銀河皇帝のスペアに転生した元社畜、地球軌道上の要塞でネトゲ三昧の隠居生活を満喫する 〜足元では超大国が滅亡級の異星遺産を巡って暗躍中ですが、主人公(ぼく)の命は絶対安全なので特等席で傍観します〜   作:パラレル・ゲーマー

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第76話 万象器騒動を観測する者たち、あるいは死んだコレクターの全フェーズ攻略

 大気圏外、高度四百キロメートルの虚空を音もなく滑る、超弩級ステルス宇宙ステーション〈サイト・アオ〉。

 

 その中枢に位置する観測ラウンジの巨大なホログラム・スクリーンには、重厚な防爆扉が閉ざされ、厳重なロックが掛けられていく映像が静止画として映し出されていた。

 

 スイス連邦の指定貸金庫の最深部。

 

 あらゆる物理的、電子的、そして各国の政治的な思惑すらも遮断するその分厚い壁の向こうに、人類を試した悪魔の箱――『万象器』は、永久に封じ込められた。

 

 サザビーズ公式YouTubeによる配信は、すでに終了している。

 

 画面の隅に表示されている世界中のネットワークのトラフィック量や、各国の主要市場のチャートは、未だに不気味な乱高下を繰り返してはいたが、少なくとも、あの「一瞬で世界が消滅するかもしれない」という極限のパニックからは、辛うじて脱しつつあった。

 

 ラウンジの隅にあるコンソールの前で、エミリー・カーター研究員は、憑き物が落ちたように深く、長い息を吐き出した。

 

「……終わったんですよね?」

 

 彼女は、両手で顔を覆いながら、かすれた声で確認するように呟いた。

 

 ここ数日の間、地球人類の精神をすり減らし、経済の心臓を物理的に握り潰しかけた途方もない狂騒。

 

 それが本当に収束したのか、まだ自分自身の感覚が追いついていないようだった。

 

「万象器騒動はね」

 

 部屋の中央、特大の形状記憶ビーズソファにだらしなく沈み込んだティアナ・レグリアが、手元のホログラム・パネルをスワイプしながら、あっさりと答えた。

 

 彼の声には、映画のエンディングを見終わった直後のような、軽い疲労感と満足感が混ざっている。

 

「イベント本編は終了。だけど残留フラグは山ほどあるわね」

 

 隣のベルベットのソファで、ワイングラスを傾けていたKAMIが、意地悪く微笑んで付け加えた。

 

「ロシアは納得してないし、アメリカも中国も、まだ舌打ちしながら引き下がっただけ。……次への伏線が綺麗に張られた、見事なエンディングじゃない」

 

「やめてください……」

 

 エミリーは、机に突っ伏してうめいた。

 

「せっかく少し安心できたのに、すぐに次の地獄の予告みたいなこと言わないでくださいよ……」

 

 ティアナは、クスリと笑ってソファから半身を起こした。

 

「じゃあ、最初から見直そうか」

 

 ティアナは、まるで録画した番組をリモコンで巻き戻すような軽い手つきで、スクリーンの映像を操作した。

 

「アシュワース卿、あのじーさん、フェーズ管理がやたら上手かったからね。……どうやって人類をこのエンディングに誘導したのか、復習してみるのも悪くないよ」

 

 そのティアナの言葉に、エミリーはピクリと反応して顔を上げた。

 

「……アシュワース卿を知ってるんですか?」

 

 エミリーは、目を丸くして尋ねた。

 

「あの、今回の騒動の元凶になった、死んだイギリスの貴族のことですよね?」

 

「そりゃね」

 

 ティアナは、当然のように頷いた。

 

「数少ない、サイト・アオを知ってる地球人だったよ?」

 

「えっ!?」

 

 エミリーだけでなく、少し離れた作業用テーブルでコーヒーを飲んでいた工藤創一も、驚いて手を止めた。

 

「知っていた、ですか?」

 

 工藤が、聞き返す。

 

「うん」

 

 ティアナは、昔の知り合いを思い出すように少しだけ目を細めた。

 

「昔、あのじーさんのコレクションの中に、銀河帝国基準で見ても『放置できないレベルのヤバい兵器』が混ざっててね。……ちょっとこっちから出向いて、穏便に回収したことがあるんだ」

 

「えっ……ティアナさん、地球のことちゃんと仕事してるんですね!」

 

 エミリーは、あまりにも意外な事実を知り、思わず失礼な本音を漏らしてしまった。

 

「おいおい?」

 

 ティアナは、心外だというように肩をすくめた。

 

「僕が回収しなきゃ、今ごろ地球は歴史丸ごと宇宙から存在が消えてたんだぜ? 感謝してほしいくらいだよ」

 

「へー、そりゃご苦労さま」

 

 KAMIが、心底どうでもよさそうにワインを飲んだ。

 

「珍しく仕事してるのう……」

 

 ひじ掛けの上で丸くなっていた賢者・猫も、呆れたように尻尾を揺らす。

 

「ちょっと、二人とも扱いひどくない?」

 

 ティアナが不満げに抗議するが、ラウンジの面々は綺麗にスルーした。

 

「でも、あの卿が、自分の持っているものが何なのか、どこから来ているのかをある程度理解していたなら……」

 

 エミリーは、アシュワース卿が仕掛けたこの残酷なテストの意味が、少しだけ分かった気がした。

 

「だからこそ、あんなに念入りに人類を試したんですね」

 

「うん。そういう人だったからね」

 

 ティアナは、スクリーンの映像を、数週間前の――世界が一時的な「奇妙な均衡」を保っていた頃の映像へと巻き戻した。

 

 画面には、アメリカ、中国、ロシア、EU、日本がそれぞれ異なる手札を持ち、牽制し合っている様子が映し出されている。

 

 日本は与那国の治癒AIを見せ札にし、出雲を沈黙させたことで、医療・環境系の地球外技術保有国として一目置かれるようになっていた。

 

「この時点では、世界は一応回ってたんですよね」

 

 工藤が、当時の物流データやニュースの見出しを懐かしむように眺めて言った。

 

「物流も戻って、スーパーに弁当が並んで、ニュース番組も一応普通に戻ってた。……平和な一ヶ月でしたよ」

 

「“一応”ばっかりですね……」

 

 エミリーが、引き攣った笑いを浮かべる。

 

「前よりマシ、という意味です」

 

 工藤は、技術者としてのシビアな基準で答えた。

 

「嵐の後に凪が来たように見える時ほど、次の波は大きい」

 

 賢者・猫が、金色の瞳を細めて静かに言った。

 

「溜め込んだエネルギーが大きければ大きいほど、反動は恐ろしいものになる。……人類は、少しばかり安心して隙を見せすぎたのじゃ」

 

「そこで、死んだコレクターの遺言ゲームですよ」

 

 KAMIが、嬉々として指を鳴らした。

 

 ティアナが、映像を進める。

 

 画面には、サザビーズのプレスリリースが世界中を駆け巡った瞬間の、ネットの熱狂と困惑のタイムラインが表示される。

 

『アシュワース卿の遺言に基づく発表』

 

『サザビーズは科学的真実性を保証しない』

 

 その免責条項がつけられたにもかかわらず、世界中の待機人数は異常値を叩き出していた。

 

 KAMIは、その画面を見てケラケラと笑った。

 

「遺言イベントの告知としては満点ね。『科学的真実性は保証しません。でも世界同時配信します』って、煽り文句として強すぎるわ。プレイヤーの好奇心と恐怖をこれ以上なく刺激する完璧なティザー広告じゃない」

 

「サザビーズがアーティファクトイベント会場になるの、本当に時代が変わりすぎです」

 

 エミリーは、格式あるオークションハウスが世界の終末発表会に変わったことのシュールさにため息をついた。

 

「普通なら美術品や宝石の価値を測る場所ですからね」

 

 工藤が、コーヒーカップを置いて言った。

 

「そこに文明の価値を測る品を持ち込んだわけです。……よく考えられていますよ」

 

「場所選びが上手い」

 

 賢者・猫が、喉をゴロゴロと鳴らした。

 

「サザビーズは、欲望を上品な言葉で包む場所じゃ。……そこに万象器を置く。金と権力の亡者どもが、自らの欲望をどう取り繕うかを見世物にするには、よくできた舞台じゃな」

 

 映像はさらに進み、フェアチャイルドが万象器の正体――「あらゆる物質を創造しうる」という機能を発表し、アシュワース卿の研究ノートを朗読するシーンへと切り替わる。

 

 貴金属。

 

 宝石。

 

 レアメタル。

 

 美術品。

 

 希少資源。

 

 軍需物資。

 

 人類が信じてきたあらゆる「希少性」に支えられていた価値が、たった数行の言葉で揺らぎ、崩壊していく。

 

 それに連動して、世界中の市場が真っ赤な悲鳴を上げ、ナイアガラの滝のように暴落していくチャートが、無機質に映し出された。

 

 世界経済は、二か月ぶり二度目の心停止に近い状態へと陥った。

 

「あはははは!」

 

 KAMIが、その凄惨な経済崩壊のチャートを見て、お腹を抱えて大爆笑した。

 

「世界経済心停止、二か月ぶり二度目! イベント更新ペース早すぎでしょ! プレイヤーの息つく暇も与えないスパルタ運営ね!」

 

「また世界経済が死んだ!!!」

 

 エミリーは、過去の記憶が蘇って頭を抱えて悲鳴を上げた。

 

「もうやめてください! 私たちの生活基盤が、ただの数字の暴落でどれだけ悲惨なことになるか……!」

 

「笑えないと思うがのう……」

 

 賢者・猫が、呆れたようにKAMIを見た。

 

 だが、工藤は金融チャートではなく、物流・港湾・小売在庫のデータを示す別のウィンドウを冷静にチェックしていた。

 

「まあ今回はまだ大丈夫ですよ」

 

 工藤が、あっさりと結論づけた。

 

「どこがですか!?」

 

 エミリーが、涙目で工藤を睨みつける。

 

「実経済は死んでないし!」

 

 工藤は、画面のデータを指差して説明した。

 

「中国の資源輸出が止まった前回と違って、今回は港は動いてます。工場も止まってません。スーパーにも弁当は並んでます。……物理的な供給網は、何も壊れていないんです」

 

 工藤は、技術屋としての冷徹な目で市場のパニックを分析する。

 

「ただ、評価と信用が止まってる。……『これにいくらの値段をつけていいか分からない』から、誰も取引できなくなっているだけです。これが長引くと、資金繰りが悪化して実経済も後から死にますけど。……今の段階では、ただの『集団パニックによる機能不全』ですね」

 

「全然大丈夫じゃない!」

 

 エミリーは、工藤の「後から死ぬ」というフォローになっていないフォローに絶望した。

 

「万象器が壊すのは、金や宝石そのものではない」

 

 賢者・猫が、静かに整理した。

 

「人が信じてきた価値の秤じゃ。……秤が壊れれば、人は何を信じてよいか分からなくなり、右往左往する。それが市場の暴落という形で現れただけじゃ」

 

「価値システムへの直接攻撃。芸術点高いわ」

 

 KAMIは、まだ笑いを含んだ声で称賛した。

 

 映像は、サザビーズ本番前夜の水面下での動きへと移行する。

 

 世界中の非合法勢力やインテリジェンスが、万象器を奪取しようと暗躍する様子。

 

 代理PMCの部隊、暗殺者の潜入、買収工作、輸送ルートへの干渉。

 

 しかし、アシュワース卿の仕掛けた評価システムは、それらを事前に検知し、容赦なく『Security Breach Detected(セキュリティ侵害を検知)』『Evaluation Right Forfeited(評価権、剥奪)』という無慈悲な通知を送信し、不正プレイヤーを即座に排除していった。

 

「はい、不正プレイヤーBAN!」

 

 KAMIが、パンッと手を叩いて喜んだ。

 

「いいわね。死後に動く自動審査なのに、ログ監視がガチすぎる。少しでもチートやグリッチを使おうとした連中を、問答無用でキックするの、運営の鑑だわ」

 

 だが、工藤の顔は真顔になっていた。

 

「いや、これ怖いですよ」

 

 工藤は、そのシステムの処理速度に戦慄を覚えていた。

 

「PMCの資金源や工作ルートを即座に特定して、評価権剥奪まで自動処理してる。……監視、認証、ログ追跡、資金流解析、全部が異常です。どんなスーパーコンピューターを裏で回せば、こんなリアルタイムで完璧な弾き出しができるんですか」

 

「アシュワース卿、死んでるんですよね?」

 

 エミリーが、震える声でティアナに確認した。

 

「死んでるよ」

 

 ティアナは、軽く頷いた。

 

「死んでる人が世界中の諜報機関を処理してる……」

 

 エミリーは、その異常な執念と技術力に寒気を覚えた。

 

「生きている時より、死んだ後の方が厄介な者もおる」

 

 賢者・猫が、ヒゲを揺らした。

 

「じーさん、死後自動運営がうますぎるわ」

 

 KAMIが、感心したように言う。

 

 画面は、いよいよサザビーズ特別評価会場の本番へと進んだ。

 

 円形に配置された席。

 

 各国代表。

 

 日本から出席した沖田室長と三神編集長。

 

 中央には万象器の現物ではなく、封印ケースの映像が映し出されている。

 

 エドワード・フェアチャイルドが宣言する。

 

『本日は万象器の性能を競う場ではなく、万象器に対する姿勢、資格を評価する場です』

 

「ここでルール開示」

 

 ティアナが、指を鳴らした。

 

「性能コンテストじゃなくて、資格審査」

 

「いいわね。参加者が勝手にオークションだと思っていたら、実は道徳試験でした、ってやつ」

 

 KAMIが、にやりと笑う。

 

「意地が悪い……」

 

 エミリーが、アシュワース卿の悪趣味な演出にぼやいた。

 

「じゃが、正しい」

 

 賢者・猫が、真っ向から肯定した。

 

「万象器を扱う資格は、どれほど金を払えるかでは測れぬ。……むしろ、金で買おうとした時点で不適格に近い。それを最初に明言したのは、極めて誠実なやり方じゃ」

 

「現場目線だと、この時点で各国の資料作りが全部ひっくり返ってますね」

 

 工藤が、現場の官僚たちの胃痛を代弁するように言った。

 

「買収、管理、研究、軍事利用。全部“姿勢”として見られる。……徹夜で作ったプレゼン資料が、一瞬でゴミになった瞬間です」

 

 続く映像では、アシュワース卿の生前の録画メッセージが流れ、そして『前夜課題』が提示された。

 

『万象器が人類に何を与えるかではなく、人類が万象器に何を禁じるべきかを述べよ』

 

 各国の顔色が変わる。

 

 アメリカは使用制限と封印プロトコルの補強へ。

 

 中国は精神的資格のない者からの隔離を補強。

 

 EUは倫理憲章を詰める。

 

 ロシアだけが「禁じることから始めるなど敗北者の発想」と不快感を露わにする。

 

 そして日本は、自らの封印寄り案が事前課題と極めて近いことに気づき、覚悟を決める。

 

「はい、ここが一番趣味悪い」

 

 KAMIが、嬉しそうに指摘した。

 

「普通なら“何ができますか?”って聞くところで、“何を禁止しますか?”って聞く。……欲望じゃなくて、ブレーキ性能を測ってるのよ」

 

「ブレーキ性能……」

 

 エミリーが、その言葉を反復する。

 

「力を得た者が最初に考えるべきは、何に使えるかではない」

 

 賢者・猫が、深い教訓を語る。

 

「何に使ってはならぬか、じゃ。……それを自ら定められぬ者に、巨大な力を委ねるわけにはいかん」

 

「危険設備の運用と同じです」

 

 工藤も、技術者として深く頷いた。

 

「起動手順より先に、停止手順と禁止事項を決めないと事故ります。安全工学の基本ですよ」

 

 エミリーは、工藤の真っ当な発言に少し感心した。

 

「工藤さん、今日はまともですね」

 

 エミリーが、素直に褒める。

 

「今日は、というのが引っかかりますけど」

 

 工藤が、少しムッとして返した。

 

 画面は、いよいよ各国のプレゼンテーションを経て、三神編集長の発言シーンへと移った。

 

 富豪、学者、宗教、アメリカ、EU、中国、ロシア。

 

 それぞれがもっともらしい理由を並べて、万象器の管理や使用を主張する中。

 

 三神は、それらを一刀両断にした。

 

『結局のところ、全員が何かを欲しがっている。アシュワース卿が聞きたいのは、何が欲しいかではなく、何を諦められるかでしょう』

 

 この発言に、当時のチャット欄は爆発し、「三神編集長」「何を諦められるか」「指定観測者」がトレンド化する様子がスクリーンに映し出された。

 

 ティアナが、口笛を吹いた。

 

「おー、三神さん、いいところ刺したね」

 

「オカルトおじさん、人類の欲望を要約するの上手すぎでしょ」

 

 KAMIも、その切れ味を評価した。

 

「見事じゃ」

 

 賢者・猫が、満足げに目を細める。

 

「各国は、自分たちの欲望を理屈で飾っていた。……三神は、その飾りを剥がした。剥がされた者たちは、さぞかし居心地が悪かったじゃろうな」

 

「これ、会議場にいた代表たちは相当きつかったでしょうね」

 

 工藤が、苦笑しながら言う。

 

「自分たちは正義や管理や倫理を語ってるつもりなのに、全部“欲しいもの”として並べられたわけですから。……完全な公開処刑ですよ」

 

「三神編集長、すごい……」

 

 エミリーは、改めてその言葉の重みに圧倒されていた。

 

「アシュワース卿があの人を呼んだ理由、分かるでしょ」

 

 ティアナが、ニヤリと笑った。

 

 そして、映像はクライマックス――日本の沖田室長によるプレゼンテーションへと向かう。

 

『日本政府は、万象器の所有権を、一切希望しません。現段階での使用も希望しません』

 

 沖田は、堂々と宣言した。

 

『万象器を扱う資格とは、使える技術力ではありません。……万象器を前にして、使わないと決められる理性です』

 

 日本は、強奪もしない。買い叩きもしない。

 

 提案するのは、管理と封印。

 

 万象器の即時使用禁止、国際共同の封印施設、与那国AIの知見を用いた安全性検証、軍事利用絶対禁止、グレイ・グー停止手段が確立するまで完全封印。

 

 この日本案は、アメリカ、EU、中国から一定の評価を受ける一方、ロシアからは「持てる者たちの偽善」として激しく反発された。

 

 工藤が、深く頷く。

 

「これはかなり良い判断ですね」

 

「工藤さん的にも?」

 

 エミリーが聞く。

 

「はい」

 

 工藤は、真顔で答えた。

 

「危険な装置を見た時、最初にやるべきなのは“何ができるか試す”じゃなくて、“起動しない状態を維持する”ことです。……日本案は、すごく地味ですけど、現場的には正しい」

 

「所有しないことを提案する。しかも、世界の前で」

 

 賢者・猫が、静かに言った。

 

「これは勇気がいる。……持たざる者になることを自ら選ぶのは、持つことよりも恐ろしいことじゃからな」

 

「日本、ここで意外と正解ルート入ったわね」

 

 KAMIが、感心したように言う。

 

「うん。地球人にしてはかなり良い」

 

 ティアナが、上から目線で褒めた。

 

「地球人にしては、って言い方……」

 

 エミリーが、少しだけムッとして呟いた。

 

 映像は、遺言執行人がアシュワース卿の最終遺言処遇条項を読み上げるシーンへと進む。

 

『正当な評価を経ても適格者がいない場合。または人類全体が万象器を使用する資格を持たないと判断された場合。万象器は、スイス連邦の指定貸金庫へ移送され、永久封印される』

 

 当時のYouTubeチャットが「封印ルートあった」「トゥルーエンド」「アシュワース卿、最初から売らないルート用意していたのか」と爆発する様子が流れる。

 

「はい、トゥルーエンド解放!」

 

 KAMIが、バンザイのポーズをとった。

 

「やっぱり最初から売る気なかったでしょ、あのじーさん。……ただ人類を試して、からかいたかっただけよ」

 

「売る気はあったと思うよ」

 

 ティアナが、少しだけ真面目な声で訂正した。

 

「ただし、“売ってもよい相手が現れたら”ね。……でも、そんな相手がすぐに出てくるとは、彼自身も思っていなかったんだろうね」

 

「だが、現れぬことを見越していた」

 

 賢者・猫が、尻尾をパタンと叩いた。

 

「だから封印ルートを用意した。……選ばれぬ可能性まで織り込んでおったわけじゃ。あの老人、最後まで抜け目がない」

 

「じゃあ、これは人類を落第させるための試験だったんですか?」

 

 エミリーが、腑に落ちないように尋ねた。

 

「違う」

 

 ティアナは、首を横に振った。

 

「落第させるためじゃなくて、自分たちで“今は触らない”って言えるかを見る試験だよ。……自制できるなら、それは一つの『合格』の形なんだ」

 

「合格というより、安全停止に成功、ですね」

 

 工藤が、技術者らしい解釈でまとめた。

 

 そして、最後の投票シーン。

 

 日本、アメリカ、EU、中国、英国が賛成。

 

 多くの財団や宗教機関も賛成または棄権。

 

 ……ロシアだけが、反対。

 

 結果、永久封印案は可決された。

 

 ロシア代表は激怒し、「歴史は今日の臆病を裁く」と吐き捨てるが、ヴォストークに止められ、ここでは退く。

 

 しかし、その目には復讐と奪取の炎が残っていた。

 

 エミリーは、大きく息を吐いた。

 

「よかった……封印になった……」

 

 彼女は、本当に心から安堵していた。

 

「でも、ロシア反対。未回収フラグね」

 

 KAMIが、ニヤニヤしながら不吉なことを言う。

 

「やめてください」

 

 エミリーが、即座に拒絶する。

 

「封印は終わりではない」

 

 賢者・猫が、厳しい現実を突きつけた。

 

「封じたものを欲しがる者がいる限り、封印は守り続けねばならぬ。……それは、使うよりも遥かに重い負担となる」

 

「移送と保管の運用、地獄でしょうね」

 

 工藤が、現場の苦労を想像して顔をしかめた。

 

「多国籍監視、スイス貸金庫、権限管理、ルート秘匿、偽装輸送、内部不正対策。……封印エンドって、現場から見ると始まりなんですよ」

 

「そうそう」

 

 ティアナが、楽しそうに笑う。

 

「エンディング後に、エンドレスの警備イベントが始まるんだ」

 

「面倒な周回要素ね」

 

 KAMIが、呆れたように言った。

 

 スクリーン上の映像がすべて終わり、暗転した。

 

 ラウンジに、少しだけ静寂が戻る。

 

 ティアナが、ホログラムの操作パネルを閉じながら、騒動全体の総括を口にした。

 

「まあ、地球人にしては上出来だったんじゃない?」

 

「上出来……なんですか?」

 

 エミリーが、あれだけ世界が混乱したのに上出来という評価に、少しだけ疑問を抱いて聞き返した。

 

「うん」

 

 ティアナは、真っ直ぐにエミリーを見て言った。

 

「あの状況で、全員が欲しがった。管理したい、導きたい、正しく使いたい、勝ちたい。……でも最後に、多数派は“使わない”を選んだ。それは、けっこう大きいよ」

 

「最も価値あるものを、所有しないと決める」

 

 賢者・猫が、静かに目を閉じた。

 

「それは、なかなか難しい。……人類も、少しは理性を働かせたということじゃ」

 

「まあ、ロシアは欲しがったままだけどね」

 

 KAMIが、冷水を浴びせるように言う。

 

「それでも、多数決で封印まで持っていけたのは大きいです」

 

 工藤が、真面目な顔で評価した。

 

「前回の中国の資源輸出停止から始まった世界経済心停止から、少し学習したんでしょうね。……これ以上踏み込んだら、本当にシステム全体が壊れるって」

 

「人類、少しは成長してますか?」

 

 エミリーが、期待を込めて尋ねた。

 

「少しはね」

 

 ティアナが微笑む。

 

「少しだけね」

 

 KAMIが鼻で笑う。

 

「少しでも、進むならよい」

 

 賢者・猫が、肯定した。

 

 ティアナは、再びアシュワース卿の書斎の画像をスクリーンに呼び出した。

 

「あのじーさん、死んでからもいい趣味してるなー」

 

 ティアナは、少しだけ懐かしむような、呆れたような声で言った。

 

「良い趣味ではありません」

 

 エミリーが、即座に否定する。

 

「意地が悪いわよね」

 

 KAMIも同意する。

 

「じゃが、筋は通っておる」

 

 賢者・猫が言う。

 

「迷惑ですけど、設計は見事でした」

 

 工藤も、技術者として評価する。

 

「アシュワース卿は、万象器を売りたかったんじゃない」

 

 ティアナは、スクリーンの中の老貴族を見つめながら言った。

 

「人類に、売買できるか……いや、欲望を制御できるかを問いたかった。……そして、人類はギリギリ“売買しない”側に寄った」

 

「なら、終わりでいいじゃないですか」

 

 エミリーが、少しだけ疲れた声で言った。

 

 だが、KAMIがにやりと笑った。

 

「終わり?」

 

「遺言に仕掛けはつきものじゃ」

 

 賢者・猫が、尻尾を揺らす。

 

「やめてください。本当に」

 

 工藤が、これ以上のトラブルを心底嫌がるように言った。

 

 ティアナが、肩をすくめる。

 

「アシュワース卿が、これで全部終わりにすると思う?」

 

 エミリーの顔が、再び引きつった。

 

 画面には、最後に、スイスの指定貸金庫へと移送される黒い封印ケースの映像が映し出された。

 

 世界は、ひとまず安堵している。

 

 ネットでは「封印エンド」「人類ギリギリ正解」「ロシアだけ反対」という言葉がトレンドを埋め尽くしている。

 

 貴金属や宝石、美術品市場はまだ完全には戻らないが、パニックは少しずつ収まり始めていた。

 

 ティアナは、封印ケースが闇の奥へ消えていく映像を見送りながら、ぽつりと呟いた。

 

「……じーさん。やっぱり君、最後まで地球人を信じてたんだね」

 

 その言葉に、エミリーは少しだけ驚いた。

 

 だがティアナは、もう何も言わなかった。

 

 万象器そのものは、確かに封印された。

 

 しかし、アシュワース卿が世界へ投げた「問い」は、決して消えてはいない。

 

 人類は、最も価値あるものを前にして、所有しないことを選べるのか。

 

 そして、ロシアはその答えに納得していない。

 

 万象器は封印された。

 

 世界は、辛うじて「所有しない」という答えを選んだ。

 

 だが、価値の秤は一度揺れた。

 

 欲望の輪郭は、一度世界中に晒された。

 

 そして、封印された宝を欲しがる者たちの目は、まだ閉じていない。

 

 死んだコレクターのゲームは、ひとまず幕を下ろした。

 

 だが、その余韻は、まだ人類の喉元に冷たい刃のように残っていた。

 

 




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