光輝の都の頂へ〜元社畜、欲望渦巻く魔都にて傭兵生活を始める 作:ズブ左衛門
自由を求めて飛び出した扉の先は殺風景な廊下であり、無機質な強化コンクリート製の壁や床、天井と古めかしい蛍光灯という目覚めた部屋と大して変わりない見映えだが、先ほどの部屋よりも体積がある分だけ狭苦しさは感じない。
「うぅ、寒っ……って俺裸のままだった。でもあの薬臭いし汚い白衣を着るくらいなら裸の方がマシだ」
もう六月も半ばで梅雨に入ったというのにこの寒さは何なんだと思った彼だが、ここでようやく自らが全裸であることに気付いている。恥ずかしい上に秋の夜かと思うほどに肌寒いため、先ほど殴り倒した無断改造の下手人から白衣でも剥ぎ取ってやろうかと思ったが、あんなのを着たら脱出より先に刺激臭で鼻がおかしくなりそうだと思い直し止めている。
それでも着れそうな服の調達を意識するほどには気温が低く、せめて羽織れるものが欲しいと思っていた。こんなことで風邪を引きたくないし、何より拓郎に露出趣味などないのだから。
廊下には彼が出てきた部屋の他に三つの扉があり、奥には上へと続く階段がある。今のところ人の気配は感じられないものの、いつ階段や扉から姿を現してもおかしくない。ここは借金取りとその仲間のアジトのような場所であり、地の利は敵側にあるからだ。
そしてひとたび見つかれば脱出の成功率はほぼゼロにまで落ちてしまう。近接戦闘かつ敵が一人二人くらいなら肉体労働で鍛えられた拳で殴り倒せるが、施設内にいる人数や武装が全く分からないのに勝てると考えるほど能天気ではなかった。尤も、この冷静さをギャンブルで負のスパイラルに陥る前に発揮していればこんな目に遭うことなどなかったのだが。
「何でもいいから最低限まともな服が欲しい……」
唯一の武器にして持ち物である鉄パイプを固く握りしめ、微かな音も聞き逃さないようにしつつ現在地から最も近い扉へと忍び寄り、ゆっくりと開いていく。幸運にも蝶番は最初の部屋みたいに大して錆びたり外れかかったりしておらず、見た目に反してすんなりと開いた。
「げほ……何だこの埃っぽい部屋は」
そこは錆が浮いたり壊れかけた棚やタンスに、雑多で古ぼけた道具やいつ買ったかも分からない消耗品が雑然と並ぶ物置らしき部屋であり、扉を開けただけで鼻につく埃臭さから殆ど人が訪れていないことはすぐに感じられた。
とりあえず安全そうな部屋であることに安堵しホッと一息つくも、永遠にこんな部屋に留まるわけにはいかないので何か使えるものがないかと物色している。軍手がないどころか全裸での作業を強いられるためケガをするリスクは普段より高いが、背に腹は代えられない。
武器が鉄パイプだけでは心もとないため、リーチの長い得物として即席の槍でも作れないものかと思案するも、穂先になりそうな刃物はカッターナイフの替刃すらないし、柄にしようとした箒は長いのはいいが耐久性に問題があるため棒として使えるかすらも怪しい。
「ダメだ、武器になりそうなものどころか役に立ちそうなものすらない……」
特に今すぐ役立つものはないが、もし脱出が困難でありひとまずの隠れ場所が必要になった時にはごちゃごちゃしたここが使えるかもしれない。そんなことを思いつつ、拓郎は静かに物置らしき部屋を後にした。
階段の方向に聞き耳を立てつつ忍び歩きで歩く、鉄パイプを持った全裸の男。端から見れば紛うことなき不審者のそれだが、当の本人は至って真剣である。
「こっちの部屋は……誰かが暮らしてるのか? こんな不便そうな場所に住んでるなんてよっぽどの変人に違いない」
次の部屋はどうやら誰かの私室であり、六畳と少しの広さの部屋に机や簡素なベッドが無駄なく置かれ、照明は廊下と違って新しいLED式が部屋全体を照らしていた。しっかりと暖房が効いているのもあって体の震えはすぐに止まったが、人の生活感が色濃く残っているため長居は禁物だと自らを戒めている。
ちょっとだけ、あとちょっとだけ。そう自らを甘やかし続けた結果がこのザマなのだと繰り返し自らに言い聞かせると一直線にパソコンが置かれている机へと向かい、何か情報がないかスリープモードを解除したが、その直後に彼は面食らうことになった。
「何か情報は……げっ、嫌なこと思い出した」
『アマツサンミョウ号、厳しい展開ながらアシハラゴールドカップ(GⅠ:芝3600m)を制してGⅠ三勝目を達成! 次はいよいよ日本の秋古馬三冠制覇か、それとも豪州遠征か!?』
再び役目を果たし始めたパソコン画面に映っていたスポーツ記事は彼がこんな目に遭う一因となった競走馬についてであり、一面にでかでかと掲載された写真の題材となった、黄金のような美しい毛並みと引き締まった体を持つ馬が颯爽とゴールを通過する瞬間は昔の絵画のような趣すら感じさせるが、せっかくの万馬券を無価値な紙くずにされた彼からすればただ憎らしいだけである。
そんな逆恨みじみた感情を込めた視線を写真の馬に向けつつも、時を巻き戻すことはできないためそっとページを下にスクロールして見えないようにした。何もかもを奪われ裸に剥かれたまま閉じ込められ、現在日時が全く分からないままでは困るためだが、見ていて気分の良くなるものではないからだ。
「この記事の掲載時が二日前ってことは……最低でも二日はこんなところに閉じ込められてたのか」
記事の中身より大切なのは投稿された日時と経過日時であり、照らし合わせることで現在は二〇八七年六月二四日であると確認できている。競馬で一発逆転を狙ったのが六月二二日の夕方のため、丸二日以上に渡って昏睡させられていた彼にとってこれは貴重な情報であった。
「ここから出たらまずシャワー浴びたいな……」
そんな呑気なことを考えつつ更に数分ほど部屋を漁っていると、どうやらこの部屋はついさっきノックアウトした老人の私室らしいと気付いている。あの不潔さと無縁なばかりかやや狭めの部屋を無駄なく小綺麗にまとめてあったため両者の関係がうまく連想できなかったのだ。
服も綺麗なものが上下ともに何着かはあったのだが、純粋に体格が違いすぎて入らないため放置している。ガタイのよい拓郎と、細く低身長な老人では最低でも三サイズは違う。仮に入ったとしてパツパツの上下を身に着けても動きにくいだけだ。
「思いっきり殴り飛ばして悪かっ……いや俺何も悪くないわ。人さまの体を勝手に改造したのはアイツが悪い。でもそのおかげでひとまずは自由になったわけだし、やっぱり謝っとくか……? いや、いいか」
とはいえ、短時間ながら快適な部屋にいたことで心身の疲労が幾ばくか和らぎ、出る頃にはそんなしょうもないことを考えられるほどに緊張はほぐれ軽口が自然と飛び出すまでになっている。何ならこのままうまいこと脱出できるのではないかと思い始めていた。
その時、上階よりコツコツと階段を降りる不規則な音が聞こえたため、再び警戒心が最大まで跳ね上がる。急いで先ほどの物置部屋の前にある棚の陰へと小走りで向かい、物の隙間から慎重に様子を覗う態勢を整えた。地の利も武装も乏しい状態での戦闘は可能な限り避けねばならないからだ。
その数秒後には一人の男が踊り場に姿を現しそのまま階段を降りてきたのだが、物の隙間から覗いた状態でも分かるほど様子がおかしい。
「ああぃ……腹とケツが死ぬぅっ……! 誰だ間違えて安物の加熱用牡蠣を買ってきたクソダボ野郎は、何度も何度も生牡蠣パーティーだっつっただろうがっ……ぅおっ!!」
明らかに変だと分かるほどによろよろと階段を降りてきた男は、洒落にならない大ポカをやらかした仲間を口汚く罵りながらも体内から苛む強烈な痛みに腹を押さえ、苦悶の表情を隠そうともせずにこれから入ろうとした扉へと消えていく。
「じゃあ、最後の部屋はトイレなのか……」
扉の先がトイレだと分かったら探す意味は薄く、精々が咄嗟の隠れ場所になる程度の認識でありこのまま上階へと忍び込みたいと企むも、あの調子だと十分かそこらでは出てこれないだろうが、ふとした拍子に鉢合わせしてはたまらないのでどうにか無力化しないと背後を取られてしまう可能性があった。
人を無為に傷付けることを拓郎は嫌うが、相手は借金返済が遅れている『くらい』で人さまを拐った上に事実上の奴隷にし、娼館へ売り飛ばそうとした奴らとその仲間なので気にしないことにした。
追加で敵が来ないかだけ注意しながらそっと扉を開けるとそこは浴室であり、お手頃なビジネスホテルの個室にありがちなユニットバスが設置されているのだが、男はそこの洋式便器の隣にある洗面台に首を突っ込み、ゲーゲーという出来れば聞きたくない音を立てている。吐瀉物特有の酸っぱさとアルコールの混じった不快な臭いが立ち込める生々しい様に思わず声を出してしまった。
「うわ、くっさ!」
気の緩みから条件反射的に感想が漏れてしまったことに気付き、思わず口を手で覆ってしまうが遅かった。嘔吐していた男がぐるりと振り向いて彼を焦点の定まらない目で見たのだ。
「あ、やばっ」
脱出のためにも、自分を見たからにはただでは済ませてはならない。そんな覚悟と共に鉄パイプを振り上げ襲いかかろうとした拓郎であったが、その男は若干焦点の合わない目で彼を見ると、アルコールで喉が焼けた直後にありがちな声で彼に声をかけている。
「お、ぉぉ……お前もかよぉ……あぢょっどまっでる」
この男は腹痛以外にも明らかに酔っ払っており、後ろに立つ拓郎に同情を込めた目線を向けている。余りにも堂々としていたことから脱走者ではなく自分と同じ牡蠣に中ってしまった仲間だと誤認しており、多少よろめき呂律が回りにくくなった状態ながら順番を守れと伝えようとしていた。
まさか拘束されていた男が偶然が積み重なって逃げ出した上に隙あらば脳天に一撃入れようとしているなど考えられるはずもなく、拓郎が動かないのを見て自らの言葉が通じたのだと思い、自らの胃の中を空っぽにする苦行を再開している。
「ぉぃがぜひぐぞぉ……ぅゔぉえっぶ」
到底人の言葉とは思えぬ奇声と共に、胃から逆流してきた牡蠣やその他食材の成れの果て、そして胃液の混合物を洗面台に放出していく様はどこか同情と哀れみを誘うものであったが、拓郎は躊躇なく鉄パイプを振り上げ、洗面台に吐瀉物をぶちまける男の後頭部めがけて振り下ろした。この場だけ見れば確かに可哀想だが、この男は借金取りの仲間であり彼の脱出を阻む敵となりうるからだ。
「むぼぇ……!?」
ボコ、という鈍い音とともに後頭部へと到達した重量おおよそ二キロの鈍器は見事に男の意識を刈り取り、そのまま数秒前に吐き出したばかりの汚物に突っ込ませた。幸か不幸かそのまま自ら吐き出した物体で溺れ死ぬことはなかったが、洗面台からずり落ちる過程で半分以上溜まっていたそれを少なからず床にぶちまけている。
「よし、とりあえず一人……うわきったな、襟にゲロが付いてる……でも洗えば素っ裸よりはマシだよな」
とりあえず気絶した男は浴槽に隠して服を奪い取ろうとするも、顔を突っ込んだ拍子に汚物が付着している。それでも、シャワーで汚れた部分を軽く洗えば使えたため有り難く拝借した。その他の持ち物は殆どが役に立たなそうな小物や消耗品ばかりだが、オイルが切れかけたライターだけは回収する。脱出路の分からない屋内で無闇に火を放つのは愚の骨頂だが、奥の手として使えそうなものを手放したくはなかった。
「おお……昔映画で見たやつだ。袖口とか内ポケットに隠し持って、ターゲットが近付いてきたらサッと抜いて撃つやつ。デンジャーだっけ、シリンジャーだったかな……でも映画とかだと発砲音はしっかり出てたような気がする。暗殺用なのに何で?」
その中でも最大の収穫は、デリンジャーと呼ばれる小型で扱いやすい拳銃を手に入れたことである。二〇〇年以上の歳月が経ちその名の由来は殆ど忘れ去られていたが、有効射程が三メートルから五メートルと通常の拳銃の半分未満であることを除けば極めて使い勝手がよい上に、隠し持ちやすいため護身用として持ち歩く人は多くその特性から暗殺に用いられることも少なくない。
「うわ、これ二発しか弾がないのかよ。まあ、無いよりはマシだけど……」
そうして最低限外に出られる服と新たな武器を手に入れた拓郎は慎重に階段を上がっていく。今度は階段を含めて丁字路のようになっており、正面には先ほども見た鉄製の扉がある。照明も綺麗さも下の階とは段違いであり、所々に人の営みの痕跡が残されていた。
「一旦踊り場に引くべき……っ!」
「……ったく、ちょっとうたた寝してる間に折角のパーティーが地獄絵図になってやがる。ハリムのアホ野郎め、生食用の牡蠣だって何回も言ったのに加熱用牡蠣を買ってきやがって。後でしこたまぶん殴ってやるからな」
それはそれとして隠れ場所がないので、一旦下がって様子を見ようか。そう思って一歩後ろに下がった瞬間、突如として階段の正面にあった扉が開かれて中から一人の男が現れる。眠たげに目を擦っており特段警戒しているわけではないが、意識も視線もしっかり彼に向けていた。
「あ、お疲れ様〜」
ちょっと汚れているけど仲間の服を着ているし、一回きりなら何とか誤魔化せないだろうか。そんな淡い期待を込めて気さくに挨拶をしてみたが、先ほどの酔漢とは異なり大根役者じみた酷い演技力で騙されるほど酔っ払っていなかったのがいけなかった。
「ああ、お疲れ……酒の飲みすぎでこの世の終わりみたいな顔してたのに、やけに殊勝じゃないかイワンコフ……じゃないな。誰だお前? いや待て、思い出したぞ。お前、一昨日の競馬場で万馬券外してそのまま泡吹いて倒れたどアホだな。あの時のツラは死ぬほど笑えたが、どうやって脱走したんだ……」
服を奪っている上に油断もあって最初の数秒は何とか誤魔化せていたのだが、よく見れば両者は人種から背丈まで別人レベルで違うためすぐに見破られている。彼は知らなかったが拓郎の追跡と捕獲に携わっていたチームの一人であり、特に印象的な捕り物となった彼のことは宴席で話のタネにするほど覚えていたため、一瞬で債務者だともバレてしまった。
「まずい、バレた!」
「ああクソ、往生際の悪いアホめ……! 俺の仕事を増やしやがって!!」
正体が露呈した瞬間、彼は理解してしまった。秘密裏に抜け出す作戦は今この瞬間を以て破綻が確定してしまったことを。そして脱走が露呈してしまった以上、どう足掻いても強行突破するしか道が残されていないことを。
つまり、仲間を呼ばれる前にこの場で始末しないといけない。そんな現実を悟ってしまった彼は覚悟を決めた。そう、自らの意志で人を殺める覚悟だ。
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