銀河皇帝のスペアに転生した元社畜、地球軌道上の要塞でネトゲ三昧の隠居生活を満喫する 〜足元では超大国が滅亡級の異星遺産を巡って暗躍中ですが、主人公(ぼく)の命は絶対安全なので特等席で傍観します〜 作:パラレル・ゲーマー
東京・永田町。首相官邸のさらに地下深く。
有事の際、国家の最高首脳陣のみが使用を許される極秘の防爆会議室は、本来ならばこれほど多種多様な民間人が足を踏み入れるような場所ではない。
『既存技術外生命倫理リスクに関する緊急ヒアリング』。
その、漠然とした、しかしどこか不穏な響きを持つ名目で集められた十数名の男女は、円卓に着いたまま、誰一人として口を開くことなく互いの顔を見合わせていた。
医療、生命倫理、憲法学、宗教学、経済学、国際法。さらには、障害者団体の代表、難病患者の家族会代表、そして世代を代表する若者と高齢者の有識者。
彼らは皆、それぞれの分野におけるトップランナーであり、普段であればテレビカメラの前や政府の審議会で、理路整然と意見を述べることに慣れきった人々である。
だが、現在の彼らを支配しているのは、知的な余裕ではなく、明らかな『困惑』と『不満』、そしてかすかな『恐怖』だった。
「……一体、何が始まるというのですか」
高名な生命倫理学の教授が、苛立ちを隠せずに声を上げた。
「入室前にスマートフォンや腕時計の類をすべて没収され、分厚い秘密保持契約書にサインさせられた。私は医療倫理の専門家として呼ばれたはずだ。国家安全保障の極秘会議に巻き込まれる筋合いはない」
「ここまで厳重な情報統制が必要なヒアリングなど、前代未聞です」
憲法学の権威である老教授も、眉間に深い皺を寄せて同意した。
その不満の声を、会議室の端に立つ沖田室長が、一切の感情を交えない冷徹な声で一刀両断にした。
「申し訳ありませんが、もうしばらくお待ちください」
沖田は、懐中時計で時間を確認しながら淡々と告げた。
「会議開始後、総理から直接、ご説明があります」
その「総理から直接」という言葉に、有識者たちは静まり返った。
事態の異常性は、誰の目にも明らかだった。
重い木製の防音扉が開き、矢崎総理が姿を現した。
その顔には、連日の対応による隠しきれないほどの深い疲労の影が落ちていたが、両目だけは、かつてないほどの鋭く、重い覚悟の光を宿していた。
総理の背後には、官房長官、厚生労働省、外務省、防衛省のトップ官僚たち、そして内閣情報官が続く。
円卓の隅には、いつものようによれたスーツを着た月刊ムーの三神編集長が、今日は珍しく一切の軽口を叩かず、静かにパイプ椅子に腰を下ろした。
矢崎総理は、最上座に着くと、前置きを切り捨てて単刀直入に切り出した。
「本日は、急な呼び出しにもかかわらずお集まりいただき、感謝いたします」
総理は、円卓の有識者たちを一人一人見据えた。
「……極めて重大な提案について、皆様の意見を伺うために集まっていただきました」
総理は、手元のファイルを広げることもなく、自らの口で、その『事実』を語り始めた。
「先日、我が国が管理下においている与那国島の既存技術外AI――『ガイアズ・ドリーム・プロトタイプ7』より、日本政府に対して一つの提案がありました」
有識者たちの顔つきが変わった。
与那国島のAI。それは、がん細胞を数十分で完全消滅させたという、現代医療を根本から覆す奇跡の治癒力を持つ地球外システムだ。
「彼女は、中国で行われている指導部による『仙人医療』を観測し、それが引き起こしている不公平な救済状況を、システム上のエラーであると判断したようです」
総理の声が、一段階低く、重くなる。
「そして、彼女は我々に、そのエラーを解消するための……【生体機能最適化プロトコル】の実施を提案してきました」
「生体機能、最適化……?」
がん専門医の権威が、聞き慣れない単語に首を傾げた。
「対象は、日本国籍を持つ市民『全員』です」
総理は、言葉の重みを一つ一つ置くようにして言った。
「実施方式は、全国民への一律適用か、希望者のみの適用の二択。……もちろん、完全な拒否も可能です。我々には、七日間の猶予が与えられています」
会議室に、ピンと張り詰めた沈黙が流れた。
だが、有識者たちの顔に浮かんでいるのは、驚愕というよりも、「何を言っているのか理解できない」という純粋な【戸惑い】だった。
「……あの、総理」
がん専門医が、困惑した笑みを浮かべながら口を開いた。
「すみません。それは……我々医療従事者が取り組むべき、数十年後の次世代医療技術の『開発計画』か何かの話ですか?」
科学技術担当の幹部が、即座に否定した。
「いいえ。……今この瞬間、システム側から『実施可能』な提案として提示されているものです」
「仮定の議論(思考実験)ではなく?」
憲法学者が、眼鏡の奥から探るように問う。
「仮定ではありません。現実の選択です」
沖田室長が、冷酷に答える。
「……全国民の生体機能を最適化する、とは?」
経済学者が、資料がないことに苛立ちながら問う。「病気になりにくい体づくりを推進する、といった比喩表現ですか?」
「残念ながら、比喩ではありません」
三神編集長が、静かに、しかし絶望的な事実を突きつけた。
「……老いと病を、取り除く」
矢崎総理が、AIの言葉をそのまま反復した。
「そんなことが……できるんですか?」
難病患者の家族会代表が、すがるような、しかし信じられないといった声で震えながら呟いた。
ここで。
矢崎総理は、有識者たちの「科学的常識」にしがみつこうとする防衛本能を、冷徹な一言で完全に叩き斬った。
「……本日の会議では」
総理の目が、射抜くように鋭く光る。
「それが『可能かどうか』は、絶対に議論しないでください」
全員が、息を呑んで総理を見た。
「恐らく……できるのでしょう」
総理は、深く息を吐き出した。
「私たちは既に、インドの『ソーマの雫』が死の川を一週間で蘇らせ、中国の仙人が末期癌患者を治し、そして……日本の空に降った謎の光が、東京を覆う怪物を消し去るのを見ています。
……もう、相手の提示した技術が『できるかどうか』を疑っている時間など、我々には残されていないのです」
総理は、両手をテーブルにつき、身を乗り出した。
「問題は、一つだけです」
「……それ(不老無病)を、受けるか、受けないか」
「そして……それを、国民に知らせるか、隠すか」
「……その議論を、してください」
その瞬間。
会議室の空気の質が、完全に変わった。
「ただの仮想演習ではない」「本当に、全国民の老いと病をなくすスイッチが、今、政府の手のひらの上にある」。
その事実を脳がようやく処理し始めた時。……各分野のトップランナーである有識者たちは、一見すると冷静な表情を保ちながらも、その内側で、自身が長年築き上げてきた『学問と常識の前提』が、音を立てて崩壊していくのを感じていた。
「……もし」
最初に口を開いたのは、がん専門医だった。
彼の手元で、無意識に握りしめられていたプラスチックのボールペンが、ピキッと嫌な音を立ててひび割れた。
「……もし、それが本当に可能であるのなら。
……小児がん病棟で苦しんでいる子供たちも。手の施しようがない膵臓がんの患者も。再発の恐怖に怯える人々も。……すべてが、救われます」
彼の声は、途中から微かに震えていた。
彼は医師だ。目の前の命を救うために人生を捧げてきた。その彼にとって、すべての病をなくすという提案を「拒否」することなど、魂が裂けるような苦痛を伴う。
「……ですが」
専門医は、自らの手で自分の存在意義を否定するように、乾いた声で続けた。
「もし病が消滅すれば。……我々の築き上げてきた『医療制度』というものは、今日この日をもって完全に終わります。いや、終わるというより……意味が、根本から変わってしまう」
「老いは、病なのでしょうか」
老年医学の権威が、虚空を見つめながら、哲学的な問いを口にした。
「私たちはこれまで、老いを受け入れ、いかに穏やかに最期を迎えるかを研究してきました。
……もし国家が、システムによって『老いを取り除く』ことを許可すれば。それは、人間の自然な過程(ライフサイクル)そのものを、システムのエラーとして『修正』することに他ならない。……我々は、人間という生物の定義を変えようとしているのです」
経済学者は、手元の白紙のメモ帳を見つめながら、突如としてフフッ、と乾いた笑い声を漏らした。
「……経済学の枠組みでは、もはや処理できませんね、これは」
彼は、顔を覆いながら言った。
「もし平均寿命という概念が消失し、全員が病気にならず働き続けられる体を手に入れたら。
……年金制度は、明日、秒単位で破綻します。介護産業も、医療保険も、生命保険も、前提となるリスク計算が成立しなくなる。
退職年齢、相続、住宅ローン、教育投資。我々が前提としていたライフプランのすべてがゴミになる。……これは経済政策ではありません。文明の完全なる再設計(スクラップ・アンド・ビルド)です」
「法学的な観点からも、悪夢としか言いようがありません」
憲法学者が、青ざめた顔で眼鏡を外した。
「国民への一律適用となれば、『身体への自己決定権』や『幸福追求権』に対する、国家による前代未聞の強制的身体介入となります。
……憲法は、国家が国民を『不老無病に改造する』事態など、一文字も想定していません」
「病を癒やすことは、神の慈悲です」
宗教界の代表が、祈るように両手を組み合わせながら、静かに、しかし強い危惧を込めて言った。
「しかし……老いと死そのものを、人間の手で(システムの力で)取り除くことが、本当に魂の救済なのでしょうか。それとも、神の領域を侵す、人間最大の傲慢なのでしょうか」
「私は、“最適化”という言葉が、心の底から恐ろしい」
障害者団体の代表が、怒りと、そして得体の知れない恐怖で声を震わせた。
「誰が、何を基準にして『最適』だと決めるのですか?
……もし、このプロトコルが実行された時。障害や、人とは違う身体の特性は、『取り除くべき欠陥(エラー)』として、正常化の名のもとに強制的に消し去られるのではないですか?
私たちは、また別の形で『不完全な者』として排除されるのではないですか」
有識者たちの言葉は、どれもが正論であり、どれもが絶望的な未来を正確に予測していた。
誰もが、この提案がパンドラの箱であることを理解している。
議論が混乱と恐怖の渦に沈みかけた時。
矢崎総理が、真っ直ぐに前を見据え、この会議の【真の目的】を投下した。
「……私は、この提案を、国民に説明する必要があると考えています」
その一言が落ちた瞬間。
会議室の空気が、爆発した。
「お待ちください、総理!!」
内閣情報官が、椅子を蹴るようにして立ち上がり、血相を変えて制止した。
「公表は危険すぎます! そんな情報を流せば、国内の秩序が数時間で崩壊します!」
「医療現場は完全に暴動状態になります!」
厚労省幹部が、悲鳴を上げる。
「すべての難病患者と、その家族が、『今すぐそのAIにアクセスさせろ』と病院や官邸に押し寄せてきます! 通常医療は完全にストップし、患者は治療を受けることを拒否して、AIの救済だけを待つようになる!」
「社会が、信仰的にも完全に真っ二つに割れます」
宗教界の代表が警告する。
「受ける者は『神の摂理を破った悪魔』と非難され、拒む者は『科学を否定する愚か者』と罵られる。血みどろの対立が起きます」
「市場は完全に停止します!」
経済学者が叫ぶ。
「医療、保険、製薬、介護、年金、労働。すべての市場が『先読み不能』となり、投資は凍結され、経済活動そのものが即死します!」
「国内だけの問題ではありません!」
外務省幹部が、外交的破滅を予測して青ざめる。
「世界中が、必ず我々を非難します!
中国が一日数十人を救っているだけで、世界中の富裕層が殺到してあの騒ぎになっているのですよ!?
……それを、『日本国民だけ全員を対象にする』などと発表すれば。世界は絶対に、それを許容しません。なぜ人類全体に技術を共有しないのかと、凄まじい制裁と圧力がかかります!」
「国際社会から見れば」
安全保障の専門家が、最も冷酷な見解を述べる。
「これは医療ではなく、『日本国民全員の身体能力・健康・寿命を強化する、国家規模の軍民両用強化計画』と見なされます。
……他国が、それを脅威と受け取り、先制攻撃の口実にする可能性すらあります」
「総理」
沖田室長が、実務のトップとして、深く頭を下げた。
「どうか、再考を。……この情報は、公表してはなりません」
有識者たちも、官僚たちも、全員が「公表すべきではない」という一点で見事に一致していた。
彼らの言うことは、すべて正しい。論理的であり、国家を守るための完璧なリスクヘッジだ。
だが。
矢崎総理は、そのすべての猛反対を静かに聞き終えた後。
ゆっくりと口を開いた。
「……皆さんの言うことは、すべて正しいと思います」
会議室が、一瞬だけ静まる。
「公表すれば、間違いなくパニックが起きるでしょう」
総理は、伏せていた目を上げ、全員を強い光を宿した瞳で見回した。
「日本は割れるでしょう。世界中から非難の的になるでしょう。
医療も、経済も、安全保障も、宗教も、家庭も……すべてが、根底から揺らぐでしょう」
総理は、一拍置き。
そして、決して曲がらない鋼の意志で、言い放った。
「……でも。それでも私は、公表します」
「総理……!」
沖田が、苦しそうにその名を呼ぶ。
「これは……」
矢崎総理の目に、薄っすらと涙が滲んでいた。だが、声は震えていなかった。
「これは、我々が密室で勝手に決めていい話ではないのよ」
総理は、自らの胸を叩くようにして、為政者としての根源的な恐怖と責任を吐露した。
「……いま、この瞬間にも。病室で痛みに苦しみ、死にかけている人たちがいる」
「難病に苦しむ子供たちがいる」
「認知症で、愛する家族の顔を忘れていく親がいる」
「老いに絶望し、ただ死を待つしかない人たちがいる」
総理の悲痛な叫びに、がん専門医が目を伏せ、患者家族の代表がポロポロと涙をこぼした。
「その人たちを、確実に救えるかもしれない『選択肢』が、ここにあったのに。
……パニックが怖いから、社会制度が壊れるのが怖いからと。政府が、密室でそれを黙って握り潰した」
総理は、円卓の全員を睨みつけた。
「……それを、後で国民が知った時。
国家は、どうやって国民の信頼を取り戻すと言うのですか!」
誰も、答えられなかった。
「私は、この提案を『受け入れる』と言っているのではありません。
『拒否しない』と言っているのでもありません。
……ただ、国民に知らせず、“なかったこと”には絶対にできない、と言っているのです」
これが、矢崎薫という政治家の、真骨頂であった。
彼女は、効率や安全よりも、民主主義というシステムが持つ『責任の共有』を選んだのだ。
「……しかし、総理」
内閣情報官が、最後の抵抗を試みる。
「公表すれば、もはや後戻りはできません。情報が海外に漏れれば、世界中の政府や武装組織、カルト教団が日本へ向かってきます」
「日本人だけが救われるという構図は、世界が耐えられません」
国際法学者が警告する。
「人類共有の財産を独占したとして、外交関係そのものが完全に崩壊します」
さらに、会議室では、当事者である国民の『分断』のリアルな声が噴出し始めた。
「……若者の席は、どうなるんですか?」
若者代表として呼ばれた気鋭の社会学者が、震える声で問うた。
「高齢者が老いなくなって、永遠に働き続けられるようになったら。……僕たち若い世代は、いつまで経っても社会の上に上がれない。少子高齢化が解決するんじゃなくて、高齢者が永遠に上に居座るだけの、閉塞した社会になるだけじゃないですか」
その言葉に、高齢者代表の識者が、静かに反論する。
「私たちだって、若者の未来を奪いたいわけではありません。
……でも、病気で寝たきりにならず、誰にも迷惑をかけず、最後まで自分の足で生きていられるなら。……その技術を受けたいと思うことは、罪なのですか?」
患者家族の代表が、涙を拭いながら立ち上がった。
「社会が壊れる恐怖は分かります。……でも、私の子供は、社会が壊れる前に死ぬかもしれないんです!
もし救える方法があるなら、知らせてほしい。受けるかどうかは、その後に私たちが考えます。……でも、知らせてもらえないまま子供が死んだら、私は一生、政府を許せません!」
「私は、公表すべきだと思います。……しかし」
障害者団体の代表が、悲痛な声で訴える。
「『最適化』という言葉をそのまま使うのなら、我々は反対します。
……最適化を拒む人間は、“劣っている(直すべきエラーである)”という差別が、必ず生まれます。受けた人と受けない人の間で、結婚も、雇用も、教育も、すべてが壊れるのです!」
若者と高齢者。
健常者と障害者。
健康な者と、死にゆく者。
社会のあらゆる属性が、この「究極の選択肢」を前にして、それぞれの立場で全く異なる地獄を抱え、完全に割れていた。
沖田室長は、ホワイトボードの前に立ち、無表情のままマーカーを走らせた。
「……議論を整理しましょう。我々に与えられた選択肢は、三つです」
沖田は、冷酷なまでに事実だけを書き出した。
『選択肢A:全国民一律適用』
メリット:不公平が最も少ない。医療・年金制度の再設計を一括で行える。「選ばれなかった者」の不満は生じない。
地獄:国家による強制的身体改変。宗教・思想・身体自己決定権の完全な侵害。乳児や認知症患者への強制適用の倫理問題。拒否権がなければ完全な独裁。世界からは「日本人だけが新人類に強化された」と見なされる。
『選択肢B:希望者のみ適用』
メリット:自己決定権の尊重。拒否派も共存可能。民主主義的な手続き。
地獄:最適化を受けた者と受けない者による、完全な『階級分断』。未最適化者への深刻な差別。企業や学校が実質的に最適化を強要する可能性。親子間での強制。「自分は受けたくないが子供には受けさせたい」という倫理的矛盾。スポーツ、雇用、軍事、医療資格の前提崩壊。
『選択肢C:完全拒否』
メリット:社会制度の急変を避ける。国際的な衝撃と摩擦を抑えられる。人間の自然な在り方(死生観)を守る。
地獄:救えるはずの数百万の命を見殺しにする。後で隠蔽が発覚した場合、政府への信頼は完全に崩壊し、革命レベルの暴動が起きる。絶望した国民が直接AIに救済を求めた場合、国家が国民の救済を武力で止める(殺す)事態に発展する。
沖田が書き終えると、会議室は再び重苦しい沈黙に沈んだ。
どの選択肢にも「正解」はない。ただ、どの種類の地獄を選ぶかというリストでしかなかった。
「……どれを選んでも、地獄ですね」
円卓の隅で、三神編集長が、まるで他人のテストの答案を見るように、静かに言った。
誰も、その言葉を否定しなかった。
三神は、缶コーヒーを弄りながら、総理を見つめた。
「ですが。……最悪なのは、地獄であることを隠したまま、密室で誰かが勝手に『正解』を選んでしまうことです」
総理が、ハッとして三神を見る。
「選択肢Aは、国家による神の真似事です」
三神は、淡々と指摘する。
「選択肢Bは、国民同士の凄惨な選別です。
そして選択肢Cは、救える命の計画的な見殺しです。
……どれも正解ではありません。
だからこそ、この密室で“これが正解だ”と処理して隠蔽した瞬間に。……日本の『政治』は、完全に終わります」
その言葉は、矢崎総理の「公表する」という決意を、これ以上ないほど強力に補強するものだった。
最初は「絶対に公表するな」と強硬に反対していた有識者や官僚たちも、三神の指摘と、先ほどの患者家族の涙の叫びを聞いて、少しずつ現実的な方向へとシフトし始めていた。
「……公表するにしても、どうやって?」
外務省幹部が、頭を抱えながら問う。
「いつ、どこまで公表するのか。与那国AIの名前を出すのか。日本国籍者全員対象という条件をそのまま出すのか。
……世界への説明はどうするのですか。中国やアメリカに、どう納得させるのですか」
「自衛隊や警察、医療機関への事前通達は必須です。暴動が起きます」と警察庁幹部。
「国会への報告は? 与野党党首会談は? 天皇陛下へのご説明は必要では?」と官房長官。
議論は、もはや「公表するか否か」から、「公表によるダメージをどうコントロールするか」という、さらに複雑で具体的な地獄のフェーズへと突入していった。
数時間の激論の末。
誰も、明確な結論(正解)を出すことはできなかった。
「……総理。結論は出ません」
沖田室長が、疲れ切った声で報告した。
「分かっています」
矢崎総理も、深い疲労を滲ませながら頷いた。
「今日は、結論を出す会議ではありません。……国民に説明するために、どれだけの『地獄(問題点)』があるかを確認するための会議です」
「地獄の棚卸し、ですね」
三神が、ポツリと呟く。
「言い方」
沖田が、鋭く三神を睨む。
矢崎総理は、最終的な方針を決定した。
「有識者会議は、継続します。各分野ごとに、二十四時間以内に論点整理を提出してください。
……並行して、与野党党首への極秘説明の準備。アメリカへの事前通告のタイミングの検討。
医療機関、警察、自治体向けの、緊急対応マニュアルの作成。
情報が漏れた場合の、即時対応案の策定。
……そして、ガイアズ・ドリーム・プロトタイプ7に、七日間という期限の延長が可能かどうか、打診を検討します」
総理は、円卓の全員を力強く見渡した。
「公表します。
……ただし、無防備な形では出さない。国民に問うための準備を、全力で整えます」
反対派の官僚たちも、もはや総理の決意が覆らないことを悟り、重く、沈痛な面持ちで頷いた。
***
会議が終了し、有識者たちが重い足取りで退出していく中。
会議室には、矢崎総理と三神編集長だけが残された。
総理は、テーブルの上に散乱した資料を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……三神さん。私は、間違っているのかしら」
三神は、立ち上がり、少しだけ肩をすくめて答えた。
「たぶん、どの選択も間違っていますよ」
総理は、苦笑した。
「容赦ないわね」
「ですが」
三神は、珍しく優しい声で言った。
「密室で救いを握り潰すよりは……間違いを、国民全員と共有する方が。まだ、民主主義らしいじゃありませんか」
「民主主義は……こんな途方もない問いに、耐えられるのかしら?」
「分かりません」
三神は、首を横に振った。
「でも……耐えられるかどうか、試される時が来てしまったのでしょうね」
官邸の地下から、地上へと向かうエレベーターの中。
乗り合わせた有識者たちは、誰一人として言葉を交わさず、それぞれの脳内で全く違う「未来の地獄」を想像していた。
がん専門医は、救われるはずの患者の顔を思い浮かべて唇を噛んだ。
憲法学者は、「人間の自由とは何か」と、手元の六法全書を握りしめながら自問した。
宗教家は、ただ目を閉じて祈った。
経済学者は、崩壊する市場の数字を計算し直すことを、完全に諦めた。
患者家族代表は、涙を拭き、戦うために強く拳を握りしめた。
障害者団体代表は、「最適化」という暴力的な言葉を絶対に許さないと心に誓った。
若者代表は、自分たちの未来の席が完全に消滅する恐怖に震えた。
高齢者代表は、もう一度自分の足で痛みなく歩ける未来を想像し、胸を熱くした。
エレベーターが地上に到着し、彼らが官邸の外へ出ると。
そこには、いつもと変わらない、平和な東京の夜景が広がっていた。
駅では終電を逃した会社員がため息をつき。
病院では夜勤の看護師がナースコールに走り回り。
介護施設では、老人が浅い眠りの中で家族の名を呼んでいる。
誰も、まだ知らない。
老いと、病と、死に対して。
国家が初めて「拒むか、受け入れるか」という究極の選択を突きつけられたことを。
地獄の釜の蓋は、まだ完全には開いていない。
だが、その縁には、すでに日本という国の指が、しっかりと掛けられていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!