銀河皇帝のスペアに転生した元社畜、地球軌道上の要塞でネトゲ三昧の隠居生活を満喫する 〜足元では超大国が滅亡級の異星遺産を巡って暗躍中ですが、主人公(ぼく)の命は絶対安全なので特等席で傍観します〜   作:パラレル・ゲーマー

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第105話 スコットランドの魔女と、最悪を想定する女大統領

 スコットランド北部、ハイランド地方。

 どんよりと垂れ込めた鉛色の雲が、重く湿った空気を大地に押し付けている。絶え間なく降り続く霧雨が、周囲の風景を灰色のベールで覆い隠していた。

 

 深い森から数キロ離れた、最寄りの村外れ。

 かつては村の集会所か倉庫として使われていたであろう古びた石造りの建物が、現在、イギリス政府とアメリカのセレスティアル・ウォッチによる『臨時現地指揮所』として接収され、慌ただしく稼働していた。

 

 建物の外には、偽装された通信アンテナを積んだ車両と、大型の発電機が低い唸り声を上げている。

 内部には、不釣り合いなほど最新鋭のモニター群とサーバーが乱雑に設置され、泥だらけのブーツを履いた調査隊員たちが、張り詰めた顔で無線のやり取りを行っていた。

 

 メインモニターには、森の入り口で完全に歩みを止めている調査隊の映像が映し出されている。

 

 数時間前。

「何も出ないでしょう」「観光気分ですね」と軽口を叩きながら、余裕の表情で森に向かっていたイギリスの隊員たちは。……今や、誰一人として口を開く者はなく、血の気のない顔でただ黙って、霧の濃い森の奥を睨みつけていた。

 

 彼らは、見てしまったのだ。

 GPSが狂い、ドローンが迷子になり、そして何より……自分たちの『現実(常識)』が、音を立てて足元から崩れ落ちていく数値を。

 

『……こちら、現地調査隊アルファ。ロンドン、応答願います』

 

 暗号化された無線機から、イギリス調査隊長の、ひどく掠れた声が響いた。

 普段はSAS出身のタフな元軍人として、どんな過酷な任務でも冷静さを失わない男が、今は明らかな『恐怖』と『混乱』を隠しきれずにいた。

 

『現在地、森の入り口より約一キロ地点。……これ以上の前進を停止し、現在位置で待機中』

 

 指揮所のオペレーターが、ロンドンのダウニング街10番地、危機対応会議室へとその通信を直接リレーする。

 

 ***

 

 ロンドン、首相官邸。

 重厚なマホガニーの円卓を囲むイギリス政府の閣僚たちは、スピーカーから流れる隊長の報告を、息を詰めて聞いていた。

 

「隊長。……状況を報告しろ。なぜ止まった」

 内務大臣が、苛立ちを隠せない声で問いただす。

 

『……森の内部において、通常の物理法則では説明困難な、極めて異常な空間変容を確認しました』

 隊長の声が、重く響く。

『同行している米国(セレスティアル・ウォッチ)の博士チームの測定によれば……この一帯の空間は、【現実強度(ヒューム値)】が異常に低下しているとのことです』

 

「現実強度、だと……?」

 国防大臣が、聞き慣れない単語に眉をひそめる。

 

『簡単に言えば……人間の意思や、恐怖、願望が、そのまま【物理的な現象(現実)】として形になりやすい空間になっている、ということです』

 隊長の言葉に、会議室の空気が一気に冷えた。

 

『さらに』

 隊長は、信じがたい事実を口にする。

『我々が持ち込んだ過去の資料……この土地に古くから伝わる、“願いが形になる”“傷が塞がる”“霧が壁になる”といった【魔女伝承】の数々。

 ……それらが、この空間の異常な性質(現実改変)と、理論的に完全に一致していると、博士チームは結論づけました』

 

 沈黙。

 

「……つまり」

 内務大臣が、絞り出すように言葉を探した。

「つまり……本当に、魔女がいた、という報告なのか?」

 

「正確には」

 円卓の端で、科学顧問が冷静に、しかし顔面を蒼白にして言葉を修正した。

「『魔女と呼ばれた現象の土台(システム)が、間違いなく実在した』ということです」

 

「違いが分からん!」

 国防大臣が、机を叩いて吠えた。

 

「我々にとっては、大差ありません」

 科学顧問は、冷酷に事実を突きつけた。

「……魔女であろうと、アーティファクトの力であろうと。人間の意思で現実を捻じ曲げられる空間が、我が国の領土内に存在している。……それが確定したのです」

 

 スピーカーの向こうで、調査隊長が、最後に最も重い『警告』を発した。

 

『首相。……これは、民間伝承(おとぎ話)ではありません。

 我々は、おとぎ話を調査しているのではなく。……現実の性質が変質した、明確な【異界(アーティファクト領域)】を踏んでいます』

 

 隊長の切実な声が、会議室に響き渡る。

 

『現時点で、明確な敵対存在(魔女本人)は未確認です。

 ですが……森の奥に、この低現実強度領域の【中心(コア)】が存在する可能性が高い。それがアーティファクトなのか、現実改変能力者なのか、あるいは異星文明由来の知性体なのかは、不明です。

 ……これ以上の無知な前進は、部隊の全滅(あるいは発狂)を招きます。指示を』

 

 通信が保留状態になる。

 ロンドンの危機対応会議室は、完全に凍りついていた。

 

「……どうする」

 首相が、重い口を開いた。

 

「まずは、封鎖です」

 内務大臣が即座に提案した。

「森への立ち入りを、民間人も含めて全面禁止にする。……表向きの理由は、有毒ガスの発生、地盤崩落、あるいは軍の不発弾処理とします。とにかく、人を近づけてはならない」

 

「有毒ガスでは説明が弱いです」

 科学顧問が反対する。

「今の時代、そんな理由では『隠蔽だ』と騒いで、逆に興味本位の動画配信者(ストリーマー)たちが防毒マスクをつけて押し寄せてきます。出雲の二の舞になりますよ」

 

「では、化学兵器の漏洩の疑い、ならどうだ?」

 情報機関のトップが言う。

「それなら、近づく人間は確実に減るでしょう」

 

「馬鹿な!」

 国防大臣が反発する。

「イギリス国内で化学兵器が漏れたなどと発表すれば、それこそ国際問題になる! EUやロシアが査察団を送り込んでくる口実を与えるだけだぞ!」

 

「……ならば、表向きは『古い軍用地における未確認危険物の調査、および自然保護上の緊急封鎖』という、最も曖昧で無難な理由にしましょう」

 首相が、妥協案で裁定を下した。

「とにかく、物理的な壁(バリケード)を即座に構築しろ」

 

「現地への指示はどうしますか」

 内務大臣が問う。

 

「調査隊には、森の奥へ進むなと厳命する」

 首相が指示を出す。

「追加調査は停止。現地住民を刺激するな。セレスティアル・ウォッチの博士チームを保護し、彼らの取得したデータをロンドンへ即時送信させろ。……現場から物品を持ち出すな。逆に、現場へ余計な物品を持ち込むことも禁じる」

 

「そして……心理検査も実施してください」

 科学顧問が、重要な要素を付け加えた。

「隊員全員に心理検査を実施し、会話・記憶・行動のログをすべて保存する。……さらに」

 

 科学顧問は、極めて困難で、しかし絶対に必要な『命令』を口にした。

 

「隊員たちに……【強い願望や恐怖を、決して口に出させないでください】」

 

「……なんだそれは」

 内務大臣が、困惑して顔をしかめた。

「そんな、個人の感情を縛るような命令を、どうやって公式な文書にしろと言うんだ?」

 

「分かりません」

 科学顧問は、首を振った。

「ですが、そう命令してください。……あの空間では、『怖い(何か出る)』という恐怖が、本当に化け物を創り出してしまうかもしれない。……兵士の心(恐怖)こそが、最も危険な爆弾(トリガー)なのです」

 

 その非科学的で、しかし絶対的な法則に、閣僚たちは背筋を凍らせた。

 

 ***

 

 会議が一段落し、現地への指示が飛んだ後。

 首相は、円卓のモニターに映る『アメリカ合衆国』のエンブレムを見つめ、深く、重い溜息をついた。

 

「……首相。アメリカに、この事態(現実強度低下)を、正式に共有しますか?」

 外務大臣が、探るように問うた。

 

 首相の内心には、強烈な葛藤があった。

 

 万象器騒動の時、ロンドンという自国の首都が舞台であったにもかかわらず、イギリス政府は完全に後手に回り、アシュワース卿の遺言と、世界の大国たちの思惑に翻弄されるだけの「会場の貸し手」に成り下がってしまった。

 その屈辱は、大英帝国のプライドを深く傷つけていた。

 

(できれば……今回は、我が国主導で管理・解決したい。……アメリカに泣きつくような真似は、極力避けたい)

 

 だが。

 現実は、そんなつまらないプライドを許容するほど、甘くはなかった。

 

「……すでに、現地にはセレスティアル・ウォッチの博士チームが入り込んでいるのだぞ」

 首相は、苦々しい顔で言った。

「彼らの計測データは、間違いなくリアルタイムでワシントンに筒抜けだ。我々が隠そうとしても無意味だ。……むしろ、後から『なぜ重大な脅威を同盟国に隠蔽したのか』と問われれば、日米のように強固な同盟関係に致命的なヒビが入る」

 

 首相は、決断を下した。

 

「……ヘイズ大統領に、ホットラインを繋げ」

 

 ***

 

 ホワイトハウス、地下危機対応室。

 

 キャサリン・ヘイズ大統領は、中国への制裁解除や、アポロン・ソードの配備計画、そして世界経済の復旧対応という、膨大な仕事の山に忙殺されていた。

 そこに、イギリス首相からの緊急のホットラインが繋がった。

 

 モニターに映し出されたイギリス首相の顔は、明らかに疲労し、そしてどこか『言い出しにくそう』な表情を浮かべていた。

 

『……大統領。時間を取らせて申し訳ない』

 イギリス首相は、前置きを切り詰め、単刀直入に報告した。

『スコットランドの、魔女伝説に関する調査で……異常が出た』

 

「……魔女?」

 ヘイズは、その単語に一瞬眉を動かしたが、すぐに余計な反応を抑え込み、黙って続きを促した。

 

『セレスティアル・ウォッチの博士チームが、現地で【現実強度の異常低下】を確認した。

 ……現地の伝承と、完全に一致する現象だ。

 我々は……魔女と呼ばれた存在、またはそれに類する異常現象の「実在可能性」を、排除できない段階に来ている』

 

 ホワイトハウス側の空気が、スッと冷え込んだ。

 

「現実強度……?」

 国防長官が、小声で訝しげに呟く。

 

 画面外から、セレスティアル・ウォッチの連絡官が即座に補足した。

「現実改変型の案件です、長官。……通常のエネルギー兵器(アポロン・ソード)や、物質生成系(万象器)とは根本的に異なります。物理法則そのものを書き換えるため、脅威の予測が極めて困難です」

 

 その補足を聞いた瞬間。

 ヘイズ大統領の顔から、すべての表情が完全に消え去った。

 冷酷な戦時大統領としての、極限の警戒モード。

 

『ただ、現時点では交戦も被害もありません』

 イギリス首相は、アメリカ側の過剰な反応(パニック)を恐れたのか、少しだけ『楽観論』を混ぜて報告を続けた。

『アステカの超人(イツコアトル)のような、規格外の存在が……そう何人も、都合よくこの地球にいるとは思えません。

 おそらく、あくまで局地的な、空間の異常現象(アノマリー)に過ぎないかと。慎重に封鎖すれば、管理可能であると考えています』

 

 そのイギリス首相の言葉に、ホワイトハウスの会議室でも、何人かの閣僚が「なるほど」と小さく頷いた。

 国防長官も、少し安堵したように言う。

「確かに。アステカの超人級の化け物が二人目など、流石に悪夢が過ぎる。……今回は、森ひとつを封鎖すれば済む話ではないか」

 

 彼らはまだ、「場所の異常」としてこの事態を矮小化して捉えようとしていた。

 人間の理解を超えた「存在の異常」だった場合の恐ろしさを、まだ腹の底から理解していなかったのだ。

 

「……いいえ」

 

 だが。

 その、甘すぎる楽観論を。

 

 キャサリン・ヘイズ大統領が、短く、氷のように冷たい一言で、完全に切り捨てた。

 

『…………』

 ホワイトハウス側も、モニターの向こうのロンドン側も、ピタリと沈黙する。

 

「限りなく、最悪を想定した方がいいわ」

 

 ヘイズの声は、一切の感情を交えず、ただただ絶対的な【真実】だけを響かせていた。

 

『……大統領。現時点で、そこまでの根拠は――』

 イギリス首相が、反論しようとする。

 

「根拠なら、十分にあるわ」

 

 ヘイズは、イギリス首相の言葉を鋭く遮った。

 

「私たちは、ロシアのサイボーグを見たわ。

 中国の仙人化を見た。

 アステカの太陽の戦士を見た。

 インドのソーマの樹を見た。

 ……万象器も、アポロンの矢も、ヘルメス協会も見た」

 

 ヘイズは、ここで一拍置き、円卓の全員を、そしてモニターのイギリス首相を真っ直ぐに睨み据えた。

 

「そのたびに……誰かが言ったのよ。

 “まさか、そこまでは起きない”と」

 

「……っ」

 イギリス側が、完全に押し黙る。

 

「そして毎回……その“まさか”の方が、正解だった」

 ヘイズは、過去数ヶ月間の、人類の甘い予測がことごとく打ち砕かれてきた地獄の歴史を、容赦なく突きつけた。

 

「今回の危険は、アステカの超人と同じとは限らないわ」

 ヘイズは、冷静に事態の『質の違い』を整理する。

「むしろ……違うからこそ、危険なのよ」

 

『違うから?』

 イギリス首相が問う。

 

「イツコアトルは、強大だけれど、分かりやすかった」

 ヘイズは、これまでの敵との比較を行う。

「太陽、肉体、戦闘能力、儀式、怒り。……物理的で、圧倒的な暴力。

 少なくとも、彼が『何を壊せるか』は、我々にも目で見えたわ」

 

 アメリカ国防長官が、苦々しい顔で頷く。

 

「でも、スコットランドの魔女は違う」

 ヘイズの目が、鋭く光る。

「現実強度が低い? 意思が現実に反映される? 恐怖や願望が現象化する?

 ……それはつまり、『敵がどこにいるか分からない』ということよ」

 

 ヘイズは、現実改変能力の真の恐ろしさを語った。

 

「兵士の恐怖。政府の欲望。メディアの妄想。民衆の祈り。

 ……そのすべてが、魔女の『燃料(武器)』になる可能性がある」

 

 その言葉に、モニターの向こうのイギリス政府の科学顧問が、ハッとして小さく頷くのが見えた。

 

「……アステカの超人が“物理的に勝てない敵”だったとするなら」

 ヘイズは、最後に、最も絶望的な結論を口にした。

 

「スコットランドの魔女は……“考えた時点で負ける敵”かもしれないわ」

 

 この一言で、ホワイトハウスとロンドンの会議室が、完全に凍りついた。

 

 ***

 

 ヘイズ大統領は、即座に大統領権限(オーソリティ)を行使し、矢継ぎ早に命令を下した。

 

「セレスティアル・ウォッチの現地博士チームを、最優先で保護しなさい。追加の解析班を待機。……ただし、森へは勝手に入れないこと」

「欧州軍司令部(EUCOM)に警戒態勢。在英米軍基地は防護レベルを一段階引き上げ。……ただし、表向きは『通常の合同訓練準備』として処理しなさい」

「衛星監視をスコットランド北部へ集中。……ただし、絶対に刺激しないこと。高出力照射はなし。レーダー波も最小限に留めるのよ」

「サイバー・コマンドは、現地情報の漏洩監視を徹底。『スコットランドの魔女』というワードがトレンド化する前に、大量のノイズ(無関係な情報)を混ぜて検索を妨害しなさい」

「国防総省は、対・現実改変案件の暫定プロトコルを作成。……通常火力(銃やミサイル)で解決できるという前提は、完全に捨てること」

 

「大統領。米軍の直接派遣(特殊部隊の投入)は?」

 国防長官が、実戦部隊の動向を確認する。

 

「イギリスの主権を尊重するわ」

 ヘイズは、即答した。

「ただし、退避支援と封鎖支援の名目で、即応部隊は準備させておく。

 ……でも、現地(森の中)に入るのは、最後の最後よ」

 

 ヘイズは、国防長官を鋭く睨みつけた。

 

「銃を持った人間(恐怖を抱えた兵士)を、低現実強度空間へ突っ込ませるのは……火薬庫に松明を投げ込むようなものよ。絶対にやめなさい」

 

「……了解しました」

 国防長官は、その理屈を重く受け止め、敬礼した。

 

 ***

 

「……アメリカとイギリスだけで、対処できないと?」

 イギリス首相が、複雑な顔で尋ねた。

「大英帝国の主権問題もあります。これ以上、他国を巻き込むのは……」

 

「できるかもしれないわ。でも、最初から二国だけで抱え込むべき問題ではない」

 ヘイズは、冷静に答えた。

 

 そして、彼女は迷うことなく、ある『国』の名前を出した。

 

「……日本政府も、動員(巻き込む)します」

 

「日本を?」

 イギリス側の閣僚たちが、一斉に驚きの声を上げた。

 地球の裏側の極東の島国を、なぜわざわざこのヨーロッパのローカルな伝承問題に引っ張り出すのか。

 

「彼らは、出雲と与那国を抱えているわ」

 ヘイズは、日本のこれまでの『実績』を高く評価していた。

「神話、土地、境界、精神的影響、封鎖、世論誘導。

 ……この種の“民間伝承が現実だった案件”について、彼ら以上に実地経験を積み、そして『被害を最小限に抑え込んだ(封鎖した)』政府は、他に少ない」

 

 イギリス側の科学顧問が、小声で首相に囁いた。

「……日本の経験は、有用です。特に、宗教・神話・土地信仰とアーティファクトが重なる案件では、我々よりも一日の長があります」

 内務大臣も、渋々といった様子で頷く。

「少なくとも、我々より先にその類の地雷(出雲の集団失神)を踏んでいますからね。ノウハウは持っているはずだ」

 

 イギリス首相は、深いため息をついた。

 自国の問題に他国を招き入れるのは、プライドが許さない部分もある。だが、今はそんな見栄を張っている場合ではない。

 

『……分かった。日本にも共有する』

 

 ***

 

 日本、首相官邸地下。

 既存技術外事象評価セルの緊急会議室。

 

 深夜に緊急招集された矢崎総理、沖田室長、三神編集長、そして各省庁のトップたちが、アメリカから送信された極秘共有資料を前にして、無言で固まっていた。

 

 資料のタイトル。

 

『英国スコットランド北部における低現実強度領域の検出、および魔女伝承との一致について』

 

「……魔女、ですか」

 三神編集長が、資料をパラパラとめくりながら、ひどく渋い顔で呟いた。

 

「三神さん。どう見ますか?」

 内閣情報調査室の幹部が、すがるように問う。

 

「……ヨーロッパの魔女伝承は、単なるファンタジーではありません」

 三神は、腕を組み、歴史の暗部を掘り起こすように語り始めた。

「社会不安、宗教対立、女性差別、共同体の恐怖、医療知識、薬草、そして異端審問……。人間の最も醜い部分と、切実な祈りが、ドロドロに絡み合って生まれたものです」

 

 三神は、そこで一度言葉を切った。

 

「……ですが。この狂った世界では、そこに“本物(アーティファクト)”が混じっていた可能性を、もう笑うことはできない」

 

 沖田室長は、資料のデータを読み込み、これまでのアーティファクト事案と照らし合わせて冷静に分類(マッピング)を行った。

 

「アステカのイツコアトルが、生存型のアーティファクト適合個体。

 出雲が、魂・記憶・精神領域の高次情報空間。

 与那国が、惑星環境制御系の巨大知性。

 ……今回のスコットランドは、おそらくその【中間】です」

 

「中間?」

 矢崎総理が問う。

 

「はい」

 沖田は、モニターのスコットランドの地図を指差した。

「土地に紐づいた異常空間(出雲のような性質)。……そして、そこに、現実改変能力を持つ個体、または管理者が存在する可能性(イツコアトルのような性質)。

 つまり、出雲のような“場所(フィールド)”と、イツコアトルのような“個体(ボス)”が、最悪の形で重なっている(あるいは一体化している)かもしれません」

 

 会議室の空気が、一段と重くなる。

 

「……協力するわ」

 矢崎総理は、迷うことなく決断を下した。

「ただし、現地の主権はあくまでイギリスにある。……我々は、封鎖、世論管理、神話伝承の分析、そして精神影響対策の【助言】に徹する」

 

「それがいいでしょう」

 三神が深く頷いた。

「魔女の森に、外国政府の軍隊や官僚がぞろぞろと乗り込むのは最悪です。……ヨーロッパの『土地の記憶(魔女狩りのトラウマ)』を、無駄に刺激しかねない」

 

 かくして、アメリカ、イギリス、日本の三国による、かつてない奇妙な合同チームが結成された。

 

 仮称:【スコットランド低現実強度領域対策合同セル】

 

 表向きには存在しない、極秘の組織。

 イギリス政府が現地封鎖と主権管理を担い。

 アメリカのセレスティアル・ウォッチが計測と技術解析を担当し。

 日本政府が、神話伝承分析と精神影響対策のアドバイザーとして後方支援を行う。

 

 初期方針は、極めて慎重、かつ「何もしないこと」を最優先としたものだった。

 

 ・森の奥へ進まない。

 ・魔女らしき存在を絶対に刺激しない。

 ・軍事的な接触(交戦)を避ける。

 ・現場から物品を持ち出さない。

 ・現地民の伝承を軽視しない。

 ・怖がった兵士を森へ入れない。

 ・欲望の強い政治家、富豪、研究者を近づけない。

 ・情報公開しない(ただし完全隠蔽もしない)。

 ・まず、「何が危険なのか」を定義する。

 

「今回の目的は、魔女を捕まえることではないわ」

 ヘイズ大統領は、合同セルの最初のオンライン会議で、全員に向けて厳命した。

「森を制圧することでもない。

 ……まず、生きて帰ること。

 次に、状況を悪化させないこと。

 その次に、理解すること」

 

 ヘイズは、画面越しの各国のトップたちを真っ直ぐに見据えた。

 

「これは戦争ではない。だから、軍事作戦として考えないこと。

 これは研究でもない。だから、サンプル採取を最優先にしないこと。

 これは宗教でもない。だから、信仰や恐怖に呑まれないこと」

 

 そして、ヘイズ大統領は、今回の事案の本質を突く、最も重要な言葉で締めくくった。

 

「これは……人類が“理解できないものを前にした時、最初に何をしてはいけないか”を試される、究極の案件よ」

 

 ***

 

 スコットランド現地指揮所。

 

 イギリス調査隊長のもとに、ロンドン、ワシントン、東京の三国合同セルから、分厚い【新命令(プロトコル)】の束が届いた。

 彼は、その指示書に目を通し、顔をしかめた。

 

 ・森の中心部への進行禁止

 ・現地博士チームの判断を優先

 ・住民避難計画を準備

 ・森周辺半径数キロを段階的に封鎖

 ・心理状態が不安定な隊員を後退させる

 ・『捕獲』『確保』『制圧』という用語の使用禁止

 

 そして。

 ・暫定呼称は『グレン・モラグ領域管理者』または『対象W』とする。魔女に関する敵対的表現を避けること。

 

 隊長は、最後の項目を見て、大きくため息をついた。

 

「……魔女を、魔女と呼ぶな、か」

 隊長は、傍らのセレスティアル・ウォッチの博士に向かってぼやいた。

「まったく、魔女裁判の時代に逆戻りしたようだ。言葉狩りとはな」

 

「違います」

 博士は、モニターから目を離さずに、冷徹に訂正した。

「名前が、現実に影響する可能性があります。呼称は慎重にしなければなりません。

 ……今回は、魔女と呼ばない(敵対的な意味を持たせない)ための、必死の努力なのです」

 

 隊長は、その言葉の重みに、完全に黙り込んだ。

 

 そして。

 イギリス調査隊、セレスティアル・ウォッチ博士チーム、遠隔接続された英米日合同セルが、いよいよ【第二段階調査(慎重な対話準備)】を開始する。

 

 前回の「観光気分」のような軽さは、もうどこにもない。

 森の入り口には強固な封鎖線が張られ、警察車両と軍の通信車が並んでいる。だが、兵士たちは森から遠く距離を取り、決して銃口を向けようとはしなかった。

 

 博士チームが、境界線のギリギリに新しいセンサーを設置する。

 

 イギリス調査隊長は、深く、深く深呼吸をして、霧の立ち込める森を見つめた。

 

「……本気で、スコットランドの魔女について調査する、か」

 

 セレスティアル・ウォッチの博士が、センサーの調整を終え、立ち上がった。

 

「ええ。……ただし、魔女を『探す』のではありません」

 

「では、何を?」

 隊長が問う。

 

「魔女が……【何を守っているのか】を、です」

 博士は、静かに答えた。

 

 その時。

 森の奥から、風もないのに、霧が一瞬だけ不自然に動いた。

 

(……!)

 隊長は、息を呑んだ。

 

 霧の奥。

 黒い外套。灰色の髪。

 誰かが、確かにそこに立っているように見えた。

 だが、瞬きした次の瞬間には、その姿は完全に霧の中に溶け、掻き消えていた。

 

『ピーッ……』

 

 博士の手元の現実強度計が、静かに、一段階下がった。

 

 博士は、モニターの数値を見つめたまま、ポツリと呟いた。

 

「……向こうも、こちらを観測しています」

 

 その瞬間。

 現地にいる隊員も、遠隔で繋がっている英米日の対策チームも、完全に理解した。

 

 これは、魔女を見つけるための調査ではない。

 魔女に、こちらが『見つけられた後』の、命懸けの交渉準備なのだと。

 

 




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総合評価:2014/評価:6.92/連載:176話/更新日時:2026年02月15日(日) 19:52 小説情報

科(化)学系チート持ち転生者のお話(作者:金属粘性生命体)(原作:多重クロスオーバー)

▼ 数百世紀先の技術と創作上の技術を持って転生した男の好き勝手生活。▼ ディストピアルート、闇堕ちルート、どちらから先に読んでも問題ないようになってます。作者の個人的には闇堕ちルートの方がおもろいと思う。▼(作者の架空科学なので一切整合性はとりません、雰囲気で読め)▼ オタクルートを外伝にしました。↓がリンクです▼ https://syosetu.org/n…


総合評価:3183/評価:7.56/連載:107話/更新日時:2026年05月06日(水) 10:00 小説情報


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