銀河皇帝のスペアに転生した元社畜、地球軌道上の要塞でネトゲ三昧の隠居生活を満喫する 〜足元では超大国が滅亡級の異星遺産を巡って暗躍中ですが、主人公(ぼく)の命は絶対安全なので特等席で傍観します〜   作:パラレル・ゲーマー

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第124話 平和主義の兵器

 東京、永田町。

 首相官邸の地下深くに位置する、既存技術外事象評価セルの特別会議室。

 通常であれば各省庁のトップがずらりと並ぶこの部屋も、今は矢崎薫総理、沖田室長、そして月刊ムーの三神編集長という、アーティファクト事案における中核メンバーのみが極秘裏に集められていた。

 

 分厚い防音扉に守られた空間で、壁面の大型モニターには、数時間前にイギリス政府から『限定共有』として送られてきたばかりの、数十本に及ぶ実験映像のファイルが並べられていた。

 

 それは、アシュワース財団から寄贈された《平和の檻(パックス・ケージ)》という、世界を揺るがすアーティファクトの初動検証記録であった。

 

 映像の中では、目を疑うような異常な事象が淡々と記録されている。

 相手を殴ろうとして苦悶の表情で腕を止める特殊部隊員。

 実刃のナイフを振り下ろそうとして、見えない力で不自然に軌道を逸らされる兵士。

 引き金に指をかけることすらできず、ライフルを取り落とす射手。

 部下へ攻撃命令を下そうとして、言葉が詰まり喉を押さえてうずくまる将校。

 標的をロックオンした瞬間に、空中で完全停止して墜落する自律AIドローン。

 人間を害しようとした瞬間に気脈を閉じられ、膝をつく中国の仙人。

 機械化された腕の攻撃動作だけがシステムからすっぽりと抜け落ち、呆然とするロシアのサイボーグ兵。

 さらには、AI兵器のログ画面に冷酷に表示される『Execution denied(実行、拒否)』の文字列。

 

 会議室は、鉛のような重い沈黙に包まれていた。

 映像がすべて再生され終わり、モニターが暗転しても、誰もすぐには言葉を発することができなかった。

 

「……以上が、イギリス政府から共有された実験記録です」

 沖田室長が、乾いた喉を鳴らして報告の口火を切った。

「現時点において、少なくとも人間同士の『直接的かつ殺傷的な暴力』については、極めて高い精度で抑制可能であると見られます。

 また、機械、遠隔操作、自動兵器、さらには仙人のような超常能力を用いた攻撃であっても。そこに人間の『害意の因果』が少しでも介在している限り、ほぼ例外なく阻害される可能性が高いとのことです」

 

 矢崎総理は、組んだ両手の上に顎を乗せ、暗くなったモニターをじっと見つめていた。

 数日前に、日本国民に対して『不老無病』という神の果実を突きつけ、五日間の地獄の議論の末に血を吐くような思いでそれを拒否したばかりの彼女にとって。

 息をつく間もなく突きつけられた新たな『問い』の重さは、もはや為政者一人の精神力で耐え切れる限界を超えようとしていた。

 

「……確かに、これは世界を壊すわね」

 総理は、深い疲労の滲む声で呟いた。

 

 一拍。

 彼女は、視線を上げ、モニターから沖田へと向き直った。

 

「……でも。人類の目線から見れば、これは本当に『素晴らしいもの』に見えるわ」

 

 その言葉が、今回の地獄の議論の幕開けであった。

 

 総理は、率直な、一人の人間としての感情を口にした。

「これがあれば、泥沼の戦争が明日にも止まるかもしれない。テロも、無差別な銃乱射も、政治家の暗殺も、理不尽な家庭内暴力も、罪なき民の虐殺も。すべて止めることができる。

 ……先日流出したアポロンの矢の劣化版も、人間には撃てなくなるわ。子供たちが、空からの爆撃や凶弾で命を落とすこともなくなる」

 

 総理の瞳には、為政者としての冷徹さではなく、純粋な希望のような光が宿っていた。

「……これは、人類が有史以来、ずっと神に祈り、望み続けてきたものではないの?」

 

 その問いかけに、同席していた官房長官も、深く頷きながら同意しかけた。

「一般市民の目線から見れば、これほど歓迎すべき装置はありません。……少なくとも、現在進行形で暴力の被害に苦しんでいる人々にとっては、これ以上ない『絶対的な救い』に見えるはずです」

 

「ええ」

 警察庁長官もまた、苦い顔をしながらもその効果を否定しきれずにいた。

「もしこの檻の範囲が日本全土を覆えば。児童虐待、DV、通り魔、暴力団の凄惨な抗争、銃器犯罪……すべてが、物理的に劇的に減少する可能性があります。

 ……現場で日々、凄惨な事件に向き合っている警察官としては。……正直、夢のようなシステムです。誰も血を流さずに済むのですから」

 

 防衛大臣だけは、ただ一人、深く腕を組み、押し黙っていた。

 なぜなら、その「誰も血を流さない夢の世界」の実現は、他でもない自衛隊(軍事力)の存在意義そのものを、根底から不要なものへと解体してしまうことを意味していたからだ。

 

 誰もが、この《平和の檻》の持つ圧倒的な『善性』に、目を奪われかけていた。

 人を殺させない。傷つけさせない。

 それは、いかなる宗教も、法律も、政治も成し得なかった、究極の理想の実現に他ならない。

 

「そうですねぇ」

 

 その時。

 会議室の重苦しい空気を切り裂くように、三神編集長が、配られた資料をパラパラとめくりながら、ひどく間の抜けた声を上げた。

 

「十中八九。……これは、【平和主義のアーティファクト】です」

 

「平和主義……」

 総理が、その耳障りの良い言葉を反芻するように呟く。

 

「ええ」

 三神は、よれたスーツのポケットから缶コーヒーを取り出し、プルタブを開けた。

 

「……因果律に直接介入して、『暴力』という概念そのものを物理的に封じ込める【兵器】ですね」

 

 総理が、ピクリと眉をひそめた。

「……兵器?」

 

「三神さん」

 官房長官が、咎めるような視線を向けた。

「素晴らしいアーティファクトではないのですか? あらゆる暴力が根絶するというのに、兵器という物騒な表現は不適切では……」

 

 三神は、缶コーヒーを一口飲み、小さく笑った。

 その笑みには、人類の歴史の裏側を覗き込みすぎた者特有の、冷たく、そして酷薄な響きがあった。

 

「根絶するのは、少なくとも『直接的な暴力』だけです。……支配そのものが消えるわけではありません」

 三神は、空になった缶をテーブルにコツンと置いた。

「……そして、私は『兵器』と申し上げました。

 人間の自由意志に介入し、その行動選択を外部から強制的に書き換えるようなシステムは。……弾が出るか出ないかにかかわらず、十分に兵器と呼ぶべき代物です」

 

 ここで、会議室の空気が『希望』から『危険な罠』へと、一気に温度を下げて反転した。

 

 三神は、手元のタブレットを操作し、モニターの端に、先ほどのアシュワース卿のビデオメッセージの一部をリプレイさせた。

 

『……しかし、諸君。弱者が最後に握る抵抗もまた、暴力であることを忘れてはなりません』

 

 上品な老紳士の、毒を含んだ忠告が、再び会議室に響き渡る。

 三神は、モニターを指差した。

 

「あのアシュワース卿は、ちゃんと我々に『問題文』を出しています。

 『人類は、強制された平和を受け入れるか』と。……そして、その問題文の中には、こういう極めて意地悪な意味が含まれている」

 

 三神の目が、総理を真っ直ぐに射抜いた。

 

「……『弱者が最後に頼るものもまた、暴力だ』、と」

 

「……暴力は、悪でしょう」

 総理は、為政者としての建前ではなく、一人の人間としての倫理観で反論した。

「いかなる理由があろうとも、人が人を傷つけることは、許されるべきではないわ」

 

「ええ。ほとんどの場合、暴力は悪です」

 三神は、あっさりと肯定した。

「……ですが。人類の歴史上、『暴力によってしか止まらなかった悪』が存在するのもまた、事実です」

 

 三神は、淡々と、残酷な歴史の事実を列挙し始めた。

 

「……ナチスの狂気を止めたのは、平和的な対話やテーブルでの交渉ではありません。圧倒的な暴力の行使です。

 侵略軍を国境から追い返したのも、決して道徳的な説得ではありません。

 ルワンダの虐殺を止めるために必要だったのも、最終的には軍事介入という暴力です。

 独裁者を玉座から引きずり下ろした数々の市民革命も、その過程には必ず暴力を含んでいます」

 

 三神は、総理の目から視線を外し、警察庁長官を見た。

「警察が、無差別テロを目論む凶悪犯を制圧するのも、暴力です。

 ……親が、我が子を守るために、刃物を持った暴漢へ体当たりをするのも、暴力です」

 

「……自衛権そのものが、究極の暴力です」

 ずっと押し黙っていた防衛大臣が、絞り出すように口を開いた。

 

「その通りです」

 三神は頷く。

 

「警察権も、最終的には国家が独占する強制力(暴力)だ」

 警察庁長官も、苦渋の表情で認める。

 

 三神は、静かに結論を口にした。

 

「……暴力が悪であることと。

 暴力を完全に奪い去れば世界が良くなることは。

 ……まったく、別の話です」

 

 会議室に、逃げ場のない重い沈黙が降りた。

 

 三神は、さらに一歩踏み込み、少し嫌な言い方をした。

「……人類という種は、残念ながら。他者と『争う』ことしかできない種族です」

 

「三神さん、それは言い過ぎでは」

 沖田室長が、顔をしかめて制止しようとする。

 

「ええ、かなり悪意のある言い方です」

 三神は肩をすくめた。「でも、完全に外れてもいないでしょう」

 

 三神は、人類の歩んできた血塗られた歴史を整理する。

「人類は、話し合い、交易、法制度、宗教、外交、契約、教育……そういった美しい手段『だけ』で歴史を進めてきたわけではありません。

 同時に。戦争、革命、暴動、抵抗、弾圧、暗殺、反乱、軍事的抑止、警察権の行使……そういった数え切れない『暴力』によっても、歴史の歯車を回し、秩序を塗り替えてきたのです」

 

 三神の言葉は、冷たい氷の刃のように、政府高官たちの胸に突き刺さる。

 

「……人類の歴史から『暴力』という概念を完全に根こそぎ抜いてしまったら。現代の国家の形も、国境線の意味も、社会制度も、おそらく一日として成立しません。

 もちろん、それは人間として決して誇れるような話ではありません。……ですが、それが現実です」

 

 矢崎総理は、返す言葉を見つけられず、ただ黙って唇を噛み締めていた。

 

 沖田室長が、重苦しい空気を切り替えるように、ホワイトボードの前に立ち、マーカーを手にした。

「……感情論は一旦置きましょう。《平和の檻》が地球規模で発動した場合の、具体的な『社会の変容』を想定します」

 

 沖田は、ホワイトボードにいくつかの項目を書き出した。

 

『1.軍隊の変容』

 

「軍隊は、他国からの武力攻撃を抑止し、いざとなれば武力を行使することを前提に存在しています」

 防衛大臣が、苦々しい顔で言う。「……暴力が封じられるのなら、我々自衛隊(軍隊)は、一体何をする組織になるというのですか」

 

「……災害救助隊、大規模な工兵隊、国際物流の支援組織、あるいは非武装の国境監視組織になるでしょうね」

 三神が、容赦なく未来図を提示する。

「兵士というより、国家規模の『重機作業員』です。武力による抑止力という概念は完全に消滅します」

 

 防衛大臣は、屈辱と、そして誰も殺さずに済むという微かな安堵の入り混じった、複雑すぎる表情をした。

 

『2.警察権の制限』

 

「暴力犯罪が止まれば、現場の警察官の命の危険は消え、役割も激減するでしょう」

 警察庁長官が、渋い顔で分析する。

「しかし、特殊詐欺、監禁、経済犯罪、サイバー攻撃、そして権力者による合法的な犯罪は、決してなくなりません。むしろ、我々はそれらを『力ずく(強制捜査)』で制圧する手段を失うことになります」

 

「ええ」

 三神が頷く。

「直接的な物理暴力が封じられた分、人間の悪意は別の形へ変容します。情報の隠蔽、法を悪用した弾圧、経済的搾取、洗脳……。非暴力的な『支配』は、むしろ増加するかもしれません」

 

『3.国家と権力の固定化』

 

「……国家権力そのものは、どうなりますか」

 沖田が、核心を突く。

 

「軍事クーデターは起こせなくなります」

 三神が、冷徹に答える。

「市民による武力革命もできない。要人の暗殺もできない。暴動すら起こせない。

 ……つまり、発動した瞬間に『すでに権力を握っている側』の体制が、極めて強固に、そして永久に【固定】されます」

 

 総理が、ハッとして顔を上げる。

「……国家の体制という概念が、永久に固定される……?」

 

「その可能性は、極めて高いでしょう」

 三神が、冷酷な真理を突く。

「《平和の檻》は、単に暴力を封じるだけではありません。

 ……『暴力によって、現状を変える手段』を、人類から永遠に封じ込める装置です」

 

 三神は、具体的な絶望のシナリオを並べ立てた。

 

「独裁政権を、民衆が武力で打ち倒すことはできなくなります。

 他国に経済的・法的に実効支配された時、銃で抵抗することはできません。

 ジェノサイド(虐殺)を企む者が、法制度を使って合法的に人々を収容所へ送り込んでも、外部からの軍事介入で止めることはできません。

 ……監禁された被害者を、力ずくでドアを破って救出することすら、システムに『暴力』と判定されれば不可能になるかもしれないのです」

 

 三神の言葉は、この装置の裏側にある【現状固定の檻】という正体を、見事に抉り出していた。

「武装抵抗が消える。市民革命が消える。……弱者が、強者の理不尽に対して最後に握りしめる、抵抗の刃が消えるのです」

 

「……でも」

 総理は、それでもまだ希望を捨てきれないように反論した。

「……暴力による悲惨な革命がなくなるのなら。それはやはり、平和なのではないの?」

 

 三神は、少しだけ哀しそうな目をして、総理を見た。

「総理。……血を流す革命が必要になる社会は、その時点ですでに、平和ではありません。

 ……そこから『革命(暴れる自由)』だけを奪えば。残るのは平和ではなく、ただの【沈黙】です」

 

 その台詞は、矢崎総理の胸の奥底に、鋭い棘のように突き刺さった。

 

 総理は、深く息を吐き出し、視線を落とした。

「……それでも」

 彼女は、為政者としての大局観と、一人の人間としての感情の狭間で揺れ動いていた。

「……それでも、一般市民の多くは、この装置を歓迎するでしょうね」

 

「もちろんです」

 三神も、それは否定しなかった。

 

「夜道を歩いていて、通り魔に刺されない。

 学校にいる子供が、乱射事件の凶弾で撃たれない。

 妻が、夫の理不尽な暴力に殴られない。

 一般人が、自爆テロに巻き込まれない。

 ……それを望まない市民が、果たしているかしら」

 

「ほとんど、いないでしょう」

 三神は、静かに同意した。

 

「なら」

 総理は、恐ろしい未来を予測して言った。

「……もし、この檻を『壊す』と決めた国は。……世界中の人々から、永遠に恨まれることになるわね」

 

「ええ」

 三神の言葉が、冷酷に響く。

「《平和の檻》を壊した者は。……将来、世界のどこかで起きるすべての殺人と、すべての戦争のたびに、遺族からこう言われ続けるでしょう。

 『あの装置を残しておいてくれれば、この人は死なずに済んだのに』……と」

 

 会議室の空気が、これ以上ないほど重く、息苦しいものになった。

 

 破壊すれば、未来のすべての死の責任を負わされる。

 解放すれば、人類は現状固定の檻の中で、二度と抵抗できない家畜となる。

 

 三神は、そこでふと、自分自身に呆れたように苦笑いをこぼした。

 

「……おっと。悪いことばかり言ってしまうのは、私の悪い癖ですね。駄目ですね、これは」

 

「珍しいわね」

 総理が、微かに驚いたように言う。「三神さんが、自分で自分の発言を止めるなんて」

 

「今回は、片方の側面だけを見ると、致命的に間違えますから」

 三神は、居住まいを正し、今度は《平和の檻》がもたらす『真の恩恵』を、真摯な言葉で整理し始めた。

 

「この装置によって救われるものは、確かに存在します」

 三神は、ホワイトボードに書き出していく。

 

『戦争孤児の発生防止』

『都市の爆撃からの保護』

『家庭内暴力(DV)の被害者救済』

『通り魔や無差別殺傷の防止』

『暴力団抗争の一般市民の巻き添え防止』

『学校での肉体的ないじめの根絶』

『政治家や要人の暗殺防止』

『アポロンの矢・劣化版による民間人への被害抑止』

『武装強盗の無力化』

『性暴力のうち、物理的な暴力を伴うものの阻止』

 

 三神は、書き終えたボードを見つめながら言った。

「……これだけの悲劇を、明日からでも確実に止められると言われれば。使いたいと思うのは、人間として当然の感情です。

 《平和の檻》を求める人々を、思考停止しているとか、愚かだとか、そう簡単に切り捨てることは絶対にできません。

 ……むしろ、彼らの声こそが、人間としての最も純粋で、切実な祈りです」

 

 だからこそ、アシュワース卿の問いは悪辣なのだ。

 完全な悪の兵器であれば、誰もが迷わずに破壊できる。

 だが、これは『究極の善』を内包している。だからこそ、壊すことに血を流すほどの痛みを伴う。

 

「……最終的に、これを所有しているイギリスが『破壊』を選ぶとして……」

 防衛大臣が、沈鬱な声で先の展開を予測する。

 

「まだ、イギリスがそう決めると決まったわけではないわ」

 総理が嗜める。

 

「ですが」

 三神が、冷徹に指摘する。

「アシュワース卿は、『封印』という逃げ道を明確に許していません。

 開けるか、壊すか。二つに一つです。

 ……地球全土へ開けるなら、人類全体を永遠の檻へ入れることになる。

 壊すなら、これから救えたはずの無数の命を、未来永劫切り捨てることになる」

 

「……あまりにも、重すぎる……」

 沖田室長が、額の汗を拭いながら呻いた。

 

「第一問の万象器は、我々はギリギリで『封印(臭いものに蓋をする)』ことができました」

 三神は、皮肉めいた笑いを浮かべる。

「しかし、第二問は、その『封印』そのものを、問いの逃げ道として完全に潰してきました。……アシュワース卿、本当に性格が悪いですね」

 

「……魔女様が、あの男を“意地悪”と言った意味が。今になって、本当によく分かるわ」

 総理は、深い溜息をついた。

 

 沖田室長が、事務方のトップとして、現実的な確認を行う。

「総理。……日本政府としての立場は、どういたしますか。世界中が、我が国の声明を待っています」

 

 総理は、数秒間、目を閉じて深く思考の海に沈み……やがて、目を開けた。

 

「……現時点では、明確に『破壊支持』も『使用支持』もできない。どちらかに振れるには、リスクが大きすぎる。

 無難ではあるけれど、公式声明を準備してちょうだい」

 

『日本政府は、《平和の檻》の実験結果について、重大な関心と深い懸念を持って受け止める。

 本装置は、戦争やテロ、暴力犯罪を抑制し、多くの命を救う絶大な可能性がある一方で。人間の自由意志、正当防衛、不当な支配への抵抗権、警察権、軍事的自衛権、そして国家主権のあり方に、根本的な影響を及ぼす可能性がある。

 地球規模での使用、または恒久破壊の最終的な判断については、特定国家の単独ではなく、国際社会全体で極めて慎重に議論すべきである』

 

「……ただし」

 総理は、言葉の尻に強い決意を込めた。

「最後の決断(ババ抜き)を、現物を押し付けられたイギリスだけに丸投げするようなことは、絶対にできないわ。我々も、当事者としてこの問いに答えを出さなければならない」

 

「ええ。ですが、現物を握っているのはイギリスです」

 三神が言う。

 

「……またイギリス政府が、胃に穴を空けることになるわね」

 総理は、同盟国の首相の顔を思い浮かべ、同情とも共感ともつかない苦笑を漏らした。

 

 会議の終盤。

 三神編集長が、席を立ち上がりながら、最後に静かに言った。

 

「……総理。

 《平和の檻》は。おそらく人類の歴史上、最も【平和的な兵器】です」

 

「……平和的な、兵器」

 総理が、その矛盾した言葉を反芻する。

 

「ええ」

 三神は、どこか遠くを見るような目で、その装置の本質を突いた。

 

「誰も殺さない。

 誰にも撃たせない。

 誰にも殴らせない。

 誰にも、血を流させない」

 

 三神の言葉が、会議室に冷たく響く。

 

「……だからこそ、最も恐ろしいのです」

 

「……人を殺さないから、恐ろしい?」

 

「はい」

 三神は、総理を真っ直ぐに見つめ返した。

「人を殺す兵器(核兵器やアポロンの矢)なら、人類は本能的に警戒し、排除しようとします。

 ……でも、人を『救う』兵器は。大衆から熱狂的に歓迎され、自ら進んで受け入れられます。

 そして……熱狂的に歓迎されたまま。静かに、優しく、人間の自由を首輪で縛り上げるのです」

 

 総理は、息を呑んで黙り込んだ。

 

「……【善意の檻】ほど、外からは綺麗に見えるものです」

 

 その三神の最後の言葉は、総理の心に、決して消えない深い傷痕を残した。

 

 




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