銀河皇帝のスペアに転生した元社畜、地球軌道上の要塞でネトゲ三昧の隠居生活を満喫する 〜足元では超大国が滅亡級の異星遺産を巡って暗躍中ですが、主人公(ぼく)の命は絶対安全なので特等席で傍観します〜   作:パラレル・ゲーマー

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第155話 ドバイ、未来都市になる

 アラブ首長国連邦、ドバイ。

 ペルシャ湾に面したこの巨大な砂漠のメトロポリスの朝は、常に「砂」との戦いから始まる。

 

 どれほど高層ビルが天を突き刺し、世界最先端のインフラが整備されようとも、この土地が過酷な砂漠の真ん中にあるという物理的な事実は決して変えられない。

 夜明け前の静寂な時間帯であっても、海風に乗って運ばれてくる極めて微細な砂塵は、容赦なく都市のあらゆる隙間に入り込む。建設機械のシリンダーを削り、高級車のフロントガラスを白く濁らせ、屋外で働く労働者たちの喉を容赦なく荒らしていく。

 

 それが、この街で生きる者たちにとっての、逃れられない『日常』であった。

 

 だが。

 その日の朝のドバイは、何かが決定的に違っていた。

 

 郊外の大規模な建設現場。

 インド、パキスタン、フィリピン、エジプト、スーダン、そして現地の管理職員。世界中から集まった多国籍の作業員たちが、まだ薄暗い中、ヘルメットと防塵マスクを身につけて現場へと出てきた。

 

 最初にその異変に気づいたのは、空調の効いた現場事務所にいる監督ではなく、最前線で鉄骨を組む作業員の一人だった。

 

「……おい」

 

 彼は、口元を覆っていた防塵マスクを少しだけずらし、怪訝な顔で周囲を見回した。

 

「……砂が、ないぞ」

 

 彼の言葉に、周囲の作業員たちも次々と動きを止め、自分の顔を触ったり、空を仰ぎ見たりした。

 

 足元は、見渡す限りの砂漠の土だ。

 周囲の景色も、昨日と何ら変わらない。遠くには、いつもの黄土色の地平線が霞んで見える。

 風も吹いている。

 

 なのに。

 風が吹いても、あの肌をチクチクと刺すような細かい砂粒が、一切顔に当たらないのだ。

 

 現場に停められている重機やトラックのフロントガラスも、昨夜洗車したばかりのようにクリアなままだ。

 仮設事務所のエアコンの室外機は、いつもなら一晩でフィルターが詰まって悲鳴を上げているはずなのに、今日は静かに、スムーズな回転音を響かせている。

 巨大なクレーンの可動部にも、砂が噛んだような嫌な金属音は全く聞こえない。

 

 誰かが、信じられないというように冗談を飛ばした。

 

「……昨日、お偉いさんが清掃業者でも雇って、砂漠ごと掃除でもしたのか?」

 

 その言葉に、現場からドッと笑いが起きた。

 だが、その笑いはすぐに、さらなる『驚き』へと変わっていった。

 

 太陽が昇り始め、中東特有の強烈な日差しが大地を照らし始める。

 ……しかし。

 

「空気が……軽い」

 

 パキスタン出身のベテラン作業員が、ヘルメットを脱いで呟いた。

 日差しは確かに強烈だ。直射日光を浴びているという視覚的な実感はある。

 しかし、肌をじりじりと焦がすような、あの逃げ場のない『熱の塊』が、不思議なほど和らいでいるのだ。

 

 気温計の数値は、すでに摂氏四十度に迫りつつある。

 だが、体感温度が明らかに違う。

 

 汗がすぐに蒸発し、皮膚の表面にまとわりつくような湿度が消え去っている。

 無意識のうちに飲んでいた水の量が減る。

 日陰に入れば、心地よい風が的確に通り抜け、体温をスッと下げてくれる。

 

 現場の医療テントで待機していたスタッフが、タブレットの生体モニターの数値を二度見し、信じられないというように首を傾げた。

 

「作業開始から二時間経過……。作業員たちの熱ストレス指数(WBGT)が、先週の同時刻と比べて三割以上も低下している。

 ……熱中症の予備軍警報が、一件も鳴らない。一体、何が起きているんだ?」

 

 これが、ミラージュ・コアがドバイにもたらした、最初の【奇跡】の正体であった。

 

 アーティファクト由来の超AIは、この街をいきなり空飛ぶ車が行き交うSF映画のような未来都市へと強制的に改造したわけではない。

 富裕層のための派手なホログラムショーを始めたわけでもない。

 

 ミラージュ・コアは、まず最初に。

 この過酷な砂漠の都市で血と汗を流して生きている人間たちの、最も身近で、最も切実な『苦しさ』を、静かに、そして完璧に取り除いてみせたのだ。

 

 砂。

 暑さ。

 呼吸。

 日差しの照り返し。

 

 現場の労働者たちは、自分たちを包む空気が劇的に優しくなったことを肌で感じ、ただただ空を見上げていた。

 

 ***

 

 ドバイ政府、都市管理センター。

 巨大な円形のオペレーションルームには、UAE政府の高官たち、都市工学者、気象学者、そして日本から派遣されている沖田室長や、アメリカ側の技術顧問たちが集結し、息を呑んでメインモニターを注視していた。

 

 モニターには、ドバイ全域を網羅する精緻な3D立体地図が表示されている。

 かつて、ミラージュ・コアが限定起動した際にドバイの上空に投影した、あの青白い『幻影都市』の美しいグリッドライン。

 それが、今はただの幻(ホログラム)ではなく、現実の都市の物理的なデータを管理・制御するための【実測レイヤー】として、地図上に完璧に重なり合って稼働していた。

 

 表示されているパラメータの項目は、人間の都市計画局では到底処理しきれないほど多岐にわたる。

 

 砂塵濃度、路面温度、建物外皮の蓄熱量、日射反射率、微細な風向と風速、湿度分布、ブロックごとの空調負荷、歩行者密度、給水需要、港湾の稼働率、空港の視界状況、建設機械の故障率予測、そして救急搬送のリアルタイム統計。

 

 それらの膨大なデータが、青と緑の安定を示す色彩で、次々と更新されていく。

 

 センターのスピーカーから、ミラージュ・コアの無機質で、しかし極めてクリアな合成音声が響き渡った。

 

『――都市外縁部における砂粒子流入量、標準値比七・二パーセントまで低下』

『主要幹線道路上の視界不良発生率、実用上ゼロに到達』

『屋外労働区画の熱負荷、すべてのエリアで許容範囲内へ移行を確認』

『都市全体の空調消費電力、第一段階の最適化により一八・四パーセントの削減を達成』

『大気水回収システム試験、商用施設三十七棟において安定稼働中』

『……都市生活快適度、初期目標基準をクリアしました』

 

「おおぉぉ……!!」

 オペレーションルームに、UAE政府関係者たちから、地鳴りのような歓声と拍手が巻き起こった。

 

 それは、人類が何千年もの間、自然という圧倒的な脅威に対して決して勝ち得なかった戦いに、ついに勝利を収めた瞬間であった。

 

 アミール王子は、静かに目を閉じ、胸に手を当てて深く祈るように息を吐き出した。

 彼が自分の命と、王族としての誇りを懸けて契約を結んだこのアーティファクトは、決して人類を滅ぼす悪魔の兵器ではなかった。それは、約束通り、この都市に極上の恵みをもたらしてくれたのだ。

 

 だが。

 人類側が「歴史的革命だ」「神の奇跡だ」と狂喜乱舞している中。

 当のミラージュ・コアの音声は、どこまでも淡々とした、業務報告のトーンを崩さなかった。

 

『――初期清掃フェーズは、順調です』

 

 アミール王子は、その言葉に微かに目を開き、聞き返した。

「……初期、清掃?」

 

『はい』

 ミラージュ・コアの青白いグリッドが、モニター上で静かに明滅する。

『都市表層の砂塵の排除、熱と湿度の一次調整、反射光の抑制、風路の確保、および水分循環のベースライン設定は。……都市の維持管理(システム稼働)における、【基礎的な清掃工程(クリーニング)】に過ぎません』

 

「清掃……」

 アメリカ側の技術顧問が、呆然と呟いた。

「我々人類の気象学と都市工学の限界を完全に凌駕する、この地球規模の環境制御が。……彼らにとっては、ただの『部屋の掃除とエアコンの温度調整』だと言うのか」

 

 人類からすれば、それは魔法の都市の完成(ゴール)であった。

 だが、星間文明に由来する都市管理OSであるミラージュ・コアからすれば、それは『人間が安全に住めるように、とりあえず床の埃を払って空気を入れ替えた』程度の、最初の準備体操に過ぎなかったのである。

 

 アミール王子は、その圧倒的な文明レベルの格差に、恐怖ではなく、深い感嘆と畏敬の念を抱いた。

 

「ドバイは、未来都市になったと思っていたが。……彼にとっては、まだ掃除を始めたばかり、というわけですね」

 

 日本政府の代表としてその場に立ち会っていた沖田室長は、静かに頷き、手元の端末に記録を残した。

 

『対象アーティファクト:ミラージュ・コア。

 第一段階の環境調律、完全成功を確認。……都市全体の生活環境が、極めて良好な状態へと移行中』

 

 ***

 

 ミラージュ・コアがもたらした「ただの掃除」は、ドバイという巨大都市のあらゆるインフラを、劇的に、そして魔法のように変貌させていた。

 

【ドバイ国際空港】

 中東最大のハブ空港であるここは、これまで常に、微細な砂塵との果てしない戦いを強いられてきた。

 砂を吸い込むことによるジェットエンジンの深刻な摩耗、滑走路の頻繁な清掃作業、そして突然の砂嵐による視界不良とダイヤの乱れ。それらの維持管理には、天文学的なコストと人件費が費やされていた。

 

 だが、環境調律のフェーズが完了した今。

 空港の管制塔から見下ろす滑走路は、まるで巨大な透明のドームで覆われているかのように、クリアな視界を保っていた。

 もちろん、物理的な壁があるわけではない。

 ミラージュ・コアは、風の流れ、地表の微細な湿度、建物の配置による気流変化、道路の熱反射、そして人工湖からの蒸散作用といった、無数の気象パラメータを完璧に計算し、連携させることで。……砂塵を『空港の敷地内に入りたくない方向(ルート)』へと、極めて自然な形で誘導して流し去っていたのだ。

 

「……信じられない」

 空港の清掃管理部門のトップが、稼働表のタブレットを見て呆然と呟いた。

「滑走路と誘導路の清掃車両の稼働回数が……先週の半分以下、いや、三分の一以下に激減している。それでも路面の摩擦係数(グリップ)は完璧だ」

 

 航空会社の整備担当役員は、もっと実務的な、生々しい歓喜の声を上げていた。

「エンジンのフィルター交換頻度が劇的に下がるぞ……! これだけで、年間の整備コストが何百億と浮く。おまけに砂嵐での欠航率がゼロになれば……ドバイは、世界の航空ハブとして無敵になる!」

 

【ジュベル・アリ港】

 世界最大級の人工港であるここでも、全く同じ奇跡が起きていた。

 海から吹き込む湿気と、砂漠からの砂埃が混ざり合うことで、クレーンやコンテナのセンサー類に致命的な泥汚れをもたらすという、港湾関係者泣かせの過酷な環境。

 それが、今は嘘のように消え去っていた。

 

 コンテナの屋根に、忌まわしい赤い砂が積もらない。

 自動化されたクレーンの可動部に砂が噛まず、センサーが誤作動を起こして停止することもない。

 荷役の効率が、まるで潤滑油を注がれた精密機械のように跳ね上がっていく。

 

「砂漠のど真ん中にある港なのに、海風の湿気にも、砂埃にも悩まされない……そんな港が、この世にあるか?」

 港湾管理の責任者が、目を丸くして海を見つめた。

 その答えは、彼の目の前で、すでに実現してしまっていた。

 

 そして、最も劇的な変化を遂げたのは、【観光地や居住区】であった。

 

 ブルジュ・ハリファの足元に広がる公園。マリーナ。人工島。そして高級ホテル街のオープンテラス。

 ドバイを訪れた外国人観光客たちは、ホテルの自動ドアから外へ出た瞬間、最初に「あれ?」と首を傾げた。

 

「……暑いけど。……歩ける?」

 

 それは、極めて奇妙な感覚だった。

 気温は間違いなく高い。中東の太陽は容赦なく降り注いでいる。

 だが、その日差しが、どこか『柔らかい』のだ。

 

 建物の影が濃すぎず、絶妙な角度で日陰のルート(歩道)が形成されている。

 ビルの谷間を抜ける風が、熱風ではなく、微かに冷気を孕んだ心地よいそよ風となっている。

 路面のタイルの材質と角度が、太陽光の照り返しを最小限に抑えるように、ミラージュ・コアの指示によって微調整(あるいは路面への微細な水分コーティング)されていた。

 

 これまで、ドバイの都市生活といえば、「冷房がガンガンに効いた巨大なショッピングモールやホテルの中に引きこもる」のが当たり前の常識だった。

 外は、車から建物へ移動するためだけの、ただの灼熱の空間でしかなかったのだ。

 

 だが。ミラージュ・コアの調律後のドバイは、【屋外空間】が初めて、人間にとって価値を持つようになったのである。

 

 オープンテラスのカフェで、人々がサングラスを外し、心地よい風に吹かれながらアイスコーヒーを飲んでいる。

 砂漠の都市で、人間が外を歩き始めた。

 

 その光景は、ドバイという都市の歴史において、最も静かで、最も決定的な革命であった。

 

 ***

 

 このドバイの「奇跡の環境改善」のニュースは、SNSや各国の特派員を通じて、またたく間に全世界へと発信された。

 

 だが、今回のニュースに対する世界の反応は。……アポロンの矢や吸血鬼の時のような『パニック』や『恐怖』ではなかった。

 それは、純度百パーセントの【羨望】であった。

 

 世界の主要メディアのヘッドラインが、一斉に踊る。

 

『ドバイ、長年の砂嵐被害を実質的に克服か。未知の環境制御技術の片鱗』

『ミラージュ・コア管理区画、屋外労働者の熱中症搬送数がゼロに激減』

『砂漠のメトロポリスに「屋外歩行圏」が誕生。都市計画の歴史的転換点』

『都市型アーティファクト、世界初の本格的社会実装へ。安全性への懸念は?』

『ドバイ不動産、ミラージュ・コアの環境調律圏内で価格が急騰』

『世界の気象学者と都市計画家、ドバイの環境データを求めて殺到』

 

 これまでは、世界中がドバイのアーティファクト導入に対して「あんな危険なものを都市のど真ん中で起動させるなんて、正気の沙汰ではない」「いつ暴走して都市ごと消滅するかわからない」と、冷ややかな目と警戒心を向けていた。

「いいなぁ、ドバイ……」という言葉は、一部のオカルトマニアや富裕層の冗談に過ぎなかった。

 

 だが、今は違う。

 世界中の、あらゆる立場の人々が、本気で、心底からのジェラシーを込めて、そう言っていたのだ。

 

 いいなぁ、ドバイ。

 

 アメリカ、ワシントンD.C.。

 都市計画とインフラを担当する政府高官は、ドバイの環境改善データを見て、深くため息をついた。

「……これは、ラスベガスやフェニックスに、喉から手が出るほど欲しい技術だ。砂漠地帯の都市運用コストが、根本から変わる」

 

 日本、東京。

 霞が関の国土交通省のオフィスで、官僚たちがクーラーの効いた部屋の中で、ドバイの「屋外の快適指数」のグラフを食い入るように見つめていた。

「……東京の、この殺人的な夏の猛暑も。これがあれば、どうにかなりませんかね」

 担当者がぽつりと漏らした一言に。その場にいた全員が、一瞬だけ、真夏の東京が心地よい風の吹き抜けるリゾートになる夢を見た。

 だが、日本にはミラージュ・コアはない。彼らはすぐに我に返り、ため息をついて山積みの書類(熱中症対策の予算案)に目を落とした。

 

 ヨーロッパ。

 EUの環境政策担当者たちは、気候変動対策の切り札として、ドバイのデータに熱視線を送っていた。

「熱波に苦しむパリやマドリード。海面上昇と洪水対策に悩むオランダやヴェネツィア。……もしこの環境調律技術の一部だけでも解析・応用できれば、これは気候変動適応策の『完成形』になるのではないか」

 

 シンガポールなどの都市国家の工学者たちも、「狭い国土を極限まで最適化する技術として、これ以上のものはない」と色めき立った。

 そして、隣国のサウジアラビアをはじめとする湾岸諸国の王族たちは。……ドバイの圧倒的な成功を前に、ギリッと奥歯を噛み締め、猛烈な羨望と競争心を燃やしながら沈黙していた。

 

 だが、ここで世界が「ドバイからアーティファクトを強奪しろ」と戦争(武力行使)に踏み切らなかったのは。……ドバイ政府の、極めてしたたかで、理にかなった『外交戦略』のおかげであった。

 

 ***

 

 ドバイ政府、都市管理センター。

 

 アミール王子は、世界中から殺到する称賛と問い合わせの報告を受けながらも、その表情を決して緩めることはなかった。

 

 会議室では、政府の高官の一人が、興奮気味に提案を行っていた。

「殿下! この素晴らしい環境調律の恩恵を、まずはドバイマリーナやパーム・ジュメイラといった『観光区画』と、富裕層向けの『高級住宅区画』へ最優先で集中させるべきです! そうすれば、世界中から莫大な投資マネーが流れ込み、短期的な経済効果は最大化されます!」

 

 それは、資本主義国家の官僚としては、極めて当然で、最も合理的な判断だった。

 限られたアーティファクトの出力を、最も金を生む場所へ投下する。それがドバイのやり方だ、と誰もが思っていた。

 

 しかし。

 アミール王子は、静かに、しかし断固として首を横に振った。

 

「……いいえ。却下します」

 

 高官が、驚いて言葉を失う。

 

「我々が最初に対象とするのは、観光地でも富裕層の別荘でもありません」

 アミール王子は、モニターに映るドバイの全景を見据えて、明確な指示を下した。

「……都市の辺境にある『労働者居住区』。物流の要である『港湾』と『空港』。過酷な『建設現場』。そして『医療施設』、『学校』、『公共交通機関』の周辺です」

 

「で、殿下……? それでは、富裕層へのアピールが遅れ、投資の機会を逃します!」

 

「構いません」

 アミール王子の目は、都市の真の価値を見極める為政者の光を宿していた。

「……ミラージュ・コアは、金儲けのための見世物(アトラクション)ではない。この都市で生きるすべての命を守るための【核】です。

 都市とは、富裕層だけが住むショーケースではない。末端の労働者が汗を流し、インフラが動き、子供が学び、人が安心して暮らせる土台があってこそ、都市なのです。

 ……弱き者たちの環境改善を後回しにして、富裕層だけを涼しい風で優遇すれば。それは都市の分断を招き、ミラージュ・コアとの『誓約(すべての市民を守護する)』に反することになります」

 

 そのアミール王子の、私利私欲を捨てた高潔な宣言が響いた瞬間。

 

 メインモニターの、ミラージュ・コアのシステムプロンプトが、青白く、力強く明滅した。

 

『――都市管理方針の決定プロセス、管理者(アミール)の誓約条件との完全な整合性を確認。』

『……管理者権限(アクセスレベル)の維持を、承認。』

『第二段階・環境調律フェーズへの移行を、推奨します。』

 

 センター内に、安堵の息が漏れた。

 

 日本側のオブザーバーとして同席していた沖田室長は、タブレットの記録を打ち込みながら、小さく息を吐き出した。

「……見事に、うまく付き合えている」

 

 アミール王子は、沖田の言葉に気づき、静かに苦笑した。

「私たちは、ただの強欲な商人ではないということを、証明しなければならないのです。

 ……人間の側の欲望をコントロールし、扱い方さえ間違えなければ。アーティファクトは、世界を滅ぼす災厄などではなく、人類の確かな未来を創る『希望』になり得るのだと。

 ……私は、それを世界に示したいのです」

 

 過去、万象器のオークションで、人間の果てしない欲望が世界を滅ぼしかけた。

 だが、今のドバイは違う。

 彼らは、アーティファクトを「便利な奴隷」や「金儲けの道具」として扱うのではなく、都市を共に創り上げる【共同管理者】として、最大限の敬意と自制心を持って接していたのだ。

 

 ***

 

 ミラージュ・コアの『第二段階・環境調律』の実演は、人類の都市工学の概念を根底から覆す、まさに芸術的なアプローチだった。

 

【砂流制御】

 ミラージュ・コアは、砂漠から吹いてくる砂嵐を、巨大な壁を作って力ずくで弾き返すような野蛮な真似はしなかった。

 都市の外縁部に、微細な気圧差と風の乱気流を利用した「目に見えない砂の流路」を形成したのだ。

 砂嵐が到達しても、砂の粒子は都市の中心部へは侵入せず、まるで川の水が分水嶺を避けるように、都市の外側へと滑らかに迂回していく。

 そして、その迂回した砂は、指定された『沈降帯』へと集められ、自動的に回収される。回収された砂は、建材の骨材、ガラス原料、地盤改良材として再利用されるサイクルが構築された。

 ……ドバイは、砂漠という敵に「勝った」のではない。砂漠を、都市の循環システムの一部として【組み込んだ】のである。

 

【熱環境制御】

 冷気を作り出して空を無理やり冷やすのではなく。

 ビルの影が落ちる角度、道路表面の素材による熱反射、人工水面の配置、緑地帯の蒸散効果、そして自然の風の通り道。

 それらを完璧に計算し、都市全体が「熱を抱え込まず、効率よく逃がす」構造へと、空気と表面温度をミリ単位で調整した。これにより、各建物のエアコン依存度が劇的に下がり、都市全体の排熱が減少するという好循環が生まれた。

 

【大気水回収】

 砂漠の乾燥した空気から、強引に水分を絞り出すような魔法ではない。

 夜間と昼間の急激な温度差、ペルシャ湾からの海風、建物の外皮の冷却パネル、そしてミラージュ・コアによる微細な結露制御を完璧に同期させることで。……空気中のわずかな水分を、最もエネルギー効率の高い方法で集約するシステムを実用化した。

 回収された水は、飲料水としてはまだ厳しいが、都市の清掃用水、植栽への散水、そして冷却塔の補助水としてフル活用され、貴重な淡水資源の節約に劇的な貢献を果たした。

 

 そして、最も人々を驚愕させたのが。

 上空に浮かぶ、あの青白い【幻影都市(ホログラム)のグリッド】の真の意味であった。

 

 それは、単なる観光用の派手なライトアップ演出などではなかった。

 

「……信じられない」

 世界中から招聘された一流の建築家や都市計画家たちが、そのホログラムと現実の都市の重なりを見て、完全に言葉を失い、絶句した。

 

「この青い光のラインは……都市の【未来の設計図(最適解)】そのものだ」

 

 ホログラムのグリッドは、現実のドバイの街に対して、「ここにこういう形状の建物を建てれば、風が最も効率よく流れる」「ここに広場を配置すれば、熱が溜まらず、災害時の避難導線が確保できる」「ここに緑地を置けば、水循環のネットワークが完璧に機能する」という、究極の最適化された建築モデルを、視覚的に提示していたのだ。

 

「都市計画そのものが……数百年先の未来から、逆算されて提示されている」

 建築家の一人は、畏敬の念に打たれながら呟いた。

「我々人間は、これから何百年かかっても……この光の設計図をトレースして、現実の建物を建てていくだけでいい。それだけで、この都市は永遠に完璧な機能を維持し続けるんだ」

 

 ***

 

 この圧倒的な環境改善と未来への保証は、当然ながら、世界の経済市場にも激震をもたらした。

 

 ドバイの不動産価格は、文字通り垂直に急上昇した。

 だが、それはかつての万象器騒動のような、実体のないバブルや狂信的な投機とは全く質が違っていた。

 

 不動産業界には、新たな専門用語が飛び交い始めた。

『ミラージュ・コア環境調律圏内、確定物件!』

『砂流制御対象区画・Aランク』

『低熱負荷認証済みオフィスビル』

『大気水回収ネットワーク接続済み・高級レジデンス』

 

 世界中の富裕層、多国籍企業、そして気候変動リスクから逃れたい投資家たちが、この『絶対に気象災害で崩壊しない、安全で快適な未来都市』の土地を求めて、殺到した。

 

 だが、ここでもUAE政府は、かつてないほどの慎重さと自制心を見せた。

 

 彼らは、土地を無制限に売り払うことはしなかった。

 短期的な転売による価格操作を厳しく法律で規制し、都市インフラの処理能力(ミラージュ・コアの演算負荷)を超えるような無計画な巨大開発を、一切認可しなかった。

 ミラージュ・コアの連動区画は、単なる「金儲けのための投機対象」ではなく、人類の財産としての「厳密な都市管理対象」として保護されたのだ。

 

「カサンドラやブラックマーケットの連中とは、次元が違うわね」

 アメリカのヘイズ大統領は、ドバイの経済報告書を見ながら、感心したように言った。

「利益に飛びつきすぎず、長期的なシステムの安定を選んだ。……為政者として、極めて正しい判断よ。UAEは、今のところ世界で最も成功した『アーティファクト管理国』の一つだと言っていいわ」

 

 ドバイ政府は、さらに決定的な外交手腕を見せた。

 彼らはこの成功を自国だけで独占せず、【国際都市フォーラム】を大々的に開催し、世界に向けて宣言したのだ。

 

『ミラージュ・コアの中核となる制御技術やアクセス権限は、安全保障上の理由から完全に非公開とする。

 ……しかし。環境改善によって得られた気象データ、流体力学の観測結果、およびアーティファクトの力に依存しない「砂塵対策」「熱対策」「水回収」の派生的な建築・工学技術については。……世界中の苦しむ都市へ向けて、広く情報共有し、国際共同研究へと解放する』

 

 さらに、ドバイ政府はダメ押しの一言を付け加えた。

『アーティファクトの軍事転用は一切行わない。都市と市民を守るという【誓約】の遵守状況を、国際機関を通じて定期的に公表する』

 

 このオープンで誠実な態度は、世界中が抱いていた「ドバイへの警戒感」を、見事に引き下げた。

 独占していない。暴走していない。他国への攻撃兵器として使っていない。純粋に、都市と市民の福祉のために管理している。

 

 だからこそ、ドバイは世界中の誰もが認める【アーティファクトと人類の共存の成功例】となったのである。

 

 [ネットの反応]

 

 1:名無しさん

 ドバイ、砂漠都市なのに砂対策完了ってどういうことだよwwチートすぎだろ。

 

 2:名無しさん

 砂漠「ドバイの街から出禁にされました」

 

 3:名無しさん

 いや、砂漠を消したんじゃなくて、砂の流れを都市の外に綺麗に逃がしてるらしいぞ。マジで究極の都市OSだわ。

 

 4:名無しさん

 頼む。その機能、東京の殺人的な夏にも導入してください。

 

 5:名無しさん

 大阪にもください。熱帯夜で死にそうです。

 

 6:名無しさん

 名古屋にもください。湿気がヤバいです。

 

 7:名無しさん

 札幌「こっちは冬の雪と冷気をどうにかしてくれ」

 

 8:名無しさん

 でも今回のドバイ政府、普通に偉くないか?

 金持ちが住むタワマンの地区だけじゃなくて、真っ先に移民の労働者居住区とか建設現場から環境改善してるの、ちょっと見直したわ。王様がちゃんと王様(為政者)してる。

 

 9:名無しさん

 万象器の時は「人間の欲で人類終わったな」って絶望したし、アポロンの矢の流出で「世界は修羅の国になる」って怯えてたけど。

 ……ルールを守ってちゃんと使えば、アーティファクトってマジで最高に明るい未来も作れるんだな。

 

 10:名無しさん

 いいなぁ、ドバイ……。

 

 この『いいなぁ、ドバイ……』という言葉は、一部の人間が発した冗談ではなく。

 今度こそ、世界中の誰もが、心からの羨望と賞賛を込めて口にする、本当の意味での賛辞となっていた。

 

 ***

 

 夜のドバイ。

 

 かつては、砂漠の暗い夜空に、ただ青白い幻影のグリッドラインが不気味に浮かび上がっているだけの、どこか空虚で寂しい光景だった。

 だが今は違う。

 その青白い幻影のグリッドの真下に、実際の街の温かい灯りが、完全に重なり合って輝いていた。

 

 幻影だった未来の姿が。……人間の手によって、少しだけ『現実』に追いついたのだ。

 

 暑さも砂埃もない夜の街を、人々が笑顔で歩いている。

 屋外のカフェテラスには明かりが灯り、談笑する人々の声が響く。

 涼しい風が吹き抜ける広場を、子供たちが元気いっぱいに走り回っている。

 郊外の建設現場では、クレーンや重機が砂に邪魔されることなく、静かに、そして力強く動き続けている。

 空港では、砂塵に曇ることのないクリアな滑走路へ、世界中からの航空機が安全に降り立ち。港では、巨大なコンテナ船から荷物がスムーズに降ろされていく。

 

 都市管理センターの巨大なガラス窓から、アミール王子は、その光に満ちたドバイの夜景を、静かに見下ろしていた。

 

 隣に立つ沖田室長が、深く感嘆したように呟いた。

「……本当に。素晴らしい【未来都市】になりましたね」

 

 だが、アミール王子は、窓ガラスに映る自分自身の顔を見つめながら、静かに、そして少しだけ誇らしげに首を横に振った。

 

「いいえ。……まだ、始まったばかりです」

 

 その言葉と同時に。

 背後のメインモニターで、ミラージュ・コアの青白いテキストが、静かに更新された。

 

『――都市環境初期調律、完全安定を確認。』

『管理者(アミール)の誓約遵守状態、継続確認。』

『……第二段階・都市成長計画への移行、準備完了。』

 

 かつて、砂漠の空に浮かんだ幻影都市は、ただの空虚な蜃気楼ではなかった。

 それは、人類がアーティファクトの力に溺れることなく、自らの欲望を制御し、正しく向き合うことができた時にだけ辿り着ける……【未来の都市の本当の設計図】だったのだ。

 

 ドバイは、世界で初めて、その設計図の一部を現実に変えてみせた。

 

 砂は静まり。

 熱は和らぎ。

 風は、人の歩く道を選んで優しく吹き抜ける。

 

 アーティファクトの時代は、決して絶望と災厄だけを運んでくるわけではない。

 正しく畏れ、正しく向き合えば、それは人類に途方もない希望と未来を与えてくれるのだ。

 

 その日、世界中の人々は初めて。

 ……心の底から、そう信じることを許されたのである。




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