銀河皇帝のスペアに転生した元社畜、地球軌道上の要塞でネトゲ三昧の隠居生活を満喫する 〜足元では超大国が滅亡級の異星遺産を巡って暗躍中ですが、主人公(ぼく)の命は絶対安全なので特等席で傍観します〜   作:パラレル・ゲーマー

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第129話 ソーマの樹、防衛戦を実況される

 どこまでも深く、光の届かない漆黒の海の上を、その船は音もなく滑るように進んでいた。

 波を切り裂くスクリューの振動は極限まで抑え込まれ、船体の外殻は最新鋭の電波吸収塗料によって、沿岸レーダーの網目をただの「波のノイズ」としてすり抜けていく。国籍を示す旗はない。船籍番号も、AIS(船舶自動識別装置)の信号もすべてが偽装された、完全な幽霊船だった。

 

 窓を持たない薄暗いキャビンの中には、赤黒いタクティカル・ライトの光だけが不気味に灯っていた。

 そこに集まっているのは、二十名ほどの屈強な男たちである。彼らが身に纏うのは、暗視装置、対赤外線偽装の施されたコンバットスーツ、短銃身の消音アサルトライフル、そしてジャミング用の電子戦バックパック。各国の正規特殊部隊すら凌駕するほどの高価で洗練された装備だ。

 だが、彼らの肩や胸には、いかなる国家のエンブレムも刻まれていない。認識票すら持たない彼らは、裏社会の闇からかき集められた最高純度の暴力装置――非合法の民間軍事会社(PMC)、あるいは「顔のない雇われ兵」であった。

 

 キャビンの中央に設置されたテーブルの上に、青白い立体ホログラムの地図が投影される。

 リーダー格の男が、無精髭に覆われた顎を撫でながら、氷のように冷たい視線で部下たちを見回した。

 

「……最終ブリーフィングだ」

 リーダーの低く掠れた声が、エンジンの微かな駆動音に混じって響いた。

「目標は、日本の極東、フクシマ管理区域内に存在する巨大結晶樹。……コードネームは《ソーマ》だ」

 

 ホログラムが拡大され、海岸線からほど近い丘陵地にそびえ立つ、翡翠色の幹とダイヤモンドのような葉を持つ美しい大樹の姿が映し出された。

 

「優先目標は、対象の枝葉、および地中深くに張られた『根系』の物理サンプルの確保。……そして可能であれば、対象の中心部で結実しつつあると予測される『次世代の種子』の奪取だ」

 リーダーは、ホログラムの樹の根元をレーザーポインターで指し示した。

「万が一、防衛網の抵抗が激しく、サンプルの回収ならびに撤退が物理的に困難であると判断された場合は。……作戦をフェーズBへと移行し、対象の【完全破壊】を実行する」

 

 その言葉に、並み居る傭兵たちの中から、微かなざわめきが漏れた。

「……破壊、だと?」

 部下の一人が、顔に走る古い傷跡を歪めて低く問うた。

「ニュースを見たぜ。あれは死の川を一週間で蘇らせた、本物の奇跡の植物なんだろ? それを爆破しろって言うのか? クライアントの頭はどうなってる。そんなことをすれば、世界中を完全に敵に回すことになるぞ」

 

「クライアントの意向など、我々が気にする必要はない」

 リーダーは冷酷に切り捨てた。

「奪えなければ、壊す。……それは、我々が持ち帰れなかった技術を、日本やアメリカといった特定の国家が独占し続けることを許さないという、スポンサー側の極めて合理的な判断だ」

 

「日米の警備状況はどうなっている」

 別の部下が、最も現実的な死活問題を口にした。

「日本は、あのアーティファクトを国家の威信をかけて守っているはずだ。我々は今から、世界で一番警備が厳重な金庫に正面から突っ込もうとしているんじゃないのか?」

 

 リーダーは、ホログラムの地図上に、無数の赤い光点を展開させた。

「厚い。控えめに言っても、絶望的なほどにな。

 外洋には日本の海上保安庁の巡視船団と、海上自衛隊の護衛艦。陸上には自衛隊の即応部隊と、警察の対テロ特殊部隊。上空にはアメリカ軍の軍事衛星と、無人偵察機が二四時間体制で睨みを利かせている」

 

 傭兵たちは、その絶望的な布陣を聞いて、皮肉な笑みを浮かべた。

「まるで第三次世界大戦の最前線だな」

「たった二十人で、正規軍の要塞を破れと?」

 

「正面から国家と戦争をするわけではない」

 リーダーは、地図上に一本の細い緑色のラインを引いた。

「我々が狙うのは、陸と海の境界線……監視システムと管轄権が交差する、ごくわずかな『継ぎ目(死角)』だ。

 陽動部隊がシステムに偽のノイズを流し、センサーの目を一分間だけ逸らす。その隙に、我々は強襲艇で海岸線に取り付き、光学迷彩を用いて最短ルートで対象へ肉薄する。

 ……戦闘は目的ではない。短時間で侵入し、採取し、そして即座に離脱する。日本やアメリカの増援部隊が駆けつける前の、わずか『七分間』が勝負だ」

 

 リーダーは、円陣を組む男たちの顔を一つずつ睨み据えた。

 

「確認しておく。……もし作戦が失敗し、拘束されるか、あるいは死んだ場合は?」

 

「我々は、最初から存在しなかったことになる」

 部下の一人が、感情の一切ない声で、雇われの鉄則を暗唱した。

「国籍はない。所属はない。雇い主の名前も知らない。……ただの、名もなき強盗の死体が浜辺に転がるだけだ」

 

 彼らは、自分たちに破格の報酬を提示した『真の依頼主(黒幕)』が誰なのかを、本当に知らされていない。

 世界の覇権を狙う敵対国家の裏工作なのか。アーティファクトの環境再生技術を独占しようとする超多国籍企業の差し金なのか。あるいは、あの樹を異端として破壊しようとする宗教過激派の狂行なのか。幾重にもダミー会社と暗号資産の口座を経由して支払われた前金だけが、唯一の真実だった。

 

「リーダー」

 若い部下が、作戦の重圧を誤魔化すように、ふと疑問を口にした。

「……本当に、あの光る木に、我々が命を張るほどの価値があるのか?」

 

 リーダーは、ホログラムの《ソーマの樹》の輝きをじっと見つめ、静かに答えた。

 

「……あれは、砂漠を農地に変え、死んだ海を一瞬で蘇らせる力を持っている。放射能も、化学物質も、すべてを無に帰す。……それが意味することが分かるか?」

 リーダーの声が、暗いキャビンに重く響く。

「あれは、環境保護のシンボルなどではない。……地球上のすべての資源と、土地の価値をひっくり返す魔法だ。あの種の構造一つ、枝の一欠片を持ち帰るだけで……【国家を一つ買える価値】がある」

 

 その途方もない言葉に、傭兵たちはゴクリと生唾を飲んだ。国家を買える金。その途方もない欲望の匂いが、彼らの内側にある「死への恐怖」を、完全に麻痺させていく。

 

 リーダーは、アサルトライフルのボルトを引き、乾いた金属音を響かせた。

 

「……では、行くぞ」

 赤黒い照明の下、死神のような男たちの目がギラリと光る。

「作戦開始だ」

 

 日本の夜明け前。

 世界が静寂に包まれていたその時間、インターネットの海に突如として異変が起きた。

 

 スマートフォン、タブレット、スマートテレビ、PC。

 全世界の、およそ「数パーセント」のデバイスの画面にのみ、OSのセキュリティを完全に無視したプッシュ通知が静かにポップアップしたのだ。

 それは、以前のように全人類の画面を強制的にジャックする暴力的な手法ではなく、まるで選び抜かれた観客にだけそっと招待状を送るかのような、悪趣味な「選択式」の通知だった。

 

『【Cicada 3301 Live】

 Emergency Broadcast : Soma Tree Defense Match

 Watch?

 [ YES ] / [ NO ]』

 

 深夜に通知を見た人々は、一瞬息を呑んだ。

 Cicada 3301。先日、アメリカ大統領の背後にワープし、世界中をパニックに陥れたあの集団。

 彼らが、再び現れた。しかも、「ソーマの樹 防衛戦」という、あまりにも不吉なタイトルを引っ提げて。

 怖い。見たくない。だが、その指は無意識のうちに『YES』のボタンをタップしていた。

 

 画面が暗転し、緑がかった高画質の暗視(ナイトビジョン)映像が展開される。

 そこに映し出されていたのは、どこかの薄暗い船室で銃器を点検する、完全武装の傭兵たちの姿だった。映画のセットではない。生々しい実銃の金属音、緊迫した息遣い。

 そして、その映像に被さるように、電子的に加工された、性別すら判別できない不気味な声が、スピーカーから響き渡った。

 

『――こんばんは、世界の皆さん。我々は、Cicada 3301です』

 

 その声は、世界を脅かすテロリストのそれではなく、まるで深夜のスポーツ中継を担当するアナウンサーのように、極めて明るく、軽快なトーンだった。

 

『本日の配信は、皆様がとても気になっているであろう、極東の島国からお届けします。

 そう、人類の希望の象徴。【福島ソーマの樹・防衛戦】です!』

 

 日本のネット空間は、瞬く間に処理限界を超えるトラフィックを叩き出した。

 

『は?????』

『Cicadaの配信始まったと思ったら、福島!?』

『ソーマの樹が狙われてるってこと!? 嘘だろ!?』

『なんでお前らがそれ実況してんだよ!!』

 

 視聴者の混乱と怒号をよそに、実況の声はどこまでも軽く続いていく。

 

『画面に映っているのは、赤コーナー! 国籍不明の雇われ強盗チーム!

 対するは、青コーナー! 最新鋭の装備で身を固めた、日本・アメリカ合同防衛チーム!

 さあ、希望の樹を巡る熱い奪い合いのゲームが、今まさに、始まろうとしています』

 

『ふざけんな!!』

『人の命がかかってるんだぞ!!』

『スポーツ感覚で実況すんな!! 早く警察呼べ!!』

 

 悲鳴のようなコメントが滝のように流れる中、Cicadaは最も最悪な『免責事項』を付け加えた。

 

『なお、誤解のないように申し上げておきますが。我々Cicada 3301は、今回の襲撃には一切関与しておりません。ただ、彼らが「面白いこと」を始めようとしていたのを見つけたので……世界中の皆さんに、このエキサイティングなショーを共有してあげようと、勝手に中継しているだけです』

 

 彼らは主犯ではない。ただの観客であり、最悪の実況者だ。

 『それでは、スポーツマンシップに則り……安全な距離から、お楽しみください』

 

 首相官邸のさらに地下深くに位置する、既存技術外事象評価セルの特別防音会議室。

 真夜中にもかかわらず緊急招集された矢崎総理、沖田室長、三神編集長らは、巨大モニターに映し出されたCicadaの配信映像を前にして、文字通り顔面を蒼白にしていた。

 

「総理! Cicadaの配信に、福島管理区域周辺と思われる映像が流れています!」

 情報通信担当の官僚が、血走った目で絶叫した。

 

「配信で知る襲撃予告って……何なのよ、これは……!」

 矢崎総理は、怒りと屈辱で机を強く叩いた。国家の防衛という最高機密が、どこの誰とも知れぬ愉快犯の手によって、全世界へのエンターテインメントとして暴露されているのだ。

 

「やはり、来ましたね」

 三神編集長は、よれたスーツのポケットに手を入れたまま、冷ややかにモニターを見上げていた。

 

「三神さん、落ち着きすぎよ」

 総理が鋭く睨む。

 

「落ち着かないと、判断を誤りますよ、総理」

 三神は、一切の動揺を見せずに答えた。

「そして悔しいことに、Cicadaが流しているこの映像は、フェイクではありません。……高確率で、現在進行形の本物(リアル)です」

 

「現地の防衛チームに直ちに確認を取れ!」

 沖田室長が、冷徹な現場指揮官の声で指示を飛ばす。

 

 数十秒後、福島管理区域の現地司令部から、切迫した報告が飛び込んできた。

『……こちら現地司令部! 海上に不審な複数熱源を確認! さらに、管理区域外縁部のセンサー網に、微弱ですが不可解なノイズと侵入反応を検知しました! Cicadaの映像と、完全にタイミングが一致しています!』

 

「……連中、本当に来やがった」

 沖田がギリッと奥歯を噛み締める。

 

「現地に警戒レベル最大を通達!」

 矢崎総理が、為政者としての号令を発した。

「ソーマの樹を、絶対に守りなさい! 枝葉一枚たりとも、奴らに渡してはならないわ!」

 

「問題は、世界中がそれを見ていることです」

 三神が、残酷な真理を突いた。

「今、日本の防衛能力のすべてが、ショーとして丸裸にされています。失敗すれば国家の威信が地に落ち、成功したとしても……我々の手の内は、次の強盗たちへの『攻略動画』として利用されることになります」

 

 福島管理区域。夜明け前。

 冷たい海風が吹き抜ける丘陵地に、ソーマの樹は淡く神々しい翡翠の光を放ちながら静かに立っていた。ダイヤモンドのような結晶葉が、風に擦れてシャラシャラと鳴っている。

 

 だが、その足元では、張り詰めた殺気が渦巻いていた。

 自衛隊の軽装甲機動車が静かに配置を変え、警察のSAT隊員たちが暗視スコープを下ろして防衛線に散開する。上空ではアメリカ軍の無人偵察機が旋回高度を下げ、沖合では海上保安庁の巡視船が不審な船影へとサーチライトを向けた。

 

 その光景を、Cicadaの配信カメラは、まるでスタジアムのワイヤーカメラのような、あり得ないほどの自由な俯瞰視点で捉えていた。

 

『おっと、防衛側も気づいたようです。日本チーム、素早い対応! アメリカチームも衛星と空の目で手厚くサポートに入ります。さすが福島ソーマの樹、守りが厚い!』

 

 日本のネット空間は、祈りと怒りで埋め尽くされていた。

『実況すんな!』

『いや、状況が分かるから情報としては助かるのが余計に腹立つ!』

『防衛側がんばれ! 絶対に守り切ってくれ!』

『これもう完全に試合扱いじゃん……吐き気がする』

 

 PMCの第一波が、陸上から管理区域の外縁へ接近した。

 彼らの目的は、ソーマの樹へ一直線に向かうことではなく、日本の防衛線に意図的に接触し、センサーの配置や反応速度を『探る』ことであった。

 

『まずは赤チーム、陸上からの先遣隊! センサーの穴を探っているようですが……おっと、日本側、もう補足している! これは罠に入ったか?』

 

「これ以上の接近は重大な違法侵入とみなし、実力行使による拘束行動に移る!」

 防衛側の拡声器から、冷酷な警告が響く。

 

 PMCは応答する代わりに、強烈な閃光弾と特殊発煙筒を立て続けに放った。さらに、自衛隊の通信網に向けて局地的な妨害電波(ジャミング)を仕掛ける。

 

『赤チーム、ここで煙幕! 視界と通信を切って突破を試みる!』

 Cicadaの実況が、熱を帯びる。

『しかし青チーム、熱源追跡を維持! 連携が崩れません!』

 

 短い、しかし極めてプロフェッショナルな交戦。

 SATと自衛隊の即応部隊は、煙幕の向こう側から侵入しようとする傭兵たちを、正確な制圧射撃と完璧なフォーメーションで容赦なく押し返した。PMC側は、これ以上の強行突破は無意味と悟り、煙に巻かれて素早く後退していく。

 

『第一ラウンド、防衛側が制しました! 赤チーム、思ったより苦しい立ち上がりです!』

 

 陸上での強行突破が困難であると判断したPMCのリーダーは、冷酷な決断を下した。

「強奪は不可能に近い。……フェーズBへ移行する」

 

 彼らが取り出したのは、枝を切り取るための道具ではない。携行型の対装甲ロケットランチャーだった。

 

『おっと、ここで赤チーム、重火器を取り出した!』

 Cicadaの実況が、一気にトーンを跳ね上げた。

『これは回収を諦めて、破壊狙いに切り替えたか!? ソーマの樹を壊せれば目的達成という、極めて冷酷な判断でしょうか!』

 

 現地司令部に、戦慄が走る。

「敵部隊、携行対戦車兵器を構えています! 樹への直接攻撃を確認!」

 

「防護車両を前へ出せ! 絶対に直撃させるな!」

 

 ズドォォン!!

 暗闇を切り裂き、ロケット弾の推進炎がソーマの樹へ向かって一直線に伸びる。

 

『青チーム、車両で射線を切った!』

 

 間一髪。自衛隊の軽装甲機動車が、猛スピードでソーマの樹とロケット弾の間に割り込んだ。

 凄まじい爆発音と閃光。爆煙が吹き上がり、防護車両の装甲が大きくひしゃげた。衝撃波で、ソーマの樹の結晶葉が激しく揺れ、シャラシャラと悲鳴のような音を立てる。

 

『ナイスガード! これは野球で言えばファインプレー、サッカーで言えばゴール前クリアですね!』

 

 日本のネット民たちの怒りが爆発した。

『ナイスガードじゃねえよ!!』

『ソーマの樹に撃つなああああ!!』

『防衛隊ありがとう、よく守ってくれた!』

『Cicadaの実況が軽すぎてマジで殺意湧く。お前ら人間じゃない』

 

 首相官邸。

「……Cicadaの配信を、物理的に止められないの!?」

 矢崎総理が、爪が食い込むほど拳を握りしめながら叫んだ。

 

「止められません」

 サイバー担当官が、絶望的な顔で首を振る。

「彼らのデータは通常の通信インフラを経由していません。我々のファイアウォールを完全に無視して、直接デバイスに映像を書き込んでいます」

 

「彼らは、世界中に“観客席”を作ってしまったのですよ」

 三神が、冷たい声で言った。

 

 戦闘が膠着しかけたその時、海側から新たな動きがあった。

 福島沖の警戒線外に停泊していた不審船から、複数の武装した小型高速艇が海面を滑るように急接近してきたのだ。

 

『おーっと、ここで赤チームに援軍だ! 湾岸ルートから武装船が上がってきました!』

 Cicadaが、さらに状況を煽る。

『これは青チーム、陸と海の二正面対応を迫られる! ソーマの樹、防衛線は持つのか!?』

 

「海保、警告を継続しろ! 止まらなければ威嚇射撃を許可する!」

 日本政府側が即座に指示を飛ばす。

「在日米軍と自衛隊の航空支援、待機! 民間船舶は完全に退避させろ!」

 

 夜の海上に、巡視船の強烈なサーチライトが交差し、威嚇の重機関銃の音が海面を叩く。

 だが、武装艇は速度を緩めることなく、ジグザグに波を切り裂きながら沿岸へと突っ込んでくる。

 

『これは赤チーム、良いタイミングのサイドチェンジ! 防衛側の注意を海へ振りました! 陸上隊が再突入するなら、まさに今ですが……?』

 

 Cicadaの予告通り、陸上で潜伏していたPMCの残存部隊が、海側への対応でわずかに手薄になった防衛線の隙間を縫って、再突入を試みてきた。

 

 爆音。警報。海上の光。怒号。

 その混乱の中央で、ソーマの樹だけが、静かに鳴っていた。

 結晶の葉が震え、淡い翡翠の光が周辺の土と水へと、まるで祈りのように広がっていく。

 

 避難地点から、スマートフォンでその配信映像を見ていた地元の若い漁師が、血の滲むような声で呟いた。

「……あの樹を……壊させるな……」

 それは、彼だけの思いではない。

 

『頼む、守ってくれ』

『あれは福島の希望なんだよ』

『人類が初めて、正しく使えた奇跡なんだぞ』

『壊されるところなんか、絶対に見たくない』

 

 世界中のネット空間から、祈りにも似た声が溢れ出す。

 

『観客席も、盛り上がってまいりました』

 Cicadaの実況が、その反応を拾い上げて冷酷に告げた。

『ソーマの樹は、今やただのアーティファクトではない。……希望、信仰、国家威信、環境再生、すべてが乗った【巨大なゴールポスト】です』

 

「……言い方は最悪ですが、分析としては正しいですね」

 三神が、モニターを見つめたままポツリと言った。

 

「だから、余計に腹が立つのよ!」

 矢崎総理が、ギリッと奥歯を噛んだ。

 

 海上ルートの武装艇が、いよいよ危険水域へと入り込もうとしたその時。

 日米合同防衛チームは、ついに空からの牙を剥いた。

 

『青チーム、ついに空からの支援を投入!』

 

 上空を旋回していた自衛隊のヘリと米軍の無人機から、精密な電子戦攻撃と物理的な無力化射撃が放たれた。

 圧倒的な航空優勢。それは、海上を走るだけの小型艇にとっては絶望的な戦力差であった。

 

『赤チームの武装船、これは厳しい!』

 Cicadaが実況する中、画面の中で一隻目の小型艇が不自然に白煙を吹き、機関を完全に停止させた。

『おっと、一隻目、機関停止! 二隻目、コントロールを失い旋回不能!』

 迫り来る圧倒的な空の脅威を前に、三隻目の武装艇はついに進路を反転させた。

『三隻目、白旗……ではなく退避を選択しました!』

 

 海上の脅威は、見事に無力化された。爆発炎上という派手な演出はなく、極めて冷静で的確な「行動不能」と「強制停止」。ソーマの樹という希望を血生臭い惨劇に染めないための、日米の完璧なコントロールであった。

 

『海側の援軍、ここで沈黙! これは防衛側、見事な連携です! やはり日米合同チーム、強い!』

 

 アメリカ側の司令部で、国防長官が忌々しげに吐き捨てた。

「幽霊に実況されて褒められても、何も嬉しくないんだがな」

「同感です」と、日本の沖田室長も通信越しに冷たく同意した。

 

 海の援軍が絶たれたことで、陸上に取り残されたPMCの残存部隊は完全に追い詰められた。

 だが、彼らはプロだ。手ぶらで帰れば、待っているのはスポンサーからの死の制裁のみ。

 

『赤チーム、最後のオールインです!』

 Cicadaの煽るような声が響く。

『狙いは根元か、枝葉か、それとも破壊か! 青チーム、ここを止めれば勝利です!』

 

 PMCのリーダーを含む数名が、最後の閃光弾を投げ込み、ソーマの樹の根元へと死に物狂いの突撃をかけた。

 だが、防衛隊員たちは一歩も退かなかった。彼らは銃を構えるだけでなく、自らの身体を盾にして、ソーマの樹への射線と侵入経路を完全に塞いだ。

 

(あの樹は、福島の人がようやく見つけた希望だ)

(絶対に、ここを抜かせるな)

 

 現場の隊員たちの気迫が、訓練された傭兵たちの殺意を上回った。

 ロケット弾の追撃を許さず、肉薄してきた傭兵たちを、圧倒的な数と連携で次々と地面に押さえ込み、武装を解除していく。

 

『防衛側、根元ラインで身体を張った! ナイスブロック!』

 Cicadaの実況が響く。

『これは今日一番の守備です!』

 

『泣いた』

『実況がムカつくけど、防衛隊かっこよすぎる』

『頼む、そのまま勝ってくれ!』

 ネットの祈りが最高潮に達する中。

 最後に残ったPMCのリーダーが、逃走を諦め、防衛部隊に取り囲まれて両手を上げた。彼は膝をつかせられ、後ろ手に拘束される。

 

 リーダーは、泥にまみれた顔で、美しく輝くソーマの樹を見上げ、自嘲気味に呟いた。

「……俺たちは、契約を受けただけだ。国など知らない」

「だが……あの樹は、高すぎるな」

 

「……侵入部隊を完全に制圧。海上部隊も無力化し、拿捕しました」

 現地司令部から、官邸へ最終報告が入る。

「ソーマの樹、損傷なし。周辺住民、地元代表の方々に被害はありません」

 

 沖田室長が、深く息を吐き出して総理を見た。

「総理。防衛成功です。……ソーマの樹は守られました」

 

 矢崎総理は、強張っていた全身の力を抜き、椅子の背もたれに深く寄りかかった。

「……良かった」

 

 だが、世界中を巻き込んだこの悪趣味なショーは、まだ終わっていなかった。

 

『試合終了!』

 Cicadaの実況が、明るく宣言する。

『福島ソーマの樹防衛戦、勝者は日本・アメリカ合同防衛チーム!

 いやー、面白い対戦カードでしたね。赤チームはよく準備していましたが、青チームの防衛網が一枚上手でした』

 

 そのあまりにも無責任で、人の命を弄ぶような言葉に、世界中がドン引きしていた。

 

『本日のMVPは、ロケット弾をライン上で止めた防衛車両でしょうか? それとも海上援軍を封じた航空支援でしょうか? 皆さんの投票をお待ちしています』

 

『MVP投票すんな!』

『人の命と福島の希望をスポーツにするな!』

『でも勝ってよかった……』

『Cicada最悪だけど、最後まで配信見ちゃった自分も最悪だわ』

『これが“現象”ってことか……』

 

 人々の感情を完全にハッキングした配信は、終わりに向かおうとしていた。

 画面が、暗視映像から黒い背景へと戻り、モザイク顔の実況者が再び姿を現す。

 

『さて、今回の配信はここまで。ソーマの樹は守られました。希望は、今日も無事です』

 

 その声が、少しだけ真面目なトーンに変わる。

 

『ですが皆さん、ご覧の通り。希望には値段がつきます。

 そして、値段がつくものには……必ず、買い手と盗人が現れるのです』

 

 残酷な真理を世界に突きつけた後、実況者は再び、愉快犯の顔に戻った。

 

『では、次回配信をお楽しみに。

 次は闇市場か、仙人様か、魔女様か。

 ……それとも、あなたの街の裏側かもしれません』

 

 プツン、と。

 映像は切れ、世界中のデバイスは再び日常の画面へと戻っていった。

 

 防衛成功。

 だが、日本政府には喜んでいる暇はなかった。

 

「……問題は山積みです」

 沖田室長が、即座に事後処理のタスクを羅列する。

「映像には、防衛側の配置、対応速度、連携の手順の一部が明確に映ってしまっています。以後、警備体制の完全な再構築が必要です」

 

 三神編集長が、空になったコーヒー缶を揺らしながら言う。

「今日の配信で、世界中の人間が理解してしまいましたからね。ソーマの樹は、奪う価値があり、壊す価値があり、そして守る価値がある、と。

 ……つまり、さらに激しく狙われるということです」

 

「最悪なのは、Cicadaが結果的に防衛側に有利な情報(敵の接近)も出していたことね」

 矢崎総理が、苦々しい顔で言う。

 

「ええ」

 三神は頷いた。

「助かった面は確かにあります。ですが、あれを頼るようになったら国家は終わりです」

 

「Cicadaを、情報源にしてはいけないということね」

 

「はい。彼らは味方ではありません。ただの観客でもありません」

 三神の瞳が、鋭く光る。

「彼らは、舞台を勝手に作り替える【最悪の配信者】です」

 

 一方、防衛隊に拘束されたPMCの生存者たちと、押収された装備品の調査が進められていた。

 だが、そこから黒幕の正体を掴むことは不可能に近かった。

 

 装備の部品は複数国のものが混在し、身分証は精巧な偽造。通信端末は強固に暗号化されており、金の流れはタックスヘイブンのダミー会社を幾重にも経由して完全に途切れている。

 彼らが持っていた指示は「ソーマの樹の結晶片を回収せよ」、失敗時は「破壊許可」。ただそれだけだった。

 

「典型的な汚い仕事ですね」

 三神が、報告書を見て鼻で嗤う。

「どこの国でもないが、どこの国でもあり得る。誰かが金を出し、誰かが手配し、誰かが使い捨てた」

 

「黒幕は?」

 総理が問う。

 

「現時点では不明です」と沖田。

 

「不明のまま、というのが、一番嫌なパターンです」

 三神は、世界の裏側で糸を引く「誰か」の存在に、目を細めた。

 

 地球の裏側。いかなる衛星も捉えられない秘密の拠点。

 Cicada 3301のメンバーたちは、複数のモニターに映し出される世界の反応を、楽しげに眺めていた。

 

「視聴者数、前回を超えたよ」

 メンバーAが、天文学的な数字を指差して笑う。

 

「ソーマの樹は強いね。人類は希望が好きだ」

 メンバーBが、画面の中で揺れる翡翠の樹を見つめて言う。

 

「で、次は?」

 メンバーCが、リーダー格の男に尋ねた。

 

 リーダーは、空間に浮かぶいくつかのモニターを切り替える。

 アポロンの矢の粗悪コピーが取引される闇市場の情報。

 中国で厳重な警備に囲まれて治療を行う仙人の姿。

 イギリスの、霧に包まれた魔女の森。

 そして、日本のソーマの樹の現在。

 

「……視聴者は、次に何を見たがると思う?」

 リーダーが、愉悦に満ちた声で問う。

 

「権力者の秘密」

「怪物同士の対面」

「それとも、また希望が壊れかける瞬間」

 メンバーたちが、次々と無責任な欲望を口にする。

 

 リーダーは、モザイクの奥で、ニヤリと笑った。

 

「……全部だ」

 

 福島、夜。

 

 戦闘の喧騒は完全に去り、丘陵地には本来の静けさが戻っていた。

 ソーマの樹は無事だった。ダイヤモンドのような結晶葉が、夜風に吹かれてシャラシャラと鳴っている。

 

 防衛隊員たちが、泥と硝煙にまみれた疲れ切った顔で、その神々しい樹を見上げていた。

 

「……守れたんですね」

 若い隊員が、安堵の息とともに呟く。

 

「ああ」

 上官が、重く頷いた。

「だが、これからも守り続けるんだ」

 

 遠くの海には、無力化された武装船の暗い影が浮かんでいる。空には巡回する航空機のランプが瞬き、地上には昨日よりもさらに増強された警備の目が光っている。

 ソーマの樹は、夜の闇の中で静かに、そして美しく輝いていた。

 

 だが、その美しさは、もはや無防備な希望ではない。

 守らなければ奪われる、血塗られた希望になってしまったのだ。

 

 福島のソーマの樹は、守られた。

 日米の防衛線は破られず、国籍不明の強盗たちは見事に退けられた。

 しかし、その防衛戦は、世界中の目の前で実況されてしまった。

 

 希望を狙う悪意も。希望を守る力も。そして、希望をコンテンツに変える狂気も。

 すべてが、同じ画面の中に並べられてしまったのだ。

 

 Cicada 3301は、誰も殺していない。

 ただ、世界に見せただけだ。

 そして世界は、恐怖しながらも、それを見てしまった。

 

 この日、人類は深く理解した。

 アーティファクトの時代において、戦場とは、銃弾が飛び交う場所だけではない。

 それを見つめる、無数の欲望の瞳が集まる場所もまた、最悪の戦場なのだということを。

 

 




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