光輝の都の頂へ〜元社畜、欲望渦巻く魔都にて傭兵生活を始める 作:ズブ左衛門
ニューヨシハラ地区西部にあるレジャーホテル『パラディーソ』。表向きは富裕層向け、とりわけ日本以外の外国から来訪した観光客向けの大規模屋内リゾート施設なのだが、その地下深くには『アンダー』と呼ばれる大規模な地下闘技場が鬼哭衆の支援のもとで存在している。
アシハラにおいて闘技場自体は、合法違法を問わなければ両手の指で数えても足りないほどには存在しており、何らかの武道や護身術の道場めいたとこから興行の側面が強い異種格闘技戦、この『アンダー』はそんな『空虚な見世物』など見飽きたモノ好きな金持ちのために、気軽に命が消費されることによってのみ生み出される異次元のスリルと熱狂を提供していた。
借金帳消しを餌に貧相な武器を持たされた多重債務者と飢えた遺伝子合成獣を戦わせたり、殺戮ロボット同士の戦闘や血に飢えたサイコたちのデスマッチ、債務者同士による仁義なき殺し合いなどよりどりみどり。剣闘士試合が大好きであった古代ローマ人ですら裸足で逃げ出すほどに血なまぐさく背徳的な娯楽が満喫できるのだ。
しかし、そんな大量の血と金が動く暗黒の快楽の御殿が栄華も永遠ではない。我が世の春を謳歌する支配人が過去に犯したものの、証拠不十分で闇に葬られたはずの罪咎を決して忘れず、怨念の代行者にして無慈悲なる復讐者となった者によってもたらされる終焉がすぐそこまで迫っていたのだ。
「大事な施設のクセにちょっとセキュリティがザル過ぎるな……まあどこもかしこもコーポどもの本社並みに厳重だと困るからこれでいいけど」
床にボタボタと溜まりゆく鮮血と焼け焦げた肉の臭いが充満しつつある『アンダー』の警備室で冷たい眼差しを向ける男、タチバナは悪臭の発生源に一瞬だけ侮蔑を込めた視線を向けると自らの為すべきことを為すべくサーバーへの接続を確立し、必要な情報を抜き出し制御を奪うべく準備を始めた。
本来なら不法侵入に加えてサーバーへの悪意ある接続という悪行を止めるべき存在はいたのだが、モニターを監視していた用心棒と専用の筐体に接続してサイバー空間を警戒していたネットウォッチャーは、彼という不届者の侵入を許した挙げ句最期までそれに気付かなかった。そんな番人として許されざる不始末の結果として、当の侵入者によって数十秒ほど前に勤務先を永続的に冥府へと変更させられている。
「で、コイツをこうして……げに素晴らしき第七・五世代プログラミングAI、コイツと自動反撃型ファイアウォールだけで大抵のセキュリティもサイバー戦もこなせるんだから」
そんな醜態を晒した者の末路を嗤うと、タチバナは首筋の高規格無線リンクを用いてメインサーバーへとアクセスしてシステムの奪取を始めた。彼の小脳付近には最新の軍用規格品を更にチューンナップしたサイバー戦用の機器が埋め込まれており、これ一つで大半の攻撃を完封した上で自動生成したウイルスプログラムやマルウェアによる反撃まで行える優れものである。そんな最新鋭のサイバネ機器と彼の的確な指示があれば、時代遅れのセキュリティプログラムが守るメインシステムの掌握など朝飯前だ。
「メインシステムの掌握完了……って二〇七七年製のもっさいプロテクトシステム使ってるのか。どうりで破るのが楽なわけだ」
障子紙を破るかのような容易さで防衛プログラムを撃ち破ったマルウェア群はセキュリティシステムだけならず、ローカルネットワーク経由で各サブシステムに侵入すると管理権限を片っ端から彼に書き換えていく。
ドアの制御やVIP会員専用ルームサービスの使用権、監視カメラのコントロールから猛獣の檻の施錠や緊急用タレットの制御権まで、ネットワーク接続されている設備の全てが今や彼の忠実なるしもべであり、合図(コマンド)を一つ送れば自らの役割を愚直に果たすだろう。
そんなネット空間上での蹂躙の様子はサイバーアイによって直接脳内に出力され、彼を満足させる。地下深くに築かれた要塞の全ては今や彼の掌の上であり、その気になれば今すぐ空調を暴走させて室内の人物を閉じ込めて全員蒸し焼きにしたり、全ての排水システムを逆流させ施設全体を海水で満たすことすら可能であった。
しかし今のところそんなことをするつもりはない。彼の目的は愉快犯的な大量殺戮ではなく復讐であり、そのためには標的を徹底的に追い詰め心身の両面で苦しめてから殺さないと復讐にならないのだから。
「アズラエル・フォン・ユージン……! ようやくお前に手が届く……六花の受けた苦しみを……お前にも味わってもらう時が来たぞ!」
そうして制御下に置いた監視カメラ越しに優雅にくつろぐ標的の姿を見た瞬間、タチバナの心に抑えようの無い憤怒と憎悪が一気に湧き上がる。人の幼馴染を心身共に辱めた上で吹きさらしの路上に打ち捨て死に追いやった奴が、のうのうと生きているどころか酒池肉林を楽しんでいるなんて絶対に許してはいけない。その笑顔を耐え難き苦痛で醜く歪めさせ、泣き喚いて死を乞い願うほどに責め苛まねば。
敵だけでなくその身すら焼き焦がしかねない狂気じみた激情と、そんな自身を俯瞰するかのような冷静な思考。本来なら相反するはずの要素の奇妙な同居こそが彼を単なる鉄砲玉ではなく優秀な復讐者たらしめている。
「絶っっ対に楽には死なせてやらんぞ、この汚らしい淫獣めが……」
機密保持及び賭博の公平性の担保のためか、通信機器の電波を遮断する機能も備えられていたのでありがたく作動させると、全ての出入り口を封鎖した。かくして完全に密室となった『アンダー』は復讐者が獲物を狩るための恐るべき狩場と化し、哀れな標的の最期の時が刻一刻と近付いてくる。
ハッキング時に入手した施設の全体図とメンテナンス用の通路詳細、そして現在地を組み合わせて視界の片隅に半透明で表示しながらダクトを伝って目的地へと迫っていく。アシハラの地下施設は湿気がたまりやすいため常に大量の空気を循環させる必要があり、通風ダクトも人がかがんで通れるほどには広いのだ。
しかし途中で何度かどうしてもダクトから出て通常の通路や部屋を通る必要があったが、その時は妨げとなる用心棒をダクトや小部屋に引き込んでから首をへし折るか、首筋を特殊合金製のコンバットナイフで引き裂いていく。呼吸をするかのような気軽さで行われる一方的かつ冷徹な殺戮であったが、彼自身はここの用心棒に対して何ら恨みも因縁もない。ただ標的の惨殺という目的の邪魔になるから機械的に排除しただけである。
「……ここか。あのゴミクズ野郎の部屋は」
僅か十分足らずで目的地の前まで到達したタチバナは慣れた手つきで音もなく通気口の蓋を外すと何と正面から押し入っている。本当ならこの上なく危険な行為なのだが、施設内のシステムを全て掌握しているためどこに誰がいるのか分かっており、恐れる必要など全くないのだ。
アズラエル・フォン・ユージンの強さは類まれなる相場の先読み能力と人に取り入る力であり、直接的な戦闘能力はストリートのチンピラに毛が生えた程度でしかない。それを知っているからこそ、彼は悪趣味なほどに飾り立てられたドアを乱暴に開け放つとピストルを片手にずかずかと押し入った。
「うし、邪魔するぞ」
「な、何だお前!? どこから入って……」
「いや、たった今正面から堂々と入ってきただろ。まあ、それはそれとして……」
想像すらしていなかった侵入者の姿に、ワイングラス片手にバスローブ姿で唖然とした表情のまま固まるアズラエル。まさか『アンダー』のシステム全体を掌握するという荒業で警備を突破したとは夢にも思ってもいなかったが、タチバナはそんなことお構いなしに机に置かれていたワインボトルをむんずと掴むと、憎みて余りある男の頭をへと思い切り振り下ろした。
「お前の死ぬ時間が来たぞ」
「おおぉあぁぁーーっ!」
スピーカーから流れる小気味よいジャズはガラスの割れる音と悲鳴によってかき消されるが、復讐者は獲物が痛みとショックから立ち直ることを許さず、追撃とばかりに仇敵の頭を鷲掴みにすると目の前にある机へと叩き付けた。
「……アズラエル・フォン・ユージン。お前の人生はここで終わりだ!」
胸のうちに宿る憤怒と憎悪を一気に解放し、目を見開いた状態で敵の頭を何度も叩きつける様は狂気に満ちているが、最愛の人の命と尊厳を奪った仇敵をすぐ楽にしてやらないほどの理性は残っている。単なる敵討ちなら押し入った時点で眉間と心臓にしこたま銃弾を叩き込めばいいだけなのだから。
「こ、こんなことしてた、タダで済むと思ってるのか!? 俺たちのバックには鬼哭衆が、付いてるんだぞ! 俺が頼めばお前なんて存在諸共消し去ってやれるんだからな!」
タチバナによって何度も固い机の天板に叩きつけられ、意識がやや薄れている上に顔面が血だらけになったアズラエルは、汚物を見るような目で自らを見る凶行の張本人に怯えながらだが自らの後ろ盾を出して脅すも全く効果はない。一般人や普通の傭兵なら鬼哭衆の名でたじろぐのだろうが、既に覚悟が決まりすぎている彼はどこ吹く風だ。
「ああ、タダで済むからやってんだよ文句あんのか」
逆に、その口から放たれたあまりの一言に絶句してしまう。泣く子も黙って震え上がる七大ギャングが一つの名を出しても怯まないどころか、平然と攻撃的な笑みを絶やさないまま返答する恐怖すら覚えていた。
コイツ、いわゆる『無敵の人』か。世間の常識など知らんとばかりに凶行に走る様に、無謀なアズラエルの背中に冷や汗が流れ体が震えた。失うものが何もない人間とは往々にして無謀なことをやりかねないと知っており、目の前で殺意を隠さない見知らぬ人もその類だろうと推測している。
結論から言えば、アズラエルの推測は当たらずとも遠からずといったところであった。普段とは装いも得物も変えているため気付いていなかったが、普段はインディゴ級の傭兵のタチバナとして活動しつつも裏では最愛の人を奪った仇敵たちを見つけ、血の裁きを下すために生きているのだから。
ただ一つ忘れていたのは、自らが裏社会で栄達を掴む際に蹴落としたり使い捨てたり、時たま無意味に人生や幸せを奪ってきた者たちの知己である可能性であり、今まさに彼の命を奪わんとする男はまさしく後者であった。
「ほら、さっさと大切なお友達に連絡してみろ。『こわーいお兄さんに僕ちんの大事なお城が襲われてます助けてー!』ってな」
「くそっ、後悔するな、よ……な、何で……電波が通じてない……!? まさか!」
「ほら、通信遮断機能があったからありがたく使わせてもらった。それを設置したことだけには感謝してやるよ」
縋る気持ちで手持ちの端末から自らの後ろ盾である鬼哭衆の直参組員へ通話を試みるが、彼の思惑通り通信遮断装置の効果で全く繋がらない。
自らを守るための設備によって最後の希望であった鬼哭衆からの増援すら来ないと理解してしまった彼の表情には絶望と諦念が浮かび、そんな惨めな表情を間近で見たタチバナの顔には隠しようのない喜色が浮かぶ。あらかじめ分かっていたこととはいえ、仇敵の顔が絶望に染まる様は最高に気分を高揚させるのだ。
「く、くそっ……せっかく新しい闘技場を作ってデカいシノギにしたのに……夢はここで終わるのか」
「へえ、この闘技場お前が一から作ったんだ。意外と頑張ったじゃん、鬼哭衆の寄生虫の分際で」
「そうだ、俺が五年の歳月と数十億クレジット使ってニューヨシハラの新しい目玉スポットになるように作ったんだ、それで鬼哭衆にだって認められて……」
自らの命運がほぼ絶たれたことを悟ったアズラエルはつらつらと負け惜しみをこぼすが、それがまたタチバナの勘気に触れてしまった。自らのいる空間そのものが余りにも穢らわしいと思い始めた彼は、暗殺だけの予定を変更して事が終わり次第ここも水没させてやろうと決めている。
「へーそうなんだ、すごいね。決めた、ここも跡形なくぶっ壊すわ。お前が作ったって聞いたら何か無性に腹立ってきた」
どうせ上にあるリゾート施設にしても大っぴらに言いふらせない場所だし、二度と使えないようにしてやろう。人の心を歪めるほどの憎しみに駆られながらも冷静な思考力を維持している彼は、百人が見れば九九人は邪悪だと言うであろう笑みのまま無慈悲に宣告した。
「い、イカれてるコイツ……!!」
「……何が、何がイカれてる、だ……! イカれてるのは街角で女を拐った挙げ句、多人数で嬲りものにした挙げ句路上に捨てるお前の方だろうが!!」
「ぉうっ、いだい、やめっ、ごべんなざい! ゆるじでっ、ゔおう!」
その様を見たアズラエルはつい本音が口をついて出てしまったが、その不用意な言葉はまたもやタチバナの逆鱗に触れてしまい、再び顔面を何度も机に叩きつけられ裏社会で一目置かれるようになった人物とは思えぬ情けない悲鳴と苦悶の呻きをあげるも、怒れる復讐者の非情な折檻は止まらない。
「何でもごめんなさいで済んだら警察も傭兵もいらんだろうが! 六花を惨たらしく殺した罪を償う時が来たんだ、同じくらい惨たらしい死に様を見せてもらうぞ」
激しい痛みとこれから自分を待つ結末で体面を取り繕えずとうとう惨めに泣き叫ぶが、ここは支配人専用のスイートルームであり部下やは彼自身が呼ばない限りこの部屋を訪れることはない。その上肝心の呼び出し機能もタチバナが掌握しているため、他人が自ら訪れない限り室内で起こっている惨事を知る術はないのだ。
それを分かっているタチバナは、恐ろしいまでに残虐性を秘めた笑みで床に這いつくばるアズラエルを見下ろし、まるで罪人に死刑宣告を行う裁判官のように厳然と言い放つ。
「せっかくだしアリーナで処刑試合させるのも良さそうだけど、生き餌としてキメラの檻に放り込むのもいいな……! 実録残虐スプラッタ映像として売り出したら意外と需要ありそうだ」
「……っこの狂人、テロリスト、精神異常者、人殺し! 助けて、誰でもいいから助けてくれえぇぇ!!」
「うっさいなあもう、今まで散々悪事を繰り返してきたくせにその位でビービー喚くな。まだお前は死んでないしここではまだ……あ、用心棒は何人か殺ったか。すっかり忘れてた」
「ぶへっ!」
このままではこのトチ狂った男に殺されてしまう。間近に迫る死の恐怖に生まれて初めて怯えたアズラエルは僅かな可能性を信じて必死に喚き散らすも、それを鬱陶しく思ったタチバナにビンタされて強制的に黙らされる。見た目は普通の腕だが皮膚や骨格、筋肉、神経から血管に至るまで遺伝子的及び人工的な強化がなされており、単なる破壊だけではなく繊細な加減で死なせず適度に痛めつけるのもお手の物だ。
そうして恐怖と痛みでうーうーと声にならない呻きをあげるだけになったアズラエルをVIP用エレベーターに乗せ、闘技場で使う怪物たちの飼育室まで引きずってきた彼は、透明な板越しに果てしなき飢餓と不条理な怒りを感じさせる視線を自らに向けてくる異形の生き物に目をつけた。
「お、めちゃめちゃ元気だな。遺伝子工学が生み出した悲しき生き物じゃん、ほら新鮮なエサだぞ。多分不味いだろうけどよく味わって食えよ」
「た、頼む……何でも言うことを聞くよ……カネでも女でも幾らでも用立ててやるから、お願いだ……! 山程の金インゴットでもっ、タカマガハラ社の優先配当権付き株でも……月面コロニーの居住権だっていい……!」
最新の有機化学と冶金技術を用いて頑丈に造られた透明な壁でやっと捕らえられる化け物のエサになるなんて嫌だ。そんな生存本能に突き動かされるアズラエルは、この期に及んでもなお激痛を堪えて必死に命乞いをするも、全く相手にされていない。
残念ながら彼は金や利権目当ての略奪者ではなく執拗で無慈悲なる復讐者であり、おまけに資金は傭兵活動と投機の成功によって掃いて捨てるほどあるので、それらは敵から奪うことはあっても恵んでもらう気など全くないのだ。
「そう、何でもくれるのか。それはちょうど良かった、今どうしても欲しいものがあってさ」
「な、な、なにか、何が欲しい!? 何でも、何でもいい! 俺の全財産でも『アンダー』の利権全部でもいいから早く放してくれぇぇ! こんな気色悪いバケモノのエサになるのは嫌だぁぁぁぁぁ!」
それでも一旦は希望を見出した後にそれを奪われ絶望する様を見たかったため、タチバナは敢えて命乞いに応じるふりをしている。その瞬間死の淵に立たされた男は一縷の希望を見いだし、おぞましい外観をしたキメラの檻に通じるホッパーの真下で逆さ吊りにされながらも、露骨に安堵した表情を見せて饒舌に喋り始めた。
その内容は誰もがまあそんなもんだろうなと思う月並みな内容であり、仮に彼が復讐目的でなかったとしても大して興味を惹かれないだろう。
「そ、そうだ! 全部だ、全部あげる! お前の欲しいものを、何でも!」
「ほう、それは重畳。割と切実に欲しかったんだ。」
「よよ、よし! すぐ用意させるから放してくれ! あんなバケモノの真上じゃ怖くて」
しかしアズラエルは追い詰められていたこともあって思考が短絡していた。聞いたことのない女の名前を出して殺しにきたこの恐ろしい襲撃者の関心を惹くことができたならば、自分は何とか助かるかもしれない。それどころか敵対者を暗殺したり利権を守る最強のヒットマン兼護衛として素晴らしいビジネスパートナーになる。利権は幾ばくか分けなきゃいけないが、傭兵を何人も雇うより遥かに効率的だ。
そんな間違った推測のもと淡い期待を込めて必死に頭と口を動かすも、彼を冷徹非情な復讐の鬼に変えた事件のことなど記憶の彼方にあった裏社会のエリートビジネスマンは、そもそも前提条件が間違っていることにだけは最期まで気付けなかった。
「……それはな、お前の命だよ」
「!!」
そんな微かな希望を断ち切る言葉と共にタチバナは脚を掴んでいた手を放し、アズラエルを遺伝子合成獣のねぐらへと放り込む。その瞬間、人のエゴによって生み出された悲しき獣は久々に提供された血の滴る活きのいいエサに歓喜の咆哮をあげて食いつき、鋭利な牙と爪で皮膚下装甲入りの腹を易々と引き裂いた。
敵の士気を挫くべく意図的に攻撃性と残虐性を高められたこの試作型生物兵器は捕食方法も残酷であり、手足を折ったりもぐなりして逃走も抵抗もできなくした上で生きたまま腸を抉り出し、哀れな犠牲者に絶叫や断末魔を奏でさせながら優雅に食事を楽しむのだ。
「ああぁぁっ、嫌だぁ、嫌だああああああ!」
二〇ミリ弾の直撃も難なく跳ね返す含鉄超重合アクリル製の壁面を虚しく叩いて助けを求めるアズラエルが、久し振りの生きた餌と血の匂いで興奮した異様な風体の生物に無慈悲にも生きたまま貪り食われていく様を満面の笑みで眺めながら端末で録画している。彼にゴアやスプラッタを愛好する趣味はないが、最愛の人の墓前に良い報告をするべくしっかりと撮影しているのだ。
「これでも六花の受けた苦しみの数千分の一に過ぎないんだ……どんなに痛くて苦しくても数分頑張れば無事に死ねるんだからな。キモ可愛いキメラくんに感謝しろよ」
そうして数分かけて生きながらに腸を食われ絶命する様を見届けたタチバナは心底満足そうな表情で録画を停止し、頭を丸かじりされる直前のシーンを繰り返し再生してどす黒い喜びに浸っている。その様は狂気という言葉を体現しており、こんな様を見た者はたまらず悲鳴を上げて逃げ惑うだろう。
「あとは……ここをぶっ壊すだけだな。まず手始めに……陽動も兼ねてタレットでも暴走させよう」
撮れたて新鮮な映像をひと通り『堪能』したタチバナは、デバイスから制御下にあるセキュリティシステムに非常用タレット群を起動する信号を送っている。用心棒を始め『アンダー』で働く者は敵味方識別を兼ねて専用のバッジを着用しているのだが、それを逆用してバッジを着けている者だけを狙うようにターゲティングプログラムを改変。所属を示し身を守るはずのアクセサリーが一転して死を呼ぶ呪物へと変わってしまったのだ。
「妙にハイテクな癖にセキュリティ意識がカスなのは頂けないな……ほーら、こうなるぞ!」
そのコマンドをネットワークに流してから数秒後。天井や壁、床に仕込まれたタレットが各所で起動し、『アンダー』の従業員である証明となるバッジの着用者をセンサーに捉えると機械的に殺戮を始めた。標準的なアサルトライフルの弾薬である六・五ミリ弾が毎秒五〇〇発の間隔で放たれ、たまにある誤作動だと思い気が抜けていた非番の用心棒や闘技場スタッフを次々とハチの巣にしていった。
異変に気付き廊下に飛び出したことで撃たれて果てた者、逃げた先にも獲物を待ちわびている同じ殺戮機械があった不運な者、そもそも自らの頭を弾丸が撃ち抜くまで誤作動か定期点検だと信じて疑わなかった者。皆考えていることは違ったが、最終的な結果は同じであった。
直感的にバッジを捨てた数人だけは何とか銃口から逃れられたが、だからといって何かが出来るわけでもない。手遅れながら何やら異変が起きていることは知れたが、無意味に警備室やサーバールームへの通話を試みるだけだ。
「お……おおっと。何人か生き残ったか」
その様子を各所の監視カメラ映像で知ったタチバナは、復讐の対象ではないため特に気にすることなく軽くチェックしていたのだが、とある地点の映像に切り替えた瞬間違和感を覚えている。他の者はアズラエル同様通話どころかメッセージも送れず絶望しているが、ある一人だけは何かに気付いたようでどこかへと走り出していたからだ。
生身の目と見分けのつかないほど精巧なサイバーアイに投影される映像越しにそれを追って従業員専用の通路に駆けていくと、明らかに単なる従業員とは思えないスーツ姿の男が慌てた様子を隠そうともせずにどこかへと連絡している。最初は連絡がつかなくて焦っているのかと思っていたが、人工内耳の感度を上げてよく聞けば誰かと話せていることに気付いた。
「……へえ、この場所は装置が点いてても外部と話せるのか、ちょっとまずいな」
「……緊急、緊急事態です! 『アンダー』に賊が侵入、施設機能を破壊された上に支配人のアズラエル・ユージン氏以下基幹要員全員が討ち死にした模様!」
どうやらこの場所だけは通信ができるらしい。タチバナは事前情報にもハッキングしたデータベースにもない想定外の事態に少し驚きつつも、口封じのために死んでもらうことにした。標的ごとに殺害方法も服装も変えているためか正体の特定はなされておらず、アシハラでは日常茶飯事である暗殺──有力者は往々にして恨みを買いやすいのだ──だと判断されていたが、それでも念には念を入れての精神で安全策を採った。
「おっとお客様、ギャンブルの公平性を期するため通信機器の使用は禁止されていますよ。ペナルティとして死んでもらいますね」
おどけた口調で話しかけながらも、腰のホルスターから先日入手したばかりの『愉快なおもちゃ』を抜いてその銃口を向けた。単に復讐のための道具であったはずの武器に魅入られすっかり武器コレクターと化した彼は、ダウンタウンの狭苦しい武器屋で手に入るチープな近接武器から最新のテクノロジーで製造された光学・磁気兵器まで様々なものを持っており、今手にしているのもそんな愉快なコレクションの一つであった。
「……こちらの派遣戦力も警備兵力も既に全滅……おい、や、やめろ、何だお前、何をしてるのか!」
慌てて報告をするあまり周りの注意が疎かになっていた男は、タチバナに声を掛けられたことでようやく気付き自らも銃を抜こうとしたが既に手遅れである。彼は既に狙いを定めており、躊躇することなく引き金を引いたのだ。
「おいうわ、やめ……うわあああぁっ!」
磁気加速式のピストルから直径三ミリの針状弾がマッハ一〇を超える凄まじい速度で放たれ、数ミリ秒の飛翔の後に額へと着弾。有り余る運動エネルギーで頭蓋を破壊した後に余剰エネルギーと弾頭から解放された滞留電荷が脳みそを暴力的にシェイクし、生物からタンパク質とカルシウム、そして少々の機械部品が混ざった人型の塊へと変えてしまった。
「よっと、証拠隠滅完了。やっぱりレーザーやガウス系の武器ならタカマガハラ・アーマメント製だな。他の企業と比べると威力も信頼性も段違いだし」
実戦的な試射を成功裏に終えて満足げなタチバナは、床に転げ落ちながらも通話先からの音声が聞こえる端末を事もなげに踏み壊すと、もうこんな場所に用はないとばかりに踵を返している。標的は彼の望み通り無惨にも生きたまま貪り食われ、後ろ盾の鬼哭衆に自らの正体を悟られることなく去る。その上彼の被害は弾薬一発分を除いて皆無であるため完璧な勝利であった。
「コマンド送信、排水システム逆流開始……あと、アリーナ部分に注水する機能もついでに動かしとくか。で、五分後にメインシステムを完全ロック、三〇分後にはデータバンクとメモリを全部nullデータで上書きして、一時間後にはシステムを完全にクラッシュさせるようにして……と」
海水に沈めることを後片付けと称してシステム全体を時間経過で破壊するコマンドを次々と送信していく。忌々しい敵が数年の歳月と一〇〇億クレジット近い大金を使って作り出した施設を台無しにしてやるためだ。本来の作戦にはない蛇足だが、本命が予想より手間がかからなかったため腹いせも兼ねてやり始めている。
「……そうだ。債務者どもも出してやろう。クソよりは役に立つだろうし」
そのついでとして、怪物と戦わされる予定であった債務者たちが収容されている独房を解放し、音声と映像で地上へと続く物資運搬用エレベーターへと誘導して脱出させていた。当然ながらこれは慈悲心からくる行動ではなく、万が一にでも大規模な捜査が行われた際にも自らに疑いを持たれることがないように容疑者候補を増やしてやろうという悪辣な策略だ。
そうして何食わぬ顔をして彼らの後に地上へと戻り、数少ない監視カメラを止めつつ従業員及び外部業者用の駐車場を通り抜けて敷地外へと出れば今回の作戦は終了である。近くの駐車場に停めてある使い捨ての中古車に乗って真夜中の埠頭に向かい、襲撃時に着ていた衣服ごと車を海に投棄すれば証拠隠滅も一段落だ。
そして彼が去ってから二時間と少しが経つ頃には『アンダー』のほぼ全域が海水で満たされており、僅かな生存者も生き餌を食らい満足げな遺伝子合成獣も、そして数少ない侵入と殺戮の痕跡すらも等しく水底に沈んでいる。
捜査をしたければ閉所も活動できる熟練のダイバーを十数人用意するか、地下に流れ込んだ数万トンもの海水を一から全部排水しなければならない。仮に時間と資金を費やし遂行しても得られるのは浸食された僅かな証拠だけであり、犯人の特定には程遠いものだけだ。
「これで八人目を殺ったから、残る標的はあと四人……! 絶対に勝ち逃げなど許さん、この世に生を受けたことを後悔させてやる……!!」
これであと四人。あと四人で血の復讐は目出度く成し遂げられる。耐用年数などとうに過ぎた格安の中古車が証拠もろとも東京湾へと沈んでいく様を波止場から眺めながらタチバナは一人呟く。五年前に始めた復讐の旅路は今のところ順調であり、彼が必ず討ち果たすべき敵と定めた一二人のうち八人は程度の差こそあれど恐怖と苦痛、そして絶望に満ちた最期を迎えていた。
しかし残る四人はアシハラの裏社会で確固たる地盤を築きつつあったアズラエル以上の強敵である。直接的な戦闘能力こそ月とスッポンという言葉すらおこがましいほどの差があるが、コーポの幹部やギャング組織の重鎮などの社会的地位という力が彼らを極めて強固に守っている。下手に手出しをすれば強烈なしっぺ返しが飛んでくることは間違いなく、最悪の場合はどこかのメガコーポやアシハラの街そのものが敵になる可能性も低くなかった。
「でもそうしないと六花が浮かばれない……特権階級だからって天誅を下されないと思ったら大間違いだ。そんなこと、俺が五歳児の頃ですら知ってたぞ」
だがそれは彼が復讐を諦める理由にはならない。例え相手が明日飢え死にするような浮浪者であろうと、裏社会の重鎮や企業の重役であろうとも全力で道筋を立て、幾重にも準備を重ね、必勝の信念を以て冷徹に刃を突き立てに行く。それが一度壊れ空っぽになった心に憤怒と憎悪を燃料とするどす黒い焔を灯したあの日、最愛の人の墓前に誓ったことなのだから。
「だからどうか俺を見守っててくれ六花……」
夜がますます深まるニューヨシハラの闇深い裏路地を歩いて去っていく。違法な闘技場を丸々一つ水没させるという荒業をやってのけた復讐者から一流の傭兵へとひとまず戻った彼を照らしているのは、静止軌道上のステーションからでも容易に分かるネオンとホログラムの輝きではなく、綺麗な夜空に瞬く幾千幾万の星々と彼の所業を笑顔で祝福しているかのように見える三日月だけであった。