光輝の都の頂へ〜元社畜、欲望渦巻く魔都にて傭兵生活を始める 作:ズブ左衛門
第五九話
『二週間前に発生したニューヨシハラ東部での大規模な抗争は、地元勢力側とスカヴィードッグス、そして愚連隊の三つ巴による極めて激しい戦闘によって、少なくとも三〇名以上の死傷者が出た模様……進出を強める七大ギャングが関与か?』
『ウェストコースト地区に出没するとされる怪異『口裂け女』は早とちりによる誤報であった!? 目撃情報も映像もなく、ただ口を耳まで引き裂かれた死体が残されていただけで決めつけていた可能性が極めて高いと本誌の記者は推測している……』
『新たな企業間の暗闘か、はたまた傀儡に貶められた国家による反撃か。ここ二ヶ月において行方不明になるか不自然な死を遂げた
不特定多数にばら撒かれるちまちました依頼を受けたり受けなかったりしつつ、空いた時間は自堕落に生きる。これこそがこの街で傭兵を名乗る者の大半が送るその日暮らしなのだろうと拓郎は感じていた。
携帯端末でアシハラとその周辺のニュースに限定したローカル誌の電子版を読みながらスナック菓子を貪る姿はとても新進気鋭の傭兵に見えないが、これでもアシハラの傭兵コミュニティでは期待の新人にして有望株の一人として認識されている。
そんな彼がムシャムシャと口に入れているのは、メガコーポ傘下の大手食品メーカーが製造するスナック菓子であり健康にとっては最悪と評されるものだが、油と塩の暴力による味覚の刺激と重量あたりの保有カロリー数は最高峰であり、ちょっとした時間でのカロリー摂取や眠れぬ夜のお供に最適だ。
「ファンに言われて色々ネットに転がってるニュースを見ても、仕事に繋がりそうな情報なんて中々分からない……どうやって見分けてるんだろう」
この日も午後から夕方までニューヨシハラ中心部の警備依頼をこなし、慎ましく生きるなら三日か四日ほど食い繋げるだけの稼ぎを手に新たな我が家へと帰ってきた彼は、新たな習慣としてネットのニュースサイトや市内の噂話が集まるオンライン掲示板を巡回していた。
普通の傭兵ならば属するコミュニティの噂話や見知った情報屋、それに馴染みのフィクサーから耳寄りな情報を得るのだが、拓郎たちは傭兵稼業を始めた経緯や状況がかなり特殊なため『常識的な』繋がりが殆ど存在しない。故にこうやってネットで飯の種になりそうな話題を探すという苦肉の策を行っているのだ。
無論、現在の彼が有しているコネは新米だけならず中堅どころですら喉から何本も手が出るほどに欲しいものである。伝説的な元フィクサーにして69番街の支配者たるマダム・スミスに、その弟子でありイースタンファクトリー地区をまとめる陳。二人ともフィクサーとして有能で気前がよく、大当たりという評価に異論はない。おまけに最上位のはずのヴァイオレット級を差し置いて当代最強と噂されるタチバナとの面識があるとなれば、顔を合わせたこともない連中から謎多きホープとして注目されてしまうのも無理はなかった。
「普通のネットだと全然見つからないなぁ……ダークネットも見てみたいけど、危険な自律進化型マルウェアとか対ハッカー用殺戮AIエージェントとかが普通に彷徨いてるって聞くし。何か危険を避けるコツがないか、明日ミキモトにでも聞いてみよう」
そんな拓郎がいるのは傭兵稼業を始めて二ヵ月以上も世話になった安宿ではなく、二週間前の69番街防衛戦の褒賞として手にした『チーム拓郎』専用のペントハウス。先日お世話になった診療所の別棟と同じくモジュール構造のプレハブを組み合わせた即席ながら、チームの本拠地としても必要十分な機能が整っているこの物件は最高であった。
作戦会議に使えるキッチン付きの共用スペースに最低限の家具が揃った六名分の個室、武器防具のカスタマイズができる作業室、二セットのユニットバスに大型SUVが二台入ってもまだ余裕のある玄関直通ガレージ。流石に毎日の食事や洗濯こそ自身でやらねばならないが至れり尽くせりの設備であり、69番街で継続的に依頼を受けている他の傭兵たちが嫉妬と羨望の入り混じった視線を時おり彼らに向けている。
「ちょっと眠くなってきたな……うん? 何か押しちゃったけど、何だこれ」
『怪奇!
「げ、アホくさ過ぎだろこの記事……よくもこんな明らかに嘘っぱちの内容を堂々と上げられるもんだ、そのイカれた度胸だけは見習いたいけど」
そんな69番街の防衛戦力筆頭と言えるようになった拓郎だが、とうとうやる気に事欠いた挙げ句、表題だけでも胡散臭さ丸出しの記事をうっかり開きそうになったことで、完全に気力を失いソファに力なく寝転んでいる。現在この家にいるのは彼とアリサだけだが、彼女は自室にいるため共用スペースを独り占めできていた。
「ああもうこんな時間か、コーラ飲んで適当にシャワー浴びたら寝よう。慣れないことして疲れたなぁ」
気付けば時刻は既に日付が変わってから二〇分ほど経過しており、玄関の扉を開ければ搔き入れ時こそ過ぎたものの、未だに活気のあるレインボー通りの喧騒が聞こえてくるだろう。ここは69番街の一等地に隣接する好立地であり、それだけでもスミスがいかに拓郎たちに入れ込んでいるかを如実に示していた。
「うげ、ジェットコーラしかない……しかも宇治抹茶味。誰だよこんなゲテモノ買ったバカは……あ、俺だった。面倒臭いからってコーラの棚から適当にカゴへ入れたのが間違いだった」
「お、拓郎さん。まだ起きてたんだね」
そうして渋々ながらコーラとコップを準備していると奥の階段から足音が聞こえてきて、二階部分を構成する個室モジュール群を繋ぐ廊下から降りてきたアリサが顔を出している。普段の露出多めな格好とは異なり、歯ブラシを入れたプラ製のコップを持ち薄手ながらゆったりとしたパジャマを着た彼女はいかにも眠そうな顔をしていて、いつもの溌剌とした印象は全く感じられない。
「自室に籠もる気にもなれなくて、ここで端末いじりながらスナック菓子食べてたんだ」
「へー、そうなんだ。ちょっと意外……あ、それジェットコーラの宇治抹茶味じゃん。ちょうど喉乾いてたし飲みたかったんだ、あーしにも一杯ちょーだい!」
しかし彼女は拓郎の手に持っているコーラのボトルを目ざとく見つけると、今までの眠気は何だったのかと言わんばかりの素早さで階段を駆け下りるなりキッチンの食器棚から金属製のコップを取り出し、それを彼に向けて差し出しながら期待に満ちた眼差しを向けた。
「……俺は一口でいい。何ならあと全部飲むか?」
「やったっ、じゃー遠慮なく! 拓郎さん太っ腹っ」
別段アリサに意地悪する理由もないので、拓郎は再びソファに座ると反対側に腰を下ろした彼女のコップへとコーラを注ぐ。蓋を開けた時に鳴るプシュ、という炭酸の抜ける音と注ぐ時の音は充分に冷房の効いた部屋でも清涼感を醸し出していた。
とはいえ清涼飲料水の中でもあまり評判がよいとは言えないジェットコーラ、しかも奇をてらったフレーバーのそれはお世辞にも美味とは言えず、こんなものを買ってきた当時の自身の正気を改めて疑っている。大方二週間前の防衛戦の勝利で浮かれていた時に買い物カゴに入れた当時の自分を引っ叩いてやりたいとは思ったが。
「うーん、予想できてたけどミスマッチで酷い味! それで拓郎さんは何してたの? オンラインのギャンブル? それとも……隠れてえっちな動画でも見てたん?」
「流石にそんなの共用スペースじゃ見ないぞ……何か仕事の種になりそうな話題でも調べてたんだよ。そういうミキモトはずっと何してたんだ?」
「ん、タチバナさんのこと調べてた。でもやっぱりガードが固いっていうか、戦って生き残ったってヒトが全っ然いないから……情報の殆どが状況証拠とか通信ログの断片みたいに」
それでも喉越しは悪くなく最低限の目的である喉を潤すことはできたので、せっかく会ったのだからと軽く話していた。アリサの方は最近の日課となっているタチバナ関連の調査を続けており、ある程度危険の伴うダークネットの中層部まで捜索範囲を広げることで、タチバナが残したであろう多少の痕跡や情報を発見することに成功していた。
とはいえ、彼女の顔に浮かぶのは恋慕や尊敬、崇拝といった単純な好意やその反対の感情ではない。どこか複雑で何かを確かめたい、確信を得たいといった面持ちであり、安易な返答など求めていないことは明らかであった。
「この間から聞きたかったんだけど、ミキモトは何故タチバナさんのことばかり調べてるんだ? この間も中々ご執心だったようだけど」
拓郎としても気になっていたところであり、アリサの地雷を踏む可能性があると分かってはいたが、それなりに気になってはいたからだ。先達から学び糧とすることは大切であり、推奨こそしても大っぴらに止めろとは言い難いのが実情である。
「……んー、まあ、拓郎さんには事情を話しちゃっていいかな。ヒトのデリケートな話を勝手に別のヒトに話したり、変に茶化したりするようなヤツじゃないし」
「そりゃ最低限度のデリカシーは持ち合わせてるつもりだけれども……よかったら聞かせてほしい」
ひょっとしたら、ミキモトは前衛としても戦える万能ハッカーにでもなりたいのかもしれない。拓郎はそれくらいのことだと考えて彼女の頼みを快諾したのだが、すぐにそれが間違いであったことを思い知らされることになる。
「……あーしは家族を殺した犯人を探してる。五年前にじいちゃん、婆ちゃん、それにパパとママ、少し年の離れた兄貴を奪ったとびきりのクソ野郎を見つけ出して、この手でズタズタにしてやるって誓ったの。ある程度遺産があったから高校までは不自由なく通えたし、成績は良かったから大学の情報工学科から推薦も来たけど……やっぱりみんなの仇を討ちたいから傭兵になったんだ」
「え、ちょ……え!? そんな事があったなんて……!」
それは普段の飄々とした彼女を知る者としては想像だにしなかった重苦しい事実の告白であった。悲惨な過去を告げられた瞬間何か言葉を発することもできなくなり、ただただ彼女の口から飛び出る言葉に耳を傾けることだけに集中させている。
もしかしたら嘘かもしれないと拓郎は一瞬だけ思ったが、それにしては真剣さが段違いであるし何よりここ二ヵ月の付き合いでそんな馬鹿馬鹿しい嘘をつく人間ではないと分かっているため、黙ったまま彼女の話を聞き続けるしかなかった。
「だからあの時、あんな顔で黄昏てたのか……!」
「そ。だから傭兵にしてくれーって、陳さんを頼ったってワケ。でもあーしにできるのはハッキングと防御だけだし、人探しするなら傭兵になるんじゃなくて探偵事務所に行けってド正論で返されちゃったけどさ。これからどうしようかって悩んでるとこに拓郎さんとファンさんが来た……あっ、あん時はほんとにゴメンね? カラダ目当てのバカがいっぱい寄ってくるから、二人もそうじゃないかって思っちゃった」
「じゃあ、最近タチバナさんのことをやけに念入りに調べてたのって……ミキモトの家族を殺した犯人だと思ったからなのか」
「うん……タチバナさんを調べてたのは活動を始めた時期があの日とかなり近いみたいだし、もしかしたら何か関係してるんじゃないかって思ったから。それに犯人じゃなかったら、いつかクソ野郎をバラバラにする時に援軍として雇えないかなーって。めっちゃ強いってのは知ってるし」
その言葉を聞いて、拓郎の中で彼女の突飛とも言うべき行動にようやく納得がいった。大切な人を皆殺しにした下手人の可能性あり。それ程の仇かもしれなければ、ああも熱心に調べるのも当たり前であるとようやく合点がついている。
親子仲なんて高校卒業時には殆ど破綻していた彼にとって、仲睦まじい家族などというのは物語の中の絵空事でしかなくあまり上手く想像できなかったが、彼女にとって家族とはかけがえ無く大切な人であったことだけはきちんと理解していた。
「ま、大切なコトは結局分からずじまいなんだけどね……それに前も言ったかもだけど、タチバナさんの経歴も真っ白過ぎて絶対にヘンだし。日本のそこそこ裕福なアッパーミドル家庭で生まれ育ったお坊ちゃまが、こんな掃き溜めみたいな場所に来て傭兵なんかしないっつーのって思っちゃった」
「ファンも言ってたけど、傭兵なんてそんなものじゃないのか? 生まれも素性もごった煮で、大半は十把一絡げに扱われて人知れず死んでいく。才能と努力、そして運をより持ち合わせた者だけが上へ上へと行けるんだって。タチバナさんは単に人より戦闘のセンスがあった上で努力を怠らず、それでいて然るべき幸運を持っていただけだと思う」
とはいえ、拓郎にとってタチバナとはあくまでいつかは越えるべき先達でしかない。確かに一度だけ見た一瞬の蹂躙劇や粗野とは対極にある態度など尊敬・模倣すべき点が多々あり、大いに学びを得られる対象であるとは彼も思っている。当代最強とまで言われる実力は誇張ではなく、仮に今挑めば何もできないまま三人揃って膾斬りにされて終わりだ。
それに彼は、何の因縁もない一人の傭兵に対してそこまで執着するつもりは毛頭なかった。強いのは知っているし、可能なら同じニューロンブースター持ちとして弟子入りしてみたいとは思うのだが、あくまで数度言葉を交わしただけの他人でしかないし、そもそも連絡先すら知らないのだから無理な話である。
「んー……ま、そうだよね。タチバナさんはどうやら違うみたいだし、一旦置いといて……」
いきなり重い話を聞かされた拓郎としては、全く心の準備ができていなかったため大きな衝撃を受けてしまっており、これで終わりかと内心では安堵していた。覚悟を決めてからならともかく、一日の終わり、しかも疲れた状態で聞きたい話ではなく、余計に疲労を感じていたからだ。
しかしそんな彼の淡い期待は見事に裏切られることになる。おまけに、今までが前座であるかのような衝撃を叩きつけられるとは夢にも思っていなかった。
「……もしあーしがみんなの仇を見つけたら、迷わずにブチ殺しに行く。その時に拓郎さんに手伝ってほしいって言ったら、ついてきてくれる?」
事もなさげにそう語るアリサの茶褐色の瞳が拓郎をじっと見据えている。いつものようにからかったりおちゃらけた様子は全くなく、それが彼女の断固たる決意を何よりも示していた。
「うーん……とは言っても敵と報酬次第だよな。仮にどこかのメガコーポの重役を殺りに行くのに、報酬がたった一万クレジットとかだったら嫌だっていうかもしれない」
それに対する拓郎の答えは、傭兵として百点満点に近いものであった。自分の命や技量、装備といったをチップとして戦場という最善手も確定した未来もない賭場にベットし、依頼を達成して報酬を得るか全てを失う──すなわち死ぬかのどちらかであり、今の時点ではそうとしか言えなかったのだ。
自分の秘めたる目的を開示してもらえる。そこまでアリサに信頼されているという事実はもちろん嬉しかったが、それでも全面的に協力するという約束はできない。傭兵にとって己の体は文字通り商売道具であり、いくら仲間の頼みとはいえ大して利益の出ないことに首を突っ込むほど暇でも器量がいいわけではないからだ。
「んじゃさ……もしあーしの全部をあげるって言ったら?」
「え……ぜ、全部?」
しかしアリサの言葉は止まらない。寧ろこれからだと言わんばかりに妖艶さと剣呑さを瞳に宿した彼女の語気は少しずつ、しかし確実に熱を帯び始めていた。
「うん、言葉の通り全部だよ? カラダが欲しいならどーぞお好きに。家族の仇を取ってくれたヒトなら……いつでもどこでも、どんなことでもしたげる。カレシ持ちの友達に聞いたけど、男の人って大抵胸とお尻が大きいのが好きだって聞いたんだ。あーしも両方割とデカいと思うし、きっと拓郎さんも満足できると思うけどなー」
澄んだ瞳が放つ一点の曇りも乱れもない視線は、ついに並みの銃撃戦や斬り合い程度では怖気づかない彼を恐怖させていた。口調こそ軽くはあるが、彼女は自らの仇敵を見事討ち果たした相手に対してなら、残りの人生含む己の全てを本気で差し出すつもりなのだと理解してしまったからだ。
「……ねぇ、拓郎さん。あーしのこと、欲しくない?」
アリサはほんのりと頬を紅潮させ、拓郎の隣へと座って自らの体を寄せる。そこまでは、
「欲しいって聞かれても……俺だって分からないよ」
こいつ、完全に狂ってる。拓郎は仲間であるはずのアリサにそんな感情を抱いた。殺された家族の復讐に狂奔するのは彼も理解できるし、力をつけるため傭兵になるのも、良さげな候補者を誘い込むのも戦力確保の手段としては合理的である。そこまでは傭兵として彼も見習いたい執念だと思っていた。
だがその報酬として自分そのものと未来全てを提供することだけは全く理解できなかった。仮に自分が見事仇敵を討ち果たしたとして、無茶苦茶なことを要求したら何でも従うのか。そんな思考が彼の頭の中をグルグルと回り、混乱を深めていく。
「じゃあさ、これからお前はペットだから一生全裸かつ四つん這いで生活しろとか言っても従うのか……?」
「え、いいじゃんそれくらい。犯人を殺った後の人生なんておまけみたいなもんだし」
少し意地悪な返しをしたつもりの拓郎であったが、アリサは即答している。視線も声色も全く動揺しておらず、それがまた彼女に対する恐怖心を増幅させていた。
「ひ、ヒィッ……!」
ある意味ではスカヴィードッグスよりも狂ってる。そんな彼女の中に渦巻く執着と恐ろしい狂気を垣間見てしまった拓郎は小さく悲鳴を上げてしまった。理解できないもの、よく知らないものに対する恐れ。人間の感情の中で最も原始的とも言われるそれは、百年前から見れば魔法じみたテクノロジーが闊歩する二〇八七年においても払拭されることなどない。
そんな隠しきれぬ恐怖の感情を察したのか、アリサは少し残念そうに拓郎の首に回した手を引っ込めると少しだけ距離を取っている。言葉も雰囲気も奇妙な迫力はなくなり、彼が知るいつもの明るく快活で、底知れぬ元気を持つ彼女へと戻っていた。
「……でも、仇を討ってくれたら全部あげるのはホント。だからさ……よかったら拓郎さんも力を貸してね? おまけで遺産の一億クレジットもついてくるから」
「一億……クレジット……」
「あー……そっちに食いついちゃったかー……拓郎さんらしいや、にひっ」
何とか紡ぎ出された拓郎の言葉にアリサは驚きと呆れの表情を浮かべるも、遺産の残余である一億ほどのクレジットは中々に魅力的であり、相手次第では積極的に狙ってもいいのでは思い始めていた。日本では最底辺に近い暮らしを何年もしていた拓郎は意外とがめつく、臨時収入や棚からぼた餅といったシチュエーションが大好きなのだ。
「……んじゃ、あーし歯磨きしたら寝るね! おやすみなさいっ」
アリサは先程までの気迫や狂気、覚悟が嘘であったかのように愛らしい笑みで拓郎を見ると、自室から持ってきた歯ブラシとコップを持って奥側のユニットバス部屋へと入っていく。
「……俺も寝よう。小難しいことはまた明日の俺が考えるでしょ、多分……」
ただでさえ疲れたのに、唐突に重い話を聞かされて余計に疲れてしまった。拓郎はそんな事を思いながら寝る前にシャワーを浴びてから歯磨きするべく、自らの歯ブラシが置いてある手前側のユニットバスの扉を開ける。そうして誰もいなくなった共用スペースのテーブルには、空になったまま置かれた二人分のコップだけが残されていた。