これボーイミーツガール出来てるんかなと疑問が浮かびますけどまあ私の見たいシチュを万華鏡の向こう側から引っ張ってきてるようなものなのでご愛嬌なのかなと。
「……もう11時に、なっちゃった」
憂鬱。それだけしか浮かばなかった。
絵を褒められたいなと思ったことは何度もあったけれど、いざ褒められると気分は高揚するよりどんどん沈み込んでいく。
嫌だなぁ、会いたくないなぁと心がいじけて何も手に付かない。
褒めてもらえたこと自体は嬉しかった。僕が好きなものが、他の人にとっても好ましいと思って貰えたってことだから。
けれど、1の言葉を思い出すたびに100の暴言まで襲い掛かってくるものだから真っ当に喜ぶことが出来なかった。何かある度にこうして凹まないといけなくなるんだと思うと、やっぱりもうこれ以上褒められなくていいや、って諦めたくなって。
――――む、無理です
拒絶の一言が、咄嗟に出てきてしまった。
そうして何もかも億劫になって、スケッチブックごと渡そうと決めた。見たいんでしょ、返さなくていいから、見るだけ見たら捨ててちょうだい、と。それでもうおしまいでいいじゃないか。どうせ今のやつはほとんど使い切っているわけだし。
「これは、お詫び、だから……」
ただ、流石に気持ち悪い絵が満載というのも申し訳ないから最後の1ページを使ってあの子の走る姿を描いている。いつもの鉛筆はあの子の手元にあるので、その辺にあったボールペンで代用している。
実際に見たわけでもない。でも、全身を目にするタイミングが二度もあったのならそれで十分。ある程度の背丈とシルエットが分かれば、厚着をしていようが体格を推測して頭の中で動かすなんて簡単な事。
普段から骨だの筋肉だの描きまくってるから、アタリなんて取らなくても人体は一発書き出来る。服だけは細部まで覚えてる訳ないから想像で描かないといけないけれど、まぁミスってても気にしないだろう。お金を取るわけでもないし。
「……格好いいんだろうなぁ」
頭の中で駆動する彼女の姿はどこまでも立派で、一寸の瑕疵も無いように思える。実際の姿と比べればズレがあって当たり前だろうけれど、きっとどこまでも綺麗なんだろうなというのは想像できて。
実際に見たいな、と思う気持ちを恐怖心が打ち据える。きっとまた詰られる。そうして何もかもを破壊される。それが僕なんだ。
「珍しいね、アンタが人を描くなんて」
「あ、祖母ちゃん」
気難しそうな顔で絵を覗き込んでくる祖母。ふうん、と声を漏らしながらじろじろと眺めて、そのまま視線を外の景色に戻した。そのまま静かに隣に移動して、縁側に腰かける。
「アンタが何考えてるかはだいたいわかるよ。
「そ、そうだね。褒めてくれたのは……嬉しいけど、やっぱり、もう辛いから……」
これ以上傷つきたくない。痛いのはもう嫌だ。万が一、いいや億、兆が一にでもあの子以外の誰かに見られて引かれたら、それをこの目で見てしまったら、もう二度と立ち上がれない気がするから。
「また見せて」なんて言われるのを期待する身勝手な自分と、そんな妄想の中の少女に心底怯えている自分が居る。
「……僕はさ、人間って嫌いだよ」
「だろうね」
「だって、怖いよ。何考えてるか分かんない」
生命が生命たらんとする構造が好きだ。
生存という不安定を支え続ける骨肉のカタチが好きだ。
でも、その結果生まれるものを、僕は許容できない。
生きるためでもないのに、ただ自分にとって不要だからというだけで過剰な排斥を繰り出せてしまうことを中学で知ってしまった。
気持ち悪いなら関わらなければいいじゃないか。何を考えてるか分からないなんて言わなくていいじゃないか。ましてや、その理解不能を攻撃手段に使うなよ。そんなお前らの方が気持ち悪いんだよ。
あんな悍ましいものの成れの果てが、僕が綺麗だと思ったものを見たいと思うのか?
生きる世界がまるで違うようなあの子が?
それを本気にしてるのか、僕は?
「有り得ないでしょ、そんなの」
信じられるか。
どうして信じようとしたんだ?
浮かれて頭の螺子まで緩んだか?
「なんかもう、どうでもいいんだよ」
投げやりな言葉が口から漏れる。
お詫びだなんてとんでもない。褒められて、浮かれて、また褒められたいってくだらない承認欲求に身を浸しただけだ。
また傷つくかもなんて怯えている癖に、半端な渇きに耐え切れなくて、結局自分から傷つきに行く。矛盾だらけだ。
「それでも描くんだろう?」
「……絵に罪は無いよ。途中で捨てるのは、ダメでしょ」
「なら認めてやりな、ソイツを描いたアンタ自身を」
ぴしゃりと言い切られた。いつもこうだった。
言い方はキツいけど、僕自身と絵を否定したり、拒絶したことだけは無かった。
認めてやれと、いつも言っていた。絵を描いた手は、指は、そしてそれを動かしていた頭はいつだって自分なんだからと。
「結局ね、自分を一番許してないのは自分なんだよ。お前はいっつも底辺に居なくちゃいけないんだって怒鳴りつけて叩いてくるような奴が、自分の顔して心のどっかにいつでも居座ってんのさ」
「……最低だね、そいつ」
「だろう? 挙句の果てにそいつはアンタだけじゃなくて、アンタを認めようとしたやつまで傷つけるんだよ」
いつもより幾らか鋭くなった目と視線が合う。
珍しく、祖母は本気で怒っていた。
「アンタ、自分を下げるだけならまだしも、アンタの絵を褒めた顧問やあのメジロの子まで下げる気かい?」
「……それは、嫌だなぁ」
そう言われて、ようやく納得する。
こんなもの、なんて言って僕の絵を否定したら、あの子や中学の時の先生の感性まで否定することになる。
それは嫌だ。僕が僕の絵を否定するのと、僕の絵を褒めてくれた人を否定するのは別の事じゃなくちゃいけないと思う。
でも、そんな理屈を感情は簡単に乗り越えてしまう。
1の言葉を100の悪意が押し潰してくる。嬉しかったことより辛かったことの方が鮮明で、苦しくて仕方がない。
「怖いよ」
いじける心が正午を告げる壁掛け時計の音に叩かれた。
約束を反故にすればあの子は怒ってくれて、もう二度と会わなくて済むんじゃないかとすら思えてくる。
そんな僕の背中を、祖母は思いっきり叩いて伸ばしてきた。
「アンタに必要なのはね、自分を認めてやることだよ。褒められたくて描いたって上等じゃないか。なんのモチベーションもなく10割自分のためだけで趣味やれる奴は
「へへ、キッツいこと言う……」
視線を緩める代わりに呆れたような半眼になって、祖母は僕の顔を見てくる。
祖母の目には、僕はどう映っているのだろうか。面倒臭すぎるガキだと思われているのだけは分かるけど、見捨てられてはいないと思いたい。
あるいは、こう思うことも褒められたいと思っている証左なのだろうか。余程雑でもなければ祖母は僕の絵を咎めたりしないから、甘えてるだけなんじゃないだろうか。
そう思うと自分が恥ずかしくなって、視線をそらしてしまう。
祖母は溜息を吐いていた。
「あのね、鼻ったれのガキですら褒められたくて滅茶苦茶やるのに学生が同じこと我慢できる道理なんてあるもんかい。三つ子の魂百までって言葉があるだろうに」
「こ、心読んでる……?」
「何年アンタの顔見てきたと思ってんだい。そのくらい口に出してなくたって分かるよ……自分を認めてやるってのはね、褒められたくて無茶苦茶やるガキな自分を真っ直ぐ見てやることだよ」
その言葉は、今までよりすとんと腑に落ちた。
目を逸らそうとすればするほどに気持ちが大きく歪んでしまうのが自分でも分かるから。
お前は醜い、外に出るなよ無様だからって叩いて叩いて、痛くて泣きじゃくる自分自身を引き摺って暗い場所に押し込めて鍵を掛ける。そんなのおかしくなって当たり前だ。
「そりゃ、歪むよね……へへ」
でも、納得できたからって実践できるかは別の話。今までそうやって追い遣ってきた
気が付けば、手元の絵は描き上がっていた。ジャージの模様がちょっと間違えている気がするけど、ボールペンだからやり直しは効かない。そもそももう時間はない。
「……い、行ってくる」
「付いていくかい?」
「だ、大丈夫。へへ……」
大丈夫なワケない。怖くて怖くて仕方ない。
今だって認めきれてない。褒められたいって思ってる自分を叩きのめしたくて仕方ない。
けれど。
「や、約束、だから……」
僕の絵を褒めてくれたあの子には、せめてちゃんと向き合いたくなった。
◇
「ど、どうも……」
「……大丈夫? 顔青いけど」
「だ、大丈夫です、大丈夫……へへ」
あの場所で、あの子は待っていた。荷物を纏めて僕に渡してくる。何となく違和感を感じて水筒を開けてみると、中は空っぽで綺麗に水気も拭かれていた。
「あ、洗ってくれたん、ですか」
「うん。流石に3日も飲み物入れっぱなしは、ちょっとね」
「ありがとう、ございます……ごめん、なさい、お手数おかけしました」
「畏まらないでよ……こっちが勝手にやっただけだし、脅かしちゃったお詫びもあるんだから」
いい子だな、と思う。
腕を組んでそっぽを向いているけど、世話焼きというか、根本的に誰かを放っておけない気質というか。そういうものを感じる。
……手は震えている。喉だって詰まったみたいにおかしい。けれど、こんなに真面目な子の約束を反故にしようとした自分が居たことに、納得がいかなくて。
じゃあね、と踵を返そうとした背中を、声だけで引き留めた。そのままスケッチブックを差し出す。あの子はそれを受け取ると、そのまま表紙だけ開いて中身を見た。
その目には、恐怖や忌避は微塵も無かった。
「これ、あの時描いてた……?」
「……お詫び、にもならないけど。手間、かけさせたし……見たかったんでしょ、もう一度。だから、見たいだけ、見て……見終わったら、捨てていいから……」
これ以上ないほど緊張して、言葉は片言。
余計な事をした、やらなきゃよかったと叫ぶ内心とは裏腹に、彼女は真剣な目でページをめくっている。逃げるように踵を返そうとすると、今度はあの子が僕を引き留めてくる。審査でもされてるみたいで落ち着かない。
最後のページに行きつくと、彼女は大きく目を見開いて、それから急に顔を上げてきた。突然機敏に動かれたものだから、思わず身構えてしまう。
考えてみれば当然だ。一度も見せた事のない姿を想像だけで書き上げられたら、まず最初に疑うのは盗撮だろう。終わった。なんでそれを描いてる途中で思いつかなかったんだ?
「これ、どこかで見てたの?」
「ち、違うんです、いっつも、そこにあるようなのばっかり描いてるから、人体、描くのは、得意で……だ、だから、想像で描いただけで……ごめんなさい、気持ち悪――――」
「――――実際に見てみる?」
「……はぇ?」
あまりにも予想外な言葉に、間抜けな声を上げて思考が停止する。
なんでそうなる? 何の目的で?
「その、これ、
「ひぇ、あ、は、はい、まぁ……言いたいことは、わかり、ます」
捲し立てるように言うものだから思わず縮こまってしまう。けれど、気持ちは何となく分かるような、分からないような。
自分のフォームを撮影して後から見返すことで改善を図る、とかやってるのはドキュメンタリー系の番組で見たことあるし、そうやって常日頃から自分を客観的に見てるなら現実と想像のズレというのは余計に目につくものなのかもしれない。
「えっと、その……」
悩む時間を稼ごうとして、やたらに熱の籠った目を真っ直ぐ見ながら後ずさる。腹を空かせた猛獣を見てるような気分になるのは間違いじゃないのかもしれない。
正直に言えば、怖い。変に褒められなかったのが幸いだったのか、頭の芯に巣食っていた怯えは今は無い。だからこそ鮮明になる、自分の奥底から出てこようとする
認めてくれてるんだ、こっちだって応えなきゃ。そう囁く心に確かにと頷きたくなるけれど、それはつまり自分の絵をもっと見られるということで。
趣味に走った絵が気持ち悪いと言われるのは当然として、描いて欲しいと言われて書いたものまでそう言われたら本当に立ち直れないかもしれない。
でも、だけど。
言い訳ばっかりだけど、やっぱり認めてもらえるのは嬉しくて。
祖母ちゃんの言葉通りという訳でもないけれど、そうやって嬉しいと思ってる自分を真っ直ぐ見てあげたら、何かが変わるんじゃないかと期待してる自分が居るのは事実で。
「い」
「い?」
「い、い、一回、だけ、なら……」
勇気を出して、口を開いて、盛大に噛み散らかした。羞恥心はないけどやっちまったという後悔が心を満たしていく。
でも、ちゃんと答えられた。あの子の表情は安心したような笑顔になっていて、そのことに僕も安堵して――――
「じゃあ、行こう?」
「……え?」
「え?」
行こう……行こう? どこに?
手首を掴んで引く先は、間違いなくこの間大きな掛け声が響いていた方向で。
「とりあえずトレーナーに聞いてみてからだけど、多分OKしてくれると思う。流石にアタシ一人の判断で勝手に走る訳には行かないと思うし……」
「え、いや、ちょっと、待っ……」
「大丈夫、皆優しいから。それに、これ見せればきっと邪険にはされないと思うし」
そうやってさっきのスケッチブックを掲げて見せてくる。
いや、言いたいことは分かる。最後の1ページだけ見せるつもりなのも分かってる。でも、そうだとしても。君にとって凄いと言えるものだとしても、他の人はそうとは限らない。
「……気持ち悪いって、言われるよ」
「なら、アタシが庇うから」
何でか分からないけど、やけに強情だった。
今から祖母ちゃんに連絡したら、助けてくれるかな……