銀河皇帝のスペアに転生した元社畜、地球軌道上の要塞でネトゲ三昧の隠居生活を満喫する 〜足元では超大国が滅亡級の異星遺産を巡って暗躍中ですが、主人公(ぼく)の命は絶対安全なので特等席で傍観します〜   作:パラレル・ゲーマー

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第31話 目覚めたものは、怒らなかった

 与那国島沖に停泊する海洋調査母艦。

 その中枢である特設オペレーションルームは、先日までの「未知の海底遺跡を発見した」という学術的な興奮を完全に削ぎ落とされ、今は重く、息苦しいほどの沈黙と極度の緊張感に支配されていた。

 

 メインモニターには、無人探査機(ROV)が捉えた『龍宮の扉』の映像が、音もなく映し出されている。

 高度な幾何学レリーフが刻まれた巨大な扉。その表面からは、昨日よりも明らかに強い、そして脈打つような青白い微光が放たれ続けていた。

 

 現場はすでに、最高レベルの警戒態勢(レッド・プロトコル)下にある。

 海保の特殊救難隊員たちは重装備のまま艦内の各所に配置され、医療班は大量の鎮静剤とストレッチャーを用意して最悪の事態(調査隊の集団発狂)に備え、科学班のメンバーはモニターの僅かな数値の変化も見逃すまいと、血走った目でコンソールに噛み付いている。

 

 ヨーロッパの空を覆った狂気。そして、出雲の森で数十人の民間人を一瞬にして廃人に変えた「情報災害」。

 それらを知識として共有しているこの部屋の人間にとって、モニターの向こう側で青白く光る巨大な扉は、もはやロマンを掻き立てる古代遺跡などではない。いつ爆発し、自分たちの脳髄を物理的に焼き切るか分からない、巨大な「時限爆弾」そのものだった。

 

「……ROVの現在位置、扉から三十メートルラインで固定。勝手な接近はするな」

 現地指揮官である沖田室長が、静かに、しかし鋼鉄のような硬さを持った声で指示を出した。

「扉の光量変化、周辺海域の磁場、およびソナーの反射波を継続監視。……いかなる些細な異常でも構わない。何か起きたら、私の指示を待たずに即座にROVを後退させろ。機材は捨ててもいい。……人命(この船に乗っている全員の精神的安全性)の確保を、すべてにおいて最優先とする」

 

 了解、という短い応答だけがインカム越しに返ってくる。

 無駄な私語はない。誰も、場を和ませるような軽い冗談を口にする余裕すらなかった。張り詰めた糸が、今にも千切れそうなほどの静けさ。

 

 その、息の詰まるような静寂を。

 部屋の最後列に座っていた一人の女性――同行していた民俗系シャーマンの血を引く『感受性要員』の、悲鳴にも似た絞り出すような声が、唐突に、そして決定的に引き裂いた。

 

「……あ」

 

 彼女は、自らの両肩を強く抱きしめ、モニターの光る扉を凝視したまま、ガタガタと全身を激しく震わせた。

 

「ああ……目覚めた……っ!!」

 

 その一言が、導火線に火をつけた。

 

「来るぞ!!」

 隣に座っていた神職代表の男が、椅子を蹴り倒して立ち上がり、血相を変えて叫んだ。

「海の下の『巨大な知性』が、完全にこちらを認識した! 全員、気を締めろ!!」

 

 来る。

 出雲で人々をなぎ倒したのと同じか、それ以上の絶望的な『何か』が。

 

 その瞬間、オペレーションルームは、訓練されたエリートの集団らしからぬ、みっともないほど本能的な「恐怖」の連鎖に呑み込まれた。

 

「うわあっ!?」

 観測班の若手分析官が、モニターから飛んでくるかもしれない見えない波動から逃れるように、反射的にパイプ椅子ごと後ろへ転倒した。

 科学技術顧問は顔面を蒼白にし、机の下に半歩体を隠すような無様で防衛的な姿勢をとった。

 通信担当のオペレーターは「ジャミング来ます! 防御……防御を……っ!」と、裏返った声で無意味な復唱を繰り返している。

 医療班の女性調査員――海洋生物学の専門家でもある彼女――は、恐怖で完全に顔色を失い、自分の腕を爪が食い込むほど強く握りしめて、その場にうずくまった。

 

 全員の脳裏に、『発狂』『全滅』『脳の焼き切れ』という最悪のビジョンが、フラッシュバックのように鮮明に浮かび上がっていた。

 未知の上位存在に触れた人類が、いかに脆弱で、いかに醜く取り乱すか。それが、冷酷なまでにこの部屋の光景として可視化されていた。

 

 沖田室長でさえ、額に冷や汗を流し、デスクの縁を握る指の関節が真っ白になるほど力を込め、次に来るであろう「致命的な衝撃(精神崩壊)」に備えて、一瞬、呼吸を止めた。

 

 ……一秒。

 ……三秒。

 ……十秒。

 

「…………」

「……」

 

 何も、起きない。

 

 三十秒が経過しても。一分が経過しても。

 出雲の森で民間人たちをなぎ倒したような、脳を直接破壊する情報の濁流も。空間を物理的に引き裂く衝撃波も。計器を狂わせる電磁パルスも。

 

 何一つ、彼らを襲ってこなかった。

 

 メインモニターの中の『龍宮の扉』は、相変わらず青白い微光を明滅させているだけだ。

 海流は静かで、ROVのカメラ映像も一切乱れていない。

 誰も発狂していない。誰も倒れていない。ただ、怯えて身構えた人間たちが、滑稽なポーズのまま固まっているだけだった。

 

「……え?」

 感受性要員の女性が、抱きしめていた腕を少しだけ緩め、呆然とモニターを見つめた。

 

「いや、来ている」

 神職の男が、額の汗を拭うことも忘れて、低く、しかし確信に満ちた声で呻いた。

「間違いなく、向こうの巨大な意識は完全に覚醒し、我々を真っ直ぐに『見て』いる。……ただ、攻撃してこない(襲っていない)だけだ」

 

 その事実が、逆に、部屋の空気をさらに深い恐怖の泥沼へと引きずり込んだ。

 

 叫べば楽になる。衝撃が来れば、対処のしようもある。

 だが、「確実にそこに見えない怪物がいて、自分たちを見下ろしているのに、何もしてこない」という圧倒的な膠着状態は、人間の理性を内側から削り取っていく。

 

「……室長」

 床に転がっていた若手分析官が、みっともない声で漏らした。

「まだ……ですか……? なんで、何も起きないんですか……っ」

 彼の目には、「いっそ、早く何かが起きてくれた方がマシだ」という、恐怖の解放を求める哀れな懇願の色すら浮かんでいた。

 

 沖田室長は、乾いた喉を無理やり動かし、指揮官としての声を取り戻そうとした。

「……持ち場を離れるな。全員、現状を維持しろ。……まだだ」

 だが、その声は、自分でも分かるほどに硬く、微かに震えていた。

 

 そして。

 その極限の緊張が、誰も予想しなかった「最も不気味な形」で破られたのは、次の瞬間だった。

 

『――汝らの来訪の目的と、その資格を、我に示しなさい』

 

 ビクッ、と。

 部屋にいた全員の肩が、同時に跳ね上がった。

 

 通信機のスピーカーからではない。艦内の船内放送からでもない。

 空間そのものから。いや、鼓膜を完全にバイパスして、自分たちの『骨の内側(脳神経)』に直接響き渡るような、異次元の音響。

 

 しかも、それは完全に流暢な『日本語』だった。

 だが、人間の声ではない。怒りも、喜びも、警戒心も。一切の感情の起伏(ノイズ)が存在しない、完璧にフラットで、だからこそ絶対的で高圧的な、冷たすぎる声。

 

「……翻訳……!?」

 通信担当のオペレーターが、パニックを起こしてコンソールを叩きまくった。

「あり得ない! こちらの通信システムには一切の外部からのアクセス痕跡はありません! 回線を通さずに、どうやって直接我々の言語に翻訳して……誰が回してるんだ!?」

 

「静かにしろ!」

 神職の男が、オペレーターを鋭く制した。

「あれは、我々の言語を『理解』して喋っているんじゃない。我々の脳の言語野に、直接『意味』を送り込んでいるんだ! 落ち着け、これは暴走した怪異じゃない。……明確な意思を持って我々に問いかけてきている『知性』だ!」

 

『汝らの来訪の目的と、その資格を、我に示しなさい』

 

 再び、海底の奥底から、冷徹な問いかけが繰り返された。

 

 沈黙。

 誰も答えられない。どう答えれば正解なのか、そもそもこの声の主が何者なのかすら分からないのだから。

 もしここで下手に答えを間違えれば、出雲のように一瞬で全滅させられるかもしれない。その圧倒的な恐怖が、全員の喉をカラカラに乾かし、言葉を奪っていた。

 

 その絶望的な膠着状態を打ち破り、一歩前へ出たのは。

 この調査隊の最高現場責任者である、沖田室長だった。

 

 彼は、震える足に強靭な意志で力を込め、モニターの中の『龍宮の扉』に向かって、背筋を真っ直ぐに伸ばして立った。

 怖い。喉が張り裂けそうに乾いている。

 だが、ここで逃げれば、日本という国家は未知との最初の接触(ファースト・コンタクト)において、永遠に主導権を失う。

 

「……我々は、日本政府から派遣された調査隊です」

 

 沖田の声は、少し掠れていたが、はっきりと、そして極めて堂々としたものだった。

 全員の視線が、祈るように沖田の背中に集まる。

 

「我々の来訪の目的は、平和的な学術調査と、現状の確認です」

 沖田は、一切の嘘をつかず、しかし国家の最高機密に関わる余計な裏事情(ヨーロッパや出雲の危機)は全て伏せ、純粋な「表の目的」だけを口にした。

「我々には、あなた方(貴存在)の構造物を物理的に破壊したり、不当に侵略したりする意図は一切ありません。……我々は、敬意をもって、あなた方の存在について『学びたい』と考えて、ここへ来ました」

 

 礼儀と、慎重さ。

 暴力でもなく、無知な土足での踏み込みでもない。

 “資格”を問われたのなら、人類側が提示できるのは、この「未知に対する真摯な態度」しかなかった。

 

 沖田の返答が、静かなオペレーションルームの空気に溶けていく。

 数秒の、永遠にも感じられるほどの長い空白。

 

 やがて、海底からの声が、再び彼らの脳裏に響いた。

 

『――応答を受理』

 

 その一言に、部屋中の人間が、目に見えない巨大な斧が首筋から一寸だけ遠ざかったのを感じて、小さく息を吐いた。

 

『――対話資格を、暫定的に認可する』

 

 その声は、先ほどと変わらず冷徹だったが、明確に人類側を「敵(排除対象)」ではなく、「対話可能な客」として認定したことを告げていた。

 

『我は、約八千年前にこの惑星の海底に設置された、自律型広域環境調和、及び生命体治癒システム』

 

 声の主が、唐突に、自らの『正体』を語り始めた。

 

『識別名称、【ガイアズ・ドリーム・プロトタイプ7】』

『製造母体、古代サイリーア文明』

 

 古代サイリーア文明。

 アカイア人でもなく、ヘルメス協会が追い求めた星間文明でもない。全く別の、八千年前に地球の海底に降り立ったという、新たな地球外文明の名前。

 そして、『広域環境調和』と『生命体治癒システム』。

 

 その言葉のスケールと、予想外に「攻撃的ではない(むしろ慈悲深い)」単語の羅列に、科学技術顧問がハッと息を呑んだ。

(生命体治癒システム……? それは、兵器やアーカイブではなく、医療設備だと言うのか……!?)

 

 一瞬、部屋の空気に、ほんのわずかな「希望」のようなものが混じりかけた。

 だが、その希望は、名前に冠された『プロトタイプ7』という機械的で無機質な響きによって、決して拭い去れない不気味さと共に、即座に打ち砕かれることになる。

 

 なぜなら、自己紹介を終えた直後。

 そのAI(あるいは巨大なシステム知性)は、「スキャンを行う」という断りすら一切入れることなく、彼らに対して一方的で、恐ろしいほどの【圧力】を行使し始めたからだ。

 

「……っ!?」

 突然。

 オペレーションルームにいる全員が、自分の皮膚の表面を、氷のように冷たく、そして目に見えない無数の『何か』に撫で回されたような、強烈な違和感に襲われた。

 頭の奥がヒヤリとし、内臓の奥底までを冷たい光で透かして見られたような、絶対的な「被・観測感」。

 

「な、何だ今の……」

「全員のバイタルモニターが……異常数値を吐いてます!」

 通信担当のオペレーターが、コンソールの警告音にパニックを起こした。

「我々の身につけているスマートウォッチや生体センサーの数値が、勝手に……いや、違う! 読まれてる(ハッキングされている)レベルじゃない! この部屋にいる全員の『生体データ(内部構造)』が、たった今、一瞬にして丸裸にされました!」

 

「全身の分子解析を、遠隔からこの数秒で完了させただと……!?」

 科学技術顧問が、そのあり得ない処理速度に顔面を蒼白にした。

 

 彼らは、自分たちが最新鋭のソナーやROVを使って、この未知の扉を「調べている」つもりだった。

 だが現実は全く違った。相手は、自己紹介を終えた次の瞬間に、自分たちを完全にスキャンし、まな板の上のカエルとして『査定』を終えていたのだ。

 

 そして。

 その査定結果は、まるで明日の天気予報でも読み上げるような、全く感情のない冷酷な宣告として、彼らの脳髄に直接叩きつけられた。

 

『――個体識別:現地指揮官・男性(オキタ)』

 

 AIの声が、この部屋の責任者である沖田室長を、名指しでロックオンした。

 

『頭蓋内に、高悪性腫瘍反応を確認』

 

 ピタリ、と。

 沖田室長の肩が、微かに跳ねた。

 

『位置:右前頭葉深部。進行度:致命的』

『自然予後(放置した場合の予測):近未来において、脳機能の広範な喪失率が極めて高い』

 

 AIは、一切の気遣いも、同情も交えずに、ただ冷徹な『事実』だけを告げた。

 

『貴個体は、死に向かっている』

 

 オペレーションルームの空気が、完全に凍結した。

 全員の視線が、一斉に沖田室長の背中へと突き刺さる。

 

「……室長」

 若手分析官が、信じられないものを見るような声で呟いた。

 

 沖田自身も、完全に言葉を失い、目を見開いたままモニターの前に立ち尽くしていた。

 彼は……ここ最近の頻繁な頭痛や、視界の端が時折ブレるような違和感を、ただの過労とストレスのせいだと思い込み、精密検査を先延ばしにし続けてきた。

 自分でも、心のどこかで「何かおかしい」とは感じていたのだ。だが、国家の危機(出雲と与那国)という激務の中で、自分の身体の異変など後回しにするしかなかった。

 

 その結果が、これだ。

 彼は、最前線で部下たちを指揮し、未知と対峙する強靭な「指揮官」から。

 一瞬にして、余命幾ばくもない哀れな「末期患者(救われる側)」へと、情け容赦なく引きずり落とされたのである。

 

 だが、AIの残酷な暴露(査定)は、一人だけでは終わらなかった。

 

『――個体識別:女性調査員(医療・海洋生物学担当)』

 

 今度は、先ほど恐怖でうずくまっていた女性調査員に、冷たい照準が定まった。

 

『生殖器系統に、高悪性腫瘍反応を確認。分類:子宮悪性腫瘍・第四段階(ステージ4)』

『局所リンパ節、および肺野への外転移あり』

『自然予後:著しく不良。治療猶予期間、極小』

 

「……っ!」

 

 女性調査員は、その言葉を聞いた瞬間、膝から崩れ落ち、両手で顔を覆った。

 

「嘘……嘘でしょ……」

 彼女は、ガタガタと震えながら、否定の言葉を口にした。

「私、ただ最近、少し体調が悪くて……不正出血があったから、この調査が終わったら病院に行こうって……転移だなんて、そんな……」

 

 彼女の震える声は、そのAIの診断が、決して当てずっぽうのハッタリなどではなく、彼女の肉体の「隠された真実」を完全に暴き出していることを、残酷なまでに裏付けていた。

 

 一人なら偶然かもしれない。だが、二人続けて、自覚症状すらはっきりしていなかった致命的な病巣を、パーフェクトに言い当てられたのだ。

 もう誰も、この『ガイアズ・ドリーム』と名乗るシステムの異常な解析能力を、疑うことはできなかった。

 

 そして。

 相手の弱点(死の恐怖)を完全に暴き出し、精神的なマウントを取り切ったところで。

 AIは、この部屋にいるすべての人間に対して、今回最大の衝撃――絶対的な【救済の提案】を提示した。

 

『――治療は、可能』

 

 その言葉が響いた瞬間。

 絶望の淵に突き落とされていた沖田室長と女性調査員の心臓が、大きく跳ねた。

 

『提案:当システムによる、医療用ナノマシンを用いた分子レベルの完全治癒(フル・リカバリー)』

『対象:現地指揮官、および女性調査員』

 

 AIの声は、相変わらず冷たかった。だが、その内容が孕む「奇跡」のスケールは、現代医療の常識を遥かに凌駕していた。

 

『悪性腫瘍組織の完全な除去。転移部位の細胞修復。および、再発因子の遺伝子レベルでの排除を、即座に実施可能』

『成功率:極めて高(99.9%以上)。後遺症:最小化可能』

 

「完全……治癒……!?」

 自衛隊中央病院から派遣されていた医療班のトップが、信じられないというように息を呑んだ。

「脳の深部の腫瘍と、ステージ4の転移ガンを……ナノマシンで、メスも入れずに即座に、しかも後遺症なしで完全に消し去るというのか……!?」

 

 それは、もはや医療ではない。神の御業に等しい奇跡だった。

 

 女性調査員は、顔を覆っていた手を離し、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、すがるようにモニターの光る扉を見つめた。

 沖田室長も、額に冷たい汗を浮かべたまま、その「甘美すぎる提案」から目を逸らすことができなかった。

 

 死ぬはずだった命が、完全に助かる。

 これほどの希望はない。誰もが、今すぐ「お願いします」と叫び出して、その奇跡の光に飛び込みたくなるはずだ。

 

 だが。

 彼らは、日本政府のエリート調査隊だ。

 出雲の『魂の庭』が、不用意に近づいた民間人たちの精神をいとも簡単に破壊した光景を、彼らは知っている。上位存在からの「無償の施し」など、この狂った世界に存在するはずがないことも。

 

『決断猶予(タイムリミット)を与える』

 

 AIは、最後に、その救済を最も恐ろしい『圧力』へと変換する決定的な一言を告げた。

 

『地球時間にして、二十四時間。……二十四時間以内に、この治療提案に対する受諾の可否を示しなさい』

『期限超過後、この提案の有効性は再保証されない』

 

 二十四時間。

 たった一日の猶予。

 

『選択は、汝らに委ねる』

 

 その言葉を最後に、AIの声は彼らの脳内から完全に消え去り、海底は再び、元の静かな漆黒の闇へと戻っていった。

 

「……室長!」

「短すぎます! そもそも、彼らが本当に病気かどうかの精密検査(裏付け)すら、二十四時間じゃ間に合わない!」

「東京の官邸の判断を仰ぐべきです! 未知のナノマシンを我々の指揮官に注入させるなど、どんな副作用(マインドコントロール)があるか分かったもんじゃない!」

 

 AIの沈黙と同時に、オペレーションルームは凄まじい騒然と混乱に包まれた。

 

 だが。

 誰も、その「治療提案」をただの悪質なジョークだと言って、笑い飛ばすことはできなかった。

 

「これは……医療の提案なんかじゃない」

 科学技術顧問が、震える手でコンソールを握りしめながら、絶望的な声でその事態の本質を言語化した。

 

「これは、我々の最も脆い弱点(死への恐怖)を一瞬で見抜いた上で、突きつけてきた『査定の条件』だ。……断れないほどの魅力的な餌をぶら下げて、我々がそれに食いつくかどうか(未知のシステムに服従するかどうか)を、試しているんだ……っ!」

 

「慈悲に見えます。ですが、これを慈悲だと安易に決めつけるのは、あまりにも危険すぎます」

 神職の男も、青ざめた顔で沖田室長を見た。

「救済の顔をした、悪魔の契約かもしれません」

 

 全員の視線が、再び沖田室長に集まる。

 彼は、自らの脳の中に、自分を確実に殺す時限爆弾(腫瘍)が埋まっているという事実を突きつけられたばかりだ。

 

 沖田は、血の気のない顔で、モニターの『龍宮の扉』を見つめ返した。

 返事をしなければ、このまま二十四時間後には提案は消滅し、自分と部下(女性調査員)は、近い将来確実に死ぬことになるだろう。

 だが、もし「YES」と答えれば。それは、人類が未知の地球外システムに対し、自らの肉体と命の管理権を売り渡す、越えてはならない一線を越えることを意味する。

 

 目覚めたものは、人類を怒りに任せて殺そうとはしなかった。

 代わりに、絶対に断れないほど魅力的な「完全治癒」という条件を突きつけ、静かに、人類の理性を内側から解体しにきたのだ。

 

 発狂も、全滅も来なかった。

 来たのは、「二十四時間以内に命を選べ」という、あまりにも静かで、暴力的すぎる命令だった。

 

 誰も、答えられない。

 答えた瞬間から、何かが決定的に変わってしまうと、全員が本能で分かっていたからだ。

 出雲は、近づく者を無慈悲に拒絶した。

 だが、与那国は違った。手を差し伸べるふりをして、人類に究極の『選択』を迫ってきたのである。

 

 




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