銀河皇帝のスペアに転生した元社畜、地球軌道上の要塞でネトゲ三昧の隠居生活を満喫する 〜足元では超大国が滅亡級の異星遺産を巡って暗躍中ですが、主人公(ぼく)の命は絶対安全なので特等席で傍観します〜 作:パラレル・ゲーマー
サイード老の古い屋敷を出た日米合同評価チームとアミール王子の顔には、先ほどまでの「未知のアーティファクトへの手探りの不安」とは違う、極めて明確な緊迫感が浮かんでいた。
老人が語った『砂漠の客人』の口伝。それは単なるおとぎ話ではなく、現代のドバイ郊外で目覚めつつある都市核(ミラージュ・コア)の、取扱説明書そのものであった。
「……宝物庫へ向かいます」
アミール王子は、屋敷の門をくぐるなり、控えていた側近たちに即座に決断を下した。
「我々も同行します」
沖田室長が、黒塗りの防弾SUVに乗り込もうとする王子の背中に向かって告げた。
「ただし。我々が宝物庫で、その『鍵』と思われる物体を確認したとしても……即時の使用(入力)は避けるべきです」
アミール王子は、振り返り、無言で深く頷いた。
アメリカ側の技術安全保障担当も、すぐさま首元に仕込んだマイクで本国への暗号通信を開いた。
「……ケンドール博士へ報告。物理キーの候補を発見した可能性あり。対象は王族の宝物庫へ移動中」
車列が砂埃を上げて発進しようとした時、サイード老が屋敷の入り口に立ち、アミール王子に向けて最後の警告を発した。
「忘れるな、王子」
老人のしわがれた声が、砂漠の熱風に混じって響く。
「客人は、『都を支配せよ』とは言わなかった。……『道を守れ』と、そう言ったのだ」
老人の鋭い眼光が、若き王族の魂を射抜く。
「その違いを間違えれば……砂の下の核は、決してお前たちを『守護者』とは見なさぬぞ」
「……肝に銘じます」
アミール王子は、胸に右手を当てて深く頭を下げ、車へと乗り込んだ。
一行を乗せた車列は、ドバイの中心部に近い、厳重な警戒が敷かれた王族管理施設へと向かった。
そこは、外見こそ美しい伝統的なアラビア建築の宮殿であったが、その実態は、現代の最高峰のテクノロジーが結集した『国家級の宝物庫』であった。
車列が地下の専用ゲートへ滑り込むと、重武装の警備部隊が周囲を完全に固め、施設全体が物理的に外界から切り離された。
「この宝物庫には、王族に代々伝わる品や、建国以前の部族の遺物、他国からの外交贈答品、そしてかつての真珠交易時代の記録などが保管されています」
アミール王子が、エレベーターを降りながら説明した。
「その中に、サイード老が言った『黒い石』も眠っています」
「これまで、科学的な調査が行われたことはあるのですか?」
沖田が、周囲の警備システムを鋭く観察しながら問う。
「文化財としての目録への記録と、簡単な表面撮影のみです」
アミール王子は首を横に振った。
「物理的な分析は、ほとんど行われていません。祖父の代までは、むしろ『触るな、持ち出すな』と厳しく言われていたものですから」
「それは、極めて正しい扱いだった可能性がありますね」
日本側の科学技術担当が、少しだけホッとしたように息を吐いた。
下手な非破壊検査や放射線スキャンを行えば、アーティファクトの防衛モードを不用意に刺激していたかもしれないのだ。
一行は、堅牢な地下通路を進み、複数の認証ゲートを次々と通過していった。
王族のみが持つ生体認証。
管理官の物理鍵。
ランダム生成される量子暗号ロック。
そして、施設全体を外部から遮断するロックダウン・プロトコル。
「……想像以上に、堅牢ですね」
アメリカ側の技術担当が、分厚いチタン合金の扉が開くのを見て、小声で漏らした。ただの金銀財宝を守るだけのレベルではない。
それを聞いた王族側の警備責任者が、振り返らずに答えた。
「宝石や金塊のためだけではありませんよ」
彼の声には、王家を守る者としての誇りと、深い警戒が入り混じっていた。
「ここには……『値段をつけてはならないもの』も、保管されているのです」
その台詞は、万象器がサザビーズで値段をつけられようとしていた狂騒との、あまりにも鮮やかな対比であった。
ドバイは成金都市のイメージが強い。だが、その根底には、過酷な砂漠と海を生き抜いてきた交易国家としての、古い歴史と畏れが確かに根付いているのだ。
通路の奥のガラスケースには、古い部族の旗、真珠採取のための粗末な道具、風化した航海図が恭しく飾られていた。
そして。
一行は、一番奥にある、小さな専用室の前に辿り着いた。
重い扉が開かれる。
その部屋は、決して派手ではなかった。
眩いばかりの金塊の山があるわけでもなく、豪奢な宝飾品が並んでいるわけでもない。
部屋の中央にあるのは、古いペルシャ絨毯。その上に置かれた低い台座。そして、厳重なガラスケースの中に安置された、一つの【黒い石】だけだった。
「……」
部屋に入った瞬間、全員の視線がその石に釘付けになった。
黒い多面体。
大きさは、大人の拳より少し小さい程度。
表面は、周囲の光をすべて吸い込むように深い漆黒だが……よく見ると、その内部には、まるで星空のような細かな光点が無数に閉じ込められていた。
そして、その内部の光が、今は明らかに、生き物のようにゆっくりと【脈動】していた。
「……こんな光り方は、これまで一度も見たことがありません」
長年この宝物庫を管理してきた王族管理官が、震える声で息を呑んだ。
アミール王子の顔も強張っていた。
「私が子供の頃に見た時は、ただの黒い、少し形の変わった石でした。光るなどということは、絶対にあり得なかった」
「工事現場の地下のアーティファクトが目覚めたことで。……それに呼応(反応)しているのですね」
沖田が、確信を持って言った。
「非接触測定を行います」
日本の科学技術担当が、スーツケースから小型の測定機器を取り出し、ガラスケース越しにセンサーを向けた。
測定が開始されると同時に、アメリカの通信機器から、ケンドール博士の遠隔解析の声が響いた。
『……データを受信しました』
ケンドールの声には、科学者としての抑えきれない興奮が微かに混じっていた。
『脈動の周期、微弱な電磁波の周波数、そして表面に浮かび上がる幾何学的なパターン。……すべてが、工事現場の地下にある多面体端末のそれと、明確な【相関関係】を持っています』
『これは、決して偶然ではありません』
モニターに、二つの物体の形状比較の3Dモデルが表示される。
工事現場の黒い端末。
宝物庫の黒い石。
両者の複雑な面構成が、一定のタイミングで、まるで呼吸を合わせるように完全に噛み合うように変化していく様子が映し出された。
「鍵と錠前、というより……」
日本の科学技術担当が呟く。
『ええ。完全な【認証ペア(デバイス)】です』
ケンドールが断言した。
『これが、現場のアーティファクトが要求している「鍵」である可能性は、極めて高いと言わざるを得ません』
部屋の空気が、ドッと重くなった。
鍵が見つかったのだ。普通ならば、「これでコントロールできる」と歓喜する場面だろう。
だが。
アミール王子は、ガラスケース越しに黒い石を見つめたまま、全く喜んでいなかった。
彼は、サイード老の言葉を反芻していた。
『道を支配するな。道を守れ』
『都市を守る敵が、外から来る者だけとは限らぬ』
この鍵を使えば、ドバイはアーティファクトの恩恵を受け、次の次元の都市へと進化するかもしれない。
だが、もし自分が「強欲な支配者」であるとシステムに判定されれば。この鍵は、自分たち王族を排除するための起爆スイッチに変わる。
「王子、これは我が国にとっての福音です」
UAE側の安全保障担当が、興奮気味に身を乗り出した。
「これを現場に運び、システムを起動させれば、我が国は他国に頼らずとも、絶対的な防衛力と環境制御能力を手に入れることができる。我が国の遺産なのです。我が国の判断で扱うべきです!」
「……だからこそ、軽々しく扱えないのだ」
アミール王子は、安全保障担当の言葉を冷たく遮った。
「この石は、単なる王族の宝物(便利な道具)ではない。……都市との【約束】かもしれないのだぞ。私個人の、あるいはUAEの利益のためだけに、独断で使うべきものではない」
アミール王子は、ゆっくりと振り返り、沖田と、アメリカ側の国務省担当を真っ直ぐに見据えた。
「……アメリカのヘイズ大統領と。日本の矢崎総理の意見を聞きたい」
その予期せぬ申し出に、現地のスタッフたちが少しざわついた。
「今、ですか」
沖田が、真意を確かめるように問う。
「今です」
アミール王子は、強い決意を込めて頷いた。
「この鍵を使うかどうかは、もはやUAE一国だけの問題では終わらない。
……ドバイが変われば、中東が変わる。中東が変われば、世界のパワーバランスが動く。
ならば……鍵を差し込む前に、最初に話を聞いておくべき相手がいます」
「……分かりました。ホワイトハウスへ接続します」
アメリカ側担当が、即座に通信機器を操作する。
「官邸地下へも繋ぎます」
沖田が、自衛隊の通信手に指示を出した。
宝物庫の暗号化通信回線が開き、複数のモニターが立ち上がる。
一つの画面には、ホワイトハウスの地下危機対応室。キャサリン・ヘイズ大統領、アルファ、ケンドール博士、そして国務省とCIAの面々。
もう一つの画面には、首相官邸地下。矢崎総理、官房長官、情報機関幹部、防衛省幹部たちの姿があった。
『黒い鍵を、見つけたのね』
画面越しのヘイズ大統領が、真っ先に口を開いた。
「映像は確認しています」
矢崎総理も、落ち着いた声で応じた。
「アミール王子。……まず、あなたがその鍵を発見しても、不用意に触れず、独断で起動させなかったその【自制心】を、高く評価します」
「ありがとうございます」
アミール王子は、両国のトップに対して小さく頭を下げた。
「ですが、問題はここからです。……この鍵を使うべきか。それとも、使わずに厳重に保管(封印)すべきか。私は、お二人の率直な意見を聞きたいのです」
画面の中で、ヘイズ大統領がケンドール博士に視線を送った。
『ケンドール博士。……まず、科学的・技術的な安全性の確認を』
ケンドールは、複数の分析データを見ながら、正確に報告を行った。
『現時点で確認できることを整理します。
第一に、宝物庫の黒い石は、工事現場のアーティファクトと完全に同期しています。音声アナウンスの「Authorized key(所定の鍵)」に該当する可能性が極めて高い。
第二に、黒い石自体に、攻撃的な反応や有害な放射線の類は一切検出されていません。
第三に……これを所定の位置へ配置した場合。間違いなく、何らかの【起動シーケンス】が始まると考えられます』
ケンドールは、科学者としての冷静な一線を引いた。
『起動後の効果範囲は、正確には不明です。……ですが、伝承と照合する限り、都市規模の環境制御、および防衛・交易支援系のシステムであると推測されます。
……鍵は、おそらく【本物】です。しかし、鍵が本物であることと、「今すぐ使うべきであること」は全く別の問題です』
その頼もしいプロの言葉に、両国のトップが頷く。
「アルファ。あなたの見立ては?」
ヘイズ大統領が、最も信頼する影の長官に意見を求めた。
アルファは、深い影の中から、いつものように感情の一切ない声で分析を披露した。
『伝承、現象、音声データ、鍵の要求プロトコル、そして空に浮かんだ幻影都市の内容を総合する限り。……このアーティファクトは、極めて有益なテクノロジーである可能性が高いと判断します』
会議室の空気が、少しだけ緩みかけた。
『目的は、おそらく都市の繁栄と保護』
アルファは続ける。
『主機能は、砂漠における極端な温度調整、都市全体の冷却、大気中からの大規模な水分回収、砂漠の浸食を防ぐ環境制御。……そして、物理的な都市防護、外部に対する認識攪乱(ホログラムの展開)。
さらに、伝承の「道を守れ」という言葉から推測するに……中立的な交易路、あるいは安全な交渉都市としてのシステム維持機能も含まれている可能性があります』
「……ドバイそのものを、物理的・環境的に守り育てる装置、ということですか」
矢崎総理が、感心したように言う。
『はい』
アルファは頷いた。
『少なくとも、万象器のように世界の資源価値を根本から破壊する万能物質生成装置ではない。
ロシアのサイボーグ兵のように、軍事力そのものを直接的に増幅して他国を侵略する兵器でもない。
中国の仙人ルートのように、人間の思想を直接変質させる精神的アーティファクトとも異なる。
……純粋な【固定型の都市核(インフラシステム)】と見るべきです』
「つまり……このアーティファクト単独が、アメリカや日本の安全保障に対して、直接的な不都合(脅威)をもたらす可能性は、現時点では極めて低いということだな」
アメリカの国務省担当が、少し安堵したように確認する。
「固定型であり、持ち運びはできない。ドバイ周辺でしか本領を発揮しない。機能も都市繁栄と防御に特化している。即座に世界覇権を取って他国を攻撃するようなものではない」
『少なくとも、短期的には』
アルファが、冷水を浴びせるように言った。
「長期的には?」
沖田が鋭く問う。
『ドバイが、アーティファクト時代における強固な【中立都市】、絶対安全な交易都市、あるいは国家間の【安全会議場】として浮上する可能性があります』
アルファは、地政学的な未来図を描く。
『それは、アメリカにとっても日本にとっても、決して不利益ではありません。むしろ、使い方次第では大きな利益となります』
「……ただし、リスクはあります」
アルファの声の温度が、一気に下がった。
「最大の問題は……中東という火薬庫のど真ん中に、新たな【アーティファクト国家】が誕生してしまうことです」
「UAEが、第六極になるということか」
防衛省の幹部が、深刻な顔で言う。
『その可能性は十分にあります』
アルファが肯定する。
『アメリカ、ロシア、中国、EU、日本に続く、新しいアーティファクト保有極。
しかも、場所が中東です。エネルギー、金融、物流、宗教、そして軍事と海上交通路の巨大な交点。……世界の地政学的な重心が、一気に動きます』
「周辺国……特にイランの反応は、最大限警戒すべきだ」
CIAの分析官が、深刻な懸念を口にする。
「ドバイに都市防衛・気候制御・光学攪乱能力が備われば、彼らは『軍事バランスがアメリカ寄りの湾岸国家によって決定的に崩された』と見なす可能性が高い。UAEが親米寄りであることが、さらに疑念と反発を強めるだろう」
「イランから見れば、アメリカの息のかかった国に、異星の絶対防衛システムが誕生するわけですからね。脅威以外の何物でもない」
日本の防衛省幹部も同意する。
『しかも、このアーティファクトが本当に【防御専用】なのかどうか。外部からは絶対に分かりません』
アルファが、冷酷な真理を突く。
『相手は、必ず【最悪】を想定します』
「我々は、他国を攻撃するような兵器を得たわけではない」
アミール王子が、反論する。
『それを、言葉だけでどうやって国際社会に証明するかが問題なのです、王子』
アルファが、静かに窘めた。
「……では、万象器の時のように。鍵を使わず、このまま【封印】する選択は?」
矢崎総理が、もう一つの選択肢を提示した。
『物理的には可能ですが。……推奨はしません』
アルファの答えに、会議室が少しざわつく。
『理由は三つあります』
アルファは、論理的に説明する。
『第一に、すでに幻影都市の映像がSNSで世界中に拡散され、存在が完全に公開されてしまっていること。
第二に、鍵と本体が、全く別々の場所にあること。
第三に、現地が中東であること。
……この状態で放置すれば。必ず、ロシア、非国家勢力(テロリスト)、あるいは周辺国が、鍵か本体のどちらか、あるいは両方を狙って動きます』
アルファの言葉は、恐ろしい未来を予測していた。
『最悪の場合、ドバイが多国籍の武装勢力によって奇襲を受け、本体または鍵を奪われる。そして、奪った第三国が、安全確認もなしに強制起動を試みる可能性すらある』
「……放置は、安全ではないということね」
ヘイズ大統領が、ため息をついた。
『はい』
アルファが頷く。
『起動しないリスクも、起動するリスクと全く同じくらい重いのです』
「ロシアは、すでに情報収集を本格化させていると見られます」
CIA分析官が、ロシアの動きを警告する。
「彼らが直接軍事行動を起こすのは難しいでしょうが……内部協力者の獲得、サイバー攻撃、現地業者への接触、偽装投資、周辺国を経由した工作は、十分あり得ます」
「もし、ロシアに奪われれば?」
日本の防衛省幹部が問う。
「固定型のシステムなので、すぐにモスクワに持ち帰って運用するのは難しいでしょう」
ケンドール博士が答える。
「しかし……彼らに認証機構を解析されるだけでも極めて危険です」
『ロシアは、これを使ってドバイを支配するよりも、まず【弱点】を探すはずです』
アルファが補足する。
『都市防衛システムの無効化。鍵の複製。防衛モードの意図的な誘発。そして、UAEとアメリカ・日本の関係悪化工作。……彼らなら、いずれも現実的に実行してきます』
「では、逆に【起動】する場合のリスクは?」
矢崎総理が、もう一つの選択肢の危険性を確認する。
「未知の範囲が多すぎます」
ケンドール博士が、厳しい顔で答える。
「起動すれば、間違いなく都市環境制御が始まる可能性があります。しかし、それがどこまでの範囲に作用するかは不明。周辺の気候への悪影響も不明。……何より、認識攪乱機能が、民間の航空機、衛星通信、あるいは軍事レーダーへ致命的な影響を及ぼす可能性もあります」
「また、伝承上の“道を守る”という言葉が、システム上何を意味するのかも不明です」
沖田が、一番の懸念を口にする。
「都市を守るために、システム自身が、強欲な支配者(UAEの王族)を【敵】と見なして排除する可能性もある」
「……」
アミール王子は、黙ってそのすべてのリスクを聞いていた。
「選択肢は、三つに絞られます」
沖田が、議論を整理した。
「一つ目は、完全封印。鍵と本体を別々に隠す。短期的には安全ですが、強奪対象が二つになり、世界中にバレている以上、隠し通せません。UAEは防衛カードを失い、ただの標的になります。
二つ目は、即時起動。アーティファクトの機能を確認し、UAEは防衛・環境機能を得る。しかし、未知の作用による暴走や、周辺国への激しい刺激という巨大なリスクが伴う。
……そして三つ目が。国際的な監視下での、【限定起動】です」
「現実的なのは、三つ目の限定起動ね」
ヘイズ大統領が、即座に同意した。
「放置すれば奪われる。かといって、即座に全開(フルパワー)にするのは危険すぎる。……なら、我々の見える場所で、厳しい制限付きで起こすしかないわ」
アミール王子は、画面越しの矢崎総理を真っ直ぐに見つめた。
「日本総理。……あなたの意見を、聞かせてください」
矢崎総理は、少しの間、沈黙した。
(三神編集長なら、ここでどう言うかしら……)と内心で思いながらも、国家のリーダーとしての決断を口にした。
「万象器の時、日本は“使わない”ことを提案しました」
総理は、静かに語り始めた。
「しかし、今回も全く同じ答えでよいとは限りません。……万象器は、世界の価値を破壊する力でした。ですが、この都市核は、少なくとも現時点では、都市を守り、都市を育てるために待っているように見えます」
「ならば、封印だけが正解とは言えない。
……ですが、使うなら【条件】があります」
総理は、5つの条件を突きつけた。
「第一に、UAEはこれを他国を支配し、脅かす道具にはしないと明言すること。
第二に、ドバイを閉ざされた要塞にするのではなく、世界に対して『開かれた道』として扱うこと。
第三に、周辺国を刺激しすぎないよう、事前に十分な説明を準備すること。
第四に、起動は極めて限定的に行い、少しでも異常があれば即時停止を検討すること。
第五に。……日本とアメリカを含む外部評価チームが、最低限の観測(データ共有)を継続して行うこと。
……それを受け入れられるなら。私は、鍵を使うことに反対しません」
アミール王子は、総理の言葉に深く聞き入っていた。
「アメリカとしても、UAEがこれを扱うことには懸念があるわ」
次に、ヘイズ大統領が現実主義的な意見を述べる。
「中東という火薬庫に、新しいアーティファクト保有国が生まれるのだから当然よ。……でも、現実を見ましょう。
これはもう見つかった。動画は世界中に広がった。鍵も見つかった。……なら、これを“なかったこと”には絶対にできないのよ」
ヘイズは、大統領としての冷徹な目を王子に向けた。
「アメリカ合衆国は、UAEの主権を尊重するわ。……ただし、条件付きで」
ヘイズの条件は、より実務的で厳しいものだった。
「本体の軍事転用禁止。アメリカ・日本への全観測データのリアルタイム共有。ロシア・非国家勢力への技術流出の絶対防止。周辺国への透明性ある説明。都市防衛機能の安全な範囲確認。そして、民間航空・衛星・通信への影響の完全な評価」
ヘイズは、ふっと自嘲気味に笑って言った。
「率直に言えば……アメリカとしては、これが欲しいわ。
……でも、奪うべきではない。
そして、奪わないと決めたのなら……UAEが、これを【正しく扱う】のを、我々が全力で助ける(管理する)しかないのよ」
超大国アメリカが、自らの欲望を認めた上で、それを抑え込んでいる。その事実に、アミール王子は小さく息を吐いた。
「……このアーティファクトは、都市を選び、そして都市に【試験】を課しているように見えます」
アルファが、最後に全体の議論を総括した。
「問われているのは、UAEが強大な軍事力を得るかどうかではありません。
ドバイが、これからも【道】であり続けられるか、です」
アルファの言葉が、サイード老の伝承と重なる。
「もしUAEが、これを他国を支配する道具にすれば。……伝承どおり、アーティファクトはUAE自身を敵と見なす可能性があります。
逆に、UAEが中立交易都市、環境保護都市、安全な交渉都市としてこれまで通り振る舞うなら……この都市核は、極めて有益なものとなるでしょう」
「つまり、すべては王子次第ということ?」
ヘイズが問う。
「王子だけではありません」
アルファが訂正する。
「UAEという【国家】が、これからどう振る舞うか次第です」
アミール王子は、長い沈黙の後、静かに口を開いた。
「砂漠の客人は……『道を守れ』と、そう言った」
王子の目には、王族としての覚悟が宿っていた。
「ならば、我々はまず、その言葉を【公式な誓約】にする必要があります」
王子は、背後に控えるUAE側の担当者へ、鋭く指示を飛ばした。
「直ちに声明案を準備しろ。
ミラージュ・コアを、軍事侵攻の道具にはしない。
ドバイを、閉ざされた要塞にはしない。
これまで通り、世界の交易と交渉の『道』を守る。水と都市環境の恩恵は、可能な範囲で国際協力へと向ける。
……ただし。ドバイの主権と、市民の安全は、決して他国に譲らない。そのためにのみ、この力を用いる、と」
沖田は、その王子の決断の言葉を聞いて、少しだけ満足げに頷いた。
「……少なくとも、強大な鍵を持つ者の最初の言葉としては、悪くありません」
アミール王子は、ガラスケースの中の黒い石に視線を戻した。
「では、確認を……」
王子がガラスケースを開ける許可を出そうとした、その時。
「王子。お待ちください」
沖田が、鋭い声でそれを止めた。
「鍵の形状確認は必要です。……しかし、今すぐの【起動】はまだです」
「ええ。同意します」
ケンドール博士も、画面越しに強く同調した。
「鍵を工事現場の地下へ輸送する前に。起動手順、周辺市民の退避範囲の設定、観測機器の適正な配置、通信遮断対策、そして何より、誤作動時の【緊急停止手順】を完全に準備する必要があります」
「準備もなしに神話の鍵を差し込むなんて、映画なら盛り上がるでしょうけど……現実でやれば、ただの最悪のテロよ」
ヘイズ大統領が、呆れたように言う。
「……次は、慎重にいきましょう」
矢崎総理も、静かに釘を刺した。
アミール王子は、自らの焦りを恥じるように、深く頷いた。
「分かりました。
……今日は、この鍵の存在を確認するに留める。明日、すべての安全条件と国際的な合意を整える。
その上で。……この鍵を、所定の場所へと戻します」
王族の管理官が、厳重なプロトコルに従い、ガラスケースのロックを解除した。
誰も、素手では触れない。
非接触の特殊なホルダーアームが、ゆっくりと黒い多面体の石を持ち上げる。
その瞬間。
黒い石の内部に閉じ込められていた、星のような無数の光点が、まるで心臓の鼓動のように、一気に強く、激しく輝きを増した。
『――こちら現場!』
同時に、アメリカ側の通信機に、工事現場の地下区画で監視を続けているセレスティアル・ウォッチの観測員から、悲鳴のような緊急通信が入った。
『地下のアーティファクトの音声が……変わりました!』
「何!?」
全員が息を呑む。
通信越しに、現場の黒い多面体から発せられている、新しい音声が流れてきた。
最初はアラビア語。
次に英語。
『――認証鍵を、確認しました』
『“Authorized key detected.”』
『――所定位置への帰還を、待機しています』
『“Awaiting return to designated position.”』
宝物庫の部屋の空気が、完全に凍りついた。
鍵は、間違いなく本物だった。
数キロ離れた地下の本体が、鍵がケースから出されたことを正確に認識し、自らの意思で次のフェーズへと移行したのだ。
アミール王子は、非接触ホルダーに掴まれ、青白く脈動する黒い石を、ただ黙って見つめていた。
その石は、何百年もの深い沈黙を破り、まるで都市そのものの心臓のように、生々しく鼓動している。
鍵は、見つかった。
だがそれは、ドバイが新たな力を得たという単純なハッピーエンドを意味するものではない。
砂漠の客人が残した、文明の存亡を懸けた『問い』に対して、彼らがようやく「答えを求められる場所」へと立ったという、重く、恐ろしい事実の証明に過ぎなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!