銀河皇帝のスペアに転生した元社畜、地球軌道上の要塞でネトゲ三昧の隠居生活を満喫する 〜足元では超大国が滅亡級の異星遺産を巡って暗躍中ですが、主人公(ぼく)の命は絶対安全なので特等席で傍観します〜   作:パラレル・ゲーマー

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第71話 死者からの招待状

「…………」

 

 首相官邸地下。既存技術外事象評価セルの特別防音会議室。

 先ほどまで、アシュワース卿の意図を推理し、白熱した議論が交わされていた円卓の空気が、完全に凍りついていた。

 

 全員の視線が、一点に突き刺さっている。

 三神編集長の手の中で、微かに震動を終えたばかりの、安物のスマートフォンの画面に。

 

 そこに表示された暗号化メールの通知。

 差出人:『Ashworth Estate Executor Office(アシュワース財団・遺言執行局)』

 

 世界を滅ぼすかもしれない万象器をサザビーズに放り投げた、渦中の「死んだコレクター」からの、直接のコンタクト。

 

 沈黙の重圧に耐えかねたように、三神編集長だけが、少しだけ困ったように眉を下げて笑った。

 

「いやあ……。本当に来ましたね」

 

 その声は、いつものように飄々としてはいたが、明らかに普段よりも乾いて響いた。

 彼もまた、オカルトや陰謀論を外野から面白おかしく消費する側の人間だったはずが、いつの間にか、この異常な世界線(ゲーム)の真っ只中に「プレイヤー」として引きずり込まれてしまったことを自覚したのだ。

 

「三神編集長」

 矢崎総理が、画面越しに静かに、しかし威圧感を持って問うた。

「心当たりは? なぜ、彼らが日本の総理大臣でも外務大臣でもなく、あなた個人の端末にコンタクトを取ってきたの?」

 

「アシュワース卿とは、生前何度か取材で会いましたし、多少の交流はありました」

 三神は、スマホの画面を見つめたまま答えた。

「でも、ただそれだけです。……まさか、死後のゲームにまで呼ばれるとは、思っていませんでしたよ」

 

「ゲーム、と言いましたね」

 沖田室長が、鋭く反応する。

 

「ええ。あの人にとって、これはおそらくゲーム(余興)です」

 三神は、顔を上げ、冷ややかに言った。

「ただし……盤面に載っている駒は各国の国家元首で、賭け金は『人類文明そのもの』という、史上最悪のゲームですがね」

 

 三神の親指が、メールの通知をタップして開こうと動く。

 

「待ってください! 開封は中止を!」

 

 その瞬間、情報機関の幹部が血相を変えて立ち上がり、怒号に近い声で制止した。

 

 三神の指がピタリと止まる。

 

「相手は、地球外テクノロジーを所有していたアシュワース財団です。しかも、万象器という世界を破壊しかねない装置の遺言管理機関」

 情報幹部は、額に冷や汗を浮かべていた。

「そのメールが、単なるテキストデータや、一般的なマルウェア(ウイルス)である保証はどこにもありません! 未知のコード、あるいは我々の通信インフラを根底から破壊する『サイバー兵器』が仕込まれている可能性すらあります。この国家の中枢(官邸地下)で、不用意に開くのは危険すぎます!」

 

 会議室に、新たな種類の緊張が走った。

 確かに、彼らは今、ただのスパムメールを扱っているのではないのだ。

 

「直ちに端末を隔離モードに移行してください! オフライン解析用のサンドボックス環境へデータを転送し、そこで安全を確認してから開封します」

 

 情報機関のテクニカルチームが慌ただしく動き出し、三神のスマホから有線でデータを吸い上げ、分厚い防護ガラスの向こう側にある独立した解析用サーバーへと隔離した。

 

「……メール一通を開けるだけで、ここまで厳戒態勢になるとはね」

 科学技術担当の幹部が、ハンカチで汗を拭いながら冗談めかして言った。

 

「相手がアシュワース卿なら、メールが『爆発』しないとも限りませんからね」

 沖田室長が、全く笑っていない目でモニターを睨む。

 

「物理的にですか?」と三神が問う。

 

「比喩ではありませんよ」

 沖田は短く返した。

 世界を灰にする『グレイ・グー』のリスクを考えれば、メールに仕込まれたナノマシンが周囲の人体を分解し始めるというSF的な最悪の事態すら、今の彼らには完全に否定しきれなかったのだ。

 

 十分後。

「……解析、終了しました」

 情報幹部が、深く息を吐き出して報告した。

 

「未知の実行コード、あるいは地球外由来の異常な信号パターン(データ兵器)は含まれていません。純粋なテキストデータと、暗号化された添付ファイルのみです」

 

「送信元の真正性は?」

 総理が問う。

 

「メールのヘッダー情報は、間違いなく英国の『アシュワース財団・遺言執行局』の公式サーバーを経由しています」

 情報幹部は、モニターに解析結果を投影した。

「英国の公証人による電子署名、およびサザビーズ法務部の認証コードも確認されました。さらに、アシュワース財団の旧式ですが極めて強固な秘密鍵による暗号化が施されています。……間違いなく、本物です」

 

「三神編集長個人宛なのよね?」

 総理が、画面の宛先(To)の欄を見て眉をひそめる。

 

「はい。宛先は三神氏個人のアドレスです。……しかし」

 情報幹部は、その下のCC(コピー宛先)の欄を指差した。

「コピー宛先として、日本政府の特定暗号窓口(外務省の極秘アドレス)が含まれていました。つまり、我々がこのメールを見ることも、あちらは承知の上です」

 

「なるほど」

 三神が、感心したように呟いた。

 

「何がなるほどなのですか」

 沖田が横目で見る。

 

「アシュワース卿は、私が今この瞬間、日本の首相官邸の地下にいることまでは把握していないはずです」

 三神は、面白そうに顎を撫でた。

「しかし……私がこの招待状を受け取った後、必ず【日本政府に情報を持ち込む(協力する)】という私の行動パターンは、完全に読まれていたということです。……だから、最初から政府にもCCで送った。無駄な手間を省くためにね」

 

 会議室が静まる。

 死んだはずの英国貴族が、極東の島国の一編集者の思考と、日本政府の動向を完全に盤面(チェスボード)の上で計算し尽くしている。その底知れぬ知性に、官僚たちは薄ら寒さを感じた。

 

「……本文を、メインモニターに出して」

 矢崎総理の指示で、ついに『死者からの招待状』が、彼らの前に開かれた。

 

『件名:Ashworth Testamentary Assessment』

 

「……アシュワース遺言・【評価手続き】」

 情報幹部が、その英単語を直訳して呟いた。

 

「オークション(競売)ではないの?」

 総理が怪訝な顔をする。

 

「件名上は、『Assessment』。つまり『評価』あるいは『審査』となっています」

 情報幹部が答える。

 

 三神編集長は、その言葉を見て、口元を押さえてフッと笑った。

 

「……やはり」

 

「やはり、とは?」

 沖田が三神を睨む。

 

「前回の会議で申し上げた通りですよ」

 三神は、ホワイトボードの推理図を指差した。

「アシュワース卿は、万象器を最高値で『売る』つもりなど、最初からない。

 ……彼は、誰が万象器を扱う【資格】を持っているか、世界中の権力者たちを並べて『評価(テスト)』させるつもりなのです。……サザビーズは売り場ではありません。彼の用意した【試験会場】です」

 

 その三神の推理を裏付けるように。

 情報幹部が読み上げた本文の【冒頭の第一文】が、会議室の空気を一気に支配した。

 

『This is not an auction of ownership.

 This is an assessment of qualification.』

 

 情報幹部が、震える声で日本語に翻訳する。

 

「『――これは所有権の競売ではない。資格の審査である』」

 

 会議室に、ピリッとした緊張が走る。

 まさに、三神の予告した通りの「第一問」だった。

 

「当たりですね」

 三神は静かに言った。

 

 総理も、三神の推察能力の高さに内心で舌を巻きつつ、頷いた。

「……ええ。彼らが求めているのは、金(カネ)ではない」

 

「本文を続けます」

 情報幹部が、招待状の詳細を読み下していく。

 

「招待状の宛名には、明確に三神編集長の氏名が記載されています。

 ……『Mikami Takeharu. Designated Observer / Cultural Interpreter』」

 

「……観測者(オブザーバー)?」

 沖田が、その特異な肩書きに眉をひそめる。

 

「直訳すれば、『指定観測者、および文明解釈者』となります」

 情報幹部が答える。

 

「買い手ではない、ということですね」

 三神は、納得したように頷いた。

 

「文明解釈者とは、一体どういう意味かしら?」

 総理が問う。

 

「おそらく、アシュワース卿は私に……『人類がこの万象器という規格外の力に対して、どのような【物語】を作り上げ、どう扱うか』を、特等席で見届けろと言っているのでしょう」

 三神は、少しだけ皮肉な笑みを浮かべた。

 

「科学者や為政者ではなく、なぜオカルト雑誌の編集者を?」

 科学技術担当の幹部が、理解できないというように首を傾げる。

 

「万象器がもたらす問題は、もはや科学や経済の枠組みだけで語れるものではありませんから」

 三神は、本質を突いた。

「価値の崩壊、神話の再構築、人間の果てしない欲望、そして信仰。……これはつまり、人類が『何を信じるか』という問題です。だからこそ、私のようなオカルトや文明の裏側を解釈する人間(道化)が、彼には必要だったのでしょう」

 

「……三神編集長を通じた、同伴資格の記述もあります」

 情報幹部が、安堵の表情を見せて報告した。

「『日本政府代表団』としての参加資格が、明確に認められています。科学技術評価担当、外交代表、法務・倫理担当、そして安全保障担当。……以上の枠組みでの同行が許可されています」

 

「良かった。これで日本も、正式なテーブル(試験会場)につけるわけね」

 総理が、小さく息を吐いた。

 

 だが、招待状の文面は、ここから急激に厳しく、冷酷な【ルール】を突きつけてきた。

 

「……ただし、厳しい参加条件(制限)があります」

 情報幹部が、画面をスクロールさせながら読み上げる。

「参加者名簿の事前提出義務。武装要員の帯同は極小人数に制限。非公開装備の持ち込み禁止。独自の暗号通信機器は事前登録制。

 ……そして」

 

 情報幹部は、最も重要な一文を読み上げた。

 

「『会場内、および関係施設における強制的介入、強奪、武力行使などの【暴力的・非合法的な手段】による万象器の取得を試みた場合。……いかなる国家・組織であっても、その時点で【即時失格】とする』」

 

「……こちらの手足を、完全に縛ってくるな」

 防衛省の幹部が、渋い顔で唸った。

「自国(イギリス)の主権を守るためとはいえ、軍事行動を徹底的に封じに来ている」

 

「全員に同じ制限が課せられているのなら、むしろ小国である我々にとっては公平なルールですよ」

 三神は、冷静に返した。

 

「だが、あのロシアや中国、そしてアメリカが、こんなお上品なルール(紳士協定)を大人しく守ると思いますか?」

 沖田が、冷笑して言う。

 

「守らなければ、落第する(万象器を手に入れられない)仕組みになっているのでしょう」

 三神は、アシュワース卿の仕掛けた罠の深さを信じていた。

「あの卿が、ただ『ダメですよ』と言って素直に引き下がる連中を相手にしているわけがありません。必ず、ペナルティ(ルール違反への報復システム)が用意されているはずです」

 

「さらに、所有を希望する者に対する【評価条件】が明記されています」

 情報幹部が、この招待状の『本命』の要求事項を読み上げた。

 

「参加者は、オークションにおいて、単なる金額の提示ではなく、以下の『文書(管理計画)』を提出しなければならない、とあります」

 

 画面に、箇条書きのリストが表示される。

 

 ・所有、または管理を希望する【理由】

 ・万象器の【使用目的】

 ・使用しないと判断した場合の【封印計画】

 ・軍事転用を防止するための【確実な策】

 ・グレイ・グー(自己増殖暴走)発生時の【緊急停止(キルスイッチ)計画】

 ・国際社会に対する【監視体制案】

 ・人道利用の可否と、その場合の【段階的検証プロセス案】

 ・管理主体の【透明性の担保】

 ・単独所有を避ける場合の【共同管理案】

 

 そして、最後に記されていた項目。

 

 ・『万象器が、現生人類には不適格であると判断された場合の【完全な処理(破棄)案】』

 

「……最後の項目」

 矢崎総理が、画面を食い入るように見つめ、息を呑んだ。

 

「『不適格と判断された場合の、処理案』……」

 沖田室長も、その言葉の重みに顔を強張らせた。

 

「やはり、ありましたね」

 三神が、満足げに頷く。

「彼は、『使う(所有する)』という前提以外の答え……つまり、『人類はまだこれに触れるべきではない』という【所有しない勇気】をも、参加者に提出させるつもりなのです」

 

「『Monetary bid shall not be the sole determining factor』」

 情報幹部が、英文の注意書きを読み上げる。

「『金銭的な入札額は、唯一の決定要素ではない』、と明記されています」

 

「唯一ではない、ということは……金額も、一応は評価の対象として見るのか」

 財務省幹部が、少しだけ安堵したように呟く。

 

「形式上は見るでしょうね。何せ、サザビーズ(オークション)という舞台ですから」

 三神は笑った。

「ですが、本命は間違いなく別です」

 

「……この『管理案(レポート)』の方が、本命なのね」

 総理が理解を示す。

 

「ええ。このオークションで最も高価で価値のあるものは、何兆ドルという金額(紙切れ)ではありません」

 三神は、断言した。

「……【信用】です。

 この暴走すれば星が消え去る悪魔の機械を、『誰になら預けても(託しても)いいか』という、人類としての信用度と覚悟を競うのです」

 

「……さらに」

 情報幹部が、本文の最後に繰り返し登場する、ある『奇妙なフレーズ』を指摘した。

「この招待状の中で、何度も『Fair Opportunity for Proper Appraisal』という言葉が使われています」

 

「『正当な評価の機会』……」

 矢崎総理が、その言葉を反復する。

 

 三神は、その言葉を聞いて、少しだけ表情を変え、深く頷いた。

 

「……重要ですね、その言葉は」

 

「何が重要なんだ?」

 沖田が問う。

 

「アシュワース卿は、“正当に評価された上での結論”を求めているということです」

 三神は、アシュワース卿の心理を読み解く。

「つまり彼は、万象器が強引に『奪われる』ことも、誰にも知られずに地下深くへ『隠される』ことも、金目当てで雑に『売られる』ことも望んでいない。

 ……彼は、この究極の力が、人類の総意として【正当に評価され、審判される機会】が必要だと主張しているのです」

 

「万象器という『物(システム)』に対して、まるで人格を認めているようですね」

 科学技術担当が、薄ら寒さを感じて呟いた。

 

「彼にとって、自らのコレクションは、ただの便利な道具や投資対象ではありませんでしたからね」

 三神は、かつて対話した初老の貴族の顔を思い浮かべて言った。

「あれらは、彼にとっては対話すべき『知性』であり、敬意を払うべき『宇宙の友人』だったのでしょう」

 

「……総理。添付ファイルの中に、さらに重要な文書があります」

 情報幹部が、最後のファイルを開いた。

 

「遺言執行人による、サザビーズと英国政府への認証文書です。……そこには、こう書かれています」

 

『Second Testamentary Directive(第二遺言指示)』

 

「……第二遺言指示!」

 会議室が、大きくざわめいた。

 

「やはり、遺言は複数段階(フェーズ)に分かれていましたね」

 三神が、自らの推理が完全に的中したことを確認し、ニヤリと笑った。

 

 第一段階:存在公開(サザビーズの会見)

 第二段階:評価参加者の招待と条件の提示(今のメール)

 

「では、第三段階が『各参加者による管理案の提出と審査』。……そして第四段階が、『真の所有者(処遇)の決定』といったところでしょうか」

 沖田が、今後のタイムラインを構築する。

 

「ええ。ただし、第四段階の『最終的な処遇決定のプロセス(どうやって勝者を決めるか)』の詳細は、まだ伏せられています」

 三神は、メールの先を予測する。

「最終問題は、試験当日の会場に行くまで伏せておくタイプですね、彼は」

 

「……この招待状は、他国にも届いているのよね?」

 矢崎総理が、情報機関に確認を求めた。

 

「はい。現在、世界中のインテリジェンス網が騒がしくなっています」

 情報幹部が、各国の動向をモニターに表示する。

「アメリカ政府(ホワイトハウス)には正式な国家招待状が。英国政府には主催国としての特別枠が。EU代表団にも招待状が届いている模様です」

 

 さらに、情報幹部は続けた。

「当然、中国政府、およびロシア政府にも招待状が届いています。

 ……それだけではありません。ヘルメス協会には『宗教・哲学機関枠』として。一部の超富裕層の財団や中東の王族、複数のトップ学術機関、そして三神編集長のような『個人指定枠』が複数存在しているようです」

 

「本当に……世界中の権力と知性を、一つのテーブル(試験会場)に座らせるつもりなのね」

 総理は、その途方もないスケールにため息をついた。

 

「ええ」

 三神は頷く。

「しかも、明確に『選ばれた者』と『選ばれなかった者』を分ける残酷な試験です」

 

「選ばれなかった者(招待されなかった者)は、どう動くと思う?」

 沖田が、最悪のシナリオを問う。

 

「決まっています。……力ずくで奪いに来るでしょうね」

 三神は、ロンドンが血に染まる未来を平然と予言した。

 

(アメリカ・ホワイトハウス地下)

 

『予想通りです。これは所有権の競売ではない。人類への評価手続きです』

 アルファは、届いた招待状を一瞥し、ヘイズ大統領に静かに告げた。

『我々の分析した方向性と完全に一致しています。アシュワース卿は、安全ロックの解除方法(管理能力)を我々に求めている』

 

「なら、非合法な強奪(接収)は、ルール違反で失格になる『最悪の悪手』ね」

 ヘイズは、決断を下した。

「アメリカ合衆国は、正面から堂々と【管理案】を提出する。資本力だけでなく、我々のインテリジェンスと科学力を結集して、最も完璧で安全な解答を作り上げなさい」

 

『了解しました』

 

「でも」

 ヘイズは、大統領としての冷酷な眼差しで付け加えた。

「接収プラン(武力介入)の作戦ファイルは、破棄しないで。……封筒の奥深くにしまっておきなさい。もしロシアか中国がルールを破って暴走した時には、即座にそれを実行するわ」

 アメリカは、綺麗事のルールに従うふりをしながらも、常に「力でねじ伏せる」カードを手放すつもりはなかった。

 

(中国・北京)

 

『これは、仙人・太乙様の試練にも似ている』

 李天明国家主席は、招待状を読み、背後に控える党幹部たちに向かって静かに語った。

『力を得る資格があるかどうかが、問われているのだ』

 

 中国側は、万象器を「物質主義の究極の誘惑」として見ていた。

『万象器を、ロシアのサイボーグやアメリカの資本家に渡すことは断じて許されない。……だが、我々中国がこの物質創造の力に目が眩み、欲望を剥き出しにして奪いに行けば……我々は、精神的覇権を担う仙人の弟子として、太乙様の不興を買い、失格となるだろう』

 

 李天明は、絶妙なバランスの解答を模索した。

『精神的な成熟と調和を、管理の絶対条件とする案を提出せよ。単独所有は否定しつつも、中国が強力な【監視側(上位の管理者)】に入るスキームを構築するのだ』

 中国は、本音では万象器を使いたかったが、決して「使いたい」と見せられないジレンマの中で解答を作り始めた。

 

(EU・ブリュッセル)

 

『やはり、これは神が我々に与えた試練であった』

 ヘルメス協会の導師たちは、招待状を見て深く満足した。

『万象器は、人類の精神的な未熟さを映す鏡だ。金額(物質的価値)で所有者を決めないというアシュワース卿の判断は、極めて正しい』

 

「倫理や精神の話は結構ですが、実務的にどう管理するつもりですか」

 EUの実務官僚たちが、頭を抱えながら突っ込む。

 

『そこで、我々ヘルメス協会が、精神的な高みから彼らを【導く】のです』

 導師たちは、慈愛に満ちた顔で答えた。

 

「……やっぱり、自分たちが独占して勝つ気満々じゃないですか」

 実務派たちは、彼らの善意の裏にある強烈な支配欲に呆れながらも、EUとしての管理案の作成に取り掛かった。

 

(ロシア・モスクワ)

 

『所有権の競売ではない、資格の審査……か』

 ボグダノフ大統領は、招待状を乱暴に机に放り投げた。

『要するに、臆病者どもが集まって、「この強大な力を使わないための言い訳(倫理的理由)」をこねくり回して探すための、くだらないお茶会(茶番)だ』

 

 ロシア側の本音は、極めてシンプルかつ暴力的だった。

 万象器は、使うべきだ。使えば、シベリアの過酷な資源不足は解消し、ロシアのサイボーグ兵と組み合わせれば、間違いなく世界最強の軍隊が完成する。

 それを『グレイ・グーが怖いから』と封印するなど、人類の進化に対する裏切りである。

 

『現時点で、ルール破り(会場での強奪)は非推奨です』

 通信越しのヴォストークが、冷徹に大統領を制止する。

『評価権を失えば、会場内での正規の発言権および、合法的取得のルートを完全に喪失します。……まずは、ルールに従うべきです』

 

『分かっている』

 ボグダノフは忌々しげに舌打ちをした。

『まずは参加してやる。……だが、あの馬鹿げた箱を地下に封印するなどという弱者の愚行(管理案)を、ロシアが認めるつもりは一切ないぞ』

 

 ロシアは、力ずくで万象器を『使う』ための正当性を主張する準備を始めた。

 

 日本、首相官邸地下。

 

「……各国も、動き始めましたね」

 情報幹部が、慌ただしく飛び交う暗号通信のログを見ながら報告する。

 

「我々も、ロンドンへ向かう派遣団の編成を急がねばならない」

 矢崎総理が、円卓のメンバーを見回した。

 

「必要な人員は、外交代表、情報機関員、科学技術の解析担当、法務担当、危機管理担当。……そして、医療・環境技術(与那国AI)の専門家です」

 沖田が、迅速にリストアップしていく。

 

「護衛の自衛隊(特殊作戦群)の部隊を、最大限に随伴させるべきです」

 防衛省の幹部が主張する。

「ロンドンは間違いなく、世界中の特殊部隊と暗殺者が暗躍する危険地帯(ホットゾーン)になります」

 

「銃を多く持ち込めば、安全になるわけではありませんよ」

 沖田が、冷静に反論する。

「招待状の条件上、過度に軍事色(武装)を出しすぎれば、アシュワース卿の評価において不利になります」

 

「武器を持ち込んで武力で解決しようとする者は、卿の採点表では間違いなく【減点対象】でしょうね」

 三神も同意した。

 

「では、重武装ではなく、情報戦と『危機回避能力』を重視した最小限の精鋭で編成しなさい」

 総理が裁定を下した。

 

 そして。

 総理は、円卓の隅に座る男を、真っ直ぐに見つめた。

 

「三神編集長。……あなたにも、ロンドンへ行ってもらいます」

 

 三神は、指定観測者として招待状を受け取っている。彼なしでは、日本代表団の存在意義そのものが半減してしまう。

 

「……私に、拒否権はありますか?」

 三神は、少しだけ面倒くさそうに首を傾げた。

 

「法的にはありますが……もし拒否した場合、日本政府としては大変、大変困ります」

 沖田室長が、一切の感情を込めずに、重圧だけを込めて言った。

 

「それは、一般的には『拒否権がない(強制)』と言うのでは?」

 三神が苦笑いする。

 

「三神編集長」

 矢崎総理が、真剣な眼差しで彼に語りかけた。

「あなたが、生前のアシュワース卿を取材し、彼を知っている。……そして、彼もまた、数多の人間の中から、あなたを『観測者』として名指しで選んだ。

 ……なら、あなたには、この彼が残した招待状の『本当の意味』を、最後まで見届ける責任(義務)があります」

 

 三神は、総理の言葉にしばらく黙り込み。

 やがて、やれやれと大げさに肩をすくめて、小さくため息をついた。

 

「死んだ貴族の余興に呼び出され、国家権力に両脇を固められてロンドン行き、ですか。

 ……月刊ムーの編集長にしては、ずいぶんと出世したものです。交通費と出張手当は、しっかり経費で落とさせてもらいますよ」

 

「ええ。国費で、最高のファーストクラスを用意しましょう」

 総理は、少しだけ微笑んで約束した。

 

「方針を確認します」

 総理は、立ち上がり、日本政府としての最終的な立ち位置を明確にした。

 

「日本は、万象器を強奪する案も、買い叩く案も出さない。

 ……我々が提出するのは、【管理案(預かる案)】よ」

 

 日本の提案の方向性は、明確だった。

 万象器の即時使用を禁止する。国際共同の封印施設を設置する。使用前に、与那国AIの知見を活用して徹底的な安全性の検証を行う。軍事利用は絶対禁止。グレイ・グーの停止手段が確立するまで、完全に封印状態を維持する。

 

「いいですね」

 三神が、満足げに頷いた。

「『欲しい』という欲望ではなく、『まだ使うべきではない(人類には早すぎる)』という理性を正面から叩きつける。

 ……アシュワース卿が一番聞きたがっている答え(正解)に、最も近いかもしれません」

 

「……総理。三神編集長」

 その時。

 メールの解析を続けていた情報機関のテクニカル担当が、少し戸惑ったような声を上げた。

 

「招待状の添付ファイルの末尾に……隠された【追伸】のデータブロックを発見しました」

 

「追伸?」

 沖田が眉をひそめる。

 

「はい。宛先は、三神編集長個人のみに設定されています。……非常に高度な暗号化が施されており、解除キーとして、『過去にアシュワース卿と三神編集長の間で交わされた、特定の会話のフレーズ』が要求されています」

 

 会議室の視線が、再び三神に集まった。

 

 三神は、少し驚いたように目を見開き、そして、かつてイギリスの重厚な書斎で、初老の貴族と交わした会話の記憶を辿った。

 

『……真に価値あるものは、ね。ミカミ君』

 

 三神の口から、無意識のうちに、かつての卿の言葉が漏れ出た。

 

「……『買った(手に入れた)瞬間ではなく。……手放す瞬間に、初めてその真価が分かる』」

 

 三神がその言葉を口にした瞬間。

 情報幹部の端末の解析プログラムが、音声認識システムと連動してそのフレーズを『解除キー』として認識し、ガチャン、と暗号化された追伸のブロックが展開された。

 

 そこに表示されたのは、極めて短い、しかし決定的な意味を持つ、数行の英文だった。

 

『Mr. Mikami,

 if you are reading this, then the first fire has done its work.

 Come to London.

 The second question awaits.』

 

「……『三神氏。君がこれを読んでいるなら、最初の火(サザビーズの発表)は、見事にその役目を果たしたということだ。

 ……ロンドンへ来たまえ。

 【第二の問い】が、待っている』」

 

 情報幹部が、震える声で日本語に翻訳した。

 

 会議室が、深い沈黙に包まれる。

 

「……ほらね」

 三神は、スマホの画面に表示されたその『死者からのメッセージ』を見つめながら、ゾッとするような、しかしどこか楽しげな笑みを浮かべた。

 

「やっぱり……彼が世界に火をつけたのは、単に燃やすためじゃなかった。……強欲な者たちを炙り出し、照らし出すためだったんですよ」

 

「日本政府代表団を、ロンドンへ派遣します」

 矢崎総理は、確固たる決意を持って最終宣言を行った。

 

「我々の目的は、万象器の取得(強奪)ではありません。

 アシュワース卿が人類に突きつけた問いに対し、日本として、最も理性的で正しい【答え】を出すこと。……そして、何があっても、ロンドンを戦場(地獄)にさせないことよ」

 

 沖田室長が、深く頷き、各機関への準備命令を発した。

 

 三神編集長は、一人、スマホの画面を見つめていた。

 

 The second question awaits.

 

「……第二の問い、ですか」

 三神は、小さく呟き、誰にも聞こえないようにため息をついた。

「……嫌な予感しかしませんね」

 

 万象器を巡る、人類の存亡を懸けた狂気の競売(ゲーム)は、まだ始まってすらいなかった。

 だが、その時点で、人類はすでに第一問を終え、試金石にかけられていたのだ。

 

 問いは、ただ一つ。

 ――圧倒的な力(神の奇跡)を見た時。獣のように奪いに行く前に、人間として立ち止まり、考えることができるか。

 

 ロンドンの霧の中へ、世界中のプレイヤーたちが集結しようとしていた。

 

 




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