ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥暗殺の首謀者である、リヒテンラーデ宰相はロイエンタール提督に逮捕された。罪状はローエングラム侯爵暗殺未遂である。リヒテンラーデは若造に出し抜かれた事に項垂れた。また一族も軒並み捕らえられ、先帝フリードリヒ4世の治世より政界を牛耳ってきた門閥貴族リヒテンラーデ一族もまた、新たな時代の激流に呑み込まれようとしていた。
同時刻にミッターマイヤーは宰相府に突入して、慇懃に退去命令を出す官吏を無視して国璽を押収した。箱の中のビロードに包まれた国璽をミッターマイヤーは指で摘まむ。
(こんな小さな印鑑が帝国全てに命令を下せるとは)
権威に力が伴わなければ、こんなものは手の込んだただの小物。だからこそ真に力ある者が持つべきだ。そしてそれは己ではない。正しく扱える者は帝国にただ一人である。
リヒテンラーデ公爵逮捕から十日後。遅ればせながらラインハルトは座艦ブリュンヒルトに乗って、オーディンへ帰還した。
彼がまず行ったのは皇帝エルウィンへの乱鎮圧の報告である。相変わらず幼帝は退屈そうにラインハルトの話を聞いていたが、血の繋がらない伯父二人が死んだ事は悲しんでいた。それでも近侍と側に仕えるベーネミュンデ夫人に囁かれて、忠臣に拙い労いの言葉をかけた。
ラインハルトは幼帝の言葉には全く心を動かされなかったが、彼の傍に居た宰相リヒテンラーデの姿が既に無い事には清々しい気分になった。
さらに乱鎮圧の褒美として、その場で公爵への陞爵と銀河帝国宰相の座を賜り、軍と政の位を登り切った。彼以上の地位ある者はもはや皇帝エルウィン以外には誰も居なかった。
続いて逮捕したリヒテンラーデとその一族の処遇を決めねばならなかった。実際はリヒテンラーデ本人は逮捕された翌日に毒酒を飲んで、既にこの世に居なかった。参謀長オーベルシュタインが出撃前のロイエンタールに毒酒を渡しており、彼は差し入れられた毒を躊躇わずに飲み干して果てた。長年にわたり国政を担い続けた政治の鬼にしては随分とあっけない幕切れだった。持ち前の政治力の高さ故に、ここから逆転する目は無いと誰よりも分かっていたのかもしれない。
ラインハルト以上にリヒテンラーデの生存を許さなかったアマーリエとクリスティーネ姉妹は、宰相の死を聞いてただ一言『長く生き過ぎた』とだけ呟いたという。
残るリヒテンラーデの一族は、貴族の地位と特権を剥奪。成人男子は全て公職から追放。ただし調査の末に罪状の見当たらない者は後々の公職復帰を示唆される。この処遇により数名が処刑されて、その十倍が刑務所に行く羽目になった。銀河帝国を牛耳った一族にしては少ないと見るべきだろう。
未成年および女性は全てオーディン星より無期限の退去命令を下される。財産に関しては所有する領地を没収されても、金銭や物品は平民から見れば十分手元に残された。
些か手緩いように思えるが追い込み過ぎるよりも、いずれ皇帝から下される恩赦をちらつかせることで、凶行の抑制を重視した策謀である。
それでも直接的にラインハルト暗殺を実行したアンスバッハ准将は処刑された。戦場での命のやり取りならいざしらず、降伏した後に未遂でも暗殺を実行すれば、さすがに生き永らえる事は難しい。当人も処刑される事を分かった上で事に望んだ。死罪を言い渡されても眉一つ動かさず、ただ頷いて命乞いもしなかった。
判決の翌日に処刑は執行された。遺体はフェリクスが引き取って、主君ブラウンシュヴァイク公爵と共に公爵家所縁の墓地に埋葬した。後日、簡素な墓石には名前と『忠義者』と刻まれた。
元帥府に赴いたラインハルトは貴族との戦で功績を挙げた諸将の階級を引き上げた。戦功著しいミッターマイヤー、ロイエンタール、オーベルシュタインは上級大将に昇進。ケンプ中将ら8名と、捕虜から加わったファーレンハイト中将が大将に。
そしてリッテンハイム侯爵を討ち取り、帝国辺境を平定したジークフリード・キルヒアイスには元帥杖が贈られた。ただし彼はその場で退役を申請。後任への引継ぎが終わる年末をめどに軍から退く。急な話に主君ラインハルト以外は騒然としたが、文官への転向を考えている旨を伝えると一部の同僚は納得した。
キルヒアイス艦隊は解体されて、それぞれの将の艦隊に編入された。一つ困ったのは座艦【バルバロッサ】だけは誰も引き取ろうとはしなかった。性能こそ総旗艦ブリュンヒルトを大きく超えても、生理的嫌悪感を放つ呪物を皆が押し付け合い、ラインハルトはとうとう噴き出してしまった。
芸術家提督と呼ばれたエルネスト・メックリンガーは手記に当時の心境を書き残していた。
『軍人が外見で兵器を判断するのは本来恥ずべきことである。しかし我々の誰もがあの【ヨトゥンヘイム級】を座艦にしようとは思わなかった。芸術を解さないビッテンフェルトすら口籠って嫌がったのだ。それまでの私は世の道具は機能性を追求すれば自ずと美を宿すと考えていた。ローエングラム閣下のブリュンヒルトなどが顕著な例だ。しかしあの艦は機能性を追い求めすぎた末に、醜悪極まりない外観を与えられてしまった。何事も度を越せば美を損なう見本である』
結局バルバロッサは生みの親のフェリクスに返還されて、私設軍首席武官のグリルパルツァー少将が預かる事になる。
功績のある軍人達の処遇は定まった。後は
初戦で敗北してレンテンベルク要塞に逃げ込んだシュターデンなどは、少将へ降格してオーディンの幼年軍学校の校長を任ぜられた。明らかな左遷人事だったが敗者に抗議する資格は無い。ただシュターデンは教職に適しており、実践的な軍人から『理屈倒れ』などと揶揄されても、教育カリキュラムなどの作成には優れていた。軍人の基礎を学ぶ幼年学校には必要な人材であり、彼は口うるさくも生徒に慕われる良き校長として、退役するまで帝国軍人の育成に力を入れ続けた。
同じようにレンテンベルク要塞で終戦を迎えたオフレッサー上級大将は、元帥府でラインハルトと対面した時、不機嫌そのものだった。
「おれと戦わずに要塞を無視したのは、将として兵の損失を抑える判断だから正しい。しかしそれはおれなど何の価値も無いと切って捨てたに等しいのだ。だからおれは貴様のためになど戦わん。今日限りで退役する」
「よかろう、卿の退役を認める。階級はそのまま上級大将、所有する領地も削らん。さらばだ銀河最強の勇者」
ラインハルトの心からの敬意にも、オフレッサーは鼻を鳴らすだけで喜ぶ事は無かった。
以降彼は二度と戦場に立つ事は無く、時折先に退役したミュッケンベルガーと会って酒を飲む。親交のあったフェリクスや、かつての部下が見舞う以外は領地で狩りなどをしながら静かな余生を送った。
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ラインハルト・フォン・ローエングラムが政と軍の全てを握り、この世で最も多忙な人間になったのを尻目に、友人であるフェリクスの帝国歴488年末は比べ物にならないほど暇だった。正確にはやるべき事は数多くあるが、友人ほどの仕事は抱えていない。
何しろ銀河帝国宰相にして軍の最高司令官を兼務である。並の人間なら一日で潰れる仕事量を、ラインハルトは毎日平然と消化している。
さすがに秘書は数名増やしたらしい。首席秘書はヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ伯爵令嬢とのこと。若い女秘書を侍らせるなど、スケベ親父みたいな事をすると思った。むしろスケベ親父みたいなことをして、さっさとくっつけとフェリクスは思った。周囲も直接言いはしないが裏で若い宰相の恋人と秘かに噂し合っている。
尤も令嬢の能力はかつての副官キルヒアイスに準ずるほど高い。おかげで高度な判断を迫られる案件も矢継ぎ早に処理されて滞る事が無かった。
ラインハルトが軍人としてトップクラスの才覚を持っているのは周知の事実であったが、為政者としても一流とは驚きである。内政に積極的に手を入れて、帝国の不条理で旧然とした体制を毎日刷新している。
『民衆の信頼を得るには、二つのものがあればいい。公平な裁判と、公平な税制度』
友人が語った政治の骨子である。幾つか異論や足りない部分はあるが、全くの見当違いとも言えない。少なくとも民衆に『これまでの帝国とは違うぞ』そう思わせるだけでも成果はあった。
裁判は身分や地位に関わらず罪を犯せば等しく裁かれる。冤罪になっても正しく取り調べてもらえる。実際、相手が貴族だからと加害者が無罪になったり、被害者が加害者に不当にされるケースは多々あった。それが是正されるなら立場の弱い平民は、こぞってラインハルトの改革を支持した。以前グリューネワルト夫人が話していた、自分達の母は大貴族が運転する車に轢かれて死んだと。それでも貴族は簡単に罪を揉み消して、被害者が泣き寝入りするしかなかった。友人が公平な刑法を制定するのは、過去の経験も影響があるのかもしれない。
税制も貴族は気分で領地の民に税を課して、何百年にもわたって民は苦しんでいた。貴族が取り立てる重税のせいで、今日食べる麦にも事欠くようでは民は安心して暮らせない。まずは民衆の労働意欲を取り戻すような政策を施行するのも理にかなっている。
また貴族連合に参加した貴族の領地や荘園を接収して、それらの住民は全て農奴から解放した。治安維持も積極的に行い、現在の帝国正規軍は精力的に各地を飛び回っている。
こうした改革に必要な予算がどこにあるかと言えば、全て敗北した門閥貴族から接収した財産で賄われている。家が滅亡しても夫人や子女に当面の生活費にある程度は残してあるが、そんなものは溜め込んだ富に比べたら塵のような額でしかない。巻き上げた金は景気よく改革の目玉の福祉や農地配布に使っても、向こう10年の帝国の内政予算を賄える。使える時に効果的に使って、以降は民が育てた実(税収)で賄っていけば良い。
当然負けた貴族に例外は無く、ブラウンシュヴァイク家やリッテンハイム家も大半の富を持っていかれた。屋敷と美術品は勿論、贅を凝らした家財道具も全てだ。近く病院や公共施設などに改装され、美術品は博物館行きか競売にかけられて売り飛ばされる。
貴族の文化人などは嘆くだろうが、歴史上よくある事だから気にするだけ無駄である。むしろ戦渦に巻き込まれず、失われる事無く後世に伝えられるだけ幸運と思うべきだ。
フェリクスの叔母や従姉妹も住み慣れた公爵邸を追われて、フレーゲル男爵邸に身を寄せている。兄が賊軍の将でも弟が友好的中立だったために取り潰しは免れて、領地と邸宅はそのままである。フレーゲル家の領地相続は典礼省に申請してあり、現在は審査中だがいずれ正式に相続が認可されるだろう。長年仕えてくれた家臣を放り出すのは信義を損なうため、これまで通り領地経営に携わってもらう。新政権には一応協力する姿勢は見せておきたかったから、金庫の中身は本年度分の税以外は全て国=ラインハルトに投げつけた。領地があればまた金は稼げるし、貴族の付き合いも激減するから歳出も相応に減る。ついでだから男爵位の方は放置してある。今更爵位相続は気乗りしない。
叔母やエリザベートは不自由するがそれも一時的な事。来年には二人とリッテンハイム夫人と娘のサビーネは
延々と政争に巻き込まれる人生よりは、すっぱり身を引いて重荷の無い立場の方が人は生きやすかろう。
人の前に居座る少女のように、毎日衣食住に困らず気楽に過ごせるなら多くの人がそれを望むだろう。
「むぅ~今何か失礼な事を考えたでしょ」
「そんな事は無いですよ。強度と重量比を暗算していただけです」
嘘だなどと言って、サビーネは後頭部を何度もこちらの胸にぶつける。痛くはないが手元が狂うし、彼女の黒髪の感触がくすぐったい。同じ椅子の前側に座られるとコンピュータ端末の操作がし難いから、退いて欲しいのだが一向に止めてくれないから、放置状態でR戦闘機の設計図を引くしかない。ほぼ仕事の邪魔をするネコである。少なくとも15歳の貴族令嬢のする事ではない。
最近は二日に一度はこんな調子でサビーネが家にやって来て、何をするでもなくべったりくっついて、日が沈めば帰っていく。本人曰く『暇』らしい。
侯爵家がほぼ取り潰し状態になり、親族も大半が死亡するなり没落した。主だった親族の葬儀が終わると、パッタリと親戚付き合いが減ったとのこと。物理的に人が居なくなったのもあるが、財産を奪われ、次期女帝の夫になる野望が潰えれば、簡単に人は離れていく。お付き合いする旨味が無ければ見向きもしないのは平民も貴族も一緒である。
「年末年始のパーティーもやらないんですか。それか招待を受けているとか」
「お父様たちが亡くなったからやらないわ。伯母様とエリザベート
「そこは同意します。私はキュンメル家とか、ある程度は他家に顔を出さないといけませんが」
「貴方も家には来てね、お母様も喜ぶわ。お土産はPOWアーマー!前に貰ったのは屋敷ごと取られちゃったし」
無茶を言いよる。取り潰されかかった家に機動兵器など渡したら、役人が憲兵を引き連れてすっ飛んでくる。悪名高い社会秩序維持局こそラインハルトによって解体させられたが、貴族のテロや暗殺にはオーベルシュタインが常に目を光らせている。あの湿っぽい義眼に無意味に睨まれたくない。
「POWをあげたらキルヒアイスに突撃しかねないから駄目です。せっかく来年には挙式なんですから、幸せを壊してはいけません」
「そんなことはしませんよ~。そういえばグリューネワルト夫人だったわね、赤毛のお相手」
幼馴染のお姉さんと結婚。サビーネは年頃の少女らしく、興味津々といった様子。
リップシュタット貴族連合との戦が終わって、暫くしてキルヒアイスはグリューネワルト夫人に結婚を申し込んだ。最初は夫人の方は説得して諦めさせようとしたとか。やれ、年が離れている。皇帝の元寵姫など、これからの新王朝を担う重鎮に相応しくない。もっと良い相手がいる。
そうした拒絶の言葉に耳を貸さず、彼は真摯に何度も求婚の言葉を語り、とうとう夫人が折れて承諾した。同じ館に居てお茶を用意していたカーテローゼからそのまま聞いた真相である。
ちなみに結婚の承諾を後から聞いたラインハルトは、人生最高の喜びと言わんばかりに絶叫して姉に怒られた。
彼は翌日には自宅のシュワルツェンの館から引っ越して、独身者向けの官舎住まいをしていた。皇帝を除けば帝国の最高権力者が質素な官舎暮らしは、権威と保安面から褒められたものではなかったが、当人は全く取り合わなかった。警備兵用の詰め所を隣に新たに建てる必要が出来たのを考えると、元からある適当な貴族邸を使った方が手間が少ないように思う。
「私は挙式に呼ばれる事は無いけど、フェリクスと一緒なら行けるかしら。グリューネワルト夫人の花嫁姿は見てみたいの」
「式で大人しくしているなら連れて行ってあげますよ。どうせならお祝いの品を選んでくれますか」
「それぐらいならいいわ。あっ、それって商人を屋敷に呼ぶんじゃなくて、自分からお店に行くんでしょ!前から一度やってみたかったの!」
そういえば昔、従姉妹と一緒にケーキ屋に行ったことがあった。あの時エリザベートは皇孫だったから、店に立ち寄ってケーキを食べる事すら簡単には出来なかった。家柄が高いというのも時には不自由になる。同じ椅子に座って人の顔に顔を擦りつける少女も、同じような不自由を重ねて生きて来たから、解放されて自由に振る舞っているわけだ。
「犬猫のマーキングじゃないんだから離れましょうよ。まったく、私みたいなろくでなしのイカれた男のどこがいいんだか」
「んー顔はそんなにだけど、私に媚びを売ったり利用しようと考えない所とか。なんだかんだ言ってお願いを聞いてくれる優しさ。一緒に居るとドキドキするし、私の体を治してくれたでしょ」
「体を治したのは医者だからです。エリザベートの時のデータがあったから大した手間もかかっていませんし」
従姉妹のエリザベートには先帝フリードリヒ4世から受け継いだ『血液凝固制御因子』に遺伝子異常があった。サビーネも同様の遺伝子異常を生まれた時から抱えており、その情報はずっと秘匿されていた。
劣悪遺伝子排除法はフリードリヒ4世に完全廃止されても、始祖ルドルフから続く偏見はそう簡単には払拭されない。実際、法が完全撤廃されても遺伝子異常を公にする者は絶無だった。
サビーネの母クリスティーネがこの事をフェリクスに告げて、治療を懇願したのはつい先日である。ライバル派閥の貴族に治療を頼むのは、長年染みついた常識と借りを作る面でも無理だった。両派閥が戦で潰された事で、ようやく娘の治療に踏み切れたのはあまりに皮肉と言える。
あらゆる面で自由になったサビーネは以降、ことあるごとに己に好意を示している。自由過ぎて人間よりネコになっているのは見ないでおく。
しばらく大きなネコにじゃれ付かれていると迎えがきた。名残惜しそうに離れるから、新年には挨拶に行くと伝えて、機嫌を取ってお引き取り願った。
やっと一人になり気が楽になった。サビーネの事は嫌いじゃないが、ああもベタベタされるのは色々と困る。主に若い気が昂って押さえつけるのに苦労する。相手に悟られたらそのまま押し倒されるから隠していたが。
遠からぬ未来、彼女に捕食されるだろう。三年持てばいい方だ。
フェリクスは出来れば外れてほしい未来予測を、頭から追い出して作業を再開した。書きかけの設計図の隅にはR-9Wと書かれていた。