自信を見失えども   作:何もかんもダルい

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否定された憧憬、燻る願望

「へへ、あっつい……」

 

 夏休み、祖母の家。

 祖母が植えているひまわりと朝顔が綺麗に咲いていて、それを鉛筆で描いていく。

 格好つける訳じゃないけれど、自分は絵を描くときは静かな方が好きだった。だって怖いから。自分の好きな事をしてる時に、周りからじろじろ見られるのは好きじゃない。

 

「…………」

 

 陽が昇り切れば花がしぼんでしまうから、ささっと朝顔の輪郭を紙へ写し取る。

 そうしてある程度の形を掴んでから、()()()()()は始まる。

 

 蔓に筋繊維を。葉に血管を。葉脈は神経に置き換えて、咲き誇る花は骨格に。掌で表現しようかと思ったけれど、朝顔はもっと繊細で、そんなに力強いイメージはないから却下する。

 

「ダリアとか、百合の大輪なら……手を使っても、合うよね……へへ……」

 

 幾度となく繰り返した工程。とうに描き慣れた人体のパーツを頭の中で組み上げて、朝顔のシルエットに整えていく。

 1時間ほどで出来上がった作品は会心の出来栄えだった。額縁に入れて飾りたいなんて思うくらいには整っている。

 

「……やめよ」

 

 母さんの悲鳴が耳の奥で再生されて、スケッチブックを閉じた。

 

 

 

 

 人体が好きだった。

 パーツ一つ一つに込められた機能美に、心底から惚れこんだ。

 

 図鑑に乗せられた精巧な絵。神経、血管、骨格、内臓、筋肉……命を構築するための構造が持つカタチに、これ以上ないほど惹かれた。

 だから、暇さえあればそれらを描いていた。

 一心不乱に描いて、描いて、描いて。ついにはそれらを組み合わせて他のモノを表現しようと思うようになって、描く物はどんどん広がっていった。

 

 パーツが書ければ、人体そのものを描くのだって上手くなる。お陰で中学では1年生からちょっとした有名人で。

 浮かれるままに美術部に入って、渾身のヒマワリの絵を見せたら、思いっきり引かれた。

 

「気持ち悪い!」

「頭おかしいって」

「何考えてんだよお前」

 

 子供の噂は、広まるのが速い。

 あっという間に僕は変態で、頭がおかしくて、気の狂った猟奇殺人鬼予備群ということにされて、さんざんな扱いをされた。

 

 ただ、そのカタチが心底から好きだっただけなのに。

 本物の血なんて見た日には卒倒しそうになるくらい耐性がないのに、()()()()()()を見せられたりして。

 

 ……人前で、()()()()()をするのが、怖くなった。僕の絵は気持ち悪いんだって、分かってしまったから。

 

「……自慢、したかったなぁ」

 

 なるだけ顔を隠して見に行った、母校の文化祭の展示。

 みんなが自慢の作品を発表して、そこに込めたものを語り合っていて。一度だってそこに作品を出すことができなかった未練で、泣きそうになって逃げるように帰ったのを思い出す。

 

 救いだったのは、顧問の先生がそういう描き方に理解があったことだろうか。込めた想いをつぶさに理解してくれて、多少耐性のあった子にはしっかり解説までしてくれた。

 その上で、『刺激が強すぎるから若い子には見せられない』と真摯に向き合って謝罪してくれたから、ギリギリで耐えることが出来た。先生が居なければ、今頃僕は引きこもりの中卒ニートという称号を得ていたかもしれない。

 

「先生、元気にしてるかな」

 

 高校に入ってからは、外で絵を描くことはしなくなった。友達は一応居るが、絵を描いていることは一度も話したことはない。美術部には興味もない振りをして、金輪際近寄らないように徹底した。

 

 家でも家族から病気を疑われたから、自分の部屋に鍵を掛けて描くようになった。夏休みになると祖母の家に居候するのは、祖母が先生のように理解を示してくれたからに他ならなくて。

 

 端的に言えば、僕は人体が好きなのに人間が嫌いだった。

 

「描けたの?」

「あ、うん……へへ」

 

 閉じられたスケッチブックを更に隠すように胸に抱えると、祖母はそれを一瞥して、ふぅん、と興味なさげな声を漏らす。

 

「こんな朝早くから……血筋かねぇ。朝ごはん出来てるから、さっさと手洗ってきな」

「は、はい」

 

 祖母もまた、絵を描くのが好きだったらしい。今はもう筆は握らないなんて言っているし、何かしら思うところはあるのだろうが、幾度となく目にしたはずの僕の作品を見ても文句ひとつ言わずに家に泊めてくれている。

 もう70は超えてるだろうに背筋はぴんと伸びていて、口調は厳しいけど理不尽に叱りつけたりはしない人だった。

 

「何ぼーっとしてんだい。ご飯冷めても暖めてなんてやらないからね」

「い、行く、行きます……!」

 

 ……性格のキツい人では、あるかもしれないけれど。

 

 

 食事はいつも一緒に摂って、食後には緑茶とお茶菓子のチョコレート。それが祖母との生活のルーチンだった。

 僕は口下手で、祖母はあんまり口を開くタチじゃない。説教される3秒前みたいな沈黙が常に漂っているけれど、それは祖母の居住まいが滲ませているだけ。そう理解してからは、むしろこの静けさを心地よく感じるようになった。

 

「カズサ。あんた、絵の題材は有るのかい」

「ま、またヒマワリでも描こうかな、って……へへ」

「はぁ……毎日毎日同じ物を、よくもまあ飽きないもんだね。幾らなんだって腕も鈍るだろうに」

 

 絵を描くということに対して、自分がやったことがあるからというのもあってか祖母は結構厳しい。マンネリを許さないと言えば良いのか。同じものを延々描き続けても良いものなんて描けないよと何度もどやされた。

 

「たまには散歩くらい行ったらどうだい。多少門限過ぎたって無事に帰って来りゃ怒りゃしないよ」

「…………うん」

「……ったく、重傷だね。ウチのバカはどうしてこうなるまで息子を放っておいたんだか」

 

 祖母は僕が外で絵を描かなくなった理由を知っている。問い詰めるようにして聞き出され、白状した後は真っ先に電話に向かって行って父さんを詰っていた。

 父さんは良くも悪くも放任主義というか、実害が無いのなら好きにやらせるというタイプだったので、干渉してこないこと自体が有難かった。ただ、祖母はそんな実の息子の姿がどうも気に食わなかったようで電話口で小一時間口論をしていたのをよく覚えている。

 

「リハビリっていえるほど大層なもんでもないけどね。ここは無粋な指摘するような奴もいないクソド田舎さ。好きなようにやりな。それで文句つけてくる馬鹿タレが居るんなら黙って走って帰ってきな。アタシが叩き返してやるさね」

「か、苛烈……」

「害があるわけでもあるまいに人を詰るような呆けに遠慮する必要が何処にあるんだい。ほら、分かったらとっとと行ってきな。水筒ならそこにある」

 

 指さした先には幅広の麦わら帽子と大きな水筒が用意してあった。話をするより前に僕を蹴り出すつもりで用意していたらしい。

 

「アンタはそこまで集中して描くタチじゃないから大丈夫だろうけどね、筆を握るんなら日陰を探しなよ。熱中症でぶっ倒れたなんて笑えもしない」

「気を付ける……ありがとう、祖母(ばあ)ちゃん」

 

 湯呑の残りを一気に飲み干して、水筒と帽子を掴んで台所から出ていく。

 言うことは厳しいし、たまに厳しすぎて泣きたくなるけれど、無理強いだけはしない人だった。今だって僕が嫌だと言えばすっぱり諦めて、庭のヒマワリを題材にすることを認めてくれただろう。

 押し付けるだけ押し付けて、相手が一歩引くなら決して追いかけない。そういう話し方をする人だ。

 

 

 

「アタシの時代(とき)でもあるまいに……バカな話だよ、周りのせいで好きなもんを好きなように描けないなんてさ」

 

 部屋へ向かう途中に聞こえた独り言が、酷く耳に残っていた。

 

 

 

「意外と重い……へへ」

 

 鉛筆とスケッチブックを手提げ鞄に詰め込んで、大きな麦わら帽子を被って、肩から大きな水筒を提げて歩く。持っているモノだけ見ればまるで小学生だが、生憎と此処に居るのは高校2年生。可愛げなんて遥か彼方に置き去りにしてしまったパッとしない思春期男子である。

 

 えっちらおっちらと荷物を抱えてひた歩く。時折水筒の中身で口を潤しながら、描きたいものが見つかるまで。

 水筒の中身は濃く煮出した麦茶だった。気温が上がり切る前だからどうにか我慢できるとはいえ、流石に暑い。喉を通る茶色の中に含まれたミネラル分とか、とにかくそういうものを体が全力で取り込もうとしているのを感じる。

 

「へ、へへ……」

 

 すっかり染みついて口癖になってしまった引きつり笑いは絶好調。傍から見ればボサボサ髪に丸メガネの変人が気味の悪い笑みを浮かべていることだろう。僕だったら通報している。

 

 そうこうしているうちに、気が付けば浜辺まで足を運んでいた。遠くからはホイッスルの音や気合の入った女子の声が聞こえて、何かしら合宿でもやっているのだろうと一瞥する。

 

「……離れよ、へへ」

 

 女子という生き物は怖い。顔を見られただけでこの世のありとあらゆる暴言をぶつけられるような気がする。完全にトラウマだった。

 

 場所自体を変えた方が良いのだろうが、気分を変えて海と浜辺を真面目に描きたい気分ではあって。

 だから、声の聞こえる方向から遠ざかるように海岸線を進んでいく。

 

 遠く、遠く、出来るだけ遠く。

 誰も居ない場所へ。

 人間が居ない場所へ。

 人体に魅せられてしまった狂人を、誰も謗らない場所へ。

 

 

 

「……すげ、穴場だ、ここ」

 

 辿り着いたのは岩に囲まれた浜辺。遠方からは岸壁にしか見えず、わざわざ探すには微妙に距離があって面倒な地形。

 だが、苦労に見合う光景ではあった。大きな岩が潮に削られ、天然のドームを作っている。鳥居の一つでもあれば様になっていただろうという場所。

 

「こ、ここにしよう、かな、へへ」

 

 誰に許可を取っているのか分からないまま口から漏れる独り言。どうか誰も見つけませんようにと無粋な願掛けをしながら、岩陰で日を遮ってスケッチブックを開く。

 輪郭を大雑把にとって、前方に有るものの線を濃くし、白紙から削り出すように影を付けていく。

 

「骨を組んで、指を重ねて、皮で覆って、腱で繋いで……」

 

 誰にも見られていないから、自分の好きなものを好きなように描ける。それはどうにも開放的で、今この瞬間だけは自分の絵をこの世の何よりも好きになれる。

 

 結局、僕は人体そのものに魅せられている。それを使って世界を描きたくて仕方がないんだ。

 本物のゴアやグロテスクは御免なので、あくまでも白黒で描いていく。もしも僕に立体物を作る才能があったのなら、日がな一日粘土や石を弄っていたかもしれない。けれど生憎そんなものはないので、鉛筆一本で勝負する。

 

「大丈夫、ここなら、大丈夫……」

 

 怖がられることも、嗤われることも、いじめられることだって、独りなら絶対にない。だから独りで居たい。僕の心を揺さぶることのできる世界を、僕の手で描きたいんだ。

 

 

「へへ、で、出来たぁ……」

 

 あれからどれだけ時間が経ったのか。気が付けば太陽は随分と傾いていて、スマートフォンを見れば4時を過ぎていた。流石にそろそろ帰路につかないと――――

 

 

 

「――――すご、どうやってアイデア出したんだろ」

「っっっぎゃあぁぁぁぁぁ!?!?!?」

 

 背後から掛けられた声に情けない悲鳴を上げながら転げて距離を取った。

 ズレて砂まみれになった眼鏡越しに見えたのは黒髪のウマ娘。

 いつから? どうしてここに? いいやそんなことより……!

 

「み、みみ、見た!?」

「うぇ!? あぁ、いや、その……ごめん。すごく真剣だったから……ってちょっと!?」

 

 見られた。

 見られた。

 見られた、見られた、見られた――――!

 

 スケッチブックをバチンと音がするくらいの勢いで閉じて両手で抱えて走り出す。砂に足を取られるけど知ったことじゃない。

 

 終わった、本当に終わった。

 たぶん遠くで合宿だかなんだかやってた女の子の一人だ。トレセン学園の生徒だったんだ。

 よりにもよって、()()()()()()だなんて、そんなとこの生徒に睨まれたらもう生きていけない……!

 

「ちょっ、待っ、足はっや……!?」

 

 

 背後で何やら叫んでいるけれど、そんなものを気にする余裕なんて微塵も無くて。砂浜からコンクリートの階段を駆け上がって、土手の地面で一度派手に転んで、見覚えのある道を走り抜けて――――

 

 気が付けば、祖母の家に着いていた。

 道中何かあったとしても把握できない程度には錯乱していたし、とにかく遠くへ逃げるのに必死だった。

 

「……何だい、眼鏡まで砂まみれにしちまって。またぞろ何かに苛められたかい」

「あ、いや、そういう……わけじゃ、無くて……へへ」

「ふぅん……? まぁいいさ。アタシは言わなきゃ分からんからね。庇って欲しけりゃきっぱり言いな」

「あ、ありがと」

 

 血相を変えて飛び込んできた僕を、祖母はじろりと睨んだ。けれどそれはあちこち砂と海水に塗れた孫の有様を見咎めただけで、事と次第によっては自分が盾になるという意思表示そのもので。

 そういう人だからこそ心配なんて掛けたくなかったから、少しだけ意地を張った。

 

「その、本当に何もなかったから……ちょっとドジって転んじゃっただけで……」

「そう言う奴ほど信用ならんって分かってんのかい……ったく、とっとと風呂入ってきな。眼鏡は置いてお行き。下手に洗うと傷が残るからね。こっちで掃除しとくよ」

「へへ……ごめん」

「謝る気持ちがあるんだったら二度と汚さないこったね」

 

 溜め息を吐きながら、手渡された丸眼鏡を慎重に台所へ持って行く祖母。昔は教鞭をとっていたと言うし、もしかしたら意地も隠し事も全部見透かされてるのかなとも思う。

 どうにかして迷惑を掛けない方法ばかり探しているけれど、祖母みたいな性格は逆に気を遣われる方が迷惑だなんて言いそうだなと考えて、光景がありありと想像できてしまって変な笑いが漏れた。

 

「……アンタ、ところで水筒はどうしたんだい」

「あ」

 

 風呂に入って汚れと汗を綺麗に流した後、僕は祖母の尋問を受ける羽目になった。何かに襲われたのか、誰かにいじめられでもしたのか、迷惑だと思って隠してるんじゃないだろうね、と。

 語り口は酷くキツいのに、そこに込められているのが何の混じり気もなく子供を案ずる思いばかりだったから、本当に何でもなかったと誤魔化し続けるのが申し訳なかった。

 

 ……水筒、明日まであそこに残ってるかな。

 

 

 

「トレーナー、ちょっといい?」

 

「これ……その、休憩中に会った子が置いて行っちゃって」

 

「男の子だったんだけど、ものすごく足が速くて追いつけなくて……ここら辺の子なのかな。何か知ってる?」

 

「……そうだよね。ううん、ごめん。変な事聞いて……明日、少し時間を貰っていい? 返しに行きたくて」

 

「逃げた方向だけで見つけられれば、の話ではあるんだけど」

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