知らない天井だ。
目を覚ましたら、天井が無機質な真っ白だった。おかしいな、俺の部屋の天井の壁紙はこんな感じじゃなかった。なんか、いろんな機械が繋がれてる。意識はある。腕も手も足もちゃんと動かせた。
モニターに心拍数なんかが表示されてる。ここは、病院? 卓上の電子時計には、9月15日と書いてあった。あれからもう、三日経ったみたいだ。
「誰も、いないのかな」
部屋を見渡しても、誰もいない。花束が活けてあるから、誰かお見舞いには来てくれたみたいだけど。その時、部屋の入り口が開く音がした。なんか動きにくいうえに身体が固まってたせいで関節が痛いけど、視線を向ける。沈痛そうな表情をした彩葉さんがいた。
「おはよう……」
唖然とした顔になった彩葉さんの手から、鞄がドサッと落ちる。それを拾うこともないまま、病室を飛び出して行ってしまった。そのままやってきたお医者さんに連行され、俺は質問責めと精密検査を受ける羽目になる。結局、解放されて病室に戻ってこれたのは数時間後だった。
午前中に目を覚ましたのに、もう午後の三時半。その間、彩葉さんはずっと病室で待っていたみたいだった。
「どう、だった?」
「検査結果次第だけど、大丈夫そうなら数日で退院できるみたい」
「よかった……本当に、よかった……」
彼女の瞳から、大粒の涙が零れてる。そんな風に泣いている表情なんて、初めて見た。
「ちょっと、事情が呑み込めてなくて。あれから、どうなったの?」
「かぐやが帰っちゃった後、楓が強制ログアウトした。急いで部屋に行ったら、鼻血出して手にペンぶっ刺しながら倒れてたから、救急搬送。お医者さんからは、スマコン経由で大量の情報負荷が脳にかかったって。しかも、許容量の数百倍。一生起き上がらない可能性もあったし、下手したら死んでたかもしれない。そうじゃなくても、大きな障害が残る可能性もあるって」
脳波を読み取るシステムは俺が我流で作ったものだった。ヤチヨの助けも大きく借りたけど、それでもスマコンの本来の使い方じゃない。スマコンの想定している負荷をはるかにオーバーしたのか。だから、途中で壊れてしまった。
脳に危険がある事は理解していた。安全性なんてなんも考慮してないシステムを構築した時点で、覚悟している。それでもどうしても譲れないものがあった。目にも大量の負荷がかかっている。そのせいで負けたんだから、そこを詰められなかった俺の負けだった。
「かぐやちゃんは……」
「……」
彩葉さんは沈黙した。それで、十分だった。
「そっか。そっか……やっぱりダメだったか、三回目も。また、助けられなかった」
また、失った。一回目も、二回目もダメだった。三度目の正直と思ったけど、二度あることは三度あるっていうのが世の中らしい。
「私も、そうなるところだった」
彩葉さんは静かな声で言った。でも、なんか怒りが滲んでいるような気がする。
「あんな作戦なんて、聞いてない。許可して協力したヤチヨもヤチヨだけど、実行した方がもっと悪い」
「勝率を高めるには、仕方なくて」
「それで楓が帰ってこなかったら何にもならない! 仮に全部上手く行っても、私とかぐやは病室で寝てるだけになった楓をどういう気持ちで見ればいいの!」
ピシャリと鋭い声で言われる。返す言葉も無かった。
「お父さんがいなくなって、かぐやも帰って、それで楓までいなくならないで。私を……あの広い部屋で一人にしないで」
その言葉は、過去の俺が感じたモノと同じだった。あの部屋は、一人で住むには広すぎる。住んでいると寒々しくて、天井が高すぎて、声が反射して。誰もいないんだ、お前は一人なんだと突き付けられるような感覚になる。昔の俺が感じたモノと同じ感情を、俺は彼女に与えてしまうところだった。
「ごめんなさい」
「ずっと、寝れなかった。目覚めてくれて、本当に良かった……。みんなも心配してたから。さっき連絡したから、明日くらいに来てくれると思う」
「そっか、みんなにもお礼を言わないと」
無茶苦茶な作戦に付き合ってくれた。あれからツクヨミがどうなったのかも分からない。無敵を誇った要塞は見事に陥落させられている。だからって、地球の技術で突破できることにはならないけど、それでも再構築をしないといけない。
かぐやちゃん防衛用に作成したり配置転換したシステムも元通りにして、シャットダウンしてしまった区画も再度復活させて、通常通りの運営を再開させて……。
「また仕事しようとしてるでしょ」
「……」
「誤魔化さないで。退院して一週間くらいスマコンは禁止って、さっき言われたんじゃないの? 身内じゃないから説明を聞くのに苦労した」
「同居人じゃ、ダメだったの?」
「普通はね。血縁とか身内じゃないから。お役所に登録されてる関係性じゃないと、ダメみたい。今回は無理くり頼み込んだけど」
それで教えてくれるんだ。どういう交渉術を使ったんだろう。まぁ、他に身寄りはいないし、そういう意味では彩葉さんに教えるのが一番手っ取り早いし妥当なのかな。
「今は、休んで。お願い」
「なんか、前とは逆だね。俺が休んでって頼まれるなんて」
「バカなこと言ってないで、早く寝る!」
彩葉さんに無理やりベッドに押し付けられて、そのまま毛布を被せられる。さっきまで寝てたんだけど、身体は結構ダメージを受けているみたいで段々と眠気が襲ってくる。
「ありがとう、必死に戦ってくれて。カッコよかった」
俺の手を握る温かさと優しい声を聴きながら、俺はまた眠りの世界に戻った。
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それから数日後、何とか退院できた。みんなもお見舞いに来てくれたけど、帝さんこと彩葉さんのお兄さん、アバターと中の人でキャラ違い過ぎないかな。なんか凄い優男だったんだけど。でも彼女はいないらしい。
今回は運が良かっただけで、次からは絶対にやらないようにとキツく念を押されて、終始頷くしか出来ない。あと、なんかスマコンの会社の人が来た。スマコン使用者がぶっ倒れたから調査に来たみたい。脳波からコードを打ち込むシステムこと思考転写システムを勝手に作って使用したって説明したら、悲鳴をあげて二度とやらないでくれと言われてしまった。
ちょっとまた話を聞きに来るかもしれないと言われた。もしかしたら、俺の就職先が見つかったかもしれない。この技術、安全性がカスなだけで多分有益ではあると思う。ここだけの話と言われたけど、社内で開発中だったみたいだ。技術流出を疑われたけど、全然そんなことしてないので潔白を説明した。ログとか全部見たけど、信じてくれた……のかな。
やっと自分の家に帰れた。ドアを開けても、出迎えるかぐやちゃんの声はしない。靴も、俺と彩葉さんの二つしかない。キッチンの収納の中にも、お風呂場にも、どこの部屋にもいない。ぬいぐるみに戯れたり、蟹をビビらせてる姿もない。ベランダで風と遊んでいるかと思って振り返っても、そこには何もない。
エレベーターの中、カーテンの裏、帰るまでの駅のホーム、道の片隅。そんなとこにいるはずはない。かぐやちゃんはもう、あの空の月に戻ってしまった。そんなことは理解してる。でも、理解していても、どこかにいるような気がした。あの明るい声が、俺の名前を呼んでくれる気がした。
探せば探すほど、そこにはいないと突き付けられる。あの子の残滓が俺を締め付ける。ホントにしょうもない思い出も沢山あった。宅配の人と話し込んで困らせてたり、掃除機で遊んで転びそうになったり、お玉でジャグリングして頭をぶつけたり。なんか、ホントにしょうもないなぁ。
あの子の声が聞こえる。あの子の姿が見える。想像すれば、瞼の裏に貼りついて離れない。いつしか俺の中にあるこの家の記憶は、両親と過ごした時から今までの記憶になっていた。
「もう、いないんだ」
声に出した。認められないけど、認めないといけないから。
「もう、どこにも……」
吐き出しそうな何かを抑える。病院にいた一週間近く止まっていた時間が一気に押し寄せてくるような感覚。嗚咽を漏らしながら、声にならない涙を流し続ける。学校に事情の説明という名の誤魔化しをしに行ってくれた彩葉さんが帰ってくるまで、俺の涙は止まらなかった。
「これから、どうしようか」
なんとか気持ちを無理やりにでも落ち着けて、俺たちは今後について話し合うことになった。俺がぶっ倒れたせいで先延ばしになっていたけど、本来はもっと前にやらないといけないこと。かぐやちゃんのいなくなったこの家で、暮らしていくのかどうか。
それに、彩葉さんの心も心配だった。俺は、言い方は悪いけど今回で三回目。まだ、気持ちの整理の仕方は知っている方だと思う。それでも辛いけど、元々はふっと消えてしまいそうな感じだった彼女の方がずっと気になる。俺のことを気遣ってくれていたけど、彼女の心はどうなのか。それが不安だった。でも、どういうわけかその顔はそんなに暗くない。
「それでなんだけど」
「うん」
「楓が倒れてる間、ずっと考えてた。かぐやのいなくなったここで、これから暮らしていく意味はあるのかって。もう、何もかも前みたいに戻して、元通りにして、かぐやのことを胸に秘めながら生きていけばいいんじゃないかって」
「……」
「でも、どう頑張ってもそうはなれなかった。私は、私のハッピーエンドを諦めたくない。かぐやと、楓と過ごすハッピーエンドを諦められない」
彩葉さんは、覚悟を秘めた目でそう言った。
「正直、諦めたら楽になるんだろうなって思った。でも……でも、楓が文字通り命を賭けて守ろうとしたモノを簡単に手放したら、私は楓に顔向けできないし、そんな状態で隣にいようなんて思えなかった。楓はきっと、寄りかかったら守ってくれる。支えてくれる。だけど、それに甘えるのは違う」
「俺は……別にいいよ、彩葉さんに寄りかかられるなら。支えられるかは分からないけど、少しくらいなら助けになれると思うし」
「ほら、そう言ってくれるよね。かぐやの時もそう。いつだって優しく受け入れてくれる。もしかしたらそれに甘えるときもちょっとはあるかもしれない。でも、これから全部甘え続けるのは、ダメ。それは私の望むハッピーエンドじゃないし、かぐやの望むハッピーエンドでもない。言ってくれたでしょ、一緒に戦おうって」
彩葉さんは真っ直ぐな目をしていた。俺が見上げていたのと同じような、真っ直ぐで力強い目。その輝きが、とても眩しく見えた。
「一緒に、ハッピーエンドを目指そう。まだ、この物語は終わってないんだよ。かぐや姫の物語は終わりかもしれないけど、それを超えるのが21世紀流でしょ。だから――行こう!」
彼女は俺に手を差し伸べる。その手を取るべきか、一瞬だけ迷った。今回もダメかもしれない。三回目こそ絶対に守ると思って、自分の持ちうるすべてを捧げた。それでも負けた。ここから挑戦をしても、何も出来ないまま終わってしまうのかもしれない。怖い。また、失ってしまうかもしれないから。今度は彩葉さんまで、失ってしまったら――――
違うだろ!
脳内の俺が叫ぶ。かぐやちゃんは何も諦めなかった。八千位だった頃からトップを突っ走るブラックオニキスに勝てると信じて疑わず、まだまだ順位が遠くても諦めるとか物怖じするとか、そんな言葉とは無縁だった。ハッピーエンドを目指して、あの子はずっと走り続けた。こけてもめげず、諦めず、へこたれず、星に向かって手を伸ばし続けて。
あの子がそんな風に頑張り続けたのに、俺が臆病になんかなれるか。このまま彩葉さんと二人で生きていくこともできるのかもしれない。それならそれで、ある程度は幸せに過ごせるのかもしれない。でも、そんなビターエンドで我慢するな。終わらせるな。ハッピーエンドをこそ、目指すべきなんだ。かぐやちゃんがしたように。
自分の子供がやったことも出来ないで、何が親なのか。
「何か、目途は?」
「ない! でも、足掻く!」
「そっか。そうだね。かぐやちゃんならそれでも歩き始めた。いつも、前だけ向いてた」
空を見上げる。月はまだ、憎たらしいほど明るく出ている。寂しさはある。それでも、その寂しさを受け止めながら、生きていくんだ。俺たちの道は、かぐやちゃんとの思い出が光になってちゃんと照らしてくれる。その場にいなくても俺たちの手を引いてくれる。
「行こう。俺たちの未来に。俺に出来るのは電子の世界で色々やる事だけだけど、それでも何か出来る事はあるはずだから」
仮想空間ツクヨミは月に近いらしいし、電脳系にはまだ出番はあるかもしれない。かぐやちゃんの痕跡はあの空間にも沢山残っている。それをかき集めてAIかぐやちゃんを作る……とか。なんかそれは現実逃避みたいな感じはするから、ちょっと抵抗はあるけど。
「出来る事は、全部やる。私はまず曲を作るよ。月にいるかぐやに届くように。もっと一緒にいたかったって、叫びを込めて」
彩葉さんは、やるべきことを見つけた。俺は俺で、何か考えよう。きっと出来る事はある。ヤチヨにも相談したいし、スマコン使用禁止期間が開けたら早速仕事に復帰しないと。
彼女は月を見上げている。その横顔が、とても綺麗だった。だからきっとその光に誘われて、こんな言葉が出てしまったんだと思う。
「結婚しよう」
「……は!?」
「もちろん、今すぐじゃなくて」
「いや、どういう流れでそういう事言おうと思ったの……?」
「今回ぶっ倒れて、俺たちの関係性って凄く不安定だと思ったから。彩葉さんは帝さんいるけど、俺には家族がいないし。この家をかぐやちゃんが戻ってくるまで守り続けるなら、そっちの方が良いかなって、思って……。ほら、税金とか、色々。それに、俺がお父さんで彩葉さんがお母さんでもいいって、前に言ってたから」
「た、確かに言ったけど。でもこのタイミングで言う? 普通」
「ごめん。でも今言わないと、なんかずっと言えない気がして」
色々言い訳してみるけど、要するに関係性が欲しかったんだと思う。この家で、俺たちがこれからも暮らし続けていくための関係性が。かぐやちゃんが俺たちを結び付けてくれた。なら、その娘を迎え入れるためには
あと、めっちゃ面倒そうな彩葉さんのお母さんに、この常人だと理解されないような関係性をちょっと黙っててもらうには、これしかない気もする。思いすぎかもしれないけど、多分今までの話を聞く限り、そんな感じがした。
「まぁいいけど……理由はそれだけなの?」
「え? あぁ、もちろん彩葉さんが好きってのもあるよ」
彩葉さんはつかつかと歩いて、落ちているぬいぐるみを掴んだ。何をしてるんだろうと思ってると、怒りのぬいぐるみが飛んでくる。このトーテムポール痛いな。意外と中身が詰まっているから結構痛い。
「……じゃあ! 最初に! それを言えー!」
「は、はい。すみませんでした!」
「大体ねぇ! はぁ、もう! 感情が行方不明なんですけど」
なんか凄い怒気を孕んだため息を吐き出して、彼女はソファにドサッと座る。
「……いいけど。ただし、全部終わったらね。それまではこれまで通り。共同戦線で、走り抜ける。それでもいいなら、よろしくお願いします」
「もちろん、彩葉さんが望むように」
俺は微笑んだ。彼女は苦笑した。一回負けたくらいでへこたれるなら、俺たちはここにいなかっただろう。だから、ここからもう一回。もう一度始めるんだ。新しく、リスタートを。
「じゃあ、ここから始めようか。もう一回、俺たちの物語の
月の光の下で、俺たちの再出発が始まった。この先の道がどれだけ険しくても、このままめでたしめでたしでなんて終われるか。まずはツクヨミに入る。月との、再コンタクトの可能性を探るために。
名前:高野楓
身長:165cm
体重:59kg
特技:インターネット系全般
成績:現文5、古文4、数Ⅲ10、数C10、コミュ英5、文法7、世界史探究6、日本史探究7、物理9、化学8、情報10、保健体育5
両親:故人(父は開業医、母は専業主婦)
容姿:ちょっと垂れ目。普段は穏やかな顔で、仕事中だけキリっとしている。
本名の由来:高野は竹取物語より、帝から派遣されたかぐや姫護衛の総指揮官。楓はイロハ・モミジと対応させて、同じ仲間のカエデから。
ユーザー名の由来:アメツキは