銀河皇帝のスペアに転生した元社畜、地球軌道上の要塞でネトゲ三昧の隠居生活を満喫する 〜足元では超大国が滅亡級の異星遺産を巡って暗躍中ですが、主人公(ぼく)の命は絶対安全なので特等席で傍観します〜 作:パラレル・ゲーマー
アメリカ合衆国の深部に潜む超法規的秘密組織、セレスティアル・ウォッチ本部。
その最も厳重な物理防壁と電磁シールドに守られた最下層、レベルΩ・アーティファクト解析合同会議室。
地上では今この瞬間も、中国の「仙人宣言」とアメリカの「無制限入札」によって世界中が狂騒の渦に巻き込まれ、政治家やメディアが血眼になって新しい時代の覇権を議論している。
だが、この冷え切ったLED照明に照らされた地下の会議室には、地上の喧騒など一切届いていなかった。ここにあるのは、人間のちっぽけな政治闘争など吹き飛ばすほどの、極めて純度が高く、そして重苦しい『文明的緊張感』だけだ。
半円状に配置された無機質なデスクには、組織の最高幹部であるオブザーバー・アルファと、技術解析主任のドクター・ケンドール。そして数名のシニア科学者と解析官たちが、無言のまま席についていた。
彼らの視線の先、壁面を覆う巨大なスクリーンには、別室の最高機密チャンバーに安置されている『アンデスの小箱』のリアルタイム監視映像が映し出されている。
かつて、スーパーコンピュータを何基並列稼働させても「開けるまでに五百年はかかる」と絶望視されていた、正六面体のオーパーツ。
しかし今、その表面に刻まれた太陽を思わせる幾何学文様は、以前の沈黙が嘘のように、全く異なる複雑な周期で青白く明滅を繰り返していた。まるで、内部のシステムが明確な『稼働状態(アクティブ)』へと移行し、外の世界に向けて情報を吐き出し始めているかのように。
恐怖ではない。
この部屋に満ちているのは、人類が初めて自らの手で「次の次元の扉」に触れようとしている、張り詰めた緊張と、隠しきれない高揚感だった。
「……では」
重い静寂を破り、ドクター・ケンドールが静かに議事進行の口火を切った。
彼の眼鏡の奥の瞳には、かつての狂信的なまでの探求心が、極めて冷徹で理知的な光へと研ぎ澄まされて宿っている。
通常、このレベルΩの会議において、未知のアーティファクトの解析結果をトップに報告するのは、各部門を統括する上席研究者の役割である。
だが、ケンドールは今回、あえてその特権を自らの部下たちに譲った。
「アンデス解析班……いや」
ケンドールは、半円状のデスクの端に、肩を縮めるようにして座っている数名の若者たちへと視線を向けた。
「……研修生チーム。現時点の成果を、報告したまえ」
名指しされたのは、セレスティアル・ウォッチに配属されてまだ日も浅い、二十代半ばの若手研究者たちだった。
彼らは、本来であればこの部屋の空気を吸うことすら許されない最下層の実務要員に過ぎない。だが、ティアナからの「星間通信の概念発生によるロック解除」という裏技のヒントを元に、実際に小箱のシステムと直接向き合い、最も近くでその『ブレイクスルー』を掴み取ったのは、他でもない彼らだったのだ。
「は、はい……ッ」
研修生チームの代表に選ばれた青年が、弾かれたように立ち上がった。
彼の手には、薄いタブレット端末が握られているが、その指先は小刻みに、しかしはっきりと震えていた。
彼が今から読み上げるのは、単なる研究レポートではない。人類の科学史、いや、人類という種の限界を根底から覆す『神の領域の設計図』なのだ。研究者人生どころか、人類史の転換点を自らの口で報告するという圧倒的なプレッシャーに、彼の声帯はカラカラに乾いていた。
だが、部屋の空気は、その青年の緊張を嘲笑うようなものではなかった。
アルファも、ケンドールも、他の老練な科学者たちも、一切の口を挟まず、ただ静かに、彼が言葉を紡ぎ出すのを待っている。
青年は、ごくりと大きく唾を飲み込み、震える声を必死に腹の底から押し出した。
「えー……我々は、小箱内部のデータストリームより……」
青年は、モニターの明滅する小箱を一度だけ見つめ、そして決定的な言葉を放った。
「【星間通信技術】の基礎論文、ならびに……【FTL(超光速)航行技術】の基礎論文を、取得しました」
ピタリ、と。
会議室の空気が、完全に真空になったかのように一変した。
星間通信。
そして、光を超える航行技術。
それは、地球という閉鎖された重力井戸の中で足掻いている人類にとって、永遠の夢であり、同時に絶対に越えられないとされていた絶対的な物理法則の壁だった。
だが、アルファもケンドールも、まだ表情を崩さなかった。
彼らは科学の徒として、そして国家の影の管理者として、その言葉が「夢想」なのか「現実」なのかを見極めるまでは、決して浮かれることはしない。
「……内容は、革命的です」
青年は、自らが目にしたデータの異常性に、少しずつ研究者としての熱を帯び始めた。
「まず、星間通信技術についてですが……これは単なる電波の出力強化や、量子テレポーテーションの延長ではありません。通信というよりは、“隔絶した恒星系間で、情報を同期させるための『認識と場の理論』”に近いものです」
青年の指がコンソールを叩き、メインモニターに、目が眩むほどに複雑な、しかし信じられないほど美しい対称性を持った数式の羅列が展開される。
「現行の人類物理学の前提を数段飛び越えた概念が組み込まれています。……しかし、決して支離滅裂なオカルトや魔法ではありません。少なくとも、我々の側から見て“狂った妄想”ではなく、“理解可能な数式体系を持った未知の工学”として、完全に筋が通っているのです」
「……」
老練な科学者たちが、食い入るようにモニターの数式を睨みつける。彼らの頭脳が、その理論の美しさに戦慄しているのが分かった。
「続けて」
ケンドールが、短く促す。
「はい。……次に、FTL航行技術の基礎論文についてです」
青年は、さらに重いトーンで言葉を継いだ。
「こちらは、エンジンの具体的な設計図面(ブループリント)ではありません。ですが、“光を超える”ことを可能にするための、完全な【理論骨格】が提示されていました」
青年は、次々と専門的なキーワードを並べ立てていく。
「局所的な場の折り畳み、超光速下における観測者基準の再定義、相対位相のシフト、航行安全域の算出、および慣性処理問題の解決アプローチ。……我々人類がいまエンターテインメントとして消費している『ワープ』や『超光速』のイメージよりも、はるかに厳密で、泥臭いほどに工学的なプロセスが記述されています」
青年は、そこで一度深く息を吸い込んだ。
「現在、全力で解析中ですが……光を超える方法として、まさに革命的な内容です。
……ただし、これを読んだからといって、明日すぐにFTLエンジンを組み上げられるというものではありません。素材工学も、エネルギー出力も、現状の地球の技術では全く追いついていないからです」
青年は、興奮に呑まれることなく、科学者らしく『可能性』と『現実』の境界線を冷徹に引いてみせた。
「ですが。“光を超える”という発想が、単なる神話や夢想ではなく……明確に、我々が手を伸ばせば届くかもしれない【工学的前提】へと落ちたことは、間違いありません」
その報告に、会議室の空気が微かに震えた。
明日作れるわけではない。だが、「作れる(理論上可能である)」という証明がなされたのだ。それは、人類が宇宙の法則に対して突きつけられていた「絶対不可能」という壁に、明確な扉が見つかったことを意味していた。
「加えて……小箱の内部メッセージとして、特筆すべき事項があります」
青年は、最後に、このアーティファクトの持つ「本質」についての重要な報告を付け加えた。
「論文データの開示と同時に、小箱のシステムから、このような通知が確認されました。
……『この論文群を完全に理解した時、次の鍵が出現する』、と」
「理解した時、次の鍵が出る……?」
シニア科学者の一人が、思わず声を漏らした。
「はい」
青年は頷いた。
「つまり、このアンデスの小箱は、単に知識を無造作に詰め込んだだけの宝箱(データバンク)ではないということです。……読み手の文明が、与えられた知識を正しく咀嚼し、消化したと判定された段階で、次のレベルの技術を解放していく……【段階的開示型の教育・選抜システム(カリキュラム)】であると考えられます」
小箱は、人類を試しているのだ。
理解できなければ、そこで止まる。だが、自らの頭で理解し、工学として落とし込むことができれば、その先にさらなる深淵の扉が開かれる。
「……それで? 君たちの現状は」
ケンドールが、鋭く問う。
青年は、少しだけ恥ずかしそうに、だが確かな誇りを持って答えた。
「現在、チーム総出で……提示された論文の『暗記』と『理解』を深めています」
それは、世界を変えるエリート科学者というよりも、まるで明日の最終試験に向けて徹夜で教科書に齧り付く「必死の学習者(受験生)」のような、泥臭く、しかし極めてリアルな言葉だった。
彼らは今、異星のシステムが提示した『文明の試験問題』に、必死で食らいついている最中なのだ。
「……」
報告が終わり、会議室に再び静寂が戻った。
「……分かった」
沈黙を破ったのは、円卓の端で腕を組んでいた、オブザーバー・アルファだった。
彼は、長々とした感想も、大げさな称賛の言葉も一切口にしなかった。ただ、極めて冷淡に、しかし本質だけをえぐるように、短く確認した。
「アンデスの小箱は……順調で良いのか?」
「っ!」
研修生チームの若者たちが、その短すぎる問いに含まれた「圧倒的な圧力」に、ビクッと肩を震わせた。アルファの言葉は、「言い訳は聞かない。結果だけを約束しろ」という冷酷な念押しに他ならない。
だが、ここで研修生たちを庇うように、ケンドール博士が口を開いた。
「概ね、その理解で良いです、長官」
ケンドールは、興奮を隠しきれない様子で、しかし技術者としての冷徹な現実補正を忘れることなく言った。
「もちろん、いまこの瞬間にFTLエンジンを組み立てて宇宙へ飛び立てる、という意味ではありません。……しかし、我々が“超光速航行は神秘の現象ではなく、解析可能な理論体系である”という地点に立ったのは、紛れもない事実です」
ケンドールの瞳の奥で、知の欲望がギラギラと燃え上がっている。
「少なくとも……あの欧州で空を光らせた、ヘルメス協会が得たものと“同じ地平線”には立ちました」
ケンドールは、はっきりと宣言した。
「さらに、我々は『次の鍵』の目星もついている。彼らのように神頼みのオカルト儀式に溺れることなく、純粋な論理と工学の力で、次の扉をこじ開けることができる。
……ならば、このチームはもう、“研修”ではありません」
ケンドールは、アルファへと向き直った。
「研修生チームを、このまま『アンデスの小箱チーム』へとスライド(昇格)させて良いと思います。彼らが一番、あの言語(システム)を理解し始めている」
その提案に対し。
アルファは、一切の躊躇なく、即断した。
「許可する」
その短すぎる決断が、逆に事態の重さを物語っていた。
「研修生チーム改め、これより【アンデスの小箱チーム】とする」
アルファは、若者たちを見据えて、絶対的な命令を下した。
「本件を、セレスティアル・ウォッチの最優先プロジェクトに編入する。……君たちには、無制限のリソースを与える。続報を期待するぞ」
「……っ!!」
若き研究者たちは、一瞬、その巨大な責任と名誉に理解が追いつかず、呆然とした。だが、すぐに全員が弾かれたように立ち上がり、直立不動の姿勢をとった。
「わ、分かりました、アルファ様!」
彼らの顔には、昇格の喜びよりも、人類史の最前線に立たされてしまったことへの「極度の緊張と恐怖」が勝っていた。
「下がれ。直ちに解析に戻るんだ」
ケンドールの指示を受け、新しい『小箱チーム』の面々は、逃げるように、しかし確かな使命感を胸に抱いて、会議室を足早に退出していった。
分厚い防音扉が閉まり、ロックされる鈍い音が響く。
高揚感に包まれていた若者たちが去り、会議室は再び、極限まで冷え切った、中枢の人間たちだけの「静寂」へと戻った。
アルファは、周囲のシニア科学者たちも目配せで退出させ、部屋には彼とケンドールの二人だけが残された。
「……さて、ケンドール」
アルファは、誰もいなくなった会議室で、初めて少しだけ肩の力を抜き、椅子の背もたれに寄りかかった。
「今の報告を、どう見る。……我々は、ようやく『入口』に触れた。……そういう理解でいいか」
「はい」
ケンドールは、眼鏡を外し、疲労で窪んだ目頭を揉みながら、深く頷いた。
「まだ、理論です。まだ、基礎論文に過ぎません。
……ですが、それでも、決定的な一歩です」
ケンドールは、眼鏡をかけ直し、モニターの明滅する小箱を見つめた。
「アメリカ合衆国は、ついに……神話でも魔法でもなく、“工学としての星間文明の入り口”を、現実のデータとしてその目に捉えた。
……その一点だけで、人類史はすでに変わっています」
決して誇張しすぎない。だが、その一歩がいかに重いかを、二人は正確に理解していた。これは勝利宣言ではない。「ようやく同じ土俵に上がった」という、執念の【到達宣言】だった。
「中国は、神話の階段を上っている」
ケンドールが、世界の現状を冷酷に整理する。
「ヘルメス協会は、儀式と信仰のジャンプで跳んだ。
……我々は、遅い。泥臭く、不恰好です。だが、我々は確実に【工学(サイエンス)】で登る。
まだ完成していない。しかし……もう、我々はレースの外ではありません」
「よし」
アルファは、小さく、しかし力強く頷いた。
「ならば、次だ。……これを、上に上げるぞ」
アルファは、手元の特権コンソールを操作し、この会議室の通信システムを、最高レベルの秘匿プロトコルへと移行させた。
「十一次元量子暗号回線、起動。……ホワイトハウス地下、大統領専用極秘室へ接続しろ」
アルファの声が、無機質に響く。
「参加者は最小限。記録は物理的に分離保存。口頭ログはすべて階層化し、外部への漏洩リスクを完全にゼロにしろ」
通常の国家間の通信でも、軍事作戦のブリーフィングでもない。
アメリカ合衆国という巨大なシステムの「裏の支配者」と「表の顔」が、世界のルールを書き換えるための、絶対秘匿の対話。
スクリーンが青白く歪み、やがてノイズの向こう側に、見慣れたホワイトハウス地下の防爆室の光景が浮かび上がった。
そこに座っていたのは、キャサリン・ヘイズ大統領だった。
彼女の顔は、中国の「無制限入札会見」以降、一睡もしていないであろう深刻な徹夜顔だった。目の下には隈ができ、髪もわずかに乱れている。
だが、その灰色の瞳の奥に宿る光だけは、決して折れていなかった。
キャサリンの周囲にいる補佐官は、わずかに二人だけ。彼女は、この通信が「いつもの厄介なトラブル報告」ではなく、何か決定的に次元の違う話であることを、アルファの呼び出しの異常なプロトコルから即座に察知していた。
『……アルファ。ケンドール博士』
キャサリンは、モニター越しに二人を見据え、静かに、しかし威厳を持って口を開いた。
『来たわね。……始めましょう』
その声は、先日までのような「また悪い知らせなのか」という追い詰められた悲鳴ではなく、「どんな絶望でも受け止めて盤面を動かす」という、冷酷なプレイヤーとしての凄みを帯びていた。
「大統領」
アルファは、前置きや外交辞令をすべて切り捨て、一直線に結論から告げた。
「アンデスの小箱について、重大な進展があった」
『……!』
キャサリンの目が、微かに見開かれる。
「当組織の解析班は、小箱内部のシステムより……【星間通信技術】の基礎論文、および【FTL(超光速)航行技術】の基礎論文を取得した」
アルファは、感情を込めずに、ただ事実の質量だけでキャサリンを殴りつけた。
「現在は、その理解と翻訳工程に入っている。
……加えて、小箱は、“その理論を完全理解した先に、次の鍵(テクノロジー)を開示する”と通知してきている」
しばしの、絶句。
『…………待って』
キャサリンは、手元のペンを取り落としそうになりながら、息を止めた。
彼女の優秀な頭脳は、アルファの口から出た「星間通信」と「FTL」という単語の意味を、ただのSF用語としてではなく、アメリカという国家が置かれている現在の絶望的な盤面において、それがどれほどの政治的・戦略的な【逆転のカード】であるかを、即座に理解してしまったのだ。だからこそ、一瞬、思考がフリーズした。
『今、何と言ったの?』
彼女の声は、微かに震えていた。
『FTL? 星間通信? ……私たちが?』
「はい」
アルファは、短く肯定した。
『……つまり』
キャサリンは、目元を押さえ、大きな深呼吸をして、その事実の重さを言語化した。
『私たちは……まだ、終わっていないのね』
彼女の口から漏れたのは、歓喜というよりも、安堵と恐怖がないまぜになったような、深い眩暈(めまい)に近い響きだった。
『中国に出し抜かれて、世界を巻き込んで闇市場(無制限入札)を開いて、ただ泥沼の延命を図って終わりじゃない。……私たちには、まだ「別の梯子」が、残されていたということ?』
「その理解で良い」
アルファは、極めて短く、冷徹に肯定した。
だが、ここでケンドール博士が、大統領が過剰な「夢」を見ないように、科学者としての厳しい現実の補足を入れた。
「ただし、大統領。誤解は禁物です」
ケンドールは、眼鏡の位置を直し、画面越しのキャサリンを真っ直ぐに見た。
「いま我々が得たのは、あくまで『理論の入口』に過ぎません。明日すぐにFTLエンジンを組んで船を飛ばせるわけではない。……我々の素材工学もエネルギー技術も、まだまだ追いついていないのです」
ケンドールは、一拍置いて、しかし確かな誇りを持って言った。
「だが……我々は、“工学可能性”は獲得した」
彼の声が、熱を帯びる。
「中国とヘルメス協会のように、理解不能な儀式や魔法に頼るのではない。我々は、異なるルートで、彼らと同じ『星間文明の地平線』を見たのです。
……神話ではなく、工学の言葉で宇宙へ行ける可能性を、我々アメリカは初めてその手に持ちました」
神話ではなく、工学で。
その言葉が、キャサリンの胸の奥底に、冷たく、しかし強烈な火を灯した。
『……分かったわ』
キャサリンは、顔を上げ、政治家として、この事象の意味を完全に己のものとして咀嚼した。
『中国が、先に神話へと触れた。
EUが、儀式の言葉を得た。
……でも、アメリカは、工学の言葉で宇宙へ近づいた。』
彼女の灰色の瞳に、かつての調整型リーダーの迷いは完全に消え去り、世界を統べる覇権国家のトップとしての、強靭な闘争心が戻っていた。
『つまり……合衆国は、まだレースを降りていない』
キャサリンは、先日の記者会見で自ら口にした言葉を、今度は確かな根拠を持って反復した。
『いいえ。……ようやく、本当のスタートラインに立ったのかもしれないわね』
「ええ」
アルファが、静かに同意する。
『なら、すぐに危機管理のフェーズへ移行するわよ』
キャサリンは、一瞬の感傷も捨て去り、即座に大統領としての実務(防御)へと切り替えた。
『この情報は、国家機密という枠すら超える。……知っている人間の数は、今この通信を繋いでいる我々以外には、絶対に、これ以上一人も増やさないこと』
『アンデスの小箱チームは、直ちに最高レベルの保護プログラムに入れてちょうだい』
キャサリンの指示は、的確で容赦がなかった。
『彼らは、何があっても他国やテロ組織に奪われてはならない、人類史の最重要資産よ。……必要なら、彼らの名前も経歴も、すべて社会から消しなさい』
彼女は、冷酷な目でアルファを見た。
『彼らはもう、ただの研修生じゃない。……今や、文明の入口に立つ“作業員”よ。彼らの頭の中にある知識一つが、アメリカの存亡を決めるわ』
「了解した」
アルファは、即応した。すでに彼自身の手で、その手配は進められている。
「大統領。これからの戦いは、形を変えます」
アルファは、今回の報告の【総括】として、新たな戦争のルールを告げた。
「次の主戦場は、兵器の数でも、領土の広さでもない。……『理解』です」
アルファの言葉が、状況室に重く響く。
「小箱が提示した論文を読めるか。暗記できるか。人間の言葉に翻訳できるか。そして、それを現実の工学へと落とし込めるか。……『知識の消化速度』そのものが、国家の最大の戦略資産となる時代が来ました」
兵器を撃ち合うのではなく、どれだけ早く宇宙の法則を理解できるか。それが、勝敗を決める。
『なら、次の鍵は……』
キャサリンは、アルファの言葉を受け、それを国家の新たな絶対目標へと昇華させた。
『武器でも、資源でもなく。……【理解の速度】で決まるのね』
彼女は、小さく笑った。それは、恐怖のどん底から這い上がってきた者だけが持つ、不敵で、凄絶な笑みだった。
『いいわ。……やりましょう』
キャサリンは、机を強く叩き、アメリカ合衆国の新たな闘争を宣言した。
『アメリカは……読むことでも、絶対に負けない』
「……」
アルファとケンドールは、その大統領の覚悟に、無言で深く頷いた。
『中国が、天を見上げたなら』
キャサリンは、最後に、カメラの向こうの深淵を見据えて言った。
『アメリカは……そこへ、自らの手で橋を架ける。
……会議は、以上よ』
プツン、と。
ホワイトハウスとの通信が切れ、巨大スクリーンが黒く暗転する。
レベルΩの会議室に、再び深い静寂が戻った。
アルファは、傍らのモニターで、今もなお独自の周期で青白く明滅を続ける『アンデスの小箱』の幾何学模様を、じっと見つめていた。
「……五百年は、もういらない」
アルファの、深い影の底から、冷たい、しかし確かな野心に満ちた声が漏れた。
「次は……人類が、自分の頭で鍵を開ける番だ」
中国が神話の力を誇示し、世界がそれにひれ伏そうとしている裏側で。
アメリカ合衆国は、決して負けを認めてはいなかった。彼らは、絶望の泥沼の中で、静かに、そして着実に『工学という名の反撃の刃』を研ぎ始めていた。
本当のレースは、これからなのだ。
誰が最初に宇宙の深淵に到達するのか。人類の新しい、そして最も残酷な『理解競争(デスゲーム)』の幕が、今、静かに切って落とされた。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!