銀河皇帝のスペアに転生した元社畜、地球軌道上の要塞でネトゲ三昧の隠居生活を満喫する 〜足元では超大国が滅亡級の異星遺産を巡って暗躍中ですが、主人公(ぼく)の命は絶対安全なので特等席で傍観します〜   作:パラレル・ゲーマー

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第99話 宇宙一安全な観測室、あるいは神話級個体の相対評価

 巨大なホログラムスクリーンが、無機質で広大なサイト・アオの観測室に青白い光を投げかけている。

 普段は星間文明のデータや、遠い銀河のエネルギー波形などが映し出されることの多いそのスクリーンには、現在、地球という小さな惑星で起きた「局地的な戦闘」の映像が、様々な角度から繰り返し再生されていた。

 

 南米のアルゼンチン。パタゴニアの荒野に位置する地方都市。

 そこは、アメリカ、ロシア、EUという、地球上の軍事と経済の覇権を握る超大国が、自らの誇る最新鋭の武力を持ち込んで激突した舞台だった。

 だが、スクリーンに映し出されているのは、大国同士の泥沼の戦争などではない。

 

 昼の太陽を全身に浴びて、神々しい黄金のオーラを纏った褐色の戦士――イツコアトルが、各国の精鋭部隊を文字通り「虫のように」払い除け、一切の殺生を行わずにただ兵器だけを破壊して立ち去っていく、圧倒的な蹂躙の記録だった。

 

 地球側のニュースネットワークは、その映像を前に完全に狂乱状態に陥っていた。

 様々な言語のテロップが、スクリーンの隅で滝のように流れていく。

 

『触れてはいけない神』

『近代兵器では制圧不能』

『太陽の心臓とは何だったのか』

『アーティファクト適合による神話級個体』

『各国は彼を敵に回すべきではない』

 

 ニュースキャスターたちは顔を蒼白にし、軍事専門家たちは持論を完全にへし折られて沈黙し、世界中の人々が、モニター越しに畏怖の祈りを捧げるかのように、その映像を見つめていた。

 

 サイト・アオの観測室の片隅で、そのホログラムを呆然と見上げていたエミリー・カーターもまた、地球人の一人として、極めて正常な反応を示していた。

 

「凄い人も、いたんですね……アステカの超人……」

 

 エミリーは、イツコアトルが戦車の砲身を素手で曲げ、飛来するミサイルを触れる前に空中で溶発させるシーンを見て、信じられないというように両手で口を覆った。

 彼女は、サイト・アオで幾度となく「常識外れ」の現象を見てきたが、それでも、地球上にこれほどの力を持つ人間が存在していたという事実は、単純に衝撃だった。

 

「ニュースの映像で見るだけでもこんなにすごいのに、あれが実際に目の前にいたら、たぶん恐怖で立っていられないですよ……」

 

 エミリーのその呟きは、地球人類の共通認識であり、誰もが抱く根源的な畏怖であった。

 現代の科学の粋を集めた兵器が、一人の生身の人間に全く通じない。国家という巨大なシステムが、個人の圧倒的な暴力の前にひれ伏すしかない。それは、文明の根底を揺るがす恐怖だ。

 

 だが。

 このサイト・アオという特異な観測室において、その「地球規模の恐怖」を共有している者は、エミリー以外に一人もいなかった。

 

「……まあ、最近人類、少し調子に乗ってたから、良い気味ね」

 

 静かな観測室に、極めて辛辣で、悪びれる様子など微塵もない声が響いた。

 ホログラムスクリーンの前で、宙に浮いたまま退屈そうに頬杖をついていた上位存在、KAMIであった。

 彼女は、地球の大国が完全に叩き伏せられた映像を見ても、顔色一つ変えるどころか、むしろ「面白い喜劇を見た」というような冷笑を浮かべていた。

 

「言い方……」

 エミリーが、そのあまりにも身も蓋もない感想に苦笑してツッコミを入れる。

 

 だが、KAMIは平然と肩をすくめ、長い髪を揺らした。

「だってそうでしょ? アーティファクトを見つけたから兵器化したい、不老不死になりたい、神になりたい、成功例がいるなら捕獲して解剖したい。……欲望フルスロットルじゃない」

 

 KAMIの言葉は、人類が隠そうとしていた醜い本音を、鋭利な刃物のように正確に切り裂いていた。

「それで、本物に触ろうとして、結果的にまとめて払われた。……良いチュートリアルだったんじゃない?」

 

 ここでKAMIは、世界を震撼させたアステカの心臓編を、ただの「人類へのチュートリアル(初心者向けの学習イベント)」として片付けた。

 

「“触ったら死ぬオブジェクトには触るな”って、ゲームでも基本でしょ」

 KAMIは、ふふんと鼻を鳴らす。

「それを、国家単位で痛い目を見て学習できたんだから、安い授業料よ」

 

「でも、死者は出ていないですしね……」

 エミリーは、イツコアトルが誰一人として命を奪わなかったという事実を指摘した。

 

「そう。あの戦士、だいぶ優しいわよ」

 KAMIは、悪戯っぽく笑う。

「私なら、あんな風に自分の周りをウロチョロする鬱陶しい連中がいたら、もっと雑に存在ごとBAN(消去)するもの」

 

 その「雑にBANする」という言葉が、決して比喩ではなく物理的な事実であることを知っているエミリーは、背筋に冷たいものを感じて口を閉ざした。

 

「まあ、上位存在の機嫌を損ねると駄目、というのは、地球人にとって良い教訓になるし、良かったかもしれんな」

 

 観測室の端。特等席とも言える柔らかいクッションの上で丸くなっていた賢者・猫が、片目だけを開けて、のんびりとした声で言った。

 その尻尾は、映像のリズムに合わせてゆっくりと揺れている。

 

「良かった、ですか?」

 エミリーは、世界がこれほどパニックになっているのに「良かった」という評価が下されたことに、首を傾げた。

 

「死者が出ておらぬ」

 賢者・猫は、ヒゲをピクピクと動かしながら、理路整然と事実を並べた。

「都市も焼けておらぬ。大国の部隊はポンコツにされたが、国そのものは滅びておらぬ。……これほど手加減された警告は、宇宙規模の事象としては、むしろあり得ないほどの幸運じゃよ」

 

 ホログラムの操作コンソールの前に立っていたティアナが、賢者・猫の言葉に深く頷いた。

 

「うん。イツコアトルは、人類に対してかなり優しかったと思うよ」

 ティアナは、透き通るような声で、極めて冷静な分析を下した。

「彼がもし、本気でアメリカやロシアを“敵(排除すべき対象)”と判断して、その力を行使していたら……アルゼンチンの地方都市だけじゃなく、関わった国の軍事中枢や首都まで、単独で焼きに行ってもおかしくなかったからね」

 

「えっ……」

 エミリーは、想像もしていなかった最悪のシナリオを突きつけられ、サッと顔面を青ざめさせた。

 たしかに、あの速度と防御力があれば、海を渡ってホワイトハウスやクレムリンを単身で強襲することも、不可能ではないのかもしれない。

 

「それで……優しい扱いなんですか……」

 エミリーが、震える声で呟く。

 

「そうじゃ」

 賢者・猫は、のどをゴロゴロと鳴らした。

「神話級の戦士に、虫を払われるだけで済んだ。……それは、地球という未熟な星にとって、これ以上ないほど良い結果じゃよ」

 

 地球の軍隊が手も足も出なかった絶対的な暴力を、「虫払い」と表現する賢者・猫。

 エミリーは、自分たちの常識と、このサイト・アオにいる者たちの常識との間にある、埋めようのない深いクレバスを改めて実感していた。

 

「えー、凄いですねー」

 

 その時、少し離れたワークデスクで、いくつもの立体ホログラムの設計図を広げて作業をしていた工藤創一が、気のない声で映像を見上げながら言った。

 

「俺はテクノロジーで殴るタイプなので、あの手の人はちょっと苦手かも」

 

 工藤は、首の後ろを掻きながら、心底やりづらそうに顔をしかめていた。

 

「工藤さんでも、苦手なんですか?」

 エミリーは意外そうに尋ねた。工藤といえば、地球外の超技術を平然と解析し、万象器のようなとんでもないアーティファクトの構造まで理解してしまう、技術の化け物のような人だ。

 

「苦手ですよ」

 工藤は、深くため息をついた。

「科学的に見えて、途中から神話の理屈で動くタイプじゃないですか。……攻撃したら“太陽に武器を向けた”扱いで無効化されるとか、仕様が分かりづらいんですよ。こっちは物理法則をベースに計算してるのに、いきなり概念とか持ち出されると、数式が成り立たなくなる」

 

 工藤は、技術者としての切実な不満を口にした。

「俺としては、ちゃんと出力、耐熱温度、質量、シールド係数、そういう数値化できるパラメーターで殴り合ってくれる相手の方が、遥かに楽です」

 

「完全に工場脳ね」

 KAMIが、呆れたように笑う。

 

「いや、仕様書が欲しいだけですって」

 工藤は、真顔で反論した。「弱点とか、起動条件とか、ログとか。そういうのがないと、対策の立てようがないじゃないですか」

 

「神話存在に、仕様書を求めるでない」

 賢者・猫が、やれやれというように尻尾を振った。

「神話とは、理不尽だからこそ神話なのじゃ」

 

「そこが、テクノロジーで殴るタイプの限界であり、面白いところなんだよね」

 ティアナは、工藤のボヤキを聞いて、くすくすと笑った。

 

 エミリーは、もう一度ホログラムの映像に目を向けた。

 映像の中では、イツコアトルが、太陽を背にして立ち、「欲しがるな」とただ一言だけ告げて、静かに荒野へと去っていく場面が映し出されている。

 その後ろ姿は、どれほど強大な力を持っていようとも、どこか孤独で、そして揺るぎない信念を感じさせるものだった。

 

「でも、やっぱり凄い人ですね」

 エミリーは、素直な畏敬の念を込めて言った。

「アステカ時代から何百年も生きていて、あれだけ圧倒的に強くて、誰も手出しできないのに……それでも、誰も殺さない。怖いですけど、少し格好いいとも思っちゃいます」

 

「それは分かる」

 ティアナは、エミリーの感想に優しく頷いた。

「彼は、戦士としてはかなり完成度が高いよ。強大な力に振り回されていない。自分の目的も、自分の怒りも、そして自分の限界も、正しく理解している。……地球の今の段階では、かなり上澄みの存在だね」

 

「上澄み……」

 エミリーは、その言葉を反芻した。

「地球にも、あんな人がいたんですね」

 

「地球も、なかなか侮れぬ星じゃ」

 賢者・猫が、丸い目を細めて言う。

 

「まあ、未開惑星にしては、イベント密度が高いわよね」

 KAMIも、どこか楽しそうに同意した。

 

 しかし。

 ティアナは、少しだけ考えるような仕草を見せた後、ホログラムのイツコアトルを見据えて、静かにこう言った。

 

「まあ、超人と言うには強すぎて、神と呼ぶには弱すぎるけどね」

 

 その言葉に、エミリーはパチリと目を瞬かせた。

 

「えー、あれで神じゃないんですか!?」

 エミリーは、思わず声を裏返らせた。

 近代兵器をすべて無効化し、大国の軍隊を一人で沈黙させた存在だ。地球のニュースでは、どの専門家も彼を「触れてはいけない神」と呼んでいるというのに。

 

「地球人類から見れば、神でいいよ」

 ティアナは、決してイツコアトルを貶めているわけではなく、事実を述べるように淡々と言った。

「近代兵器が通じないし、国家軍事力を局地的に無効化できるし、概念防御っぽいものも持っている。……地球文明のレベルなら、触れてはいけない神という評価で正しい。触れない判断が、大正解だ」

 

 ティアナは、そこで言葉を切る。

「でも、宇宙基準だと……そうだね、“神話級の戦士”くらいかな」

 

「神話級の戦士でも、十分すぎるくらいすごいんですけど……」

 エミリーは、まだ頭の整理が追いつかずに呟いた。

 

「もちろんすごいよ。一つの星の歴史の中で、あそこまで至れる個体はそう多くない」

 ティアナは、優しく微笑んだ。

「でもね、エミリー。宇宙の本当の上位存在というのは、もっと次元が違うんだ。……例えば、星を一つ指先で消すとか、時間線を書き換えて過去の出来事をなかったことにするとか、因果の法則を完全に固定するとか、銀河規模の情報場に干渉して文明の記憶を操作するとか。……そういう階層とは、彼は違うんだよ」

 

 ティアナは、イツコアトルの映像を指差した。

「イツコアトルは、あくまで“太陽の心臓というアーティファクトに適合した一個体”に過ぎない。彼の力は強大だけど、適用範囲はかなり局所的(アルゼンチンの一部)だ。……都市や軍隊には勝てる。でも、宇宙の本当の上位存在たちとは、まだ完全に桁が違うんだ」

 

 エミリーは、ティアナが並べ立てた「星を消す」「時間線を書き換える」という、スケールが大きすぎて想像もつかない言葉の羅列に、そろそろ理解を放棄し始めていた。

 

「桁が違う……」

 エミリーは、ぐるぐると回る頭を抱えながら、恐る恐るティアナに尋ねた。

 

「ちなみに、ティアナさんは……あの人(イツコアトル)より、強いんですか?」

 

 エミリーとしては、素朴な疑問だった。ティアナはいつもニコニコしていて、親切で、紅茶を淹れるのが上手い。だが、サイト・アオの管理者であり、とんでもない知識を持っていることは知っている。

 

 ティアナは、エミリーの質問に、コーヒーカップを置きながら、何でもない日常会話のようなトーンで答えた。

 

「僕の方が、十万倍以上っていうか……そもそも比べられないほど強いよ」

 

「ひえっ」

 エミリーの口から、情けない悲鳴が漏れた。

 十万倍。数字が大きすぎて、もはやギャグにしか聞こえない。

 

「でも、単純な腕力とか、移動速度の話じゃないからね」

 ティアナは、誤解を解くように両手を振った。

「イツコアトルが“戦場という舞台で圧倒的に強い個体”だとしたら、僕はそもそも、その“戦場の前提条件(物理法則や空間)”を外側から書き換える側なんだ。

 ……彼が『太陽の心臓』を使って戦うなら、僕は『太陽がどういうルールで燃えて、どういうエネルギーを放つか』を、遠くから眺めて調整する側。……だから、比べ方が違うんだよ」

 

「……」

 エミリーは、開いた口が塞がらなかった。

 イツコアトルがゲームの最強キャラクターだとしたら、ティアナはゲームのプログラマーか、サーバーの管理者ということだ。

 

「ティアナさん……凄い人だったんですね……」

 エミリーは、今更ながらに、自分が普段どれほどとんでもない相手と雑談を交わしているのかを実感し、冷や汗を流した。

 

「今さら?」

 ティアナが、可笑しそうに笑う。

 

「エミリー、環境に慣れすぎでしょ」

 KAMIが、呆れたように突っ込みを入れた。

 

「ちなみに」

 ティアナは、さらにエミリーの常識を破壊しにかかった。

「あそこで寝ている賢者・猫さんは、僕と比べてもさらに強いよ」

 

「えっ」

 エミリーは、勢いよく振り返り、クッションの上で丸くなっている毛玉のような存在を見た。

 

「わしは、ただの年寄り猫じゃよ。ニャー」

 賢者・猫は、のんびりと前足を舐めながら、いかにも無害そうな声を出した。

 

「はいはい、詐欺プロフィール」

 KAMIが、容赦なく切り捨てる。

 

「賢者・猫さんは、力の使い方が古いし、深いんだ」

 ティアナが解説する。

「正面からビームを撃って殴り合うというより、宇宙の取引、契約、因果律、文明の記憶……そういう星間文明の古いルールそのものを使って相手を縛るタイプだからね。単純な戦闘力数値じゃ、絶対に測れない怖さがある」

 

「猫さんも……そんな凄い人(?)だったんですね……」

 エミリーは、自分がよくモフらせてもらっている猫が、宇宙レベルの脅威であることを知り、遠い目をした。

 

「猫じゃ」

 賢者・猫は、あくまで猫であることを主張した。

 

「そして」

 ティアナは、宙に浮いているKAMIを見上げた。

「さらに強いのが、KAMI様だね」

 

 KAMIは、当然という顔をして、得意げに腕を組んだ。

「まあね」

 

「KAMI様は、はっきり言って次元が違う」

 ティアナは、真剣な顔で言った。

「強いとか弱いとか、そういう概念すら当てはまらない。……ゲームマスター権限に近い存在だよ。イツコアトルが強キャラだとして、KAMI様は『ルールブックそのものを持っている側』だ」

 

「ふふん。もっと褒めていいわよ」

 KAMIは、ご機嫌な様子で宙をくるくると回った。

「私、調子に乗るために存在してるところあるし」

 

「調子に乗るでない」

 賢者・猫が、呆れたように嗜めた。

 

 エミリーは、自分を取り囲む「十万倍強い人」「古いルールを使う猫」「ルールブックを持っている上位存在」という、わけのわからない戦力階層に完全に圧倒されていた。

 彼女は、最後に残った一人、作業デスクに向かっている工藤の方を、救いを求めるように見た。

 

「じゃあ、工藤さんは……?」

 エミリーは、せめて彼だけは「普通の地球人枠」であってほしいと願いながら尋ねた。

 

 工藤は、急に話を振られて慌てたように手を振った。

「いや、俺は普通の技術屋ですよ! 徹夜明けのコーヒーが一番の栄養源の、しがないサラリーマンですって」

 

「どこが?」

 KAMIが、ジト目で工藤を見る。

 

「工藤さんは、テクノロジーで殴るタイプだから」

 ティアナが、工藤の「普通の技術屋」という偽装をあっさりと引き剥がした。

「事前の準備さえあれば、僕ぐらいの戦力は、兵器として作れるよ」

 

「ええっ!?」

 エミリーが、今日一番の大きな声を上げた。

 

「いやいやいや! そんな簡単に言わないでくださいよティアナさん!」

 工藤が、大慌てで否定する。

 

「え、でも、巨大ロボとか、空間消去爆弾とか、恒星のエネルギーを直接ぶち込む恒星炉搭載兵器とか、位相ごと次元を切り取る装置とか……設計図があれば、作ろうと思えば作れるでしょ?」

 ティアナが、笑顔で恐ろしい兵器の数々を羅列する。

 

「作れるか作れないかで言えば、理論上は……部品と時間さえあれば……」

 工藤は、技術者としてのプライドから「作れない」とは言えずに口ごもった後、強く首を横に振った。

「いや、でも絶対作りませんよ!? そんなもん地球で作ったら、日下部さんにどれだけ胃薬を請求されるか分かったもんじゃない!」

 

「理由が日下部の胃薬なの、ほんと好き」

 KAMIが、ツボに入ったようでお腹を抱えて笑った。

 

「工藤は、戦士ではなく、工場じゃな」

 賢者・猫が、的確な評価を下す。

 

「その評価、技術屋としては嬉しいような……でも、兵器庫扱いされてるみたいで嫌なような……」

 工藤が、複雑な顔で頭を掻く。

 

「イツコアトルが『一人で修行して神話になるタイプ』なら」

 ティアナがまとめる。

「工藤さんは『文明ごと神話兵器を量産するタイプ』だね」

 

「ひえー……」

 エミリーは、ついに完全に白旗を上げた。

 地球の軍隊を一人で壊滅させた男が、ここでは「まだまだ上澄み程度」と評価され、自分の周りには、それを遥かに凌駕する存在がゴロゴロしているのだ。

 

 エミリーは、ティアナ、賢者・猫、KAMI、そして工藤を、順番にゆっくりと見回した。

 そして。

 彼女は、恐怖で震えるでもなく、絶望して泣き出すでもなく。

 

 少し考えたあと、ぱっと、ひまわりのように明るい笑顔を浮かべた。

 

「じゃあ、ここは……宇宙一安全な場所なんですね!」

 

「……」

 その一言に、サイト・アオの観測室の時間が、一瞬だけピタリと止まった。

 

「えっ、そっちに行くんですか!?」

 最初にツッコミを入れたのは、工藤だった。

 

「だって」

 エミリーは、自分の導き出した論理に一切の疑問を持たずに、目を輝かせて言った。

「地球で『触れてはいけない神』みたいに言われている人より、皆さんの方がずっとずっと強いんですよね?

 ……なら、ここにいる限り、私はかなり安全なのでは?」

 

 賢者・猫が、しみじみとした声で、感心したように言った。

「……星を砕く存在や、因果を弄る存在を前にして。怖がらずに『宇宙一安全』と言い切るあたり……お主も、相当にネジが外れておるのう。一般人の皮を被っておるが……」

 

「えー、そうですか?」

 エミリーは、首を傾げた。

「いやー、だって、皆さんは普段から、そういう怖い力を私に向けたりしないじゃないですか。……怖い力を持っていることと、悪い人であることは違うと思うんで!」

 

 エミリーのその天然の、しかし本質を突いた全幅の信頼に。

 KAMIが、呆れたようにため息をついた。

 

「……ノーテンキねー。まあ、私としてはどうでも良いけど!」

 

 ティアナは、エミリーの言葉に、嬉しそうに笑った。

「でも、間違ってはいないかもね。

 少なくとも、エミリーを傷つけようとする存在が、もしこのサイト・アオまでやって来たら……その存在は、宇宙で一番気の毒なことになるだろうね」

 

「敵の方がですか」

 工藤が、苦笑交じりに言う。

 

「うん」

 ティアナが、迷いなく頷いた。

 

 賢者・猫が、エミリーをじっと見つめ直す。

「普通の者なら、今の話を聞いて逃げ出すじゃろう。自分の隣に、星を砕く者、因果を弄る者、文明を工場化する者が座っていると知ればな。……普通の者は、神話の隣で、のんびり茶など飲めんのじゃよ」

 

「でも、皆さんは私に紅茶を淹れてくれますし、一緒にゲームもしてくれますから」

 エミリーは、えへへと少し照れるように笑った。

 

「いいこと言うね」

 ティアナが、感心したように頷く。

 

「うーん、ノーテンキなのか、芯が太いのか分からないわね、この子」

 KAMIが、エミリーの頭の周りを飛び回りながら言う。

 

「両方じゃろう」

 賢者・猫が目を細める。

 

「まあ、エミリーさん、そういう意味では地味に一番すごいですよね」

 工藤も、地球人としてエミリーの適応力の異常さに同意した。

 

 観測室のホログラムスクリーンでは、まだ地球のニュースが延々と、アルゼンチンの惨状と「神の脅威」について熱っぽく、そして恐怖に満ちたトーンで報じ続けている。

 

 ティアナは、その騒がしい地球の画面を見つめながら、静かに言った。

「地球は、良い経験をしたと思うよ」

 

「あれで、ですか?」

 エミリーが尋ねる。

 

「うん」

 ティアナは、人類の未来を見通すような目をした。

「アーティファクト時代で一番危ないのは、技術を手に入れた種族が『何でも自分たちで管理できる』と傲慢に勘違いすることなんだ。

 ……今回は、それが完全な間違いだと分かった。しかも、あれほどの力の差を見せつけられながら、死者はほとんど出なかった。これは、文明の成長プロセスにおいて、すごく幸運な失敗だよ」

 

「問題は、その教訓を、人類がどれだけ覚えていられるかじゃな」

 賢者・猫が、厳しい現実を指摘する。

 

「すぐ忘れるでしょ」

 KAMIが、即座に冷たく言い放つ。

「人類、欲深いし。熱しやすく冷めやすいし」

 

「まあ、ネットでは早くも『アーティファクトで自分たちも神になれるかも』みたいな、危険な流れも出てきてますしね」

 工藤が、情報解析タブレットを見ながら溜息をつく。

 

「そこが、次の火種だね」

 ティアナが、静かに予測する。

「触れてはいけない神を見て、恐怖し、触れないようにしようと思う者もいる。……でも、その圧倒的な力に魅入られ、自分も神になろうとする者も必ず出る」

 

「それって……また同じような争いが起きるってことですか?」

 エミリーが、不安そうに顔を曇らせる。

 

「起きるわね」

 KAMIが、残酷な事実を肯定する。

「人類って、そういう生き物だし。学習するけど、それ以上に欲望が勝っちゃうのよ」

 

「だからこそ、わしらがこうして観測する価値があるのじゃ」

 賢者・猫が、丸い瞳で地球のホログラムを見つめた。

 

 スクリーンの中で、イツコアトルが荒野の彼方へと去っていく映像が、スローモーションで再生されている。

 

「地球って……思ったより凄い星なんですね」

 エミリーが、ぽつりと言った。

「危険なこともいっぱいですけど、こんなに色んなことが起きて、色んな人がいて……」

 

「うん」

 ティアナが、同意するように微笑む。

「まだまだ未熟で、危なっかしいけど。……決して退屈はしない星だね」

 

「イベント密度だけは、宇宙でもトップクラスに高いわ」

 KAMIが、面白そうに笑う。

 

「良い商売の種にも、なりそうじゃのう」

 賢者・猫が、ちゃっかりと商人としての顔を覗かせる。

 

「そこで商売なんですね」

 エミリーが、思わず笑い声を上げた。

 

 最後に、ティアナが、地球の狂騒のニュースを眺めながら、この事件の総括としての一言を静かに告げた。

 

「地球人は、今日ひとつ学んだ。……『神話は、安易に触るものじゃない』と。

 ……でもたぶん、彼らは明日には、その恐怖を忘れて、“自分が神話になる方法”を探し始めるんだろうね」

 

「ほんと、懲りないわね」

 KAMIが、呆れたように、しかしどこか人間という存在の愚かさを愛おしむように笑った。

 

 地球では、太陽の戦士を“触れてはいけない神”と畏怖し、その名の前に震え始めていた。

 けれど、このサイト・アオの観測室では、その神話級の個体すら、宇宙に無数に存在する階層の一つとして、極めて冷静に、そして静かに記録されていた。

 

 そして、エミリー・カーターだけが。

 星を砕く者、因果を弄る者、文明を工場化する者が集うその危うい観測室を、なぜか「宇宙で少し安心できる居場所」だと思いながら、今日も彼らと一緒にお茶を飲んでいた。

 

 




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