限界になった柊は、立っているのもままならないほど過労で、すでに気力は何も残っていなかった。
帰路の途中、柊は歩道橋から落下。意識が戻ったと思うと、そこの世界は何とも不思議な世界で……
「何度ミスをすれば気が済むんだ!」
上司と二人きりの部屋にそんな声が響く。薄暗い部屋、冷たいグレーの壁。一瞬のうちに音は耳鳴りと同時に消え、部屋には静寂が訪れる。
「お前、先週もミスしたよな。任された仕事くらい
俺の真正面から強い口調で言われる。任された、というよりも押し付けられた。と言われたほうが適切な仕事だったが、こういうときに口を挟んではいけない。
俺は定期的に頷き、上司の話を聞き流す。不均一な間隔で「すみません」と何度か言う。これは仕事ではない。作業だ。
「まったく、次は無いからな。ヒイラギ」
名前はよく間違われる。というより、恐らく本当の読みを上司は知らないのだろう。いつもこのタイミングでイベントは終了する。この後はようやく自分の持っていた仕事を消化する時間。もう時計の針は21時を回っているが、時間なんてあって無いようなものだ。
「もちろんだが、仕事が終わるまでは帰るんじゃないぞ。お前の特別だ。感謝しろよ」
そう言い残し、上司は俺を部屋に取り残す。その後に続いて俺も部屋を出る。
(今日は何時に帰るんだろう……日付が変わる前に帰れるかな)
あわよくば、終電以外で帰りたいな。という叶いもしない高望みをして俺はデスクに戻る。
それから数時間、俺は3日前の仕事をようやく終わらせた。これから2日前の仕事に取りかかる。
俺は仕事が遅いわけではない。1日分の仕事は2時間もあれば終わらせられる。だが、上司からの仕事がその数倍の量がある。終わらないとまた叱責されるため、自分の仕事は後回し。結局3〜4日分の仕事は溜まっていくのだ。
デスクにはブラックコーヒーとエナジードリンク。今日も日付は回ることだろう。
「ヒイラギ、まだ仕事が終わらんのか。本当に、無能を持つと大変だな」
上司が俺の後ろから言ってくる。だが、もう上司は会社から出ていく。残業している社員は俺を含めて3人。全員が同期で、上司の操り人形になった3人だ。
さらに時間が経った。作業はすべて終わり、あとは退勤のみ。
気付けば辺りはどこか明るくなり始めていた。時計を見ると、4時を少し過ぎた辺り。終電を通り越して、始発電車がもうすぐ動き出す時間になってきた。出社まであと4時間弱。近くのコンビニで軽食を買おうと、俺は荷物整理を手短に、会社を出た。
俺が今まで行なっていたのは紛れもないサービス残業。残業代など到底出ない。
視界はボヤけ、稀に暗転する。再び目に光が入ると向いていた方向は斜めを向く。もうまともに歩けていなかった。
片側三車線の幹線道路を渡る。歩道橋があり、俺は手すりにつかまって歩道橋の階段を登っていく。
交通量は朝4時にも関わらずそれなりにあった。下を車の音が次々に聞こえては遠ざかっていく。
(忙しいんだろうな。こんな時間から)
俺は手すりにつかまって歩道橋を歩いていく。
次の瞬間、俺のつかまっていた手すりは俺の手にはなく、俺の手は何もつかんでいなかった。歩道橋の鉄骨が俺の目線より低い位置にある。いや、俺の目線の直線上には道路があった。
紛れもなく、俺は落下していた。
何かを掴む気力もなく、俺は自然に身を任せ、重力に従って落下していった。道路の上、車は休む暇なく走っている。
道路が近くになる。今から大きな衝撃が俺の身体には迸ることだろう。それと同時に、俺は命を落とす。あの仕事をしなくていいのだから、幸せ者だ。
道路にもう衝突した頃だろう。俺の周りは目を瞑っていても分かるほど明るい光に包まれていた。
「どうしたの?こんなところで寝て」
光りが部分的に届かなくなる。俺はゆっくりと目を開ける。視界には光り輝く建物に池があり、俺の目の前には青髪の女性が俺の顔を覗き込んでいた。
「ん……誰だ……?」
俺が声を出すと、青髪の女性は一瞬驚いた表情を浮かべ、すぐに笑顔になった。
「あっ、起きた!よかったぁ」
青髪の女性は俺の背中を支えて起き上がらせる。出来事が急速に進みすぎて何が起こっているのか理解が追いつかない。というか俺は歩道橋から道路に落ちたはず。その近くには池なんかないし、こんなに明るい時間でもなかった。
「待ってくれ。ここはどこなんだ。それに君は……」
俺は周囲を見渡しながら言った。俺が寝ていたのは道路でもなかった。草むらだ。建物に囲まれていて、池はその建物に囲まれた中にあるらしい。緑の草むらにはレンガで作られた道もあり、池を取り囲むように続いている。
俺は草むらの中に寝ている、ということだろうか。いったいここは何処なのか。
「私?私は雪花ラミィ!ラミィって呼んで!あなたは?」
ラミィと名乗った青髪の女性は元気な声で言う。
「月島柊。ここはどこなんだ……?」
「ここ?ここは──」
ラミィは俺の横に座って建物に向かって腕を伸ばし、建物を示すように手を広げる。そして、ラミィは明るい声で言った。
ラミィ……どこかで聞いたことがある。ただ、そんなことないはずで……
「ホロライブ学園、だよ!」