かぐやがウチに居つくようになってからそれなりに日が経った。ヤチヨのミニライブで堂々とライバーになる宣言をしたその日から、ノンストップで活動を続けている。高野にライバーとしてのいろはとか心得を習って、それを活かしつつ猛進撃中だった。長年ツクヨミにいて、その創設にかかわっているだけのことはあって、彼のアドバイスはどれも的確に思える。
夏休みも中盤を迎えた今、彼女の順位は二百八十位。無名の新人ライバーが怒涛の追い上げを見せている。大健闘も大健闘。ヤチヨカップが終わってもこのまま活動を続ければ専業として食べていくには十分すぎる結果だ。でも……
「まだまだ足りない! どうすればいいのだー!」
欲張り全開なお姫様は全然納得していないご様子。私も曲を作ったりでたまに手伝ってはいる。でも勉強は疎かに出来ないので、本当にたまにだけど。この前、高野にピアノを聴かせた日、私は良く分からない質問をしてしまった。私とかぐやの、どっちの味方かなんて。
案の定どっちもっていう答えが返って来た。想像していた通りではあるんだけど、心の中に何かモヤっとしたモノがある。私の味方だって言って欲しかった。そんな思いが消せない疵のように、ドロッとした塊のように、胸の中にある。
「ゆ゛う゛し゛ょ゛う゛し゛た゛い゛い――!」
かぐやは砂浜に広げたレジャーシートの上で、ゴロゴロと転がって不満を表明している。今日はかぐや、芦花、真実、私の四人で海に来た。知らぬ間にかぐやと芦花で水着を買いに行っていたようで(お金は高野が出したらしい。あとで甘やかさないようにお説教だ)、かぐやは宇宙人生初めての水着。芦花は新調したようだった。真実と私は去年と同じまま。
本日は保護者その2ことお父さん枠高野はお休み。ヤチヨに呼び出されて仕事中らしい。ただ、私はそれは言い訳だと睨んでいる。女子四人に囲まれて海とか死ぬ、と夕食時に呟いていたのが聞こえた。
かぐやはごねていたけど、今回ばかりは高野が押し切っていた。よほど女子と海は嫌だったんだろう。ホントは凄い行きたかったんだけどね、と強調しながらお土産を楽しみにしてるという方向に誘導してかぐやを操縦していた。なんだ、ちゃんとワガママ全肯定ってわけでもないんだと安心したのも記憶に新しい。
「かぐや、暴れない」
せっかくの芦花のスタイリングを無駄にするわけにはいくまい。降り注ぐ陽光をそのまま身に纏ったようなオレンジ色の水着は、ツインテールに纏められたかぐやの艶やかな金髪と相まって、浜辺で輝くもう一つの太陽のように見える。
私の水着は去年と同じもの。精々年に一回か二回くらい着ればいいものなので、なるべく手ごろな価格をと思って選んだ。それでも大分痛い出費ではあったけど。あと数年は持ちこたえてもらうつもりなので、私の体形維持も必須だった。
「かぐやちゃん絶好調だよね~」
「この前の歌配信もすっごい良かった」
「犬DOGE改造計画も順調そうだし~」
「あれは楓が教えてくれてるからね! まぁ、かぐやが天才歌姫だってのもあるけど! 今度一緒に大改造するんだ~」
かぐやの鼻が天狗のように伸びていく。
「高野君は順調に保護者として成長中って感じだね」
「なんで知ってんの?」
「この前、ここの四人でご飯食べた」
「え、何それ私知らない」
「彩葉、バイトだって言って断ったじゃーん」
そう言えばそんなこともあった。あの裏で私の全く知らない会食が行われていたのか。なんかそういえばメンタルやられた人みたいな顔をしている日があった気がする。あの時かぁ。断ったのは私だし、バイトを入れたのも私。高野にもかぐやにも交友関係があって当然だ。でも、なんだか私だけ置いて行かれたみたいでモヤっとする。今日の海は来ない癖に芦花と真実とは会えるんじゃん、みたいな。
「普段寝てばっかりだけど、普通にちゃんとはきはき話しててびっくりしちゃったよ~」
「真実の彼氏と会った時は冷や汗かいてたけど」
真実の彼氏は高野のことを尊敬していたみたいだ。だから、その正体がツクヨミの守護神アメツキカエデと知って卒倒したらしい。
「いやぁ、あれは悪い男だね」
「なにが? 高野は悪い奴じゃないと思うけど」
「そういう意味じゃないんだなぁ。あと、めっちゃムキになって否定するねぇ」
真実は口角を上げながら言う。
「基本聞き役に徹してるけど、ちゃんと彩葉とかかぐやちゃんのフォローしてるし。なんか嫌味に感じさせない行動力があるっていう感じ? かぐやちゃんが座ろうとするときに椅子をさりげなく引いて座れるようにしてたり、お手洗い行くって言ってそのままお会計だけさっさと済ませてたり。なんか凄い腰が低いから、ついつい甘えそうになる感じがある」
「アレはハマると沼になるタイプと見た」
流石というべきか、私の親友二人はちゃんと彼の特徴を掴んでいる。二人の言っていることはまんま私が思っていることだ。あの行動が打算から来ていないのが逆に怖い。打算だった方が安心するレベルだ。それに、その優しさは結構誰にでも発揮されている。
関わるようになってから思う。誰にでも優しいのが時折腹立たしい。彼の優しさに付け込んで利用しようとする人にだって、きっと優しく対応するんだろう。それこそ、去年の文化祭みたいに。感謝がいらないわけじゃないのに、貰えなくても頑張ってしまう。
だからこそ、自分だけを見て欲しいと思わせる力があった。自分だけ見て、自分だけにその優しさや眼差しを与えてくれたのならどんなに……きっと深くかかわった人はそういう風に思い始めるのだろう。幸いというか、今まであまりクラスメイトとかと話すタイプじゃなかったから、そこに至った人は多分いない。あぁいやでも分かんないなぁ。裏でこっそり……っていうのは全然ありそうだ。
かぐやが蟹を持っている写真を撮って送った。酒寄さんも楽しめてる? っていうメッセージが返って来る。ほら、また私を気遣って。そういうとこだぞ。苦笑する私の小さな息が、潮騒の中に消えていった。
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気が付いたら布団の上にいた。さっきまでかぐやと一緒に出掛けていたはず。買い物に行って、高いマンションの話をしていたはずだ。そこからなんか意識が朦朧としてきて、足元がフラついて、それから……どうしたんだっけ。
「ヤバい! バイト!」
跳ね起きようとしたけど、布団に縛られているみたいに起き上がれなかった。熱っぽい身体を動かして周囲を見渡すと、状況が呑み込めてくる。私を覗き込んでくるかぐや。髪の毛が伸びたな、なんて感想を抱いてしまった。
そして、私の椅子に座って心配そうな瞳をした高野も私を見下ろしている。そういえば、私はここまでどうやって帰って来たんだろう。なんだか、温かい大きな背中に寄りかかっていたような記憶がある。妙に安心感があったというか、そのまま体を預けていられたというか。涼しい顔をしているけど、多分彼が私を背負って帰ってくれたんだ。また、貰ってしまった。
「彩葉、しんどい? バイト休む連絡入れといたから。彩葉、もう休んで」
「……え、かぐやが?」
「あと、いっぱいふかふか置いといたから、いっぱいふかふかしてね」
スマホを見れば、店長から休みを承知したというメッセージが来ている。かぐやは妹ってコトにして連絡したみたいだ。どのみちこの体調では役に立ちそうにないし、飲食店で風邪ひき店員が接客しているのは普通にバイトテロだと思うので、心づかいが嬉しい。
「……ありがと」
安堵しているかぐやとは対照的に、高野はまだ心配そうな顔で私の目や耳、呼吸を見ている。ちゃんと反応しているのかどうかを確認しているみたいだった。そういえば、亡くなったお父さんはお医者さんだったんだっけ。その血が流れているのかもしれない。
「解熱剤飲ませたから、ちょっとは楽になったかな」
「解熱剤……?」
「そうそう。取り敢えず俺の部屋にロキソニンしかなかったから。六時間は空けてね。午後八時くらいに飲めるよ」
私の机の上に解熱剤の箱が置いてある。薬は元々の私の数食分だ。複数入っているとはいえ、決して安い買い物じゃない。大事に大事に使っている類のものなので、惜しげもなく使ってくれたことに動揺してしまう。
「薬、高いのに……」
「病人が余計な事を気にしない」
「そうだよ。あ、あと病院、病院行こうよ。ね、楓」
「だね。病院は行った方が良いかな。診察券は?」
「そんなの無い……」
「そっか。そうだと思って、まだ診察してもらえる場所、見つけてあるから。タクシー呼んで、行こう」
「病院は、お金かかるから……」
「ダメ。病院には行きなさい」
拒否しようとした私に、高野は冷静な声で言った。その声は、私がビックリするくらい鋭いもの。私に一切の反論を許さないような声音。彼がそんな声を出すなんて、夢にも思っていなかった。私を見据える瞳は、逃がさないと書いてあるようにすら思える。どうして、そこまでして病院に連れて行きたいのか、分からなかった。
私が死んじゃうと泣いているかぐやを横目に、彼は静かにタクシーを呼んでいる。
「タクシーを呼んだから、黙って病院に行くこと。かぐやちゃん、付き添いお願い」
「分かった」
「いや、待って……」
「待たない。酒寄さんは嫌がるかもしれないけど、俺はこれから酒寄さんが一言も口をきいてくれなくなったとしても、病院に連れて行って、薬を貰ってもらう。体調不良なんて誰にだってある事だよ。予定も勉強も大事だろうけど、それは健康な前提あってのものでしょ。自分の身体を犠牲にしてまで得たものに、価値なんて無いよ」
「価値は……」
「ない」
彼はぞくっとするくらい冷たい声で言った。優しい目は、凛とした光を放っている。
「死んだら全部、おしまいだ」
そう言うと、私を抱き上げる。その細い腕のどこにそんな力があるのか分からなかった。熱のせいか分からないくらい熱くなった頬があまり厚くない彼の胸に触れる。この熱が病気によるものだって思ってくれればいいって、そう思ってしまう。少しだけ汗の匂いがした。私を背負って歩いてくれからだ。
「俺は酒寄さんが心配だし、元気でいて欲しいし、笑っていて欲しい。だからこれは、俺からのお願いだよ。一生のお願い。俺のことは嫌いでも適当に扱ってもいいから、自分だけは大事にして」
そう告げられた私は、俗にいうお姫様抱っこのまま階下に運ばれて、タクシーの中に詰め込まれた。アプリで呼んでいるので、支払いは彼のウォレットから行われている。私は何も出来ないままかぐやに拘束され、そのまま病院に連行されたのだった。
結局ただの風邪で、しばらく安静にしていれば治るでしょうとのことだった。何でもなくてよかったと言えばよかったのかもしれない。結構すぐに診てもらえたし。帰りもタクシーで帰って、迎えに来た高野に問答無用で抱きかかえられて布団に寝かされた。着せ替え人形みたいになっている自分がいる。
高野がくれた氷枕と冷えピタが気持ちいい。冷たい感触が得も言われぬ心地よさだった。横たわっていると、ちょっとだけ気分が良くなってくる。薬も効いたのかもしれない。
「う~ん、う~~~ん……」
かぐやはずっと何を言うべきか悩んでいる。言いかけては取り消すのを繰り返していた。宇宙人でも困る事ってあるんだ。その様子がおかしくて、そんな事を思ってしまう。
「俺は、戻ろうか? 聞かれたくない話かもしれないし」
「ううん、いい」
彼の言葉が最後のきっかけになった。そして私は、自分の話を始める。
死んじゃったお父さんの話、出て行ってしまったお兄ちゃんの話、変わってしまった母の話、正しさに潰されそうになった私の話。母ならきっと、こんな風に体調を崩したりなんてしない。実際に、私は母が風邪を引いているところなんて見たことなかった。母は誰よりも完璧で強くて、正しかった。母から見れば、私はいつも何かが足りないんだろう。
――本当に?
私の中に芽生えていたその声は、私の声じゃなかった。もっと穏やかで、優しい、私に寄り添うような静かな声。私がもっと聞きたいと思うような、今も私の椅子に座っている彼から聞こえる声だった。
「……それで、私が一人で学費も生活費も賄うならって、やっと折り合いついたんだよね」
「えらい簡単に言ってるけど、みんなそんなことしてなくない?」
かぐやは眉を顰めながら高野に問いかけている。高野は静かに頷いていた。
「最初にここで目を覚ました時のこと、よく覚えてる。何もないし、誰にも頼れないけど、自分の力で生きて行けるんだって思ったら、めっちゃ力が湧いてきた。なんかラッキーみたいな?」
清々しい朝だったのをよく覚えている。でも、同じ一人でも彼はきっと違うんだろう。一人暮らしを始めないといけなくなった時、高野はどう思ったんだろうか。そう思うと、私のこの感情も無神経に思えてくる。
「お母さんはそれくらいの事平気でやってたし、私も譲らなかったし。体調管理はすべての基本で、それで躓くやつはどんな阿呆より下、だってさ」
カツン、と私の机が鳴った。彼の人差し指が凄い勢いで、私の机の天板に叩きつけられている。
「俺の母さんは流行り病で死んだよ。そっか、阿呆か……」
彼の口から舌打ちが響いた。明確に分かる、怒りの感情だった。彼は今怒っている。優しい人が本気で怒ると怖いっていうのを、私は初めてまじまじと思い知った。今ここに母がいたらぶん殴っているんじゃないかっていうくらい、怖い顔をしている。かぐやが肩を震わせた。初めて見る高野の顔に、怖がっていた。
それに気づいたのか、すぐに表情を戻している。それでも作り笑いみたいだった。普段みたいな、優しい顔じゃない。
「ごめん、話の腰を折っちゃった」
「……高野も、そんな顔するんだ」
「するよ。俺だって、人間だから」
「そうだよね。……かぐやに滅茶苦茶されても怒らないし、最初にかぐやがいなくなっちゃったときも、怒らなかったから」
「だってどうにかなったし。心配する気持ちの方がずっと強かったから。悪意があってやったわけじゃないしね。結果的にかぐやちゃんも無事だったし……。それと同じことじゃない?」
「何が?」
「お母さんの言葉も。結果論でしょ、結果論。確かに酒寄さんのお母さんは体調を崩さなかったのかもしれないけど、それは運が良かっただけ。コロナとかでぶっ倒れてた可能性もゼロじゃない。どれだけ予防しても、そうなる人はいるよ。そういう人にも、同じ風に言うのなら俺は……酒寄さんにはそんな言葉を信じて欲しくない」
絞り出すような声で、彼は言った。もし、母の言葉は全部間違っていると言われたら、私は反抗していたかもしれない。確かに、彼の事情を考えればどう考えたって母の言葉は間違いだ。でも、私はそれを素直に認められない。
それをずっと正しさだと思っていたから。それが生きる規範で、生きる理由で、生きないといけない目標で。だから、その全部が消えてしまうような怖さがあって。誰かに否定されるのを恐れていた。母の言葉をかき消されるのを、私は怖がっていた。歪んでいると知りながらも、私は臆病だったんだ。
多分、高野はそれを分かってくれたんだと思う。だから「酒寄さんのお母さんは間違っている」じゃなくて「酒寄さんにはそんな言葉を信じて欲しくない」っていう言い方にしてくれた。そして、どういうわけかその言葉だと私は素直に受け取れた。おかしな話だと思う。言っていることはあんまりっていうかほとんど変わらないのに、不思議と受け入れてしまう自分がいる。
母と同じにならないで。彼の願いは母を否定するのではなく、私を変えようとしているからなのかもしれない。やっぱり、踏み込み方が上手いなぁ。
「親が風邪を引いた子供にかける言葉なんて「あなたが心配だ」の一言で良いんだ。体調不良の説教をしてもいいけど、それは病気の最中の子にかけるべき言葉じゃない。それを間違いって言えないなら、世界に正解は何一つ無いよ」
彼は文句の一つも言わなかった。炎天下の中私を運んだことにも、私を抱きかかえて病院へ搬送している時も、何一つ。かけてくれていた言葉は、あなたが心配だっていうその言葉だけ。有言実行をしていた。そういうところが、信頼できる。あなたはいつだって、そうやって自分の言ったことをしっかりと守っていた。私の生活を黙っていて欲しいっていうお願いを、当たり前と言ってくれたあの日から変わらずに。
「ごめん、人の親に。事情も分からない俺に色々言われたくはないよね。ゆっくり休んで、また元気になったら頑張ろう。その方がきっと、効率的だろうし。でも、忘れないで欲しい。酒寄さんは酒寄さんで、お母さんじゃないんだよ。酒寄さんはお母さんみたいになれないのかもしれないけど、お母さんはかぐやちゃんと一緒に演奏したり出来ないでしょ」
あなたはあなたのままでいい。そんな言葉を貰ったのは初めてかもしれない。母は世間的に見れば素晴らしい人だ。だからこそ、それを追いかけたいと主張する私を肯定する人は多くいたけど、否定する人はいなかった。私らしくと告げる人もまた、いなかった。
だからこそ新鮮に感じてしまう。でも、私らしさって何だろう。今更別の道なんて見つからない。彼は作り笑いを浮かべたまま、最後まで私を気遣って部屋に戻っていった。その背中を黙って見送るしか出来ない。私がもっとしっかりしていたら、あの優しい人にあんな顔をさせなかったのかな。そう思うと、自分の不甲斐なさに情けなくなる。
弱いところを見せたくなかった。それは憐れまれるからじゃない。母に言われたからじゃない。一人の女の子として、見せたくなかった。可愛いところだけ、美しいところだけ見て欲しかったから。
彼はきっとどんな私を見せても受け入れてくれるんだろう。
でも、私だって――好きな人には、綺麗な自分を見て欲しいんだ。
<彩葉風邪ひき時の10段階好感度表>
・彩葉→楓
10(好き)
・楓→彩葉
10(あなたには幸せになって欲しい)