超かぐや姫! ~ツクヨミの守り人~   作:tanuu

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面白そうなので彩葉視点をお送りします。


Extra:色は匂えど・1 【彩葉視点】

「馴れ初め?」

 

 私を追いかけて研究所に来てくれた後輩に、そんな事を聞かれた。どうやって整理したら良いのか分からないけど、懇願に押し負けて私と夫の話をすることになってしまった。あれはそう、まだ私が高校生だった頃の話。

 

 

 

 

 

 

 彼を最初に意識した……というか存在が気になったのは高校一年生の文化祭の時だった。その時の私は例に漏れず非常に、それはもう非常に多忙な中で。それでも優等生で通っている以上は文化祭の準備とかもしっかりしないといけない。

 

 ペンキを塗っている間に一時間でもいいからシフトに入ってお金を……なんて悲しい事を考えていた。貼り付けた笑顔で耐えながら。その時のクラスの出し物は、なんかゲームセンターみたいな感じだった。オリジナルゲームと映像を組み合わせて、点数に応じて景品を貰えるみたいな。

 

 そんな結構難易度の高い出し物になった理由はただ一つ。それを作れる人がクラスにいたから。

 

「じゃ、高野。これよろしくぅ」

「分かったよ」

 

 高野楓。同じクラスの男子。ちょっと垂れ目で、優しそうな顔をしている。でも誰かと話しているのはあんまり見たことが無い。いつも眠そうにしていて、よく授業中でもお構いなしに寝ていた。文化祭実行委員の男子から無造作に企画書を放り渡されて、彼は不機嫌になるでもなく淡々とその紙をめくっていた。

 

 その目線が紙を見つめつつ一瞬だけ鋭くなる。まるで職人みたいだ、なんてそんな事を思った。

 

 情報の成績は常にトップ。満点以外出したことが無い。だからこそ、このクラスは彼に大事な部分をぶん投げる形で文化祭の出し物を決めた。それでいいのかな、ってちょっと思ったけど本人が嫌がっていないなら止める必要も無いと思って黙っている。

 

「なるはやでよろ!」

「了解」

 

 なるはや、って言ったって数日はかかる。て言うか、私たちはそれを作るのに何日かかるのかなんてわからない。にも拘らず無茶苦茶を言うなぁとちょっと呆れた顔になる。どうせアイツならいいだろ、みたいなノリなんだろう。私はそういう雰囲気がちょっと苦手だった。

 

「出来たよ。一応確認して、何か問題あったら教えて」

 

 そして二日後の朝、登校するなり彼はそう告げた。

 

「マジ? そんなにムズくなかったんだ」

「まぁ、そうだね」

 

 それだけ言って、彼はまた机で死にそうな顔をしながら寝ていた。なんだ、全然簡単ならアイツに頼らなくても良かったじゃん。そんな声が漏れ聞こえてくる。いや、それは違うじゃん。確かに簡単だったのかもしれないけどさ、それでも時間をかけてやってくれたんだよ。お礼くらいは、なんて思ったけど私がそれを言って彼の立場が悪くなったら申し訳ないなとか思って言えないまま。

 

 それでも文化祭の準備は進んでいった。私の役目は室内装飾。だから一刻も早く帰るべくペンキを塗っている。

 

「代ろうか?」

 

 後ろから急に声をかけられた。高野君だった。

 

「酒寄さん、急いでるんでしょ? さっきからチラチラ時計見てるし。何か用事があるんだったら、交代するよ。俺はもう仕事ないし」

「いや、そういうわけにはいかないよ。これは私の仕事だし。高野君は十分大事な事、やってくれたからさ」

「大事な事、ね……。まぁ、そうなのかな? でも今手が空いてるのは事実だからさ。みんな頑張ってるみたいだし、何か手伝えることがあるならするべきだと思って」

 

 その「みんな」はあなたのことを評価していないのに? そんな風に思ってしまった。多分きっと、彼もそれは理解しているんだと思う。でも気にしていない様子だった。他人のことなんて、どうでもいいと思っているのか、それとも何か理由があるのか。私にはよく分からなかった。それでもただ一つ、自分の仕事を誰かに押し付けたくはない。

 

 母の声が響いてくる。頼れるのはいつだって、自分だけなんだから。

 

「ありがとう。でも、大丈夫だから」

「そっか。じゃあ、手伝うだけにする。それならいいでしょ? どこ塗ればいいのか、教えてくれると嬉しい」

「どうして……?」

「二人でやれば、すぐ終わるじゃん。そうすれば俺は罪悪感を抱かないし、酒寄さんは早く戻れる。いいことづくめ、でしょ?」

 

 そう言って彼は笑った。どこか儚い感じのする笑顔だった。笑う事で、何とか自分の気持ちを留めているような、そうしないと今すぐにでも窓から飛んで消えてしまいそうな、そんな表情。夕暮れに染まるその顔はまるで、壊れてしまいそうなガラスのようだった。

 

 

 

 

 それが、高校一年生の時の話。そこから学年が一個上がっても、彼は同じクラスのままだった。あれから結局ウチのクラスはゲームの出来が素晴らしいっていう理由で文化祭の最優秀模擬店賞を獲る。でも、その打ち上げに立役者の姿は無かった。主催者曰く、誘おうと思ったら片付けだけ終わらせてさっさと帰ってしまったらしい。それでも連絡だけは入れろよ、って内心で呟いた。それすらしてないそうだから。

 

 後日その話をしたら、別にいいって言っていた。興味が無いそうだ。それでも、あなたの成果が大きいんだから、ちゃんと称えられるべきなのに。

 

 後になって考えてみたら、ちょうどツクヨミの大規模アップデートの時期で、疲弊していたんだと思う。すぐに帰ったのは続きをするためかな。それを加味すると、自分だって忙しいのに私の手伝いをしていたことになる。私が早く帰りたそうだったからっていう、ただそれだけの理由で。そんなこと、当時の私が知る由も無かったけど。

 

 きっと彼は私でなくても同じことをするのだろう。今となっては、そうであることが誇らしい。私でなくても手を差し伸べてくれる優しさを持った人を好きになってよかったし、そんな人が私やかぐや達を優先してくれるっていうのが嬉しいから。

 

「はいじゃあ、テスト返すぞ~。今回もこのクラスから学年トップ3のうち、二人が出たぞ。みんなも見習って勉強するように」

 

 ホワイトボードに映し出されたスライドには、数学の学年トップ3の点数とイニシャルが表示されている。このクラスの中にI・Sは私しかいない。96点で第二位だ。一位のところには、K・Tの名前とこのクラスであることが書いてある。点数は100点。K・Tでこのクラスなのも一人だけだ。

 

 高野楓。私は思い返せば、入学して以来一度たりとも数学で彼に勝てていないのかもしれない。

 

「高野君? 数学凄いよねぇ、普段ずっと寝てるけど」

 

 真実だってそれをしっかり認識している。彼が自分で自分をどう思っているのかは知らないが、理系の天才っていう感じの認識がクラス内では存在していた。文系はからっきしみたいだけど、それもまたなんだか天才っぽいのかも。才能あるのは羨ましい。

 

 ――人を羨んでどうするん。自分のことは自分でしかどうにか出来んのに――

 

 母の言葉が呪いのように響いた。私には、人を羨む権利も無いのかもしれない。努力とか、したことないのかな。失礼な考えが頭をよぎった。

 

「この前助けてもらったよ、私。分かんない問題の時、シャーペンでノートをコツコツって。そこに答え書いてあってさ。私が刺されたときまで寝てたはずなんだけどね……」

 

 隣の席に座っている芦花が言っている。お礼にあとで飴をあげたらしい。ビックリした顔でありがとうって言われたそうだ。お礼がもらえるとは思ってなかった、つまりは裏返すとそんなに大したことだと思ってなかったんだろう。寝起きの一瞬で問題が解けるあたり、つまりはそういうことのはず。

 

 私にそんな風に得意な何かがあればな。もう少し、この完璧女子高生生活も楽だったかもしれない。誰かに縛られることなく、あんなふうに自由になれたら。作り物の翼で足掻いている私にとっては、天賦の翼で飛んでいく存在への小さな憧れみたいな感情もあった。

 

 

 

☽   ☾   ☽   ☾    ☽   ☾

 

 

 

 

 そして、夏休みまであと一ヶ月くらいになったある日。バイトでヘロヘロになって、それでもどうにか帰宅して、倒れこんだ日。なんとか気力を振り絞ってヤチヨの配信を付ける。今日はデバック配信をしながらコメントに応えていてた。

 

 仮想空間ツクヨミの統括管理AIライバーこと月見ヤチヨ。私の生き甲斐にして推し。まごう事なき存在理由。その存在に救われていた。チャットで誰にも言えない感情を打ち明けたり、ライブまでは生きようと頑張ったり。配信の無い日は過去の切り抜きを見て耐えた。食欲のない日もなんとか食べられた。

 

 ヤチヨがいないと、私はきっと生きていけない。そんな、私にとっては神様みたいな存在。だから祭壇も作って祀っている。

 

「Bブロック終わりました。Cブロック入ります」

『よろで~す』

 

 月見ヤチヨの後方で静かに作業をしているのがツクヨミの守護神ことアメツキカエデ。年齢不詳、性別は多分男性。それしか情報の無い謎の保守管理人。統括管理補佐という名前で長い事活動している。もう今年で六年目か七年目くらい、かな?

 

 月見ヤチヨの活動初期からいるので、ヤチヨの開発者か或いはツクヨミ開発者、最低でもその関係者と言われている。凄まじい腕と速度で諸々の問題に対処し、作業を進めていく姿は人間コンピューターとも言われていた。別名はツクヨミの守護神。チートや不正を絶対に許さず、厳格な運営をする。そういう信頼のある存在だ。

 

 私にとっても、推しのいる場所を守ってくれている感謝するべき存在。彼がいるからこそ、ヤチヨは今日もその歌声を世界に届けている。ライブの演出監督とかもしているらしいし、私が涙を流した数多くの演出は彼が考えているのだろう。ヤチヨへの理解度と魅力の出し方の技術が上手すぎる。結果出力される演出がエモすぎるので、毎回涙腺が無くなっていた。

 

『やっぱりねぇ、今の時代隣近所の関係性って希薄でしょ? まぁね、どんな人が住んでるのかとかも良く分かんないし、怖いよね。でも最低限挨拶くらいはしておくと、なんかあった時に助けてくれるかもしれないよ。顔くらいは知ってる人と知らない人だと、動くためのハードルの差があるからさ』

 

 ヤチヨの言葉はいつも含蓄があるなぁ。人には見せられないような顔をしながら、机にへばりつつ画面を見ていた。守護神は一度休憩に入ったらしい。

 

 すると、私の家のベルが鳴らされた。ジーという音が響く。何も注文なんかしてないし、何事?

 

「はい」

「すみません、夜分遅くに。隣室に越してきたので、ご挨拶に伺いました」

「分かりました、ちょっと待ってください」

 

 後になって思うと不用心だけど、この時の私は控えめに言って頭が回ってなかった。だから、そんな言葉にも無警戒で外に出た。隣、しばらく空いてたけど人が入ったんだ。これからはちょっと静かにしないとな。そんな事を思いながら。

 

「どうもわざわざご丁寧、に……」

 

 顔をあげると、そこには同級生がいた。目玉が飛び出そうになる。

 

「えぇぇっ!?」

 

 私が声を挙げるよりも早く、高野君が声を挙げていた。普通逆じゃない? 目線が泳いでいる。私のどこを見ればいいのか分からないって顔だ。そういう男子っぽい感情ってあったんだって、私はむしろ安堵にも似た感情を抱いた。この人も、ちゃんと俗っぽいっていうか、人間っぽいところあったんだって。

 

「あ、えっと、高野楓です」 

「知ってるけど……?」

「そ、それもそっか。ごめん、ちょっと動揺した」

 

 まさか、名前を覚えられてないと思ってたのかな。ちょっとショックだ。いつも理系の点数上位にいて、忘れるわけないんだけど。

 

 身長は多分、165センチくらい? そんなにいうほど高いってほどじゃない。女子の高い人とあまり変わらないくらいだ。ちょっと細身の身体で、腕とか足も細め。色白の顔に垂れた目もと。こうしてしっかり表情を見ると、顔立ちは結構整っている方だと思う。

 

 あー、違う違う。そんなどうでもいい事を考えている場合じゃない。ここで私が限界女子高生の生活をしているのは、芦花とか真実以外にはバレたくなかった。高野君にバレてしまったのはもう仕方ない。誰が悪いってわけでもないし。それでも他に言いふらしてほしくは無かった。

 

「あの、さ。いきなりこんな事頼むのはちょっとおかしいかもしれないけど……」

「お、おう」

 

 だから、私は手を合わせて拝む。

 

 ――人に頼むんなら見返りを用意せな。見返りの一つもないのに、人は動かへんよ――

 

 どうか、彼が大きな見返りを求めない人でありますようにと願いながら。

 

「私がここに住んでるって、周りに言わないで」

「あー、そういうね」

「ぶっちゃけ高野君がこのお願いを聞かないといけない理由も聞くメリットもないんだけど……何か出来る事があればするから、出来る限り黙っていて欲しいというか何というか……」

 

 私の渾身のお願いだ。それに対し、彼はなんだそんな事かという顔をした。

 

「あぁ、別にいいよ」

「へ?」

 

 そんなにあっさり了承されるとは思ってなかった。だから変な声が出てしまう。

 

「酒寄さんも、色々あるんだろうし。言いふらすような事しないって。俺にそんなことするメリットも無いし、する相手もあんまりいないし。あと、出来る事があればとか、気にしなくていい。こんなの見返り無くてもやるでしょ、普通に」

 

 普通に。その言葉が痛い。私は彼に凄く失礼な事をしてしまったのかもしれない。見返りを用意しないと動いてくれないような、そんな人だと勝手に思って、決めつけて行動してしまった。彼は、本心からかは分からないけど、それでも「普通に」なんて言いながらOKをしてくれる人なのに。

 

 頼んだのは自分の癖に、罪悪感でいっぱいになった。母の言葉に反するような存在が、高野楓という存在なのかもしれない。そうだったらいいなと、どうしてかそう思った。空を飛ぶ翼を持つ人には、偽物の私やそれを縛るものよりももっと高くにいて欲しかったからかもしれない。高くから私たちを見下ろして、それでいてそれを気にすることなく飛んでいて欲しい。

 

「誰か、ご家族は? いたら隣に越して来たって伝えておいて欲しいんだけど」

「ここには、いない」

「あー」

 

 彼は何かを察してくれたみたいだ。そういえば、去年の文化祭の時も私が時計を気にしていることに気付いてくれた。人の心を察するのが上手い……のかな。もしくは踏み込み方が上手いのかもしれない。

 

 おやすみなさいと言って別れた。隣人としてはそんなに悪くないかもしれない。変な人よりはよっぽど信用できる。

 

 普通に――という言葉がずっと頭の中でリフレインしている。彼の普通が本当の『普通』なのか、それともそうじゃないのか。私にはわからなかった。

 

 

 

☽   ☾   ☽   ☾    ☽   ☾

 

 

 

 

 それから数日経った。私の話が広まる気配は全くない。高野君はちゃんと約束を守ってくれていた。彼にとっては、本当に普通のことだったんだ。私にとってはそうではない事でも。今日もバイトの後輩ちゃんは水をお客様にかけてしまった。面倒なお客さんのプレゼントもあったけど、なんとかスルー出来た。今日も私は元気……ではないけど生きてる。ヨシッ!

 

 空元気で足を動かしながら部屋にたどり着く。階段を昇ろうとしたとき、上から声が掛けられた。

 

「あ、こんばんは」

「こ、こんばんは……」

 

 もうなんか掠れた声しか出ない。彼の目は私を心配するような色をしていた。

 

「酒寄さん、バイト?」

「そうだけど……高野君は?」

「俺は夕飯の買い出し。この後、バイトだから」

「在宅ワークかぁ、いいなぁ」

 

 在宅でできるバイト、何かないかな。通勤時間が減る分、勉強に充てられるかもしれない。

 

「それって、私でも出来る?」

「どうかな。まぁ酒寄さんならすぐに覚えてちゃちゃっとこなしちゃうかもしれないけど。懇切丁寧に教えてくれる上司もいるし、働きやすいとは思うから」

 

 ちゃちゃっと、ってところはちょっと異議を申し立てたかった。私だってちゃんと勉強して勉強して、とにかく必死に勉強して総合一位を確保してる。そんなにちゃちゃっと出来たら苦労しないっていうか、それはどっちかというとそちらの方ではないですかね、数学とか情報におかれましては。疲れた思考からはそんな考えしか出てこない。

 

 悪気があって言っているわけじゃないんだろうから、こんな風に考えるのは良くない。それにきっと、私のことを尊敬してくれているからああいう言葉になったんだろうし。

 

「興味あるなら紹介しようか? ツクヨミのシステム保守とかの業務なんてあんまり面白くないかもしれないけど」

 

 その言葉を聞いた瞬間、疲れとか考えとか全部吹き飛んだ。竜巻みたいな速度で私の思考から彼の言葉以外の全部が抜け落ちる。

 

「え、は、今なんて?」

「いや、ツクヨミのシステム保守に興味あるかなって」

「あぁぁぁぁぁ!」

「さ、酒寄さん。あんまり公衆の面前で大きな声出さない方が……」

「いや、無理無理無理。え、え、じゃあこれ高野君!?」

「何が……?」

 

 状況を呑み込めていないであろう高野君に、この前の配信のアーカイブを見せる。そこには保守作業を進める私の女神とその補佐役が映っていた。私の知る限り、ツクヨミの保守をしているヤチヨ以外の存在はこのアメツキカエデしかいない。つまりは、彼が冗談を言っていないなら、このツクヨミの守護神は高野君ってことになる。

 

「このアメツキカエデって、高野君なの!?」

「まぁ、はい、そうです」

「じゃあ! 上司ってヤチヨ!?」

「そう、なるね」

「……」

 

 もう失神しそうだった。推しの相棒がこんなすぐ隣にいるなんて。発狂しそうになっている私を気遣ってか、紹介しようかと聞いてくれた。でも丁重に断る。ヤチヨの部下なんておかしくなってしまいそうだし、何より彼と同じ水準で仕事なんてできない。きっと、そのレベルに至るまでには何十年もかかってしまうだろう。他の全部を投げうったとしても。

 

 私は母を追いかけないといけない。品行方正に、成績優秀に、文武両道に、そうして初めて私は前を向ける。私は私のはるか先を行く母の背中を捉えたい。そうやったとしても、母は私を褒めないだろう。そうだとしても、私は――

 

「じゃあ、私は戻るから……」

「り、了解。あ、そうだ、ちょっと待って」

「え?」

 

 彼はすぐにUターンして自分の部屋に戻る。そしてすぐにまた出て来た。手には何かを持っている。

 

「お待たせ。はい、これ」

「これって、防犯ブザーと懐中電灯?」

「そうそう。防犯ブザーは俺が小学生の時に使ってたやつ。電池式だから、まだ鳴ると思う。懐中電灯は全然普通に使えるはず。お節介かもしれないけど、持ってた方が良いと思うからあげる」

「えっと……」

「あー、ごめんキモかった?」

 

 彼は困ったような表情で頬を掻いている。

 

「そういうわけじゃないけど、どうして?」

「いやだって、普通に夜は危ないし。ただでさえ女子の一人歩きは危険だよ。あんまりよくないと思うけど、酒寄さんも別に好きでしてるわけじゃないだろうから。街灯少ないとこも多いみたいだし、護身用と言うかであった方が良いじゃん。酒寄さんみたいな子だと、なおさら狙われるかも分かんないから」

「でも、貰うって言うのは……」

 

 人から貰いものをするのは苦手だ。親切だってわかっていても、どうしても。だから時々芦花や真実が強引にしてくれるのを受け取るくらいしかしていない。私たちはきっと、友達ですらないんだと思う。友達の定義なんて曖昧だけど、彼はきっと私を友達とは思っていないような気がした。だから、受け取るのを躊躇ってしまう。

 

「気にしないで。どうせ使ってないし。あ、変な盗聴器とかは入ってないから、心配しないで。それに、ヤチヨも自分を推してくれてる酒寄さんが安全な方が嬉しいと思うよ」

「そういう、ことなら……。ありがとう」

「どういたしまして。じゃ、お休み」

「おやすみなさい」

 

 ちょっと強引なくらいに渡してくる姿に断り切れないまま、私は防犯ブザーと懐中電灯を受けとった。扉を閉める前、階段を下りていく彼の小さい呟きが聞こえる。

 

「酒寄さん可愛いんだから、気を付けないと……」

 

 そう言いながら、その背中はアパートの下へと消えていく。私は扉を閉めたその玄関で、暗い自分の部屋に向かって懐中電灯をつけてみる。真っ直ぐな白い光が部屋を照らした。

 

 彼はきっと善意で渡してくれた。下心とか、そういうのは感じられなかった。これでもモテる方だとは思っているし、相手が下心を抱いているかくらいは分かる。でも、そんな感情は感じなかった。純粋に私を心配して、大丈夫かなと思って、渡してくれたんだ。

 

 ありがとう、と私が告げた時のはにかんだような、安堵するような笑顔が記憶に残った。私の帰宅時間が少しでも安全になってくれればと願うような、そんな優しい顔。その表情は遠い思い出の中の父の()()と、少し似ていた。

 

 でも、父とは違って彼は私の家族でも友達でも何でもない。ただの隣人で、クラスメイトだ。それなのに、どうして心配してくれるんだろう。その答えは分からなかった。折角貰ったんだ、確かにこの辺は住宅街で街灯の少ない場所もあるしありがたく使おう。そう決めて、二つをバッグにしまう。

 

 その時、私はふと思った。

 

 

 ――そういえば、彼の前だと取り繕わなくていいような、そんな気分になる。

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