今回はちょっと短めです
銀河帝国全土が地球教排斥に揺れる最中でも、幼年軍学校にはさしたる変化は見られなかった。精々憲兵が教官の事情聴取に来るか、学生の中の一族からサイオキシン麻薬を使用していた者が出て、慌てて実家に戻された者が数名出た程度だ。平時でも政争に負けたり不祥事で取り潰される家が出る。その程度の生徒数の減少は珍しくない。
学生は相変わらず規律の中で変化の少ない灰色の学生生活を送る。彼等の刺激と言えば外から流れてくるニュース以外には、休日に許される外出ぐらいのものだ。その休日も買い食い禁止、娯楽施設への立ち入り禁止等、多くの制約がある。もっとも、食べ盛りの子供が守るはずもなく、こっそり買い食いをしている生徒は多い。教官たちも知ってはいても、かつて自分たちも幼年学生の時に同じことをしているから黙認しがちだった。
学生の多くが休日を外で過ごすのを尻目に、科学技術研究会の面々は学園に残って研究に没頭する。現在は波動砲の制御に重きを置いて実験を繰り返している。以前、制御を誤って壁を破壊した事を反省して、より強固な戦艦に使う装甲材と炭素クリスタル製の隔壁を追加して安全性を高めていた。波動粒子を収集するコンダクターも既に五台目を数えた。壊すたびにデータは集まり、耐久性が増している。実験の基本はトライ&エラー。全ての実験に失敗は無く、何かしら有益なデータはある。
現在は実験はフェリクスの手を離れて、会員だけで作業していた。既に基本的な実験や解析作業ならフェリクス抜きでも続けられる程度には鍛えられていた。
「で、お前は何をしてるんだ?」
ミューゼルがプレッツェルを口に放り込んでフェリクスに尋ねる。
「新しい機械の設計ですよ。ところでこのプレッツェルは美味しいですね」
「焼きたてだからね。やっぱり街は美味しい物がたくさんある」
今フェリクスが食べているプレッツェルはミューゼルとキルヒアイスが街で買ってきた土産だ。二人は時々この研究室に顔を出す。休日に街に出かけた時は大抵土産を買ってきてくれるから、研究会からは半ば身内のような扱いを受けている。
美味しいと言って食べながらも、端末のパネルを片手で休みなく操作しているフェリクスを見て、ミューゼルは結構呆れている。
「先日の科学の授業内容を覚えていますか」
「えっと、世の中の全ての物質は原子で構成されている。僕達の体や惑星から戦艦も何もかも、物質の最小単位の原子を無数に組み合わせて成り立っている。だったかな」
キルヒアイスが担当学科の教官の言葉を大雑把に反芻する。彼はフェリクスやミューゼルほどではないが学科も成績優秀だ。
「今設計図を引いているのはその原子レベルの大きさの作業機械です。まだまだナノサイズと呼ぶにはかなり大きいですが」
二人の反応はイマイチだった。専門知識の無い二人にはフェリクスが作っている機械の重要性が分かっていない。そしてこのぐらいの年頃の男児は大きな物の方に惹かれる気質がある。例えば宇宙戦艦を作っていると言った方がきっと二人は興奮しただろう。
「それで、そんな小さな機械に何をさせる気だ」
「色々です。例えば医療用に患者の体内に注入して患部を治療する、臓器の機能を向上させる、アルコールを分解して酔いを醒ます。兵器なら自動的に保全と損傷個所の修復、制御系にも使えます」
「意外と地味」
キルヒアイスがばっさり言い切ったがフェリクスは苦笑するだけで反論しない。実際は分子機械には様々な利用法があるが、ここで全部喋ったりしない。世に出すにはあまりにも危険すぎる発想と技術なので、あくまで基本的な機能だけを挙げたに過ぎない。
今は性能が低くとも改良を加えていけば、それこそ人体の破壊と修復、限定域に於ける破壊工作、大規模構造体の自動構築、惑星レベルの生態操作のような、今の世に生きる人間からは想像を絶する結果が得られる。
その分、セキュリティーには気を遣い、万一模倣されて粗悪品が氾濫するような事があっては目も当てられない。当面は雑な医療の仕事をさせる低性能品に留めておくべきと考えている。
「地味ですが人の役に立つ技術ですよ。最近サイオキシン麻薬の話題を耳にしましたか?」
「ああ、地球教とかいう犯罪組織が売ったり信者に使って、言う事を聞かせていたとかいう薬だろ」
「この分子機械はうちの領地でも少なくない数の領民が地球教から強制的に麻薬を服用させられたので、後遺症に苦しむ人間の治療に使えるように作っているんですよ」
意外と言うか、人助けのための発明だったと知って二人は変人を見直した。
「地球教は地球以外で事実上の禁教でも、サイオキシン麻薬はまだ流通しています。一度生まれた物は代用品が出るまでは簡単には消えないから厄介です」
サイオキシン麻薬は地球教が生み出したものではない。あくまで資金源と信者の洗脳に利用していたにすぎない。たとえ大口の使用者が帝国から消えても、完全に撲滅されていなかった。販売網はより深く潜り見えにくくなり、生き残り続ける。
そんな状況だから治療手段を早急に作る必要がある。分子機械の実働データも取れるからフェリクスにも利があった。ゆくゆくは様々な人間のデータを収集して、遺伝子操作に使えるタイプ、戦闘用の治療や感情抑制タイプ、思考誘導型ナノマシン波動砲も作っておきたい。何よりもあの兵器の開発と制御には不可欠。
「それにしてもどうして宗教が麻薬なんかに手を出したんだろう」
キルヒアイスが疑問を投げかける。彼は善良な気質で人が良い。だから貧民や孤児に施しをする事もある地球教の裏の顔にショックを受け、悪事に走る動機が分からない。
「案外逆かもしれませんよ」
「逆?」
「薬を売って金儲けがしたいから宗教をやっている。古来から宗教は金の生る木ですから」
皮肉の籠ったフェリクスの回答に、キルヒアイスはおろかミューゼルも懐疑的な目を向ける。信仰心に乏しい帝国人は宗教への理解もまた乏しく知識も無い。
そんな二人にフレーゲル領の地球教会が1億帝国マルクもの不当財産を隠し持っていた事を教える。さらにその金は麻薬販売と洗脳した信徒から喜捨の形で全財産をむしり取った金と言われたら、額の大きさと下種な行為に憤りを見せる。
しかもその金の多くはフェザーンの銀行に送られており、事が露見した途端に銀行の頭取と自治領主が不審な死を遂げた。フェザーンが絡んでいるのは火を見るより明らかだ。フレーゲル男爵やブラウンシュヴァイク公爵も仕掛け人はフェザーンと見ている。
「地球教は金儲けのためにフェザーンが作った悪徳宗教。そう考えるのが自然です」
「悪徳商人は金を稼ぐためなら何をやってもいいと思っているのか!」
「私も倫理観が欠如している自覚はありますが商人も大概ですよ。カーテローゼを無理にでも連れてきたのは正解でした」
「カーテローゼ?」
キルヒアイスが唐突に出てきた名をオウム返しに尋ねたので、フェザーンで母親が薬中の地球教徒に殺されて孤児になった子を引き取ったとだけ教える。
「わざわざ見ず知らずの子を引き取ったのか」
「死に瀕した母親の頼みを振りほどくのはどうにも。兄や叔父からは貴族として甘いと叱責されました」
「でもそれは良い事だと思う」
キルヒアイスのフォローにミューゼルも無言ながら賛同の視線を向ける。この時、貴族への反感と侮蔑を溜め込む二人にとって、フェリクスはほぼ例外の『善良な貴族』になった。
以降、二人はフェリクスの事を見所のある友人と認め、特にミューゼルは周囲への態度が僅かに軟化した。