銀河皇帝のスペアに転生した元社畜、地球軌道上の要塞でネトゲ三昧の隠居生活を満喫する 〜足元では超大国が滅亡級の異星遺産を巡って暗躍中ですが、主人公(ぼく)の命は絶対安全なので特等席で傍観します〜 作:パラレル・ゲーマー
東京、永田町。首相官邸のさらに地下深くに位置する、既存技術外事象評価セルの特別防音会議室。
世界各地で次々と目覚める神話級の脅威に晒され、今や地球上で最も酸素が薄く、プレッシャーに満ちた空間の一つとなっているこの密室で。
現在、スクリーンに投影されているのは、アフリカ大陸の広大な赤茶けた大地――タンザニアのオルドヴァイ峡谷に突如として出現した、一つの【黒い直方体】の映像であった。
「……現在までのところ、対象に物理的、および電磁的な変化は一切確認されていません」
沖田室長が、手元の分厚い報告書を捲りながら、感情の欠落した声で淡々と事実を述べる。
「空間の歪み、熱源反応、放射線の漏洩、重力異常。すべてゼロです。……周辺の生態系への干渉や、近づいた調査隊員の精神状態に対する影響(幻覚など)も、報告されていません。
……文字通り、ただそこに『在る』だけです」
矢崎総理は、デスクの上で組んだ両手の上に顎を乗せ、モニターの黒い板をじっと睨み据えていた。
「……何もしないのね」
総理の疲労の色が濃い声が、会議室に響いた。
「はい」沖田が頷く。「それが一番不気味なのですが」
アメリカ政府をはじめ、世界中のインテリジェンス機関が血眼になって監視衛星のレンズをこの黒い板に向けている。誰もが、「いつこれが爆発するのか」「いつ恐ろしい化け物を吐き出すのか」と身構え、息を殺している。
だが、モノリスは何も語らない。動かない。光らない。
その絶対的な『沈黙』こそが、アーティファクトの脅威を散々味わわされてきた人類にとって、極度の疑心暗鬼とストレスを生み出していた。
「……結局、これは何なんでしょうね」
総理が、正体の見えない不安に深い溜息をついた、その時だった。
「いやあ。個人的には、実にロマンに溢れた素晴らしいアーティファクトだと思いますよ」
円卓の末席で、いつものように缶コーヒーを弄っていた月刊ムーの三神編集長が、ひどく楽しそうな声を上げた。
「……三神さん。また、何かオカルトの知識(与太話)で煙に巻くつもりですか」
沖田が、冷たい視線を向ける。
「与那国や出雲の例でも証明されたでしょう? アーティファクトというものは、人間の『創作』や『伝承』と無関係ではない。……むしろ、そこに事実(システム)が紛れ込んでいる可能性を、常に再確認すべきです」
三神は、パイプ椅子から身を乗り出し、モニターのモノリスを指差した。
「人類の起源の地に、突然現れた黒い石板。……この極めて象徴的なビジュアルを見て、世界中の人間が『あの映画』を連想しています。
もし、あの映画のプロットそのものが、何らかのアーティファクト由来の情報干渉(予言)を受けて作られていたものだとしたら……案外、今後の展開も『お約束通り』に進むかもしれませんよ?」
総理が、眉間を揉みながら胡乱な目を向けた。
「……本気で言っているの?」
「たとえば、ですよ」
三神は、わざとらしく両手を広げてみせた。
「このオルドヴァイのモノリスは、ただの『目印』に過ぎない。
……人類が宇宙技術を発展させ、月面を掘り返した時、そこには【第二のモノリス】が埋まっている。
そしてそれに太陽の光が当たった瞬間、木星……あるいはもっと遠い深宇宙に向けて、強烈な信号が放たれる!
さらに! そこへ向かった宇宙飛行士は、超高度な異星の知性体によって肉体の限界を強制的に突破させられ、純粋な精神体と無限の可能性を持つ“次世代の人類”――スターチャイルドへと進化を遂げるのです!!」
三神は、まるでSF映画の予告編を語るような熱量で一気に捲し立てた。
「…………」
会議室に、凍りつくような沈黙が落ちた。
「……三神さん」
矢崎総理が、氷点下の声でその名を呼んだ。
「はい」
三神が、満面の笑みで答える。
「……本気で言ってます?」
三神は、数秒間総理の目を見つめ返し。
そして、あっさりと肩をすくめた。
「いえ、全然」
「この男……っ」
防衛省の幹部が、机を蹴り飛ばしそうになるのを必死に堪える。
沖田室長に至っては、ズッコケそうになった体勢を理性の力で強引に戻し、深い殺意を込めて三神を睨みつけた。
「すみません、少し悪ふざけが過ぎましたね」
三神は、全く悪びれることなく缶コーヒーを啜った。
「ただ、そうなら夢があるな、という話ですよ。
……最近のこの世界で起きている事件は、どれもこれも血生臭いか、政治の泥沼か、人間のエゴが絡んだ死体ばかりがセットでついてきますからね。
せめてこの黒い板くらい、純粋な未知へのロマンで語らせてくださいよ」
「あなたのロマンに付き合って、国防の予算と時間を浪費するわけにはいきません」
沖田が、冷酷に切り捨てる。
矢崎総理は、深く息を吐き出し、議論を本筋へと強引に戻した。
「……とにかく。このオルドヴァイのモノリスは、要注意対象として『継続監視』とします。
今後、何か劇的な現象が起きるかもしれないし、このまま永遠に何もないかもしれない。
……ただし、現時点で、日本政府としてこれに『勝手な意味づけ(ラベリング)』は行わない。分からないものは分からないままとして扱う。これは、前回の会議での方針通りね」
「賢明です、総理」
三神が、真面目な顔に戻って頷いた。
「人類は、まず『沈黙に耐える訓練』をする必要がありますからね。空白に勝手な恐怖や期待を書き込むと、それが現実を歪めるトリガーになりかねない」
モノリスに関する当面の方針が決定し、会議がいったんの区切りを迎えようとした、その時だった。
「……それより、総理。ひとつ、別件がありまして」
三神が、テーブルの上に置いていた自分の手帳をパラパラとめくりながら、不意に切り出した。
総理の背筋が、ピクリと反応した。
「……嫌な予感しかしないのだけれど」
「まあ、そう身構えないでください」
三神は、ペンを回しながら事も無げに言った。
「実は、私の『知人』が。……日本政府のトップに、直接聞きたいことがあるそうなんですよ。
……一度、会っていただけませんか?」
沖田室長が、即座に、極めて厳しい警戒の表情を浮かべて三神を睨みつけた。
「……どなたですか。
所属、身元、能力、そして国家に対する危険度は?」
一介のオカルト雑誌の編集長が、内閣総理大臣との直接面会を「知人だから」という理由で取り次ごうとしているのだ。通常であれば、頭がおかしくなったのかと一蹴されて終わる話である。
だが、この男がこれまで日本政府に持ち込んできた情報(アステカの超人の生存確認など)の正確さを考えれば、無下に切り捨てることはできない。
三神は、小さく笑った。
「所属は……まあ、『日本の古い伝承』とでも言いましょうか。
身元については、伝説上ではかなり有名な部類に入ります。
危険度は……そうですね。本人がその気になれば、この官邸の物理的な警備など、ほぼ意味を成さないでしょうね」
会議室の空気が、完全に止まった。
矢崎総理は、目を細め、三神の瞳の奥を探るように見つめた。
「……名前を、教えなさい」
三神は、全く勿体ぶることなく、その名を口にした。
「【八百比丘尼(やおびくに)】です」
「…………」
総理も、沖田も、そして同席していた官僚たちも。
全員が、雷に打たれたように完全に絶句した。
「……八百比丘尼?」
矢崎総理が、自分の耳を疑うように、掠れた声で反復した。
「人魚の肉を食べて不老不死になったという、あの……民間伝承の?」
沖田が、インテリジェンスのプロとしての冷静さを失い、驚愕に目を見開いた。
「ええ。その、あの伝説の八百比丘尼です」
三神は、さも近所のおばあちゃんの話でもするかのように頷いた。
総理は、数秒間、ぎゅっと目を閉じ、そして深く息を吐き出した。
「……実話、でしたか」
彼女は、頭痛を堪えるように額を押さえた。
「いえ。このアーティファクトの時代においては……むしろ、当然想定しておくべきことでしたね。外国に魔女や仙人がいるのだから、日本にも古い存在が生き残っていて何の不思議もない」
「本当に、本人なのですか?」
沖田が、疑念を捨てきれずに問う。
「少なくとも、私が知っている相手は、昔からそう名乗っていますよ」
三神は肩をすくめた。
「そして、私の知る限り……彼女は、単なる長寿自慢の詐欺師や、新興宗教の教祖の類ではありません。本物です」
「……その八百比丘尼が。日本政府に、何を聞きたいの?」
総理が、核心を突く。
「さあ? そこまでは、私にも分かりません」
三神は首を横に振った。
「ただ、彼女は文字通り『不老不死』という状態のまま、この国で何百年、あるいは千年以上を生きてきた存在です。
……このアーティファクトによって世界が激変している時代に、あるいは、先日の『あの国民投票』を経た今の日本政府に対して……何か、直接伝えたい(あるいは問いたい)ことがあるのかもしれません」
「危険は、ないのね?」
総理の目が、鋭く光る。
三神は、少しだけ考え込む素振りを見せた。
「……日本という国家に対する『敵意』は、ないと思います。
ただし。彼女の持つ『常識』は、我々現代の人間のそれとは、根本的に異なります。
……死を前提としない存在です。ただの長生きした人間というよりは、イギリスの魔女のような『上位存在』寄りの精神構造をしていると考えた方が安全でしょう」
矢崎総理は、躊躇しなかった。
「……会いましょう」
総理の決断は、極めて迅速だった。
「総理、危険です! 相手の能力も目的も不明な状態で、直接面会するなど……!」
防衛省の幹部が慌てて制止する。
「今の日本政府は、中国の仙人、イギリスの魔女、アステカの超人、世界をジャックしたCicada、そして沈黙するモノリスまで、ありとあらゆる規格外の存在を相手にしているのよ」
総理は、冷徹な声で反論を封じた。
「自国に潜む古い存在が、わざわざ対話を求めてきているのに、恐れて無視する理由はないわ」
三神が、満足げに微笑んだ。
「では、彼女に連絡しておきます。日取りの調整は、追って」
「……連絡手段が、あるのですか?」
沖田が、胡乱な目で三神を見る。
「一応」
三神は、はぐらかすように笑う。
「……その『一応』で、神話の存在に直接アポが取れるあなたのコネクションが、私は本当に嫌で仕方がありません」
沖田は、心底うんざりしたように吐き捨てた。
***
数日後。
首相官邸、地下特別会議室。
事前の取り決め通り、面会の場は極秘裏にセッティングされた。
SPと特殊部隊による最高レベルの警備が敷かれているが……相手が『物理的な警備など意味を成さない存在』であることは、ここにいる全員が承知している。実質的には、気休めの壁でしかない。
円卓には、矢崎総理、沖田室長、そして数名の側近のみが着席し、重苦しい緊張感の中でその時を待っていた。
やがて、分厚い防音扉がゆっくりと開かれた。
先導して入ってきたのは、いつもの三神編集長。
そして、その隣に並んで歩いてきた人物を見て。
……総理も、沖田も、完全に思考が停止(フリーズ)した。
「どうも、よろしく~」
会議室に響いたのは、重々しい古代の言葉でも、威厳に満ちた神託でもなかった。
ひどく軽く、屈託のない、現代の若者特有の響きを持った声。
そこに立っていたのは、何百年も生き続けた『尼僧』の姿などでは、到底なかった。
明るいブラウンに染められた、ゆるく巻かれたロングヘア。
ナチュラルだがしっかりと作り込まれたメイク。
オーバーサイズのニットに、動きやすそうなワイドパンツ。
片手には、最新型のスマートフォンが握られている。
どこからどう見ても、渋谷や表参道あたりを歩いていそうな、二十代前半の【今どきの若い女性(ギャル)】が、そこにいた。
「……えっ」
矢崎総理の口から、およそ一国の首相らしからぬ、間抜けな声が漏れた。
「……こちらが?」
沖田も、完全に裏をかかれた顔で、三神と女性を交互に見比べる。
「あはは、やっぱそういう顔するよねー」
女性は、総理たちの驚愕の表情を見て、コロコロと楽しそうに笑った。
「まあ、今は全然別の普通の名前を名乗って生活してるから、私のこと『八百比丘尼』なんて古臭い名前で呼ぶのは、三神ちゃんみたいな古い知り合いのオカルトオタクくらいなんだけど。
……まあ、今日は分かりやすいから、それでいいよ」
彼女は、全く物怖じする様子もなく、勧められる前に円卓の椅子を引いて、ドカッと腰を下ろした。
総理たちは、そのあまりの「軽さ」と「現代への適応ぶり」に毒気を抜かれそうになりながらも、彼女の【目】を見た瞬間、背筋に冷たい氷をねじ込まれたような悪寒を感じた。
服装も、口調も、仕草も、完全に現代の若者だ。
……だが、その瞳だけが、違う。
漆黒の瞳孔の奥が、底なし沼のように深く、一切の感情の揺らぎを反射しない。どれほどの歳月を重ねれば、これほどまでに『時間に擦り切れない』目を獲得できるのか。
年齢不詳という言葉すら生ぬるい。彼女には、そもそも『年齢という概念(焦り)』そのものが欠落しているのだ。
矢崎総理は、姿勢を正し、国家元首としての威厳を以て向き合った。
「……矢崎です。日本国内閣総理大臣を務めています」
「知ってる知ってる。毎日ニュースで見てるよ」
八百比丘尼は、出されたお茶のペットボトルを勝手に開けながら、気さくに答えた。
「最近、めちゃくちゃ大変そうだよねー。
不老無病の国民投票に始まって、イギリスの平和の檻だっけ? あとはインドのソーマの樹とか、ネス湖の死者とか、ニューメキシコのリオ君とか、ドイツの吸血鬼とか、アフリカのモノリスとか。
……人間、ちょっとイベント詰め込みすぎて、忙しすぎない?」
「……おかげさまで。睡眠時間は、かなり削られています」
総理は、苦笑交じりに皮肉で返した。
八百比丘尼は、お茶を飲み込み、総理の顔をじっと見つめて、ふと言った。
「……老けるよ?」
「……っ」
総理の動きが、ピタリと止まる。
「今、それをあなた(不老不死)に言われるのは。……なかなか、複雑な気持ちになるわね」
「あはは。まあ、老けるのが嫌なら、方法(裏ルート)はないわけじゃないけどね」
八百比丘尼が、冗談とも本気ともつかないトーンで笑う。
その底知れぬ軽さに、沖田が警戒を強め、テーブルの下で拳を握りしめる。
三神だけが、「この人は昔からこういう人なんですよ」と言わんばかりに、どこか諦めたような顔で傍観していた。
「さて」
八百比丘尼は、ペットボトルをテーブルに置き、突然、一切の前置きを切り捨てて本題に入った。
「それでさー」
彼女は、テーブルに身を乗り出し、総理の目を真っ直ぐに見据えて聞いた。
「なんで、【不老無病】、拒否したの?」
会議室の空気が、一瞬で真空になった。
沖田が息を呑む。
矢崎総理は、予想外のストレートな問いに、言葉を失った。
八百比丘尼は、本当に、純粋に、心の底から『不思議でたまらない』という顔をしていた。
「あれ、すごく良い提案だったじゃん」
彼女は、まるで「なぜ割引クーポンを使わなかったの?」とでも聞くような軽さで、人類最大のタブーを語る。
「怪我も病気も治る。老化も止められる。身体機能もバッチリ整う。
……しかも、日本人だけが対象なら、世界全体が一気にキャパオーバーして壊れるわけでもない。うまく国境で管理すれば、やりようはいくらでもあったはずでしょ?
なんで、あんな美味しい話、あっさり拒否しちゃったの?」
矢崎総理は、少しの間沈黙し、為政者としての理性を総動員して、あの五日間の地獄の議論の結論を答えた。
「……あれは、日本社会を根底から変えてしまう提案でした」
総理の声は重く、真摯だった。
「人口動態、社会保障、世代交代のサイクル、雇用構造、医療システム、宗教観、そして家族制度。……そのすべてに、取り返しのつかない影響が出ます。現在の不完全な日本の社会システムでは、不老無病という劇薬に耐えきれなかったのです」
八百比丘尼は、首をこてんと傾けた。
「……変えればよくない?」
「……はい?」
沖田が、思わず素っ頓狂な声を出した。
「簡単に言いますね」
総理が、呆れたように眉をひそめる。
「だって、今の社会システムって、全部『人間がすぐに死ぬこと』を前提にして作ったルールなんでしょ?」
八百比丘尼は、全く悪びれずに、極めてシンプルな真理を突いた。
「年金も、医療保険も、定年退職も、相続も。全部、“人間は老いて壊れて死ぬ”っていうバグに合わせて、後から人間が勝手に作っただけの取り決めじゃん。
……死ななくなるなら。そのバグが直るなら、ルール(制度)の方をそれに合わせて書き換えればいいだけじゃん。なんで、古いルールのために、新しい身体を諦めるの?」
総理は、そのあまりにも巨大すぎる視点の切り替えに、一瞬言葉に詰まった。
「……それが、現実の政治においては、容易ではないからです」
「容易じゃないことと、間違ってることは、違うよ?」
八百比丘尼の黒い瞳が、鋭く総理を射抜いた。
会議室が、完全に静まり返った。
彼女は、ただの軽い現代っ子ではない。数百年もの間、人間の作った『時代ごとの常識(ルール)』が、いかに脆く、都合よく書き換えられてきたかを見てきた、絶対的な観測者なのだ。
「……あなたのその感覚」
総理は、慎重に言葉を選んで尋ねた。
「不老不死というものは。……あなたにとって、それほどまでに『良いもの』なのですか?」
八百比丘尼は、きょとんとした顔をした。
「え? 良いものでしょ?」
「……死ねないことを、苦しんではいないのですか?」
総理が問う。
「え、別に?」
八百比丘尼は、心底どうでもよさそうに即答した。
沖田が、予想外の答えに小さく息を呑む。
長命の吸血鬼や不死の存在といえば、「愛する者を看取り続ける永遠の孤独」や「死ねない呪い」に苦しむという、悲劇的な物語の定番(テンプレ)がある。我々人間も、無意識にそうした『不老不死の苦悩』を想定して、彼女に同情的な視線を向けていた部分があった。
だが、八百比丘尼は肩をすくめて笑った。
「なんかさー。人間って、不老不死のやつには『永遠の命は呪いです。死ねるあなたが羨ましい』みたいな、悲劇のヒロインっぽい顔をしてほしいみたいだけど。
……私、そういうタイプじゃないから」
彼女は、ケラケラと笑う。
「長く生きられるの、普通にめちゃくちゃ便利だよ?
いろんな時代を見られるし。技術の進歩も楽しいし。美味しいものもいっぱい食べられるし。
……知り合いが増えたり減ったり(死んだり)するのは、まあ、そういうもの(仕様)だし。いちいち気にしてたらキリがないじゃん。
それに、魔女様みたいな上位存在なんて、だいたいみんな長生きでしょ? 宇宙基準で見たら、私の方が普通なんだよ」
三神編集長が、横で小さく苦笑した。
「……この方は、出会った昔からずっと、こういう方なんですよ。悲壮感ゼロです」
「三神ちゃん、余計なこと言わない」
八百比丘尼が、軽く三神を小突く。
そして、彼女は少しだけ真面目な顔になって、総理を見た。
「逆にさ。……『死ぬ方が普通』みたいな顔されても、こっちとしては困るんだよねー。
私からすると、数十年で勝手に細胞が壊れて動けなくなる身体で、よく毎日あんなに必死に頑張って生きてるなーって、不思議で仕方ないんだよ」
総理は、深く息を吐き出した。
「……私たち人間は、その“すぐ壊れる身体”を前提に、愛や社会を紡いできました。それが、人間の形なのです」
「だから、その壊れにくくなるチャンスだったじゃん」
八百比丘尼が、首を傾げる。
「……国民は、あれを“まだ早い”と判断しました」
沖田が、国民投票の正当性を盾にして反論する。
「そこなんだよねー」
八百比丘尼は、少しだけ不満そうに頬杖をついた。
「ネットとかニュース見てるとさ。なんか『あの与那国AI(女神)に肯定されたから、私たちは正しい判断をしたんだ!』みたいな、謎の感動ムードになってるけど。
……ぶっちゃけ、ビビっただけでしょ?」
総理の表情が、スッと険しくなった。
「……恐れは、ありました。未知の技術への恐怖、社会崩壊への恐怖。……しかし、我々は恐れ『だけ』で拒んだわけではありません。命の選別という倫理の崩壊を防ぐための、理性の決断です」
「うん。理屈は分かるよ」
八百比丘尼は、否定はしなかった。
「……でも、納得はしてない」
「なぜですか」
総理が、真っ直ぐに問う。
八百比丘尼は、椅子の背もたれに深く寄りかかり、そして、全く飾らない、彼女の本当の【本音】を口にした。
「……まあ、正直に言うとさ」
彼女の漆黒の瞳に、ほんの少しだけ、何百年もの時間を一人で生きてきた者特有の、純粋な寂しさが混じった。
「私……【お仲間】が、増えると思ったんだよね」
「……お仲間?」
総理が反復する。
「長く、話せる相手」
八百比丘尼は、自らの指先を見つめながら言った。
「人間って、本当にすぐ死ぬでしょ?
……『あ、この人面白いな。もっと色んな話がしたいな』って思っても。次に私がふらっと会いに行く頃には、もうすっかり老いぼれてるか、死んでお墓に入ってるか、代替わりして全然違う考えの息子になってる。
……それが悪いとは言わないよ。命のサイクルだしね。
でもさ。……ちょっと、忙しないんだよね」
沖田が、冷徹な声で言う。
「……それは、あなたの時間感覚の問題では」
「そうだよ?」
八百比丘尼は、全く悪びれずに頷いた。
「でも、私から見ると、あなたたちの方がめちゃくちゃ急いでるように見える。
たった八十年くらいで、生まれて、必死に学んで、働いて、老いて、死ぬ。
……せっかく一生懸命覚えた知識も、経験も、知恵も。死んだら、次の世代へは半分くらいしか引き継がれずに、ポロポロこぼれ落ちちゃう。
……それって、すごく『もったいない』と思わない?」
総理は、言葉に詰まった。
「……その、こぼれ落ちるものも含めて。人間の営みであり、美しさなのです」
総理は、為政者として、そして人間として、死を肯定する言葉を紡いだ。
だが。
八百比丘尼は、その言葉を、極めて残酷な視点で一刀両断にした。
「うん。その言い方、とっても綺麗だよね」
彼女の目が、冷たく光る。
「……でも。それって、死ぬことの恐怖をごまかすために、綺麗な言葉で『死を美化してる』だけにも見えるよ」
「……っ」
総理は、息を呑んだ。
痛いところを突かれた。死は避けられないからこそ、人間はそれを「美しいもの」「意味のあるもの」として哲学や宗教で飾り付け、自分たちを納得させてきたのだ。
だが、死なない者から見れば、それは単なる『負け惜しみ』にしか見えない。
「……不老不死の素晴らしさ、教えてあげようか?」
八百比丘尼は、にこっと笑って、総理を見た。
沖田が、微かに身構える。
「聞きましょう」
総理は、逃げずに答えた。
「まず、時間が怖くなくなる」
八百比丘尼は、指を折りながら、悠久の時を生きる者の特権を語り始めた。
「明日できなくても、来年できる。来年無理でも、百年後に試せる。
失敗しても、焦らなくていい。国が残っていれば、何度でもやり直せる。
学んだことを忘れず、自分の体の中にずっと積み上げていける。
身体の痛みや老いの恐怖に邪魔されず、純粋に物事を考え続けられる。
……好きな土地がどう変わっていくかを、百年単位でゆっくり見守れる。
……同じ場所で、満開の桜を、何百回も見られる。
……同じ海が、時代ごとに色を変えていくのを、ずっと眺めていられる」
彼女の口調が、ここだけ、少しだけ柔らかく、温かいものになった。
「悪くないよ。……生き続けるのって」
会議室の誰も、その言葉を否定することはできなかった。
それは、死の恐怖に怯える人間が想像する「永遠の孤独」という安っぽい呪いではなく。純粋に、世界を愛し、時間を慈しむ者の、圧倒的な肯定感だったからだ。
「まあ、途中で退屈して狂っちゃう人もいるだろうけどねー」
彼女は、すぐにまた軽い口調に戻った。
「でも、退屈なら趣味増やせばいいし。百年あれば、だいたいどんなスキルでもカンスト(極める)できるよ?」
「……それを、自然に言える時点で。あなたはもう、我々人間とは根本的に違うんですよ」
三神が、苦笑しながら指摘した。
「そうかなー」
八百比丘尼は、ケロリとした顔で言った。
彼女は、少し真面目な顔になって、話を現実の社会システムへと戻した。
「世界全体をいきなり不老化したら、まあ、偉い人とかが言うようにサーバーがパンクして壊れると思うよ。
食糧、土地、宗教、権力、移民、戦争……全部ごちゃごちゃになって、確実に殺し合いになる」
「あなたも、そこは理解しているのですね」
総理が言う。
「うん。でもさ」
八百比丘尼は、総理を真っ直ぐに見た。
「【日本人だけ】なら……意外と、なんとかなったんじゃない?」
「……なぜそう思うの?」
総理が眉をひそめる。
「だって、記録が好きでしょ? 順番守るの好きじゃん」
八百比丘尼は、日本という国の特異性を並べ立てる。
「戸籍も住民票も、きっちり管理されてる。皆保険の医療制度もある。
島国だから、物理的な境界(国境)も作りやすい。
それに……理不尽なルールを突きつけられても、我慢するの得意でしょ?
空気を読んで、周りに合わせるのも得意。
……“不老化という異常な状態を、何とかして社会システムに落とし込んで管理する”。そういう地味で面倒くさい運用には、世界で一番向いてる国だと思うよ」
「……褒められている気がしませんね」
沖田が、日本社会の同調圧力と管理社会性を指摘され、苦い顔で言う。
「褒めてるよ? かなり高度な文明スキルじゃん」
八百比丘尼は笑う。
「……あなたは、日本が不老無病の提案を受け入れるべきだったと、そう思っているのね」
矢崎総理が、静かに確認した。
「うん」
八百比丘尼は、はっきりと頷いた。
「少なくとも、“早すぎるから拒否します”って思考停止して終わるんじゃなくて。
……“受け入れるなら、どうやって制度を作り直して、どんな新しい日本に変えるか”を。……もう少し、前向きに悩んで(足掻いて)ほしかったな。
私としては、日本人が作る新しい不老社会、ちょっと見てみたかったんだよね」
彼女は、反社会的なテロリストではない。
ただ、日本が選んだ『選択肢C(拒否)』という保守的な結論に対して、別の可能性(未来)が失われたことを純粋に惜しんでいるだけなのだ。
総理は、彼女の言葉を受け止め、そして、国家の責任者として静かに答えた。
「……私は、あなたの考えを否定しません。
不老無病を受け入れた未来にも、きっと、別の形の希望や美しさはあったでしょう」
総理の目は、揺るぎなかった。
「……でも。その未来へ、一億二千万人の国民全員を連れていくには。……今の日本社会は、まだあまりにも弱すぎたのです」
総理は、現実の残酷さを語る。
「不老になった者同士の間でさえ、貧富の差や権力の格差は必ず残ります。
不老になったからといって、人間が幸福になるとは限りません。
……そして何より。国民自身が、その不確かな未来よりも、『今のままの人間であること』を選んだのです」
「うん。民主主義だもんね」
八百比丘尼は、あっさりと納得したように言った。
「ええ」
総理が頷く。
「……民主主義って、不老不死と一番相性悪そうだよね」
八百比丘尼が、ポツリと、とんでもないことを呟いた。
「……さらっと、重いことを言わないでください」
沖田が、顔をしかめる。
「だってさ」
八百比丘尼は、首を傾げる。
「三百年生きる人と、あと十年で死ぬ人が。……『同じ未来に対する一票』を投じるって、どう考えても利害が一致しなくて難しくない?
……まあ、今の日本(少子高齢化社会)も、似たようなものかもしれないけどね」
矢崎総理が、頭を抱えて呻いた。
「……今、その話をこれ以上広げると、次の有識者会議が完全に地獄になります。やめてください」
三神編集長も、苦笑いしながら助け舟を出す。
「すでに地獄の釜の蓋は何度も開いていますが、今回はこの辺りで閉めておきましょう」
一通り言いたいことを言った八百比丘尼は、満足したように小さく伸びをした。
「まあ、私が言いたかったのはだいたいそんなとこかな」
彼女は、立ち上がった。
「別に、今すぐ国民投票をやり直して不老無病を受け入れろって、無理な要求をしに来たわけじゃないよ。もう拒否しちゃったんだしね」
「では、あなたは……日本政府に、何を望むの?」
総理が、彼女の真意を問う。
「別に?」
八百比丘尼は、肩をすくめた。
「ただ、これからの『アーティファクト時代』で、また何か困ったことがあったら。……ウチに聞いてくれれば、教えてあげることもあるかもねって、ご挨拶に来ただけ」
「それは……日本政府へ、協力を申し出ていると受け取ってよろしいのですか」
沖田室長が、即座に外交的な言質を取ろうと踏み込む。
「気が向いたらね」
八百比丘尼は、はぐらかすように笑った。
「……気が向いたら、ですか」
沖田が、不確実な約束に眉を寄せる。
「だって、私、日本政府の職員(公務員)じゃないし」
八百比丘尼は、三神を指差して笑う。
「今日は三神ちゃんの顔を立てて、遊びに来てあげただけだし。
……でも、不老とか、人魚の肉とか、海の古いものとか、死なない身体の感覚とか。その辺のオカルト系のことなら、あなたたちよりは少し分かるよ」
「……『少し』の範囲が、我々普通の人間とは完全に桁が違いますがね」
三神が、呆れたようにツッコミを入れる。
「三神ちゃん、相変わらず嫌味だねー」
「事実です」
二人の軽口のやり取りに、会議室の張り詰めていた空気が、少しだけ毒気を抜かれたように緩んだ。
八百比丘尼が、会議室の出口へと向かいかけた時。
総理が、最後に一つだけ、どうしても聞いておきたいことを問いかけた。
「……あなたは。
日本人の選択(不老無病の拒否)を、明確な『間違い』だと思っているの?」
八百比丘尼は、ドアノブに手をかけたまま、少しだけ足を止め、振り返った。
「……間違い、とまでは言わないよ」
彼女は、少しだけ優しそうな顔をして、言った。
「人間が、人間のままでいたいと思ったんでしょ?
……それはそれで、健気で可愛いと思う」
「可愛い……」
総理が、その圧倒的な上位者目線の評価に、思わず呟く。
「でも、正しいとも思わない」
八百比丘尼の瞳が、静かに、深く光った。
「少なくとも私は。……『不老無病を受け入れた、違う日本の未来』も、見てみたかったな」
彼女は、軽く手を振った。
「だから。次に似たような選択肢(話)が来たら、また呼んでよ。
……『不老側の意見(少数派)』として、文句を言いに来てあげるから」
沖田が、その不吉な予告に顔をしかめる。
「……次がある前提なのですね」
「あるでしょ」
八百比丘尼は、当然のように言った。
「この時代。……死を越えるアーティファクトが、これからどんどん表に出てくるよ。
不老、蘇生、再生、肉体の保存、転生、魂の記録。
……人類はこれから何度も、“死なない選択肢”を突きつけられることになる」
矢崎総理の表情が、再び重く沈み込む。
「その時に」
八百比丘尼は、最後に、最も重い言葉を残した。
「……『死ぬのが当たり前』っていう、死ぬ側の理屈だけで全部の未来を決めるのは。
……ちょっと、不公平じゃない?」
その言葉は、人類がこれまで絶対の真理だと信じてきた『死生観』の土台を、根本から揺さぶるものだった。
八百比丘尼は、三神に向かって顎をしゃくった。
「じゃあ三神ちゃん、帰ろうかー。お茶ごちそうさま!」
「私はあなたの付き添い(保護者)ではないんですが」
三神が、やれやれと立ち上がりながらボヤく。
「似たようなものでしょ。私の話、一番理解できるの三神ちゃんくらいだし」
「違います」
三神は冷たく否定しながらも、彼女の後に続いて会議室を退出していった。
バタン、と。
重厚な防音扉が閉まる。
会議室には、先ほどの会話の余韻と、妙にズッシリと重い疲労感だけが残されていた。
矢崎総理は、自分の席に座ったまま、ポツリと言った。
「……味方が増えた、でいいのかしら?」
沖田室長が、手元の資料を整理しながら、無表情のまま答える。
「少なくとも、明確な敵意は感じませんでした」
「でも、政府の協力者というより……」
「ええ」沖田が、小さくため息をつく。
「……どちらかと言えば、とんでもなく長生きしている上位存在から、『愚痴』を聞かされた感じですね」
「それも、究極の死生観に関わる、一番重い愚痴をね」
総理は、苦笑した。
三神が残していった資料の束の一番上に、彼の手書きのメモが置かれているのを、総理は見つけた。
『八百比丘尼。
不老不死側の少数意見。
敵ではない。
味方とも限らない。
……ただし、人類の死生観を根底から揺さぶる存在』
矢崎総理は、そのメモをじっと見つめ、静かに呟いた。
「……不老無病を拒否したことは、正しかった。……私は今でも、そう思っているわ」
「はい」沖田も頷く。
「でも、“正しかった”という自己満足だけで、終わらせてはいけないのね」
総理の目に、再び為政者としての深い思索の光が宿る。
「……別の正しさ(可能性)も存在する、ということですか」
沖田が問う。
「ええ。あの人は、それを私たちに突きつけるために来たのでしょうね」
総理は、デスクの引き出しから、先日行われた『ガイアズ・ドリーム国民投票』の最終結果と、有識者会議の議事録を取り出した。
そこに書かれているのは、国民が圧倒的多数で選んだ「選択肢C(拒否)」。
だが、総理はペンを取り。
その分厚い報告書の表紙の余白に、自らの手で、新しい一文を書き加えた。
『――不老側の視点(未来の可能性)についても、継続して記録・検討すること』
八百比丘尼は、不老不死を「呪い」だとは言わなかった。
死ねない苦しみを語ることもなく、永遠の孤独を嘆くこともなかった。
ただ、不思議そうに首を傾げていたのだ。
なぜ、拒んだのか。
なぜ、死ぬことをそんなに大切にするのか。
なぜ、制度(ルール)を変える前に、命の長さを変えることを恐れたのか。
人類がこれまで当然だと思っていた『死の尊さ』は、不死者の目から見れば、ただの短命種の不便な慣習(バグ)に過ぎないのかもしれない。
日本は、不老無病を拒否した。
その決断は、今もなお、総理の中で『人類としての正しい選択』として残っている。
けれど、その日。
八百比丘尼という、死を前提としない隣人が現れたことで。……ひとつだけ、確かなことが分かった。
人類が「まだ早い」として、恐怖と理屈で固く閉ざしてしまった扉の向こう側にも。……確かに、別の豊かな未来(可能性)は存在していたのだということを。
そして、アーティファクトの時代は。
その閉じたはずの扉を、これから先、何度も何度も、容赦なく叩きに来るだろう。
人類が、本当にその問いに答えを出せる日が来るまで。
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