銀河皇帝のスペアに転生した元社畜、地球軌道上の要塞でネトゲ三昧の隠居生活を満喫する 〜足元では超大国が滅亡級の異星遺産を巡って暗躍中ですが、主人公(ぼく)の命は絶対安全なので特等席で傍観します〜 作:パラレル・ゲーマー
ロンドン、ダウニング街10番地。首相官邸の地下に設けられた危機対応会議室は、鉛のように重く、息苦しい沈黙に包まれていた。
巨大なマルチモニターには、スコットランド北部の森の入り口で、銃を構えたまま灰色の石像と化した兵士たちの姿が映し出されている。何度見ても、現代科学の枠組みを完全に無視したその光景は、為政者たちの精神をゴリゴリと削り取っていった。
「……回収部隊を出せ。装甲車で森の木々をなぎ倒してでも、我々の兵士を取り戻すのだ!」
国防大臣が、血走った目でテーブルを叩きながら吠えた。「大英帝国の軍人が自国の領土内で石にされ、雨ざらしにされているなど、国家の威信に関わる!」
「落ち着きたまえ、大臣」
首相が、深く刻まれた眉間のシワを揉みほぐしながら、低く沈んだ声で制止した。「今の状況で部隊を送り込めば、彼らもまた石のモニュメントに加わるだけだ。……あの空間では、我々の誇る近代兵器は、ただの鉄の棒に等しいのだぞ」
「相手の意図が全く読めません」
情報機関のトップが、忌々しげに資料を閉じた。「攻撃を仕掛けてきたわけではない。だが、明確な敵意には現実改変をもって即座に報復してくる。このまま刺激し続ければ、被害がスコットランド全土に拡大する恐れすらあります」
暗号化された通信回線越しに、ホワイトハウスの地下からキャサリン・ヘイズ大統領の冷徹な声が響いた。
『軍事対応は下策の極みよ。……物理的な運動エネルギーを無効化し、人間の存在を石に書き換える相手に、何を撃ち込むつもり? アメリカ軍でさえ、あの森に武装した兵士を入れる気は毛頭ないわ』
東京の首相官邸地下からも、矢崎総理が深く頷く様子がモニターに映し出される。
『我が国も同意見です。ここで再び武装部隊を侵入させれば、それこそ歴史の怨念を呼び覚ます“魔女狩り”の再演になってしまう。……我々に今必要なのは、力でねじ伏せることではありません』
「……謝罪と、対話です」
イギリスの外務大臣が、絞り出すように言った。
「相手が言葉を解し、人間のように振る舞う存在であるならば。我々は外交のテーブルに着くしかない」
その提案に、何人かの閣僚が信じられないというように顔を上げた。
「正気か!?」内務大臣が叫ぶ。
「未知のバケモノが潜む森の奥に、非武装の外交官を単独で送り込むというのか!? もし相手がただの狂った怪物だったらどうする!」
外務大臣は、静かに、だが決然とした瞳で言い切った。
「正気ですか? と問われれば、正気ではないでしょう」
彼は、円卓の全員を、そしてモニターの向こうの超大国のトップたちを見据えた。
「ですが……今は、軍隊より【外交官】なのです」
弾丸が砂に変わり、兵士が石になる領域。
そこにおいて最も強力な武器は、戦車の砲弾でも特殊部隊のステルス性でもなく、「言葉を選ぶことのできる人間」なのだ。
「……人選は、どうする」
首相が、重々しく問う。
「あの異界で、決してパニックを起こさず、失礼なく謝罪し、なおかつ国家としての『対話』を成立させられるような、そんな異常な度胸を持つ人間がいるのか?」
外務大臣は、わずかに口角を上げて答えた。
「……彼しか、いないでしょう」
数時間後。
スコットランド北部の深い霧に包まれた森の入り口に、小規模なチームが到着した。
編成は極めて異例だった。
アメリカから派遣されているセレスティアル・ウォッチの若き博士チーム。彼らは観測と計測の機材を抱え、極力後方に位置取る。
そして、その先頭に立つのは、迷彩服の軍人ではなく――雨雲の下であっても完璧に仕立てられたスリーピースのスーツに身を包み、銀色の髪を美しく撫でつけた老練な英国紳士であった。
サー・アリスター・ペンブルック。
かつて中東の紛争地帯から東欧の独裁国家まで、数々の修羅場で言葉一つを武器に国家間の危機を調停してきた、英国外務省の誇る“鉄の心臓”を持つ伝説的な外交官である。
「護衛は、境界線の外で待機させたまえ」
サー・アリスターは、心配そうに自動小銃を握りしめる軍の指揮官に向かって、穏やかに、だが絶対の命令として告げた。
「銃を構えるな。命令口調を使うな。我々は森を制圧しに来たのではない。……ご近所へ、失礼の詫びを入れるために来たのだからね」
「……了解しました、サー」
指揮官は悔しそうに敬礼し、部隊を後退させた。
ロンドン、ワシントン、東京の三政府は、サー・アリスターの胸元に付けられた小型カメラの映像と、セレスティアル・ウォッチの計測データを、固唾を呑んで見守っていた。
イギリス政府の閣僚たちは胃を痛め、アメリカ政府は冷徹にデータを収集し、日本政府は「どうか言葉を間違えないでくれ」と祈るような思いで画面を凝視していた。
「では、参りましょうか」
サー・アリスターは、傘を差すことすらなく、深い霧の立ち込める森の内部へと、ただ一人、静かな足取りで踏み込んでいった。少し遅れて、セレスティアル・ウォッチの博士チームが計測器を手に続く。
森の中は、異様な空間だった。
ザクッ、ザクッという足音だけが霧に吸い込まれていく。
セレスティアル・ウォッチの博士が、小声で本部に報告する。
「……現実強度が、急激に揺らいでいます。前回よりも、“見られている感覚(被・観測感)”が異常に強い。……森全体が、我々の感情をスキャンしているかのようです」
そして、霧の奥。
小道の脇に、彼らは立っていた。
銃を構え、絶叫する表情のまま、完全に灰色の石と化したイギリス軍の前進班の兵士たち。
その光景は、写真で見るよりも遥かにグロテスクで、絶望的だった。
同行する外務省の随員が、恐怖で息を呑み、足を踏み外しそうになる。
だが。
サー・アリスターは、一切動じなかった。
彼は石化した兵士たちの前に静かに立ち止まると、両手を前に揃え、深々と、敬意を込めて一礼した。
「……まずは、ここから始めましょう」
彼は、兵士たちの恐怖と、彼らが任務に殉じた事実に対する哀悼の意を、完璧な所作で示したのだ。
その振る舞いは、相手が人間であれ怪物であれ、「この男には礼節がある」と理解させるに十分な威厳を持っていた。
その一礼が終わった、次の瞬間。
音もなく。
霧が渦を巻き、小道の奥の乳白色の帳が割れた。
そこに、灰色のローブを深く被った人物が立っていた。
逃げるでもなく、威嚇するでもない。まるで、最初からそこにいて彼らが来るのを待っていたかのように、ただ静かに佇んでいる。
『……出た』
ロンドンの会議室で、内務大臣が呻き声を上げた。
ワシントンでも、東京でも、すべての空気が完全に凍りついた。
相手は、ただそこにいるだけで周囲の物理法則を書き換える超常の存在。
一つでも言葉を間違えれば、次の瞬間、この老外交官もまた石のオブジェに加わることになる。
だが、サー・アリスターは、微塵の恐怖も見せず、ゆっくりと一歩前に出た。
そして、淀みなく、澄み切った声で口を開いた。
「初めまして。私はイギリス政府を代表して参りました、アリスター・ペンブルックと申します。
……まず、我々の兵士が、あなたに対して攻撃を行ったことを、深く謝罪したいと思います。我々に、敵対の意思はありません」
一切の言い訳を挟まない、完璧な第一声だった。
「現場の混乱だった」とも「不幸な事故だ」とも「誤解だ」とも言わない。ただ、非はこちらにあると認め、謝罪した。
灰色のローブの奥で、静かな、しかし氷のように冷たい視線がアリスターを射抜いた。
そして、森の木々を震わせるような、透き通った女性の声が響いた。
「……ですが。攻撃したのは、そちらですよね」
その声には、怒りよりも深い諦観が混じっていた。
「そして……あなたたちはいつだって、自分たちが理解できないものを、排除してきたわよ?」
その痛烈な一言に、モニター越しの政府首脳陣は一斉に凍りついた。
イギリス政府の閣僚たちは言葉を失い、アメリカのヘイズ大統領は「……完全な正論ね」と苦く呟いた。
日本の矢崎総理も、「痛いところを突かれましたね……人類史そのものへの批判です」と表情を硬くした。
相手は、単なる怒れる怪物ではない。人間の本質と歴史的業を完全に見透かしている、極めて知的な上位存在だった。
だが、サー・アリスターは、その重い非難の言葉を浴びても、決して顔を伏せなかった。
彼は、無理に否定することなく、その言葉を正面から受け止めた。
「……確かに、そうかもしれません」
アリスターは、穏やかに、だが確かな芯のある声で返した。
「我々人類は、愚かで、怯えやすく、理解できないものを恐れるあまりに過ちを繰り返してきました。
……ですが。我々は同時に、こうして過ちを認め、言葉を交わすこともできます。
どうか……まずは、交流から始めましょう」
全面的な謝罪で終わらせず、言い訳もせず、ただ「対話の可能性」だけを未来に提示する。
それは、数々の紛争を調停してきた彼だからこそ使える、究極の外交的アプローチだった。
『よし……!』
ロンドンの会議室で、外務大臣が思わず拳を握りしめた。
ワシントンのヘイズ大統領も、『さすがに上手いわね』と感嘆の息を漏らす。
東京の会議室では、三神編集長が『イギリスの外交官って、鉄の心臓でできてるんですか……?』と呆れたように笑った。
魔女は、フードの奥で小さく、本当に小さく、ため息をついた。
「……図々しいですが。まあ、いいでしょう」
魔女の声から、少しだけ刺々しさが抜けた。
「弱く、力を持たない者の常套手段ですね。……言葉は」
その言葉に、アリスターは小さく微笑んだ。
外交とは、弱者の武器である。絶対的な力(アーティファクト)を持たない人間が、上位存在を前にして初めて本当の意味で『弱者』となり、その武器を振るっていることを、彼女は完全に理解し、許容してくれたのだ。
「立ち話も何でしょう」
魔女が、軽く右手を動かした。あるいは、視線を向けただけかもしれない。
その瞬間。
セレスティアル・ウォッチの博士の持つ現実強度計が、完全にエラーを吐いてブラックアウトした。
「……空間が、書き換わります!!」
博士が叫ぶよりも早く。
周囲の鬱蒼とした針葉樹の森と、乳白色の霧が、まるで巨大なキャンバスの絵の具が渦を巻いて混ざり合うように歪み、再構築されていく。
そして、霧の奥から、圧倒的な質量を伴って【巨大な洋風建築】がズズンと姿を現した。
「なんだ、あれは……!?」
ロンドンの会議室で、閣僚たちが一斉に立ち上がる。
それは、古い英国風の屋敷だった。
ゴシック建築と貴族の邸宅の中間のような、不自然なほど優雅で重厚な造り。壁には蔦が絡まり、まるで何百年も前からこの森の奥に存在していたようにも見えるし、今この瞬間に無から生成されたようにも見えた。
『空間生成能力……! 物理法則の完全な無視だ!』
アメリカのケンドール博士が、モニター越しに頭を抱えて悲鳴を上げる。
『神域内の、応接間みたいなものですかね』と、東京の三神が楽しそうに呟く。
「こちらへ」
魔女が、音もなく屋敷の重厚なオーク材の扉を開き、中へと誘った。
アリスターは、一切の躊躇なく、その屋敷の中へと足を踏み入れた。
屋敷の内部は、外の冷たい森とは別世界だった。
ふかふかの重厚な赤い絨毯が敷かれ、壁には古い肖像画(それが実在の人物なのか、幻なのかは分からない)が飾られている。巨大な暖炉には、パチパチと心地よい音を立てて火が燃えており、部屋全体を暖かく包み込んでいた。
完璧な、英国貴族の邸宅の応接室そのものだった。
魔女が、部屋の中央にあるアンティークのソファを指し示す。
アリスターと、ガチガチに緊張した随員たちが腰を下ろす。
すると、テーブルの上に、信じられないほど自然な動作で、一組のティーセットが現れた。
純銀のポット、繊細な意匠が施された磁器のティーカップ。
そして、三段のティースタンドには、焼きたてのスコーン、クロテッドクリーム、サンドイッチ、色鮮やかな焼き菓子が美しく並べられていた。
ポットの注ぎ口からは、ベルガモットの香りを漂わせる、極上のアールグレイの湯気が立ち昇っている。
ロンドンの会議室が、完全に静まり返った。
「……完全に、本場の英国式だぞ……」
内務大臣が、目を丸くして呟いた。
「我が国の首相官邸より、よほど英国しているではないか……」
魔女は、カップに紅茶を注ぎながら、優雅に、だがどこか楽しげに言った。
「さて。何を話しますか?」
それは、ただのバケモノとの遭遇ではない。
明確な知性と文化を持つ上位存在との、【正式な外交会談】の始まりを告げる合図だった。
アリスターは、出された紅茶を一口飲み、その香りの良さに心から感嘆の笑みを浮かべた。
「……素晴らしい香りです。さて、本題に入りましょう」
魔女は、カップを置き、フードの奥からアリスターをじっと見つめた。
「外の世界が、新たな時代――あなた方が『アーティファクトの時代』と呼ぶものに到達したことは、知っています」
彼女は、まるで新聞でも読んできたかのような口ぶりで言った。
「あらゆる超常が表に出てくる、変革の時。……イギリス政府が、それに遅れまいと色々努力しているのも、認めましょう」
その言葉に、各国の首脳陣は再び戦慄した。
『……全て、お見通しというわけか』イギリス首相が冷や汗を拭う。
『上位存在には、世界の情報を情報場(アカシックレコードのようなもの)から直接読み取る能力がデフォルトで備わっているのかもしれませんね』と、アメリカのケンドール博士が推測する。
日本の矢崎総理も、『変革の時……確かに、彼女の言う通りですね』と深く頷いた。
魔女は、単なる森に引きこもった怪異ではない。世界情勢を高い次元から俯瞰できる、本物の神話存在なのだ。
「ええ。その変革の波の中で、我々は多くの過ちを犯しました」
アリスターは、カップをテーブルに置き、居住まいを正した。
「イギリス政府として、まず魔女様に、正式に謝罪をしたいと思います」
彼は、深く頭を下げた。
「過去の、無知なる魔女狩りの時代から。……昨日の、若き兵士の暴発に至るまで。すべての無礼を、お詫びいたします」
過去から、今日まで。
国家の歴史的な継続性をすべて引き受けた、完璧な【包括的謝罪】だった。
魔女は、しばらく黙ってアリスターの頭を下げる姿を見つめていた。
やがて、彼女は小さく、フッと笑ったように見えた。
「……過ぎたことを、引きずるつもりはありません」
その声には、本当に、過去への憎悪や執着は感じられなかった。
「今日の出来事は、やられたから、やり返しただけです」
魔女は、スコーンを一つ手に取りながら、悪びれずに言った。
「まあ……多少、過剰防衛なのは認めましょう」
その一言で、張り詰めていた場に、ふっと柔らかい空気が流れ込んだ。
理不尽な怪物ではない。会話が可能であり、自身の反応が完璧だとは思っていない、ある種の『人間臭さ』。それが、彼女の抗いがたい魅力だった。
魔女は、軽く指を鳴らした。
パチン、という乾いた音が応接室に響く。
『――ッ!!』
その瞬間、森の外で待機していた計測部隊から、無線に悲鳴のような報告が入った。
『こ、こちら前哨基地! 信じられません! 森の入り口の石像が……石像が、元に戻っています!!』
映像が切り替わる。
石化していた兵士たちの表面にひびが入り、灰色の殻がボロボロと崩れ落ちていく。
中から現れたのは、血色の戻った生身の兵士たちだった。
彼らは何が起きたか分からず、咳き込みながらその場に倒れ込み、すぐさま待機していた医療班によって保護された。全員、生存が確認された。
「石化は解除しました」
魔女は、紅茶を飲みながら淡々と言った。
「兵士を回収しなさい」
ロンドンの会議室で、爆発的な歓声が上がった。
「よし!!」
「回収部隊を出せ! 医療班を急がせろ!!」
「やったぞ! 生きている!」
アメリカのヘイズ大統領も、『これでとりあえず、最悪の事態は脱したわね……』と胸を撫で下ろした。
日本の官邸地下でも、『なんとか、なりましたね……』と安堵のため息が漏れる。
普通であれば。
これで「大成功の謝罪外交」として、急いで帰還するのが常識だ。
だが。
大英帝国の凄腕外交官、サー・アリスター・ペンブルックは、ここで終わるような男ではなかった。
彼は、ティーカップを静かに置き、極めて自然な、世間話でもするようなトーンで、とんでもないことを言い出した。
「寛大なご処置、イギリス政府として心より感謝いたします。
……ところで。今後のことですが」
アリスターは、魔女を真っ直ぐに見据えて、微笑んだ。
「イギリス政府の【公認魔女】として、活動する気はありませんか?」
「…………は?」
森の応接室の時間が、止まった。
同時に、ロンドン、ワシントン、東京のすべての会議室の空気が、完全にフリーズした。
ロンドンの閣僚たちは、一瞬呆気にとられた後。
「い、いいぞ!! ペンブルック!!」
「そうだ! それだ! ただ謝って終わるな! 何か一つでも国益を持ってこい!!」
「公認魔女……実現すれば、とんでもない外交成果だぞ!!」
と、悪魔的な歓喜の声を上げた。
対するワシントン。
「ふざけるな!!!」
ヘイズ大統領が、机をバンッと叩いて激怒した。
「公認魔女!? なにチャッカリ自国で上位存在を囲い込もうとしてるのよ! そんなカード、聞いてないわよ!!」
アメリカからすれば、イギリスが単独でアーティファクト存在とのパイプを作れば、同盟内のパワーバランスが激変してしまう。
そして東京。
矢崎総理が、頭を抱えて呻いた。
「……雲行きが怪しくなりましたね」
「凄まじい図太さです」沖田室長が呆れる。
「上位存在を国家所属にする? そんなことしたら世界のパワーバランスがおかしくなりますよ。……でも、もし魔女様がそれに納得するなら、新時代すぎますね」三神が面白そうに笑う。
応接室の中で、魔女は、数秒間、完全に呆れ果てた顔で(フードの奥で)アリスターを見つめていた。
「……温情をかけたというのに。まだ、求めるのですか」
魔女は、深々と、心底呆れたようにため息をついた。
「はぁ。……本当に、図々しい男ですね」
「大英帝国の外交官の、基本の嗜みでございます」
アリスターは、全く悪びれることなく、優雅に頭を下げた。
魔女は、少しだけ考え込んだ。
普通なら、ここで怒って再び彼らを石にしてもおかしくない。だが、彼女はその「図々しさ」を、どこか面白がっているようにも見えた。
「……しかし、公認魔女、ですか」
魔女は、ティーカップの縁を指でなぞる。
「悪くはない響きですが。……報酬次第、ですね」
ロンドンの会議室が、一斉にざわめいた。
(本当に、乗るのか!?)
「イギリス政府が用意できるものであれば、何でも」
アリスターは、国家の財布を切る覚悟で、最大の誠意を見せた。
魔女は、ふふっと笑った。
「まあ、とりあえず……このレベルの【美味しいお菓子】と、【最高級の紅茶のセット】を毎月届けてくれるなら、それで良いでしょう」
「……は?」
アリスターが、思わず素っ頓狂な声を出した。
「イギリスの存亡に関わるような事態が起きれば、私が少しだけアドバイスをしてあげましょう。
イギリス国内で、私が面白いと思う事件が起きれば、たまに対処してあげてもいい。
……このくらいで、どうですか?」
国家予算何百億でもない。
黄金でも、兵器の生贄でもない。
ただの、紅茶と、お菓子。
その、あまりにも可愛らしく、そして英国らしい報酬で。
イギリスは、“上位存在からの助言と、国内案件への限定介入権”という、世界中の国が血眼になって欲しがる究極の外交カードを手に入れてしまったのだ。
「……ありがたき幸せ、魔女様」
アリスターは、立ち上がり、騎士が女王に忠誠を誓うように、完璧な、芝居がかった礼を執った。
「では、帰りなさい」
魔女は、手を軽く振った。
「あなたたちを、森の入り口へ戻します」
景色が、再び歪み始める。
「私を呼ぶ時は、『魔女様、お越しください』と言えばよろしい。イギリス国内であれば、現れましょう」
魔女は、最後に、少しだけ皮肉っぽく笑って付け加えた。
「……呼ばれないことを願いますが、まあ無理でしょうね。
いつでも私が現れていいように、最高級のお菓子と紅茶を、常に用意しておきなさい。……では、またね」
その、ひどく軽い別れの言葉を最後に。
アリスターたちの視界は、一瞬にして真っ白な霧に包まれた。
次に彼らが目を開けた時。
彼らは、森の入り口の、警察車両が並ぶ元の場所へと、完全に無傷で立っていた。
背後の森は、元の静かな針葉樹林に戻っている。
屋敷も、魔女も、どこにもない。
ただ、彼らの手元と、口の中には……先ほど飲んだばかりの、極上のアールグレイの香りと、スコーンの甘い余韻だけが、確かに残っていた。
セレスティアル・ウォッチの博士たちは、完全に呆然とし、計測器を落としそうになっていた。
「空間転移……? 位相移動? 現実の切り替え……?」
だが、今は分析よりも、報告だ。
石化から解除され、毛布に包まれて震えている兵士たちを乗せた救急車が、けたたましいサイレンを鳴らして走り去っていく。
その日、大英帝国は、一つの致命的な失態を、一つの【最大の外交成果】へと変えてのけた。
代償は、謝罪。
報酬は、紅茶と菓子。
そして得たものは――スコットランドの魔女という、神話に等しい上位存在の、気まぐれな庇護であった。
魔女は森にいた。
兵士を石にし、屋敷を出し、紅茶を振る舞い、国家と条件交渉をした。
もはや超常(アーティファクト)は、秘密でも伝説でもない。
それは、政府が謝罪し、外交官が交渉し、報酬を支払う【正式な隣人】となったのだ。
こうしてイギリス政府は、石化された兵士たちを取り戻し、森の魔女との対話に成功し、ついでに『公認魔女』まで確保した。
アメリカ政府は出し抜かれたことに激怒し。
日本政府はその図太さに頭を抱え。
魔女は、最高級の紅茶と菓子を要求した。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!