銀河皇帝のスペアに転生した元社畜、地球軌道上の要塞でネトゲ三昧の隠居生活を満喫する 〜足元では超大国が滅亡級の異星遺産を巡って暗躍中ですが、主人公(ぼく)の命は絶対安全なので特等席で傍観します〜   作:パラレル・ゲーマー

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【ネットの反応】Cicada 3301とは何者だったのか?

【第1章 翌朝、世界は「Cicada 3301」を検索した】

 

 それは、人類の歴史上、最も不気味で、そして最も多くの人間が『同じ言葉』を検索した朝だった。

 

 昨夜、日本時間の午後8時ジャスト。

 世界中のテレビ、スマートフォン、パソコン、街頭ビジョン、ありとあらゆる電子ディスプレイが同時にブラックアウトし、蝉の鳴き声のような高周波ノイズと共に、一つの声明が全人類に向けて強制的に配信された。

 

『我々は、多数のアーティファクトを所持している』

『我々は、星間文明のテクノロジーを手に入れた』

『我々は、あらゆる場所に入ることができる。……存在しない存在になったのだ』

 

 そして彼らは、顔にモザイクをかけた姿で、アメリカ大統領やロシア大統領の背後に音もなく立ち、ピースサインで自撮りをするという、狂気じみた「証拠映像」を見せつけた。さらには、世界中の名所から名所へと一瞬で空間跳躍(テレポート)を繰り返す実演まで行い、最後に『Cicada 3301』と名乗って放送を打ち切ったのだ。

 

 一夜明けた今日。

 世界最大手の検索エンジンのトレンドランキングは、完全に異様な文字列によって埋め尽くされていた。

 

 1位:Cicada 3301

 2位:Cicada 3301 とは

 3位:Cicada 3301 本物

 4位:3301 2012

 5位:3301 4chan

 6位:Liber Primus

 7位:PGP signature 3301

 8位:大統領 自撮り ワープ

 9位:存在しない存在

 10位:君の後ろにいるかも

 

 日本の朝のニュース番組も、各局が急遽予定を変更し、この前代未聞のサイバー・テロ(あるいは超常的テロ)事件の特集を一斉に組んでいた。

 

「……というわけで、昨夜、世界中をパニックに陥れた正体不明の集団ですが」

 ワイドショーの司会者が、疲れた顔で巨大なフリップを指し示した。そこには、ノイズ混じりの画面に浮かんだ『蝉』のマークが印刷されている。

「彼らは自らを『Cicada(シカダ) 3301』と名乗りました。……私はてっきり、アーティファクトの力を手に入れた新しいテロ組織が、昨日初めて名乗った名前だと思っていたんですが。専門家の方によりますと、そうではないと?」

 

 司会者に話を振られ、隣に座っていたITジャーナリスト兼コメンテーターが、ひどく神妙な顔つきで頷いた。

「ええ、違います。インターネットの歴史やサイバーセキュリティに詳しい人間からすれば……『Cicada 3301』という名前は、知らない者がいないほど超有名な名前なんです」

 

「有名な名前?」

 スタジオのタレントゲストたちが、一斉に怪訝な顔をする。

「それって、有名なハッカー集団とか、アノニマスみたいな組織ってことですか?」

 

「いえ、実態はもっと奇妙です。……これは、十年以上も前からインターネット上に存在している、世界最大級の『未解決暗号パズル』の名前なんですよ」

 コメンテーターは、手元のタブレットを操作しながら説明を続ける。

「始まりは2012年の1月4日。海外の巨大匿名掲示板である『4chan』に、突如として一枚の画像が投稿されました。そこには、『我々は高度に知的な個人を探している。そのためのテストを考案した』というメッセージが書かれていたんです」

 

「はあ……知的な個人を探すテスト?」

「はい。その画像の中には、ステガノグラフィと呼ばれる技術を使って、別の暗号へのリンクが隠されていました。それを解くと、さらに難解な暗号が現れ、マヤ数字、古代の暗号方式、サイバーパンク文学からの引用、さらには世界中の現実の街角の電柱に貼られたQRコードへと、どんどん謎が連鎖していく……という、途方もない規模のパズルでした。それが、2013年、2014年と、繰り返しネット上に出現したんです」

 

 司会者が、理解が追いつかないというように目をパチパチと瞬かせた。

「えっ、ちょっと待ってください。……つまり、昨日の集団は、昨日いきなり出てきたわけじゃなくて。……十年前からずっと、ネットの裏側で活動していた連中だっていうんですか?」

 

「それが、そう単純な話でもないんです」

 コメンテーターは、腕を組んで深く息を吐いた。

「当時のCicadaの目的は、最後まで解読に成功した天才的な暗号解読者やプログラマーを『スカウト』することだったと言われています。……しかし、その組織の実態が何だったのかは、現在に至るまで全くの謎です。

 それに、昨日の放送で行われた『空間跳躍』や『大統領の背後への侵入』は、単なる暗号パズルの延長線上でできるようなことではありません。……だからこそ、今ネット上では、『当時のCicadaが本物になったのか』、それとも『名前を騙っただけの別集団なのか』で、大論争が起きているんです」

 

 テレビの前の一般視聴者たちは、その説明を聞いて、ますます底知れぬ気味の悪さを感じていた。

 昨日まで、フクシマの海風に揺れる美しい《ソーマの樹》の映像を見て、「アーティファクトも悪いことばかりじゃない」と和んでいたというのに。

 

「え、昔からいたの?」

「昨日いきなり出てきたテロリストじゃないの?」

「ネットの都市伝説が、アーティファクト持って現実に出てきたってこと?」

 

『Cicada 3301』。

 その名前は、一晩にして、世界中の人々の脳裏に「最悪の未知」として深く刻み込まれてしまったのだった。

 

【第2章 日本ネット、朝から大混乱】

 

 ニュース番組でその数奇な来歴が報じられたことで、日本のインターネット空間は、さらなる混乱と熱狂の坩堝へと叩き落とされた。

 人々は通勤電車の中で、職場の休憩室で、あるいは学校の教室で、スマートフォンの画面を食い入るように見つめ、情報の波に飲まれていた。

 

 [X(旧Twitter) / タイムライン]

 

 @Normal_Citizen_A

「Cicada 3301って検索してはいけないホラー系のワードかと思ったら、ガチのネットミステリーで草……いや草じゃない。なんだこれ、怖すぎる」

 

 @Tech_Geek_99

「2012年からいたってマジ? 俺がまだガラケー使ってた頃から、世界中で暗号解いてた連中がいるのかよ」

 

 @Subculture_Lover

「暗号パズルの名前を、星間文明テクノロジー持ちの謎集団が名乗ってるの、情報量多すぎて脳がバグる。設定が完全にSFアニメのそれ」

 

 @Corporate_Slave_00

「昨夜のやつ、あの昔のCicada本人がついに表に出てきたの? それとも、すげえヤバい力を持った奴らが、昔の有名な名前を騙って遊んでるだけ?」

 

 @Horror_Fanatic

「どっちにしても、大統領の後ろにワープして自撮りする都市伝説とか、嫌すぎる。夜中にトイレ行けなくなるわ。『君の後ろにいるかも』って、マジでトラウマ」

 

 一方、匿名掲示板のまとめサイトには、さらにディープでカオスな議論がまとめられていた。

 まるで、ネットの深淵を覗き込むような質感がそこにはあった。

 

【全世界乗っ取り】Cicada 3301って何者だよ【存在しない存在】

 

 1:名無しさん@アーティファクト

 昨日の放送、マジでチビるかと思ったわ。

 で、結局こいつら何者なん?

 

 2:名無しさん@アーティファクト

 Cicada 3301って、昔のネットの有名な暗号パズルだろ?

 YouTubeの都市伝説系チャンネルとかでよく擦られてたやつ。

 

 5:名無しさん@アーティファクト

 名前だけ知ってる。世界一有名なネットミステリーみたいなやつだよな。天才ハッカーを探してるみたいな。

 

 8:名無しさん@アーティファクト

 いやいや、あれは有志がやってたネット上のただの謎解きイベントだろ。

 国家元首の背後にワープして自撮りするような、超常的な魔法使いじゃねえよ。絶対名前パクっただけだ。

 

 12:名無しさん@アーティファクト

 つまり、昔のCicadaが本物で、10年前からずっと裏で『アーティファクトを探せる知的な人材』をスカウトしてたってこと?

 で、ついに星間文明のテクノロジーを見つけちゃったから、「存在しない存在になりましたー!」って表に出てきたとか?

 

 15:名無しさん@アーティファクト

 >>12

 怖すぎる。伏線回収のスケールが狂ってる。

 

 20:名無しさん@アーティファクト

 逆に、今回の連中が有名な名前をパクっただけじゃね?

「俺たち星間文明の技術手に入れたぜ! ついでにネットで有名なCicadaって名前名乗ったらカッコよくね?」みたいなノリの愉快犯。

 

 25:名無しさん@アーティファクト

 でも、わざわざあの『Cicada 3301』を名乗る意味ってなんだよ。他にいくらでもかっこいい名前あるだろ。

 

 31:名無しさん@アーティファクト

 そりゃブランド力だろ。ネット民への刺さり方が全然違う。

 現に俺ら、こうして「あいつら昔のCicadaか!?」って熱狂して調べてるじゃん。完全に奴らの手のひらの上だぞ。

 

 38:名無しさん@アーティファクト

 PGP署名は?

 昨日の放送に、本物のCicadaが使ってたPGP署名(電子署名みたいなもん)はあったのか?

 署名がないなら、あんなのただの偽物だぞ。

 

 45:名無しさん@アーティファクト

 >>38

 この状況でPGP署名とか言ってる暗号ガチ勢、平常運転すぎて草。

 

 52:名無しさん@アーティファクト

 いや、大統領の執務室にワープしてる時点で、本物か偽物かとかどうでもいいだろwww

 地球上の全デバイスを乗っ取る技術がある連中に、「お前ら署名ないから偽物な!」とか言って通じるかよww

 

 一般人が「ワープすげえ」「怖い」とパニックになる一方で、サイバー空間の片隅に生息する『暗号クラスタ』と呼ばれるギークたちは、全く別のベクトルでこの事態に熱狂し、かつ憤慨していた。

 彼らにとって、Cicada 3301とは単なる都市伝説ではなく、かつて自分たちの頭脳を極限まで試した『神聖なるパズル』であったからだ。

 

 

 

 

 

【第3章 暗号クラスタ、現実のCicada 3301を説明し始める】

 

「Cicada 3301とは何なのか」

 大統領の背後での自撮りと、全世界のディスプレイの同時ジャック。その圧倒的な暴力を伴わない恐怖の余韻が世界中を覆う中、ネットの海では「正体探し」が過熱の一途を辿っていた。

 

 一般層がパニックに陥り、「宇宙人のテロ組織か」「アーティファクトで武装したカルト集団か」と頓珍漢な憶測を飛び交わせる中、サイバー空間の深層に生息する『暗号クラスタ』たちは、極めて冷ややかな、それでいて異様な熱を帯びた視線でこの事態を分析していた。

 

 X(旧Twitter)のタイムラインに、普段は難解な暗号アルゴリズムやサイバーセキュリティの脆弱性ばかりを呟いている古参の専門家アカウントから、長文のツリー(連投)が投下された。

 それは、またたく間に数万、数十万回とリポストされ、一般ユーザーの目にも触れることとなった。

 

 @Crypto_Nerd_Master

【解説:Cicada 3301とは何だったのか】

 昨夜の騒動で「Cicada」という名前が初めて世に出たと思っている人が多いようだが、それは間違いだ。あれはポッと出のテロリストでも、オカルトの都市伝説でもない。

 2012年1月4日、海外の巨大匿名掲示板『4chan』の /b/(ランダム板)に現れた一枚の画像から始まった、インターネット史上最大級の【未解決暗号パズル】の名前だ。

 当時の熱狂を知らない人向けに、スレッドで経緯を解説する。

 

 @Crypto_Nerd_Master

(1/7)

 事の発端は、黒い背景に白い文字で書かれた、こんなメッセージ画像だった。

『我々は高度に知的な個人を探している。そのためのテストを考案した。この画像の中に隠されたメッセージを見つけ出せ。それが、我々の元へと導く道となる』

 署名は「3301」。

 単なるネットのイタずらだと思うだろう? だが、画像ファイルそのものを解析ソフトにかけると、ステガノグラフィ(データの中に別のデータを埋め込む技術)によって、テキストメッセージが巧妙に隠されていた。

 

 @Crypto_Nerd_Master

(2/7)

 そこから先は、狂気のパズルだった。

 画像から抽出されたURLに飛ぶと、また別の暗号。マヤ数字、サイバーパンク文学『アグリッパ』からの引用解読、難解な素数計算。

 さらに電話番号が提示され、そこに電話をかけると、不気味な自動音声が流れて、Tor(匿名通信ネットワーク)上のダークウェブのURLを告げられる。参加者たちは、掲示板で集合知を形成し、徹夜でこのパズルを解き進めていった。

 

 @Crypto_Nerd_Master

(3/7)

 一番ヤバかったのは、このパズルが「ネット空間の中」だけで完結しなかったことだ。

 謎を解き進めると、特定のGPS座標が示された。そこはワルシャワ、パリ、シアトル、ソウル、マイアミ、そして……東京。

 有志がその現実の座標に実際に行ってみると、街角の電柱などに【蝉のマークとQRコードが描かれたポスター】が物理的に貼り付けられていたんだ。

 

 @Crypto_Nerd_Master

(4/7)

 考えてみてほしい。世界中の都市に、同時に物理的なポスターを貼れるだけの「実働部隊(エージェント)」を配置できる集団ということだ。

 この時点で、これが単なる個人の遊びではないと誰もが悟った。CIAのスカウトか、巨大IT企業の人材募集か、あるいは秘密結社か。

 彼らは翌年2013年、さらに2014年にも、同じように高度な暗号パズルをネット上に投下した。

 

 @Crypto_Nerd_Master

(5/7)

 そして2014年の第三のテストで提示されたのが、【Liber Primus(リベル・プリムス=第一の書)】と呼ばれる謎の文書だ。

 独自のルーン文字で記述された、哲学や数秘術が混ざり合った分厚い本。……恐ろしいことに、この文書は十数年経った現在に至るまで、世界中の暗号学者が挑んでも、未だに全ページは解読されていない。

 

 @Crypto_Nerd_Master

(6/7)

 この十年、Cicadaを騙る偽物や便乗犯はネット上に星の数ほど現れた。

 だが、本物のCicada 3301が発するメッセージには、必ず【PGP署名(Key ID: 7A35090F)】という強固な電子署名が付与されていた。

「PGP署名のないCicadaのメッセージは、すべて偽物とみなせ」。それが、暗号クラスタにおける絶対のルールだ。

 現に2017年には、PGP署名付きで「我々は名前を使われた。署名のないパズルを警戒せよ」という警告メッセージが出ている。

 

 @Crypto_Nerd_Master

(7/7)

 ……さて。

 昨夜、全世界のスクリーンを乗っ取り、大統領の背後にワープして自撮りをしたあの集団の放送には。

 我々が確認する限り、あの「PGP署名」はどこにも提示されていなかった。

 果たして彼らは、十年の時を経て真の力に到達した『本物』なのか。それとも、強大なアーティファクトを手に入れた何者かが、歴史ある名前を騙っただけの『偽物』なのか。

 それは、まだ誰にも分からない。

 

 この長大なスレッドは、またたく間に数百万回のインプレッションを記録し、スクリーンショットが様々なまとめサイトへと転載されていった。

 

 一般のネットユーザーたちの反応は、無知ゆえの驚きと、得体の知れない事象への戦慄に満ちていた。

 

「4chan発祥かよ……要するに昔の海外の2ちゃんねらーが始めた謎解きじゃん」

「画像の中に暗号を隠すステガノグラフィとか、ハッカー映画そのものだな」

「待って、物理地点の電柱にQRコード? 東京にもあったの!? それ、普通に日本にも当時のCicadaの協力者がいたってことだよね……」

「つまり、昔から『ネットだけじゃなく現実世界に直接干渉する』のが大好きな連中だったわけか。昨日の大統領の後ろにワープしたのも、ある意味でその路線の延長なのかもしれない」

「『高度に知的な個人を探している』って……。2012年からの壮大な伏線回収とかマジでやめてくれ。現実の歴史をSFミステリーの舞台装置にするなよ」

 

 ネットの海は、「正体不明のテロリスト」から「十年の歴史を持つ謎の暗号組織」へと認識をアップデートさせ、その奥深さに飲み込まれつつあった。

 

【第4章 現実Cicada 3301の来歴を、テレビ番組が解説する】

 

 その日の夜。

 日本の各テレビ局は、予定されていたバラエティやドラマの放送を急遽差し替え、特番体制で『Cicada 3301』の特集を組んでいた。

 

 午後9時から放送された報道番組『ニュース・ディメンション』では、緊迫した面持ちのメインキャスターが、背後の巨大なモニターを振り返った。

 

「昨夜、世界中のテレビやスマートフォンが、全く同じ映像にジャックされるという前代未聞の事態が起きました。……犯行声明を出したのは、自らを『Cicada 3301』と名乗る、顔にモザイクをかけた集団です」

 キャサリン・ヘイズ米国大統領の背後で自撮りをする、あの背筋の凍るような映像が再びスタジオに流れる。

「彼らは『星間文明のテクノロジーを手に入れた』『存在しない存在になった』と不可解な主張をしていますが……。実は、この『Cicada 3301』という名前自体は、インターネットの歴史に詳しい人々の間では、非常に有名なものなのだそうです」

 

 キャスターに話を振られ、専門家として呼ばれた気鋭のITアナリストが、フリップを使って解説を始めた。

 

「はい。ネット上の都市伝説などではなく、明確な記録が残っている【未解決の暗号パズル】の名前です。その歴史を、時系列で振り返ってみましょう」

 

 アナリストがフリップのシールを剥がす。

 

【2012年1月:第一のパズル出現】

「すべてはここから始まりました。匿名掲示板に投稿された一枚の画像と、『高度に知的な個人を探している』というメッセージです。参加者たちは、暗号解析、データ抽出、ダークウェブの探索などを駆使して謎を解き進めました」

 

【現実世界との交錯】

「特筆すべきは、彼らがネット空間を出て、現実の都市……パリ、ソウル、そしてここ日本の東京など、世界各地の街角に『次のヒントのQRコード』を物理的に貼り出したことです。これによって、彼らが世界規模で動ける『組織』であることが裏付けられました」

 

【2013年・2014年:第二、第三のパズル】

「その後も、彼らは年をまたいでテストを繰り返しました。極めて高度な暗号学、情報工学の知識がなければ解けないものであり、一部の天才たちは解読に行き着いたとされていますが……その先の彼らがどうなったのかは、誰も知りません」

 

【《Liber Primus(リベル・プリムス)》の登場】

「2014年には、彼ら独自のルーン文字で書かれた哲学的な書物が出現しました。これが最大の謎でして、十年以上経った今でも、全体の数割しか解読されておらず、未解読のページが大量に残されているんです」

 

【2015年以降:偽物の氾濫とPGP署名】

「その後、Cicadaを騙る偽物がネットに溢れました。そのため、本物であることの証明として『PGP署名』という強固な電子署名が使われるようになりました。

 2017年には、その署名付きで『我々は名前を使われた。署名のないパズルを警戒せよ』という警告メッセージが出たのを最後に……本物のCicadaは、事実上の沈黙に入っていました」

 

 アナリストは、フリップを置き、カメラを真っ直ぐに見据えた。

 

「……そして、昨日。2026年の今になって。

 彼らは、暗号パズルではなく、地球上のすべての電波とネットワークを物理的に乗っ取り……空間を跳躍するという『魔法のような力』を見せつけて、帰ってきたのです」

 

 スタジオのコメンテーターの一人である中堅俳優が、引きつった笑いを浮かべた。

「えっ、じゃあ……その十年前からやってた『知的な人間の選抜テスト』っていうのは、一体何のためだったんですか? サイバーテロリストの養成?」

 

 アナリストは、言葉を選ぶように慎重に答えた。

「そこが、現在世界中の専門家が最も恐れている仮説です。

 ……彼らは、ただのハッカーを集めていたのではない。

 もしかすると、彼らは十年前の時点から、地球に眠る『アーティファクト』や『星間文明のテクノロジー』の存在に気づいており。……その複雑怪奇なシステムをリバースエンジニアリング(解析)するための、超天才的な頭脳を持った人材を、世界中から選抜していたのではないか、と」

 

 その言葉が落ちた瞬間、スタジオの空気が凍りついた。

 

 お茶の間でテレビを見ていた一般視聴者たちも、夕食の箸を止め、画面を凝視していた。

 

「……最初から、選抜してたってこと?」

「じゃあ、昨日の放送で空間跳躍(テレポート)してたあのモザイクの連中は。その十年の間に選ばれて、謎の超技術を解析することに成功しちゃった『暗号勢の成れの果て』ってことかよ……!」

 

 事態の裏に横たわる、十年という潜伏期間と、目的の見えない知的選抜。

 昨日突如として現れた「存在しない存在」は、決してぽっと出の魔法使いなどではなく。人類が気づかぬ間に、インターネットという広大な集合知の裏側で、コツコツとパンドラの箱の鍵を開けようとし続けていた執念の集団だったのかもしれない。

 

「ねえ、ちょっと待って……」

 SNSのタイムラインに、震えるような投稿が流れていく。

 

「未解読の《Liber Primus》って文書……。まだ解読されてないページが残ってるってことは。

 ……そこに、あいつらが手に入れた『星間文明のテクノロジー』の作り方とか、他のアーティファクトの隠し場所の座標とかが、書かれてるんじゃないの……?」

 

「……やめろ。それ以上考えるな」

 

「もしそうだとしたら、今ごろ各国の政府やスパイ機関は、血眼になってその昔のルーン文字を解読しようとしてるはずだぞ……」

 

 日常のニュースの裏で、人々は「知ってはいけない謎」の深淵に触れ、かつてのネットの都市伝説が、自らの喉元に刃を突きつける凶悪な現実へと変貌していくのを、ただ恐怖と共に眺めることしかできなかった。

 

 

 

 

【第5章 一般人考察、四つに分かれる】

 

 テレビの特番が、かつてネットの深淵に実在した「Cicada 3301」の不気味な来歴を報じたことで、深夜のインターネット空間は完全にタガが外れた『考察』の狂熱に包まれていた。

 

 巨大匿名掲示板5ちゃんねるの「オカルト板」や「ニュース速報板」では、サーバーの処理能力が追いつかず度々エラーを吐き出すほどの異常な速度で、スレッドが消費されていく。

 そこには、恐怖をエンターテインメントとして消費しようとする一般人と、真剣に陰謀論を語る者たちが入り乱れ、大衆の推測は、やがて大きく【四つの仮説(派閥)】へと収束していった。

 

 [5ちゃんねる:ニュース速報板]

 スレタイ:【全世界乗っ取り】Cicada 3301って何者だよ【存在しない存在】 Part.142

 

 14 :名無しさん@アーティファクト

 もうテレビの情報と海外の特定班の情報が出揃ってきたから、いったん整理するぞ。

 今んとこ、昨日の連中についての有力な説は大きく分けて4つだ。

 

【仮説A:本物のCicada 3301が、ついに表に出た説】

 2012年のパズルから、あいつらは世界中の天才(暗号解読者や凄腕ハッカー)を選抜して囲い込んでいた。

 その「超天才の頭脳集団」を使って、10年以上かけて裏でこっそり『星間文明の技術(アーティファクト)』を探し出し、リバースエンジニアリングで解析していた。

 ……そして昨日、空間跳躍や全世界デバイスジャックの技術を完全に手中に収めたから、「存在しない存在になりました」ってドヤ顔で表舞台に出てきた。

 

 22 :名無しさん@アーティファクト

 >>14

 これが一番ストーリーとしては綺麗なんだよな。

 10年以上の潜伏期間を経て、技術を完成させてからの世界同時放送デビュー。これもう実写版のショッカーだろ。

 

 27 :名無しさん@アーティファクト

 Cicadaが本当に「高度に知的な個人」を探していたなら、その集めた人材で宇宙人の技術を解析したっていうのは、一番筋が通る。ロマンはあるけど、ガチだとしたら怖すぎる。

 

 31 :名無しさん@アーティファクト

 でも、わざわざ大統領の後ろでピースして自撮りするか? もっとこう、世界征服とか宣言しないの?

 

 35 :名無しさん@アーティファクト

【仮説B:今回のCicadaは、名前を騙った別集団説】

 いやいや、普通に考えてこっちだろ。

 本物のCicadaとは全く無関係。たまたま星間文明のヤバい技術を手に入れた愉快犯が、「俺ら名前どうする? あ、ネットで有名なCicada 3301名乗ったらバズるんじゃね?」ってノリでブランドを借用しただけ。

 

 42 :名無しさん@アーティファクト

 >>35

 ネット民の心理をよく分かってる奴らの犯行だよな。現に俺ら、まんまと名前のインパクトに乗せられて大騒ぎしてるし。

 ただの「宇宙人集団」より「過去のネットミステリー」の方がオタクに刺さるもん。

 

 48 :名無しさん@アーティファクト

 でもさ。それなら、あの大統領の背後にワープできるレベルの『圧倒的な実力』を持ってる連中が、わざわざ他人の名前を騙るメリットってあるか?

 普通に「俺たちが神だ」って名乗ればいいじゃん。わざわざ10年前のパズルの名前を引っ張り出す意味が分からん。

 

 55 :名無しさん@アーティファクト

【仮説C:過去のCicadaパズルは、アーティファクト『適性者』の選別だった説】

 お前ら、根本的に分かってないな。

 過去のパズルは、単なる暗号解読能力だけを見てたんじゃない。直感、忍耐力、異常な情報連結能力、そして世界中の協力者と連携する能力を見ていた。

 ……つまり、2012年のパズルは最初から、『アーティファクトの異常な力に触れても精神崩壊せずに正しく扱える人間』を探し出すための、上位存在からの【適性検査】だったんだよ。

 

 62 :名無しさん@アーティファクト

 >>55

 急にあり得そうで嫌な説出してきたな。

 

 65 :名無しさん@アーティファクト

 アーティファクト時代になってから、過去の未解決事件とかネットミステリーが全部『今日の事態への伏線』に見えちゃう病気にかかってるわ。

 

 70 :名無しさん@アーティファクト

 待って。未解読の《Liber Primus》って文書があるんだろ?

 そこに、まだ誰も見つけてないアーティファクトの隠し場所(座標)とか、空間跳躍のやり方とかがそのまま書かれてたらどうする?

 

 78 :名無しさん@アーティファクト

 >>70

 やめろ。それ以上考えるな。マジで怖くなってきた。

 今ごろ各国のスパイ機関とか情報局が、血眼になってその本を解読しようと徹夜してる光景が目に浮かぶわ。

 

 84 :名無しさん@アーティファクト

【仮説D:過去のCicada自体が、アーティファクトだった説】

 お前ら全員、人間が主体だと思い込んでるから間違ってるんだよ。

 Cicada 3301という現象そのものが、実は『情報系のアーティファクト』だったんだ。

 人間というリソース(脳の計算能力)を使って解読を進めさせ、自身のシステムをアップデートしていく、自己増殖型の謎解き装置。

 ……2012年の時点で、既に人類は“何か”に誘導され、10年かけてこの『世界乗っ取り放送』の準備を無意識にさせられていたんだ。

 

 91 :名無しさん@アーティファクト

 >>84

 陰謀論すぎるww 頭にアルミホイル巻いとけ。

 

 99 :名無しさん@アーティファクト

 いや、最近の世界のバグり方見てると、完全に否定しきれないのが嫌すぎるんだよ。

「ただの画像データだと思ってたものが、実は人類を洗脳するアーティファクトでした」とか、余裕であり得る世界線だろ今。

 

 105 :名無しさん@アーティファクト

 この説、月刊ムーの三神編集長がめっちゃ好きそう。次号の巻頭特集決まりだな。

 

 112 :名無しさん@アーティファクト

 どれが正解にしろ、あいつらが「国家元首の背後にいつでもワープできる」って事実だけは変わらないのが絶望的すぎる。

 俺らがここでレスバしてる間にも、俺の後ろにモザイク顔の奴が立ってるかもしれないんだぞ。

 

 118 :名無しさん@アーティファクト

 >>112

 やめろって言ってるだろ!!! トイレ行けなくなったわ!!!

 

 ネット上では、誰も正解を知らないまま、恐怖と好奇心が入り交じった果てしない議論が続いていた。

 しかし、彼らがどれほど深い考察を披露しようとも、その文字の裏側には常に「俺たちは今、自分たちの理解を超えた圧倒的な暴力(非日常)に見つめられている」という、冷たい氷のような怯えがべったりと張り付いていた。

 

【第6章 考察系YouTuber、爆伸びする】

 

 この歴史的なネットの狂騒を最も素早く、そして最も貪欲に『養分』へと変えたのは、動画配信サイトで活動する「考察系・都市伝説系YouTuber」たちであった。

 

 彼らにとって、これほど数字(再生数)が稼げる美味しいネタはない。

「10年以上前の、世界で最も有名な未解決ネットミステリー」と、現代を恐怖に陥れている「アーティファクト問題」が、公式の犯行声明によって完全に一本の線で繋がったのだ。

 放送から一夜明けただけで、動画サイトのトレンド画面には、赤や黒の禍々しい極太フォントで彩られたサムネイルが滝のように溢れ返った。

 

 動画タイトル例:

『【緊急解説】Cicada 3301とは何者なのか? 2012年の暗号パズルから昨夜の世界同時乗っ取りまでを完全網羅!』

『【都市伝説が現実に】Cicada 3301と星間文明テクノロジーの恐るべき関係性。彼らは最初から宇宙人だった!?』

『【未解読文書】Liber Primusに隠された“宇宙技術の座標”とは? 今すぐこのルーン文字を解読しろ!』

『【政府は隠している】Cicada 3301は10年前からアーティファクトを探していた!? 驚愕の真実!』

 

 中には、深夜にもかかわらず緊急のライブ配信を立ち上げ、何万人もの同接視聴者を集めて熱弁を振るう者もいた。

 

「はい、というわけで皆さんこんばんは! 深夜の緊急生配信です!」

 黒いパーカーを着た人気考察系YouTuberが、興奮冷めやらぬ様子でマイクに向かって叫ぶ。画面の横では、視聴者からのコメントが滝のような速度で流れていく。

「いやー、昨日の放送見ました!? マジで鳥肌止まらなかったですよね! 大統領の後ろでピースですよ!? 映画でもあんな演出やらないって!

 で、今日はこの『Cicada 3301』の正体について、当時の4chanのログとかを引っ張り出してガチ考察していきたいと思います!」

 

 画面上には、飛び交うコメントと共に、数千円、数万円単位のスーパーチャット(投げ銭)がカラフルに色を添え、異様な熱狂空間を作り出している。

 

 [ライブ配信のコメント欄]

 

「うぽつ! 深夜に助かる!」

「昨日までフクシマのソーマの樹で泣いて感動してたのに、今日はCicadaのせいで後ろが気になって寝られない。人間の情緒をなんだと思ってるんだよww」

「ネットの都市伝説が、アーティファクトの力を持って現実の脅威になるの、マジで『アーティファクト時代』の象徴って感じがして震えるわ」

 

 YouTuberは、フリップ代わりの画像を画面に表示させながら解説を進める。

「皆さんが一番気になってるのは、当時の2012年や2014年のパズルで『最後まで解読して勝者になった人たち』がどうなったか、ですよね。

 実は、彼らは最終的にダークウェブの掲示板に招待されて、そこで何らかのプロジェクトに参加させられたって噂があるんです。でも、その後、彼らはネット上から完全に姿を消しました」

 

「え、じゃあその行方不明になった勝者たちが……」

「そう!」YouTuberはカメラを指差した。

「当時の勝者こそが、今回のあのモザイク被って大統領の後ろにワープしてた『Cicadaメンバーの正体』だって説が、今一番有力視されてるんです!

 エリートハッカーたちが10年かけて星間技術を手に入れて、文字通り神になっちゃったんですよ!」

 

 [コメント欄]

「うわあああああ、それマジで一番怖いし腑に落ちる!」

「天才ハッカーが宇宙の技術を手に入れたら、そりゃあんなふざけた真似もできるわな」

「じゃあ《Liber Primus》の未解読ページって、絶対にヤバい情報が書かれてるだろ」

「今ごろ日本政府とかアメリカのCIAとかが、国家予算ぶっ込んで徹夜でルーン文字解析してる光景が目に浮かぶわww」

「『我々は存在しない存在になった』って、厨二病のセリフじゃなくて、マジで物理的な制約から外れて次元上昇したって意味だったんだな。空間跳躍チートすぎだろ」

 

 人々は、Cicadaの底知れぬ力に本能的な恐怖を抱きながらも。

「彼らの正体は何なのか」「次にどこへ現れて、誰の秘密を暴くのか」という、極上のエンターテインメントとしてのスリルに、完全に魅了され始めていた。

 

 それは、国家が独占していた「アーティファクトの異常性」が、初めて「大衆の消費物(コンテンツ)」としてインターネットに解き放たれた、決定的な瞬間であった。

 

 

 

 

【第7章 海外ネット、過去資料を発掘しレスバする】

 

 日本のネット空間が、過去の暗号パズルの来歴に「SF的なロマン」と「エンターテインメントとしての恐怖」を見出し、考察動画やまとめサイトの消費に熱を上げている頃。

 英語圏を中心とした海外のインターネット――とりわけReddit風の巨大匿名フォーラムや、世界中のハッカー・暗号専門家たちが集うDiscordのクローズドサーバーでは、より専門的で、かつ殺伐とした議論(というよりは血で血を洗うようなレスバトル)が勃発していた。

 

 彼らは、2012年から2014年にかけてネット上に投下された過去の『Cicada 3301』の全アーカイブを、サーバーの深淵やWayback Machine(インターネットアーカイブ)から引っ張り出し、昨夜の放送データとの技術的な照合を血眼になって試みていた。

 

 当時の画像ファイルのハッシュ値、ステガノグラフィの解析ログ、Torネットワーク上の暗号化された痕跡、そして《Liber Primus》の未解読ルーン文字。

 それらを比較した結果、古参の暗号ギークたちは、昨夜の放送における『決定的な欠落』を見つけ出し、怒り狂っていたのだ。

 

 [Reddit:r/Cicada3301_Discussion]

 

 User_CryptoBeard

 "I solved parts of the 2013 puzzle. This is NOT how Cicada used to communicate. They were subtle, intellectual, and respected privacy. This loud, flashy broadcast is a complete disgrace to their philosophy. They are fakes."

(俺は2013年のパズルを一部解いたことがある。あんなド派手な全世界ジャックは、かつてのCicadaのコミュニケーション手法じゃない。彼らはもっと静かで、知的で、個人のプライバシーを尊重する連中だった。あんな騒々しい放送は、彼らの哲学への完全な侮辱だ。あいつらは偽物だ)

 

 User_HashKey_99

 "Exactly! They would ALWAYS sign their messages. Where is the PGP signature? Key ID 7A35090F! If it’s missing, it’s a fake! Don't let these script kiddies fool you."

(その通り! 彼らは必ずメッセージに署名するはずだ。あの放送に、本物の証明であるPGP署名はどこにあった!? Key ID 7A35090Fだぞ! 署名がないなら、あんな連中はただの偽物だ! あんなスクリプトキディ(他人の技術を鼻にかけるガキ)どもに騙されるな!)

 

 この『PGP署名(デジタル上の絶対的な身分証明)』がないという一点において、暗号原理主義者たちは「昨夜の連中は偽物である」と声を大にして主張していた。

 彼らにとって、Cicada 3301とは、高度な知性とルールによって構築された神聖なる不可侵のパズルであり、そのルール(署名)を守らない者は、どれほど強大な力を持っていようともただの『異端』でしかなかったのだ。

 

 しかし、そんなオタクたちの専門的なこだわりの押し付けに、パニックに陥っている一般のネットユーザーたちが呆れ果てて噛み付いた。

 

 User_NormalGuy_US

 "Who cares about signatures when they just teleported behind the President? Are you guys blind or just stupid?"

(大統領の背後にテレポートした連中に対して、署名がどうのこうの言ってる場合かよ? お前ら目が見えないのか、それともただの馬鹿なのか?)

 

 User_CryptoBeard

 "No. Authentication matters. If they are using the sacred name of Cicada, they must prove historical continuity. Otherwise, they are just terrorists with fancy toys."

(いや、真正性の確認は極めて重要だ。Cicadaという神聖な名前を使うなら、過去との歴史的な連続性を証明しなければならない。さもなくば、あいつらはただ派手なおもちゃを持ったテロリストに過ぎない)

 

 User_NormalGuy_US

 "Continuity? They overrode the whole planet’s screens. That is continuity enough for me. You nerds are debating if the ticket is real while the Titanic is sinking."

(連続性? 連中は地球上のすべてのスクリーンを強制的に上書きしたんだぞ。俺にとっては、それだけで十分すぎる本物の証明(連続性)だ。お前らオタクは、タイタニック号が真っ二つに折れて沈んでる最中に、「この乗船切符のホログラムは本物か?」って大真面目に議論してる大馬鹿野郎だぞ)

 

 暗号勢と一般人の対立は、完全に平行線を辿っていた。

 

 暗号勢は、「PGP署名がないなら、あんな奴らは本物とは認めない。我々のパズルを汚すな」と、既存のデジタル世界のルールに固執し続ける。

 対する一般人は、「大統領の後ろにワープして、地球の電波を全部ジャックした時点で、本物か偽物かとかどうでもいいだろ。俺らは明日、いきなり背後から殺されるかもしれないんだぞ」と、現実の物理的な実害と脅威の大きさを突きつける。

 

「いや、真正性の問題は重要だ。過去のCicadaとの連続性があるかどうかで、奴らがこれまで何を探していたのか、真の目的が変わってくる!」と暗号勢が食い下がる。

「あのなぁ……その『真正性確認』をするための通信基盤ごと、奴らに完全に物理で乗っ取られてるんですが? お前らが縋ってるルールそのものが、昨日破壊されたことに気づけよ!」と一般人が論破する。

 

 この終わりのない不毛なレスバトルは、人類がいかに「未知で絶対的な恐怖」に直面した時、自分の理解できる既存の枠組み(暗号や署名)にすがりついて、現実逃避しようとするかを示す、極めて滑稽で、しかし悲しい縮図であった。

 

 しかし、ネットの住人たちがどれほど「あいつらは偽物だ」と議論を戦わせようとも。

 彼らが「星間文明のテクノロジー」を持ち、「存在しない存在」として世界中のあらゆる場所に侵入できるという、悪夢のような事実は、一ミリも揺らぐことはなかったのである。

 

【第8章 日米ホットライン、緊急接続】

 

 世界中のネット空間が、考察とレスバトルによる大混乱に陥っている中。

 現実の国家を動かす首脳陣たちは、冷や汗を流しながら、極秘のホットラインで深刻極まりない分析を行っていた。

 

 東京・首相官邸地下。既存技術外事象評価セルの特別会議室。

 そして、ワシントンD.C.・ホワイトハウスの地下シチュエーションルーム。

 二つの国の最高意思決定機関が、盗聴不可能な最高レベルの量子暗号回線で接続される。

 

 日本側には、矢崎薫総理、沖田室長、月刊ムーの三神編集長、サイバーセキュリティ担当官、そして外務・防衛の高官が並ぶ。

 アメリカ側には、キャサリン・ヘイズ大統領、セレスティアル・ウォッチのオブザーバー・アルファとケンドール博士、国防長官、CIA長官、そしてサイバー軍の代表が顔を揃えていた。

 

 大型モニターが繋がり、両国の首脳陣の顔が映し出された瞬間。

 ヘイズ大統領が、深く、そして重い疲労と怒りを滲ませた声で口火を切った。

 

『……薫。昨日は、フクシマに芽吹いた希望の樹のニュースで、久しぶりに乾杯するはずだったのに。

 ……今日は、私の背後に立っていた幽霊の対策会議よ。どうなってるの、この世界は』

 

 ヘイズの言葉の裏には、国家元首としての絶対的なプライドを粉々にされたことへの激しい怒りと、自分が全く気づかぬ間に『死の淵』に立たされていたという、生々しい恐怖が入り交じっていた。

 

「こちらも同じよ、キャサリン」

 矢崎総理も、目の下に濃い隈を作りながら、重くため息をついた。

「《平和の檻》の破壊という重い決断を下し、フクシマの件でようやく世界が安堵したというのに。……本当に、最悪のタイミングで水を差してくれたわね。世界は、私たちを少しも休ませてはくれない」

 

 両国のトップが、アーティファクト時代の容赦のない試練の連続に頭を抱えていると。

 画面の端で、パイプ椅子に深く腰掛けていた三神編集長が、缶コーヒーを傾けながら、ニヤリと笑った。

 

「まあ、退屈はしませんね」

 

「三神さん」

 沖田室長が、即座に横から低い声で嗜める。「不謹慎です」

 

「すみません。あまりにも巨大な事態の連続に、防衛機制としての『現実逃避』です」

 三神は全く悪びれずに肩をすくめたが、その瞳の奥には、彼特有の冷徹な分析の光がギラギラと宿っていた。

 

 会議室の空気は、物理的な重さを持っているかのようだった。

 

 これまで、アーティファクトの脅威といえば、「他国(中国やロシア)とのパワーバランス」であったり、「超常の力(仙人や魔女)」に対する外交交渉であったり、「アポロンの矢の流出」のような兵器管理の問題であったりした。

 しかし、今回の【Cicada 3301】は、そのどれとも違う。

 

 国家ではない。

 特定の土地や宗教に縛られた上位存在でもない。

 だが、国家元首の背後に音もなく立ち、あらゆる放送ネットワークを上書きし、空間跳躍で移動し、一切の物理的・電子的痕跡を残さない。

 

「国家が独占していた『異常(アーティファクト)』の主導権が……完全に、正体不明の遊撃的集団へと流れ始めた」

 矢崎総理が、現在の状況を的確に言語化した。

 

『ええ』ヘイズ大統領が、苦々しい顔で同意する。

『もし連中が主張するように、星間文明のテクノロジーを本当に手に入れているのだとすれば。……警備、国境、監視カメラ、物理的な隔離。我々が城壁だと思っている概念は、彼らにとってはただの紙切れ同然よ』

 

「連中は、それを証明してみせたわけです。あのおぞましい自撮り映像でね」

 三神が、空になったコーヒー缶をテーブルに置いた。

「……さて。現実逃避はここまでにして、彼らの正体と目的についての、真面目な仮説の構築と対応策の策定に入りましょうか。

 ……十年前の亡霊は、果たして本物か、それともただの愉快犯か」

 

 日米の最高頭脳たちによる、全人類の常識を覆す未知のテロリスト(あるいは現象)に対する、絶望的な分析会議が幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

【第9章 論点1:過去のCicadaと同一か】

 

 東京・首相官邸地下。既存技術外事象評価セルの特別防音会議室と、海を隔てたワシントンD.C.・ホワイトハウスの地下危機対応室。

 地球上の最高機密を扱う二つの空間が、何重もの暗号化を施された十一次元量子通信回線によって統合され、ひとつの冷え切った仮想円卓を形成していた。

 

 巨大なマルチモニターには、キャサリン・ヘイズ大統領をはじめとするアメリカ側首脳陣の姿が映し出されている。彼女たちの顔に刻まれた疲労と焦燥は、画面越しであっても痛いほどに伝わってきた。それもそのはずだ。わずか数十時間前、彼女たちは自らの背後――国家最高権力の絶対的安全圏――を、顔も見えぬ何者かによって物理法則ごと完全に蹂躙されたのだから。

 

 矢崎総理もまた、目の下に濃い影を落としながら、静かに組んだ指先に力を込めていた。インドに芽吹いた『ソーマの樹』という希望の光に安堵したのも束の間、世界は再び、それも最も悪質で捉えどころのない形で新たな毒をばら撒かれた。

 

「……それでは、状況の整理と分析を開始します」

 深い影の中から響くような、セレスティアル・ウォッチのオブザーバー・アルファの無機質な声が、張り詰めた会議室の空気を切り裂いた。

「第一の論点は、昨夜、全世界のネットワークを掌握し、我々の背後に空間跳躍してきた集団が……二〇一二年からインターネット上で観測されていた『Cicada 3301』と、【同一の存在】であるかどうかです」

 

 アルファの提示した問いは、現在世界中のネット空間で大衆が熱狂的に議論している内容そのものであった。だが、国家の中枢で行われるこの分析は、決して好奇心からくるお祭り騒ぎではない。相手の「来歴」を確定させることができなければ、彼らの真の目的や行動原理、そして次の一手を予測することなど到底不可能だからだ。

 

 アメリカ側のケンドール博士が、手元のタブレットから視線を上げ、科学者としての極めて冷徹な見解を口にした。

 

「技術的な観点から言えば、過去と現在では、能力のスケールにあまりにも巨大な断絶があります」

 博士は、モニターに過去のCicadaが使用したステガノグラフィの解析ログと、昨夜の全世界同時ジャックのネットワーク負荷データを並べて表示した。

「二〇一二年から二〇一四年にかけて彼らが展開したパズルは、確かに当時の暗号学や情報工学の最先端を行くものでした。Torネットワークの高度な運用、物理地点の手がかりを用いた誘導。……しかし、それはあくまで『既存の地球のテクノロジーと知識の枠組み』の中に収まるものです。優秀なハッカー集団であれば、構築可能なレベルに過ぎません」

 

 ケンドールは、眼鏡の奥の目を鋭く光らせた。

「対して、昨夜の連中がやってのけたことはどうでしょう。地球上のあらゆる電子デバイスのディスプレイへの強制的な映像の直接上書き。国家元首の絶対安全圏への、一切の痕跡を残さない【空間跳躍(テレポート)】の実行。

 ……これらは、ハッキングや暗号解読の延長線上にあるものではありません。既存の物理法則を完全に逸脱した、純然たる『アーティファクトの行使』です」

 

「つまり、昔のCicadaと昨日の連中は、持っている手札の次元が根本的に違うということね」

 ヘイズ大統領が、苛立ちを隠せない声で言葉を継ぐ。

「ただの頭のいいハッカーオタクの集まりが、いきなり星間文明のワープ装置を使いこなせるようになったとでも言うの? それとも、最初から宇宙人だった連中が、十年前は暇つぶしで地球の暗号クイズで遊んでいたと?」

 

 その問いに対し、日本側の円卓の隅でパイプ椅子に深く腰掛けていた男が、缶コーヒーをコトリと置いて静かに口を開いた。

 

「技術の次元は違っても、彼らの根底に流れる【思想の連続性】は、不気味なほどに一致していますよ」

 

 月刊ムーの三神編集長だった。彼はいつもの飄々とした態度を微塵も崩さないまま、しかしその瞳には、人類の不可解な欲望と狂気を長年見つめ続けてきた者特有の、冷たく鋭利な光を宿していた。

 

「思想、だと?」

 ヘイズ大統領が、不快そうに眉をひそめる。

 

「ええ。匿名性への異常な執着、パズルを通じた適性者の『選抜』、暗号という共通言語、観客を巻き込む劇場型のゲーム性、そして何より……既存の権威(システム)に対する強烈な挑発です」

 三神は、指を折りながら彼らの行動原理を数え上げた。

「昨夜の放送は、やり方こそ規格外のアーティファクトの暴力でしたが、その見せ方は極めて『Cicada的』でした。もし彼らが単に力を見せつけたいだけのテロリストなら、ホワイトハウスを吹き飛ばせばいい。ですが彼らはそうせず、あえて顔にモザイクをかけ、ピースサインで自撮りをして見せた。……彼らが本物か偽物かはともかくとして、彼らは【Cicada 3301という神話の使い方】を、完璧に理解している連中だということです」

 

「なるほど」

 沖田室長が、インテリジェンスの観点から三神の言葉を実務的な分析へと落とし込む。

「過去のCicadaと全くの同一組織でなくとも、彼らの思想や手法を直接的に継承した者たちか、あるいはその文脈を意図的に利用して世界を煽ろうとしている極めて高度な『模倣者』である可能性が高いということですね」

 

「ええ」

 アルファが深い影の中から同意した。

「相手がどのような技術的背景を持っていようと、彼らが自らを『Cicada 3301』と名乗った以上、我々はその過去の行動モデルをプロファイリングの基礎として扱う必要があります。彼らは単なる力の誇示ではなく、何らかの『ゲーム』を我々に仕掛けてきている」

 

【第10章 論点2:PGP署名問題】

 

「しかし、その『連続性』を証明する上で、決定的な矛盾が存在します」

 

 ここで、日本側のサイバーセキュリティ担当官が、手元の分厚い解析レポートを掲げながら、極めて慎重な面持ちで報告の口火を切った。

 

「昨夜の全世界同時ジャック映像のデータストリーム、および各デバイスに強制表示された声明のソースコードについて、日米のサイバー部隊が共同で徹底的なディープパケット・インスペクションを行いました。

 ……その結果、過去のCicada 3301が、自らのメッセージが『本物であることの絶対的な証明』として使用していた【PGP署名】……特定の公開鍵に対応する暗号学的認証情報が、昨夜の放送データからは一切検出されませんでした」

 

 担当官の言葉に、会議室の空気がわずかにざわついた。

 

「過去、彼らは『PGP署名のないメッセージはすべて偽物と見なせ』と自ら警告を発していました。デジタル空間において、その署名こそが彼らのアイデンティティそのものであったはずです」

 担当官は、困惑を隠しきれないように言う。

「それが全く存在しない。暗号学的な観点からのみ判断すれば、昨夜の連中は、過去のCicadaの名を騙っただけの『完全な偽物』である可能性が極めて高いと言わざるを得ません」

 

 ネット上の暗号クラスタたちが現在進行形で血みどろのレスバトルを繰り広げている「真正性の欠如」。それは、国家のサイバー防衛のプロフェッショナルたちにとっても、無視することのできない巨大なノイズであった。

 

 だが、その技術的な疑問を、ケンドール博士が静かに、そして残酷なまでの論理で粉砕した。

 

「……担当官。あなたの指摘は、現代の地球のインターネットという『箱庭のルール』の中では、百パーセント正しい」

 ケンドールは、眼鏡の奥で冷ややかな視線を画面に向けた。

「しかし、問題の本質はそこにはありません。……なぜ彼らが、昨夜の放送にPGP署名を付けなかったのか。付け忘れたのでも、付けられなかったからでもないのです」

 

 ケンドールの声が、一段階低くなる。

 

「彼らにはもう、そんな旧時代的なデジタル認証など、【必要がなかった】からです」

 

「……必要がない?」

 日本のサイバー担当官が、虚を突かれたように聞き返す。

 

「ええ。過去の彼らは、匿名掲示板の海の中で有象無象の模倣犯と自分たちを区別するために、PGP署名という『数学的な証明』に頼るしかなかった」

 ケンドールは、モニターに映し出されている「大統領の背後での自撮り画像」を指差した。

「ですが、昨夜の彼らはどうですか?

 彼らは、暗号署名の代わりに……世界中の国家元首の背後に立って見せた。

 我々の絶対防衛圏を完全に無効化し、空間のどこへでも侵入できるというその事実。……それ自体が、彼らの【新しい署名】なのです」

 

 三神編集長が、深く息を吐き出して同意した。

 

「物理的証明、というやつですね」

 三神は、呆れたような、しかし敵ながらあっぱれと言わんばかりの笑みを浮かべた。

「昔のCicadaは、高度なアルゴリズムのPGP署名を提示することで、『ほら、我々は本物だぞ』とネットの住人たちに証明してみせた。

 ……しかし昨夜のCicadaは、そんな回りくどい真似はしなかった。『ほら、大統領の後ろに立てるだろ? これ以上の証明がいるか?』と、全世界の人間に直接叩きつけたわけです」

 

 デジタル上の電子署名から、物理空間における絶対的な優位性の誇示へ。

 手段は変われど、彼らが「自分たちの特異性」を証明しようとするその暴力的なまでの見せ方は、あまりにも一貫していた。

 

 矢崎総理は、自らの背後の空間を無意識に確認したくなる衝動を必死に抑え込み、重く、苦い声でその事実を総括した。

 

「……国家にとっては、これ以上なく最悪の署名ね」

 

 その言葉が、二つの国の最高意思決定機関を覆う絶望感を、何よりも正確に代弁していた。

 

 

 

 

【第11章 論点3:2012年からアーティファクト探索をしていた可能性】

 

 十一次元量子通信回線を通じて映し出されるホワイトハウスの地下シチュエーションルームは、静まり返っていた。ケンドール博士が突きつけた「物理的証明による新しい署名」という冷酷な結論は、国家の安全保障を司るエリートたちの理性を内側からじわじわと侵食していた。

 

 画面の向こうで、キャサリン・ヘイズ大統領は眉間を深く揉みほぐし、重い沈黙を破るように視線を日本側のモニターへと戻した。彼女の灰色の瞳には、世界最強の覇権国家の長としてのプライドと、同時に、目に見えない幽霊に喉元を触れられているかのような根源的な恐怖が、複雑に混ざり合って宿っている。

 

「……ケンドール博士の言う通り、彼らが本物か偽物かというデジタル上の真贋論争は、もはや意味を成さないのかもしれないわね」

 ヘイズ大統領の声は、低く、かすかに掠れていた。

「ドルによる経済支配も、軍事力による威嚇も、彼らの空間跳躍(テレポート)の前では、ただの時代遅れの防壁でしかない。……問題は、彼らがなぜ今、このタイミングで『Cicada 3301』という、十年前のネットの遺物の名前をわざわざ名乗って表舞台に出てきたのかよ」

 

 そのヘイズの焦燥に満ちた問いに対し、日本側の円卓の端で冷めた缶コーヒーを弄んでいた三神編集長が、ふっと笑みを消し、静かに口を開いた。

 

「もし、昨夜の彼らが……二〇一二年の最初の蝉の鳴き声から始まった、あの『本物のCicada 3301』の組織そのものであると仮定した場合。……彼らは、あの十年前の時点で、既に【何か】を探していたことになります」

 

 三神の言葉の響きに、ホワイトハウス側の閣僚たちが一斉に身構えた。

 

「何か、だと?」

 ヘイズ大統領が、その言葉の裏にある不穏な気配を敏感に察知し、鋭い視線を三神に向ける。

「三神編集長。あなたは何が言いたいの?」

 

「アーティファクトですよ、大統領」

 三神は、至極当然のことを語るように、淡々と言い放った。

「あるいは、星間文明のテクノロジーそのものへの手がかり、と言い換えてもいい」

 

「当時から……だと?」

 国防長官が、信じられないというように椅子の背もたれをきしませて身を乗り出した。

「二〇一二年といえば、まだシベリアの凍土の下の工場も、崑崙山の仙人も、我々のアポロンの矢も、何一つとして目覚めていなかった時代だぞ。世界はまだ、ただの物理法則と近代兵器のルールで動いていたはずだ。そんな時代に、ネットの anonymous(名もなきハッカー)どもが、地球外テクノロジーの存在を予期して動いていたというのか?」

 

「当時の世界から見れば、それはただの難解で悪趣味な、頭のいいオタクたちの『暗号パズル』にしか見えなかったでしょうね」

 三神は、テーブルの上に広げた過去のCicadaパズルの資料を指先でなぞった。

「マヤ数字、数秘術、文学からの引用、そしてTorネットワークの裏に隠されたメッセージ。……人類の凡庸な知性たちは、それを『天才プログラマーの奇妙な人材募集』か『国家情報機関のスカウトテスト』だと勝手に解釈して、ネットのエンターテインメントとして消費していました。

 ……ですが。すべてがバグり始めた今のアーティファクト時代から、あの十年前の点と点をもう一度繋ぎ直してみたら、どうですか?」

 

 三神の瞳の奥に、不気味なまでの知的な興奮が宿る。

 

「彼らが探していたのは、単にコードが書けるプログラマーや、サイバーテロの実行犯ではない。

 ……既存の地球の学問の枠組みを根底から飛び越え、異星のシステムが提示する難解な『宇宙の仕様書(ルール)』を、直感と論理で解き明かせるだけの、超天才的な頭脳を持った【適性者】です。彼らは、インターネットという地球規模の巨大な地引き網を使って、人類の中から最も『異星の言語(アーティファクト)』に近い脳を持った個体を選別し、スカウトしていた可能性がある」

 

 その三神の仮説を裏付けるように、評価セルの沖田室長が、冷徹な声で実務的なインテリジェンスの記録を口にした。

 

「……確かに、過去のCicada 3301のパズルは、最後まで解読に成功した数名の勝者(ソルバー)を、ダークウェブの奥底に用意された秘密のフォーラムへと『招待』していたという記録が残されています。

 ですが、その招待された勝者たちがその後、どのようなプロジェクトに従事させられたのか、そしてなぜネット上から完全に姿を消したのかは、各国のインテリジェンス機関も追跡できていません」

 

 沖田は、モニターに映る世界各国の街角の古い写真を展開した。

「二〇一二年の時点で、彼らはネットの中だけでなく、東京、パリ、ソウル、シアトル、マイアミといった、世界中の現実の都市の電柱に、蝉のマークが描かれたポスターを物理的に貼り出すだけの『実働組織(エージェント)』をすでに有していた。……国家のインテリジェンス網の完全に外側で、です」

 

「彼らは、集めた天才たちの頭脳をフル稼働させて、十年間、何をしていたのか」

 三神が、静かに円卓の全員を見回した。

「……答えは、昨夜、ヘイズ大統領の背後に立ってみせた彼らが、すべてを証明していますよ。

 彼らは、集めた人材を使って、地球のどこかに眠っていた『星間文明の技術』のロックを完全に解除し、解析し、そして自らの肉体を【存在しない存在(空間跳躍者)】へとアップデートさせることに、成功してしまった。

 ……二〇一二年の最初のパズルは、人類が気づかぬ間に始まっていた、地球外テクノロジー獲得のための【最速のスタートダッシュ】だったのかもしれません」

 

 会議室に、死のような静寂が落ちた。

 日米の首脳陣、軍の上層部、そしてセレスティアル・ウォッチの科学者たち。全員が、自分たちが「国家の威信」を懸けてここ数ヶ月で血眼になって始めたアーティファクト競争が、実は十年前の時点で、名もなきネットワークの裏の住人たちによって、とっくに『先を越されていた』かもしれないという絶望的な仮説の前に、完全に打ちのめされていた。

 

 三神は、冷めきった缶コーヒーをもう一度手に取り、皮肉げに笑った。

「国家が予算を組み、軍隊を動かし、法律や条約でコソコソと隠し事をしている間に……。

 ネットのオタクたちは、十年前から自分たちのルールでパズルを解き、とっくに神の領域(宇宙)の扉をこじ開けていた。……いやあ、最高に痛快で、最高に最悪なインテリジェンスの敗北ですね」

 

【第12章 論点4:Liber Primus再解析】

 

「……だとしたら、我々には、まだ解かれていない【最大の手がかり】が残されていることになりますね」

 

 その重苦しい沈黙を破ったのは、画面の向こう側のケンドール博士だった。

 彼の眼鏡の奥の瞳には、先ほどまでの恐怖や敗北感を押し殺し、科学者としての執念に満ちたギラギラとした光が宿っていた。

 ケンドールは手元のコンソールを激しく叩き、メインモニターの全面に、複雑怪奇な幾何学模様と、見たこともない独自のルーン文字がびっしりと刻まれた、分厚い古い文書の画像を投影した。

 

「《Liber Primus(リベル・プリムス=第一の書)》」

 ケンドールの声が、興奮で微かに震える。

「二〇一四年に、Cicada 3301が第三のテストとしてネット上に投下した、全七十四ページからなる謎の書物。……暗号、哲学、数秘術、そして彼らの思想がルーン文字の形式で記述されている。

 ……恐ろしいことに、この文書は十数年経った現在に至るまで、世界中の天才ハッカーやアマチュア暗号学者が挑んでも、未だに全体の数割しか解読されておらず、大半のページが【未解読】のまま、インターネットの海に放置され続けています」

 

 ケンドール博士は、拡大されたルーン文字の羅列を指し示した。

「もし、三神編集長の仮説が正しいとするなら。……この未解読のページの中に、何が書かれているか。

 彼らが手に入れた『星間文明の技術』の具体的な起動プロトコル、空間跳躍の数式、世界中の通信網を掌握するためのサイバーロジック。……あるいは、まだ地球のどこかに眠っている、別の超弩級アーティファクトの【正確な座標(位置情報)】が、そのまま暗号化されて記述されている可能性が極めて高い!」

 

「……っ」

 国防長官が、その言葉の持つ軍事的な意味の巨大さに、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

「つまり、その本を他国(あるいはテロリスト)よりも先に解読できれば、我々も Cicada と同じ、あるいはそれ以上の力を工学(サイエンス)として手に入れられるということか」

 

「はい。これより、セレスティアル・ウォッチ、およびアメリカ国家安全保障局(NSA)の持つすべてのスーパーコンピューターの演算リソースをこの《Liber Primus》の完全解読のために全振りします」

 ケンドールは、ヘイズ大統領に向き直って力強く宣言した。

「世界中の暗号研究機関、大学の言語学チームとも極秘に連携し、最優先の国家プロジェクトとして再解析を開始します。我々は、読むことでも絶対に負けるわけにはいかない」

 

「日本政府としても、ただアメリカの解析を待っているつもりはありません」

 出雲の側の会議室から、沖田室長が、即座に自国の実務ラインを動かす決断を下した。

「内閣情報調査室(内調)を主導とし、国内の高度な暗号専門家、計算機科学のチームはもちろん……このルーン文字の持つ神話的・思想的背景を読み解くため、国学、神道、言語学、考古学、そして民俗学の専門家を動員した【極秘の共同再解析班】を、本日中に立ち上げます」

 

「……ええ、お願いするわ。沖田室長」

 矢崎総理が、深く、重い覚悟を込めて頷いた。そして、円卓の端で資料の山を眺めている三神編集長を、キッと厳しい目で見据えた。

 

「三神さん。……月刊ムーの編集部にある、過去のCicada関連のすべての取材記録、オカルト資料、海外の暗号フリークたちのコミュニティから集めた独自の『推測データ』。それらもすべて、国家の機密資料として、この解析班に提出してもらうわよ」

 

 三神は、大げさに肩をすくめて、苦笑いを浮かべた。

「おやおや。総理、私の愛するオカルト雑誌のバックナンバーが、ついに自衛隊の暗号部隊の『公式テキスト』になるわけですか。創刊号の霊能者特集の横に、NSAのスーパーコンピューターの仕様書が並ぶなんて、編集長としてはこれ以上の名誉はありませんね」

 

「三神さん、これは趣味でも、冗談でもないの」

 矢崎総理の声から、すべての笑み(余裕)が消え失せ、冷酷な国家指導者としての絶対的な圧力が室内に満ちた。

「これは、合衆国大統領と、日本国の総理大臣が、自国の主権と国民の命を懸けて行っている【公式な実務(仕事)】よ。……出し惜しみは、一切許さないわ」

 

 三神は、総理のそのブレない覚悟の瞳を真っ直ぐに見つめ返し、手元の缶コーヒーを置くと、表情から一切の軽薄さを完全に消し去った。

 

「……分かっていますよ、総理」

 三神の声は、低く、しかし驚くほど澄み切っていた。

「未解読の古文書というものはね。……解かれないままでいるからこそ、オカルト誌の誌面を飾る『ロマン』でいられるんです。謎のまま、蔵の奥に眠っている時が、一番美しい」

 

 三神は、モニターに映る《Liber Primus》の不気味なルーン文字の羅列を見つめた。

 

「ですが。そのロマンの皮を被った魔導書が、昨夜、我々の現実のネットワークをすべて乗っ取り、国家の警備を過去の遺物にして見せた。

 ……もう、オモチャにして笑っている時期(フェーズ)は終わった。

 あれは、世界を内側からハッキングするための、【本物の設計図】だ。

 ……日本政府の解析班には、私の持っているすべての情報(泥のデータ)を、隠さずに提供させていただきますよ。……ロマンを、今すぐ冷たいサイエンスのナイフで、完全に解体してやりましょう」

 

 その三神の、編集長としての矜持と、観測者としての冷徹な『本音』の表明に。

 沖田も、総理も、そして画面の向こうのヘイズ大統領も、無言で深く頷いた。

 

 世界中の暗号オタクたちが、十年以上もの間、掲示板の上で「暇つぶしのクイズ」として遊んでいた、あの蝉のマークの未解決パズル。

 それが今、この日を境にして。……地球上の二つの超大国が、自国の存亡とテクノロジーの覇権を懸けて、国家予算と最高峰の演算能力を注ぎ込んで奪い合う、【最も血生臭い情報戦(デスゲーム)】の主戦場へと、完全にその姿を塗り替えられた瞬間であった。

 

 

 

【第13章 論点5:Cicadaの目的】

 

 十一次元量子通信回線によって結ばれた日米の極秘会議室に、深い疲労と沈黙が降り積もっていた。

 二〇一二年の暗号パズル『Cicada 3301』の未解読文書《Liber Primus》に、星間文明技術へのアクセスコードが眠っているかもしれないという絶望的な仮説。それが導き出すのは、現在の国家のインテリジェンスが、ネットの顔なき天才たちに十年以上も遅れをとっていたという屈辱的な事実だった。

 

「……過去の来歴と技術的背景についての推論は、ここまでとしましょう」

 

 重苦しい空気を断ち切るように、セレスティアル・ウォッチのオブザーバー・アルファが、無機質で氷のように冷たい声を響かせた。

 彼の背後にあるモニターのデータ群が、一瞬にして切り替わる。表示されたのは、昨夜の全世界同時ジャック放送における『Cicada 3301』の声明テキストの分析データだった。

 

「これより、彼らの【目的】についてのプロファイリングに移行します」

 アルファは、感情の欠落した瞳で円卓の面々を見据えた。

「昨夜の放送において最も異常だった点。……それは、彼らが『何一つ要求をしていない』ということです」

 

 アルファは、モニターに赤い文字で箇条書きのリストを展開した。

 

 ・身代金、または特定の国家予算の要求:なし

 ・捕らえられたテロリストや政治犯の解放要求:なし

 ・特定の国家や政権に対する転覆宣言:なし

 ・思想的、または宗教的な教義の強要:なし

 ・大量破壊兵器の使用予告、および殺傷行為:なし

 

「彼らがやったことは、ただ二つのみ。……我々の絶対防衛圏を突破できるという『能力の誇示』。そして、世界中のアーティファクト関連事象を暴いてみせるという『次回予告』だけです」

 アルファの言葉に、アメリカ国防長官が忌々しげに舌打ちをした。

 

「それが一番不気味なんだ」

 国防長官は、机を叩いて吐き捨てた。

「金が欲しいなら払ってやる。領土や権力が欲しいなら、交渉の余地がある。狂信的なテロリストなら、物理的に殲滅するまでのこと。……だが、何も要求しない連中とは、交渉のテーブルすら作れない。目的が分からない以上、彼らの『妥協点』が見えないのだ」

 

「愉快犯、ということかしら」

 キャサリン・ヘイズ大統領が、苛立ちを隠せない声で言った。

「星間文明のワープ装置なんていう神の力を手に入れておきながら、やることが大統領の背後での自撮り? 世界中の電波をジャックしてのお披露目パーティー?

 ……だとしたら、あまりにも悪趣味で幼稚すぎるわ。強大な力を持った子供が、世界をオモチャにして遊んでいるだけじゃないの」

 

 ヘイズの言葉は、国家元首としての苛立ちの極みであった。彼女からすれば、国益を懸けて血みどろの外交戦を繰り広げている自分たちの苦労を、安全な場所から嘲笑われているようなものだ。

 

 だが。

 日本側の会議室から、その「幼稚な愉快犯」という大統領の評価を、真っ向から否定する声が上がった。

 

「大統領。……彼らを『遊んでいるだけの子供』だと侮るのは、極めて危険ですよ」

 

 月刊ムーの三神編集長だった。

 彼は、手元のメモ帳にペンを走らせながら、ふっと冷ややかな笑みを浮かべて画面越しのヘイズを見た。

 

「彼らは、明確な意図を持って自分たちを【演出】しています」

 三神は、ペンを置き、両手を組んだ。

「身代金も要求しない。人を殺すこともしない。ただ、国家が隠している秘密の場所にワープして、それをカメラに収め、全世界に同時配信する。

 ……彼らが自分たちに設定した『役割(ロール)』は、テロリストや破壊者ではありません。

 彼らは自分たちを、世界で最も危険な特ダネを追う【遊撃記者(ストリーマー)】として演出しているんです」

 

「遊撃記者……?」

 ヘイズ大統領が、怪訝な顔で眉をひそめる。

「面白い事件をレポートする、と昨夜の放送で言っていたわね。……それがどうしたの? 情報を暴露されるのは腹立たしいけれど、無差別に都市を爆撃されるよりは、よほどマシな被害じゃない」

 

「いいえ。……国家にとって、それは暴力よりも遥かに【厄介な脅威】になります」

 三神の目が、細められる。

「彼らは、物理的な破壊(暴力)よりも、『視聴率(大衆の注目)』を選ぶタイプだということです。彼らは人を殺すより、世界が見たがるものを見せる」

 

 三神は、ゆっくりと、その演出がもたらす『最悪の化学反応』を語り始めた。

 

「想像してみてください。

 国家が血眼になって隠蔽しているアーティファクトの秘密や、大国同士の泥沼の裏取引。……それを、彼らは圧倒的な技術力で軽々と暴き出し、顔にモザイクをかけたまま、ユーモア交じりに全世界のディスプレイへ生配信する。

 ……その時、彼らの『最初の支持者』になるのは、一体誰だと思いますか?」

 

 会議室に、静かな、しかし確実な寒気が広がっていく。

 

「……【観客】ですね」

 沖田室長が、冷徹なインテリジェンスの視点から、三神の言葉を引き取った。

「一般の市民たちです」

 

「そうです」

 三神は深く頷いた。

「国家から見れば、彼らは通信インフラを破壊し、安全保障の壁を無効化する『最悪のテロリスト』です。

 ……しかし。日々アーティファクトの脅威に怯え、政府の隠蔽体質に不満を募らせている一般市民から見れば?

 彼らは、自分たちが知りたい『世界の真実』を命懸けで(しかも圧倒的な力で)暴き出してくれる、痛快でダークヒーロー的な【配信者(インフルエンサー)】として映るんです」

 

 アメリカのCIA長官が、血の気を引かせた顔で呻いた。

「……彼らは、意図的に『大衆(ネット世論)』を味方につけようとしているのか」

 

「ええ。物理的な軍隊を持たずとも、世界中の人々の『支持』と『熱狂』を味方につければ、それは国家を揺るがす最大の武器になります」

 三神は、冷酷な真理を突きつけた。

「もし彼らが、どこかの国のアーティファクト管理施設の惨状を暴露し、『この国はこんな危険な実験をしていますよ』と配信すれば……その国の政府は、彼らが手を下すまでもなく、自国の市民の暴動と国際社会からの非難によって内側から崩壊します。

 ……彼らは、手を汚さずに国家を殺す方法を知っている。だからこそ、要求も殺傷もしないんです」

 

「……最悪ね」

 ヘイズ大統領は、ギリッと奥歯を噛み締めた。

 

 軍事力で向かってくる敵なら、アポロン・ソードで切り捨てることもできる。

 だが、「真実を暴く」というエンターテインメントの皮を被った大衆扇動のプロフェッショナルに対しては、軍隊の銃口は全く機能しない。

 弾圧すればするほど、彼らは「弾圧される真実の代弁者」として神格化され、大衆の熱狂はさらに加速してしまうのだ。

 

「彼らが『Cicada 3301』という、ネットの伝説的なパズルの名前を名乗った理由も、そこにあるのでしょう」

 矢崎総理が、疲労の色を濃くした声で総括する。

「彼らは、最初から【世界中のネット民の心をハックする】ことを目的として、あのブランドを利用した。……そして我々は今、彼らが用意した劇場のステージの上で、滑稽な悪役として踊らされようとしているわけね」

 

「この構図は、本当に厄介ですよ」

 三神は、空になったコーヒー缶を指で弾きながら、小さく息を吐いた。

「彼らは、世界で最も危険な火薬庫に潜入して、そこで焚き火をして見せるつもりです。……そして、世界中の何十億という人間が、今か今かとその『次の放送』を楽しみに待ってしまっている」

 

【第14章 論点6:次に狙われる事件】

 

「……彼らの目的が『大衆の支持を得るための劇場型暴露』であるならば。彼らが次にどこへ現れるか、ある程度の予測は立てられます」

 アルファの声が、再び会議の進行を引き戻す。

 

「彼らは声明の中で、我々の所有するアーティファクトを『面白い事件のネタ』として名指ししていました」

 ケンドール博士が、モニターに四つのターゲットの映像を並べて表示した。

「中国の仙人、イギリスの公認魔女、そして我々アメリカのアポロン・ソード。さらに……つい先日、世界を感動の渦に巻き込んだばかりの、インドの『ソーマの雫(樹)』です。

 彼らは、これらの中で最も【配信映え】し、かつ【世界の注目が集まっている場所】を、最初のターゲットに選ぶはずです」

 

「日米のインテリジェンスを統合し、今後の警戒対象となる『次なる火種』を整理しましょう」

 沖田室長が、実務的なトーンで引き継ぐ。

 

 画面上の四つの映像が、一つずつクローズアップされていく。

 

「まず、候補一」

 沖田は、インドのサトレジ川で光り輝く巨大な翡翠の樹の映像を示した。

「インドの『ソーマの樹』、およびそこから生成される次世代の種子です」

 

「……最有力はここでしょうね」

 三神編集長が、即座に同意した。

 

「なぜだ?」

 アメリカの国防長官が問う。

 

「理由は明確です。現在、世界で最も【大衆の関心と欲望が集まっている場所】だからです」

 三神は、論理的に解説する。

「ソーマの雫は、世界を癒やす奇跡の技術として発表されましたが……すでに裏社会や各国の過激派、さらには自国を優先して救いたいと願う暴走集団によって、種子の【強奪未遂】や【デマの拡散】が多発し始めています。

 インド政府は軍を動員して必死に防衛線を張っていますが、そのピリピリとした厳戒態勢そのものが、Cicadaにとっては最高の『舞台セット』になります」

 

 三神は、最悪の配信シナリオを語り始める。

「想像してみてください。……ソーマの樹を狙って、どこかの国の武装工作員やテロリストがインド軍と血みどろの銃撃戦を繰り広げている最中に。

 Cicadaが、その戦場のド真ん中にポップコーンでも食べながら空間跳躍してきて、『やあ皆さん、これが平和の樹を巡る人間の醜い争いですよ』と、世界中に実況配信を始めたら?

 ……世界中の視聴率は爆発します。彼らは『人間の強欲さを暴く賢者』として大喝采を浴びるでしょう」

 

「確かに、エンタメとしては最高(最悪)の構図ですね」

 日本の外務省幹部が、顔をしかめて呟く。

「しかし、もしCicadaがテロリストの顔を世界に晒してくれれば、インド側にとっては『助かる(防衛の役に立つ)』面もあるのでは?」

 

「甘いです」

 沖田室長が、氷のような声で切り捨てた。

「Cicadaの配信カメラが入るということは、インド軍の部隊配置、センサーの死角、通信プロトコル、そしてソーマの樹の【正確な物理的座標と防御システムの限界】が、すべて世界中に丸裸にされるということです。

 一度でも配信されれば、次のテロリストは『Cicadaの映像』を攻略動画として使い、完璧な強奪プランを立ててやって来ます。……防衛側にとって、これほどの致命傷はありません」

 

「……その通りね」

 ヘイズ大統領が、苦々しく頷く。

 

「次に、候補二です」

 ケンドール博士が、画面を切り替えた。

 そこには、東欧の地下廃工場から流出した、あの『劣化版アポロンの矢』の粗悪な試射映像が映し出されている。

 

「アポロンの矢の粗悪コピーが流通している、東欧等の【闇市場(ブラックマーケット)】です」

 ケンドールは、忌々しげに言葉を続ける。

「あの天才的な野良エンジニアが設計図をばら撒いて以来、世界中の裏社会で『劣化版の光の剣』の密造が始まっています。近日中に、大規模な闇のオークション、あるいは裏取引の会合が開かれるという情報が、CIAの監視網にも入ってきています」

 

「闇市場のオークション……。いかにも、彼ら(Cicada)が好みそうな場所ですね」

 矢崎総理が、万象器の際のサザビーズの狂騒を思い出しながら言った。

 

「ええ」

 アルファが同調する。

「闇市場には、各国の権力者の代理人、犯罪シンジケートのトップ、そして違法なアーティファクト兵器を買い漁る国家の工作員たちが一堂に会します。

 ……そこにCicadaがワープして潜入し、『さて、この違法兵器を裏金で買おうとしているのは、どこの国の立派な政治家先生でしょうか?』と、顧客名簿ごと全世界に生配信すれば……。

 一網打尽です。関与した国家の政権は、翌日には吹き飛ぶでしょう」

 

「……我が国の関係者は、絶対にその闇市場には関わっていないわね?」

 ヘイズ大統領が、背筋を凍らせながらCIA長官を睨みつけた。

 

「も、もちろんです! アメリカは公式にアポロン・ソードを配備しておりますので、粗悪品を裏で買う必要などありません!」

 CIA長官が、滝のような冷や汗を流しながら即答する。

 

「候補三と候補四は、彼らが声明の中で直接名指しした存在です」

 沖田が、残りの映像を示す。

 

「中国の【仙人】。そして、イギリスの【公認魔女】です」

 沖田は、淡々とリスクを述べる。

「中国の『仙人医療』は、現在、世界中の富裕層の欲望の的となっています。もしCicadaが、厳重に警備された中南海や北京の特別病棟に空間跳躍し、『不老不死の仙人たちの日常』や『特権階級の裏取引』を暴露すれば、中国の絶対的な監視国家体制に対する、これ以上ない【屈辱的な挑発】となります」

 

「中国指導部がメンツを潰されれば、彼らは全力でCicadaを排除しようと動くでしょうね」

 三神が笑う。

「ですが、空間跳躍者をどうやって捕まえるのか。仙術とサイバー空間のテレポートの追いかけっこは、観客(ネット民)としては見応え抜群です」

 

「そして、イギリスの魔女ですが」

 ケンドール博士が、少しだけ声を落とした。

「あそこは、ある意味で【特異点】です。……スコットランドのあの森は、極端な『低現実強度領域』であり、物理法則や概念が彼女の意思によって書き換えられています。

 ……果たして、星間文明のテクノロジーである『空間跳躍』が、あの魔女の森の【概念結界】を正常に突破できるのかどうか。

 もし突破できれば、Cicadaの技術的優位の証明になります。逆に、跳躍の途中で魔女の呪い(石化)に引っかかり、放送事故のような形で終わったとしても……それはそれで、彼らにとっては『面白い配信(実験)』として成立してしまいます」

 

 日米の首脳陣は、提示された四つの候補地を前にして、深い絶望感に包まれていた。

 

「……どこへ現れても、最悪の結果しか生み出さないわね」

 ヘイズ大統領が、ギリッと奥歯を噛み締めた。

「彼らは、本当に世界をオモチャ箱だと思っている。……そして、大衆が最も『見たがる』場所を、的確に選んで突いてくる」

 

「ええ。そして、それが彼らの最大の強みであり……最悪の兵器なのです」

 三神編集長は、冷めきった缶コーヒーを揺らしながら、静かに、そして残酷に断言した。

 

「彼らは、エンターテインメントとして最も映える(燃え上がる)場所を選びます。

 ……なぜなら、彼らにとって、世界が血を流して燃え上がる光景こそが、最高の『視聴率(コンテンツ)』なのですから」

 

 

 

【第15章 政府対応方針】

 

 十一次元量子通信回線によって統合された、日米の最高機密会議室。

 Cicada 3301という得体の知れない存在が突きつけた「要求なき能力誇示」と「劇場型暴露の予告」。その最悪のシナリオを前にして、両国の首脳陣は、感情的な反発を強靭な理性で押さえ込み、国家としての具体的な【対応方針】の策定へと移行した。

 

「……彼らの行動原理と、それがもたらす大衆扇動のリスクは理解しました」

 キャサリン・ヘイズ大統領は、疲労で鉛のように重くなった頭を振って思考をクリアにすると、決然とした声で宣言した。

「では、現実の危機管理の実務に移りましょう。我々は、この幽霊のような集団に対して、国家としてどう振る舞うべきか。方針を決定します」

 

 画面の向こうのセレスティアル・ウォッチのオブザーバー・アルファが、無機質な声で第一の提案を口にした。

 

「方針一。……現段階において、対象集団を【即時の国際テロ組織指定】とすることは、強く非推奨とします」

 

「テロ組織指定を見送る、ですって?」

 アメリカ国防長官が、信じられないというように声を荒げた。

「我が国の最高権力者の背後に侵入し、全世界の通信インフラを物理的にジャックしたのだぞ! これをテロと呼ばずして何と呼ぶのだ! 即座に国際指名手配とし、関連するすべての通信・金融ネットワークを物理的に遮断すべきだ!」

 

「長官の怒りはもっともですが、相手の狙いを考えてください」

 日本の沖田室長が、冷徹なインテリジェンスの視点からそれを制止した。

「彼らは現時点で、一人も殺傷しておらず、物理的な破壊活動も行っていません。……この状態で我々が性急に『テロリストだ』とヒステリックに敵対宣言を行えば、それこそが彼らにとって【最高の挑発(エンターテインメント)】になります」

 

 沖田は、モニターに表示されたネット世論の分析データを指し示した。

「すでにネット上では、彼らを『真実を暴くダークヒーロー』として英雄視する層が一定数生まれています。ここで国家が強権を発動して彼らを弾圧しようとすれば、『政府は彼らに不都合な真実をバラされるのが怖いのだ』と、大衆の疑心暗鬼に火をつけるだけです。……我々は、彼らに【国家と戦うレジスタンス】という美味しい肩書きを与えるべきではない」

 

「……幽霊に宣戦布告しても、空を切るだけということね」

 ヘイズ大統領は、ギリッと奥歯を噛み締めながらも、その屈辱的な方針を承認した。

「分かったわ。公式なテロ認定は保留する。……だが、それは決して連中を甘く見るということではないわね、アルファ?」

 

「ええ。それが方針二に繋がります」

 アルファの瞳が、深い影の底で鋭く光った。

「公式には静観しつつも、実務レベルにおいては……彼らを【人類史上最悪の非国家主体】として、最高レベルの警戒態勢を敷きます」

 

 アルファは、今後の具体的な防衛策を次々と羅列していく。

「第一に、国家元首および重要閣僚の警護プロトコルの【完全な再設計】。

 空間跳躍(テレポート)を前提とした暗殺や誘拐を防ぐため、執務室や移動経路に、空間歪曲を検知・阻害するジャマーの試験導入を急ぎます」

 

「デバイスジャックへの対策も急務です」

 ケンドール博士が、技術的な観点から引き継ぐ。

「今回の強制放送の手口を逆算し、通信インフラの基幹部分にアーティファクト由来の干渉を防ぐファイアウォールを構築します。……また、彼らが次に『どこ』を実況するかに備え、我が国のアポロンの矢の保管施設、日本の出雲や与那国、さらにはインドのソーマの樹といった【世界の火薬庫(アーティファクト関連施設)】の警備を、物理的にも電子的にも最高レベルへ引き上げます」

 

 日米の軍・情報機関のトップたちが、その途方もない作業量と絶望的な難易度に青ざめながらも、無言で頷いた。

 

「次に、方針三です」

 矢崎総理が、政治家としての最も重要な『情報統制』のラインを提示した。

「……【公開情報】と【非公開情報】の、厳格な切り分けです」

 

 総理は、アメリカ側のヘイズ大統領を真っ直ぐに見つめた。

「一般市民に対しては、『Cicada 3301を名乗る集団の映像は、重大な安全保障上の脅威であり、現在各国と連携して対応中である』という、毅然とした、しかし抽象的な政府声明に留めます。

 ……しかし。絶対に、絶対に隠し通さなければならない事実があります」

 

「ええ。分かっているわ、薫」

 ヘイズ大統領は、重く、苦い声で同意した。

「……『彼らが実際に空間跳躍の技術を持っていること』。そして、『国家元首の背後に物理的に接触した映像が、完全な本物(フェイクではない)であること』。

 ……この二点は、死んでも大衆に悟らせてはならない」

 

 大統領の言葉に、会議室の空気が一段と張り詰めた。

 もし、「世界中のどこにでも、いかなる防壁もすり抜けて一瞬で侵入できる人間がいる」という事実が公式に認められれば、どうなるか。

 それは、国家という『境界線(国境と警察力)』を前提とした人間の社会システムが、完全に無意味になることを意味する。

 銀行の金庫も、軍の司令部も、自宅の寝室も、すべてが絶対に安全ではなくなるのだ。

 その絶対的なパラダイムシフトは、万象器による経済崩壊をも凌駕する、完全な【社会心理の崩壊(パニック)】を引き起こす。

 

「ネットでは『映像は本物だ』と騒がれていますが、我々政府は最後まで『高度なCGやハッキングによる合成映像の可能性が高い』とシラを切り通す必要があります」

 沖田室長が、冷徹な情報操作の腹積もりを語る。

「真実を隠蔽することは、今回は国家のエゴではなく、社会秩序を保つための最低限の防波堤です」

 

「そして、最後の方針四です」

 ケンドール博士が、モニターに《Liber Primus》の難解なルーン文字を再び表示した。

「日米を中核とし、イギリス、インド、EUも巻き込んだ形で……2012年から2017年にかけてネット上に投下された、過去のCicada資料の【国際共同再解析】を極秘裏に開始します」

 

 ケンドールの声には、科学者としての焦りと執念が入り混じっていた。

「未解読のページに、星間文明技術へのアクセスコードや、空間跳躍のアルゴリズム、あるいは彼らの真の目的が隠されている可能性は極めて高い。我々は、ネットの有象無象のハッカーたちに、これ以上先を越されるわけにはいかないのです。……各国のスーパーコンピューターの演算リソースを総動員し、言語学、暗号学のトップエリートを集結させて、力技でこの謎をこじ開けます」

 

 その途方もない、そしてどこか滑稽ですらある『国家の総力戦』の宣言を聞いて。

 日本側の円卓の隅で、パイプ椅子に深く腰掛けていた三神編集長が、こらえきれないというように、プッと小さく吹き出した。

 

「……いやあ。すごい時代になったものです」

 

 三神は、缶コーヒーを揺らしながら、肩を震わせて笑った。

 

「世界中の暗号オタクや暇なネット民たちが、十年間、掲示板の片隅で『面白い都市伝説だ』とゲラゲラ笑いながら遊んでいたパズルゲームを。

 ……今度は、世界の超大国が束になって、何兆円という国家予算とスーパーコンピューターを注ぎ込んで、冷や汗を流しながら大真面目に解き直すわけですね」

 

 三神のその身も蓋もない、しかし完璧に真実を突いた皮肉に。

 日米の防衛・インテリジェンスのトップたちは、顔を真っ赤にして屈辱に耐え、誰も言い返すことができなかった。

 

「……三神さん」

 矢崎総理が、鋭く、だがどこか疲労を滲ませた声で嗜めた。

「言い方」

 

「おっと、失礼しました」

 三神は、全く悪びれることなく肩をすくめ、ニヤリと笑った。

「ですが、私も月刊ムーの編集長として、この『国家を挙げたオカルトの答え合わせ』には、全面的に協力させていただきますよ。……過去のネットの海に沈んだ泥のようなデータの中から、真実の欠片をすくい上げるのは、我々界隈の最も得意とするところですからね」

 

 政府の方針は定まった。

 テロ組織認定の保留、最高レベルの警戒態勢、情報の厳格な切り分け、そして国際共同による過去資料の再解析。

 それは、正体不明の『現象』に対して、現代の国家機構が取り得る、最も理性的で、そして最も防御的なアプローチであった。

 

 だが。

 国家が密室で、分厚いマニュアルと手続きに縛られながら「慎重な方針」を固めているその同じ時間。

 壁一つ隔てた外の世界――インターネットという広大で無責任な海では。大衆の熱狂と考察が、政府の歩みを遥かに置き去りにして、完全に暴走し始めていたのである。

 

【第16章 ネット側、政府より先に暴走する】

 

『Cicada 3301』という、インターネットの深層に眠っていた伝説の名前。

 それが、世界同時ジャックという圧倒的な魔法(テクノロジー)を伴って現実世界に顕現したという事実は、ネット民たちの脳髄に強烈なドーパミンを分泌させていた。

 

 政府が慎重に「情報をどう統制するか」を会議している間に、ネットの海では、誰に命じられるでもなく、世界中のユーザーたちによる【自主的なCicada再解析祭り】が、爆発的な勢いで始まっていた。

 

 [大手まとめサイト / トレンド記事一覧]

 

『【悲報】世界各国政府、今さら焦ってCicada 3301をググっている模様www』

『【考察】Liber Primus未解読ページに、星間文明技術の座標(ワープポイント)が書かれている説、ガチで濃厚になる』

『【検証】昨夜のCicada声明動画をコマ送りで解析した結果。PGP署名は本当に無かったのか?』

『アーティファクト時代、ついにネットのオタク(暗号勢)が世界を支配するターンに突入か』

 

 大衆の反応は、それぞれの所属する「クラスタ」によって、全く異なるベクトルへと狂い咲いていた。

 

 最も熱狂し、かつ行動が早かったのは、やはりサイバー空間の住人である『暗号・ハッカー勢』であった。

 

 [Discord / 匿名暗号解析コミュニティ『Cipher_Core』]

 

 User: Hash_Breaker

「おい、お前ら! 2012年から2014年までの過去ログ、画像データ、音声ファイル、全部ローカルに保存してある奴いるか!? 今すぐ共有しろ!」

 

 User: Null_Pointer

「Wayback Machineのアーカイブ、アクセス集中しすぎて重くなってるぞ! 世界中のにわか共が過去問(パズル)を見ようとして群がってきやがった!」

 

 User: Crypto_Nerd_01

「有志で『Liber Primus再解析班』のサーバー立ち上げた。

 今まで数秘術とか哲学の文脈で読んでたから解けなかったんだ。あれが『アーティファクトの仕様書(あるいは異星の言語体系)』だと仮定して、ルーン文字と物理定数のマッピングをやり直す必要がある」

 

 User: Code_Monkey

「おい、誰か日本の月刊ムーの三神編集長に資料送ってやれよ! あのおっさん、『文明解釈者』としてサザビーズのVIP席に座ってたんだろ? ネットの有志と三神で共同解析した方が、絶対政府より早く答え出せるって!」

 

 一方で、現実と妄想の境界線が完全に溶け落ちた『陰謀論者』たちは、この事態を自らの思想を補強するための最強のスパイスとして消費し始めていた。

 

 [X(旧Twitter) / 陰謀論界隈のタイムライン]

 

 @Truth_Seeker_Q

「目を覚ませ! Cicada 3301なんて昔から政府の裏組織(CIAかNSA)の自作自演だ! 今回の放送も、アーティファクトの恐怖を煽って、世界統一政府を作るためのプロパガンダに過ぎない!」

 

 @Occult_Connection

「いや違う! 彼らはあの万象器のオークションを仕掛けた『アシュワース卿』の直属の弟子たちだ! 卿の残した研究ノートの裏に、Cicadaへの加入テストが隠されていたんだ!」

 

 @KAMI_Apostle

「彼らは『KAMI』と呼ばれる高次元存在の使徒です。人類が愚かにもアーティファクトを軍事利用しようとするのを監視し、罰するために遣わされたのです!」

 

 @Eco_Truth_99

「タイミングを考えろ! インドが『ソーマの樹』を発表して地球を癒やし始めた直後に、あいつらは現れた。あれは、強欲な大国(アメリカや中国)がソーマの樹を奪おうとするのを防ぐための、絶対的な抑止力として立ち上がった防衛者なんだよ!」

 

 @Fake_Buster_00

「大統領の後ろの自撮り映像、あれ全部ハリウッドのグリーンバック撮影だぞ! 空間跳躍なんて存在しない! 俺たちはずっとスクリーンの上で騙されてるだけだ!」

 

 あらゆる妄想が、肯定も否定もされないまま、凄まじい速度で拡散されていく。

 彼らにとって、KAMIという上位存在やアシュワース卿という名前が、単なる妄想の産物としてではなく、現実のアーティファクト事象と複雑に絡み合った「もっともらしい陰謀論」として語られているこの状況は、極めて混沌としていた。

(皮肉なことに、KAMIという上位存在が実際にサイト・アオに実在していることを考えれば、陰謀論者の放った数万発のデタラメな矢のうちの一本が、かすかに真実の縁を掠めているとも言えるのだが、彼ら自身にそれを確認する術はない)

 

 そして、それらの熱狂や妄想の輪の外側にいる【圧倒的多数の一般人】は。

 日々めまぐるしく変わり続ける世界のルールに、ただただ情緒をすり減らし、深い疲労と恐怖の中に沈んでいた。

 

 [X(旧Twitter) / 一般のタイムライン]

 

 @Normal_Citizen_A

「もう何が何だか分からない。

 昨日まで、インドのソーマの樹が死の川を綺麗にしていくタイムラプス動画見て、『人類にもまだ希望があるんだ』って感動して泣いてたのに。

 今日は、大統領の背後にワープしてくる見えないハッカー集団に怯えながら、自分の部屋の後ろを何度も振り返ってる」

 

 @Corporate_Slave_00

「アーティファクト時代になってから、情緒のアップダウンが激しすぎて心が壊れそう。

 経済が崩壊しかけたり、バケモノがビル食ったり、魔法みたいな樹が生えたり、今度はネット都市伝説が現実をハックしてきたり。

 ……頼むから、もう一ヶ月くらい何も起きない『普通の火曜日』を過ごさせてくれ」

 

 @Daily_Life_Bot

「空の怪物は光の柱で倒せたかもしれないけど。

 ネットと空間を自由に移動するCicadaには、光の柱もミサイルも当たらない。

 私たち一般人は、彼らが次に『誰の秘密を暴くか』という気まぐれな配信通知に、ただ怯えて待つことしかできないんだ」

 

 世界は、かつてないほど濃密な情報と考察のノイズに埋め尽くされていた。

 政府が密室で「冷静な対応」を検討している間に。ネット空間は、Cicada 3301という新たな神話を神格化し、恐れ、そしてどこか待ち望むという、最も厄介で制御不能な怪物へと完全に変貌を遂げてしまっていたのである。

 

 

 

 

【第17章 偽Cicadaが大量発生】

 

 世界が「Cicada 3301」という十年前の亡霊の名にハッキングされ、未解読の古文書《Liber Primus》を巡って各国のインテリジェンス機関が暗闘を繰り広げているその裏側で。

 無軌道で無責任なインターネットの大海原は、国家の思惑とは全く別のベクトルで、かつてない規模の【腐臭を放つカオス】へと変貌を遂げつつあった。

 

 圧倒的な力と恐怖が提示されたとき、大衆の反応は二極化する。

 恐れて身を潜める者と。……その狂乱の波に乗り、あわよくば自らの「利益(金と承認欲求)」へと変換しようとする者たちだ。

 

 昨夜の全世界同時ジャックからわずか半日。

 ネット空間は、本物のCicadaの沈黙を埋め尽くすように、無数の「偽物」と「模倣犯」、そして人間の底なしの強欲が煮詰められたような【詐欺ビジネス】によって完全に汚染されていた。

 

 [X(旧Twitter) / タイムラインの惨状]

 

 @Cyber_Sec_Alert

 現在、X(旧Twitter)や各種SNSにおいて、「Cicada 3301公式アカウント」を名乗る偽物が秒単位で大量発生しています。

 彼らが投稿している『新たな暗号パズル』や『声明文』は、すべて悪質なフィッシングサイトへの誘導、またはマルウェア(ウイルス)の配布を目的としたものです。絶対にリンクを踏まないでください!

 

 @Trend_Watcher_JP

 トレンドが地獄みたいになってる。

「Cicadaメンバー募集」とか「公式グッズ販売開始」とか、明らかに頭の悪い便乗犯が湧きまくってるんだけど、それに引っかかってる情弱が山ほどいて震えるわ。

 

 @Crypto_Scam_Buster

 おい、仮想通貨の分散型取引所(DEX)見てみろ。

『Cicada Coin』だの『Teleport Token(空間跳躍投資)』だの、一晩で千種類以上の詐欺コイン(スキャム)が上場されて、アホみたいに資金が集まってるぞ!

「彼らの星間文明テクノロジーに投資しませんか? 利益は空間跳躍で配当されます」とかいう、IQがマイナスになりそうな煽り文句に、なんで何億円も金が集まるんだよ!

 

 @Corporate_Slave_00

 いや、もうアーティファクト時代になってから、何が本当で何が嘘か分かんなくなってんだよ。

「不老無病の仙人」とか「空飛ぶ黒い鯨」が実在する世界で、「空間跳躍技術のクラウドファンディング」って言われたら、ワンチャン本物かもって思って金突っ込んじゃうバカが出てもおかしくない。現実が一番バグってるんだから。

 

 かつてであれば、「空間跳躍技術に投資を」などというスパムメールは、誰もが見向きもせずにゴミ箱へ捨てていたはずだ。

 しかし、昨夜、何十億という人類が、国家元首の背後にテレポートするモザイク顔の集団を「現実」として目撃してしまった。

 アーティファクトの力が実在すると証明されてしまったこの世界において、大衆の「常識のフィルター」は完全に破壊されていた。だからこそ、どれほど荒唐無稽な詐欺であっても、「もしかしたら本物のCicadaが、裏で資金集めをしているのかもしれない」という一握りの狂った希望(欲)が、人々の財布の紐をいとも容易く引きちぎってしまったのだ。

 

 この無秩序極まりない便乗の嵐に対し、ネットの深層に生息する古参の『暗号クラスタ』たちは、怒りで完全に発狂していた。

 

 [Reddit:r/Cicada3301_Discussion]

 

 User_HashKey_99

 "These fake puzzles are a disgrace! None of them have a PGP signature! I repeat, NO PGP SIGNATURE means they are FAKE! Stop trying to solve this garbage generated by AI!"

(この偽のパズルどもは侮辱だ! どれ一つとしてPGP署名がついていない! 繰り返す、PGP署名がないものは偽物だ! AIが生成したこんなゴミを解こうとするのはやめろ!)

 

 User_CryptoBeard

 "Look at this 'official' merchandise site. They are selling hoodies with the Cicada logo for $150. The real Cicada despised commercialism. This makes my blood boil."

(この『公式』グッズサイトを見てみろ。Cicadaのロゴ入りパーカーを150ドルで売っている。本物のCicadaは商業主義を軽蔑していた。血が煮えくり返るよ)

 

 User_NormalGuy_US

 "Dude, the broadcast last night didn't have a PGP signature either. By your logic, the real guys who teleported are also fake. So who cares? Everything is broken now."

(おいおい、昨夜の放送だってPGP署名なんて無かっただろ。お前らの理屈で言えば、テレポートした本物(?)の連中だって偽物ってことになる。なら、もうどうでもいいだろ? 今はすべてがぶっ壊れてるんだよ)

 

 User_HashKey_99

 "Shut up! The authentication concept is not broken! The media is just confusing the masses!"

(黙れ! 真正性の概念は壊れていない! メディアが大衆を混乱させているだけだ!)

 

 暗号オタクたちの悲痛な叫びは、圧倒的なノイズの波にかき消されていった。

「PGP署名がないものは偽物だ」と彼らがどれだけ正論を叫ぼうとも、一般大衆は「いや、昨日の本物(空間跳躍者)も署名なんてしてなかっただろ」と冷酷に言い返す。

 Cicada 3301自身が、自らのアイデンティティであった「デジタル署名」というルールを捨てて、物理的な暴力(空間ジャック)による証明へと移行してしまったがゆえに。……ネット空間における『本物と偽物の境界線』は、完全に消滅してしまっていた。

 

 そして、このカオスは、ついに日本政府の行政機関までもを巻き込む、極めてシュールで絶望的な事態へと発展した。

 

 午後一時。

 日本の消費者庁が、急遽、公式ホームページおよび各SNSアカウントを通じて『異例の注意喚起』を発出した。

 

『【緊急注意喚起】「Cicada 3301」を名乗る詐欺トラブルに注意してください!

 現在、インターネット上やSNSのダイレクトメッセージ等で、「Cicada 3301の公式メンバー募集」や「空間跳躍技術(アーティファクト)への投資」を騙る勧誘が急増しています。

「テストに合格すれば星間文明の技術を共有する」「暗号資産を送金すればアーティファクトの優先購入権を与える」といった誘い文句は、すべて【詐欺】の可能性があります。

 未知のテクノロジーを用いた投資話や、不審な暗号パズルへの個人情報の入力は絶対に行わないでください』

 

 この、真面目すぎる日本のお役所仕事が放った声明文は、大衆の疲弊した精神に、トドメのような「脱力感」と「恐怖」を与えた。

 

 [5ちゃんねる:ニュース速報板]

 スレタイ:【悲報】消費者庁「空間跳躍技術への投資詐欺に注意してください」

 

 1 :名無しさん@涙目です

 空間跳躍投資詐欺wwwwww

 

 5 :名無しさん@涙目です

 日本の役所が「星間文明の技術」とか「アーティファクトの優先購入権」って単語を大真面目に使って注意喚起してるの、世界観が狂いすぎてて脳がバグる。

 

 14 :名無しさん@涙目です

 振り込め詐欺の最新トレンドが「オレオレ、俺だけど空間跳躍のテストに受かってさ」になる時代。

 

 22 :名無しさん@涙目です

 いやでも、これ実際に騙されて何百万も振り込んじゃってる高齢者とか若者がいるから、消費者庁も動かざるを得なかったんだろ?

 地獄だよ。

 

 35 :名無しさん@涙目です

 政府が「空間跳躍投資に注意」ってアナウンスしなきゃいけない社会、控えめに言って嫌すぎるだろ。

 誰も今の地球のシステム(常識)についていけてない。

 

 48 :名無しさん@涙目です

 暗号勢が「PGP署名がないから詐欺だ!」ってキレてて、一般人が「テレポート投資で儲けるぞ!」って金ドブに捨ててて、政府が「アーティファクトは買えません」って広報してる。

 人類、神の技術を見せつけられた翌日にやることがそれかよ。本当に愚かすぎる。

 

 恐怖、欲望、混乱、そして詐欺。

 Cicada 3301という集団は、世界を火の海にするミサイルを撃つまでもなく。ただ「得体の知れない強大な力」をネットの海にチラつかせただけで、人類の社会システムと理性を、内側から完璧に腐らせ、崩壊させつつあった。

 それこそが、彼らが仕掛けた最もタチの悪い「毒」であった。

 

【第18章 Cicada側、黙って見ている】

 

 世界中が偽情報と詐欺の渦に巻き込まれ、各国のインテリジェンス機関が国家予算を湯水のように注ぎ込んで未解読文書《Liber Primus》の再解析に血眼になっている、その裏側で。

 

 地球上のいかなる人工衛星の光学センサーも、NSAの広大な通信傍受システムも、その座標を捉えることのできない場所。

 それが、廃線になった地下鉄のさらに奥深くの忘れられた防空壕なのか、あるいは大気圏の境目に浮かぶ光学迷彩に守られたステルス空間なのか。

 薄暗く、ひんやりとした無機質な空間に、無数のホログラムモニターだけが、青白い光を放って空中に展開されていた。

 

 モニターの群れには、現在進行形で狂乱する地球上のあらゆるデータがリアルタイムで並べられている。

 

 YouTubeで何百万回と再生されている『Cicada 3301の正体を暴く!』と題された考察動画。

 アメリカ国防総省とサイバー軍が、旧式の暗号解読アルゴリズムを総動員して《Liber Primus》のルーン文字を力技でこじ開けようとしている、滑稽なまでの演算プロセスの波形。

 X(旧Twitter)上で激しく罵り合う、暗号原理主義者と一般ユーザーのレスバトル。

「彼らは政府の犬だ」「いやKAMIの使徒だ」と喚き散らす陰謀論者たちのテキスト。

 そして、日本の消費者庁が発表した『空間跳躍投資詐欺への注意喚起』のシュールなウェブサイト。

 

 その光の波の中に、数人の人影が、まるで映画館の特等席で三流のコメディ映画でも観るように、リラックスした姿勢で立っていた。

 

「……あははっ、みんな、本当によく調べるね」

 パーカーのフードを深く被った若いメンバーの一人(仮にメンバーAとする)が、空間に浮かぶ考察動画のサムネイルを指で弾きながら、心底楽しそうに笑い声を漏らした。

「十年前の掲示板のログから、街角のQRコードの座標まで、完璧に掘り返してくれてる。僕たちが何もしなくても、彼らが勝手に『Cicada 3301』の恐ろしい歴史(バックストーリー)を全世界に宣伝してくれてるよ」

 

「昔の名前というのは、本当に便利なものだな」

 黒いジャケットを着崩した別のメンバー(メンバーB)が、ダークウェブで乱立する『Cicada公式グッズ』の偽販売サイトを眺めながら、皮肉な笑みを浮かべた。

「少しだけ『匂わせる』だけでいい。あとは、大衆とメディアが、自らの恐怖と好奇心で、勝手に巨大な物語(モンスター)を構築してくれる。……我々が手を下すまでもなく、彼らの脳内では、我々はすでに『世界を裏から操る星間文明の使徒』として神格化されているわけだ」

 

「……でも、リーダー」

 少し離れた場所で、各国のサイバー部隊の動きを監視していたメンバーCが、ホログラムの端に流れる暗号クラスタの怒りの書き込みを指差した。

「昔からの面倒くさい連中(暗号オタク)が、PGP署名を求めて騒ぎ続けているよ? 『署名がないから偽物だ、思想を冒涜している』ってさ。……これ、適当な署名を捏造して投下して、彼らを黙らせた方がいいんじゃないか?」

 

 その問いに対し。

 モニター群の最も中心で、腕を組み、静かに地球の狂騒を見下ろしていた男――リーダー格の人物が、低く、愉悦に満ちた声で答えた。

 

「……署名など、必要ない」

 

 リーダーは、空間に浮かぶ『キャサリン・ヘイズ大統領の背後で自撮りをした映像』を、愛おしそうに拡大した。

 

「我々がPGP署名を捨てたことこそが、最大のメッセージなのだ。

 ……十年前、我々は『ネットの中の幽霊』に過ぎなかった。だから、自分たちが本物であると証明するために、数学のルール(暗号)に縋るしかなかった。

 だが、今は違う」

 

 リーダーの顔はモザイクの向こう側で隠されているが、その眼光の鋭さは、モニターの光を反射して不気味に輝いていた。

「我々の新しい署名は、世界中の権力者の背後に、いつでも音もなく立てることだ。

 ……地球上のすべてのルールを、物理的に無視できるという【事実】。これ以上の、完璧な真正性(アイデンティティ)の証明があるか?」

 

 リーダーは、暗号オタクたちの悲痛な叫びを冷酷に切り捨てた。

「旧時代のルールに固執する者たちは、放っておけ。彼らは、世界がアップデートされたことに気づけない、可哀想なロスト・ジェネレーションだ」

 

 メンバーたちは、リーダーの言葉に満足げに頷いた。

 彼らは、何か特定の国家に恨みがあるわけでも、世界を征服したいわけでもない。ただ、圧倒的な力を手に入れたことによる【全能感】と、不完全な人類の社会システムが自らの手で崩壊していく様を観察する【知的な愉悦】に、完全に酔いしれていた。

 

「で? 次は、どうするんだい、リーダー」

 メンバーAが、目を輝かせて尋ねた。

「声明で予告した通り、中国の『仙人様』の病室にワープして、治療の邪魔でもしてみるか? それとも、イギリスの『魔女様』のお茶会に、毒入りのスコーンでも差し入れに行く?」

 

 リーダーは、すぐには答えず、指先でホログラムの地球儀をゆっくりと回転させた。

 

 彼の視線の先には、現在、地球上で最も熱を帯びている【三つの火薬庫】がハイライトされていた。

 

 一つ目は、インド・サトレジ川の畔。

 厳重な軍のバリケードの奥で、神々しい翡翠の光を放つ『ソーマの樹』。そして、その中心で結実しつつある、世界中が血眼になって奪い合おうとしている“次世代の種子”。

 

 二つ目は、東欧の闇市場。

 ミロシュという狂った物理学者がばら撒いた『アポロンの矢の劣化版』の設計図を元に、マフィアやテロリストたちが密造兵器を取引し、各国の諜報機関がそれを阻止しようと血みどろの暗闘を繰り広げている裏社会のネットワーク。

 

 三つ目は、中国・中南海。

 自らの気を削って民の末期癌を治し、神格化されつつある仙人指導部。そして、その「殺せば恩恵が移る」という邪悪な仕様を狙って、世界中から集結しつつある無数の暗殺者たち。

 

「……我々は、啓蒙者でも、破壊者でもない。あくまで、世界の真実を暴く【遊撃記者】だ」

 リーダーは、その三つの火薬庫を眺めながら、極めて残酷なゲームマスターの顔で笑った。

「国家が必死に隠そうとしているもの。大衆が最も見たくて、最も見たくないもの。

 ……まずは、観客が一番『見たがっているもの』を、最高の特等席から見せてやろうじゃないか」

 

 リーダーの指先が、三つの候補地のうちの一つに向かって、ゆっくりと伸ばされた。

 

「……次の配信の準備をしろ」

 

 その言葉は、地球という巨大な劇場に、次の幕が開くことを告げる、死神の囁きであった。

 

【ラストシーン】

 

 同時刻。

 日本、東京。首相官邸の地下深くに位置する、既存技術外事象評価セルの特別会議室。

 

 アメリカとの、極度の緊張を強いられた日米ホットラインの通信が、ようやく切断された。

 黒く暗転したメインモニターを前に、矢崎総理は、張り詰めていた肩の力を抜き、椅子の背もたれに深く体重を預けた。その顔には、一国の指導者としての限界を超えた疲労が、色濃く刻み込まれている。

 

「……終わりましたね。ひとまずは」

 沖田室長が、手元の暗号通信プロトコルを完全に遮断し、小さく息を吐いた。

 

「アメリカ政府の焦りと恐怖は、我々の想像以上でしたね」

 矢崎総理は、冷え切ったコーヒーの紙コップを見つめながら呟いた。

「世界最強の国家が、たった数人の顔も見えないハッカー集団に、ここまで翻弄されるなんて。……アーティファクトの力は、本当に、国家という巨大なシステムを無意味にしてしまうのね」

 

 円卓の隅で、パイプ椅子に深く腰掛けていた三神編集長が、総理の言葉に被せるようにして、手元のタブレットの画面をスッとテーブルの中央に滑らせた。

 

「……ええ。そして、彼らが無意味にしたのは、国家権力だけではありませんよ。総理」

 

 三神が提示したタブレットの画面。

 そこに表示されていたのは、現在の日本、いや世界中の検索エンジンの【リアルタイム・トレンドランキング】であった。

 

 1位:Cicada 3301

 2位:Liber Primus

 3位:PGP署名

 4位:存在しない存在

 5位:君の後ろ

 

 矢崎総理は、その異常なまでに偏った文字列の羅列を見て、僅かに眉をひそめた。

 

「世界中が……彼らを知ろうと、検索している」

 総理の呟きに、三神は静かに、深く頷いた。

 

「ええ。……それこそが、彼らの『第一の目的』だったのかもしれません」

 

「名前を知られること、ですか?」

 沖田室長が、インテリジェンスの観点から、その目的の軽さに疑問を呈すように問う。

「ただの承認欲求を満たすために、あのようなリスクの高い世界同時ジャックを?」

 

「違います、沖田さん」

 三神の瞳が、オカルトと現実の境界線を見極める、鋭利な刃物のように光った。

「……都市伝説というものは。人々に語られ、恐れられ、検索されるほどに……その『概念』が強固になり、現実に根を下ろすのです。

 ……Cicada 3301という名前は、昨夜のたった五分間の放送で、人類数十億人の記憶に、絶対に消えない恐怖のトラウマとして深く刻み込まれました」

 

 三神は、タブレットの画面をトントンと指で叩いた。

 

「彼らは、もうただのハッカー集団でも、テロ組織でもありません。

 ……彼らは、人類の心の中に巣食う、【現象】になったんです」

 

「現象……」

 矢崎総理が、その言葉の恐ろしさを咀嚼するように、低く反復する。

 

「ええ」

 三神は、真っ暗なメインモニターを見上げ、そこにやがて映し出されるであろう最悪の未来を幻視するように言った。

「次に彼らが、世界のどこかに現れた時。

 ……世界中の人々は、恐怖で震え上がりながらも。決して画面から目を逸らすことができず、彼らの配信を『見て』しまうでしょう。

 ……国家にとって、これほど厄介で、倒すことのできない敵は存在しませんよ」

 

 Cicada 3301。

 それはかつて、インターネットの片隅に現れた、謎の暗号パズルの名前だった。

 

 画像の中に隠された無意味な文字列。

 幾重にも暗号化された文章。

 世界各地の薄暗い街角に貼られたQRコード。

 厳重に署名されたメッセージ。

 そして、誰にも読めない未解読の書物《Liber Primus》。

 

 それらは長い間、ネット史に残る未解決ミステリーとして、一部のオタクたちの間でひっそりと語り継がれてきたものに過ぎなかった。

 

 だが、この狂気に満ちたアーティファクトの時代において。その名は、全く新しい、致命的な意味を帯びた。

 

 彼らは本物の天才たちなのか。

 名前を騙っただけの偽物なのか。

 星間文明の遺産を受け継いだ後継者なのか。

 あるいは、二〇一二年の最初から、人類を監視し、誘導し続けてきた『何か別のもの』だったのか。

 

 その答えは、まだ誰も知らない。

 

 ただ一つだけ、確かなことがあった。

 世界中の人間が、その名を検索した。

 そして、次に彼らが放送のスイッチを入れる瞬間を、恐れながらも、心の底で待ち始めてしまったということだ。

 

 Cicada 3301は、もはや国家の法律で裁ける組織でも、軍隊で制圧できる実体でもなくなった。

 それは、世界そのものに深く感染し、人々の認識を狂わせる、新しい『謎(ウイルス)』だった。

 

 




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