銀河皇帝のスペアに転生した元社畜、地球軌道上の要塞でネトゲ三昧の隠居生活を満喫する 〜足元では超大国が滅亡級の異星遺産を巡って暗躍中ですが、主人公(ぼく)の命は絶対安全なので特等席で傍観します〜   作:パラレル・ゲーマー

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第75話 人類、合格――ただし第一問のみ

 首相官邸地下。既存技術外事象評価セル、特別防音会議室。

 

 世界を狂乱の渦に叩き込んだロンドンのオークション、あるいは人類に対する「評価手続き」が終わり、一週間が経過していた。

 いつもならば、得体の知れない超常現象や他国の凶行に頭を抱え、重苦しい空気が沈殿しているこの地下の密室だが、今日の空気は明らかに違っていた。

 

 出席者たちの顔には、相変わらず連日の激務による深い疲労が刻まれている。だが、彼らの目元や口元には、それ以上の確かな「安堵」が滲んでいた。

 

 世界は、滅びなかった。

 ロンドンは、血と硝煙にまみれた戦場にならなかった。

 そして、あの忌まわしき「万象器」は、いかなる国家の手にも渡ることなく、スイスのアルプスの地中深く、最も堅牢な貸金庫の中へと永久封印されたのだ。

 

「……終わったのね」

 

 矢崎総理は、手元の分厚い報告書の束をゆっくりと閉じ、深く、長い息を吐き出した。

 

「少なくとも、万象器そのものは完全に封印されました」

 沖田室長が、静かに頷きながら応じた。

 

「“少なくとも”という言い方が、最近の我々らしくなってきましたな」

 官房長官が、少しだけ口角を上げて苦笑した。

 その言葉に、円卓を囲む官僚たちから、小さな、しかし心からの笑い声が漏れた。

 

 この一ヶ月間、息をすることすら忘れるほどの緊張感に張り詰めていた会議室に、久々に柔らかい空気が流れていた。

 

「世界市場の回復状況について、報告します」

 財務省の幹部が、壁面の巨大モニターに最新のチャートを展開しながら口を開いた。彼の声もまた、以前の悲鳴のようなそれとは違い、幾分かの落ち着きを取り戻していた。

 

「万象器の永久封印発表後、貴金属、宝石、レアメタル関連の各市場は、一定の反発(買い戻し)を見せています。金価格は、発表直後の凄まじい暴落分をすべて戻したわけではありませんが、底を打ち、最悪期は脱しました。銀、プラチナ、パラジウムといった他の貴金属も同様の動きです。

 ダイヤモンド市場や希少宝石、美術品市場は、まだ様子見の警戒感が強いものの、取引自体は再開しています」

 

 経産省の幹部が、手元の資料に目を落としながら続ける。

「レアメタル関連企業の株価も、万象器による『供給網の完全崩壊』という懸念が封印によって後退したため、一部は回復基調に乗っています。

 ……ただし。“万象器というものが地球上に存在する”という事実そのものは、スイスの地下に閉じ込めたからといって消えるわけではありません。市場の心理は、完全に以前の(無邪気な)状態へと戻ったわけではありません」

 

「傷は残った、ということね」

 矢崎総理が、冷静に総括する。

 

「はい。しかし、致命傷ではありません」

 財務省幹部が、力強く答えた。

 

「世間では、今回の騒動を『世界経済、二か月ぶり二度目の心停止』などとセンセーショナルに呼んでいますが」

 財務省幹部は、少しだけ苦笑しながら説明を加えた。

「正確に言えば、今回は『実体経済そのもの』が停止したわけではありません。

 前回の中国の資源輸出停止によるショックでは、物流、決済、製造、貿易という物理的な血流が止まりかけました。

 ……ですが、今回は違います。止まったのは、【価値の評価】だけです」

 

「値段をつけられなくなった、ということか」

 官房長官が頷く。

 

「はい。貴金属、宝石、美術品、レアメタルなど、その『希少性』に強く依存している市場だけが、一時的に心停止を起こしたのです。

 しかし、食料、物流、日用品、電力、通信、そして医療や製造業の大半は、あのパニックの最中であっても回り続けていました」

 

「つまり、世界はひどく怯えたけれど……生活そのものは、決して止まらなかった」

 矢崎総理のその言葉に、財務省幹部は深く頷いた。

「その通りです」

 

「もちろん、この騒乱で莫大な被害を出した者もいます」

 財務省幹部は、現実的な後味として、市場の残酷な側面を語った。

「万象器の発表直前に金やプラチナを高値で掴んでいた投資家、宝石関連企業、鉱山株の保有者、美術品ファンド、レアメタル先物市場の参加者、そして一部の資源国通貨に賭けていたファンドは、天文学的な損失を出しました。

 ……一方で。デジタルゴールド(暗号資産)に逃げた投資家、暴落を読んでいた空売り勢、底値で買い戻した大口のヘッジファンド、スイスの金融関連銘柄、および高度なセキュリティ関連企業は、この1ヶ月で莫大な利益を得ています」

 

 財務省幹部は、肩をすくめた。

「大損した者もいれば、莫大な利益を得た者もいる。……非常に不公平で、腹立たしい話ではありますが。それでも、世界経済のシステム全体としては、持ちこたえ(耐え)ました」

 

「耐えた、か」

 官房長官が、しみじみと反芻する。

 

「それだけでも、今回は十分かもしれないわね」

 矢崎総理は、静かに言った。

 

「加えて、外交面での成果を報告します」

 外務省の幹部が、誇らしげな顔でモニターの表示を切り替えた。

 そこには、世界各国の主要メディアの報道見出しが並んでいた。

 

「今回のロンドンでの封印処理において、日本が真っ先に『所有しない、使用しない、封印する』という案を国際社会に提示したことは、各国で極めて高く評価されています」

 

 モニターの一部が拡大される。

 

『Japan offered the only answer no one wanted to say.(日本は、誰も言いたがらなかった唯一の答えを提示した)』――アメリカの有力紙。

『The Japanese Proposal saved London from becoming a battlefield.(日本案はロンドンを戦場にすることを防いだ)』――欧州の主要メディア。

 

 さらには、中国系のメディアでさえ、「日本案は未熟だが、人類の未熟さを自ら認めるという方向性は評価できる」と、やや上から目線ではあるものの、明確な評価を下していた。中東のメディアも「封印は苦い選択だが、一部の大国による独占よりは遥かにましだった」と報じている。

 

「日本の外交的な立場は、この一週間で劇的に上がりました」

 外務省幹部が、胸を張って言う。

「特に、アメリカ、EU、中国という三つの超大国が、同時に『日本案』へ乗ったことの意味は計り知れません。……我が国は現在、国際社会から、地球外テクノロジーに対する『最も慎重で理性的な管理者』として見られ始めています」

 

「それは……本当に、良いことなのかしら」

 矢崎総理が、手放しで喜ぶことなく、危惧を口にした。

 

「良いことでもあり、極めて危険なことでもあります」

 沖田室長が、冷や水を浴びせるように言った。

「期待される、あるいは頼りにされるということは。……次なる危機が起きた時も、世界から『日本ならどうするのか』と、真っ先に答えを求められるということです。矢面に立たされる回数が増える」

 

「……そうね」

 総理は、その重圧を受け止めるように、小さく頷いた。

 

「各国の首脳陣の反応についてですが」

 情報機関の幹部が、インテリジェンスの観点から補足する。

「アメリカのヘイズ大統領は、今回の連携を通じて、日本に対する信頼をさらに強めています。ただし、セレスティアル・ウォッチは依然として万象器に対する『非接触での研究の余地』を探っている模様です。完全に諦めたわけではありません。

 EUは、日本案を自らの『倫理的勝利』として喧伝しています。ヘルメス協会に至っては、今回の結果を『欲望を抑制した、東洋の深き答え』などと勝手に神秘化して教義に取り込み始めています。

 中国は、日本案を評価しつつも、日本が主導権を握ったことには内心で強く警戒しています。彼らは仙人の弟子として、今後も『精神的覇権』を掲げて世界を牽制していく見込みです」

 

「ロシアは?」

 沖田が、唯一反対票を投じた大国の名を挙げる。

 

「強い不満を持っています。ロシア国内のメディアでは、今回の永久封印を『富める国々による、未来と救済の独占(持たざる者への弾圧)だ』と激しく非難する論調が続いています」

 

「ロシアは、決して万象器を諦めていませんよ」

 防衛省の幹部が、警戒を解かずに言う。

 

「でしょうね」

 沖田も同意する。「ただ、今すぐ動くには、彼らは国際的に孤立しすぎています」

 

「ええ。戦場医療ロボットによる演算分析も、おそらく我々と同じ結論を出しているはずです」

 情報幹部が推測する。「現時点でのスイスへの強奪作戦は、ハイリスクな悪手であると。……ロシアは当面、別のルートでのアーティファクト探索と、自国のサイボーグ兵の増強計画へと戻るはずです」

 

 報告が一通り終わった後。

 官邸地下の会議室には、連日の殺伐とした雰囲気とは違う、久々に明るく、どこか長閑な空気すら漂っていた。

 

「いやあ、少なくとも、今週はテレビ東京も通常のアニメ番組に戻れそうですな」

 官房長官が、緊張の糸が切れたように冗談を言った。

 

「ええ。経産省にも、大手のアニメ制作会社から『世界経済が完全に止まらなくて本当によかった。これで放送を落とさずに済みます』という、切実な安堵の声が届いていますよ」

 経産省幹部も、笑顔で応じた。

 

 矢崎総理が、たまらず声を上げて笑った。

「ふふっ……それは、本当に大事なことね」

 

 沖田室長も、相変わらず表情こそ硬かったが、その肩の力は目に見えて抜けていた。

 

「万象器がスイスに封印されたことで、ひとまず、後先考えない研究者たちの暴走も物理的に防ぐことができました」と科学技術担当。

「市場も、完全とは言えないまでも、自律的な機能を取り戻しつつあります」と財務省幹部。

「何より、ロンドンが世界大戦の戦場にならずに済んだ。それが一番の成果です」と外務省幹部。

 

「……そう」

 矢崎総理は、モニターに映し出された、スイスの地下深くにある冷たい封印施設の静止画を見つめた。

 

 誰のものにもならなかった。

 誰も、手を出さなかった。

 

 人類は、あの圧倒的な『力』と『欲望』を前にして。

 負けなかったのだ。少なくとも、今回は。

 

 中国は仙人の弟子になり、ロシアはサイボーグ兵を増やし、アメリカは地球外テクノロジーを集め、EUはヘルメス協会と精神主義へ傾倒している。

 世界は、もう昔の牧歌的な世界ではない。

 それでも。

 

 今回だけは、皆が一歩手前で踏みとどまった。

 使えるかもしれない万能の力を、使わないと決断できた。

 

 それは、映画で描かれるような、全人類が手を取り合うような美しい奇跡ではない。恐怖と利害と打算、そして相互の牽制が複雑に絡み合った結果の、極めて泥臭い選択だった。

 だが、それでも。人類は止まれたのだ。

 

「……悪くないわ」

 矢崎総理は、誰に聞かせるでもなく、穏やかに小さく呟いた。

「人類も、そう捨てたものではないのかもしれないわね」

 

 まさに、そのハッピーエンドの余韻に会議室が包み込まれていた、その時だった。

 

 ガチャッ。

 

 防音扉が、無造作に開かれた。

「どうもどうも」

 

 入ってきたのは、いつものように少しよれたスーツを着た男――三神編集長だった。

 彼の片手には、紙袋が提げられている。ロンドン土産のクッキーか紅茶かと思いきや、中から覗いているのは、埃っぽい古書と、何やら怪しげな束ねられた資料だった。

 

「皆さん、お揃いで」

 三神は、のんびりとした足取りで円卓へと近づいてきた。

 

「三神編集長。……本当にお疲れさまでした」

 官房長官が、労いの言葉をかける。

 

 矢崎総理も、穏やかな笑みを向けて言った。

「本当に助かりました。……あなたがいなければ、我々はあのアシュワース卿の『本当の意図』を、ここまで正確に読み解くことはできなかったかもしれない」

 

 三神は、少し照れたように曖昧に笑った。

「いやあ、私はただ、安全な席から『見ていただけ』ですよ。決断を下したのは、総理と沖田室長です」

 

「その“見ていただけ”の観測こそが、今回の盤面では最も重要だったのです」

 沖田が、珍しく素直な評価を口にした。

 

 会議室では、そのまま自然な流れで、今回の一連の騒動の『首謀者』である故アシュワース卿についての評価が語られ始めた。

 

「しかし、アシュワース卿という男は、恐ろしい人物でしたな」

 外務省幹部が、感嘆するように言う。「死後に、たった一枚の招待状で、ここまで世界を動かすとは」

 

「万象器をただの金儲けのために売らず、最初から『永久封印ルート』まで用意していた。技術的な危険性だけでなく、人類の倫理的限界についても、極めて高い理解と洞察を持っていた人物です」

 科学技術担当が、研究者として称賛する。

 

「彼の仕掛けたあの評価手続き(オークション)の形式がなければ、万象器は本当にどこかの国や裏組織に、力ずくで落札(強奪)されていたかもしれない」

 財務省幹部が胸を撫で下ろす。

 

「世界を火の海にしかけた男であると同時に……世界を火の海にしない道筋(逃げ道)を用意してくれていた男でもある、というわけですな」

 官房長官がまとめる。

 

「結局、彼は……心の底では、人類の理性を信じていたのかもしれないわね」

 総理が、静かに締めくくった。

 

 その、会議室全体がアシュワース卿の「粋な計らい」を称賛し、一件落着の空気に浸っている中。

 

「……?」

 三神編集長だけが、きょとんとした、少し不思議そうな顔をして、首を傾げていた。

 

「おや」

 三神は、紙袋をテーブルに置き、円卓の官僚たちをグルリと見回した。

 

「皆さん……ずいぶん、浮かれてますね」

 

 その一言で、会議室の空気が、スッと少しだけ冷えた。

 

「……浮かれているつもりはありませんが」

 官房長官が、少しむっとして言い返す。

 

「いえいえ、悪いことではありませんよ」

 三神は、両手を広げてにこにこと笑った。

「万象器は見事に封印されましたし、ロンドンは燃えませんでした。市場もまあまあ戻ってきて、日本の外交的評価も劇的に上がった。……絵に描いたようなハッピーエンドですね。素晴らしい」

 

 三神は、心から祝着であるというように拍手すらしてみせた。

 だが。

 沖田室長だけが、その三神の「無邪気すぎる笑顔」を見て、背筋に冷たい嫌な予感が走るのを感じていた。

 

「三神編集長」

 沖田は、鋭い声で彼の言葉を遮った。

「……何が言いたいのですか」

 

 三神は、拍手の手を止め、ゆっくりと沖田を見た。

 そして、心底不思議そうに、だが極めて残酷な響きを込めて、こう言った。

 

「もしかして、皆さん」

 

 三神の目が、細められる。

 

「アシュワース卿の遺言は。……【これで終わりだ】と、思ってらっしゃる?」

 

 ピタリ、と。

 会議室の空気が、完全に停止した。

 

 矢崎総理の表情が凍りつく。

 財務省幹部の手から、報告書の束が滑り落ちそうになる。

 科学技術担当が、ハッとして壁面のモニターを振り返る。

 沖田は、目を細め、静かに呼吸を整えた。

 

「……三神編集長」

 矢崎総理の声が、震えていた。

「それは、どういう意味?」

 

 三神は、少し困ったように、頭をポリポリと掻いて笑った。

「いやあ、言葉通りですよ。

 ……相手は、あのアシュワース卿ですよ? 私が取材した時の感触から言わせてもらえば……性格が、猛烈に悪いんですよ、あの方」

 

 三神は、ロンドンで見たアシュワース卿の録画映像や、かつて自分が直接取材した時の記憶を呼び起こしながら、静かに語り始めた。

 

「彼は、人類を『試す』のが大好きな人でした。

 ただし、単に意地悪をして混乱を引き起こすだけの、安い愉快犯ではありません。……火をつけるなら、必ず何かを『照らし出す』ため。問いを出すなら、必ず人間の『答え(本性)』を見たがる。

 ……そして」

 

 三神の声が、会議室の温度を奪っていく。

 

「彼は、たった一問のテストだけで満足して帰ってくれるような、素直で優しい出題者ではありません」

 

「一問だけではない……」

 総理が、乾いた唇を舐める。

 

「今回の『万象器』は、第一問としては見事な出来でした」

 三神は、まるで良質なミステリー小説を批評するような口調で言った。

「所有することの毒。欲望を制御できるかの試験。使わないという理性の選択。……人類の文明度を測るテストとして、とても綺麗な、完璧な問題です。

 

 ……ですが。いささか、【綺麗すぎます】」

 

「綺麗すぎる?」

 官房長官が、怪訝な顔をする。

 

「ええ」

 三神は頷いた。

「アシュワース卿の底意地の悪さ(悪趣味さ)からすれば。……世界を滅ぼす万象器ですら、彼の用意したフルコースの【前菜(オードブル)】に過ぎない可能性があります」

 

 会議室が、ざわめいた。

 

「考えてみてください」

 三神は続ける。

「今回の遺言は、あくまで『万象器』という一つのアイテムについての遺言でした。

 ……しかし。彼が長年、文字通り命を削って集め続けた途方もないコレクションの全貌が、【万象器たった一個だけ】だと、本当に思いますか?」

 

 沈黙。

 圧倒的な、絶望的な沈黙が、官僚たちを押し潰す。

 

「……アシュワース卿は、地球外テクノロジーの収集家でしたね」

 科学技術担当が、青ざめた顔で呟いた。

 

「ええ。アメリカの影の組織であるセレスティアル・ウォッチと、堂々と競い合っていたほどのね」

 情報機関幹部が、震える声で補足する。

 

「そうです」

 三神は、残酷に肯定した。

「なら、万象器ほどの派手さ(世界規模の破壊力)はなくとも……人類の価値観や社会構造を根底からひっくり返すような『別のアーティファクト』が、彼の秘密の収蔵庫にまだ大量に眠っていても、何ら不思議ではありません。

 ……そして、その一つ一つのコレクションに対して、それぞれに【個別の遺言(トリガー)】が残されていても、不思議ではないのです」

 

「……まさか」

 矢崎総理が、椅子の背もたれに深く寄りかかり、天を仰いだ。

 

「【二の槍】の遺言です」

 三神は、淡々と言い放った。

「半年後か、一年後か。……世界が万象器の恐怖を忘れ、完全に安心しきって油断したころに。またどこかのオークションハウスか、あるいは全く別の形で、新しい爆弾(問い)がポイッと投げ込まれてくるかもしれませんね」

 

「なぜ、今すぐ同時に出さないのです?」

 沖田が、戦術的な観点から疑問を呈す。

 

「一度に全部出したら、人類の処理能力(キャパシティ)を超えてしまって、テストにならないからです」

 三神は、出題者の心理を代弁した。

「アシュワース卿は、それくらいは分かっています。今回は、まず『所有の毒』を問うた。

 ……では、次は?」

 

 三神は、指を折りながら、考え得る限りの『最悪の可能性』を軽い調子で並べ立て始めた。

 

「知識に対するテストかもしれない。

 生命の定義(進化や種族改変)を問うかもしれない。

 寿命や時間を保存するシステムかもしれない。

 意識の転送や、魂の定義(出雲のシステムと被るようなもの)かもしれない。

 ……あるいは、国境や主権を無意味にする、『国家という概念そのもの』を判定するアーティファクトかもしれない」

 

「やめてください」

 科学技術担当が、両手で耳を塞ぎたいというような顔で遮った。

 

「私も、そう思います」

 三神は、全く同感だというように肩をすくめた。

 

 会議室の空気が、一気に凍りついた。

 ほんの数分前まで満ちていた「ハッピーエンド」の温かい空気は、完全に消し飛んでいた。

 

「また……市場が、止まるのですか……?」

 財務省幹部が、絶望的な声で呟く。

 

「次は、金(ゴールド)の価値がどうこうというレベルの騒ぎでは済まないかもしれませんよ」

 経産省幹部が、頭を抱える。

 

「ロシアが、その『次の遺言(アーティファクト)』を狙って、今度こそ軍事行動を起こす可能性は」

 防衛省幹部が、情報トップに問う。

 

「極めて高いでしょう」

 情報機関幹部が、即答する。

 

「アメリカも、EUも、中国も、全く同じことを考えます」

 沖田が、再び泥沼の争奪戦が始まる未来を予測し、顔を険しくした。

 

 矢崎総理は、額に手を当て、深く、長くため息をついた。

「……人類も、そう捨てたものではないと、ちょっぴり感動したばかりだったのだけれど」

 

「ええ」

 三神は、悪びれずに言った。

「だから、アシュワース卿は次の問題を嬉々として出すんですよ。……『人類が、見事に第一問を解けたから』」

 

「…………」

 総理は、しばらくの間、無言で目を閉じていた。

 そして、ゆっくりと目を開けると、その瞳から先ほどの「安堵」を完全に拭い去り、再び戦う為政者の冷徹な光を宿した。

 

「……分かりました。浮かれている時間は、終わりのようね」

 総理は、凜とした声で指示を飛ばした。

「アシュワース卿の遺産に関する調査を、直ちに再開・継続します」

 

「情報機関は、遺言執行機関の動向を継続監視。サザビーズ関連の法務文書の再調査。アシュワース財団の隠し資産と、未公開の保管先をすべて洗い出しなさい。

 外務省は、英国政府へ非公式の照会。

 防衛省は、セレスティアル・ウォッチとの情報交換ルートを構築し、彼らが把握している『生前に卿が接触したコレクター一覧』を作成。

 ……何としても、次の遺言の『発動条件(トリガー)』を推測しなさい」

 

「直ちに着手します」

 沖田室長が、力強く頷く。

 

「私のお持ちした資料も、少しはお手伝いになりますよ」

 三神が、持ってきた紙袋をポンポンと叩いた。

 

「当然です」

 沖田が、三神を逃がさないように睨みつける。

 

「……今回も、私に拒否権は?」

 三神が苦笑する。

 

「ありません」

 

「ですよね」

 

 少しだけコミカルなやり取り。だが、その根底にある緊張感は、万象器発表前夜に匹敵するものだった。

 

「……ところで、皆さん」

 三神は、紙袋の中から、一枚の古いノートのコピーを取り出した。

「十年ほど前に、私が卿の書斎で直接取材をした時に、彼がふと口にした言葉のメモがあるんですが」

 

 三神は、そのメモをテーブルの中央にスッと滑らせた。

 

 そこには、流麗な英語で、こう書かれていた。

 

『A single treasure tests greed.

 A collection tests civilization.』

 

「『――一つの宝は、強欲を試す。

 コレクション(蒐集品全体)は、文明を試す』」

 

 三神が日本語に訳した瞬間、会議室の空気が、限界まで凍りついた。

 

「……いつの言葉?」

 矢崎総理が、信じられないというように問う。

 

「十年ほど前の、取材時のメモです」

 三神は、少しだけ遠い目をした。

「その時は、ただの『気取った金持ちの貴族の、よくある冗談(哲学的な比喩)』だとばかり思っていました。

 ……でも、今となっては。あまり冗談には聞こえませんね」

 

「なぜ、そんな重要な言葉を、今まで黙っていたのです」

 沖田が、鋭く三神を責める。

 

「いやあ、すっかり忘れていました」

 三神は、頭を掻いた。

 

 会議室の全員が、何とも言えない微妙な顔で三神を見る。

 

「いや、本当に。当時は、何を言っているのか意味不明だったんですよ」

 三神は、肩をすくめて弁明した。

 

 まさにその時だった。

 

「……総理!」

 情報機関幹部が、手元の解析端末の画面を見て、弾かれたように声を上げた。

 

「何? どうしたの?」

 

「先ほど、アメリカから提供されたデータと、我が国が独自に追跡していたアシュワース財団のダミー会社の情報を照合していたのですが……」

 情報幹部は、信じられないものを見たように、画面をメインモニターに転送した。

 

 そこに表示されたのは、英語の羅列による、財団の内部システムのハッキングデータの一部だった。

 

『Ashworth Collection Asset Ledger(アシュワース・コレクション資産台帳)』

『未照合資産:複数件』

 

 そして、その下の行に、赤字で点滅しているシステムログ。

 

『Pending Testamentary Trigger:Unknown』

(未処理の遺言発動条件:不明)

 

「……総理。アシュワース卿の遺言信託のデータベースの奥底に。

 まだ詳細が明らかになっていない、『未照合の資産台帳』が存在します」

 情報幹部が、震える声で報告した。

 

「……その、数は?」

 総理が、ゴクリと唾を飲み込んで問う。

 

「現時点の解析では……【不明】です」

 

 三神編集長は、そのモニターの赤い点滅を見つめながら、心底困ったように、だがどこか楽しそうに笑った。

 

「ほら」

 三神は、円卓の全員を見回して言った。

 

「……【二の槍】、ありそうでしょう?」

 

 万象器は、スイスの地下深くに封じられた。

 世界は、二ヶ月ぶりに訪れた安堵の空気を胸いっぱいに吸い込み、ようやく息を吐き出そうとしていた。

 

 だが、その瞬間。

 死んだ貴族のコレクション棚の奥底で。

 まだ名を呼ばれていない『次の遺産(問い)』が、静かに、そして確実に、目を覚まそうとしていた。

 

 




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