銀河皇帝のスペアに転生した元社畜、地球軌道上の要塞でネトゲ三昧の隠居生活を満喫する 〜足元では超大国が滅亡級の異星遺産を巡って暗躍中ですが、主人公(ぼく)の命は絶対安全なので特等席で傍観します〜   作:パラレル・ゲーマー

87 / 91
第77話 砂漠に浮かぶ存在しない都市

 あの熱狂と恐怖に満ちたロンドンの夜から、約一ヶ月の月日が流れていた。

 

 アラブ首長国連邦(UAE)、ドバイ郊外。

 

 摩天楼が林立する煌びやかな中心街から数十キロ離れた、果てしなく続く乾いた砂漠のど真ん中。

 そこでは現在、国家の威信を懸けた巨大プロジェクト――新たな地下交通網のハブステーションと、次世代環境型データセンター、そして完全自律型の未来都市区画を一体化させた、途方もない規模の基礎工事が昼夜を問わず進められていた。

 

 夜間作業の真っ最中。

 無数の巨大なクレーンがうなりを上げ、強力なLED投光器が、砂埃の舞う作業現場を真昼のように照らし出している。

 大型ダンプカーの行き交う轟音と、鋼鉄の杭を打ち込む重機の振動が響く中、現場の隅で休憩を取っていた南アジア出身の作業員が、ふと、砂漠の地平線の彼方を見て、目をこすった。

 

 最初は、ただの光の瞬きかと思った。

 遠く離れたドバイ中心街のビル群の光が、砂漠特有の蜃気楼で歪んで見えているだけだと。

 

 だが、違った。

 光は、そこにあるはずのない、完全に更地であるはずの工事区画の「真上」の空域に、ぼんやりと浮かび上がっていたのだ。

 

「……おい。あれ、なんだ?」

 作業員が、隣で水を飲んでいた同僚の肩を揺さぶった。

「あっちだ。クレーンの向こう側……空に、何か光ってないか?」

 

 同僚も目を凝らす。

 その光の集合体は、数秒前までは靄のように不鮮明だったが、時間とともに急速に解像度を増し、明確な【輪郭】を形成し始めていた。

 

 それは、都市だった。

 

 ドバイの中心街にあるようなガラス張りの超高層ビルに似ている。だが、明らかに現在の地球の建築様式とは異なる、有機的で滑らかな曲線を持つ巨大なタワー群。

 ビルとビルの間を縫うように走る、半透明の光の軌跡を描く空中回廊。

 そして、都市全体を包み込むように流れる、水路のような青白いエネルギーの脈動。

 

「……蜃気楼か? いや、あんなビル、ドバイのどこにもないぞ……」

 

 作業員たちは、重機の音も忘れて、ただ呆然とその空中に浮かぶ巨大な【存在しない未来都市の幻影】を見上げていた。

 

「おい! ドローンのモニターを見てみろ!」

 現場の測量と安全確認を担当していた技師が、血相を変えてタブレットを持って駆け寄ってきた。

「カメラの映像だけじゃない! 赤外線センサーと、LiDAR(レーザー測距)スキャナーにも、あの都市の構造物の『反射』がバッチリ映り込んでる! 幻じゃない、あそこに物理的に何かが『ある』んだ!」

 

 さらに、現場の異常は視覚的なものだけではなかった。

 

「……寒いぞ」

 一人の作業員が、身震いをして腕をさすった。

 熱帯の砂漠の夜とはいえ、気温は三十度近くあるはずだ。だが、その幻影都市が現れた方向から、まるで冷凍庫の扉を開けたような、異常に冷たく湿った風が吹き下ろしてきていた。

 

 現場に設置された環境センサーが、けたたましいアラートを鳴らし始める。

 気温が、わずか数分で十度以上も急降下している。同時に、カラカラに乾いていたはずの湿度が異常上昇し、作業員たちのヘルメットや、足元の熱い砂の表面に、びっしりと水滴(結露)が付着し始めていた。

 

 幻影が、周囲の物理的な気象環境を強制的に書き換えている。

 

「ただの光学現象じゃない……!」

 現場責任者のアラブ人技師が、青ざめた顔でトランシーバーを握りしめた。

「全重機、直ちにエンジンを停止しろ! 作業を一時中断! 全員、現場から退避しつつ、この現象の記録をすべて保存しろ! すぐに政府の開発局へ連絡だ!」

 

 責任者がそう叫んだ時には、すでに遅かった。

 何人もの作業員たちが、ポケットからスマートフォンを取り出し、その神秘的で恐ろしい「砂漠に浮かぶ未来都市」の映像を、興奮した手つきで撮影し始めていたのだ。

 

 そして、その映像は、瞬く間に光ファイバーと衛星通信のネットワークを駆け抜け、世界中へと拡散されていった。

 

 ***

 

『アーティファクト時代の異常』は、もはや国家の機密の壁の中だけで完結するものではない。

 最初の投稿は、アラビア語の短い動画だった。だが、それはすぐに英語や中国語、日本語の字幕が付けられ、X(旧Twitter)、TikTok、YouTubeといったあらゆるSNSプラットフォームで爆発的にシェアされた。

 

 タイトルは、様々に踊った。

『ドバイの砂漠に存在しない都市が出現!』

『ただの蜃気楼ではない!? センサーにも映る謎の未来都市』

『万象器の次はドバイか! アーティファクトの起動事案か!?』

『ドバイに幸運の都市が現れた!』

 

 動画は、公開から数時間で数千万回の再生数を記録し、世界中の朝のニュース番組や、ネット掲示板を完全にジャックした。

 

 日本国内でも、朝の通勤電車の中でスマートフォンを見つめる人々の話題は、その一点に集中していた。

 

 [X(旧Twitter)日本トレンド]

 1位:ドバイの幻影都市

 2位:またアーティファクトか

 3位:蜃気楼じゃない

 4位:幸運の都市

 

 @News_Watcher_JP

 またアーティファクトかよ!? 万象器をスイスの金庫に封印して、やっと世界が落ち着いたと思ってから一ヶ月しか経ってないぞ! 次から次へと異常事態が起きすぎだろ!

 

 @Cynical_Otaku

 砂漠の上に青白く光る未来都市の幻影とか、完全にSFアニメのワンシーンじゃん。絵面が強すぎる。しかもドバイってところが、「いかにも金持ちが裏で何かヤバい実験やってそう」な感があって困る。

 

 @Science_Writer_T

 映像を見たが、あれがただの蜃気楼(上位蜃気楼現象)だとするなら、光源と温度境界層の条件が不自然すぎる。現地の測量ドローンのLiDARにも反射が記録されているという情報が事実なら、光学的なホログラム投影か、あるいは『空間そのものの屈折率を人為的に操作している』可能性が高い。

 

 そして、この圧倒的で神秘的な映像は、人々の『恐怖』よりも『欲望』と『好奇心』を強く刺激した。

 

 @Travel_Influencer_A

 え、これヤバくない!? 絶対インスタ映えする! 今週末のドバイ行きのチケット取ったわ! 幻影都市を背景に自撮りしてくる!

 

 @Occult_Sleuth_Z

 オカルト界隈の掲示板では、あれは「古代アラビアの星渡り伝承」に出てくる天空都市の顕現だって言われてるぞ! あの光を見た者は途方もない幸運を授かり、あの都市に向かって祈ればビジネスが大成功するらしい! 完全にパワースポット化してる!

 

 @DayTrader_A

 UAE関連銘柄、寄付きから爆上がりしてるぞ! ドバイの不動産市場に世界中の投機マネーが向かってる。万象器バブルの次は、アーティファクト観光バブルか!? とにかく乗るしかねえ!

 

「あの幻影を見に行けば幸運になる」「あの光を浴びれば成功する」。

 根拠のないデマとスピリチュアルな噂がSNSで瞬時に生成され、世界中の観光客、インフルエンサー、投資家、そしてオカルトマニアたちが、ドバイ行きの航空券を血眼になって買い漁り始めていた。

 UAE政府は慌てて事態の収拾を図り、当該の工事現場周辺数十キロを軍と警察で封鎖しようとしたが、すでに映像は世界中のスマートフォンの中に保存され、何十万人もの野次馬が国境を越えて押し寄せようとしている。

 

 サザビーズの密室のような「クローズドな空間」で行われた万象器の評価手続きとは、根本的に違う。

 今回の危機は、最初から【全世界に完全公開された状態】で始まってしまったのだ。

 

 もはや、隠蔽も、情報のコントロールも不可能だった。

 

 ***

 

 首相官邸地下、既存技術外事象評価セル。

 

 先ほどまでの穏やかな空気は、跡形もなく消え去っていた。

 会議室の壁面モニターには、世界中のSNSからリアルタイムで収集された「ドバイの幻影都市」の映像と、それに群がる人々の熱狂的な書き込みが、滝のように流れ続けている。

 

「……総理。UAE、ドバイ近郊の開発区画にて、大規模な異常現象が確認されました」

 情報機関の幹部が、硬い声で緊急報告を行った。

「現地の協力者からの裏取りも完了しています。SNSで拡散されている映像は、フェイクやCGではありません。物理的な現実として、あの砂漠の空に『存在しない都市』が浮かび上がっています」

 

 モニターに映し出された、青白く脈動する空中回廊と巨大なタワー群。

 

 矢崎総理は、目を細め、その美しくも不気味な光景を見つめた。

「……幻影、なのよね?」

 

「映像情報だけを素直に解釈するならば」

 科学技術担当の幹部が、手元の端末を素早く操作しながら答える。

「蜃気楼、大規模なホログラム投影、AR(拡張現実)技術のハッキング、あるいは高層ビル群の壁面を利用した光学現象などが考えられます」

 

「ただし、SNSの投稿数が異常です」

 沖田室長が、冷徹な分析を挟む。

「ドバイ中心街から現場周辺まで、複数の地点、全く異なる角度から、数千人単位の人間が同時にスマートフォンで撮影している。さらに、現場の測量ドローンのレーザーセンサーにも、立体物としての『反射』が記録されているとの未確認情報もあります」

 

「単なる光の屈折(蜃気楼)などではないと?」

 総理が問う。

 

「蜃気楼の理論を用いれば、ある程度の説明可能な部分はあります」

 科学技術担当は、慎重に言葉を選んだ。

「ですが……現場からの報告によれば、この幻影が出現したと同時に、周辺の気温が急激に低下し、局地的な湿度が上昇、熱い砂の上に水滴(凝結)が発生しているとのことです。

 ……光学的な現象と、これほど急激な『環境(気象)の変化』が同時に起きているとするならば。我々の知る通常の気象現象や、単なるプロジェクションマッピングの類では、到底説明がつきません」

 

「三神編集長には、連絡はついているのか?」

 官房長官が、周囲を見回して言った。

 こんな時、オカルトと文明史の観点から突拍子もない、しかし的を射た解釈を提示してくれるあの男の姿が、今日に限って円卓のどこにも見当たらない。

 

「現在、某県の山奥の廃村にて、月刊ムーの特集記事のための地方取材中です」

 情報機関幹部が、申し訳なさそうに報告した。

「衛星回線を通じて連絡自体は試みており、事態の概要は伝えていますが……電波状況も悪く、物理的にもすぐに東京へ戻って会議に合流するのは不可能です」

 

 会議室に、何とも言えない微妙な沈黙が流れた。

 

「こういう、一番意見が欲しい時に限って、あの人は……」

 経産省の幹部が、恨めしそうにぼやいた。

 

「三神編集長の特異な直感に依存しすぎるのは、国家の危機管理として極めて危険です」

 沖田室長が、ピシャリと空気を引き締めた。

「今回は、我々自身の手で、手探りでも初動判断を行います」

 

「そうね」

 矢崎総理も深く頷いた。

「便利な解説者(オカルトの専門家)が不在の時でも、国家は判断を下さなければならない。……外務省。まずは、今回の舞台となるUAE・ドバイの地政学的な位置づけを整理してちょうだい」

 

「はい」

 外務省の幹部が、即座に世界地図をモニターに投影した。

「現象が確認されたのは、ドバイ近郊の広大な砂漠地帯で進められている、大型のインフラ開発区画です。

 ご存知の通り、UAE(アラブ首長国連邦)は、中東において極めて親米傾向が強く、安全保障や経済の面でも西側諸国との結びつきが深い国家です。……しかし同時に、彼らはロシアや中国、そして他の中東諸国とも一定の良好な関係を保つ、非常に計算高く、バランス感覚に優れた外交を展開しています」

 

「つまり、一筋縄ではいかない国ということだ」

 防衛省の幹部が、厳しい顔で地図の中東地域を指差した。

「そして何より、場所が『中東』です。ここは地球上で最も火種の多い火薬庫だ。周辺国との対立、宗教的対立、資源権益、金融センターとしての機能、軍事基地、海上交通路の要衝。……どこから火がついても、一瞬で大爆発を起こします」

 

「加えて、ドバイは世界の物流、金融、観光、不動産取引の巨大なハブ(中心地)です」

 経産省幹部が、経済的リスクを指摘する。

「もしこの幻影が、単なるオカルト現象ではなく、実質的な影響力を持つ『アーティファクト事案』であった場合。……単なる中東の局地的な問題では絶対に済みません。世界中からヒトとカネが濁流のようにドバイへ向けて動き出します」

 

「UAEが親アメリカであるなら、事態の収拾はアメリカ主導で比較的スムーズに進むのではないかしら?」

 総理が、一つの希望的観測を口にした。

 

「……現時点(平時)においては、その通りです」

 外務省幹部は、言い淀みながら答えた。

 

「だが、相手がアーティファクトとなれば話は別です」

 沖田室長が、残酷な現実を突きつけた。

「アーティファクトの性質一つで、国家の立場(重心)は一夜にして百八十度変わります。……万象器の時がそうであったように。未知の技術は、同盟関係すら容易に書き換えてしまう力を持っているのです」

 

「科学技術担当。現状のデータから推測される、この現象の『正体』についての仮説は?」

 総理が問う。

 

 科学技術担当は、手元の資料を素早くまとめ、五つの仮説を提示した。

 

「仮説1:通常の蜃気楼。砂漠の極端な温度差による異常な光学現象。……ですが、先ほども申し上げた通り、センサー記録と急激な気象変化が説明できません。

 仮説2:大規模な投影(プロモーション)。ドバイという土地柄、何らかのメガプロジェクトの宣伝の可能性があります。……しかし、現地政府も開発企業も完全に否定しており、現場の作業員たちが最も混乱していることから、その線は薄い。

 仮説3:未知の光学系アーティファクト。空間に存在しない都市の像を強制的に投影している。光学迷彩や幻影生成、あるいは人間の認識に直接干渉するテクノロジーの可能性。

 仮説4:都市環境制御システム。気温の低下や水滴の発生が伴っていることから、単なる映像(ホログラム)ではなく、周囲の気象や環境そのものを書き換える(テラフォーミングする)機能を持った巨大なシステムが起動しつつある可能性。

 仮説5:未来都市の予測、あるいは設計図の開示。あの幻影は、実際に未来に建設される都市の完成形、あるいは、アーティファクトの『都市核』が提示している設計図そのものである可能性」

 

「……現時点では、光学現象と環境変化が『同時に起きている』という点が、最も重要かつ不気味です」

 科学技術担当は、青ざめた顔で締めくくった。

 

「つまり、ただの幻(映像)ではないということですね」

 沖田が確認する。

 

「はい。……都市規模の『何か』が物理的に起きる、その【前兆】である可能性があります」

 

 その報告に、会議室の空気が再び重く沈み込んだ。

 

「すでに、SNSのバズりを受けて、世界中から観光客、動画配信者、投資家、宗教団体、オカルト系インフルエンサーたちが、ドバイ行きのフライトを予約し、現地へ向かう動きを見せています」

 情報機関幹部が、ネットの狂騒状況を報告する。

「『あの幻影を見れば幸運になる』『ドバイで起業すれば必ず成功する』『金運が上がる』といった、全く根拠のない噂が、まるでウイルスのように爆発的に拡散中です」

 

「万象器の恐ろしさを目の当たりにしたばかりだというのに……人はなぜ、得体の知れない危険なものに、こうも無防備に近づきたがるのか」

 官房長官が、深くため息をついた。

 

「危険だと完全に確定する前に、『自分だけは得をしたい(恩恵にあずかりたい)』という人間の根源的な欲望が、理性を上回って動くからです」

 沖田が、冷徹に大衆心理を分析する。

 

「アシュワース卿が聞いたら、腹を抱えて笑いそうね」

 矢崎総理が、皮肉げに呟いた。

 第一のテストをくぐり抜けたと思ったら、人類はすぐさま、次の欲望の光に群がる羽虫になっている。

 

 まさにその時。

 外務省幹部の手元の特殊通信端末が、けたたましい電子音を鳴らした。

 

「……総理!」

 外務省幹部が、画面を確認し、弾かれたように立ち上がった。

「アメリカ政府より、即時協議の緊急申し入れです!」

 

「……キャサリン・ヘイズ大統領?」

 総理の目が、鋭く光る。

 

「はい。ホワイトハウスの地下危機対応室から、総理との直接(ダイレクト)回線を強く希望しています」

 

 総理は一瞬だけ、本当に僅かな間だけ、ため息をつくように目を伏せ。

 そして、凜とした顔を上げて命じた。

 

「……繋ぎなさい」

 

 メインモニターの映像が切り替わり、厳重な量子暗号化プロセスを経て、ホワイトハウスの極秘会議室の映像が映し出された。

 

 画面の中央には、キャサリン・ヘイズ大統領。

 その背後には、深い影を纏うセレスティアル・ウォッチのアルファと、白衣姿のケンドール博士、そして国務省とCIAのトップたちの姿があった。

 

 ヘイズ大統領は、外交辞令や前置きをすべて切り捨て、開口一番に言い放った。

 

『ニュースは、見たわね』

 

「はい。今まさに、この会議室で映像を確認し、初動の分析を行っていたところです」

 矢崎総理も、真っ直ぐに答える。

 

『ドバイの砂漠で、アーティファクトらしき現象が確認された』

 ヘイズは、指先でこめかみを強く揉みながら、隠しきれない深い疲労感を滲ませて言った。

 

『……またよ』

 

 その「またよ」という一言に、世界を管理する超大国のトップとしての、果てしない徒労感と重圧が凝縮されていた。

 

『ケンドール博士』

 ヘイズが合図を送ると、ケンドールが画面に近づき、アメリカ側の初期分析を報告し始めた。

 

『我々の衛星および現地のインテリジェンス網からの映像解析によれば、あれは単純な蜃気楼(気象現象)では絶対に説明が困難です』

 ケンドールは、複数のモニターに投影されたドバイの映像を指差す。

『第一に、複数の全く異なる視点・角度から撮影された映像において、都市の形状(ホログラムのポリゴン構造)が完全に一致しすぎている。自然現象による歪みが見られない。

 第二に、日本側も把握していると思いますが……急激な気温低下、局所的な湿度の異常上昇に加えて、強烈な電磁ノイズの発生、および現場に接近したドローンの認識異常(ナビゲーション・システムの狂い)という報告が、確かな情報として入ってきています』

 

『現時点での我々の仮説としては』

 アルファが、ケンドールの言葉を引き継ぎ、冷徹な声で告げた。

『高度な光学干渉、局地的な環境制御、そして電子機器に対する都市規模の【認識攪乱】の、複合現象であると仮定しています』

 

「都市規模、の認識攪乱……」

 矢崎総理が、そのスケールの大きさに息を呑む。

 

『もしこれが、周囲の環境や人間の認識を狂わせるような危険なアーティファクトであるならば、直ちに初期段階で封じ込め(隔離)の措置が必要です』

 ヘイズ大統領が、為政者としての厳しい判断を口にする。

『でも、そのためには、まず正確な「状況確認」をしなければならない。

 ……万象器の時のような、サザビーズの密室での入札ゲームとは違う。今回は、最初から全世界に映像が【公開】されてしまっている。隠すことは不可能だし、我々が動くよりも先に、野次馬やインフルエンサーたちの騒ぎが広がりすぎているわ』

 

 アメリカでさえ、この情報の拡散速度には手を焼いているのだ。

 

『さらに厄介なのは、UAE(ドバイ)という国家の立ち位置よ』

 ヘイズは、地政学的な懸念を口にする。

『彼らは親アメリカ寄り(同盟国)の国ではある。……でも、アーティファクト一つで、国家の立場は一瞬にして変わる。それは、先の万象器の件で、我々が骨の髄まで学んだことでしょう?』

 

「ええ」

 矢崎総理も深く同意する。

「技術の性質一つで、国家は全く別の顔を見せますからね」

 

『UAEが、今回のアーティファクトから【何を得た(何を見た)か】によって、彼らの反応は全く違ってくる』

 アルファが、冷徹なシミュレーションを展開する。

『もしあれが、都市防衛や資源生成、金融信用操作といった【物質主義的】な性質のアーティファクトであれば。……彼らはアメリカの干渉を嫌い、技術的支援を求めて、ロシアへと急速に接近する可能性があります』

 

『あるいは』

 ケンドール博士が続ける。

『あれが、人間の認識に干渉するような【精神主義的】な性質のものであれば。……EUやヘルメス協会、あるいは中国の仙人思想に共鳴し、彼らに続く「第三の精神主義勢力(宗教的ハブ)」へと変貌する可能性すらあります』

 

「第三の精神主義……」

 矢崎総理が顔をしかめる。

「勘弁してほしいですな。これ以上、世界に狂信者のネットワークが増えるのは」

 官房長官が、思わず小声でぼやいた。

 

『いずれにしても、放置するには危険すぎる。誰かが現地に入って、直接確かめる必要があるわ』

 ヘイズ大統領は、真っ直ぐに矢崎総理の目を見た。

 

『……でも、アメリカが【単独】で実働部隊を現地へ送り込めば。UAE政府は猛烈に警戒するでしょう』

 ヘイズは、超大国のジレンマを正直に吐露した。

『ロシアや中国も、「アメリカがまたアーティファクトを武力で強奪し(独占し)に動いた」と、世界中へ向けてプロパガンダを流す。中東の空気は一気に悪化し、下手な刺激を与えれば、それこそアーティファクトを利用した武力衝突の火種になりかねない』

 

『でも。……【日本】なら、違う』

 ヘイズの目が、鋭く、そしてどこか期待を込めて光った。

 

「日本なら……?」

 矢崎総理が、訝しげに問い返す。

 

『ええ』

 ヘイズは、はっきりと頷いた。

『あなたたちは、あの万象器の評価手続きにおいて、世界で唯一「所有しない、使用しない」と宣言し、完全な封印へと世界を導いた国よ。

 ……少なくとも現時点の国際社会において、日本は「アーティファクトを強奪する(自国の利益のために振り回す)国」だとは、見られていない。

 ドバイの政府も、アメリカの軍隊が乗り込んでくるより、あなたたちの調査団なら、遥かに受け入れやすいはずよ』

 

 そして、ヘイズ大統領は、アメリカ合衆国のトップとしてのプライドをかなぐり捨てて、驚くべき【本音】を口にした。

 

『アメリカとしては。……日本のその「クリーンな国際的信用」に、【寄生】する形で、現地入りしたいのよ』

 

「……っ!」

 官邸地下の会議室の空気が、一瞬完全に止まった。

 

「寄生、と……言いましたか?」

 矢崎総理が、そのあまりにもストレートな言葉に、思わず確認する。

 

『ええ。かなり正直に言ったわ』

 ヘイズは、自嘲気味に笑った。

『便乗、と言い換えてもいいわね。……日本とアメリカによる「日米合同チーム」という名目(隠れ蓑)であれば、我々も強い警戒を買うことなく、堂々と現地に入り込みやすくなる』

 

「……アメリカが前面に出れば、中東の火種に直結する」

 沖田室長が、アメリカの思惑を正確に言語化する。

「だから、日本を『表の顔(盾)』として使い、自分たちはその後ろから安全にデータを収集したいと」

 

『その通りです』

 アルファが、沖田の言葉をあっさりと肯定した。

 

 総理は、すぐには答えなかった。

 

 日本にとって、アメリカとの確固たる連携は、国家の生存戦略上、極めて重要だ。

 しかし、ただ無邪気にアメリカの要求を受け入れ、日本の国際的な信用を彼らの『隠れ蓑(道具)』として消費されるのは、絶対に避けなければならない。

 

「……日本が前面に立てば、確かにUAE側は受け入れる可能性が高いでしょう」

 外務省幹部が、マイクを手で覆い、小声で総理に進言する。

「しかし……もしアメリカの実働部隊(セレスティアル・ウォッチの強硬派)がそれに同行すれば、ロシアや中国は間違いなく『日本の背後にアメリカの強奪の意図がある』と警戒し、干渉を強めてきます」

 防衛省の幹部も、懸念を示す。

 

「合同チームの【性格(目的)】を、完全に明確にする必要があります」

 沖田が、総理に決断の材料を提示した。

「あくまで、現象の『調査』、『評価』、および『封じ込めのための助言』に限定する。……現物の接収、軍事行動の展開、あるいはUAE政府への不当な圧力行使は、絶対に【しない】と」

 

 画面の向こうで、ヘイズ大統領が苦笑した。

『いかにも、日本らしい慎重な条件ね』

 

「万象器の地獄を見た後ですからね」

 矢崎総理は、皮肉ではなく、心からの実感を込めて言った。

「私たちは、現地政府を無闇に刺激して、強力なアーティファクトを『敵』に回すことの恐ろしさと無意味さを、骨の髄まで知っていますから」

 

 総理は、姿勢を正し、ヘイズ大統領に向かって日本の【条件】を提示した。

 

「日本政府は、日米合同評価チームの立ち上げに、前向きに協力します。……ただし、以下の条件を絶対の前提とさせていただきます」

 

 総理の鋭い声が響く。

 

「第一に。UAE政府からの『正式な要請』、または明確な『受け入れの意思』を事前に確認すること。勝手に乗り込むことはしません。

 第二に。調査の目的は、あくまで【現象の確認】と【安全性の評価】に限定する。事前の接収計画や、軍事介入を前提とした部隊の派遣は認めません。

 第三に。日本チームは、決してアメリカの『代理(手下)』ではありません。取得されたすべてのデータとインテリジェンスは、日本側にも完全に、隠蔽なく共有すること。

 第四に。万が一、あのアーティファクトが『都市防衛システム』のような危険な防衛機能を持っていた場合。不用意な刺激(挑発)を与えないこと。

 ……以上の条件です」

 

 ヘイズ大統領は、一瞬だけアルファと視線を交わし。

 そして、深く頷いた。

 

『分かったわ。アメリカ合衆国は、その条件をすべて受け入れる』

 

 少しの間を置いて。

 ヘイズは、政治家特有の冷たい笑みを浮かべて付け加えた。

 

『……少なくとも、「公式の取り決め」としてはね』

 

「そこは、嘘でもいいから『完全に受け入れる』と言い切ってください」

 矢崎総理が、呆れたように突っ込む。

 

『完全に受け入れるわ』

 ヘイズが、肩をすくめて言い直した。

 

 こうして、日米のトップによる迅速な協議の末。

【日米合同・既存技術外事象 現地評価チーム】(仮称:J-UAE合同評価チーム)の結成が合意された。

 

 日本側のメンバーは、沖田室長を現場トップとし、科学技術担当、外務省中東担当、危機管理担当、そして与那国AIのデータ解析で実績を上げた環境・治癒技術の専門家を加えた、精鋭の布陣。

 護衛は、現地の刺激を避けるため、極力目立たない最小限に留められる。

(三神編集長は今回不在だが、後続調査の枠組みとして名前だけはリストに入れておくことになった)

 

 対するアメリカ側は、ケンドール博士の代理を務める科学官、セレスティアル・ウォッチの観測員、CIAの分析官、国務省の中東担当という、完全に『裏のインテリジェンス』に特化したメンバー構成となった。

 

 彼らの目的は、ただ一つ。

 ドバイの砂漠に浮かんだあの幻影が、都市防衛なのか、環境制御なのか、あるいは人間の精神を狂わせる干渉兵器なのかを見極め。

 封じ込めが必要か、それとも共同管理が可能かを、最速で判断することだ。

 

「……ロシアは、必ず動きます」

 通信の最後に、アルファが冷徹な予測を告げた。

「直接的な強奪部隊を送り込めるかは不明ですが。現地の情報工作、UAE内部の協力者の獲得、あるいは周辺国への軍事的な揺さぶりは、確実に行ってくるでしょう」

 

「UAE内部の派閥に入り込まれた場合、非常に面倒なことになりますね」

 防衛省幹部が顔をしかめる。

 

「中国も動くでしょう」

 ケンドール博士の代理が言う。

「ただし彼らは、仙人の威信にかけて露骨な強奪(野蛮な行為)は避け、『インフラ投資』や『共同開発』、あるいは『監視団への参加』という、合法的な大国の顔をして食い込んでくるはずです」

 

「EUは?」と総理が問う。

 

「ヘルメス協会が、この幻影都市の出現を、何らかの『精神的な啓示』として勝手に解釈し始めるでしょうね。十字軍のように押し寄せてくるかもしれません」

 アルファが忌々しげに言う。

 

「……つまり、いつもの【厄介者たちの全員集合】というわけですな」

 官房長官が、深く、深いため息をついた。

 

『ええ。だからこそ、初動(スピード)が最も重要なのよ』

 ヘイズ大統領が、画面越しに強く言った。

 

 会議が終盤に差し掛かり、通信を切ろうとしたまさにその時。

 

「総理!」

 外務省の幹部が、手元の端末に飛び込んできた別の連絡を見て、驚きの声を上げた。

「UAEの大使館経由で、我が国に【非公式の照会】が入りました!」

 

「内容は?」

 総理が身を乗り出す。

 

「ドバイで発生している現象について……『日本政府に、専門的な意見と助言を求めたい』、とのことです!」

 

 会議室が、大きくざわめいた。

 

「……早いですね」

 沖田が、UAE政府の決断の速さに目を見張る。

 

「UAE側も、アメリカの単独介入(強引な調査)を警戒しているのでしょう」

 情報機関幹部が、中東の外交の機微を読み解く。

「だからこそ、アメリカと直接話す前に、相対的に安全な『日本』をクッション(噛ませ犬)として間に挟み、バランスを取ろうとしている」

 

 画面の向こうで、ヘイズ大統領が、フッと満足げに微笑んだ。

 

『ほらね。……私の読みは、完璧に当たったわ』

 

「嬉しそうにしないでください。こちらにしわ寄せが来るのですから」

 矢崎総理が、ジロリと画面を睨む。

 

『失礼』

 ヘイズは、全く悪びれる様子もなく肩をすくめた。

 

 通信が切断され、モニターが暗転する。

 

 日本政府の取るべき行動は、完全に定まった。

 UAEへの非公式な協力の回答。

 アメリカとの合同評価チームの急ピッチでの編成。

 まずは日本側の『先遣調査団』を最速でドバイへと飛ばす。

 同時に、SNSで拡散し続けるデマと、現地へ向かおうとする観光客(野次馬)の流入に対する国際的な注意喚起の検討。

 そして、現地の荒い映像データからの、限界までの詳細解析の継続。

 

 慌ただしく官僚たちが動き出し、次々と指示が飛ぶ会議室の中で。

 矢崎総理は、ただ一人、壁面のモニターに映し出されたままの『砂漠に浮かぶ幻影都市』の映像を、静かに見つめていた。

 

「……万象器という世界を終わらせる悪魔を、ようやくスイスの地下に封じ込めたばかりだというのに。

 次は、ドバイの砂漠に浮かぶ幻影都市」

 

 総理は、深く、重い疲労感を込めて独り言をこぼした。

 

「世界は本当に……私たちを、一日たりとも休ませてはくれないわね」

 

「ですが、今回は前回(万象器の密室)とは違います」

 沖田室長が、総理の横に立ち、力強く言った。

「今回は、最初から世界中の人々の目の前に【公開】されてしまっている。……隠すことなど不可能です。

 ならば、隠そうと足掻くよりも、我々の手で誰よりも早く、これを制御するための『正しい枠組み(ルール)』を作るべきです」

 

「……ええ」

 総理は、顔を上げ、決意に満ちた声で命じた。

 

「日米合同評価チームの、現地への派遣準備を急ぎなさい。

 ……ただし、この調査の『主語』は、日本でも、アメリカでもない。

 まずは、UAE(ドバイ)という国家の主権を最大限に尊重する形で、慎重に進めるのよ」

 

 モニターの中で、砂漠の上に浮かぶ存在しない都市は、陽炎のようにゆらゆらと揺れながら、まるでドバイの持つ果てしない未来と欲望を先取りするかのように、青白く、妖しく輝き続けていた。

 

 万象器は、人類に対して「その欲望を所有するな(禁じろ)」と、理性を問いかけた。

 では、この砂漠に浮かぶ蜃気楼の都市は、今度は人類に何を問おうとしているのか。

 

 その答えの片鱗を掴むため。

 日本とアメリカの精鋭たちは、熱砂と陰謀の渦巻く中東・ドバイへと、急ぎ飛び立つことになったのである。

 

 

 




ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。