光輝の都の頂へ〜元社畜、欲望渦巻く魔都にて傭兵生活を始める 作:ズブ左衛門
「え、69番街を救って……? いや、俺地元の人間じゃないし、そもそも創作もののヒーローとかじゃないよ? たまたま見かけたから助けられただけで、人助けやボランティアが趣味とかでもないし……」
美少女を助けたと思ったら、何故か今度は69番街なる知らない場所を救ってくれという奇妙なお願いをされてしまった。彼がアシハラにやってくる前、永遠に続くかと思われた暗黒労働の疲れを癒す数少ない楽しみであった、ネット小説の内容めいた事態に遭遇したことで目を白黒させている。
ああいうのは自分が蚊帳の外にいるから純粋に物語を楽しめるのであって、自分がそんな事態に置かれたら困惑して右往左往するのが関の山であり、困難を楽しめるわけなんてない。それが拓郎の持論であり、他の読者とは違い物語の主人公に自己投影することは少なかった。
しかし現実に厄介事は既に彼のもとへ持ち込まれている。全く首を突っ込んでいない現状なら逃げ出せる状態だが、この浮浪者めいた生活を終わらせ傭兵としての第一歩を踏み出すまたとないチャンスとなりうるため、どうしようか決めかねていた。
「どうか……どうかお願いします! 69番街は私みたいな他に居場所のない人たちの避難所で、あそこがなくなったらみんな生きていけないんです……」
「いやいや、何をすればいいのかも分からない状態じゃ安請け合いできない。どういった問題を抱えていて、俺に……いや、俺たちにどういうことをしてほしいのかを教えてくれ」
だから拓郎は何をすればいいのかと目の前の少女に質問している。実際問題として、何をして69番街とやらを救うのか。先ほどみたいに生意気なチンピラ数人を程度ならできるが、経営難を救ってほしいと言われたらお手上げだ。彼には戦いの経験は多少あれど、経営の知識など皆無に等しいのだから。
「……69番街は今、侵略の危機に晒されています。マダムと自警団の方が対策してくださっていますが、それでも兵力が全く足りていないんです」
そう言われてしまえば助力を求める側として大まかな事情を話さないわけにもいかず、少女は事情を容易く話している。本当ならば承諾してから話すべきであったのだが、69番街を取り巻く事態は少しずつ、しかし確実に悪くなっており、今は一人でも多くの戦力が必要である。
そんな中で、チンピラ相手とはいえ単騎で三人を瞬殺する拓郎を引き入れたいと思うのは自然なことであった。単なる男娼である彼には裏社会の流儀など詳しいことは分からないが、自らを凌辱しようとしたチンピラを瞬きする間に叩きのめした実力は本物であり、そこらの探偵や何でも屋、傭兵を自称する連中よりも力になってくれそうだと思っている。
「お願いします……私たちが私たちらしく過ごせるただ一つ場所を守ってはいただけませんか?」
だが、拓郎は即答できない。確かに傭兵稼業を始める取っ掛かりを求めているのは事実だが、今は元借金取りのファン・マクダニエルと組んでいるため自分一人の判断で決めるわけにはいかないのだ。
「組んでる奴がいるからそいつの意思を確認しなきゃいけないし、俺は今ちょっと訳あって端末を持ってなくて。返事は明日まで待ってもらえるか?」
その旨を伝えると、ショウコは嫌な顔をするどころか半ば予想していたという風に小さなバッグから何かを取り出している。
「……では、これをお渡ししておきます」
差し出されたのは一枚の名刺。一見すると性風俗関係で働く人が持っている仕事用のそれであり、よく見れば“マダム”・スミスという全く聞き馴染みのない人物の名刺であり、何故無関係なそれを自分に渡すのかという疑問が湧き上がってきた。
「何故仕事用の名刺を。君はマダム・スミスって名前なのか?」
「いいえ、違います。私の名前はショウコです」
尋ねてみれば目の前の人物ではないことは理解できたが、
「ええっと、じゃあこの……マダム・スミスっていうのは……?」
「私の方はともかく、マダムの名刺の方は持つ者の意味が分からない人なんて69番街にはいません。それに、マダムは手を差し伸べてくださった貴方の来訪をきっと喜んでくださるでしょう」
どうやらこのマダムとやらは69番街でいたく尊敬されている人物らしい。ショウコと名乗った少女の口調からそんな雰囲気を感じた拓郎だが、口には出さないでおく。何者か全く分からない以上、下手に称賛したり否定するのは悪手であることくらい彼も分かっているのだ。
「……はっ、いけない! もうこんな時間……もし承諾していただけるなら、明日またこの時間に地下鉄ニューヨシハラ駅の一番出入り口でお待ちしてます……助けていただいて本当にありがとうございました。それとは別にまた後日、個人的にお礼をさせてください!」
まだ何か話したそうにしていたがトラブルにより時間が押していたため、そのまま慌てて客の家へと向かった彼女と別れ、どこか心地よい疲労と謎の名刺と共に隠れ家へと帰ってきた拓郎。早速散歩中に起きた小さなトラブルとその後の事のあらましを相棒に話したのだが、まず返ってきたのは大きなため息である。
「……ハァー、そんな狙ったようなウマい話なんてあるわけないだろ。オイタの過ぎるチンピラをボコして戦利品カツアゲしてきたのはまあいいとしても、そんな世の中都合よく事が進むわけあるか。日本ならともかく、ここはアシハラだぞ。何か裏があるに可能性は低くない」
元借金取りという立場から裏社会を知るファンからしてみれば至極当然な疑念であり、頭の出来が残念な人間か追い込まれて切羽詰まっている人間をどん底に突き落とすための罠である方が自然であった。
以前に取り立てた相手が似たような手口の詐欺に引っかかって金を入れ込んでいたこともあり、新しい相棒がそんな愚かな行為に走らないよう見張らねばと心に決めている。
「でも、この名刺を見せればその道に詳しい人なら信憑性も価値も理解してくれるって」
「へえ、ソイツも中々大きく出たな。で、誰の名刺なんだ?」
「確か……マダム・スミス。69番街ってところで『ウキヨエ』とかいうデリヘル店のオーナーをしてるって聞いたけど」
「……え、正気かソイツは。よりによってその名前だけじゃなくて経歴まで騙るなんて大馬鹿者過ぎる。もう一線を退いて三年も経つってのに……」
しかし彼がその名刺を取り出してファンに見せると、疑わしいものを見る目はみるみるうちに困惑した表情に変わり、数秒ほど経つと顔が隠された財宝でも見つけたかのように喜色を浮かべている。
片手の指に収まらぬ数の伝説的な逸話を持ち、冷酷で強欲な企業や狡猾で残虐なギャングを幾度となく手玉に取った超人的タフネゴシエーター。既に引退したとは言われているが、そんな超大物とコネクションを得るための特急券が自らの手の中にある。罠である可能性が否定しきれなくとも、そんな夢みたいな現実に否が応でも気分が高揚していたのだ。
「嘘だろ……これ、本当にあのマダム・スミスの名刺なのかよ。ちゃんと裏側にご本人のキスマークまでついてるしホンモノだ。ニューヨシハラどころかアシハラ全域に顔が利く伝説のフィクサー……三年前に引退したって元傭兵の同僚が言ってたのに、またこれを見れるなんて」
「え、その人有名人なのか? てっきり普通に連絡用の名刺だと思ったんだけど……」
裏社会のことを何も知らないが故に、相棒の驚きように困惑する拓郎。彼にとってマダム・スミスとは69番街で風俗店を経営しているありきたりなオーナーでしかなく、そんな隠された驚愕の事実があることなど露ほども知らなかった。尤も、これは少しでもアンダーグラウンドな界隈に出入りしている人間なら知っていて当然レベルの話であるのだから、ファンもある意味で驚かされていたが。
「マジかよ、マダム・スミスの存在すら知らないのに傭兵稼業に乗り出そうとしてたのか……」
そのため拓郎は危なっかしい奴だと追加で呆れられてしまった。余程の間抜けか新参も新参でない限り、少しでも裏の業界に出入りしている者なら誰もが知る名を本気で知らないと言い放つ人間はある意味で恐ろしい。
対価を貰って好き放題暴れ回るだけという大衆のイメージとは違い、アシハラを始め企業の支配下にある自由都市で傭兵を生業としたいならば、ある程度街の情勢や勢力間の機微を読める能力は必須に近い技能である。極論を言えば腕っ節だけでのし上がることも可能だが、それではいつまで経っても体のいい鉄砲玉扱いされるだけだ。
だからこそ、自分たちがそんな惨めな扱いを受けないように善処しなければ。そんなファンの密かな決意など全く知ることのない彼は、無邪気に次の質問を放っている。
「69番街なんてどんな場所かも分からない……ファンは何か知ってたりするか?」
「ああ、そこに取り立て対象がいたこともあるし一応は……性的マイノリティとか犯罪とかじゃなくて訳ありの人物が寄り集まったっていう、ニューヨシハラでも東のベイエンドに近い区画だな。そこが正体の分からない何者かの集団に攻撃されているとなると、こりゃまた何ともキナ臭い」
「へえ、そんな場所だったのか。でも俺はそろそろこの辺で傭兵としての仕事を始めていきたいと思う。日雇い労働だと本当に金が貯まらない」
「……ほんと、コイツは感性も知識も単にギャンブルで借金こさえただけの一般人なんだよな。まあ俺もそれに関しては賛成だし、いい加減こんな浮浪者と変わらない暮らしは終わらせたいからな……」
ファンは目的地の基礎情報を思い浮かべつつ、独自の嗅覚で何やら不穏な気配を察しているものの、つい一週間前までは何も聞いていないため大きな組織は絡んでいない可能性が高いと踏んでいる。敵の正体はは企業や七大ギャングではなく、精々が新興の犯罪組織か急拡大した愚連隊程度のものだろうと。
ならばこれに加勢して傭兵生活の第一歩を踏み出すのも悪くないだろう。元の職業だって危険と隣り合わせなのは変わらないし、何よりニューロンブースター持ちが相棒なのだから酷い負け戦にはならないだろう。そんな皮算用を密かに立てている。
「……それに、そいつが本当にマダム・スミスの使者なら闇討ちしてくる可能性は限りなく低い。待ち合わせ場所のニューヨシハラ駅一番出入口も人通りのある大通りだから大丈夫、なはず……たぶん」
「もし罠だったら、俺が可能な限り倒してから逃げる……相手がタチバナさんみたいなニューロンブースター持ちの実力者じゃなきゃだけど」
仮に武運つたなく死ぬにしても、せめて最期くらい前向きに倒れたいものだ。意見が一致した二人はショウコの誘いに乗ることを決め、ささやかながら壮行会と称して安酒と安価なつまみを買い込み酒宴を張っている。当日に酔いが残っているのはまずいため前夜の開催となったが、それでも明日に迫った緊張を和らげるには役立った。
そうして迎えた翌日の夜、会談に備える名目で日雇い仕事に行かなかった二人は少ない荷物をまとめて一週間ほど世話になった隠れ家を引き上げると、約束の時間からきっちり五分前にはニューヨシハラ駅の一番出入口へと到着した。午後八時頃の大通りならばある程度人や車の往来もあり、暗殺者を紛れ込ませられるほど密度はないため安心している。
流石にビルの屋上に狙撃手を潜ませていたらどうしようもないが、相手に対して一切悪事を働いていないし、そうであったらまず対処不可能なのでその可能性は無視することにした。
「ああ、お越しくださったんですね! あ、えーっと……すみません、お名前を聞いていなかったみたいです」
数分後に手を振りながらやってきたショウコだが、しかし急に言葉に詰まったことで昨日話した時に最後が慌ただしかったため名乗っていなかったことを思い出している。
「俺は赤松拓郎。元社畜で今は絶賛無職中の三〇歳なんだ。よろしく」
「そんで俺がファン・マクダニエル。今コイツと組んでるしがないおっさんさ」
そのまま歩き始めて少女についていくことおよそ三〇分。人の気配が殆どしない薄暗い路地を幾度も曲がりながら先に細い路地がバリケードやトタン壁で塞がれた一角があり、唯一ある入口には文字が掠れて読めない古い商店街のような看板がかかっている。
「ようこそ、私たちの故郷69番街へ!」
「ここが69番街……」
「話は聞いたことあれど、意外に賑わってるな」
彼女の言う通りそこをくぐれば69番街であり、妖しげな雰囲気を醸し出す古臭いピンクや紫のネオン看板が大通りと比べて明らかに古臭い鉄筋コンクリート造の低層ビルを彩る。周辺の区画に建つ新しい巨大ビルや複合モール等に囲まれたそこは急速に移り変わる時代に取り残された旧世紀末の寂れた街並みそのもので、ニューヨシハラ地区だけを見てもその評価は大して変わらないだろう。
「ここが『ウキヨエ』、私の家みたいな場所です。マダムがお待ちですので、こちらにどうぞ!」
どこかアンダーグラウンドながら懐かしさすら漂う道をさらに数分ほど歩くと目の前に現れたのが、この区画の中心地である『ウキヨエ』。四階建てのビルの正面に英字の筆記体と江戸時代の浮世絵を模したネオン看板が掲げられ、薄紫色の光で周囲を照らしている。
しかし建物に入るために使うのは二人の用心棒が守るネオン看板下の正面ドアからではなく、隣の建物との間を通った先にある従業員用の通用口。今は営業時間の真っ最中であり、狭義で客ではない彼らがそこを通るのは適切ではないからだ。
古めかしくも決して汚くはないビル間の小路を通り抜け、幾つかのゴミ箱と業務用と思しき古ぼけた車が一台だけ置かれている裏庭らしき場所を突っ切り、ショウコが通用口に取り付けられたインターホンを鳴らした。
『誰だ……ああすみません、ショウコさんでしたか。お帰りなさい。で、そちらの二人が連絡のあった傭兵候補だな』
内側から幾つか解錠する音がしてドアが開かれると、二メートルを超す巨軀で筋骨隆々の得体を持つ男が現れ、ショウコを屋内に招き入れると二人の前に立ち塞がる。その際に名刺を見せろと言われたためマダム・スミスの名が書かれた方を提示すると、不審者を見るような視線が露骨に和らいだ。
なるほどこれが『その名刺を持つ者の意味の分からない人はいない』なのか。拓郎はそんなことを考えつつも、まさかこれほど効果があるものとは思わなかったため困惑を隠せないまま指示に従って中へ入る。
「では、私は今日はホールでの接客がありますので。願わくば、お二方が私たちと共にあってくれることを……」
この日も仕事がある案内役のショウコとはここでお別れであり、美少女じみた男は更衣室のあるバックヤードの方へと歩いていく。この『ウキヨエ』なる店が日本でいうところの風俗店なのかキャバクラ的なものなのかさっぱり分からなくなっていたが、そもそも生まれ育った国と法制度が異なるため考えても無駄だと気付いて頭の片隅に追いやった。
「……ここの階段から二階へ上がり、すぐ左の扉にある事務所に入って奥側のソファーに座っていてくれ。マダムはまもなくお見えになるが、くれぐれも失礼のないようにな」
そんなしょうもない考え事で数秒ほど立ち止まっていたため、用心棒の男に促されてから上階への階段を上がり『事務所』と書かれた小さなプレートがかかった部屋へと入る。そういった店舗はお金を持っていそうという先入観を持つ者から見れば驚くほど質素な内装であり、来客用と思しきソファーも社畜時代の拓郎ですら一月分の散財を我慢すれば買えそうなほどの安物だ。
しかしそんな些細なことは二人とも気にしていない。もうすぐ自らの人生を変えるであろう瞬間が始まる。事がうまくいけばいきなり伝説のフィクサーとのツテを得られ、これからの傭兵生活で大きなアドバンテージとなる。そんなあり得る未来を想像し、二人の心臓は高鳴っていたのだから。
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