<思い出の味>
「味覚って言うのはね、センサーによる反応なのさ」
モニターを指し示しながら、俺は研究所の中で椅子に座りつつ、話している。
「味物質が味蕾によって検出されてる。で、この味蕾は数十個の味細胞から形成されてて、味物質は味細胞に存在する味覚受容体によって検出されてるっていう順なの。まぁ、医学系の知識も豊富であろう皆は分かってると思うけどね。でだ、甘いとか苦いとかの味質はどの味覚受容体によって検出されるかで決まる。なので、この味覚受容体を再現すれば、多分疑似的な味覚再現になるってのが当初のコンセプトだったんだよ」
かぐやの身体を作るために必要なシステムは多数存在している。その中の一個が味覚システムだ。五感の中の一つであり、人間の生存の中での必要性は視覚や聴覚に比べれば劣るかもしれないけど、それでも文化的な生活を送るには欠かせない。
その味覚システムの構築の基礎にあるのは、ツクヨミの五感システムだった。スマコンは今説明した味覚受容体の反応の再現を行い、味覚神経を介して脳に伝達するプロセスをある意味ジャックして存在しない食物の味を伝播するっていう構造になっている。これを認可させるために、存在しないものを食べた際に味を感じて満腹感を覚えることによる健康被害に配慮する必要があったので随分大変だった。
ともあれ、ツクヨミは脳がある前提で組んでいた。ただ、こっちには脳が存在しない。それすらも疑似的な機械が担っているので、神経系を上手く再現できるのかは課題として残っている。
「と、言うことでだよ。目下最大の課題はこの味覚神経をどうにかして実装するってことです。ついでに言うと、いわゆる五つの基本の味を感じる配分をミスると異様に甘いのだけに反応してしまうことになるので、適量なバランスを捜す必要があるね」
「あの、副所長」
「はい、何かな?」
「これ、そこまでする意味があるんでしょうか。栄養は最悪無味無臭でも摂取できます」
「そうかもしれないね。でも、それじゃダメなんだ。それは機械と変わらない。俺たちが創ろうとしているのは
「その通り」
モニター内に表示されている大量の数値と睨めっこしている彩葉さんは、コーヒーの入ったマグカップを持ち上げながら、静かに頷きつつ同意してくれた。その左手の薬指には、入籍した時に買った指輪が光っている。
「多少後回しになってもいいから、これは必ず完成させる必要があるの。私たちが創ろうとしているのは、正真正銘の生きた人間。構成要素が細胞分裂をするかしないかなんて些細な問題で、大事なのは五感を感じ、感情を持って、記憶と共に生きて行けるかどうか。一見すると無駄かもしれないけど、疑似血液も心音も全部意味があるの。将来的に人間に使用できるようになった時、本当の意味で生命を継続できているって思えるように。みんな、分かってくれた?」
「「「はい!」」」
俺は一応この酒寄研究所の副所長ってことになっている。とは言え、俺は大学も出ていないし、学位も持っていない。論文だって書いていないし、副所長の席に座らせてもらっているのは完全に彩葉さんのおかげだ。だから、あんまり威厳とかはないのかもしれない。
職員の人たちはみんな有名大学とか研究所とかから志を持って来てくれている有名な人ばっかり。だからこそ、ちょっと気後れしてしまう部分もあった。
「じゃ、楓。後はよろしく」
「了解。とにかく大量の臨床データが欲しい。ここから暫くはその作業に入るよ。データが集まり次第、理論構築をするから、後は実践作業になる。まぁこの辺りは痛覚とかと同じかな。何か質問はある?」
「また副所長が全部データ整理とかするんですか?」
「まぁ、それくらいしか俺に出来ることはないし。というか、その方が早いからね」
「そ、そうですか……」
五感の中で残っている最後の課題が味覚と消化、そしてそれに伴う排泄などに関する部分だ。これを排除した方が楽なのかもしれない。ただ、それは人間とは言えないだろう。人間に必要な痛みは何か、いらない痛みは何か。そもそも何かを削るべきなのか。倫理面と技術面と医療面で日々頭を悩ませる日々だ。
いかに人間という存在がアンバランスで、それでいて奇跡的な配分の上に成り立っているのか。それが良く分かるようになってきた。まぁ、それでもそこに挑むのが俺たちの使命ではあるんだけど。
そんなこんなで長い事時間がかかった。精神データの転送が終了し、なんとかかぐやの身体が動き始めた後も、味覚システムだけはイマイチ調子が悪いことがあった。甘く感じすぎたり、辛く感じすぎたり、苦みが感じなかったり。その調整に苦労し、本来かぐやが抱いていた味覚感覚を再現するのにちょっとだけ時間を費やした。最終的には、なんとか復活ライブ前には間に合ったけど。
「補正計算OK?」
「大丈夫!」
「それじゃ、いくよ」
彩葉さんがタブレットを片手に言う。
「バッチコーイ」
かぐやは椅子の上に座り、デバイスインストール用のゴーグルをつけながらピースしていた。ツクヨミ内にある操作パネルを操作して、精神面に異常が無いかをチェックする。身体の方は彩葉さん、内面部分は俺。それがこのシステムの役割分担だった。今回の調整が上手く行っていれば、今度こそちゃんとした味覚を再現できたはず。上手く行ってくれと、毎度のように祈りながらモニターを見ていた。
そして、数分後にインストールが終わる。
「おはよう、かぐや。気分はどう?」
彩葉さんの言葉に、かぐやはしばらく目をパチパチさせた後、
「……ケーキ食べたいなぁ」
と言った。
「「「えっ」」」
空間に困惑の声が響き渡る。
「ちょっとなんでバレてんの?」
「オンライン経由で筐体にチャットが漏れた!?」
「んなわけあるか! 楓、ばらした!?」
「しないしない、そんなこと」
折角の機会なので、とお土産を持って来てくれた(旧姓)諌山さんと綾紬さんが困惑している。彩葉さんに謎の疑いをかけられているけど、そんなことした日には家に帰った後色々怖いので絶対にやらない。
「んんっ、はい、ご所望のケーキですよ、お姫様」
俺たちの気持ちとかぐやの気持ちがたまたま一致したのか、ベストタイミングと言うべきだろう。俺たちはかぐやの味覚復活記念にケーキを用意していた。
「…………」
「どうぞどうぞ」
「ホールごといっちゃえ!」
「青山の美味しいとこのだよ~」
俺たちの言葉に促されるまま、かぐやは目をパチパチさせて、ケーキをに目を落とし、そしてフォークを持って無言のまま救い上げた。白いクリームと鮮やかなイチゴ、そしてフワッとしたスポンジの甘い香りが室内を満たす。そしてそのまま咀嚼し、嚥下し、数瞬が過ぎた後、かぐやは目にうっすらと涙を浮かべた。
「……あまい……おいしい!」
なんとかなった。深く息を吸い込んで、そして吐き出す。思いっきり椅子に腰かけた。五感システムはついに完全作動を迎えた。これで名実ともに、かぐやは
「二人とも!」
胸をなでおろしている彩葉さんと、椅子に腰かけて天井を見ながら零れそうな涙を抑えている俺に向かって、かぐやは駆け出した。俺たち二人の両方を抱きしめるように真ん中に立って、かぐやは言う。
「……ありがと」
それだけで、俺たちには十分だった。
「でもでも~かぐやまだ『甘い』って味しか確認してないから~もっっと色んな美味しいもの食べたいなぁ~?」
そういえばそうだった。一つ満たせば、また次のもの。この子の欲望は止まるところを知らないまま突き進んでいく。まさに、欲深怪獣かぐやだ。でも、そんなところもこの子の良いところで、そんなところも俺たちが愛するこの子の姿だ。そして、その願いを叶えようと突っ走ってしまう俺たちもまた、この子の虜なのだろう。
「はいはい。じゃあ早速、夕飯は何がいい?」
「楓の炒飯!」
「おぉ、マジか。いいよ、具材のお好みは?」
「エビとカニ~。でもチャーシューも捨てがたい~」
「なんでもいいよ、中華は得意だから」
鉄鍋はまだちゃんと取ってある。昔父親に教わった思い出の味。かぐやと彩葉さんがまだ俺とは違う部屋にいたあの頃。ボロアパートの中でわちゃわちゃしていた時に作ったことがある。そういえば、また作ると約束してそれきりになってたっけ。なら、腕によりをかけて作らないと。
「二人もどう? 夜ご飯」
「おいでおいで~。真実もびっくりするから。楓の中華はマジ、店レベルだから!」
かぐやがドヤ顔をしている。この表情を見るために、この声を聴くために、この数年間を過ごしてきた。まだしたい事、していない事が沢山ある。免許も取って運転も大分上手くなった。立川の周りも、面白い場所が沢山ある。桜も見て、雪山にも行って、紅葉も見よう。望んだ未来がもうすぐやって来る。それがたまらなく嬉しかった。
<酒寄彩月の憂鬱>
酒寄彩月、年齢15歳の高校一年生。酒寄家の次女であり、長女かぐやの妹にして長男楓月と三女
15歳というのは思春期のど真ん中である。思春期のど真ん中というのは、とかく悩みの多い時期でもある。そしてそれはこの娘にも同様のことであった。それもこれも、家族が原因である。
母の酒寄彩葉は世界史を塗り替えた大偉人であり、化学・医学・物理学などの世界に燦然とその名を輝かせる存在だ。父の酒寄楓は、今や総人数が数十億人に達したツクヨミの統括管理であり、情報化社会においては頂点に君臨する人の一人である。姉のかぐやはそのツクヨミでトップを突っ走る大人気配信者であり、その名を知らない者は月見ヤチヨを知らない者と同じ扱いを受ける。
そこまではまぁ良かった。ただ、弟妹までそれに続いているのである。弟はどうやら父親の才能を受け継いでいるらしかった。既にその片鱗は見えている。妹は音楽の才能を受け継いでいるらしい。まだ小学生なのに、母からの手ほどきを受けて作曲だのをしているし、姉の手ほどきを受けて歌ってもいる。未来は歌手かアイドルか。その容姿からすれば無理もない。
翻って自分はどうか。ド派手な姉と、将来有望な弟妹と、世界史レベルの両親と。それに挟まれて、何の才能があるのかもよく分からない。人並み程度に大抵のことはできるけど、それだけ。それ以上でも、それ以下でもなかった。すなわち、一番にはなれなかった。
「テスト帰って来たから。結果置いとく」
「お疲れ~。うわ、国語百点? 凄いじゃん」
「別に……学年順位じゃ、三番目とかだから」
「それでも頑張ってるよ。俺の順位は一桁に入ったことないし」
「……お父さんにはわかんないよ」
彩月の言葉に、父親は一瞬だけ悲しそうな顔をした。褒めてくれるのは嬉しかったはずなのに、いつからか苦痛に変わってしまった。一番をとれないのに、どうして褒められるのか。彩月には理解できなかった。姉は一番なのに。弟も妹も一番なのに。私だけが、いつもそうじゃない。でも、両親は偉いと言ってくれる。努力を褒めてくれる。結果が伴っていないのに貰えるそれが、いつしか苦しくなっていた。
「彩月、いつも言ってるけど、俺も彩葉さんも彩月がちゃんと頑張ってるのは分かってるから。だから――」
「うっさい! 数学で百点しか獲ったことない天才にも、一人暮らしでゲームもバイトもしてお姉ちゃんと一緒に活動してそれでも学年一位キープしてた才人にも分かんないよ! 努力して、必死にやって、睡眠時間も遊ぶ時間も削って、それでも三位の気持ちなんて!!」
怒鳴って、何も悪くない父親に当たり散らして、彩月は部屋のドアをバタンと閉めた。鞄を床に放り投げて、ベッドに倒れこむ。気分が落ち込んでいる時は、悪い妄想ばかりしてしまう。きっと、両親にとって自分は一番の存在じゃない。だって、一番は姉なのだから。だとしたら、自分は何番目なのだろう。もしかしたら、一番下かな。
そう思うと、泣けてきた。一番になりたかった。一回でもいいから、貰える賞賛と見合っていると自分で思える成果が欲しかった。贅沢と言われてしまうかもしれない。それでも、彩月にとっては十分大きな悩みだった。十五歳の世界は、そんなに広くないのだから。涙を流したまま、目を閉じた。
気付いたら、窓の外は暗くなっていた。時計は七時を指している。無駄に大きい家のせいで、自分の部屋が妙に静かに聞こえる。それが余計に孤独を増しているような気がしていた。ため息を吐く。今は、ご飯も食べたくなかった。その時、コンコンとノックの音がする。憂鬱な頭に響く頭痛を振り払って、彩月は返事をした。
「だれ?」
「さっちゃん、いる? 入っていい?」
「……どうぞ」
さっちゃん、と自分を呼ぶのは姉だけだった。
「何しに来たの、かぐや」
「も~お姉ちゃんって呼んでよぉ」
「……気が向いたらね」
いつしか、姉のことをお姉ちゃんと呼べなくなっていた。いつからだろう。血が繋がっていないと言われた日からだっけ。そう思って、彩月は内心で首を横に振った。違う。その日じゃない。ビックリはしたけど、それは別に大した問題ではなかったのだから。いつからか忘れたけど、その臆病な自尊心と尊大な羞恥心が大きくなってからなのは確かだった。
「パンケーキ持ってきたけど~食べる?」
「……いらない」
「えぇ~! せっかくフワフワなのに~。おいしいよぉ、モチモチしてるよぉ」
目の前に突き出されたパンケーキは確かに美味しそうだった。キツネ色の生地の上には乳白色のバターと黄金色のハチミツがかかっている。それでも拒否しようとした時、彩月のお腹が盛大に音を立てた。
「お腹、空いてるんじゃーん」
「……」
「たべるぅ?」
フォークに刺さったパンケーキの欠片。そこから立ち昇る湯気。それを持った姉の毒気の無い顔。それにつられて、思わず食べてしまった。姉の顔がにんまりと微笑む。負けたような気分になりながらも、彩月はバクバクと食べてしまう。姉の料理は絶品だ。それはよく知っている。だけどそれが余計に劣等感をあおって、最近はあまり味わえていなかった。
「美味しい?」
「……まぁまぁなんじゃない」
「えぇ、自信作なのにぃ」
ぶぅと言う姉の顔は、まるで子供みたいだった。自分の方が大人なんじゃないか。たまにそう思ってしまう。こんな子供っぽい人がどうして人気で、私は……。そういう思いが募りそうになる。
学校で先生が職員室で言っているのを聞いた。
「酒寄夫妻の娘なのに」
クラスメイトに言われるのは、いつも姉の話ばかり。
「ねぇねぇ、酒寄さんってあのかぐやの妹なんでしょ? サインとか、貰えないかなぁ!?」
ちょっと好きだった男の子は、姉のファンだった。私と仲良くなったのは、姉に近付くためだった。
「酒寄さん、お姉さんの連絡先ってもらえたりしない?」
そんな小さな裏切りを幾つも経験して、彩月は15年間育ってきた。注目されるのはいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも両親と姉。最近はそこに弟妹も。電子の世界で弟は守護神二世と崇められてる。妹はリトルかぐやの称号持ち。自分には、何もない。
朝日おじさんみたいにゲームも上手くない。乃依さんみたいなカリスマ性も、雷さんみたいな知性も、真実さんみたいなリポート力も、芦花さんみたいな美貌も無い。なーんにも無いんだ。
「で、なに?」
「さっちゃん、最近元気ないから、心配になっちゃった。楓と彩葉も心配してるよ? ご飯も、あんまり食べてないし、お部屋にばっかりいるし」
「……いいでしょ、なんでも」
「でも」
「でもじゃない! かぐやには分かんないよ、私の気持ちなんて!」
姉を拒絶した。手を差し伸べてくれようとしている人が、自分にとって一番苦しい存在で。でも大好きだった。それが何より辛かった。幼いころからずっと一緒にいた。両親にかわり面倒を見てくれたこともある。近所の公園に出掛けたり、一緒に歌ったり。弟妹が生まれた時も、寂しい自分に構ってくれた。大好きで、尊敬できて、カッコよくて、憧れで、だからこそ吐きそうになる。
だから、押しのけた。
「出ってて……」
「さっちゃん!」
「出て行ってよ!」
かぐやを突き飛ばして、強引に扉を閉めた。廊下から何か言っている声がしたけど、聞こえないふりをする。無理やり移動式の本棚で扉を塞ぐ。甘ったるい余韻が口の中に残っていた。それが無性に、嫌だった。
苦しくて、吐き出しそうで、死んでしまいそうで。だから、誰でもいいから伝えたかった。適当にやり取りの履歴を見ていると、この前の春休みに帰省した京都の祖母の連絡先があった。姉や父はうへぇという態度だけど、彩月はこの母方の祖母のことが嫌いじゃなかった。礼儀作法とかには厳しいけれど、いつもお小遣いをくれるし、結構優しいと思っている。
きっとなにか慰めてくれるだろうと思って通話した。忙しいかもと思ったけれど、存外あっさり繋がる。
「もしもし、おばあちゃん?」
「どうしたん、彩月。珍しいやないの、こんな何でもない時に」
「うん……ちょっと、聞いて欲しい事があって」
そこから、ぐちゃぐちゃな想いを話した。きっと慰めてくれるという、甘い期待とともに。けれど、現実はそう簡単じゃなかった。話を聞き終えた祖母はちょっとの間黙っていた。そして、おもむろに口を開く。
「甘ったれたこと言ってんなぁ」
「……え」
「あんたが彩葉やったらこの十倍は言っとったけど、私も年やから大人しめにしとくわ。あんたは何にも一番になれへんって言うけど、全部試したんか? 片っ端から、何でも試したんか?」
「そんな、そんなの無理だよ」
「無理? なんでや。なんで無理なん? あんたの親は日本でも五本の指に入るくらいに金稼いで、環境整えとるのに。ええか、確かに人には向き不向きがある。せやけど、その向き不向きってのはやってみない事には絶対に分からないもの。違うか?」
「違わない、けど……」
「けど、なんや」
正論だった。これ以上ないほどに正論だった。いつしか口の中にあった甘ったるい何かは消え去っている。彩月は、頭の上をトンカチでぶん殴られたような感覚になっていた。ある意味では、人生で初めてかもしれない。心配でも、優しさでもなく、叩くような厳しさに触れたのは。
「勉強は本気でやったんか? 効率よくやれてるんか? 何も無駄なく最大効率でやったって本当に心の底から言えるんか」
「……」
「沈黙は何にも生まんよ」
「ごめんなさい」
「謝ってほしいんやない。答えを出せって言ってるんや」
「はい」
「勉強がイマイチなら他を試す。最大限努力して限界まで頑張って、それでもだめなら次に行く。それで、納得できる落としどころを捜す」
「落としどころ?」
「そう。あんたの両親がちょっと変なだけで、私も含めて世の中の大半は何番手かにしか
なれへんのや。私やって、弁護士資格持ってるだけのババアでしかない。私より優秀な弁護士はたっくさんいる。でも悔しいとは思わんよ。自分が出来る最大限の努力をしてるって確信してるから」
グサグサと棘のように、彩月の心に言葉の矢が刺さる。けれど、それがどこか心地よかった。
「あんたが今やってるのは、ウジウジ泣きながらずーっと足踏みして、文句言ってるだけ。あんたの両親も、姉も弟も妹も、みんな努力してないんか? 自分のできる最大限に頑張ってるんと違うんか。だから結果も出してる。天才なんて言葉で誤魔化すな。そうやって下向いて誤魔化して、やらない言い訳探して喚いてる間は、一生何者にもなれんよ。大抵の人がそのまま終わるみたいに」
「でも、私には何が向いてるのかの方向性も分かんないよ」
「それはあんたの姉に聞けばええやろ。あんな無鉄砲であっちゃこっちゃに手出す人種はそうおらん。アレに付き合ってれば、多少はなんかビビッとくるもんと出会える。あんたの世界は狭すぎるんよ。せやから、広げる。それしかない」
突き付けられた現実は苦しかった。でもそれは、家族に対して抱いていた苦しみよりも少し違う味がした。何というか、必要であるような、そんな苦み。彩月は少しだけ、ジュクジュクと疼くようにして響いていた頭痛が軽くなった気がした。
「思うに、あんたは昔っから自分で考えたお話を私やらにしてたなぁ。言葉もよう知っとるし、ウチにある本棚の本もスラスラ読めてる。そっち方面なら、多少はなんかしら出来るんやないの?」
「……ありがとう」
「別に、大したことは言うてへんよ。お礼がしたいなら、結果で返すことやな。あんたの両親がしたみたいに」
「はいっ」
少しだけ、身体が軽い。ベッドの上から立ち上がると、机の上に部活動勧誘のチラシが置いてあった。スポーツも多少できるレベル。全国とか目指せない。だから入らないままだった。一番上に文芸部のチラシがある。祖母も行っていたし、お話を考えるのも読むのも好きだった。悪くないかもしれない、と思う。向いているのかは分からないけど、確かに祖母の言う通りだ。何もしないでウジウジしているよりは、よほどいい。
でも、どうしてお話が好きになったのか。遠い記憶の中で、荒唐無稽で、無茶苦茶で、なんだかいろんなお話をパクりまくったようなストーリーを聞いたような気がする。あれは確か、両親の話だっけ。姉がいつも語り聞かせてくれた。
「さ、さっちゃん……」
ドアの向こうから姉の声がする。さっきよりは素直に話せそうだと思って、彩月は本棚をどかしてドアを開けた。
「ご、ごめんね……。さっちゃんの気持ちも分かんないで、色々言っちゃって。でも! 彩葉も楓も私も、みんなさっちゃんのことは大好きだから! それだけは、信じて欲しいな」
「……うん。わかってるよ。私も、ごめんね、お姉ちゃん」
「さっちゃん……!」
お姉ちゃん、と呼んだのに対し、姉は随分と感激して、そして半泣きで抱き着いてきた。温かさがのしかかって来る。この温もりに抱かれて、彩月は育ってきた。
「ごはん、食べよう? みんな待ってるよ」
「そう、だね」
姉に手を引かれるまま、リビングに向かう。私の顔を見た弟妹は安心したような顔になる。両親もおんなじ表情だった。
「彩月、おばあちゃんと何か話した? 甘やかしすぎって凄い長文のメッセージが来たんだけど……」
「まぁ、ちょっとね」
「内緒の話?」
「そうかも」
「ならまぁ、よしっ!」
母はそう言って満足そうに頷く。何が良しなのかはよく分からないけど、取り敢えずと彩月は席に着く。目の前には姉お手製の料理がずらりと並んでいた。両親がいて、姉がいて、可愛い弟妹がいる。少なくとも自分は家族には恵まれているのかもしれない。
嫉妬の原因にもなるし、苦しさの要員でもあるし、これから先もやっぱり辛くなることはあるんだろう。でも、それでも誇れる何かが自分に生まれたら。その時は多分、素直に色んなことを受け止められるはずだ。彩月はそう思った。
「お母さん」
「うん」
「あとで、入部届に名前書いてくれる?」
「いいよ」
母は二つ返事だった。父もうんうんと頷いている。それに胸をなでおろす。
どんなお話を書こうか、と彩月は頭の中で考えた。最初のお話は……出来るかは分からないけど、あの姉から聞いた話を文字にしてみよう。月のお姫様が愛すべき家族に囲まれながら人間として
荒唐無稽でハチャメチャで支離滅裂かもしれないけど、きっと面白さで満ちているはずだ。それに、面白く出来るかは自分の腕次第でもあるのだし。彩月にとってそれはとても、とても楽しい事のように思えた。
確か出会いは電柱? なんだかロマンティックに欠ける。どうせなら、出会った女の子は身寄りのない少女ではなく月から来たお姫様にしよう。七色の電柱にやって来るのだ。そこで出会うは若い男女。なお、まだ付き合ってない。史実がそうだし、その方が面白いはずだ。
電柱から出て来た女の子が育てられるっていうかぐや姫の現代版。でも、かぐや姫を超えていくストーリーだ。最後はハッピーエンドで〆たいし。彩月はそう思って口角を上げた。いい題名が思いついた。早速書いてみよう、未来の名作候補を。
タイトルはそう――超かぐや姫! だ。
酒寄家の子供たち
長女:酒寄かぐや
言わずと知れたインフルエンサー兼配信者兼歌手。ジャンルは何でも手を出す雑食。世界規模の超有名人。料理研究家の側面もあり、テレビ番組も持ってる。
次女:酒寄彩月
何も才能がないと嘆いていた次女。その実、文芸方面に才能が存在しており、ずっと眠っていた。家族の基準がおかしいだけで、当人も滅茶苦茶優秀ではある。この世界の『超かぐや姫!』は未来の大作家酒寄彩月の書いたお話のタイトルとなる。芦花に憧れているが、実際は真実系統の美人。
長男:酒寄楓月
酒寄家で数少ない男。かぐやと彩月に甘やかされて育ってきた。電子系の才能を父親から受け継いでいる。親父と違って察しは悪くないが、姉二人が美人なので女子が気後れし全然彼女が出来ないと嘆いている。芦花が初恋。若干シスコン。
三女:酒寄凛月
酒寄家の末娘。甘え上手なところはかぐやによく似た。母と長姉から音楽の手ほどきを受けてメキメキ成長中。一番得意なのは歌とダンスなので、アイドルか歌手を目指す可能性大。ネット世界に早くから触れているのでおませな耳年増でもある。若干ファザコン。
次回は多分、ヤッチョ視点かIFのIF(かぐやが人間と同じ速度で成長したら? の短編)かもしれません。