銀河皇帝のスペアに転生した元社畜、地球軌道上の要塞でネトゲ三昧の隠居生活を満喫する 〜足元では超大国が滅亡級の異星遺産を巡って暗躍中ですが、主人公(ぼく)の命は絶対安全なので特等席で傍観します〜   作:パラレル・ゲーマー

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第146話 ドイツ、血の夜狩り

 冷たく、重い雨が石畳を打ち据えていた。

 ヨーロッパの重厚な歴史を色濃く残す、ドイツ南部の地方都市。普段であれば、中世から続く教会の尖塔や煉瓦造りの市壁跡が、観光客の目を楽しませる美しい街並みであるはずだった。

 だが今夜、その旧市街の一角は、青と赤のパトランプの光が不気味に乱反射する、物々しい封鎖区域と化していた。

 

 先週、若い男性が全身の血を抜かれて死亡した現場。

 黄色い規制テープが何重にも張られた暗い路地の入り口に、数台の黒塗りの車両が滑り込むように停車した。

 

 ドアが開き、冷たい雨の中に降り立ったのは、ドイツ内務省の既存技術外対応班の面々。それに随伴するように、真っ白なコートを羽織ったEUヘルメス協会の高位導師マルセル・ヴァイスと、各種センサー機器を抱えたアメリカ・セレスティアル・ウォッチの分析班が続く。

 そして、彼らから少し遅れて、場違いなほど薄着のよれよれたスーツ姿の男――日本政府からオブザーバーとして派遣された月刊ムーの三神編集長が、傘もささずに降り立った。

 

「……嫌な街ですね」

 三神は、雨に濡れるのも構わず、暗く沈んだ旧市街の奥をねっとりとした視線で舐め回した。

「観光案内なら『中世のロマン溢れる美しい古都』とでも書かれるのでしょうが。……夜の気配が、ひどく淀んでいて重い。血と泥と、古い鉄の匂いが染み付いている」

 

 ドイツの担当官が、あからさまに不快そうな顔をして三神を睨みつけた。

「……我々の誇り高き街を、三流の怪談の舞台のように語らないでいただきたい、ミスター・ミカミ」

 

「失礼しました」

 三神は、全く悪びれることなく肩をすくめた。「ですが、怪談の方が、現実の理不尽な暴力よりも、よほど人間に優しい(分かりやすい)こともありますよ」

 

 ドイツ担当官が舌打ちをこらえている横で、導師マルセルは無言のまま規制線を越え、先週の殺害現場となった路地の中ほどでゆっくりと膝をついた。

 雨水で完全に洗い流されているはずの石畳に、彼は素手を触れ、静かに目を閉じる。

 

「……マルセル導師。何か、アーティファクトの痕跡がありますか」

 セレスティアル・ウォッチの分析官が、計測器の数値を睨みながら問う。

 

「……ここに、まだ【命令の残響】がこびりついています」

 マルセルは、目を開き、氷のように冷たい青い瞳で路地の奥を見据えた。

 

「命令?」

 ドイツ担当官が眉をひそめる。

 

「ええ」

 マルセルは立ち上がり、白のコートについた泥を払い落とした。

「これは、飢えに狂った野獣の仕業ではありません。ただの吸血衝動でもない。……この路地で血を奪った者は、何らかの強固な『規範』に従っている。獲物を喰らうのではなく、任務を遂行しているのです」

 

 マルセルの言葉に、三神が小さく笑いを漏らした。

「吸血鬼ではなく、兵士ですか。……いかにもこの国らしい、几帳面で質の悪い亡霊だ」

 

 ドイツ警察の現場指揮官は、そのオカルトじみた見解に内心で苛立ちを募らせていた。

 合同調査チームが到着したことで、現場には一定の安堵が広がっていたものの、地元警察の末端の警官たちの間には、まだ拭いきれない「半信半疑」の空気が漂っていたのだ。

 

「吸血鬼だの亡霊だの、バカバカしい」

 パトカーの影で雨を凌いでいた若い警官が、同僚に向かって小声でぼやいた。

「いくら頭のいかれたシリアルキラーだとしても、防犯カメラに映っていたのはただの足を引きずるヨボヨボの老人だぞ。我々武装警察が、そんなジジイ一人取り押さえられないはずがない」

 

 街には夜間外出禁止令が発令されていたが、徹底されているとは言い難かった。

「また政府が移民問題を隠蔽しようとしている」「Cicadaの真似事をする若者の悪ふざけだ」「吸血鬼なんて映画の中だけの話だ」。SNSでそう嘯く市民の一部は、命令を無視して夜の街を徘徊していた。

 

「ただの老人」。

 その致命的な油断と、平和な日常への慣れが、これから始まる惨劇の最初の扉を開け放つことになるとは、現場の誰も想像していなかった。

 

 ***

 

 その頃。

 インターネットの深淵から、あの不気味な高周波の電子音が再び世界中のネットワークへ向けて発信され始めていた。

 

 スマートフォンの通知画面に、見慣れた幾何学的な『蝉』のマークが浮かび上がる。

 

『【Cicada 3301 Live】

 Tonight's Broadcast : Blood in the Rain』

 

 ネット空間は、瞬時に反応した。

 

「また来たぞ!!」

「Cicadaだ! 次はどこだ!?」

「Blood in the Rain? 雨の中の血って……」

 

 画面が切り替わり、高高度を飛行する静音ドローンの暗視カメラが捉えた、雨に濡れるドイツの旧市街の映像が映し出された。

 そして、あの電子的に加工された実況の声が響く。

 

『――はーい、世界中の皆さん、こんばんは。Cicada 3301です。

 本日の舞台はドイツ。みんな大好き、吸血鬼回の始まりですよ』

 

 いつものように軽薄な口調。だが、その声のトーンは、アステカの戦士(リオ)の時のような余裕や、万象器を嘲笑うような悪意とは、どこか違っていた。

 

『ただし、事前にお断りしておきますが。

 ……今回は、正直ちょっと笑えないかもしれません』

 

 Cicadaの言葉に、ネット民たちがざわつく。

 

『あのアステカの超人のように、話が通じる相手ではありません。

 あれは、文字通り【人間を餌として見る本物の怪物】です。

 ……だから、我々も今回は現地(地上)へは降りません。ドローン越しで失礼します。あんな奴にテレポートの出現先を読まれたら、普通に首の動脈を食いちぎられますからね。怖い怖い』

 

 世界中のシステムをハッキングし、国家元首の背後にワープできるあのCicada 3301が。

 明確に「現場に行くのは怖い」と、物理的な死の恐怖を口にしたのだ。

 この一言で、これから映し出されるものの【格(危険度)】が、視聴者の脳内で一気に跳ね上がった。

 

 ***

 

 夜の旧市街。

 封鎖区域の外れに近い、狭い石畳の路地。

 雨音と、遠くの教会の鐘の音だけが響く中、二人のドイツ警察の巡査が、懐中電灯で暗がりを照らしながらパトロールを行っていた。

 

「……おい、あそこ」

 

 若い巡査が、路地の奥のゴミ箱の陰にうずくまるようなシルエットを見つけて、足を止めた。

 ライトの光芒が、その姿を捉える。

 古い、ボロボロのコートを着た小柄な人物。背中は大きく曲がり、手には古びた木の杖を握っている。どう見ても、足腰の弱った浮浪者の老人だった。

 

「おい、お爺さん! 夜間外出禁止令が出ているんだ、すぐに家に戻りなさい!」

 ベテランの巡査が、厳しい声で呼びかける。

 

 だが、老人は返事をしない。

 ただ、深いフードを被った頭をだらりと下げたまま、ピクリとも動かない。

 

「聞こえないのか? おい!」

 若い巡査が、舌打ちをしながら老人の肩を掴もうと、油断しきった足取りで近づいていった。

 

 ドローン越しにその光景を見ていたCicadaの実況が、悲鳴のように叫んだ。

 

『あーっ! 駄目だ駄目だ! 近づいちゃ駄目!!』

 

 巡査の手が、老人の肩に触れる、その数センチ手前。

 

 ――ゴキッ、メキメキメキッ!!!

 

 老人の背中から、あり得ないほどの骨の軋む音と、筋肉が膨張して弾けるようなおぞましい破砕音が鳴り響いた。

 

「え……?」

 若い巡査が、目を丸くして立ち止まる。

 

 うずくまっていた老人の背筋が、まるで逆再生の映像のように、一瞬にして真っ直ぐに伸びた。

 曲がっていた腰が伸び、縮んでいた手足の骨が強制的に延長され、シワだらけだった皮膚の下で、強靭な筋肉がボコボコと音を立てて膨れ上がる。

 白髪交じりの薄い頭皮からは、どす黒い髪が瞬時に伸び。

 

 わずか数秒の間に。

 弱々しい老人は、身長二メートル近い、筋骨隆々とした【若き兵士の肉体】へと変貌を遂げていた。

 

「な、なんだ、こいつ……!」

 

 若い兵士となった怪物が、ゆっくりと顔を上げた。

 雨に濡れた青白い皮膚。大きく見開かれた眼窩の奥には、理性の欠片もない、充血した【赤黒い瞳】がギラギラと光を放っていた。

 そして、半開きになった唇からは、鋭く伸びた二本の犬歯が、ライトの光を反射して白く光っている。

 

 怪物は、目の前の巡査を人間として見てはいなかった。

 ただ、自らの機能を維持するための「タンク」として見据え、低い、機械的な声で呟いた。

 

「……血液、補給」

 

 ダンッ!!!!

 

 石畳が爆発したかのような音とともに、怪物の姿が巡査の視界から完全に消失した。

 

「うわあああっ!?」

 ベテラン巡査が拳銃を抜こうとした瞬間。

 若い巡査の身体が、まるで巨大なトラックに撥ねられたかのように、くの字に折れ曲がって宙を舞い、十メートル後ろの煉瓦の壁に激突して血を吐いた。

 

「クソッ!!」

 ベテラン巡査が、反射的に拳銃を構え、影に向かって三発の銃弾を連続で撃ち放った。

 

 パンッ! パンッ! パンッ!

 

 だが。

「……消えた!?」

 

 怪物は、銃弾の軌道を読み切ったかのように、壁を垂直に蹴り上げ、路地の側面の建物の外壁を、重力を完全に無視して四つん這いで走り抜けたのだ。

 

『うわ、速い速い速い!!』

 Cicadaの実況が、完全にドン引きした声を上げる。

『いやこれ無理でしょ! 人間の動体視力じゃ追えない! 警官さん逃げて!!』

 

 ベテラン巡査が慌てて銃口を上に向けるが、怪物はすでに彼の頭上の死角から、逆落としに飛びかかってきていた。

 

 ズガッ! という鈍い音とともに、怪物の膝が巡査の肩を砕き、アスファルトに押さえつける。

 怪物は、絶叫する巡査の首筋に、一切の躊躇なくその鋭い犬歯を突き立てた。

 

 ゴクッ、ゴクッ、という、生々しい嚥下の音が、路地に響き渡る。

 怪物の青白い皮膚が、血を吸い上げるたびに急速に赤みを帯び、先ほど受けた銃弾の掠り傷の痕が、肉を押し出すようにして瞬く間に塞がっていく。

 

『あっ……駄目だ、これ映すのきつい』

 Cicadaのドローン映像が、首筋に食らいつく瞬間の凄惨な光景を避けるように、スッと上空へとカメラの角度を逃がした。

 彼らは普段、過激な真実を暴くことを至上としているが、ただの「無残な捕食(スナッフビデオ)」を流すことは、彼らのエンターテインメントの美学に反したのだ。

 

 しかし、そのカメラが逸らされたという事実そのものが、かえって視聴者に「本当に人間が食われている(殺されている)」という強烈な絶望感を植え付けた。

 

 [YouTube Live チャット欄]

「Cicadaが引いてるの草……いや草じゃない」

「警官死んでるじゃん!! ガチで死んでるじゃん!!」

「これ本当に怪物だ……アステカの超人は誰も殺さなかったのに……!」

「リオは話が通じた。でもこいつは完全に『餌』としか見てない!」

「弾避けたぞ今の!? 壁走ってたぞ!? なんだよあの動き!」

「なんでナチス絡みのものは毎回最悪なんだよ!!」

「やばい、怖くて吐きそう」

 

 血を吸い終えた怪物は、痙攣する巡査の体を無造作に放り捨て、赤い舌で口元の血を舐め取った。

 その赤黒い瞳が、今度は上空で旋回するCicadaのドローンを正確に睨みつけた。

 

『……っ! ドローン一機、見つかった!』

 Cicadaの声が焦る。

『……うわっ! 噛まれた!? いや機械噛むなよ! 怖い怖い! 俺たちも今回は絶対に近づかないよ! 普通に死ぬ!』

 

 ガシャンッ! という音と共に、一つのアングルの映像が完全にノイズの海へと沈んだ。

 

 ***

 

「対象の急激な活性化を確認!! D-4ブロックで警官二名が接触、バイタルロスト!!」

 合同調査チームの仮設指揮所で、通信オペレーターの絶叫が響き渡った。

 

「なんだと!? たった一体の老人に、武装した警官がやられたというのか!」

 ドイツの現場指揮官が、信じられないという顔でモニターに詰め寄る。

 

「老人ではありません。……先ほどの映像を見ましたね」

 三神編集長が、冷や汗を拭いながら、しかし極めて冷静なトーンで分析を口にした。

「昼間は九十代の老人の姿。歩行も遅く、皮膚も薄い。……しかし夜間になり、血の匂いを感知した瞬間、三十代の全盛期の兵士の肉体へと『若返る』。

 ……古いドイツ語の命令で動き、痛覚を持たず、銃弾を避け、被弾しても血を摂取して再生する」

 

「……通常の銃撃戦では、勝てませんね」

 セレスティアル・ウォッチの分析官が、絶望的な数値を叩き出す。

「運動性能が人間の限界を遥かに超えています。戦場経験に裏打ちされた完璧な回避行動と、遮蔽物の利用。……ただの獣ではなく、極めて高度に訓練された『殺戮機械』です」

 

「直ちに特殊部隊(SEK)を投入しろ!!」

 ドイツ指揮官が、血走った目で命令を下した。

「全周辺道路を装甲車で封鎖! 重火器の使用を許可する! あんな化け物、跡形もなく蜂の巣にしてしまえ!」

 

 数分後。

 完全武装のドイツ警察特殊部隊が、装甲車列とともに旧市街の封鎖区域へと突入した。

 アサルトライフル、サブマシンガン、スタングレネード、催涙ガス。現代警察が持ち得る最高の制圧力。

 

 だが、吸血鬼は、人間の銃撃戦のルールなどハナから相手にしていなかった。

 

 ダダダダダダッ!!!

 

 十字砲火が路地を掃射する。

 しかし、吸血鬼は一切立ち止まらない。

 建物の外壁を四つん這いで駆け上がり、屋根の上から特殊部隊の頭上へと跳躍する。

「上だ!! 撃て!!」

 空中に向けて乱射される銃弾。その数発が吸血鬼の肩や大腿部に命中し、肉を削り飛ばす。

 だが、吸血鬼は痛みに顔をしかめることすらなく、着地と同時に一番近くにいた隊員の首筋に噛みついた。

 

「ぎゃあああああっ!!」

 隊員の悲鳴。

 

「撃て! 構わん、撃て!!」

 別の隊員が、味方ごと吸血鬼を撃ち抜こうとするが。

 吸血鬼は隊員の体を「肉の盾」として使いながら、その傷口から猛烈な勢いで血を啜り上げた。

 そして、先ほど撃ち抜かれた肩の肉が、ボコボコと泡立つように再生し、銃弾を体外へ弾き出してしまう。

 

「……化け物め……!」

 特殊部隊の隊員たちが、恐怖に後ずさる。

 

 フラッシュバン(閃光手榴弾)が投げ込まれ、強烈な光と音が吸い血鬼の視界を奪う。

 通常なら数分間は行動不能になるはずのダメージ。だが、吸血鬼はわずか数秒で立ち直り、再び赤黒い目を光らせて闇の中へと姿を消した。

 そして、暗がりから装甲車の下へ滑り込み、死角から隊員の足を掴んで暗闇へと引きずり込む。

 

「助けてくれ!! うわああああっ!!」

 

 通信機越しに響く、部下たちの断末魔の悲鳴。

 ドイツ指揮官の顔から、完全に血の気が引いていた。

 

「……一体だぞ」

 指揮官は、震える両手で机を支えながら呻いた。

「たった一体の暴漢に……なぜ、我が国の誇る市街封鎖部隊が、こうも一方的に蹂躙されているのだ……!」

 

「暴漢ではありません」

 背後で、導師マルセルが静かに、だが重く言い放った。

「彼は、兵士です。

 ……しかも、自らが『死ぬこと』を前提としていない、呪われた兵士です」

 

 三神編集長も、モニターの惨状を見つめながら呟いた。

「まともに撃ち合ってはダメです。当たりませんし、仮に当たっても、その辺の警官の血を吸えばすぐに全回復してしまいます。

 ……この怪物を止めるには、“倒す”のではなく、“補給(血)を断つ”必要があります」

 

 ***

 

 ワシントンD.C.、ホワイトハウス地下。

 遠隔指揮室の巨大モニターでその戦闘データをリアルタイムで解析していたアルファとヘイズ大統領も、事態の深刻さに顔を強張らせていた。

 

「……警官の死者は?」

 ヘイズが、低い声で問う。

 

「増え続けています」

 アルファが、無機質に死傷者のカウントを更新する。

「対象は完全に対話不能。民間人および警察官を継続的に捕食(補給)し、戦闘力を維持しています。物理的な拘束は不可能と判断。

 ……ドイツ政府より、セレスティアル・ウォッチに対し、より強力な『対異常支援』の要請が来ています」

 

 ヘイズ大統領の脳裏に、あのニューメキシコのガレージで両手を上げていたリオの姿がフラッシュバックした。

 言葉が通じる相手を撃ち殺してしまった後悔。

 だが。……目の前で警官の血を啜り、無差別に殺戮を繰り返すこの怪物は、明らかにリオとは違う。

 

「殺害許可は?」

 ヘイズは、大統領としての冷徹な決断を口にした。

 

「ドイツ政府の主権判断として、すでに下りています。手段は問いません」

 アルファが答える。

 

 ヘイズは、ゆっくりと目を閉じた。

 

「……分かったわ」

 彼女は目を開き、アルファに厳命した。

「アメリカ支援部隊の投入を許可する。ただし、市民の被害を最小限に抑えること。

 そして……殺すなら、確実に殺しなさい」

 ヘイズの目は、氷のように冷たかった。

「中途半端に傷つけて、あいつにさらに『血』を求めさせる(民間人を襲わせる)のが一番危険よ。一撃で、完全に消滅させなさい」

 

「了解しました」

 アルファの指が、キーボードを叩く。

 

 ドイツの現地指揮所。

 導師マルセルが、白いコートの裾を翻し、静かに立ち上がった。

 

「私が、出ましょう」

 マルセルは、銀の十字架を手に取り、決然と言った。

「これ以上、無意味に血を流させるわけにはいきません。……彼を、狩り場(路地)から引きずり出します」

 

「結界で閉じ込めるのですか?」

 三神が問う。

 

「ええ。彼は自由に跳ね回っているように見えますが……その動きには、古い『命令の癖』があります」

 マルセルは、モニターの吸血鬼の移動軌跡を指差した。

「逃げているのではない。撤退、補給、再配置を、軍事的な教本通りに繰り返しているだけです。……魂の意思ではなく、血で固定された『命令の残響』に従って動いている死に損ないに過ぎません。

 ならば、その命令の癖を逆手に取り、誘導することは可能です」

 

 マルセルは、旧市街の地図を広げた。

「街灯、教会の鐘、歴史的な市壁の石畳。……これら都市の持つ『境界』の概念を利用し、ヘルメス協会の結界符を展開します。彼を、この中央の広場へと追い込みます」

 

「追い込んだ後は?」

 ドイツ指揮官が問う。

 

 三神編集長が、ここで初めて、オカルトと歴史の知識を融合させた『解答』を提示した。

 

「太陽です」

 

「何?」

 ドイツ指揮官が怪訝な顔をする。

 

「《ゾンネンヘルツ(太陽の心臓)》計画」

 三神は、黒いマーカーでホワイトボードに書き殴る。

「ナチスのあの計画の、副産物(あるいは派生型)であるならば……必ず『太陽』との関係性があるはずです。

 しかし、こいつは太陽の力を得た兵士ではない。……太陽の光に適合できず、【太陽を失った兵士】です。

 だから、夜にしか動けない。足りないエネルギーを、他人の血を吸うことで無理やり維持しているだけだ」

 

 通信回線の向こう側から、ケンドール博士が技術的な裏付けを叫んだ。

『その通りです! 民間伝承の吸血鬼が日光に弱いというオカルト的な弱点ではありません。

 ……彼の肉体を維持している異常なプロトコルは、太陽光スペクトルに含まれる【特定の波長】に耐えられない(崩壊する)構造になっている可能性が極めて高い!』

 

「つまり……太陽を模倣した光を当てれば、焼けるということですね」

 マルセルが、静かに頷く。

 

「ならば、私がここを“夜の終わる場所”にしましょう」

 マルセルは、青い瞳に冷酷な光を宿した。

「彼を夜の中に閉じ込め、そこへ……人工の夜明けを落とす」

 

「詩的ですね」

 三神が、少しだけ感心したように言う。

 

「詩ではありません」

 マルセルの声は、異端審問官のそれであった。

 

「……処刑です」

 

 アメリカ軍の後方待機部隊が、ドイツ政府の要請を受け、ついに動き出した。

 ただし、アメリカ軍が他国の市街地を軍事制圧しているような「絵」は政治的に不味いため、あくまでドイツ警察の指揮下での「特殊機材の支援」という名目を取った。

 

 広場を取り囲むように、巨大な高出力照明車両が次々と配置される。

 上空には、強力な投光器を搭載した大型ドローンが展開。

 そして、その中央に据えられたのは、セレスティアル・ウォッチが開発した『太陽光スペクトル投射装置』であった。

 

『おっと、アメリカさんの太陽ライト登場ですか?』

 Cicadaの実況が、再び軽薄な声を上げる。

『吸血鬼に日光。ベタですねー! でも、こういう時はベタが一番強いんですよ!

 怖い怖い、これで仕留め損なったら、またお巡りさんが食われる(補給される)最悪のループですからね。頼みますよ人類!』

 

 マルセルの結界によって、路地から中央広場へと追い込まれた吸血鬼は、周囲を囲む無数のサーチライトの光に、初めて警戒の唸り声を上げた。

 

「……血液、補給……」

 赤黒い瞳が、獲物を探してギラギラと動く。

「命令、継続……」

 

「照射開始!!」

 

 アメリカ部隊のオペレーターの合図と共に、四方八方から、真昼の太陽を凝縮したような圧倒的な光の奔流が、吸血鬼めがけて浴びせかけられた。

 

「グアァァァァァッ!!!」

 吸血鬼が、初めて人間のような苦悶の悲鳴を上げた。

 青白い皮膚がジュージューと音を立てて焼け焦げ、黒い煙が立ち昇る。

 

「効いてるぞ!」

 ドイツ警察の隊員たちが歓声を上げる。

 

 だが。

「甘い!!」

 三神が、モニターを見て叫んだ。

「光を一点に集中させるんじゃなくて、逃げ場を潰すように【面】で包んでください! 夜そのものを消すんです!」

 

 吸血鬼は、焼かれながらも、その異常な生命力と再生力で耐え抜こうとしていた。

 彼は、光の届かないわずかな影の隙間を見つけ出し、結界を力ずくで破ろうと、警官隊の厚い盾の壁に向かって、捨て身の突撃を敢行したのだ。

 

「うわあああっ!!」

 盾ごと吹き飛ばされる警官たち。

 吸血鬼は、倒れた警官の首筋に食らいつき、再び強引に『血』を補給し始めた。

 

『うわうわうわ、当たってるのに戻ってる!!』

 Cicadaが、本当にドン引きした声で実況する。

『これ反則でしょ! やっぱ血を吸わせちゃ駄目なんだって!』

 

「もう誰にも、触れさせるな!!」

 マルセルが、血を吐くような声で叫び、銀の十字架を高く掲げて結界の強度を限界まで引き上げる。

 

 その時だった。

 ドイツ警察の指揮官が、血まみれの顔で立ち上がり、部下たちに向かって魂の咆哮を上げた。

 

「……死体も! 負傷者も! あいつの餌(燃料)にするな!!」

 指揮官は、自ら盾を構えて前線に立ち、叫んだ。

「全員引け! 生きている者も、死んだ者も、絶対に置いていくな! こいつの前に、一滴の血も残すな!!」

 

 その号令に、ドイツ警察の意地が爆発した。

 恐怖に震えていた警官たちが、命懸けで倒れた仲間を引きずり、後方へ退避させる。吸血鬼が血を求めて手を伸ばしても、何重もの盾の壁がそれを泥臭く、しかし絶対に防ぎ切った。

 

「鐘を鳴らせ!!」

 マルセルの指示で、旧市街の教会の鐘が、夜明けを告げるようにガンガンと鳴り響く。

 

 広場全体が、逃げ場のない【人工の夜明け】に包まれた。

 

「ガアアアアアッ……!!」

 吸血鬼の肉体が、限界を超えて崩壊を始める。

 しかし、人工の光だけでは、完全にトドメを刺すには至らなかった。アメリカの照射装置も過熱し、赤い警告ランプが点滅している。

 

「……くそっ、まだ倒れないのか!」

 ドイツ指揮官が焦燥の声を上げる。

 

 その時。

 東の空の端が、ほんのわずかに白み始めた。

 

 三神が、窓の外を見て、静かに呟いた。

 

「……本物が、来ますよ」

 

 雲の切れ間から、本物の朝日が、一直線に広場へと差し込んだ。

 

 吸血鬼は、本能的な死の恐怖を覚え、暗がりへ逃げ込もうと狂ったようにもがいた。

 だが、マルセルの結界が彼を広場の中央に縫い留め、ドイツ警察の盾の壁がすべての退路を塞ぎ、アメリカの投光器が最後の残存エネルギーを照射し続ける。

 

 そして。

 本物の太陽の光が、吸血鬼の全身を完全に包み込んだ。

 

「アァァァァァァァ…………ッ!!」

 

 悲鳴が、空気を震わせた。

 それは、人間の声ではなく、八十年前に書き込まれた『命令』そのものが、光に焼かれて消滅していく断末魔の音だった。

 

 吸血鬼の強靭な若き兵士の肉体が、ボロボロと崩れ落ちる。

 数秒で、元のシワだらけの老人の姿へと戻り。

 その老人の顔が、信じられないほどの恐怖に歪み。

 

 皮膚が灰になり、骨が黒く焼け焦げ、最後に、彼が他者から奪い取った血だけが、赤い蒸気となって空へと蒸発していった。

 

 灰色の石畳の上には、黒い灰の山と、ボロボロになった古い軍服の切れ端だけが残された。

 

『大隊は……夜を……』

 

 それが、風に消えた、吸血鬼の最後の言葉だった。

 

 ***

 

 完全な静寂が、広場に降りた。

 

 ドイツ警察の指揮官は、息を切らし、血と焦げ跡にまみれた広場を見渡し……そして、激しく地面を殴りつけた。

「……たった一体で。……たった一体で、これほどの被害か……!」

 

 マルセル導師は、疲労で膝をつき、銀の十字架を握りしめながら荒い息を吐いた。

「……恐ろしいことです。これは……本体ではありません」

 マルセルは、灰の山を見つめて言った。

「あれは、ただの『命令の末端』に過ぎない」

 

 日本の共同指揮所で、三神編集長もまた、同じ絶望的な結論に達していた。

 

「おそらく、ラスト・バタリオンの正規兵ですらないでしょう」

 三神は、冷酷に言った。

「外部にいるナチス信奉者の老人か、あるいは元一般兵を、あの『吸血鬼型歩兵』へと変換できるかどうかを試した……ただの【試験個体(モルモット)】です」

 

「試験個体……?」

 ドイツの担当官が、青ざめた顔で震える。

 

「はい」

 三神の目が、細められる。

「本隊が、“自分たちの手駒(兵隊)を、外部からいくらでも増やせるかどうか”を試した。……その、最初の成功例(一体目)です」

 

 全員が、息を呑んで沈黙した。

 

 Cicada 3301の配信画面に、いつもの蝉のマークが浮かび上がる。

 

『はい、吸血鬼大捕物、終了です。

 人類側、辛勝。体を張った警官さんたちに、敬礼』

 

 Cicadaの声は、いつものように軽薄だったが、どこか少しだけ疲労感が混じっているように聞こえた。

 

『いやー、怖かった。今回は普通に怖かったです。

 ……これ、たった一体のテスト個体でこの騒ぎですよ?

 もし、ラスト・バタリオンの『本隊』が全員目覚めたら、どうなるんでしょうね?

 考えたくないね。……まあ、考えるんですけど』

 

 コメント欄も、完全に恐怖に支配されていた。

「Cicadaが怖がるレベル」

「警官死にすぎだろ……」

「これで本隊じゃないの?」

「ラスト・バタリオンってなんだよ」

「またナチスかよ、いい加減にしろ」

「リオと違って、今回のは完全に『人を食う怪物』だった」

「怪物は、人間の手で作られるってことか……」

 

 Cicadaの配信が切れる直前。

 最後に、短いテキストだけが画面に表示された。

 

『怪物は、外(宇宙)から来るとは限らない。

 ときどき、地下室で八十年かけて熟成される。』

 

 ***

 

 戦闘終了後。

 吸血鬼と化した老人が潜伏していた、古びたアパートの地下室。

 ドイツの特務班とセレスティアル・ウォッチの調査チームが踏み込んだそこには、おぞましい実験の痕跡が残されていた。

 

 古いナチスの軍服。

 不気味なチューブが繋がれた、旧式の血液保存装置。

 壁に貼られた、近年の行方不明者や被害者のリスト。

 そして、机の上に置かれた、現代の暗号通信端末。

 

 端末の画面には、黒い太陽の紋章と、『Letztes Bataillon(最後の大隊)』の文字が浮かび上がっていた。

 

『Nachtinfanterie(夜間歩兵)』

『外部増員プロトコル:検証完了』

『血液適合率:許容範囲内』

『一兵卒変換試験:成功』

『本隊起動条件:世界的不安定化の閾値到達』

 

 ドイツ担当官が、その画面の文字列を見て、ガタガタと震え始めた。

「……これは……つまり……」

 

「本隊は、まだどこかで動いているということです」

 マルセルが、重苦しい声で告げる。

 

「ええ」

 通信越しに、三神が最も絶望的な事実を付け加えた。

「そして最悪なのは……彼らが、現代の人間を使って、自分たちの兵隊を『いくらでも増やせる』と分かってしまったことです」

 

 夜明けと共に、吸血鬼は灰になった。

 

 ドイツ政府は辛うじて一体の怪物を討ち取り、ヘルメス協会は結界を保ち、アメリカは人工の太陽を撃ち込み、日本はその正体の一端を読み解いた。

 

 だが、それは勝利と呼ぶには、あまりにも高くついた夜だった。

 

 死んだ警官たち。

 血を抜かれた市民。

 焼け焦げた石畳。

 そして、太陽の光の中で灰になった、一人の老いた信奉者。

 

 その一体は、本隊ではなかった。

 ラスト・バタリオンの正規兵ですらなかった。

 ただの外部増員試験。

 老いたナチ信奉者を、血を吸わなければ崩壊する夜間歩兵へ変換できるかどうかを試しただけの、使い捨ての一兵卒。

 

 それだけで、街一つが夜明けまで持ちこたえるのがやっとだったのだ。

 

 地下室の暗号端末には、最後の一文が、不気味な緑色の光を放って残されていた。

 

『Das Letzte Bataillon schläft nicht.』

(ラスト・バタリオンは、眠っていない。)

 

 ドイツの夜は、一体を焼いただけでは終わらなかった。

 むしろ、ようやく始まったのだ。

 

 八十年前に死に損なった狂気の命令が、世界の混乱を餌にして、再び血を求めて動き出す。

 最後の大隊は、夜明けの向こう側の深い暗闇で。

 静かに、次の夜を待っていた。

 

 




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