朝起きても、夢から醒めてないみたいだった。昨日の夜に拾った謎の宇宙人赤ちゃん。夜泣きはしなかったみたいで、スース―と寝息を立てている。寝ている顔が天使とはよく言ったもので、朝日を浴びた産毛はキラキラと光っていた。ついつい撫でたくなる。
寝ぼけまなこだったのがようやく覚醒してきた。昨日の夜、この赤ちゃんを光る電柱から拾い上げた。そして、高野君が助けてくれることになった。それでさっきまでテキパキと指示を出してくれていたんだ。
久々に起動したエアコンが音を立てている。電気代が勿体ないけど、背に腹は代えられない。人(?)命が第一だ。そうやって自分の周りにある状況をしっかりと呑み込むと、途端に気になる事が出てくる。
「というか、このあちらこちらにあるベビー用品は……?」
「あぁ、それは昨日酒寄さんと別れてから買った」
「買った!?」
素っ頓狂な声が出てしまった。これだけあるベビー用品をどこで買ったのかは不明だけど、それでも随分とお値段がすることだけは分かる。マットレス、オムツ、前かけ、ベビー服、抱っこ紐、哺乳瓶と粉ミルク、消毒液、乳液、タオルやマットレス、ガラガラとかまである。これだけあれば赤ちゃんが育てられますよっていう一式が揃っていた。
「うん。ドンキで買ってきた。まぁまぁ安かったよ、その量にしては」
「そんな、レシートは?」
「あー、捨てた。俺、レシート貰わない主義なんだよね」
「じゃ、じゃあ支払い履歴とか。ふじゅ~payとかの」
「俺、現金派だから」
「あ、そうなんだ。……ツクヨミの保守担当っていう滅茶苦茶電子派っぽい感じなのに?」
私のツッコみをスルーして彼は話を続けている。どう考えても嘘だ。今回は咄嗟のことだったから誤魔化し方が下手だけど、それでも私に支払いをさせようとしていないのだけは伝わってくる。きっと、どう頑張っても教えてはくれないんだろう。
この子をどうするかの方が大事だ。今はそっちを優先しないと。そう告げている高野君のいう事に渋々同意する。
「もうちょい大きくなってくれればなぁ。流石にこの状態だとつきっきりじゃないといけないだろうし」
「あんまり変わんなくない?」
「いや、もうちょい大きければなんか作業とかもできるし、その間は遊んでてもらえばいいから」
「どこで」
「俺の部屋で。酒寄さん、学校行かないとだしさ。日中は俺の部屋にいて、寝る時だけ酒寄さんの部屋にいるとか。最悪俺が引き取ればいいし」
「いや、いやいやいや。そういうわけにはいかないでしょ、私が拾ってきちゃったんだから。高野君をそんなことに巻き込めないというか、そこまでさせられないっていうか」
なにをさも当然のように、とビックリしてしまった。助けてくれるのは凄く嬉しかったし、今でも心強いと思ってる。それでも、そこまでしてもらうわけにはいかない。これは私が始めたことなんだ。だったら、最後まで責任を持たないといけない。助けてもらうのは仕方ないとしても、あくまでも自分が主体にしないと。彼にだって将来がある。
この子は確かに可愛いけど、そんな一時の感情で流されたらダメだ。そんな私の感情を見透かしたみたいに、彼は言葉を紡ぐ。私を堕落させてくる言葉を。
「俺には将来の事とか目標とか無いし。だから、この子と二人でも頑張れば暮らせるかなって」
「頑張ればって……そんな努力、本来の高野君はしなくてよかったんだよ」
「でも、俺は自分から関わりに行った。見て見ぬふりとか出来たけど、それでも手を出すって決めたのは俺自身だからさ。それに努力っていうけど、普段の酒寄さんのしてる努力よりはきっと何倍も矮小だろうから。それくらい出来なきゃ、情けなすぎるよ」
一人で生きていかなくても良い方法があったのにそれを選んだ私。一人で生きていくしかなかった彼。どちらが努力していると言えるんだろう。確かに私の成績を総合的に見れば学年でも学校でも一番だった。でも、それは自分で能動的に選んだ道だ。
あなただって、十分努力してるんじゃないの? そんな言葉が喉から出てきそうになる。そんな事を私に言われたって、腹立たしいだけかもしれないのに。私には帰る家は一応ある。甘ちゃんだからすぐに帰って来ると言われたってことは、逆に言えば帰れはするってコトだ。彼とは、違って。
どうして、そんなに自分の努力を下に見るんだろう。
「子供にはさ、誰か親とかそういう代わりの人がいた方が良いだろうし。一人は、寂しいから」
高野君の瞳は私を見ていない。私の奥にいる誰かを見ている。それが誰なのかは、考えるまでも無かった。その寂しそうな瞳が全てを物語っているのだから。巻き込んだのは私。でも、覚悟が決まっていなかったのも私だった。
手を出すのって決めたのは俺だから、と言った時彼は凄く真剣な表情だった。普段の優しそうな顔とはまた少し違う。優しさはあるけれど、その中に確かな覚悟や信念を感じさせられた。彼が覚悟を決めているのに、私が迷っていてどうするのか。しっかりしなさい、酒寄彩葉。自分を叱咤する。
「……決めた」
私は静かに言って立ちあがった。
「もうちょっと様子を見る。まだどうなるのか分かんないし、もっと大きくなって自活できるようになったら追い出せばいいし」
「追い出しはするんだ……」
そう言いながらも、良かったと言わんばかりの顔で彼は笑っていた。自分がこれから面倒な運命に巻き込まれるってきっと理解してるんだろう。でも、それでもそんな風な顔が出来る。私には出来ないことだ。きっと私一人だけだったら頭を悩ませていた。でも、彼だけでもきっと彼は同じことをしたんだと思う。
そうであって欲しかった。そういう優しさを持った人であって欲しいと、私は勝手にそう思っていた。
「この件に関しては、俺と酒寄さんは共同戦線みたいなもんだから。だから……」
高野君は言葉に迷っている。私はそれを待った。
「それぞれ出来ることは違うだろうから、出来る事を出来る範囲でやっていこう」
「分かった。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
差し出された手を握る。細い腕だけど、男の子の手だった。お父さんの手を握ったのはいつだっけ。もう忘れてしまった。お兄ちゃんのは、いつだっけ。思い出せない。大事な思い出は、いつの間にか新しい思い出に塗り替えられてしまうのだろうか。
そして、今一番最新の記憶になっているこの子をどっちの部屋に置いておくかは揉めに揉めた。高野君は融通がきく自分の部屋の方が良いと言ってくれたけど、流石にこれだけは譲れない。お金も払ってもらって、何度も助けてもらって、ここまで甘えたら私の責任が無くなってしまう。だから、何とか私の部屋に置いておくことで納得してもらった。
柔らかい顔をして、ネットに何年もいるだけのことはある。レスバはめちゃくちゃ強かった。ぬるぬるっとああでもない、こうでもないと言ってくる。なまじ優しいし善意があるからこそ強く出にくい相手だった。ヤチヨに鍛えられたのかもしれない。
「俺もちょくちょく様子は見にくるよ。迷惑じゃなければ」
「むしろ助かる……」
「ちょっとこっちも佳境だから、そこまで助けられないかもしれないけど、買い出しとかならちょちょっと行くから。遠慮なく呼んで」
「……うん」
あなたに頼りすぎてしまったら、きっと私はおかしくなってしまう。そんな確信が既に存在していた。
「俺、やっぱり頼りない?」
「そんな事ない!」
否定しながらも、母の声が響きかける。
――ほんまに頼れるのは、いつだって自分ひと……――
「だったら、もっと頼ってくれると嬉しい。少なくともこの件に関しては、酒寄さんは一人じゃないんだから」
高野君の声が、脳内に再生されかかった母の声をかき消していく。その感覚が、どうしようもないくらいに心地よかった。それで良いのかは分からないけれど。
それから赤ちゃんはよくタブレットを見ていた。アンパンマンとドラえもんをよく見てたと思う。あとはEテレ。音声だけは聞こえていたけど、子供向けアニメって結構構成力が高いのかもしれない。子供だましで子供は騙せないって言うし、そういう部分こそ一流が本気を出すのかな、なんてミルクを飲ませながら思った。
「ふひひひ」
赤ちゃんは良く笑っている。一度笑顔を見ると、また次の笑顔が見たくなる。勉強、子守唄、ミルク、オムツ。このサイクルが繰り返される。その中で時折彼は姿を見せて、赤ちゃんと遊んだりしてくれていた。
「良い飲みっぷりだねぇ」
腕の中に赤ちゃんを抱いた姿はお父さんみたいだった。そうなると、私はお母さんなんだろうか。母になった自分なんて想像もできない。身近にあるモデルケースが自分の母だからかもしれないけど。
「やっぱりお金払った方が良いって」
「その話、まだ終わってなかったんだ」
「勝手に高野が誤魔化したんでしょ。さっき調べたら、やっぱりトータルで万超えてるし」
「別にいいよ、勝手にやったことなんだから」
「でも……」
自分の心の均衡を保つためだ。彼に依存して、自分の責任を放棄しないためだ。私はそのためにこうして言っている。甘えてばかりいてはいけない。貰った分はしっかり返さないと。それが人として最低限のマナーのはず。食い下がる私に、高野はしょうがないなぁという顔をした。
「お金は良いよ。酒寄さん的には、対価を支払った方が良いって思ってるんだよね?」
「そうだね」
「分かった。そうだなぁ……笑ってみて。思いっきり、笑顔に」
なんでいきなりそんな事を言うのか分からないまま、私は笑顔を作る。上手く出来ているのかは分からないけど、女子なんだし写真の時とかみたいに笑顔になるのは得意だ。
「はい、ありがと。これで終わり」
「……え?」
「対価。もう、貰ったよ。今ので十分」
口説いてんの?
真剣にそんな言葉が出そうになった。多分そんな他意はないんだと思うけど、今のは一体なんなんだ。彼は自分がいくら使ったのか知っている。多分、一万円から数万円だ。それだけの金額の対価に要求するのが私の良く分からない笑顔だけって、どういう事?
そりゃ、多少はモテる自覚はある。お店にプレゼント持ってくる困ったお客さんだっているし、学校で告白を断ったこともある。じゃあ、そういう意味合いで言ったのかって言うとそんな感じでもなさそうだ。
――都合のいい話は毒や。一番食ってかからんとあかん――
いつもはシャットダウンしたい母の言葉に、今だけは全力で同意できた。
いやまぁ口説いてくれるって言うのならそんなに悪い気はしないっていうか、あと半年か一年くらいもうちょっと仲良くなってからもう一度真剣にお願いしますっていうか、そんな感じではあるんだけど、それにしたってもうちょっと時と場合を考えて欲しいというか。
絶対そう言う意図ではないのが分かっているからこそ、破壊力のある言葉だった。
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「おぉぉ!」
レンジで出来上がったオムライスとハンバーグは皿の上で湯気を出している。目の前の少女がそれを食いつくような目で見ていた。
お腹が空いたという声に夜中ながら目覚めて見れば、眼前にいたのは何と大きくなった少女でした。なんてSF小説みたいな展開が堂々と展開されている。あまりのことに大声で叫んで、隣の高野にSOSを送ってしまった。
年のほどは十歳くらいだろうか。流れ星が二つ飛び込んできたような、或いは宝石店の奥深くにしまわれているような美しい瞳。銀河鉄道の夜に、宝石箱をひっくり返したみたいな空って表現があったのを不意に思い出した。爛々と輝いていて、異国のランプを思わせる。腰まで伸びた艶のある髪は、平安時代ならば絶世の美女の条件を秒で満たしたことだろう。
この子のせいで隣人の同級生に腹グーを聞かれるという尊厳破壊を食らったけれど、私は何とか元気に……元気に(?)生きています。
「食べ方、分かる?」
「?」
高野は少女に優しく問いかけていた。その声音はいつもよりも穏やかで、安心させるような声をしている。一緒にスプーンの使い方を教えている姿は、どう考えても娘に接しているお父さんみたいに見える。記憶の中にある私のお父さんも、優しかった。家族だけじゃない、周りの色んな人の全部を受け止めてくれる人だった。
この人なら、何でもきっと受け入れてくれる。そんな風に思える。一瞬だけ、お父さんと高野の姿が重なった。でも、別人だって分かっている。
「いただきます」
「真似してごらん」
「いただきます!」
「はい、よく言えました。ご飯を食べる前は、これを言おうね」
「はーい」
お行儀よく、と躾を告げている姿は本当の親みたいだった。優しいお父さんと、口うるさいお母さん。……なーんだか凄い既視感があるのだけが嫌だったけど、それ以外はそんなに悪い気はしない。
この奇妙奇天烈生物が娘枠ってのがちょっと、いや大分引っかかるけど。
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結局、あの宇宙人は高野に任せてしまった。私には学校がある。命よりも大事な学校が。水と小麦粉のパンケーキを作っておいたから、あの子も死にはしないだろう。クソまずい、なんて失礼なことを言っていたけど。……高野も言葉を濁してたし、そんなに美味しくないのかな。
ハッピーエンドを目指すっていう訳の分からないことを言っていたけど、家で大人しくしててくれることを願った。多分高野が面倒を見てくれているし、大丈夫だろうけど。お昼には連絡が来ていて、一緒に買い物をしたり料理をしたらしい。絵面は完璧に育児をしている親子だ。今日はド平日なんだけど。
まぁ、予想外の行動をする可能性はあるけど、高野なら何とかしてくれると思う。……いかんいかん、思考が頼りすぎてしまった。頭を振りながら、私は職員室に向かった。
「このままのペースを維持できるなら、まったく夢じゃないよ」
「はい、そうしようと思っています」
「無理はしないように。身体もそうだが、心を壊しちゃ意味が無い」
「ありがとうございます」
心身ともに健やかに。中々難しい現状だ。心はヤチヨがいるけれど、身体は時々悲鳴をあげている。でも最近ちょっと口内炎も減って来たかも。そういえば、一ヶ月くらい体調もそんなに悪くない。一ヶ月の間にあったことと言えば……高野が引っ越してきた。
あれ、と思ってそこからの食事を振り返る。貰ったそうめん、貰った野菜、たまに貰う肉と魚。あと、米。意外と健康的な食事が出来ている……? 知らない間に私の食生活は隣人に支配されていたのかもしれない。いつもなんだかんだと理由を付けて渡してくるから断り切れず受け取っていたらこの有様だ。
ていうか、普段料理とかしない人だった。にも拘わらず肉じゃが作りすぎたとかカレーを作りすぎたとか、おかしな話。ドアインザフェイスじゃないけど、段々心理的ハードルが下がっていたのかもしれない。最初に受け取った時から、少しずつ、少しずつ。狙ってないと思うけど、狙ってないからこそ恐ろしい。
「親御さんも、さぞかし自慢の娘なんじゃないの?」
「え?」
古びた山羊みたいな顔をしている立花先生からは何の含みも感じられない。でも、その言葉の裏にはきっと私からの言葉を待っている気配を感じた。高野みたいに親がいないわけでもないのに学費を自腹で払って一人暮らし。その時点で、きっと立花先生も色々察している。
「だと、いいですが」
「……期限までまだ時間はある。ゆっくり考えよう」
人生経験豊富な先生は、私の完璧な笑顔に対して何かしらの思いを咀嚼していた。
「それと、高野君はどうしてる? この前連絡があって、酒寄さんの隣に引っ越したって聞いているけど」
「はい、そうです。なんでも水道とエアコンが故障してしまったそうで。今日はちょっと体調不良と言っていました」
「そうか……。自分で連絡するように言ってくれると嬉しい。もし酒寄さんが良ければだけど」
「分かりました。でも、ご自分で言った方が良いんじゃないですか?」
「あんまり電話に出てくれなくてね。メールも読んでいるのか分からないし。酒寄さんとは交流があるみたいだから」
「そうですね、仲良くさせてもらっています」
仲良く、だけじゃない事情がついこの三連休の間に追加されてしまったけど。立花先生は少しだけ何かを考えこむような顔を見せた。
「それは良い事だね。お互い一人暮らし同士だし、何か困ったことがあれば支え合える関係性の存在が傍にいるのは大事な事だよ」
それは言われなくても、痛いほど痛感している。私はたくさん支えてもらっていた。私は一体、何を返せているのだろう。
先生に渡されたパンフレットを握りしめる。東京大学。日本最高学府。私の志望校は随分前から変わっていなかった。日本で進学するのなら、ここ以外は母が認めてくれないだろうから。でも高野は堂々と高卒宣言をしているらしい。トップに近い進学校のこの高校で高卒就職なんて滅多にいないらしく、先生たちもどうしたものかと思っているらしい。
でも私には、母に認めてもらえないからという理由で東大を選んだ私より、自分の意思で大学に行かないと決めた彼の方がずっと自由で、主体的で、しっかりとしているように見えた。彼はきっと、高卒のままでもツクヨミで活躍し続けるんだろう。ヤチヨと共に多くの人の夢の場所を守るんだ。じゃあ、私は?
私は東大に行ったとて、一体何が出来るんだろう。その疑問は見ないフリをした。認めてもらってめでたしめでたしで十分だと自分に言い聞かせながら。
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