銀河皇帝のスペアに転生した元社畜、地球軌道上の要塞でネトゲ三昧の隠居生活を満喫する 〜足元では超大国が滅亡級の異星遺産を巡って暗躍中ですが、主人公(ぼく)の命は絶対安全なので特等席で傍観します〜   作:パラレル・ゲーマー

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第50話 調整型、覚悟完了

 大気圏外、高度四百キロメートルの虚空を音もなく滑る、超弩級ステルス宇宙ステーション〈サイト・アオ〉。

 

 その中枢に位置する観測ラウンジは、重力制御と完璧な環境維持システムによって、地上のいかなる高級ホテルよりも快適で静謐な空気に保たれていた。

 

 だが、その平穏な空間の中央に展開された巨大なホログラム・スクリーンに映し出されている光景は、ラウンジの静けさとは対極にある、文字通りの『地獄』だった。

 

 スクリーンはいくつものウィンドウに分割され、地球上のあらゆる座標で現在進行形で起きている狂騒と崩壊を、リアルタイムで垂れ流している。

 

 一つは、ワシントンD.C.のホワイトハウス地下で、顔面を蒼白にした軍人たちが怒号を交わしている映像。

 

 一つは、ストラスブールの欧州議会地下で、純白の祭服に身を包んだヘルメス協会の導師たちと、異様な熱に浮かされたEU首脳陣が『聖戦』を誓い合う異様な光景。

 

 一つは、日本の首相官邸地下で、胃に穴が空きそうなほどの重圧に耐えながら、沈黙する出雲の森と与那国の海を睨みつける矢崎総理と官僚たち。

 

 さらにその脇には、世界中のスーパーマーケットから食料が消え去り、港湾に数千隻のコンテナ船が立ち往生し、真っ赤な悲鳴を上げてナイアガラの滝のように崩落していく各国の株価チャートが、無機質な数字の羅列として表示されていた。

 

「いやー……」

 

 その、人類の築き上げてきた文明が音を立てて崩れ落ちていく凄惨なダイジェスト映像を見上げながら。

 

 ラウンジの中央、特大の形状記憶ビーズソファに深く体を沈めていたティアナ・レグリアが、ポテトチップスを齧る手を止め、心底感心したような声を漏らした。

 

「いやー、凄いね」

 

 銀河帝国最高権力者のクローン・スペアである彼は、いつものおちゃらけた態度を少しだけ引っ込め、スクリーンの中心に映る一人の女性――キャサリン・ヘイズ大統領の姿を、真っ直ぐに見つめていた。

 

 ラウンジの窓際、重力制御がなければ漂ってしまうはずの肘掛け椅子の背もたれに、一匹の猫が四足をきちんと揃えて座っていた。

 

 薄墨色の縞模様を持つ、人間の赤子ほどの大きさの猫。

 その金色の瞳は、スクリーンに映し出された人類の狂騒を、まるで千年ぶりに古い絵巻物の続きを確認するような、落ち着き払った目つきで眺めていた。

 

「調整型の大統領、か」

 

 猫は、ひとりごちるように言った。

 

「なかなかよい表現じゃの」

 

「アメリカ大統領、なかなか出来ることじゃないよ、この決断は」

 

 ティアナは、コーラの缶を指先で弾きながら、スクリーンの中で冷徹な為政者の顔つきに変わったヘイズを高く評価した。

 

「正直、彼女のこと、各方面の意見を聞いて落とし所を探る『典型的な調整型の大統領』だと思ってたんだけど。……いざという時の最後の一線で、ちゃんと覚悟決めたね」

 

「調整するということは、天秤の皿に何が乗っているかを常に正確に把握しておるということじゃ」

 

 猫は、前足を揃えたまま、尻尾だけをゆっくりと揺らした。

 

「そこが出来ておらぬ者が覚悟を決めても、ただの蛮勇じゃ。……あの女は、天秤の目盛りをずっと読み続けておった。だから、捨てる皿と残す皿を、瞬時に選べた」

 

 そのティアナと猫の称賛の言葉に、ラウンジの隅のコンソールで、地球の悲惨な状況を血の気の引いた顔でモニタリングしていたエミリー・カーター研究員が、ビクッと肩を震わせた。

 

 エミリーは、スクリーンの中で「中国を含むすべての第三国に対する、例外なき最上位の経済制裁」を宣言する大統領の姿と、その直後にパニックに陥り、暴落していく市場のチャートを交互に見つめ、ギリッと強く唇を噛み締めた。

 

「私……」

 

 エミリーは、コンソールの縁を両手で強く握りしめ、絞り出すような、そして深い後悔に満ちた声で呟いた。

 

「私……前回の大統領選挙で、ヘイズさんに投票してなくて……」

 

 彼女の声は、次第に小さく、弱々しくなっていく。

 

「……本当に、自分の見る目ないなぁって、今さらながら思いました……」

 

 エミリーは、完全にうなだれ、机に突っ伏した。

 

「ほほ」

 

 猫が、乾いた笑い声を出した。

 

「何がおかしいんですか、猫さん……」

 

 エミリーが、机に顔を押しつけたまま恨めしそうに目だけを向ける。

 

「いや、見る目がないとはちと違うと思うてな」

 

 猫は、スクリーンの中のヘイズを見上げながら言った。

 

「平時に『頼もしい』と見える指導者と、非常時に正しく機能する指導者は、必ずしも同じではない。……それを事前に見抜けるほど、人間の目はよくできておらんのじゃよ。誰もが平時向けのUIを見て選ぶしかない。それが民主主義というものじゃ」

 

「……慰めてます?」

 

「観察しとるだけじゃ」

 

 猫は、素っ気なく答えた。

 

「本当に、見る目ないわねー」

 

 隣のベルベットのソファで、高級な赤ワインのグラスを優雅に傾けていたゴスロリ姿の少女――別次元の高位存在であるKAMIが、心底楽しそうに、そして最高に意地悪なトーンで拾い上げた。

 

 KAMIの容赦のない煽りが、エミリーの背中にグサリと突き刺さる。

 

「うぅっ……はい……ないです……」

 

 エミリーは反論する気力もなく、さらに深く項垂れた。

 

「KAMIよ」

 

 猫が、ワインのグラスを傾けるKAMIにゆるやかな視線を向けた。

 

「そこまで言うてやるでない。……この娘は、人類の中では相当よく見えておる方じゃ」

 

「あら、かばうの?」

 

 KAMIが、少し意外そうに眉を上げる。

 

「かばっておらん。事実の確認じゃ」

 

 猫は、尻尾の先だけをぴくりと動かした。

 

「人類の九割九分は、スクリーンの向こうで暴落するチャートを見てもまだ、自分の日常が続くと信じておる。……あの娘は、そうでない分だけ、すでに十分に異常じゃよ」

 

「それ、褒めてるんですか……?」

 

 エミリーが、複雑な顔で聞き返す。

 

「さあ、どうかの」

 

 猫は、答えなかった。

 

「でもまあ、あの女、ギリギリで仕様変更に成功したじゃない」

 

 KAMIは、グラスを揺らしながら、スクリーンの中のヘイズを『運営側』の冷徹な目で品定めするように見つめた。

 

「平時の“調整型”っていうヌルいUI(インターフェース)のくせに、最後の一線を超える時は、ちゃんと自分の責任でその線を越えたわ。支持率だの経済だのっていう不要なパラメータを一気に切り捨てて、国家生存モードに切り替えた。……そこは、プレイヤーとして評価してあげてもいいわね」

 

「仕様変更というよりは」

 

 猫が、静かに言葉を挟んだ。

 

「ずっと隠れておった本来の機能が、ようやく出てきただけじゃろうな」

 

「どういうこと?」

 

 ティアナが、興味深そうに猫を見る。

 

「調整型とは、あらゆる可能性を開いたまま走り続けることじゃ」

 

 猫は、前足で耳の後ろを一度掻いてから続けた。

 

「選択肢を絞り込まない。捨て牌を先に決めない。ギリギリまで全部抱えていく。……それは平時には鈍重に見えるが、本当に追い詰められた時に、最も多くの手が残っておる戦い方でもある」

 

 猫は、スクリーンの中のヘイズを見た。

 

「彼女は、覚悟を決めたのではないかもしれんの。……ただ、最後まで残しておいた、一番重い選択肢を、静かに使っただけかもしれんよ」

 

 ラウンジに、短い沈黙が落ちた。

 

「……なかなか鋭いこと言うじゃん、猫」

 

 ティアナが、少しだけ見直したように言う。

 

「何百年も生きてると、人間のやることはだいたい同じじゃからの」

 

 猫は、欠伸をした。

 

「追い詰めれば動く。痛みを与えれば学ぶ。時間を与えれば忘れる。……面白みには欠けるが、それなりに見応えはある」

 

「どうだろうねー」

 

 ティアナは、残りのポテトチップスを口に放り込み、指についた塩を舐めながら、ゲーム盤の状況を極めてシンプルに整理した。

 

「少しでも日和ったら、完全に詰みだったからねー」

 

 ティアナの目は、観察者特有の冷たさを帯びている。

 

「ワシントンが三時間で落ちるかもしれないっていう、物理的で圧倒的なバッドエンドのフラグを突きつけられてさ。あそこでまだ『市場への影響が〜』とか『同盟国の反発が〜』ってやってたら、それこそ本当に終わりでしょ。……あの盤面で、自国はおろか世界経済に火を放ってでも相手の補給線を絶つっていうのは、最適解っていうより『それしか生き残る道がなかった』って言った方が正しいかもね」

 

「選択肢が一つしか残っていない時に正しく動けるかどうかは、その者の器じゃよ」

 

 猫が、付け加えるように言った。

 

「引鉄を引く手が震えなかった、ということは見ておった」

 

 ティアナのその的確な分析に、エミリーは少しだけ救われたような、しかしアメリカが負った代償の大きさに改めて身震いするような、複雑な表情を浮かべた。

 

「ヘイズさんかー……」

 

 その、地球の命運を分けた大統領の覚悟について語り合っていた重苦しい空間に。

 

 部屋の隅の作業用テーブルで、ジャンクパーツの基盤を半田付けしていた男――並行世界の覇者たる銀河帝国「日本国」の工場長、工藤創一が、ドライバーを片手に、首をひねりながら全く空気を読まない声を上げた。

 

「名前と顔、なんかどこかで聞いたような……」

 

 工藤は、天井を見上げて記憶を数秒間探り。

 

「……あ」

 

 ポン、と手を打った。

 

「ああ、うちの世界のアメリカ大統領だ!」

 

 ピタリ、と。

 

 エミリーの思考が停止し、KAMIのグラスを持つ手が止まった。

 

 猫は、金色の目を工藤に向け、わずかに耳を傾けた。

 

「……?」

 

 エミリーが、目を丸くして工藤を振り返る。

 

「工藤さんのいた世界でも……キャサリン・ヘイズさんが、アメリカの大統領なんですか?」

 

「はい。ノア君から聞いた覚えがあります」

 

 工藤は、うんうんと頷きながら、全く悪びれることなく、とんでもない別世界の裏事情を語り始めた。

 

「元検事で、最初はクリーンで透明性を第一にする真っ当な政治家だったってところまで一致してるんで、多分間違いないです」

 

「ノア、君……?」

 

 エミリーは、その聞き慣れない名前に首を傾げた。

 

「ああ、俺のところの得意先というか、アメリカ側の代理店みたいなことやってくれてる子なんですけどね」

 

 工藤は、にこやかに説明を続ける。

 

「ノア・マクドウェル君って言って、アメリカ最大の軍産複合体の御曹司で、まあ実質的にあっちの『影の政府(ディープステート)』を束ねてる若き怪物なんですけど」

 

「影の政府のトップ……」

 

 エミリーの顔が引き攣る。

 

「彼、元々はALS(筋萎縮性側索硬化症)の劇症型で死にかけてたんですけど、うちの会社(日本)が極秘に渡した『消しゴム君』とかの医療用ナノマシンのオリジナル版で治療したら、なんか遺伝子のポテンシャルが限界突破しちゃって、超人みたいになっちゃったんですよねー」

 

 工藤は、まるで近所の子供の成長を語るような気楽さで、凄まじい設定を垂れ流す。

 

「で、その命の恩義もあって、今はアメリカの裏側を完全に掌握して、うちの日本政府の『最強の番犬』として働いてくれてるんです。……世界のVIPに一回50億円でガン治療ナノマシンを売って首輪つけたり、日本の秘密を嗅ぎ回るスパイを私兵部隊で物理的に排除したり、陰謀論をコントロールして大衆の目を逸らしたり……いやあ、本当に優秀な子で助かってるんですよ」

 

 エミリーは、口をパクパクさせた。

 

「……なるほどの」

 

 猫が、工藤の話を静かに咀嚼するように一度目を閉じた。

 

「並行世界では、ヘイズの背後にそのような者が控えておると。……こちらの世界では、アルファという奇妙な影がその役を担っておるが、構図としてはよく似ておる」

 

「並行世界でも、トップの後ろには必ず番犬がいるってこと?」

 

 ティアナが、面白そうに聞く。

 

「指導者とは本来、一人で全部見えるほど、強い生き物ではない」

 

 猫は、静かに言った。

 

「光を当てる者がおれば、影を処理する者もいる。それは人間の国家がある限り、どの世界でも変わらんことじゃろうな。……気に入るかどうかは別として」

 

 猫は、工藤に視線を向けた。

 

「ノアとやら、ヘイズには真実を知らせておらんのじゃろう」

 

「ですね。知らせたら使い物にならなくなるんで」

 

 工藤は、あっさり肯定した。

 

「それが、番犬の判断か」

 

 猫は、何かを考えるように尻尾の先をゆっくり揺らした。

 

「……光の中で理想を掲げ続けるために、知らなくてよいことは闇の中に置いていく。贖罪と経営の、折り合いの付け方としては、まあ、一つの答えではあるの」

 

「褒めてます?」

 

 エミリーが、またしても確認する。

 

「批判もしておらん」

 

 猫は、今度もそっけなく答えた。

 

「そのノア君が、ヘイズ政権のこと、結構真面目に評価して語ってたんですよね」

 

 工藤は、ドライバーで基盤を指差しながら思い出すように言った。

 

「ヘイズ大統領には、日本のやってる非人道的な技術とかエグい裏取引の『真実』はあえて知らせず、表舞台では美しい正義のヒロインでいてもらってるらしいんですけど。……それでも、彼女のことを『無茶な時ほど腹が据わるタイプ』って言ってた気がします。ディープステートの暗躍にも適応して、うまくバランス取って国を回してる凄い人だって」

 

「へぇー、別世界でもそういう評価なんだね」

 

 ティアナが、ソファから身を乗り出して、面白そうに笑った。

 

「世界線が違っても、人間の根本的な性質(コア)は意外と変わらないものなんだね。……調整型の仮面の下に、いざという時に引鉄を引ける狂気を隠し持ってる。だからトップに立てるんだろうね」

 

「狂気というより、覚悟じゃな」

 

 猫が、ティアナの言葉を静かに訂正した。

 

「狂気とは、代償を計算せずに進むことじゃ。あの女はちゃんと計算した上で、それでも進んだ。……それは、覚悟と呼ぶ方が正しい」

 

「……似てるようで、全然違う話してるね、あなたたち」

 

 エミリーが、ティアナと猫を見比べながら言う。

 

「じゃからこそ、面白いのじゃ」

 

 猫は、一向に表情を変えずに言った。

 

「でも、あれ、工場長的にはかなり正しいですよ」

 

 工藤は、視線を再びメインスクリーンの世界経済の暴落チャートに向け、極めて実務的な、そして冷徹な『生産管理者』としての評価を下した。

 

「アメリカのあの『例外なき経済制裁』。全部守ろうとすると全部死ぬやつなんで、まず生産ライン(国家の機能)の優先順位を切って、捨てるものを決めたのは偉いです」

 

 工藤は、まるで不良品のロットを廃棄するような手振りで言った。

 

「軍需と通信インフラ、あとは最低限の半導体ラインだけでも残せれば、国家としてはまだ戦えますからね。一般消費財の物流とか、株価みたいな『飾り』は、非常時には一回全部シャットダウンしてリソースを集中させるのが、工場運営の基本です」

 

「軽く言うわねぇ」

 

 KAMIが、呆れたようにため息をつく。

 

「あんたの言う『飾り』の中には、何億人っていう人間の生活と明日食べるご飯が含まれてるのよ?」

 

「それを『飾り』と言える者は、自分が飢えたことのない者じゃな」

 

 猫が、工藤をちらりと見て、淡々と言った。

 

 批判ではなく、ただの観察として。

 

「いやー、工場って大体そんな感じなんで。歩留まりと最終的な製品の完成(国家の生存)が最優先ですから」

 

 工藤は全く悪びれることなく、自身の哲学を貫いた。

 

「工場の論理は、工場の中でだけ正しい」

 

 猫は、それ以上追わずに言った。

 

「ただ、国家はときとして、工場の論理を借りるしかない状況に追い込まれる。……それが、今がその時だということじゃな」

 

「まあ、中国の銀行まで切るのは、サプライチェーン的に普通に地獄ですけどね。部品が入ってこなくなって、どうやって国内のライン回す気なんだろうって、そこはちょっと気になりますけど」

 

「そこが、非常時の帝国の強引なところよね」

 

 KAMIは、ワイングラスをテーブルに置き、スクリーンの別のウィンドウ――欧州の礼拝議場で狂熱に包まれるヘルメス協会とEU首脳たちの姿――を指差した。

 

「で、こっちの連中は、完全に『平時のUI』を捨てて、別のゲームを始めちゃったわね」

 

「うん、便利な防波堤だよね」

 

 ティアナが、同意するように頷いた。

 

「ヘルメス協会がロシアを怨敵扱いするのなんて、まあ当然でしょ」

 

 KAMIは、鼻で笑った。

 

「『宇宙との調和』とか『精神の進化』とか高尚なこと言っといて、人間の肉体を切り刻んで鉄の関節と人工筋肉を埋め込むようなゴリゴリの物質主義を、礼賛するわけないじゃない。……彼らの教義からすれば、ロシアは完全に『デバッグ対象のバグ(穢れ)』よ」

 

「宗教と軍事が噛み合う時は、大抵ロクなことにならんのじゃが」

 

 猫が、しみじみとした声で言った。

 

「千年前も同じことをやっとったよ、人間は。……装備と旗の色が変わっただけで、中身は全く同じじゃ」

 

「でも、かなり危ないですよね……」

 

 エミリーが、画面の中で『ロシアをどう料理してもよい』と叫ぶ過激派導師の姿を見て、身震いした。

 

「思想と軍事が完全に噛み合っちゃってます。……“その後ロシアをどう料理してもいい”って、これ、もう防衛じゃなくて、ほぼ宗教戦争の殲滅戦じゃないですか……」

 

「そうそう。だから面白いんじゃない」

 

 ティアナは、残酷な観察者の笑みを浮かべた。

 

「千年前に見た景色じゃ、と言いたいところじゃが」

 

 猫は、スクリーンの中で純白の祭服が熱狂する光景を見ながら、思いのほか真面目な声で言った。

 

「今回は、戦場に化け物が出ておる。……人間が人間を殺すのとは、少し話が違うのじゃよ。ヘルメスの連中も、実物を見たら、少しは冷静になるかのう」

 

「なると思う?」

 

 ティアナが、意地悪な笑みで聞く。

 

「……ならんじゃろうな」

 

 猫は、迷わず答えた。

 

「炎が大きいほど、狂信は燃えやすい。あの手の連中は、恐怖を見ると、余計に燃え上がる仕様になっておるから」

 

「それに比べて……」

 

 XT-378が、無機質な声で、三つ目のウィンドウ――日本の首相官邸地下の映像を拡大した。

 

「日本政府の対応は、極めて異質であり、かつ慎重でした」

 

「日本は良かったね」

 

 ティアナは、矢崎総理と沖田室長が沈黙の中で監視を続ける姿を見て、素直に称賛の言葉を送った。

 

「……うむ」

 

 猫も、珍しく短く同意した。

 

「猫さんも、そう思いますか?」

 

 エミリーが、意外そうに聞く。

 

「ちゃんと怖がっておるのが、よい」

 

 猫は、静かに言った。

 

「アメリカは覚悟を決め、欧州は熱に浮かされ、ロシアは力に溺れた。……日本だけが、まだ震えておる。恐怖を手放さずにいられる者だけが、正確に歩ける。暗闇の中では、足元を疑う者の方が、転ばずに進めるものじゃ」

 

「怖がってることが、強さになるって、そういうことですか」

 

 エミリーが、噛み砕くように言う。

 

「強さというより、誠実さじゃな」

 

 猫は、金色の瞳でスクリーンの矢崎総理を見た。

 

「何も疑わずに進める者より、怖がりながらも止まらない者の方が、最終的には遠くへ行く。……あの女総理、なかなかに骨があるよ」

 

「あら、珍しく褒めた」

 

 KAMIが、意地悪に笑う。

 

「事実の確認じゃ」

 

 猫は、今度もそっけなく繰り返した。

 

「で、その台風の目になってる【ロシア】だけど」

 

 ティアナは、最後のウィンドウ――シベリアの地下で稼働する『ヴォストーク・メディック・ワン』と、サイボーグ化されたモロゾフ大佐の映像を指差した。

 

「地球基準なら、間違いなく大当たり(SSR)を引いたよね。……でもさっき工藤さんが言った通り、あれを国家のシステムで支えるのが、もう無理ゲー寄りなんだよな」

 

「はい。工場長目線だと、燃費悪すぎです」

 

 工藤は、首を横に振った。

 

「強い矢は、弓が裂けるほど引いてこそ飛ぶ」

 

 猫が、静かに言った。

 

「じゃが、弓が先に折れれば、矢は放たれることもない。……ロシアは今、弓の強度を確かめずに、引き続けておる」

 

「自重で潰れるって、そういうことですか」

 

 エミリーが確認する。

 

「そういうことじゃな」

 

 猫は短く答えた。

 

「問題は、折れる前に矢が飛ぶかどうかじゃ。……その一点だけが、今この盤面で最も危ういところじゃよ」

 

「でも、地球では十分危険ですよね……?」

 

 エミリーが、不安げに確認する。

 

「うん、そこは勘違いしちゃダメ」

 

 ティアナは、表情を引き締めた。

 

「死ぬのはだいたい、ルールを作った人たち(為政者)じゃない。……何も知らずに笑ってた、一番下の人たちから削られていくんだ」

 

 その残酷な真理に、エミリーは言葉を失い、ただ俯くことしかできなかった。

 

 猫は、何も言わなかった。

 

 ただ、スクリーンの中の「何も知らずに笑っていた人たち」が、ガラガラと音を立てて崩れていく映像を、静かに、飽きずに見続けていた。

 

「結局、人間って追い詰められた時だけ進む(変わる)のよ」

 

 KAMIが、少しだけ真面目な声色で、今回の騒動全体を総括した。

 

「高い授業料を払わされてるけど、まあ、文明の進化としては面白いアプデ(アップデート)ではあるわね」

 

「……人の心がないまとめ方……」

 

 エミリーが、恨めしそうにKAMIを睨む。

 

「でも間違ってない」

 

 ティアナが、KAMIの総括に同意した。

 

「間違ってはおらん」

 

 猫も、静かに加えた。

 

「ただ、高い授業料の中身は、いつも覚えておいた方がよい。……さもないと、何度でも同じ授業料を払う羽目になるからの」

 

「払い続けてきた、と言いたいんですか」

 

 エミリーが、疲れた声で聞く。

 

「千年程度、見ておると、そう見えることもある」

 

 猫は、それ以上は語らなかった。

 

 ラウンジの空気が、すべての陣営の行動を整理し終え、一種の「観劇後の静寂」に包まれようとした、その時。

 

「さて、と」

 

 ティアナは、ソファからゆっくりと立ち上がり、メインスクリーンの世界地図の、まだ赤くも青くも染まっていない、巨大な空白地帯を指差した。

 

「アメリカは覚悟を決め、欧州は熱に浮かされ、日本は綱渡りを続け、ロシアは鉄の兵を夢見ている。……じゃあ」

 

 ティアナの口角が、最も悪戯っぽく、そして危険な角度に吊り上がった。

 

「次は、中国先輩のターンかな」

 

 その言葉に、エミリーも、工藤も、KAMIも、一斉にスクリーンの中の巨大な赤い国へと視線を向けた。

 

 猫も、前足を揃えたまま、金色の瞳を中国の領土へとゆっくり向けた。

 

「いつ心変わりするんだろうね」

 

 ティアナが、軽く、しかし世界の命運を左右する問いを投げかける。

 

「ふふ。あいつらは“裏切る”んじゃないわ」

 

 KAMIが、ワイングラスの底に残った赤い雫を見つめながら、意味深に笑った。

 

「中国は、中国の利益でしか動かないですからねー」

 

 工藤も、あっさりと同意する。

 

「正確には」

 

 猫が、静かに訂正するように言った。

 

「中国は、最も大きな秤を持っておる国じゃ」

 

 猫の尻尾が、緩やかに揺れる。

 

「何が乗れば秤が傾くか、ずっと計り続けておる。……今はまだ、ロシアの皿の方が重い。じゃが、その重さが変わる時は、必ず来る」

 

「それが来た時、どうなると思う?」

 

 ティアナが、猫に問う。

 

「秤が傾いた瞬間に、テーブルごとひっくり返す」

 

 猫は、ぽつりと言った。

 

「それがあの国のやり方じゃ。……わしが見てきた限りでは、ずっとそうじゃよ」

 

「昔も見てたんですか、中国を」

 

 エミリーが、思わず聞く。

 

「いくつかの王朝は、な」

 

 猫は、それだけ答えた。

 

「うわぁ……」

 

 エミリーは、その身も蓋もない、しかし絶対的に正しいであろう予測に、両腕をさすって身震いした。

 

 壊れた世界の上で、まだ誰も最後の勝者ではない。

 

 アメリカの制裁が効くのか。

 ロシアのサイボーグが間に合うのか。

 それとも、沈黙を保つ巨龍が、全く新しい盤面を強引に作り出すのか。

 

 サイト・アオの観測席では、次の一手を待つ空気が、静かに、そして圧倒的な熱量を持って満ちていた。

 

 猫は、窓際の椅子の背もたれで、前足を揃えたまま動かなかった。

 

 その金色の瞳だけが、スクリーンの中の人類を、飽きることなく映し続けていた。

 

 




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