意は旺盛と嘯いた。無論そんな事は虚勢とキュンメルは知っている。この部屋に来るまでにつぶさに要塞内を観察している。すれ違う兵士や貴族の顔はみな疲れ切っていて、既に勝てない事に気付いている。脱走兵や投降した兵も同じ事を言っていた。降伏しないのは貴族の面子の問題でしかない。
「では援軍の当てがあるのでしょうか。要塞内に残った兵だけではローエングラム元帥の軍には勝てませんよ」
ブラウンシュヴァイクは沈黙した。外からの助けも無ければ、独力で戦うだけの戦力も枯渇した。あとは徐々に要塞の食料を食い潰して時が経つのを待つだけしかやる事が無い。
「リッテンハイム侯爵の軍が最後にどうなったかご存じでしょうか?敗北を認めた軍の兵士は暴走して悪徳の限りを尽くしましたよ」
殺人、拷問、略奪、凌辱。日頃から虐げられていた平民がここぞとばかりに、貴族に襲い掛かってそれまでの怨みを晴らす。美しく着飾った貴族の令嬢や妻が何人もの兵士に組み伏せられて死ぬまで嬲られる。中には少年も居たと耳にした。
ブラウンシュヴァイクは動揺した。妻や娘が同じ目に遭うのを想像して吐き気を覚えた。キュンメルはそんな公爵の動揺を正確に読み取り、ここぞとばかりに囁いた。
「降伏をしないと言っても、妻子は今のうちに退去させてはいかがでしょう。元々戦争は男の仕事です。要塞に女子供が居る方が不条理でしょう。私が責任をもって帝都オーディンまで護衛致しますゆえ、絶対に兵に手荒な真似は許しません」
「―――貴殿を信じて良いのだな?」
「フレーゲル博士にエリザベート様と公爵夫人を護るように頼まれました。ローエングラム侯爵も兵が規律を乱す行為を決して許しません」
「分かった。数日以内に女子供は要塞から退去させる。ただし、まだ降伏はせん」
「承知しました。交渉は三日後に再び行います」
キュンメル男爵は努めて残念そうな顔をして退席した。後姿を見送るブラウンシュヴァイクは、まだまだ若いと微かに笑った。あの少年は最初から降伏させる気など無かった。大して粘りもしない降伏勧告は見せ札で、貴族の妻子の退去こそが本命。先程の言葉通り、甥のフェリクスに頼まれて、妻と娘を生き延びさせようとしたのだろう。金髪の
(儂を納得させるために、わざわざ甥の名を出したのは余計だったぞ)
だがまあいい。あのような義理堅い若者が二人を護るというなら、任せた方が今後も安心出来る。ローエングラムの若造も腹立たしいが、真っ向から我々を叩き潰した手腕は認めてやる。リヒテンラーデのような妖怪がいつまでも居座って帝国を好き勝手にするよりは、いっそ成り上がりにくれてやった方が清々する。
不満は多々あれど、後を託せる者が見つかったブラウンシュヴァイク公爵は、どこか晴れ晴れとした顔になっていた。
公爵は腹心のアンスバッハを呼び、幾つかの指示をした。アンスバッハは驚きながらも公爵の決意を汲んで了承した。夜は妻アマーリエと娘エリザベートと長く時を過ごし、複数の書類を認めて妻に預けた。
翌日、貴族軍に参加した者の妻と娘、それに10歳までの男児は全て要塞から退去した。オーディンまでの案内と護衛はキュンメル男爵が務める。
さらに二日後、キルヒアイス艦隊が辺境の貴族領の大半を制圧して戻って来た。艦隊の一部は辺境の治安維持に残しつつ、降伏した貴族の私兵を編入してより強大になっての帰還は、ローエングラム元帥に匹敵する威信を示すものだった。
倍に膨れ上がったローエングラム軍に、今度こそ貴族たちの戦意はへし折れて、自殺者と破れかぶれの玉砕者が相次いだ。
二度目の交渉はキュンメル男爵から変わったロイエンタールが行ったが、あまり進展は見られなかった。公爵はこれまでの爵位そのままを認める代わりに、家の財の半分を引き渡す事を条件としたが、ラインハルトが求める基準には満たなかった。交渉はさらに翌日に持ち越す約束をするに留まった。
しかしその日の夜、公爵は毒酒を飲んで果てた。彼の顔は苦しみの中に微かな満足感を宿していたように見えた。