<酒寄研究所へようこそ>
ボクは酒寄研究所への就職を希望した。経緯は大分前にさかのぼる。大学時代の暇つぶしに見ていた掲示板で、かぐやいろPチャンネルを知った。そこで新規勢向けに紹介された動画や諸々の事情を知って、脳を焼かれたんだ。ありていに言えば、ファンになってしまった。推しが見つかったとも言う。勉強ばっかりしてきて推し活とは無縁の生活を送っていたボクにとって、あの鮮烈な光はあまりにも強かった。
医学部にいたけれど、病巣を根本から解決できる可能性に惹かれて、ボクは酒寄研究所に医療系資格者としての就職を希望した。教授からの推薦と面接で語った熱意が上手く作用したのかは分からないけど、四月からよろしくの言葉を勝ち取れた。そして、この春、ボクは希望を持って酒寄研究所の門をくぐった。
光彩や指紋に基づく厳重なチェックを通過し、待ち合わせの場所に着く。配信での活動は知っているけれど、研究者としての酒寄彩葉氏や楓氏に会ったことは無い。きっとこういう場では凄く真面目でお堅い人なんだろう。緊張をほぐすように、俺は深呼吸した。
「かぐやっほ~」
「うわぁ!」
「あれ、新しい人? こんにちは~」
「え、えっと」
目の前に女子高生くらいの身長の少女が立っている。金色の髪、あれこの子ってもしかして。
「あ、あの、かぐやさん、ですか?」
「そだよー」
「あっあっ、あの、ファンです!」
「マジ? いつも見てくれてありがとね」
「ひえっ」
推しが目の前で歩いている。喋っている。なんならボクの手を取ってくれている。失神しそうになった。
「こ、この春からここに配属になりました!」
「あ、そんな時期かぁ。見ない顔だと思ったけど、そういうことね。かぐやはちょこちょこココに来てるから、たまに会うと思うし、よろしく~」
「よろしく、お願いします」
そういえばそうだった。かぐや・いろPチャンネル解説動画の後半に、彼女の病気についても説明されていたのを思い出す。治療の難しい難病にかかっても負けずに戦い続け、酒寄夫妻と共に生還した世界最初の人工義体被験者。それが彼女だ。そんな苦しく重たい過去がある事を微塵も感じさせず、彼女はニコニコと笑っている。
「かぐや」
「あ、楓。新しい人だよ」
「知ってる。その迎えに来たんだから。かぐやはまだ検査調整あるんだから、ちゃんと大人しくしてること」
「はーい。じゃ、またね~」
かぐやさんはヒュ~っと去っていく。嵐みたいな人だった。配信で見るのとリアルのキャラクターが全然変わらないのも魅力的に思える。かぐや道は深い。知れば知るほど濃い存在だ。まだまだ研究の余地がある。
「お待たせしました。当研究所で副所長を務めている、酒寄楓です。よろしく」
「よろしくお願いします!」
「確か医療系だったよね。脳科学とか神経系とか、まだまだ難しい部分が多い。俺はその世界についての研究、より正確に言えば魂の電脳化と移動を研究している。より一般に普及させていくため、一緒に頑張ろう」
「は、はい」
垂れ目の優しそうな人。落ち着いたカッコよさがある人だった。この人がツクヨミの守護神と呼ばれているなんて、あんまり想像つかない。でも、あのシステムを作り上げたり防衛機構を整備したり、相当に凄い人なのは事実だ。
「よし、とりあえず所長に挨拶しに行こうか。彩葉さんも待ってるし」
「分かりました」
彼の後をついて行く。綺麗な研究所の廊下はしっかり磨かれていた。実験室のような部屋や薬品室のようなものもある。どこからか機械を削るような音まで聞こえて来た。人工義体の開発という難しい難題に挑んでいるだけあって、色々と試行錯誤してるんだと思う。
歩いていると、ファーンと警告音のような物が鳴り響いた。
「な、なんですかこれ」
「あぁ、大丈夫大丈夫。どっかのやんちゃがここのシステムを狙ってるんだろうから。ツクヨミの内部システムと一部リンクしてるし、そこら辺も欲しいんだろうね」
「それ、ヤバいんじゃ……」
「問題ないよ。ここにもちゃんと防衛システムが張り巡らされてるから。まずもって、人類文明じゃこの防壁は抜けない」
全く動じることなく、副所長は言い切る。その目は青い色に光っていた。スマコンを起動してるんだろうけど、スマコンは青く光らない。多分、特別仕様なのかな。視線は鋭く、口元は自信満々に弧を描いている。指で何かを操作していた。温和で温厚そうなさっきまでの空気とは打って変わっていて、そのギャップが凄かった。これはいろPも沼るなと、ぼんやりそんな事を思う。ボクが女子だったら好きになっていたかも。
そのまま歩き続けて所長室と書かれた部屋を開けると、椅子に座った綺麗な人が頭を抱えていた。あれが多分、いろPこと彩葉氏だ。副所長がその肩を揺さぶっている。
「彩葉さーん、起きてる?」
「ぬわぁぁ計算が上手く行かない……」
「なんでさ」
「システム上は動くことになってるんだけど、上手く動かない」
「えぇ……どれどれ」
副所長はじっと画面に書いてある計算式を見つめている。瞬きもしないので、一瞬人間じゃないのかもしれないと思ってしまった。何をしているのかと思った矢先、その口が開かれた。
「あぁ、ここが違う。違うというか、こっちのシステムと噛み合ってないから悪さしてる」
「うわ、そっちか……」
「ここの数値弄ればどうにかなるよ」
画面上に表示されている計算式は見たのだけど、まったく分からなかった。一応理三では次席だったけど、ホントに分からない。多分、これはコンピューターがやる類の計算だ。……今人力でやってなかった?
「てか、これ何の部分?」
「耳の感覚」
「……その機能いる?」
「いる!」
「あぁ、そうなの。まぁいいけど」
いいの? いまさらっと流されてたけど、耳の感覚って必要なのかな。確かに耳が弱い人は多いので、そういう部分を再現しようとしたらいるのかもしれないけど、大体は手とかの感触があれば十分な気がする。でも、天才はそういう細部に拘ってこその天才なのかもしれない。副所長は魂関連の部分にしか興味がないみたいで、好きにさせているみたいだった。一見すると友達みたいな関係性に見えるけど、同じデザインの指輪が二人の薬指にあるのが関係性を固定させている。
「でだ。新しい子が来てくれたから、紹介したいんだけど」
「え? あぁ、ごめん」
彼女はボクの方に視線を向けると、ゆっくり立ちあがった。そして、右手を差し出しながら言う。
「ようこそ酒寄医療研究所へ。私が所長の酒寄彩葉です。よろしくね」
そして、ここでボクの研究人生が始まった。でも、最初にやるのが人工義体に搭載する乳首の開発なのは、普通に辞めようか迷った。
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<新婚旅行>
「日頃の感謝を込めた贈り物で~す!」
かぐやは大きい声でそう言った。俺と彩葉さんの結婚式が終わった数日後、唐突にかぐやはプレゼントボックスを取り出す。この子が何もかも唐突なのは慣れっこんなので今更そんなにビックリはしない。というか、こんなコテコテのプレゼントボックスどこに売ってたんだろう。自分で作ったのかな。
彩葉さんは目を丸くしながら、飲んでいたコーヒーカップを置いた。
「いきなりどうしたの?」
「結婚式終わってぇ、二人に何かプレゼントしたいなと思ったの。だから真実と芦花に相談したんだ~。そしたらこれが良いかなって」
式では代表スピーチというこれ以上ないほどの贈り物をもらった。それなのにまた何か貰ってしまったら、なんだか貰いすぎなような気もする。
「ありがとう。開けてみてもいい?」
「どうぞどうぞ~」
「では遠慮なく……」
俺はボックスを開封する。大きい箱の真ん中には小さいチケットのようなものが置いてあった。やたらデカい箱で送られてくる通販みたいになってる。
「温泉旅行ペアチケット?」
「そうなのです。真実がね、どうせ二人とも新婚旅行とか行ってないんだろうから、行かせてあげたらいいんじゃないかなって」
「あー、確かに行ってないか」
彩葉さんはそう言いながら遠くを見つめている。かぐやのために走り抜けたここまでの日々。そういう事をしている余裕は全くなかった。キスですら、式の前日だったんだし。精々デートと呼べるのか微妙なラインのお出かけが数回あったくらい。それでも俺は何も不満なんて無かった。願いはたった一つだけだったから。
「い、いいかもね。私は、行きたいかなぁ」
「でも、ペアチケットじゃかぐやはいけないよ」
「楓は分かってないなぁ。二人じゃないと意味ないじゃん。かぐやは数日くらいなら一人でも大丈夫だし~。あと、芦花が遊んでくれるって」
かぐやは堂々と胸を張っている。それでも彼女を置いていくというのはどこかしらに不安があった。また、いなくなってしまうんじゃないか。そんな怖さが俺の心の中にある。喪うのは怖い。もう何度も経験したけれど、まだその痛みには慣れていなかった。
「かぐやはどこにもいかないよ。だから、また帰って来てね」
そんな俺の不安を見透かしたみたいに、かぐやは優しく微笑んでくれる。その笑みは記憶にあるモノよりもずっと大人っぽくて、そしてヤチヨの片鱗を感じた。天真爛漫に笑うかぐやも、俺と彩葉さんを見守り続けてくれたヤチヨも、本質的には同じ存在。だからかな、時々かぐやは凄く大人びた表情をする。
かぐやの笑顔を見て、彩葉さんは安堵したような声をもらした。
「楓」
彩葉さんが俺の方を見てくる。手を握りながらぐいっと顔を近づけてきた。
「行こ?」
その目は反則。そう内心で呟きながら、頷くしか出来なかった。かくして、俺と彩葉さんの新婚旅行が唐突に幕を開けたのである。
☽ ☾ ☽ ☾ ☽ ☾
ペアチケットの温泉旅館は凄く豪華なところだった。和風建築はツクヨミで沢山見かけるけど、現実世界のそれは威圧感というか雰囲気が既に違う。そんな陳腐な感想しか出てこない自分の語彙力が恨めしかった。
かぐやは相当すごいところを予約してくれたみたいで、お風呂も部屋も食事も全部がハイレベル。彩葉さんも目を丸くしていた。あのボロアパートで貧乏暮らしをしていた頃にはまるで想像も出来なかった場所で、俺たちは同じ時間を共有している。
「お帰りー」
「お風呂良かった~」
浴衣を着て、少しだけ身体が火照った彩葉さんが部屋に戻って来る。一回だけじゃもったいない、って言ってご飯の前にも行ったのにもう一回行っていた。ぼんやりとつけたテレビでは明日の天気を放送している。明日も快晴だそうだ。家に帰る前に、どこかに寄ってもいいかもしれない。かぐやもそうだし、今回の旅行を提案してくれた二人にもお土産を買いたい。お義母さんには……まぁいいかな。
「こんなところに来ることになるなんて、思わなかったな。かぐやには感謝しないと」
「そうだねぇ、二人っきりで行ってきてなんて」
「楓も運転ありがとう」
「ま、俺の方が得意ですから」
「言ったな~? これでも練習してるんだけどなぁ」
敷かれた二つの布団の上に座りながら、俺たちはゆっくりと流れる時の中にいた。時計のないこの部屋で唯一時間を教えてくれるのはテレビだけ。それも消してしまえば、携帯を開く以外に時間を知る術はない。
「急な話だったのに休めてよかったよ」
「私の研究所はホワイト研究所ですから」
「そうでした、流石は所長」
「ふふん。真のエリートは休みも疎かにしないのです」
彩葉さんは自慢げに胸を張っている。遊びと休みとの両立を出来るようにと、酒寄研究所は相当ライフワークバランスに配慮した研究所になっていた。泊まり込みでぶっ倒れている研究者は繁忙期を除いてほとんどいないので、理系の研究所の中では大分ホワイト……だと思いたい。副所長という肩書は貰っているけど、役に立てているのかは分からない。
「じゃあ、明日も遊べるように今日は寝ますか」
俺のその言葉に、彩葉さんはがっくり来たような顔で肩を落とす。
「はぁぁ……」
「な、なに?」
「あのさぁ……楓はさぁ……」
「うん」
「……」
彩葉さんは無言でじと目をしながら俺の隣に座りなおす。そういえば夕飯の時にお酒飲んでたし、そのせいで酔っぱらってるのかもしれない。でも彩葉さん、そんなにすぐには酔わないんだけど……。
「楓は、さ」
「うん」
「私の事、好きなんだよね?」
「は、はい」
「愛してる?」
「はい」
いきなり問いかけが始まって困惑しながらも、正直な気持ちを答えていく。俺が彼女のことを好いているのも、愛しているのも、高校時代から変わっていない。むしろ、その気持ちは深まっている。かぐやといた時の顔も、そうじゃない時の顔も、俺は全部ちゃんと好きだった。
「私って、魅力ないかな」
「……は?」
「色気ないのかな」
「いや、そんなことはないけど」
「じゃあ、どうして何もしないの?」
「何も、って……」
彩葉さんが潤んだ目で俺を見てくる。逃がさない、と言わんばかりの勢いで俺はがっちりと掴まれていた。彼女の頬はお風呂に入ったからでは説明がつかないほど紅くなっている。俺も流石に彼女が何を言いたいのか理解した。キスから先にすら進んでいない奇妙な夫婦関係をずっと続けて来た。俺はそれで満足だった。かぐやのことを追い求め続ける日々だったから。ただ、それを彩葉さんも同じ感情で過ごしているのかどうかの確認なんて、したことが無かった。
もしかしたら、彼女はずっと待っていたのかもしれない。
「彩葉さん……」
「私たち、あと数年で三十だよ。結婚して五年くらい経ってるのに、何の進展もない。踏み出せなかった私も良くないとは思ってる。かぐやを取り戻すまで、先に進むべきじゃないと思ってた。でも、それから先も何にもないとは思わないじゃん」
彩葉さんは俺を布団の上に押し倒す。なんか、こんな構図が数日前にもあった気がする。彼女は上向きに倒れている俺を横目にテレビを消した。部屋の中に静寂が満ちる。窓の外からは、旅館の傍を流れる川の流れが聞こえた。そのまま電気も消された。暗い部屋の中で、彼女の息遣いだけが良く聞こえた。
「彩葉さん……」
「楓、動かないで」
彼女の身体がゆっくりと俺に抱き着いてくる。彼女の身体は温かい。けれど、柔らかい肌が少しだけ震えていた。俺は静かに彼女を抱きしめ返す。薄暗い室内で、彼女の表情だけは良く見えた。そのままゆっくりキスをする。彩葉さんは拒まなかった。離そうとしても離さないで、俺の息が止まるまで吸い尽くそうとするかのように、彼女と俺はずっと舌を絡め、お互いの唇に触れ続ける。
どくどくと心臓の音がうるさい。この人の全部を俺のものにしてしまいたい。そんな感情が俺の中に沸き上がった。彩葉さんはキスしながらずっと俺の左手の薬指を撫でている。俺の結婚指輪を確かめ続けるみたいに。どれほど時間が経っただろう。彼女の目は凄まじいまでの色気を孕んでいる。俺の息が早くなっているのが分かった。
「かぐやにさ、妹か弟がいてもいいと思ってる。楓がよければ、だけど」
「よくないなんて、言わないよ」
「なら」
彼女の浴衣がゆっくりとはだけていく。その白い肩は、夜紫に染まった室内でもよく映えた。もう一度彼女を抱きしめつつ、俺は起き上がって彩葉さんを布団に押し倒す。彼女はそれを拒まない。俺を受け入れるように、手を伸ばした。
「優しく、してくれると嬉しい」
「努力する」
俺の言葉に、彼女は嬉しそうに笑った。
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俺たちの新婚旅行が終わっても、日常はそう変化しない。俺たちは俺たちの仕事をして、かぐやは毎日楽しく配信をしている。ツクヨミは今日も大勢のユーザーでにぎわい、酒寄研究所は研究を積み重ねていた。
ただ、一つだけ変わったことがある。かぐやが二階の部屋でスースーと寝息を立てる真夜中。俺は深夜でもツクヨミで仕事をしている。そんな日常の中で、一階にある俺の部屋に彩葉さんが訪ねてくるようになった。いつもよりも大分薄い服で、結婚指輪を撫でながら。溺れるような愛情の中で、俺たちの理性は毎夜ドロドロと溶けていく。さやけき月の光の下で、俺たちの影は重なり続けた。
彼女の中に、新しい命の宿る日まで。