光輝の都の頂へ〜元社畜、欲望渦巻く魔都にて傭兵生活を始める 作:ズブ左衛門
クリスが事もなげに放った言葉。それは多額の負債と迫り来る借金取りに悩まされる誠にとって一縷の希望となるものである。いかに世間知らずな彼とはいえ、五〇〇万クレジットが自らの本来の年収をも上回る大金であることは理解しているし、現状それを自力で返済する手立てがないことも認識しているのだ。
しかしいかに恩人の知人とはいえ、初めて会った人を全面的に信頼してもいいのかという思いが彼の胸中を過っていた。拓郎もクリスも自らより格上の人物であると正確に推測しており、恐ろしい悪党を言葉だけで追い払える男と、その男に敬意を払われる人間に楯突けるなどとは微塵も考えていない。
「え、ええ……!? そんな急に言われても……!」
だからこそ誠は慎重に見定めたかった。目の前にいる人物は自らの命運を賭けるに値するのかを、これまでに何度も遭遇した自らを騙したり陥れようとする人ではないかと確かめたかったのだ。
それに彼自身も69番街の存在は噂程度ながら知っていたためいつか訪れてみたいと思っていたのだが、度重なるトラブルと借金への対応で頓挫しており、せっかく来たのにという忸怩たる思いが彼のなかでグルグルと渦巻いていた。
「でも、これ以上逃げ回ったところで捕まって酷い目に遭うまでの時間がちょっと伸びるだけなんだよなぁ……」
しかし今の誠には時間も選択肢もなかった。スカヴィードッグスの襲撃で着の身着のまま逃げ出したことで身の回りの品々を失い生活基盤が崩壊。日本でのやらかしのため大使館にすら邪険にされまともに応対してもらえない故に一旦帰国して出直すことも出来ず、所属する団体に連絡しようにも連絡先を入れた端末を紛失したせいで大阪にある本部へ連絡がつかないし、一緒に来た仲間で襲撃を生き延びた人とも音信不通である。
そんなほぼ手詰まりな状況を好転させるためには、この二人の人柄を信じて流れに身を任せるしかない。そう決めた誠はクリスの提案に乗ることを決めた。どうせこのまま最悪な未来に行き着くくらいなら、この賭けに乗るほうがいい。そう決めた彼は自らを見つめる巨漢へと向き直り、自らの意志を伝える。
「い、行きます!」
「お、中々に思い切りがいいな、よし決まりだ。マダムには今連絡を入れたからすぐに行こう、あまり長々と事務所でお待たせするのもよくないからな」
まさか数分も経たずに返答されるとは思っていなかったクリスは一瞬だけ鳩が豆鉄砲を食らったような表情で固まっていたが、すぐに破顔するとすぐさまスミスへと連絡を入れてアポイントメントを取っている。側近かつ親しい間柄だからこそ許される行為であり、誠はこの地のボスらしき人物とすぐさま連絡が取れる男は何者なのかと緊張していた。
「相変わらずフットワーク軽いよなマダム・スミスって。自分の持ってる店にもちょくちょく顔を出してたような気がするけど」
「元々は様々な場に顔を出されていたが、最近は特にそうだな。一時期はずっと能面みたいに表情の分からないお顔ばかりされていたから心配したのだが……」
そうして誠が了承したことでクリスも合流し、代金を払ってから店を出た四人は、そこそこ人が歩いているメインストリート、レインボー通りを歩いて『ウキヨエ』へと向かう。69番街の政治的及び経済的中心にしてマダム・スミスの居城とも言うべきこの店舗は一番目立つ場所にあり、独特の色合いと書体のネオンサインもあって見間違えることなどない。
当然ながら四人は店の客ではないのでいつものように裏口に迂回してから入り、そこから事務所のある二階へ続く階段を上がっていく。拓郎にとってはもう何度も通った道であったが、誠にとっては初めての経験だ。
それに、伝説の元フィクサー対面するという緊張感が彼を震わせている。裏社会に詳しくなくとも分かるのは、間もなく顔を合わせる存在がこの区画の支配者もしくはまとめ役であり、今最も怒らせてはならない人物であることだ。
「ただいま戻りましたマダム、タクロウ・アカマとアリサ・ミキモト、それに昨日おっしゃっていた医師候補をお連れしました」
「あら、早かったじゃない。さ、案内して……じっくりお話しましょ」
とはいえ面識のある拓郎にとっては心強い後援者であり、自分の傭兵人生はこの人と出会うことで始まったんだと少しだけ感慨深くなった彼であったが、まだ一ヶ月であり振り返るほどの時間は経っていない。それでも短い間に実績を積み重ねた経験は、彼を確かに成長させていた。
「陳の坊やから聞いたわよ……早速オレンジ級に昇格したんですって、やるじゃない! レッド級を飛ばしていきなりなんて中々あることじゃないわよ。だいたい十年に一人か二人くらいの珍しさ……って、ミスター・マクダニエルも合わせたらホントに二人だったわね」
「俺もびっくりしてるけど、これからもどんどん上を目指して頑張っていくつもりだ」
スミスとしては自分の目利きが正しかった証明であり、自由に動かしやすい戦力は強ければ強いほど都合がいいため。無論、純粋に喜ばしい気持ちも少なからずあったが、それは心の中にそっとしまっている。あまり傭兵に情を移しすぎると、失われた時の悲しみも増してしまうからだ。
「アリサちゃんも元気にしてる?」
「およ、スミスのオバちゃん! もし何か電気とかネットワーク関連のお仕事あったらいつでもどーぞ。あーし元々コッチ系の人間だし」
「そうね、今やってることが落ち着いたら近々出そうかしら」
しかしこの会談の本来の目的は誠がスミスのお眼鏡に適うかどうかであり、拓郎とアリサは添え物でしかない。実のところクリスが保護した人がいれば落ち着くだろうというノリで連れてきただけなのだが、二人とも信頼できる味方の判定を受けているため特段の議論もなく許可されている。
「ああ、そうだったわね。アタシがスミス。もう知ってるかもしれないけれど、みんなからマダムなんて呼ばれたり69番街の支配者なんて噂されてたりするけど、ただ余計なお世話とかお節介をしてきただけよ」
「か、かっ、鹿野っ、誠です……! この度はぼ、僕なんかのためにお時間を設けても」
緊張からすっかりどもってしまう誠であったが、スミスは慈母のような笑みを絶やさないままにしれっと拓郎にとって爆弾発言をしている。
「そう緊張しないで。そこで慣れた顔してるミスター・アカマも初対面の時は緊張で顔が強張っていたもの」
「ちょっ!?」
「へーぇ、拓郎さんにも怖いものがあったんだー」
いきなり初対面の時のことを暴露されて今度は拓郎が慌てる番であった。無論、スミスとて少し場を和ませるべくある程度の計算の上で、確実に笑い話で済ませられる範囲からネタを選んでいるのだが。
そんな予期せぬ一撃で誠の緊張が緩み、アリサがニヤニヤとする中でスミスは少し間を置き落ち着いて飲み物を楽しむ時間を与えてからゆっくりと本題を切り出している。
「それで、アナタにお願いしたいのはズバリ……町医者よ。この区画に診療所を構えてここの人たちを診てほしいの」
「……え? 町医者、です……か!?」
予想外の提案に誠は少なからず驚いた。支配者からの依頼なので、てっきりスミスかクリスあたりの治療をお願いされるのではと思っていたら、まさか地域医療の支えになってくれと頼まれたのだから。
「そうよ。お恥ずかしい話だけれど、この区画に診療所どころか医者の一人もいないのよ。それをアナタに引き受けてほしいと思って」
そう、現在の69番街には医者がいないのだ。無論、住人の中には元医師や医療従事者の経歴を持っている人が複数いるのだが、それでも長らく離れているため知識が古かったり本人が医療行為にトラウマを抱えていたりと様々な理由で実用に堪えないと判定されている。
故に数も足りない上に内容も貧弱なファーストエイドキットと八〇歳過ぎの元看護師による応急処置が唯一の生命線であり、それで対処できない重病人はたまにやってくる慈善団体の医療支援に頼らざるをえず、運悪くそれらがない時に罹患したり致命傷を負ってしまえばそれまでだ。後は奇跡的に治るか最期が平穏なものになることを祈るしかない。
だが、そこに現役の医者が加わればそんな状態は多少なりとも解消される。医師単体でどうにかなる問題は多くなく、住人を襲う様々な病を治療するためには少なからぬ薬品や機器も必要ではあるのだが、気軽に診察を受けられる体制があるのと無いのでは初動に大きな差ができるからだ。
「マコト・カノ……医学部を首席で卒業しながらも、腐れコーポ共と癒着した医局に反発して飛び出し、『医は仁術』を地で行くべく貧困に苦しむ人々に寄り添い続ける。そのためなら平気な顔して反企業デモも起こすし、治安の終わってるアシハラのスラム街に飛び込むことすら躊躇わない。こんな覚悟キマったパンクでロックな生き方するオトコ、このご時世に中々いないわよ」
「いや、ぼ、僕はただ自分が出来ることを……しなきゃって思っただけでぇ……」
多少リップサービスは入っているとはいえ、69番街のボスと呼ばれるスミスにベタ褒めされたことで誠はすっかり頬を緩めた上で照れていた。企業、特にメガコーポの力が隅々まで浸透している日本国内において彼の同調者は少なくその活動にのめり込むほどに交友関係は崩壊していき、地位や名誉どころか生活や命すら顧みない活動によって今や肉親である親兄弟とすら疎遠になりつつあったのだから。
それでもと危機感から所属した『救いの手を差し伸べる会』は彼と似た志を持った人々の集まりであったが、その資金源は参加者の持ち出しを除けば一部の篤志家による寄付によるもので、その額は決して多くない。人類社会の富の九九パーセント以上を有する一パーセント未満の人口の富裕層たちは、そんな『非生産的』なことに全くと言っていいほど興味も関心もないのだ。
そんなところに、自分を『正当に』評価してくれる人が現れた。ちょっと変わった出で立ちの人だが、アシハラではそんな人は決して珍しくはなく、彼にとっては自分の目標や大切な価値観を肯定してくれるいい人である。
「それに、スカヴィードッグスに襲われてもなおその志が失われてないの、アタシ感動したわ。普通の人なら心が折れたり闇堕ちしてもおかしくないもの」
「そりゃあギャングみたいなのがうじゃうじゃいるくらいは知っていましたし……ああいう人たちもある意味では悪辣なメガコーポによる搾取の犠牲者とも言えなくもないですし」
きっと自分が初めてスミスと会った時もこんな感じだったんだろうか。拓郎は少しだけ砂糖とミルクの入ったコーヒーを飲みながらぼんやりと考えていたが、実のところ緊張していたためか最後の握手する場面とその前後以外あまり鮮明に覚えていないので二人のやりとりをぼんやりと眺めていた。
一方アリサはもっと冷静にこのやりとりを見ており、いい人材が向こうから転がってきたと言わんばかりのスミスが、誠を何とかして陣営に引き込もうとしているのをすぐに看破している。ただし拠点に医者が増えることは自分たちの害になるどころか大いに有益な話であるため、仮に止める権利があっても止めるつもりなどハナから無いのだが。
「だから……アナタにチャンスをプレゼントするわ。クリス、契約書を取ってきて。執務机の右に置いてある鍵付きのボックスよ」
上機嫌なことを隠そうともしないスミスはひとしきり誠を褒めちぎると、傍らに控えているクリスに指示を出して契約書を持ってこさせ、アンティーク趣味を感じさせる趣の万年筆と共にそれを彼の前に置いた。
「この契約書をよく読んで、同意できるならサインしてちょうだい。もちろん、今ならまだ席を立ってこの話をなかったことにもできるし、その場合でもアナタに危害や不利益を加えることは一切ない。マダム・スミスの名においてそれは約束するわ」
そこに書かれていたことを軽くまとめると、誠が抱える負債五〇〇万クレジットをマダム・スミスが代わりに引き受けること。その代わりに彼は最低五年間この69番街で医師として働き、住人の健康向上と区画の衛生管理に貢献することが契約内容として記されていた。
その後には契約違反時の制裁や常識的に想定される事態への対応、そして細かな附則などが続いており、このデータ全盛期のご時世においてアナログな書面など久々に見た拓郎は物珍しげに書面を見ている。紙の書面などアシハラに来る前の社畜時代ですら数回見た程度であり、旧世紀ではこんなのを当たり前のように何百枚何千枚と扱っていたのだと思うと煩わしさで目が回りそうであった。
「さあ、どうするかしら? 丸一日は厳しいけど、一時間くらいなら待てるわよ」
しかしここで誠に引く選択肢などほぼ考えられないことを拓郎もアリサも理解している。確かにそれを選んだ場合もスミスたちは危害を加えないし、珍しい来客として69番街から去ることができる。その場合、一時的に追い払った後に匿ってもらい夕飯と紅茶を振る舞ってもらっただけで、本質的な部分は何一つ解決していないままだ。そうして遅くとも来週には再び襲来した借金取りによってどこへともなく連れ去られ、世にも恐ろしい方法で負債を取り立てられる運命が待っているだろう。
「五年かぁ……縛り付けられるわけじゃなくても結構な期間拘束されるのか」
そんなことは誠自身も分かっており、ここで助かるためには目の前のちょっと変わった見た目の支配者の垂らした藁に縋らねばならないと理解していた。確かに最低五年は拘束されるが契約を遵守している限り全力で保護してくれるし、何よりあれだけ苦労していたサイバネ機器関連の顧客候補には契約関係にある傭兵という絶好のターゲットが複数いる。条件としては悪くないどころかボランティア時よりも遥かに良好だ。
だから誠は万年筆を取って自らの名を署名欄に記した。まず自分ではどうにもならない借金を片付け、そして五年の契約期間中に恵まれない人々のためになるべく多くのことをしてあげながらサイバネ機器のインストールで軍資金を調達する計画を立てている。それでもアシハラ中を回れないことだけは残念であったが、当初の理念及びやりたかったことからあまり逸脱していないため仕方のないこととして割り切ったのだ。
「よし、やるぞ……! マコト・カノ、と……スミスさん、これでいいですか」
「グッド! では、契約は成立ね。さあ、69番街へようこそミスター・カノ。これでアナタの借金はアタシが肩代わりするから安心して……でもこれから勝手に借金するのはノーよ? 必要な分はちゃんと出してあげるから、きちんと申請したり相談なさい」
「はい……報連相はしっかりやらせていただきます……」
「それにしても五〇〇万クレジットの借金なんて……まァ、大方開業のために貯金と一緒に医療機器かエクスペンシブな薬品でも揃えたはいいけど、顧客の獲得に失敗してそのまま焦げ付いちゃった……そんなところじゃないかしら?」
「お、おっしゃる通りです……スミスさんには何でもお見通しなんですね」
「まあ、こう見えてアナタの倍以上は生きてるから。そう見えないのは細胞だかテロメアだかを随分いじったせいね」
しかもおおよその借金理由もしっかり把握されているとなれば誠もたじたじだ。最先端の医療技術によって見た目よりも遥かに長く生きているスミスはフィクサーとしてだけでなく、それ以前から余りにも多くの人と関わってきたため大まかな事情は自然と推測がつくようになったのだ。当然ながら裏取りや確認は欠かさないが、その勘もスミスの武器の一つである。
「人々を遍く包みこまんとするアナタの慈愛の精神には敬意を表するけど、アシハラでは往々にしてつけ入る隙にもなるわ。人を食い物にして生きるクソったれた連中がそこかしこにウヨウヨしてるこの街だと、時に非情になれなきゃ生き残れないのよ」
その上で改めてアシハラという街の残酷さを突き付けられたことですっかりしょげてしまう誠であったが、同時にフォローも忘れない。スミスにとって一般人相手ならこの程度のことは朝飯前だ。
「ま、アタシの目の黒いうちはそんなことさせないのだけど……そこは期待してちょうだい。これでも昔は剛腕で鳴らしたフィクサーだったのよ。借金取りの真似事してるしみったれたギャングどもとは明日か明後日にでも話をつけておくわ」
「ありがとうございます……噂にはきいていたけどフィクサーってすごい。表にも裏にも顔が利くって」
「あくまで元、ね。今はただのお節介で世話焼きなオカマ。それくらいの認識で充分よ」
そうして会談は成功裏に終わり、誠は当面の自由と引き換えに借金という喫緊の課題を解決することに成功し、スミスは腕の立つ医者を破格の条件で自陣営に迎え入れた。
「さあ、明日から早速仕事……とはいかないけど、診療所にする予定の建物を教えるから、片付けとか備品の移設とかをお願いするわ。朝九時過ぎくらいには自警団の新人を二人手伝いに行かせるから、存分にこき使ってちょうだい。もしよければアナタたち二人……いえ、マクダニエルにも声をかけて三人にも手伝って貰えると助かるけれど、警備と同じ報酬でどうかしら」
せっかく医者が向こうからやって来たのだから、一刻も早い診療所の稼働に向けて明日から動くことになる。陳からも新しい依頼の話は来てないため、お楽しみから戻ってくるファンも含めて日銭を稼ぐべくオファーされた手伝いでもして時間を潰そうか。拓郎がそんなことを考えながら事務所を出て階段を降りようとしたその時であった。
「し、失礼します! 大変ですマダム、助けてください!」
「一体どうしたんだショウコ、いくら会談が終わった後とはいえちょっと無作法だぞ。それにここは一般スタッフやキャストは原則立ち入り禁止だ」
足音を響かせ拓郎を押し退ける勢いで階段を駆け上がってきたショウコと名乗るキャストに対してクリスは軽く咎めるように言い放つが、焦燥を隠そうともしない相手はそんな注意などお構いなしと言わんばかりにスミスへと言葉を続けた。
「キャストのアズロフさんとマニエルさんが……急に倒れて苦しんでいるんです……! 応急キットでの処置も全然効果がなくて、私たちキャストやスタッフ、お客様ではどうにもならないのでマダムにご判断を仰ぎにやってきました!」