光輝の都の頂へ〜元社畜、欲望渦巻く魔都にて傭兵生活を始める 作:ズブ左衛門
「肉、肉ッ、肉ゥっ! お前の肉をちょうだい!」
酷く黒ずんだ乱杭歯が覗く口から悪臭を放つ涎を撒き散らしながら、女が吼える。ニューロンブースターを使えば勝利は確実だが、相手が一人の時に使ってしまうのは非効率なため温存していた。再使用が可能になるまでの時間も分からないし、その状態で他の敵に遭遇してしまえば一巻の終わりであるため、なるべく残しておきたかったのだ。
「食らえイカれポンチが!」
だから拓郎は弾切れとなったデリンジャーを思い切りぶん投げた。小さく軽いという特性が仇となって鈍器としては不適格だが、投げる分には弾速も速くできる上に狙いがつけやすい。例え投擲が得意でなくとも数メートル以内のゼロ距離なら外す方が難しく、小型とはいえ拳銃である前に金属の塊なので当たれば相応にダメージを受けてしまう。
「ぐえっ!」
ちょうど銃口の固い部分が鼻面にヒットしたことで、狂気を具現化したかのような女もうめき声と共によろめきいた。ふらついたままに右手のピストルを撃つも視界も姿勢も悪いまま撃たれた弾丸は、銃身や弾丸の低品質さもあって拓郎の左に逸れてしまい、彼の接近を許している。
そこに叩き込まれたのは、振り上げた鉄パイプによる重い一撃。頭蓋をかち割るほどの威力を持ったそれは狙いが逸れて右手を強打し、拳銃を落とさせた。手の骨を何本も砕かれたからか短くも甲高い悲鳴をあげて痛がるが、彼に自分を殺そうとした上に食べようとしたにかける慈悲など持ち合わせていない。
「っしゃらぁぁぁ!」
叫びながら放たれた渾身の一撃は今度こそ頭蓋にクリーンヒット。骨と一緒に何か柔らかいものが潰れるような感触が伝わってきており、それがこの狂人に致命的なダメージを与えたのだと彼に実感させていた。その証拠に女は大きく目を見開くとそのまま糸が切れた操り人形のように床へ倒れ、ピクリとも動かなくなっている。
ここに至って生まれて初めて──実は二人目だが気付いていない──自らの意志で人を殺めてしまったことを実感した拓郎であったが、不思議と後悔や罪悪感は湧き上がることはなく、むしろ安堵が芽生えている。相手が街全体の敵である上に、誰がどう見ても正当防衛であるためだ。
「はぁ、はぁ……こ、殺されるかと思った……」
一気に興奮状態から引き戻され、徐々に広がっていく血の海に沈む女を冷静な目で見ても憐憫の情すら湧かないのがその証拠である。尤も、自分を殺そうとするばかりか肉体を取って食おうとした危険人物を返り討ちにしたことに罪悪感を抱くのは、よほどのお人好しだけだろうが。
「これが施設の地図……ここって放棄された下水管理事務所だったのかよ」
完全に生命活動が停止した敵など放っておいて、拓郎は部屋の壁にあった建物の案内図を見る。経年劣化のせいか一部が掠れているが、丁寧なことに現在地まで示されているため価値ある情報であることに変わりはない。おまけに今いるフロアだけでなく施設全体が描かれており、出口までの道順も丸わかりだ。
それにこの場所が十年以上前に放棄された下水管理事務所であることも判明したが、彼からすればどうでもいい情報である。それで安全な脱出ルートが見つかるならともかく、折角施設の全貌が分かったというのにわざわざ未知の領域である上に臭くて汚い下水に向かう必要などないからだ。
「これで一気に脱出が捗るぞ。どっちにも見つからないうちに行かなきゃ……」
これなら敵次第だがそう長くかからずに地上へと出られるだろう。意気揚々と彼は脱出を再開するも、まるでこれまでの幸運の分を支払えと言わんばかりのアクシデントに見舞われた。最短ルートを辿るべく幾つかの部屋を抜けるリスキーな方法でショートカットしていたのだが、運悪く反対側の扉から入ってきた敵とたまたま鉢合わせしてしまったのだ。
「クソっ、またイカれ野郎かよ!」
「お、奪え奪え! お前は終わりだぁ!」
「頭ねじ切ってオモチャにしてやるぅ!」
拓郎の視界に映るのは、四人の襲撃者。先ほど打ち倒した女と同じような装いをした者たちは底知れぬ狂気を宿した視線で拓郎を見据え、ニタリと不気味な笑みを浮かべて各々が武器を抜く。奇妙なまでに揃った反応は不気味というほかなく、彼の背筋に冷たいものが走った。
「ここでやるしか……ないよな!」
ここで切らねばどこで使うんだ。ニューロンブースター、起動。そんなことを頭の中で叫びながら彼は内心で考える。もしこれで発動しなかったら、笑いものどころか文字通り食い物にされてしまう。そんな一抹の不安を感じつつも彼は首筋に埋まっているはずのそれに呼びかけるかのように脳内でもう一度唱えていた。どうか頼む、しっかり起動してくれと。
その瞬間、頭蓋骨の内側がキリキリと微かに痛むのと同時に世界が再びモノクロのように色褪せ、今まさに各々の得物で襲い掛かろうとしていた四人が固まってしまった。正確にはスローモーションめいて動いているのだが、神経伝達速度が加速された彼からみれば誤差と呼べるほどのものでしかない。
「まずは一人!」
圧倒的なアドバンテージの中、拓郎は最も近くにいた禍々しい見た目のバットを手に一歩を踏み出そうとした男の頭を思い切り鉄パイプで二度殴り付け、そのまま走り去っている。ニューロンブースターの発動時間は有限であり、百分の一秒とて無駄にしてはならないからだ。
「もう一人……!」
次の標的には側頭部を殴った上で腹に蹴りを叩き込み、去り際に女から奪った拳銃で二発殴った。ここまですれば死なないにせよ少なくとも行動不能になると信じて、次の標的へと走る。
「まだまだっ……!」
いつ加速効果が切れるか分からない焦燥感の中で、微妙に焦点の合わない目で粗末な拳銃を操る三人目に鼻面に鉄パイプを叩き込んだ後、鉛合金製のピストルで頭を殴る。必要な器具があれば個人宅ですら製造可能なそれは銃器として優秀と言い難い代物だが、ゼロ距離かつ自分だけ加速した状態で鈍器として用いるなら意外と優秀であった。
「あと一人……ダメか、時間切れだ!」
だが、四人目の方に向き直った瞬間にニューロンブースターの発動時間が切れた。単調な色合いしかなかった視界に再び彩りが戻り、まるで奪われていた世界の時間が戻ったかのように元の速さで動き出す。
超高速の連続攻撃を受けた三人は、自らの身に何が起きたのかなど分からないままに苦痛がダメージを受けた部位から広がっていき、ヒトとは思えない絶叫を発しながらのたうち回ることになったが、討ち漏らした最後の一人は崩れ落ちる三人など意にも介さず、禍々しさを感じさせる得物を振り上げ走り出す。
「ヒャッハぁー、殺戮タイムだ!! 肉だ肉、挽き肉にして食ってやるぜェ!」
片手サイズの電動のこぎりを手に迫り来る様は恐怖そのもので、ガソリンエンジンの駆動音に混じって聞こえるガリガリという異音は駆動部や刃にこびりついた血肉が引っかかるのが原因で発せられているが、そんな些細なことは二人とも気にならない。男にとってはそれが当たり前のことであり、拓郎にとっては極度の緊張と興奮で気にする余裕がないのだから。
騒々しい駆動音と共に彼の肉を引き裂かんと迫るそれはスプラッタ寄りのホラー映画で大活躍する大型のモデルとは違い、全長一メートルもない片手持ちタイプだが取り回しのいい大威力の武器である事実は変わらない。
「何だァお前、よく見たら筋張ってそうだな! こりゃねぐらの大鍋でじっくりコトコト煮込まないとマズそうだ!!」
「っ……! この異常者め、そんなに肉が食いたいならいっぱいある自分の肉でも食ってろよ!」
巨体に似合わぬ俊敏な動作に慌て、咄嗟に鉄パイプで小さなチェーンソーの刃を受ける。金属同士が高速で擦れ合うことで火花が散り、鉄工所もかくやというほどの騒音を立てる様は恐ろしいもので、鋼材と共に脱出の意志やなけなしの勇気まで一緒に削られていくかのような感覚を味わっていた。
無論彼もいつまでも鍔迫り合いに興じるつもりはなく、膠着どころかジリ貧になりつつある現状の打開にポケットの拳銃を使いたかったが、自らを屠殺する家畜くらいにしか思っていない巨漢の膂力の前に片手を離すことすらできない。
不用意に少しでも力を抜いたりすれば、高速回転する刃に引き裂かれる未来が待っているからだ。恐怖と苦痛に満ちた最期の瞬間を迎え、何人もの敵対者を解体してきたであろう武器を禍々しく彩る血肉の一つとなるのは誰だって嫌なのだ。
「俺にはサイバネ機器が大量に入ってるんだぞ、食っても美味しくないどころか喉に詰まらせて死ぬだけだからな!」
「そういう食べられないのはちゃんと取り出して再利用するから安心して肉になれ、味見するのがもう待ちきれないよ!!」
俺はもうだめかもしれない。借金取りからは逃げ出したのに、よりによってスカヴィードッグスなんかに殺されるなんて。少しずつ、しかし確実に迫る死を前にして絶望が拓郎の心を蝕み始めた時、予想だにしない方向から三発の銃声が響いた。
援軍の来訪を告げるにしては些か頼りない音だが、背後からの一撃は実際の威力以上の衝撃をもたらしたようで、嗜虐的な笑みを浮かべて拓郎を追い詰めていた巨漢をふらつかせる。その隙をついてチェーンソー男を全力で押しのけて距離を取り、バランスを崩させ膝をつかせることで強引に戦いを仕切り直した。その上で行き掛けの駄賃とばかりに拳銃の残弾全てを撃ち込んだが、命中した三発もどこまでが脂肪で筋肉なのかも分からぬ体に吸収され、少量の出血を起こす以外にダメージはない。
「おい、助けに来た……って何だ、改造男娼か。こんな酷い有様なのに無事だったとは、てっきり殺されてるかと思ったぞ」
「お、お前は借金取り……!」
「……まあこの際借金取りでいい。とにかくこのイカれたデカブツをどうにかするぞ。話はそれからだ!」
ようやく一息ついたところで声のする方を見れば、拓郎を援護したのは何と借金取りの一人である。質素な寝間着の上に業務中に用いる防弾ジャケットを着込み、標的を捕獲するための小口径ライフルを携えた様はこの上なく頼もしいはずであったが、今の彼にとってはあまり嬉しくない援軍だ。
確かに荒事に慣れていて武装した人間の助太刀はありがたいし、涎を地面に垂らしながら立ち上がりチェーンソー片手に獲物を物色する男は未だ大きな脅威であったが、自分を捕らえて妙な改造を施した連中に対する不信感は強い。
「そんなこと言って、俺を捕まえるつもりだろう!? 絶対に騙されないからな!」
「んなわけあるか! ここでお前と争ったらどっちが勝ってもヤツに食い殺されるのがオチだ!」
つい先ほどまでの敵を前に拓郎は興奮も収まらないままに叫ぶも、男は口調こそ荒いが至極冷静であった。というより、小口径とはいえ拳銃弾よりも威力が高いライフル弾を三発、拳銃弾二発を食らってもなお平然と立ち上がった上に、未だ自分たちを倒すべき敵ではなく食すべき『肉』として見ている怪物を前にしては脱走がどうのなどと言ってられないのだ。
「肉が増えた、増えたぞォ! みんなみんな俺様のもんだ、俺が全部食べるんだぁぁ!」
「……そんな優先度の低い話は後だ、今はこの人食いサイコ野郎を黙らせるぞ!」
「お、おう……」
「そっちのお前ェ、美味そうだしまずお前から肉になれ! 苦しまないように処理してやるゥッ!」
気のない返事を返すや否や、再びチェーンソーのエンジンが回って騒音をまき散らし、相変わらず巨体に似合わぬ速度で突貫してくる。狙いは拓郎ではなく借金取りの男であり、その理由も『こっちの方が美味しそうだから』というのがこの巨漢の異常性を如実に示している。
「食らえこのイカれた化け物めが! 殺された奴らの仇討ちだ!」
男が持つ半自動式のライフルは発射速度が高く、迫り来る巨漢に向けて放たれた弾は次々と突き刺さるが一向に止まらない。常識的な範疇に収まる人を二発か三発で行動不能にする威力しかない弾では、追加で数発体にめり込んだとしても分厚い脂肪と巨体を動かし重量物を易易と持ち上げる筋骨の前には大して効果がない。
だが意識は確実に小癪な真似をした借金取りの方に向いており、拓郎に対する注意が薄れている。生死の境となる戦いで極限まで集中していた彼はそこを見逃さなかった。
「隙ありッ!」
油断していた巨漢目掛けて思い切り殴りかかり、すっかり相棒となった鉄パイプで足を掬うように横薙ぎでアキレス腱へと叩きつけた。ギリシア神話に登場する無敵の英雄アキレスに存在する唯一の弱点と同じ部位であることからその名がついたが、そんな大衆から忘れ去られた古い逸話など拓郎は知らない。
しかし何度か経験した喧嘩や乱闘によってそこが人間の弱点であることは知っていため、やや分の悪い賭けだがやらないよりはマシだと踏んで間合いに踏み込んでいる。一〇発以上の弾丸を食らっても動いている様は化け物そのものであり、それが効く保証はなかったが、それでもこの場で何もしないという選択肢は取れなかったのだ。
「ぐぉう!? おごぉ!」
乾坤一擲の思いで振るわれた鉄パイプは大して肉のついていなかった足関節へと吸い込まれ、そこで運動エネルギーを盛大に叩きつける。並外れた巨体を支えるべく相応の骨と筋肉はついていたが、胴体や太腿のように大量の脂肪や半ば硬化した皮膚で守られているわけではない。足関節を構成する三つの骨を砕かれ、アキレス腱を潰されたとなればまともに立てるはずもなく、今までの頑健さが嘘のようにバランスを崩して冷たいコンクリート床にひっくり返った。
「お、お肉、肉っ、肉を解体しなきゃ……食べなきゃ……」
それでもなおチェーンソーのエンジンスロットルを握りながら立ち上がろうとするも、片足が機能を失った状態で周りの支えや無しにひっくり返った巨体を起こすことは極めて難しい。仲間の支援があれば可能かもしれないが、ここにいるのは敵が二人だけである。
つまり単なる的であり、無闇やたらと振り回されるチェーンソーの範囲から離れた二人に飛び道具で滅多打ちにされるだけだ。拓郎も倒れていたスカヴィードッグス構成員から武器を奪い取って投げ付けたり、無力化した敵から奪った銃器で部位を問わずに撃ちまくる。
端から見れば二人して動けない男を一方的に攻撃する異様で残虐な行為だが、対象の危険性を考えれば妥当な処置でしかない。そこに転がっているのは無辜の一般人ではなく、人を単なる略奪対象ではなく食すべき肉だと認識している筋金入りの狂人である。そんな危険な輩を野放しにするほど彼らの頭はお花畑ではないのだ。
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