盲目少女ととある終末世界   作:今はまだ匿名でお願いしますね

4 / 10
病院、異常発生

 これは学生、社会人を一定期間経験した者なら恐らく共感出来ると思うが。

 目覚めた瞬間に“ヤバい”と察する事がある。

 

「………」

 

 吉田泰三、医者歴36年のベテラン。

 

「………ヤバい」

 

 目覚めと共に彼は自分ががっつり寝坊した事を時計を見るまでもなく理解した。

 

 

 

 

───

──────

─────────

 

 空に高く上った血色の光球が照らす赤い空。普(・)段(・)通(・)り(・)のそれを横目に吉田は業務連絡を確認しつつ全力で病院の廊下を走っていた。

 昨日までと同じく通路には所々に錆と血痕が浮いている。

 

 社会人なら出来て当然、前提、基礎の基礎たる自己管理。

 そうだと分かっていても、吉田は同僚たちに文句を言わずにはいられなかった。

 

「───電話ぐらい掛けてくれたって良いじゃないか!!!」

 

 業務メール、業務電話共に着信は0。結局は寝坊だが、一応は安否不明という形になっていた筈の吉田を心配するような声は何処にも無い。

 50を超えたおっさんである吉田は恥も外聞も無く泣きたくなった。

 誰か一人でも心配してくれていたら我慢出来た。誰も自分の事なんか気にしちゃいなかった。辛い。耐えられない。

 

「──ぶへっ!?」

 

 そうやって負の思考のループに囚われていたからだろう。吉田は足元にあった物に気付けなかった。

 彼が何か濡れたような感覚を踏みつけたかと思った瞬間、視界は前から頭上へと反転し続く浮遊感の直後背中に強烈な衝撃が走る。

 

「……………あー、落ち着け。落ち着こう。これ以上無様を晒すな、吉田泰三」

 

 派手にすっころんだ事で、1周回って冷静になった吉田は身体に異常が無いか確認しつつ身を起こす。大人というのは30を過ぎた辺りから劇的に衰えていくのだ。若い頃の感覚でいると痛い目を見る事は医者である吉田自身がよく分かっていた。

 幸いにして骨が折れていたりとかそういった事もない。咄嗟に頭を庇ったから脳震盪さえ無かった。

 極めて正常、極めて平常、強いて言えば背中への軽い打撲だけ。

 総じて問題無しを確認して立ち上がった吉田は自分が何に躓いたのかと振り返る。

 

「…ネズミか。まったく衛生管理はどうなっているんだ?」

 

 潰されて液状になった体表、裏返ったピンクの内臓、皮膚の無い表面には疎らに4つ以上の小さな目と月光色のくすんだ前歯が見えている。

 ネズミの2倍体だ。野生でも都市でもやっていける彼らの繁殖適応力からして、普通は16倍体以上になるものである。この病院で発生した相当若い個体なのだろう。

 溶け合った境界がちゅいちゅいと音を立てて擦れていく。

 

「…うわっ!?」

 

 吉田の足元を赤く濡れたものが走り抜けた。それが何者であるか確認するより早く、地面に血の痕を付けたそれは2倍体ネズミに飛びついて貪り始める。

 

「な(・)ん(・)だ(・)、(・)ネ(・)コ(・)か(・)」

 

 この様子なら院内のネズミ掃討の為、ネコの投入を本格的に検討するべきかもしれない。

 

 ちゅいちゅいと鳴く部位を全身から覗かせる赤いネコは2倍体ネズミを平らげると、一回り重そうになった身体を引き摺って廊下を離れていった。

 

 

 

 

 

───

──────

─────────

 

「──次の方」

 

 あの後診察室へ駆け込んだ吉田は寝坊の埋め合わせをするように粛々と業務を熟していた。

 発熱、同居人に噛まれた、通行人に襲われた、目の充血、内出血。

 今日は何だかそういった症例がやたら多く、診察室はあっと言う間に血の臭いが充満した。

 

「やあ、中々大変そうだ」

 

「おや、昨日振りですね、〿〿〿〿さん」

 

 そうして暫くが過ぎた頃、見慣れた患者が診察室に姿を現した。それは両目を開いているが、その片方は暗く空洞を覗かせている。

 

「左目の事、残念でしたね」

 

「おや、知っていたのかい?」

 

「……?」

 

 何をおかしな事を言うのだろうかと吉田は小首を傾げて〿〿〿〿を見る。

 〿〿〿〿の左目は昨(・)日(・)の(・)時(・)点(・)で(・)失われていたじゃないか。

 

「いや、気にしないでくれ。私の勘違いだったかな」

 

「そうですか。では、本日は何か変調があったという事で?」

 

「そうだね。けれど私の勘違いだったようだ。存外、昨日に左目を失った衝撃が大きかったようで記憶が飛んでしまったらしい」

 

「……? 〿〿〿〿さんは2(・)ヶ(・)月(・)前(・)の(・)時(・)点(・)で(・)左目を失っていましたよね?」

 

「…………」

 

 〿〿〿〿は黙り込んで吉田を見つめる。一方の吉田も妙に噛み合わない会話に違和感を覚えていた。

 

「血の巡りが悪くなっているようなら、瀉血用ヒルを処方しますが…」

 

「折角だけど遠慮しておこうかな」

 

 「ただでさえ虚弱体質なのにこれ以上を血を抜かれたら昏倒してしまうよ」、冗談めかして〿〿〿〿は吉田に返した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。