銀河皇帝のスペアに転生した元社畜、地球軌道上の要塞でネトゲ三昧の隠居生活を満喫する 〜足元では超大国が滅亡級の異星遺産を巡って暗躍中ですが、主人公(ぼく)の命は絶対安全なので特等席で傍観します〜   作:パラレル・ゲーマー

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第80話 ミラージュ・コア、限定起動

 UAE政府が公式に発表した、『ミラージュ・コア(幻影都市の核)』の限定起動日。

 

 ドバイ郊外の広大な工事現場は、数日前とは比べ物にならない、完全な重武装の物理封鎖が完了していた。

 だが、今回は世界中を出し抜くような秘密裏の作業ではない。

 UAEの公式記録班が入り、限定的ではあるが、起動の様子はリアルタイムで世界へと公開・配信されることになっていた。

(ただし、起動手順の核心部分、鍵の具体的な形状、台座の正確な構造といった『システムハッキングの足がかり』となる情報は、意図的にカメラの死角となるように厳重に伏せられている)

 

 現場には、アミール王子を筆頭とするUAEの要人たちと、沖田室長率いる日米合同評価チーム。

 その周囲を取り囲むように、UAE警察の対テロ部隊、軍の特殊警備部隊が展開。空には対ドローン網が敷かれ、地上には電磁波観測機器、気象観測レーダー、熱分布センサーが林立している。万が一の暴走に備え、衛星通信のバックアップ回線と、即時退避用の装甲車両、医療班までが完全にスタンバイしていた。

 

 遠く離れた首相官邸地下では矢崎総理が、ホワイトハウス地下ではヘイズ大統領が、それぞれ暗号通信のモニター越しに、この歴史的な瞬間に息を潜めて見入っている。

 

『……起動前確認(プレ・フライト・チェック)を行います』

 

 アメリカから専用回線で接続しているケンドール博士の声が、地下の仮設テント内に響き渡った。

 画面の中の彼は、狂気的なテクノロジーを目の前にしているにもかかわらず、極めて落ち着いた、プロフェッショナルな表情を崩していなかった。

 

『第一。アーティファクト本体、および周辺の地殻に、破壊的なエネルギーの蓄積反応なし』

『第二。宝物庫から移送した「鍵」の脈動周期、および周波数は安定』

『第三。周辺の気象異常(気温低下・湿度上昇)は、依然として極めて低レベルを維持』

『第四。音声案内は、前回確認時と同一パターンをループ中』

『第五。……外部からの、システム強制起動を示す兆候なし』

 

 ケンドールは、チェックリストを一つ一つ読み上げ、クリアしていく。

 

『第六。退避ライン(デッドライン)の設定完了』

『第七。全観測機器、正常稼働』

『第八。通信バックアップの確保、完了』

 

 ケンドール博士は、画面越しに沖田とアミール王子を真っ直ぐに見た。

 

『以上。……ミラージュ・コアの限定起動試験は、実施可能と判断します』

 

 UAEの科学顧問が、張り詰めていた糸が少しだけ緩んだように、ホッと息を吐いた。

 

 だが、沖田室長はまだ全く表情を緩めていなかった。

 

「……実施可能であって、絶対の『安全確定』ではないということですね」

 沖田が、冷徹な声で確認する。

 

『その通りです、ミスター・オキタ』

 ケンドールは、誤魔化すことなく頷いた。

『未知のシステムの起動に、百パーセントの安全などあり得ない。……だからこそ、我々は厳密に【手順】を守るのです』

 

 アミール王子は、深く頷き、力強い声で命じた。

「始めましょう」

 

 王族の宝物庫から運び出された黒い鍵は、厳重な電磁シールドを施された特殊な輸送ケースに入れられていた。

 

 その外見は、手のひらに乗るほどの、小さな黒い多面体の石に過ぎない。

 しかし、その漆黒の内部には、まるで星空のような無数の光点が脈打ち、まるで生き物の心臓のように確かなエネルギーを放っていた。

 

 防護服を着たUAEの技術スタッフが、輸送ケースを慎重に開け、地下区画の最奥部――黒い多面体アーティファクト(コア端末)の置かれた隔離フィールドへと近づけていく。

 

 その瞬間。

 数日前からずっと同じアナウンスを繰り返していたコア端末の音声が、ピタリと止まり。

 

 そして、新たな音声が響き渡った。

 

『――認証鍵の、接近を確認』

 

 アラビア語。

 続いて、英語。

 

『“Authorized key approaching.”』

 

 そして、三番目に再生された言語に。

 日本側のメンバーが、一斉にハッと息を呑んで反応した。

 

『【認証鍵の接近を確認しました】』

 

 完璧なアクセントの、日本語。

 

「日本語にも、対応した……?」

 日本の科学技術担当の幹部が、信じられないというように目を見開いた。

 

『おそらく、我々がここ数日間、現場でやり取りしていた無線や通信のログ(電波)から、周囲で使用されている言語のパターンを学習し、推定したのでしょう』

 ケンドール博士が、驚嘆の混じった声で分析する。

『……翻訳と環境適応の速度が、異常なほどに速い』

 

「アーティファクトが、明確に『地球人を相手にする(対話する)』という前提が、さらに強まりましたね」

 沖田が、その知性の高さに戦慄しながら言った。

 

 鍵を持った技術スタッフが、さらにコア端末へと近づく。

 距離が数メートルまで縮まった時、コアは新しい【指示】を出した。

 

『――認証鍵を確認しました。

 起動準備を開始します。

 

 ……【所定の位置に、コアを移動させてください】』

 

「っ!?」

 現場の全員の動きが一瞬止まった。

 

「鍵を置くのではなく……コア本体を移動させろと?」

 UAEの科学顧問が、困惑した声を上げる。

 

『おそらく、目の前にあるこの黒い多面体は、巨大なシステム全体の【端末(インターフェース)】に過ぎないのでしょう』

 ケンドールが即座に分析する。

『真の都市核(メインフレーム)へ接続するために、この端末を、現場内の指定された位置(正しい接続ポート)へと配置する必要があるのだと推測されます』

 

「所定の位置とは?」

 日本の科学技術担当が周囲を見回す。

 

 その瞬間。

 黒い珪砂層がむき出しになっていた地下の床面に、まるでレーザーで描かれたような青白い【光の線】が走り始めた。

 

 幾何学的な模様が床全体に浮かび上がり、その光の線の収束する中心地点に、わずかに隆起した【台座】のような場所が形成された。

 

『――誘導線を表示しました。

 指定位置まで、移動してください』

 

 コアが、親切にナビゲートをしてくる。

 

 アミール王子は、沖田と、モニターのケンドール博士を見た。

 未知のアーティファクトを、物理的に動かせという指示。トラップか、それとも正規の手順か。

 

「触れずに移動できるなら、非接触ホルダーで」

 沖田が、即座に安全策を提案する。

 

『同意します』

 ケンドールも頷いた。

 

 UAEの技術スタッフが、息を止めながら、特殊なアームのついた非接触ホルダーを操作し、黒い多面体端末をゆっくりと持ち上げる。

 現場の全員が、固唾を呑んでその様子を見守った。

 

 コアは、持ち上げられても一切の抵抗を示さなかった。

 異常な熱を出すこともなく、警告音を鳴らすこともない。ただ静かに、青白い光を明滅させているだけだ。

 

 床に浮かび上がった光の誘導線に沿って、慎重に、ゆっくりと指定位置(台座)へと移動させていく。

 

 あと一メートル。

 五十センチ。

 十センチ。

 

 そして、コア端末が、光る台座の中央に静かに降ろされた。

 

『――位置合わせ中』

 

 コアから、無機質な音声が流れる。

 

『角度補正中。

 重力基準補正中。

 ……都市座標、再同期中』

 

 数秒の沈黙の後。

 

『【位置移動、完了】』

 

 その言葉とともに、周囲の黒い珪砂層全体に、目も眩むような青白い光が走った。

 

 ズゥゥゥゥン……。

 地面の下深く、はるか地底の底で、途方もなく巨大な何かが目を覚ますような、地響きのような低い振動が響き渡る。

 だが、それは地震のような破壊的な揺れではない。

 都市の深部で、巨大なサーバー群に一斉に電源が入り、システムが静かに稼働を始めたような……極めて規則正しく、安定した目覚めの振動だった。

 

「次に、認証鍵を」

 ケンドール博士の指示が飛ぶ。

 

 台座の中央に鎮座したコア端末の横に、小さな凹み(ポート)が開いていた。

 

『――認証鍵を入力してください』

 

 アミール王子が、静かに一歩、前に進み出た。

 ここからは、作業員ではなく、王族である彼自身がやらねばならない。

 

 沖田が、最後に確認する。

「……王子。本当に、よろしいのですか?」

 鍵を差し込めば、もう後戻りはできない。

 

「はい」

 アミール王子は、迷いのない瞳で沖田を見た。

「これは、UAE(自国)の防衛や利益のためだけではありません。

 ……ドバイが、世界を繋ぐ『道』であり続けられるかを試す、我々の覚悟の証明です」

 

 王子は、技術スタッフから非接触ホルダーを受け取り、その先端に保持された黒い星空のような鍵を、台座の凹みへとゆっくりと近づけていった。

 

 鍵は、吸い込まれるように、音もなく凹みへと収まった。

 

 一瞬。

 コアの青白い光が、完全に消えた。

 

 完全な、漆黒の沈黙。

 

 そして。

 次の瞬間、地下空間全体が、まるで真昼の太陽のような強烈な青白い光の奔流に包み込まれた。

 

『――認証鍵を、受理しました』

 

 光の中から、これまで以上にクリアで、響き渡るようなコアの音声が放たれる。

 

『管理者認証を開始。

 ……都市核起動シーケンス、開始』

 

 数秒ののち。

 

『【起動、完了】』

 

「っ!?」

 現場の空気が、一瞬呆気に取られたように止まった。

 

「……起動完了?」

 アメリカの技術担当が、モニターの異常なまでの安定を示す数値を見て、信じられないというように呟く。

「あまりにも……あっさりしすぎている」

 

「早すぎる」

 UAEの科学顧問も、唖然としている。

 通常、これほど巨大なシステム(アーティファクト)が起動すれば、莫大なエネルギーの放出や、空間の歪みといった派手な現象が伴うはずだ。しかし、システムは、まるで日常的にパソコンの電源を入れたかのように、極めて事務的に処理を完了させていた。

 

 だが、驚愕はここからだった。

 

『――マッピング開始』

 コアの音声が、無慈悲なほどの処理速度で、次々とタスクを読み上げていく。

 

『地形情報、取得』

『都市インフラ、接続』

『気候情報、取得』

『水循環情報、取得』

『電力網、照合』

『交通網、照合』

『人口流動、推定』

『通信網、照合』

『建築構造、認識』

 

 わずか数十秒の間に。ドバイという巨大都市を構成するあらゆる情報(ビッグデータ)が、システムへと吸い上げられ、解析されていく。

 

 そして、コアは、絶対的な支配者のような、しかし極めて冷徹な宣言を行った。

 

『――【ドバイ全域を、管理下に置きました】』

 

 現場が、完全に固まった。

 

「……ドバイ全域を?」

 沖田が、思わず確認するように聞き返した。

 

『肯定』

 コアは、一切の感情を交えずに答えた。

『管理区域:ドバイ都市圏。

 ……現在、待機モードです』

 

「起動は完了したのに、待機モード?」

 日本の科学技術担当が混乱する。

 

 アミール王子の前に、青白い光の粒子が集まり、ホログラムのインターフェースが展開された。

 

『管理者を認証しました』

 コアの音声が、明確に王子に向かって語りかける。

『アミール・アル=マクトゥーム。

 ……現在の管理権限:【限定管理者】』

 

「……限定管理者?」

 アミール王子が、眉を寄せて問う。王族であり、正当な鍵を入力した自分が、「限定」だと?

 

『肯定』

 コアは、冷酷なシステムの仕様を告げる。

『上位都市管理権限の完全な開放には。……都市の継続性、交易の維持、住民保護、外部との道の開放を基準とした【都市誓約の継続的な遵守】が必須となります。

 本システムは、管理者の行動を評価し、段階的に権限を付与します』

 

 コアは、警告する。

 

『もし管理者が、都市の利益(交易と調和)に反する命令を行った場合。……権限は即座に制限、または剥奪されます』

 

「っ……」

 UAEの安全保障担当が、息を呑んだ。

 

 つまり、UAEの王族であっても、このアーティファクトの「完全な支配者」にはなれないのだ。

 都市核(ミラージュ・コア)は、特定の国家や個人の利益のためではなく、「都市(システム)そのもの」を維持することを絶対的な基準としている。

 

「……やはり」

 沖田は、サイード老の言葉を思い出し、小さく呟いた。

「都市を守る敵は、外から来る者だけではない、か」

 支配者が道を誤れば、システム自身が支配者を排除する。それが、このアーティファクトの究極の『安全装置(縛り)』だった。

 

『管理者』

 コアが、非常に事務的に、アミール王子に向かって問いかけた。

 

『【何を、なさいますか?】』

 

「え……」

 アミール王子は、急に決定権を委ねられ、少し困惑した。

 

『温度調整ですか? 現在、待機モードです』

 

 まるで、高級ホテルのコンシェルジュのような、機械的な問いかけ。

 

「……何ができる?」

 アミール王子が、探るように聞く。

 

『回答します』

 コアは、自らの機能を淡々と羅列し始めた。

 

『管理区域内の、温度調整。湿度調整。大気からの水資源回収。砂嵐防護。個人単位の最適ナビゲーション。都市交通網の最適化。緊急避難誘導。危険物検知。武装持ち込み検知。

 都市防衛。認識攪乱防壁(ミラージュ・シールド)の展開。……建設モードによる建築支援。

 交易中立都市の支援。交渉区域の安定化。

 

 ……以上は、現在の初期権限(限定管理者)で実行可能です』

 

 現場が、再び静まり返る。

 気象制御から都市防衛、さらには治安維持まで。一つの都市を完璧な要塞かつ楽園にするための機能が、すべてパッケージ化されている。

 

「……建設モード?」

 UAEの科学顧問が、信じられないというように呟く。

 

『肯定』

 コアが答える。

『都市インフラおよび建築物の設計、構造の最適化、材料配置の支援、環境適応型建設のプロセスが可能です。

 ……ただし、現在の管理者権限、および都市誓約に反する(攻撃的、あるいは閉鎖的な)建設命令は、拒否されます』

 

 画面越しのケンドール博士が、驚愕に見開いた目を覆った。

『建設支援まで、システムに組み込まれているのか……! 本当に、星を一つ作り上げるための、極限まで最適化された開拓ツール(システム)だ』

 

「……お前は、何のために作られた?」

 アミール王子が、このアーティファクトの『設計思想』の根本を問うた。

 

『回答します』

 コアは、一切の躊躇なく、自らの存在意義を定義した。

 

『本システムは、過酷な砂漠環境に成立した【交易都市】の維持、繁栄、防護、拡張、および調停能力を支援するために設計されました。

 ……ドバイが「交易都市」として機能し続ける範囲の事象のみを、支援します』

 

 そして、コアは、自らに課せられた強固な『制限(ロック)』を明示した。

 

『目的:道の維持。

 禁止:道の閉鎖。

 禁止:他者への侵略。

 禁止:管理区域の機能を用いた、外部都市(国家・個人)への【能動的攻撃】。

 禁止:管理区域住民の大規模な犠牲を前提とした命令』

 

 アミール王子は、その「禁止事項」の羅列を聞いて、サイード老の伝承の言葉を鮮明に思い出した。

『道を支配するな。道を閉ざすな。道を守れ』

 

 伝承は、ただの教訓や詩ではなかった。

 それは、数千年前にこの地にシステムを設置した『客人』が残した、この都市核の【利用規約(ハードコードされた制約)】そのものだったのだ。

 

『……確認してください』

 その時、暗号通信の向こう側から、官邸地下の矢崎総理の声が鋭く響いた。

『温度調整や気象制御を行った場合……周辺地域や他国へ、悪影響(環境破壊)が出る可能性を』

 それは、万象器の解析時にケンドール博士が指摘した、「楽園を作るための代償(請求書)」に関する最も重要な懸念だった。

 

 沖田が、総理の指示を受け、コアに向かって質問を投げる。

「ミラージュ・コア。管理区域の温度や環境を調整した場合……周辺地域や他国へ、悪影響は出るか」

 

 コアは、間髪入れずに即答した。

 

『――否定』

 

『【超低レベル文明】が懸念する基本原則(物理的副作用)は、すべて安全設計(フェイルセーフ)に含まれています』

 

 現場の空気が、一瞬「カチン」と凍りついた。

 

「超低レベル、文明……」

 日本の科学技術担当が、少しムッとして呟く。

 

『怒るところではありませんよ』

 画面越しのケンドール博士が、苦笑しながら言った。

『宇宙全体の文明スケールから見れば、恒星間航行もできない我々の文明など、分類としてはおそらく「正確」です。……腹は立ちますがね』

 

 コアは、気にする様子もなく説明を続ける。

『管理区域の温度調整は、外部領域の熱収支、水循環、気象安定性、海流、および上空大気層へ悪影響を与えないよう、システム内で完全に補正(吸収・相殺)されます。

 ……外部への悪影響が発生するような命令は、「他者への攻撃」または「交易路の阻害」として分類されます。該当する命令は自動的にロックされ、実行されません。

 したがって、管理区域外への重大な悪影響は、システム上【許可されません】』

 

 現場が、深い安堵の静寂に包まれた。

 

 これは、極めて重要な回答だった。

 他者への攻撃ロック。そして、周辺悪影響ロック。

 

「熱を逃がすなら、どこかに熱が移動するはずです。水を回収するなら、どこかの水分が減るはずです」

 日本の科学技術担当が、地球の物理法則(保存則)の観点から、信じられないというように問う。

「基本的な質量とエネルギーの保存則は……どうなっているのですか?」

 

『補足説明』

 コアが答える。

『管理区域の調整には、局所位相熱交換、非接触エネルギー勾配制御、大気境界層の再構成、海風の強制誘導、および外部熱収支の位相外補正を使用します。

 ……超低レベル文明の物理モデルでは、部分的に説明不能(パラドックス)となりますが。

 システム全体としては、外部への損失の転嫁(ツケ払い)は発生しません』

 

 ケンドール博士が、わずかに身を乗り出した。

『……質量やエネルギー保存の法則を破っているわけではない。少なくとも、彼らの次元の観測範囲では帳尻が合っている。

 だが、地球側(我々)の観測範囲では、その計算式の全貌(帳尻)が見えないということか』

 

「つまり……我々から見れば、ただの『手品(魔法)』に見えるということですか」

 アメリカの技術担当が唖然とする。

 

『高度すぎる工学は、低レベル文明には魔法に見える。……あの有名な格言、まさにそれです』

 ケンドール博士の目には、恐怖よりも、未知の科学に触れた興奮が隠しきれなかった。

 

「他者への【攻撃ロック】」

 ヘイズ大統領が、ホワイトハウス地下から、最も政治的に重要なポイントを確認する。

「ミラージュ・コアを使って、他国を直接攻撃することは、絶対にできないのね?」

 

 アミール王子が、少し緊張してコアの答えを待つ。

 

『否定』

 コアは再び即答した。

『本システムは交易都市支援システムです。

 管理区域の機能を用いた、外部の都市、国家、個人への【能動的攻撃(侵略)】は許可されません。命令はシステムにより完全に拒否されます』

 

『……大きいですね』

 アルファが、通信越しに静かに言った。

 

「ええ」

 ヘイズ大統領も、深く頷く。

「かなり、大きいわ」

 

「少なくとも、UAEがこれを使って、他国を直接攻撃する兵器として運用することは不可能ということだ」

 沖田も、最も懸念されていた軍事的リスクが排除されたことに、確かな手応えを感じた。

 

「ただし、防衛(シールドや認識攪乱)はできる」

 防衛省幹部が補足する。

 

『はい。攻撃兵器ではなく、あくまで純粋な都市防衛、環境制御、中立都市支援のシステムです』

 アルファが総括する。

『この確固たる安全情報(データ)は、イランやロシアといった周辺国への、強力な【説明(説得)材料】として使えます』

 

 アミール王子は、大きく、深い息を吐き出した。

 肩にのしかかっていた途方もない重圧が、少しだけ軽くなった。

 

「ミラージュ・コア」

 王子は、明確な意思を持って命じた。

「現時点では……【待機モード】を維持してください。大規模な機能の起動は行いません」

 

『承認』

 コアが答える。

『待機モードを維持します。

 ……これより、管理者周辺【常駐支援】を開始します』

 

「周辺常駐?」

 アミール王子が聞き返す。

 

『肯定』

『管理者が、いつでもスムーズにオーダーを行えるよう、管理者の周囲に常時、ホログラム・インターフェースを展開します。……必要があれば、呼称、または意思入力により命令してください』

 

 アミール王子のすぐ横に、小さな青白い光の粒子が集まり、スマートフォンよりもさらに薄く、透明なインターフェースがフワリと浮かび上がった。

 それはまるで、巨大な都市のシステムそのものが、有能な秘書のように王子の隣にスッと寄り添って立ったかのようだった。

 

「……皆さん」

 アミール王子は、現地チームと、モニター越しの両国のトップに向き直った。

「起動は、成功です」

 

 UAE側のスタッフたちの間に、押し殺したような、しかし確かな歓声が広がった。

 だが、誰も派手には喜ばない。このアーティファクトの持つ圧倒的なポテンシャルを、まだ彼ら自身が完全に理解しきれていないからだ。

 

 矢崎総理は、官邸地下で、ホッと小さく息を吐いた。

「……成功したのね」

 

「今のところは、ですがね」

 ヘイズ大統領が、油断なく返す。

 

『しかし、極めて大きな収穫がありました』

 アルファが、今回の限定起動の成果を列挙する。

『他者への攻撃ロック。周辺悪影響のロック。限定管理者権限という縛り。そして、都市誓約という評価基準。

 ……これらは、人類がこのアーティファクトと共存していく上で、非常に良い【兆候(安全設計)】です』

 

「コアは、管理者の欲望を無制限に叶える魔法の装置ではない」

 沖田が、万象器との決定的な違いを指摘する。

「その点においては、万象器よりも遥かに『扱いやすい(理性的)』と言えます」

 

『同意します』

 ケンドール博士も頷く。

『ただし、技術的なレベルが万象器に劣るとは限りません。単に、用途が「都市管理」に極限まで特化しているだけです』

 

「……あの。では、少しだけ機能のテストを……」

 UAEの科学顧問が、興奮を抑えきれない様子で、恐る恐る提案した。

「まずは、一番安全そうな【温度調整】を試してみてもよろしいでしょうか?」

 

 日本の科学技術担当も、目を輝かせて強く同意した。

「私も、外気温が実際にどう変化するかを観察したいです! エネルギーフィールドで太陽光を遮るのか、熱を吸収するのか、大気境界層を再構成するのか……非常に興味深い!」

 

 沖田が、暴走しがちな科学者たちの熱を冷静に抑え込む。

「試験範囲は、極小に限定してください。都市全域ではなく、この工事現場の周辺のみです」

 

『賛成します』

 ケンドール博士も同調する。

『試験範囲は一平方キロメートル未満。温度変化は摂氏二度以内。

 ……湿度、気圧、風速、電磁ノイズ、衛星画像、熱分布のすべてのデータを完全に記録してください』

 

 アミール王子は、空中に浮かぶインターフェースに向かって、慎重に命じた。

「ミラージュ・コア。

 ……工事現場周辺の、限定区域。

 外気温を『二度』下げることは、可能か?」

 

『可能』

 コアが即答する。

『周辺地域への悪影響なし。……実行しますか?』

 

 アミール王子は、沖田、ケンドール博士、UAE科学顧問の顔を見た。

 全員が、無言で深く頷いた。

 

「……実行」

 

『――限定温度調整を、開始』

 

 コアの音声が響く。

 

『管理区域:工事現場周辺。

 目標変化:摂氏マイナス二度。

 ……補正開始』

 

 その瞬間。

 地上の空気が、フッと変わった。

 

 熱帯の砂漠特有の、肺に絡みつくような重く熱い風の質が、まるで初秋の高原の風のように、わずかに、しかし明らかに【軽く】なったのだ。

 

「温度、下がっています!」

 UAE科学顧問が、手元の計測器を見て叫びそうになるのを必死に堪えた。

 

「周辺の風速に、異常な乱れはなし」

 日本の科学技術担当が、数値を読み上げる。

「湿度変化、設定された許容範囲内。……熱源が移動(放熱)した痕跡が、周辺のどこにも見えません!」

 

「アメリカの衛星赤外線画像でも確認した」

 アメリカの技術担当が、モニターを指差す。

「限定された区域だけが、まるでそこだけ別の空間であるかのように、極めて滑らかに温度が下がっている」

 

『……都市気候制御機能は、本物です』

 ケンドール博士が、震える声でその事実を認定した。

 

「太陽光を単純に遮ったわけではない。熱をクーラーのように吸い込んだわけでもない。……境界面が、いや、これは……」

 日本の科学技術担当が、データを見ながらパニックに陥りかける。

 

『無理に現行の物理学で説明しようとすると、地球の既存の気象モデルが完全に崩壊します』

 ケンドール博士が、同じ科学者としてたしなめるように言った。

『だが、結果としての「観測データ」は取れる。今は、説明(理解)することよりも、事実を【記録】することに集中してください』

 

「もし……もし、都市全域でこれが完全に稼働したら」

 UAE科学顧問が、夢を見るような顔で呟く。

「夏季の異常な死亡率、膨大な電力需要、水消費問題、そして都市の構造そのものが……すべて、根底から変わります。ドバイは、文字通りの『楽園』になる」

 

「だからこそ、慎重にならねばならないのです」

 沖田が、冷や水を浴びせるように厳しく言った。

「都市を救うほどの絶大な技術ほど……社会のシステムと人間の精神を、後戻りできないほど劇的に変えてしまう。依存すれば、破滅です」

 

「今の温度調整は、どの程度の『出力』だ?」

 アミール王子が、コアのポテンシャルの限界を知るために問うた。

 

『回答します』

 コアは、一切の誇張なく答える。

 

『初期確認用の、超低出力です。

 ……最大都市環境制御能力の、【〇・〇〇三パーセント未満】です』

 

 現場が、三度目の静寂に包まれた。

 

「〇・〇〇三パーセント……?」

 アメリカの技術担当が、バカな、と呟く。

 

『……やめてくれ』

 画面越しのケンドール博士が、頭を抱えて呻いた。

『たった今の、たった二度下げるだけの実験データだけで、一流の科学論文が百本は書けるレベルだというのに。……それが、〇・〇〇三パーセント未満だと?』

 

『肯定』

 コアは、さらにとんでもない事実を告げる。

 

『都市全域の恒常的な快適化、砂嵐の完全防護、大気水回収、熱波の遮断、都市防衛、防災誘導、建設支援は。

 ……今後、段階的に【解放】されます』

 

「段階的?」

 アミール王子が聞き返す。

 

『肯定。

 ……管理者権限の成熟度と、【都市誓約の遵守状況】に応じて、制限が解除されます』

 

 またしても、試験(テスト)である。

 

『都市誓約条件』

 コアは、UAEという国家が今後背負うべき、重い契約内容を読み上げる。

 

『一、道を維持すること』

『二、交易を阻害しないこと』

『三、避難民、旅人、商人、交渉者の安全を守ること』

『四、管理区域の機能を、他者への侵略に用いないこと』

『五、都市住民を保護すること』

『六、外部の都市や環境への悪影響を、意図しないこと』

『七、管理者権限を、都市の私物化(個人の欲望)に用いないこと』

 

 アミール王子は、静かに、一言も漏らさずにその条件を聞き入っていた。

 

 これは、神からの無償の贈り物ではない。

 遵守できなければ力(権限)を奪われるという、厳格な【契約】だ。

 

『ドバイは、ただ便利な宝物を手に入れたわけじゃない』

 ホワイトハウスのヘイズ大統領が、通信越しに呟く。

『自国を監視する、絶対的な【監査官(システム)】を呼び起こしてしまったのね』

 

『その表現は、極めて正確です』

 アルファが同意する。

『あれは、都市を無条件に甘やかす神ではなく。……都市の在り方を審査し続ける、管理システムです』

 

「アーティファクトは……本当に、人類を甘やかしてはくれませんね」

 矢崎総理が、万象器の試練を思い出しながら、苦笑した。

 

「ですが、この明確な『攻撃ロック』と『誓約条件』は、周辺国に対する説明に大いに使えます」

 UAEの安全保障担当が、政治的な見地から発言する。

 

「ただし、相手がそれを素直に信じるとは限りませんがね」

 日本の外務省中東担当が、釘を刺す。

 

『それでも、データは強い』

 アルファが、冷静に戦略を立てる。

『起動時のクリーンなログ、コアの音声記録、極小に抑えられた温度調整範囲、そして外部への影響が一切出なかったという複数の観測データ。……これらをパッケージ化し、イランや周辺国へ提示しなさい。言葉(外交)だけよりも、遥かに強い説得力を持つ』

 

『公開しすぎるな。でも、隠しすぎるな。……難しい舵取りになるわね』

 ヘイズ大統領が、政治家としての難題を指摘する。

 

「アーティファクト時代の【透明性】とは、まさにそういうものなのでしょう」

 矢崎総理が、深く頷いた。

 

 アミール王子は、すぐさまUAE側のスタッフに指示を飛ばした。

「本日の限定起動の結果をまとめ、周辺国と国際社会へ向けて公式発表の準備をしろ」

 王子は、隠蔽することなく、堂々と公表する決断を下した。

「起動は成功。初期機能はあくまで『都市環境制御』に限定されていること。攻撃機能はシステム的にロックされており、他地域への悪影響もシステム上拒否されること。そして、今後も国際監視のもとで段階的な検証を行っていくこと。……すべて、事実のままに発表するのだ」

 

 日本側とアメリカ側のメンバーも、各政府への最終報告の作成に取り掛かる。

 

「……総理」

 沖田が、官邸地下へ向けて簡潔に報告する。

「限定起動は、成功です。

 現時点で、コアは都市防衛、環境制御、交易支援システムとして正常に振る舞っています。

 他者攻撃ロックを確認。周辺地域への悪影響ロックを確認。限定温度調整試験に、無事成功しました」

 

『分かりました』

 矢崎総理の声が、少しだけ弾んだ。

『皆様、本当にお疲れ様でした。……今夜は、世界中がまた、別の意味で眠れなくなりそうね』

 

 一連の試験を終え、地下から地上へと戻ってきた一行を待っていたのは。

 すっかり陽が落ち、深い夜の闇に包まれたドバイの砂漠だった。

 

 だが、その夜空は、昨日までとは違っていた。

 

「……あれを」

 

 誰かが、夜空を指差した。

 

 これまで陽炎のように揺らめく「幻影」に過ぎなかった未来都市の輪郭が。

 以前よりも、少しだけ……はっきりと、青白い光の線(グリッド)として、現実のドバイの上空に重なるようにして展開されていたのだ。

 

 道路の光。

 水路の輝き。

 空中回廊のアーチ。

 緑化帯の配置。

 太陽光反射塔のシルエット。

 そして、都市全体を覆う、薄い防壁の境界線。

 

 実体化したわけではない。だが、それは確かな『設計図(マスタープラン)』として、夜空に圧倒的な存在感を放って輝いている。

 

 アミール王子のすぐ隣で、常に付き従うように浮かんでいるコアの小さなインターフェースが、静かに告げた。

 

『――初期都市マップを、展開表示しています。

 管理者。……必要があれば、いつでもオーダーを』

 

 アミール王子は、その巨大な青白い幻影を見上げながら。

 喜びや達成感よりも、途方もない『責任の重さ』を両肩に感じていた。

 

「王子」

 沖田が、横に並んで空を見上げながら言った。

「……ドバイは明日から、間違いなく、世界で最も注目される都市になりますよ」

 

「……すでに、そうでした」

 アミール王子は、少しだけ苦笑して答えた。

「ただ、これからは……。

 世界からだけではなく。この【都市そのもの】に、我々の行いを見張られることになりそうです」

 

 砂漠の下で、何千年も眠っていた都市核は、ついに目を覚ました。

 

 だが、それはドバイに「無制限の力」という甘い果実を与えたのではない。

 ドバイという都市が、真の未来へ進むための、あまりにも厳格で重い【条件(誓約)】を突きつけたのだ。

 

 新しいアーティファクトの時代の幕開け。

 その最前線で、人類はまた一つ、未知の理(ことわり)と向き合うことになったのである。

 

 




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