帝国歴489年8月。帝都オーディンは盛夏の最中にあり、街ゆく人々は汗を滲ませながら働く者が多い。露店ではよく冷えた果実やジュースが安価で売られ、子供たちが親に購買をせがむ光景がそこかしこに見られる。昨年に歴史に残る内乱があったことなど、彼等平民はすっかり忘れ去ってしまったのだろう。それほど現在の治世は安定どころか目に見えて良くなっている。全ては宰相ローエングラム公爵の優れた政治手腕のおかげ。巷は若き宰相を讃える言葉で溢れ返っていた。
宰相の内政の差配を疑う声は無い。しかし彼の才能はそれだけにとどまらない。むしろ軍事こそ神懸った才覚が発揮されるケースが多い。
ラインハルト・フォン・ローエングラム宰相は元帥府に必要な男達を呼び寄せた。
フェリクス・フォン・フレーゲルは急に友人の宰相に呼び出された。元帥府なら軍事関係の用事だろうが、分かるのはそこまでだ。
執務室に通されると部屋の主以外に先客が居た。全員が30代の将官だった。宇宙艦隊総参謀長オーベルシュタイン上級大将、宇宙艦隊司令官ケンプ大将、同じくファーレンハイト大将。
「今日はよく来てくれたな。卿に相談がある」
オーベルシュタインが資料をフェリクスに手渡す。表紙には【帝国軍宇宙艦艇改修計画】とある。名前からして軍の技術関係の計画だろう。なぜ自分が呼ばれたのかは大体分かった。
「艦の改修のために私が保有する技術を提供しろと?もしくは外部の目から計画の採点ですか」
「半分はそうだ」
友人の半分という含みのある言葉に、嫌な感触が首筋から離れない。こういう時は大抵厄介事が付いている。
一旦座って、大雑把に資料を流し読む。
大前提は戦艦にフェリクスが開発した新型レーダー類を積み、艦同士のデータリンクを可能にする火器管制システムの刷新。バイドの索敵センサーを可能な限りの艦に搭載する。
次に一部の戦艦を宇宙母艦に改修する計画案。こちらは現状ワルキューレを搭載するが、将来的にはR戦闘機も運用出来るように、拡張性を持たせて設計しておく。
ここまでは必須の計画と区切られている。そこから先の資料は計画予定と書かれている。さらにパラパラと頁を流し見て、最後の総責任者の項目に大きく斜線が引かれて、下に手書きでフェリクス・フォン・フレーゲルの名が追加されている所で、ニヤつく友人を見て顔をしかめた。
「卿にこの計画の総責任者を任せたい」
「軍の科学技術総監のシャフト大将が計画から外されていますが」
計画書に本来名前が載っている人物。微かな記憶にある、禿頭で贅肉がたっぷり乗った中年男が不適格な理由を問う。それにはオーベルシュタインが答えた。
「彼は身辺調査の結果、公金横領の疑いが出ています。まだ確たる証拠が出ていないので逮捕はしていませんが、大きな計画を担わせるには信用が無い」
それに今の科学技術総監部の上層部はシャフト大将の取り巻きで固められている。他にも汚職に手を付けている技官がいるかもしれない。
フェリクスもシャフトの事は元は技術総監部にいた、自分の研究所に再就職した技師から多少聞いている。科学者より政治屋として熱心に動いて、上司やライバルを蹴落として、地位の階段を登り続ける輩と。ゆえにフェリクスの所にいるような、上司に媚びを売らない研究第一の技術者とは折り合いが悪い。
そんな政治屋が地位を利用して汚職に手を出しているから信用ならない。代わりとして己に大事な計画を押し付ける。友人の思惑は一応理解した。
「いっそ卿がそのまま科学技術総監の椅子に座っても、私は一向に構わんぞ。階級も大将に昇進させる」
フェリクスは露骨に嫌そうな顔をした。そんな彼をケンプやファーレンハイトは珍獣を見るような瞳で観察する。社会的地位や昇進をちらつかせれば少しは心が靡くのが普通だ。それが反対に嫌そうな顔を隠そうともしない。単にラインハルトからお情けを受け取るのが嫌という、心理的抵抗感にも見えない。純粋に地位そのものを疎んでいる。
オーベルシュタインは最終的に彼が計画の責任者の方は渋々受け入れつつ、報酬の地位は突っぱねると予想する。フレーゲル博士は主君ローエングラム公爵に大きな借りがある。彼が動くのは地位や財産の為ではない。友人への弱みからだ。
(面倒な男だ)
報酬や地位に見向きもせず、借りと誠意でしか動かされない人間を都合よく動かすのは、謀略家には中々骨が折れる。
宰相と参謀の狙い通り、フェリクスは観念したとばかりに非常に嫌そうに改修計画の責任者を了承した。
「よし頼むぞ。ここにいるケンプとファーレンハイトは、現場の意見を代表する者達だ。技術者達が導き出す回答と、実戦で運用する者とで結果が異なるのはよくある事だ。両者の意見をすり合わせるために計画に参加させる」
ラインハルトはアイスブルーの瞳を、ケンプとファーレンハイトに向ける。
ケンプ大将はかつて戦闘艇ワルキューレの撃墜王で名を轟かせた名パイロットである。そこから軍艦の艦長へと転身。以後も功績を上げ続けて昇進を繰り返し、ローエングラム元帥府に招かれた。既存艦の改修には戦艦を宇宙母艦に改装する計画もある。
これは帝国軍が軍の主力を艦隊から戦闘機へと移行する構想がある事の証拠である。帝国は元々宇宙母艦を組織的に運用した事はあまり無い。一応少数は保有していても、戦闘艇そのものに熱心ではない。しかし常軌を逸した新兵器のR戦闘機が台頭する時代の到来と共に、艦載機とそれを運用する宇宙母艦の必要性が急激に高まった。
無論全てを劇的に変える事は現実的に不可能、よって一部の艦から徐々にノウハウを積む事を目的としていた。そのため将官の中で、最も艦載機に精通した提督の意見を反映する目的でケンプは抜擢された。
もう一人の提督ファーレンハイト大将は、やや政治的な色合いにより、数居る提督の中から選定された。彼は最初からローエングラム元帥閥には居ない。むしろ敵対していた貴族連合の将の一人として内戦を生き抜き、捕虜からラインハルトの麾下に加わった経歴がある。よって新参者であり、まだ目立った功績を上げていない。そこで大きな仕事を任せて成果を出す事を望まれた。かつて敵対した者にもラインハルトは等しくチャンスを与えて、公平に評価する一種の政治パフォーマンスも兼ねている。
そこに総参謀長オーベルシュタインの隠れた思惑が一つ混ざっている。彼は将官はなるべく均等に成果を上げさせて、横並びのライバル状態を維持する事を望んでいる。上級大将のミッターマイヤーやロイエンタールにこれ以上の功績は不要、権限の拡充も求められない。軍人の割に若干生臭い理由ではあるが、なるべく他の大将に手柄を立てさせて新たな上級大将を増やし、突出した軍の№2の出現を防いで、軍内部の人事秩序を維持したかった。
ファーレンハイトの優秀性は疑う余地が無い。ラインハルトも総参謀長の人事には異論を挟まず、二人の大将が選ばれた。
「実戦経験豊富な二人の意見は貴重だ。卿も無視はしてくれるな」
「はいはい、分かりました。うちの技術者に釘を差しておきます」
技術者というのはやたらと新しい技術を導入したがる。大抵そういう新技術は高性能でも信頼性や整備性が低い事が多い。反対に運用する側は多少性能が落ちても確実性のある技術を好む。この技術屋と使用者のすり合わせは結構大変なのを、元TEAM R-TYPEのフェリクスは嫌というほど知っている。R-9W系やB系列の戦闘機が最たる例だ。
艦の動力炉は通常の核融合炉に留めて、人工生命体の
改修計画を立案した宰相らの懸念は決して誇張された危機感ではない。フェリクスの持つ技術が自由惑星同盟に齎した被害は、既に帝国軍上層部に共有された情報だった。特にBRが生み出す悪夢のような超広域の生態系汚染が帝国で起きた場合、矢面に立たされるのは自分達軍人だ。起きてしまった時の対応マニュアルの作成にも余念が無い。今回の改修計画には、各軍艦へのバイド計測機の導入も盛り込まれている。既に帝国軍は今後もバイド汚染が起きる事を確定事項と捉えている。
あとは改修に使う工廠の選定だが、技術漏洩のリスクとスパイなどの対策の不徹底を挙げる。
オーベルシュタインが理由を尋ねる。
リップシュタット戦役の時に総監部の連中が、キルヒアイスの座艦だった【バルバロッサ】からデータを取って、秘密裏に自分達も同じものを作ろうとして、上手くいかなかった事を酒場でベラベラ話していた。それを休暇中のフェリクスの私設軍兵が耳にしている。
「私の研究所の技術者だったら情報漏洩罪で即、処理するか被験体に使ってますよ」
この話を聞いてラインハルトは公金横領の真偽に関係無く、シャフトの更迭を確定した。単なる政治屋なら、代わりになる者が見つかるまでしばらく椅子に座らせてやっても、部下の手綱も握れないような無能に一部門のトップなど任せておけない。
そして軍の各施設や軍士官らの情報管理の再教育を検討、情報漏洩の危険が払拭されるまで、改修計画予定の異層次元航行システムの取り扱いは棚上げとした。
「私に仕事を任せるなら、うちの研究所の情報漏洩防止の体制と同じにして、軍事機密を扱う意識を叩き込みます」
「必要な人材をこちらで都合いたしましょう。解体した社会秩序維持局の者です」
オーベルシュタインの何気ない提案に、ケンプとファーレンハイトが感情の揺らぎを見せる。
『社会秩序維持局』。民衆の監視と思想を弾圧する機関である。ラインハルトの改革で500年の歴史に幕を下ろしたが、それで勤めていた者が消えるわけではない。局員は失職したが一部はそのまま帝国に再雇用されている。彼らを技士官の監視と処理に使えと提案した。
フェリクスは提案を何の躊躇もせず受け入れた。彼は仕事をする者の出自に興味は無い。作業者が必要な技能を有し、職務に忠実であることが何よりも重要だった。
「では掃除と教育が終わったら仕事に取り掛かります。それまでは改修に必要なレーダーや部品を、こちらである程度生産しておきます」
予定外の仕事が増えたが、今後も軍内部の公序と健全性を保つには、手を抜いてはならない必要な処置だ。
改修計画の必須事項は凡そ定まった。次に計画予定の項目を幾つか流し読み、気になる点を挙げていく。
「人工生命体の
事実、対バイド用の兵器は装甲材の段階から対汚染処理を施しており、既存艦の部品の大半が再利用できない。ならば最初から対バイド用に作った方が手間がかからない。
ラインハルトは友人の意見を受け入れて、艦の編成案を後日用意するだけで話は片付いた。
「ところで異層次元航行への対策などはあるのか?」
「ありますよ。異層次元から通常次元へ戻るのを妨害する空間を作る装置を作りました。うちの研究所でも使っていますが幾つか問題が」
異層次元からの帰還を妨害する、特殊なエネルギー障壁を形成する装置は効果範囲がかなり狭く、エネルギーも相当消費する。この元帥府程度の範囲を覆うにも駆逐艦の核融合炉を使わなければ無理だ。よほど重要な軍事拠点や
「それより異層次元レーダーを地上施設に隙間なく設置して、レーダー網を構築した方が安上がりです。宰相が内戦でヘイムダル級の奇襲を躱したように、事前に察知して通常空間に戻る瞬間を叩いた方が合理的ですよ」
あるいは浅度異層次元に潜航する物体を破壊する『亜空間バスター』もあるが、地上施設での取り扱いが難しいから、艦に搭載する型を優先した方が合理的だ。
意見を吟味した宰相はレーダー網の構築は軍事だけでなく、帝国のインフラ構想にも関わるため、後日内務省他を交えて協議する必要があると判断した。
現状で必要な情報の擦り合わせは終わった。後は軍と工廠の清掃と再教育が済んでからの話になる。一応フェリクスは改修用の部品生産と、軍に卸す新造艦の建造があるから暇にはならない。
翌日、関係各所に艦隊改修計画の通達があった。当然計画から完全に締め出された科学技術総監部のシャフト技術大将は、ラインハルトに猛抗議をしに行ったが、予定に無い訪問という理由から面会を拒否された。
代わりに総参謀長のオーベルシュタインが情報漏洩の疑いを告げる。以後は科学技術総監部も捜査対象になると知り、シャフトの背中に冷たい汗が流れて、僅かに眉がつり上がるのをオーベルシュタインの義眼は見逃さなかった。
内心はともかく表面上は禿げ上がった頭まで真っ赤に染めて、事実無根と弁明してシャフトは引き上げた。
彼は焦っていた。あの陰湿な義眼の策略家が疑いだけで済ませているなら、これまでの公金横領とフェザーンへの技術の横流しは発覚していない。それでも阿呆な部下の責任は取らされて、総監の地位から蹴り落されるのは確実。その証拠にあのフレーゲルが改修計画の総責任者になっている。おそらく幼年軍学校上がりの粗暴な宰相は、フレーゲルを次の技術総監の長に据える。
シャフトは工学と哲学の博士号を二つも持つ己を秀才と疑わない。しかし今度の相手は十代で博士号を四つ持った、歴史に残る技術を幾つも生み出した天才。しかも皇帝アマーリエの甥という極めて強い政治基盤を持つ。実績と縁故で完全に負けている以上、いずれ取って代わられる未来が待っている。このままでは長年かけて築いてきた地位と名誉と財産が全て失われる。
何とかしなければ。焦燥だけが際限なく膨らみながら、それでも起死回生の手立てを思考する。多額の賄賂で黙認―――今の宰相は潔癖過ぎて賄賂はむしろ罪。宰相かフレーゲルを暗殺―――フレーゲルはともかく宰相は近衛兵に囲まれて無理だ。何か弱みを握って取引き―――あの若造共はろくな醜聞が無い。少なくとも自分は耳にしていない。
八方塞がりのシャフトは必死に味方になってくれそうな人材を脳内のリストから拾い上げ、藁をも掴む想いで一人の人物を選んで、すぐさま連絡を入れる。
相手は若い男だった。そして帝国の要人ではない。何度か取引をしていたフェザーン商人だった。
男の名はルパート・ケッセルリンクという。