リクエストは意外と受け付けてるぜ☆
後半のIF-IF√は、IF√である「楓がもっと早く越してきたら」の更にIFである「かぐやが人間と同じ速度で成長したら?」になります。
<ほろよい事変>
楓はお酒をあんまり飲まない。それに気付いたのは成人してからだった。そう言えばこの人あんまり飲まないな、と。成人してから暫くの間はかぐやを取り戻すべく邁進中だったし、お酒を飲んでいる余裕も無かった。そもそもゆっくりしている余裕も無かった。
とはいえ、それも数か月前までの話。復活ライブも結婚式も新婚旅行も終えた私たちには、一時的な休息期間のようなものが訪れていた。研究は続けていくけれど、この七年ずっと走り続けていたのだし、数ヶ月休んだとしてもバチは当たらないと思う。そういう考えの下、家でのんびりしている時間も増えた。
その中で美味しいをモノ食べたり、かぐややみんなと一緒に遊んだり……色んな時間を取り戻している。集まってご飯を食べたりする時も、楓はあまりお酒を飲まないでいる事が多い。単に苦手なのかなと思ったけれど、特にそう言うわけではないらしい。曰く、酔っぱらうとどうなるのか分からないし、ツクヨミに何かあったら困るので、という事だそうだ。
しかし、しかしである。妻というか嫁というか奥さんとしては、自分の旦那さんが酔っぱらうとどうなるのかには結構興味があったりする。知らない姿が存在しているのがあまり許容できないという、束縛欲や独占欲に由来するところもあるんだけど。
ということで飲ませてみよう! と思い立った。
「研究所の皆にお祝でお酒貰ったから、飲まない?」
「二人で?」
私たちの住んでいるマンションには、キッチンの前にカウンター席がある。普段はテーブルでご飯を食べているけど、二人だけの時はこうしてカウンターに座っている時もあった。
「かぐやはまだアルコール飲めないからね」
「まぁ、そっか。うーん」
「ツクヨミなら大丈夫だって言ってたよ。今日は何があっても呼ばないから安心して~って」
「そういう事なら……いいよ。折角の彩葉さんからのお誘いだしね」
そう言って微笑むと、楓は食器棚からグラスを取り出している。貰ったお酒はそこまで度数が高いわけではないけど、スルスル飲めるせいでつい飲み過ぎてしまうと聞いている。これなら持って来いと思ったわけだ。
「何に乾杯するの?」
「もちろん、かぐやにでしょ」
「それもそうだね」
チリン、と綺麗な音を立ててグラスがぶつかった。確かにお勧めしてくれただけのことはあって結構飲みやすい。付き合いの都合とかで飲み会に行かないといけない私は、必然的に飲む機会も多かった。その度に楓が迎えに来てくれたのをよく覚えている。フワフワした気分の中で楓の背中に背負われているのは凄く心地いい。あれは私だけが知っている特権だ。
私が昔ぶっ倒れた時も、楓が背負ってくれた。そうして寝かしてくれたんだっけ。あの時貰った言葉に何度も救われた。受け入れてくれるのが嬉しかった。それでも綺麗な私を見て欲しいと思っていたのも、忘れられない記憶だ。なにせ、あの時にはもう好きだったのだから。彼は全く、まーーーーーったく気付いていなかったけど。思い返すとムカムカしてきた。
さて、どんな感じかなと楓の顔を見ると、既にちょっと赤い。最近飲んでいないせいか、結構耐性が低くなっているみたいだ。
「また、どこか旅行でも行こっか。お休みは取れるからさ」
「そうだね~」
楓の返事が間延びしている。酔い始めているみたいだった。優しく垂れた目元が潤んでいる。
「かぐやを連れて、色んなところに行きたいなぁ。赤ちゃんできたらそういう風に自由には動けないしね。三人だけの間に、色んなことを経験させてあげたい」
「うんうん」
「グラス空いてるよ。飲む?」
「うん」
返事がなんか子供っぽくなってる。楓はいつも穏やかで、家族のことを第一に考えてくれる素敵な人だ。こんな風に甘えた感じの姿は初めて見たかもしれない。よくない母性本能が刺激されている気がする。
とろん、と溶けたような瞳が私を見つめた。いつもと違うギャップがぶっ刺さって来る。これ以上は危険だ。なるほど、楓はお酒を飲むと幼児退行とまではいかないにしても、少し情緒とかが幼くなるのだ。理解した。まだ理性がある間に勇気ある撤退をするのも大人としての務めだと思う。そう思ってお酒をしまおうとした私の手が優しく掴まれた。
「どこ、行くの?」
「えっと、これしまっちゃおうと思って」
「やだ」
「やだって、もう」
「ここにいて、彩葉」
名前呼び捨て! 三十歳が近くに見えてきたこの年になって、まだ呼び捨ての名前でドキドキさせて来るのはズルいと思う。普段「彩葉さん」と呼んでくるせいで、名前の呼び捨てに慣れていない自分がいる。
私の手首を掴んでいた手がゆっくりと私の指に絡まって来る。にぎにぎしながらニコニコ笑っているその笑顔を見て、私は離せなくなってしまった。彼の顔がぐいっと近くに来る。黒い宝石みたいな瞳が私のあわあわしている表情を捉えていた。何度キスしても、その唇に触れると心が弾んでしまう。その目に見つめられると、心は女子高生に戻ってしまう。その言葉に落ち着きを貰って、その行動に温かさを感じて、その存在に踊るような初恋をしていたあの頃に。
「彩葉は可愛いねぇ」
「は!?」
「綺麗だねぇ」
「え、え」
「瞳がエメラルドみたいで綺麗。肌が陶磁器みたいで綺麗。声がいつまでも聴いていたいほど綺麗。高校生の頃からずっと学校一の美少女だと思ってたけど、大人になっても東京一の美人さんになったね。芸能事務所もアイドルグループも全力スカウトに来てないのがおかしいよ。まぁ来ても追い返すけどさ。この人は俺の奥さんなので~って。努力家で、頑張り屋で、健気で、料理上手くて、勉強も出来て、優しくて、カッコよくて、面倒見もよくて、いつでも努力してて、心も綺麗だねぇ」
自分の目がグルグル回っているのが分かった。至近距離で囁かれ続ける褒め殺しみたいな文言の数々は、一気に浴びるには刺激が強すぎる。これは一個一個個別に分けて少しずつ摂取しないといけない栄養素だ。現在、酒寄彩葉の自己肯定感は爆上げ中どころか天元突破して氾濫警報が発令されそうになっている。
彼の顔が私の顔に近付いてくる。
「いい匂い。いつも彩葉の香りに包まれてると安心できる」
「~~~っ!」
いつの間にか、私の身体は楓に抱きしめられていた。あ、死ぬ。ショートする。明かりのあるところでこれはヤバい。相手の顔とか姿が暗くてハッキリ見えないからこそ何とかなっていた部分もあるのかも。あの新婚旅行以来、私の中にあったストッパーみたいな何かは確実に消滅していた。
でも、楓の言葉はそこで少し止まった。私を抱きしめる彼の手と身体が震えている。
「だから――ずっと離れないで。傍にいて。俺より先に死なないで。俺より一秒でもいいから、長生きして」
その声は弱々しかった。その言葉にハッとさせられる。楓の人生は、家族を喪ってきた経験ばかりだ。私も、半分だけその気持ちが分かる。でも私には一応あんなんでも母がいたし、お兄ちゃんもいた。でも楓は一人ぼっちだった。ヤチヨはいたけれど、あの時はまだそこまでの関係じゃなかった。お母さんが亡くなって、お父さんも亡くなって、生きていく意味を楓が見出してくれたのは奇跡かもしれない。
だから、酔いの回った彼の口から零れ落ちたのは楓がずっと隠していた、もしくは自分でも気づかない部分に秘めていた本当の気持ちなのだと思う。家族をもう失いたくないという強い願望。それが渦巻いている。
「彩葉に出会えてよかったって、絶対に言うから。彩葉のおかげで俺の人生が幸せだって言うから。だから、俺より先に死なないで」
「――分かった。だから、心配しないで。私はずっと傍にいるから。かぐやや他の子のお母さんになったとしても、私はどこまで行っても楓のお嫁さんだから。安心して私の事を愛してね」
「ありがとう、ありがとう――」
楓の瞳から、ポトンと涙がこぼれた。私はその背中を優しくさする。いつしか時間は過ぎて、楓はスースーと寝息を奏でている。軽い気持ちで始めたけれど、結果的に楓の心の中にあった不安とかを聴けたのは良かったと思う。私の酔いは大分醒めてしまったけれど、気にならない。楓は優しいから、心の中にある不安とかを外に出さない事が多い。だから私としてはどんな形であれ話してくれただけで嬉しいのだ。
「大丈夫だからね、私の楓。かぐやと一緒だよ。絶対に、一緒に幸せになるんだから。そのためなら、どんなことでも出来るしどんなことでも頑張る」
ソファに寝かせた楓は、私の膝の上で寝息を立てている。何度も愛した彼の顔は、あどけない寝顔だ。私は楓の髪を撫でる。こうして触れていると安心感がある。一緒にいるだけで、私はここにいても良いんだと思える。何でもない毎日が少し弾んだ気分になる。ネガティブになりそうな日でも前を向きたくなる。
ソファの前のテーブルに置いたグラスを取った。もう少しだけ飲んでしまいたい気分だ。飲みながら、彼の頬に花丸を書く。昔、私が母から貰いたかったものだ。父が亡くなってから、貰えなくなっていたものだ。自分で自分にあげることが出来るようになったのは、楓と出会ったからかもしれない。
次は私が、かぐややまだ見ぬ未来の子供たちにあげるのだ。どんな子でも元気で生きてくれているだけで百点満点だと思う。そうやって、愛して肯定して褒めてあげたい。自分の分まで、たくさんたくさん、愛してあげたい。自分の事を好きになれるように。
静かに目を閉じる。膝の上の重みが心地よかった。
目を開けるとまだ夜だ。時計は夜中を指している。なんだか足の感覚がない。楓はまだ私の膝枕の上で静かな寝息を立てている。私の足は結構ピンチかもしれない。どうにかしたいのだけれど、そもそも立てない。無理に立とうとすると楓が落ちてしまう。起こせばいいかもしれないけれど、寝顔を見ていると起こしたくないと思ってしまう。割と困った。誰か助けて……、と情けない事を思った時、二階から欠伸をしつつかぐやが降りてくる。
「水~水~」
「か、かぐや……」
「うわっ! ビビったぁ。どったの彩葉?」
「た、助けて……足が……」
「足?」
かぐやは階段からトテトテとやってきて、私たちの状況を確認した。
「膝枕してたら、足の感覚が無くなったの」
「マジかぁ」
呆れた顔をしながらかぐやは楓をゆっくり抱き起こす。人工義体はそう簡単に壊れないように結構なパワーが出る。成人男性でも小柄で痩せている楓なら簡単に運べてしまう。お姫様抱っこされている姿は、ぶっ倒れた時に楓に運ばれている私みたいだった。
「かぐや起きて来たからよかったけど、どうするつもりだったのさぁ」
「何にも考えてなかった」
「イチャイチャするのもいいけどほどほどにねぇ~。かぐやにも構ってくれないと、寂しくなっちゃうぞ☆」
「滅茶苦茶構ってるじゃないの、もう」
「えへへ~でも、もっと欲しいなぁ」
欲深怪獣は健在だ。なんだか昔とあんまり変わらないやり取りに思えて、ついウルっときそうになる。いけない。私もまだ酔いが抜けていないせいで感情的だ。
「で、楓はどうする?」
「うーん、かぐや」
「なにぃ?」
「今日は、三人で寝よっか」
「!」
ニパっと太陽のように笑ったかぐやはそのまま楓を運搬して階段を上がっていく。かぐやのベッドならまぁ、三人寝れるだろう。ちょっと狭いかもしれないけれど、たまにはこういう家族水入らずの時間もいいはずだ。痺れてる足をなんとか動かしながら二階に向かう。
かぐやは楓を寝かせてスタンバイしていた。これからもう一回寝るのになんでそんな元気いっぱいの顔なのだろう。ベッドの上はやっぱりちょっと狭い。それでも二人に挟まれて感じる体温は心地よかった。
そう言えば、昔はこうしてあの狭いアパートでかぐやと二人で寝ていたっけ。あの頃もこんな感じだった。もう随分前の事みたいに感じる。
「おやすみ、かぐや」
「うん、おやすみ、彩葉」
かぐやの優しい笑顔を見つめて、私たちは小さい声で笑う。たまには、こういう日も悪くない。むしろ一週間に一回くらいはあってもいいかもしれない。そんな風に思いつつ、私は目を閉じた。二人に触れて存在感を感じている事が、何よりの安心と幸せだった。
<IF-IF√:かぐやが人間と同じ速度で成長したら?>
我が家のお姫様は三連休が終わった後もそのサイズを変えることはなかった。今日も今日とて愛くるしい笑顔を浮かべている。その小さい身体で頑張って動こうとしている姿は守らないといけない、という気持ちにさせてくれた。
でも、サイズが変化しないという事は多分人間の速度で育っていくという事なのだろう。最初の首がすわっているかも怪しい感じだったころよりはしっかりとしてきた。家庭科の教科書によれば、大体生後四か月くらいかなと思われる。まだ寝がえりはしていないし、これくらいだろう。
とはいえ、ここからが結構大変になるはずだ。まずはこの子の出生届を出さないといけない。私と楓はまだ結婚できる年齢ではない以上、酒寄姓で提出することになる。問題はこの子、つまりはかぐやが生後二週間じゃないこと。一応提出は受理してもらえ得るだろうけど、色々事情を聴かれる可能性は極めて高い。マイナンバーの申請とか子供手当てがどうこうとか、新生児の検診をしないといけないとか……生まれたばかりの子供にはやらないといけない事が多かった。
「取り敢えずさ、今後の方針についてもう一回確認させて」
「うん」
「私たちは、取り敢えず高校は卒業しないといけないよね」
「だね。俺は別に何でもいいけど、最低限高校は出ないと勧めてくれたヤチヨに悪いし」
「私は出来れば大学までは絶対に出たい」
「法学部、だっけ?」
「今のところは。最近は楓を見ててちょっと技術系にも興味があったりするけど――それはともかく」
かぐやは私の腕の中で美味しそうにミルクを飲んでいる。私の母乳は出ないので仕方ない。あ、こら、私の胸に手を伸ばしても何も出ないぞ。
「私たちが学校に通っている間、かぐやは保育園に預けたいと思います」
「それが一番現実的だね。ちょっと寂しいし不安もあるけど……」
「そのためには、この子に関するお役所の登録をしないといけません。なので今日はこれからそれをしに行きます」
「了解、準備しておく」
「ありがとう」
二人で育てていこうと決めた。高校生がそんな事をするのはおかしいのかもしれないし、普通は不可能なのかもしれない。でも、世の中には色々便利なサービスがあったりするし、頼れる知恵も多い。それに高校生の子育てで最大のネックになる金銭的な問題は解決するめどが立っていた。ツクヨミの守護神は結構高給取りみたいだ。なんでこんなボロアパートに住んでるのか、余計に分からないけど。
「それは良いんだけどさ、彩葉さんの家族に話をしないといけないんじゃない」
「あー……」
「お兄さんもお母さんも、いきなり知らない女の子が出てきたらビックリするからさ。それに、おじさんとおばあちゃんになるわけで」
「だよねぇ」
話をしないといけないとは思っていた。ただ、経緯が経緯だけにどうすればいいのか分からないところがある。
「俺のせいにすれば解決する……かな?」
「ダメだよ、それは。楓はそんな無責任なことしないでしょ」
「それはそうだけど。でも……」
「ちょっと無理筋かもしれないけど、楓が遠縁の親戚の子供を引き受けたってことにしよう。で、私は将来的に結婚してその子の母親ってことになる。これでどう、かな」
「あのお母さん、それで誤魔化せる?」
「何とかする」
「まぁ、彩葉さんがそれで行けるって言うなら、信じるけど。俺もちょっと知り合いに相談してみる。ツクヨミとか技術提供関連でそういうのを頼れそうなところに心当たりがあるから」
そう言うと楓は一度部屋に戻ってどこかと通話を始めた。私も学校に休む連絡を入れて、月曜日の朝っぱらから母に電話を入れた。
その結果はまぁ、散々に色々言われた。こればっかりは仕方ないと思う。高校生の子育てなんて無理筋と言われてしまえば返す言葉もない。一応母も大学生をしながら弟妹を育て切った経歴があるけど、流石に乳幼児ではなかった。彼氏のせいで人生棒に振るんか、というキッツい言葉を貰う。
とはいえこっちも譲れない。自分の人生を疎かにしないでしっかり結果を残すという条件で何とか不承不承の頷きを引き出した。途中で強制的にビデオ通話にさせられた時映りこんだ可愛い赤ちゃんの顔が効いたのかもしれない。あの母でも人の子ということだ。赤ちゃんの笑顔に大人は弱い。
「お母さんどうだった?」
「まぁ、なんとかなりました。今度一回殴り込みに来そうだけど」
「あぁ、殴られる準備はしておく」
バックストーリー的には楓の親族の子供という事になっているのだから仕方ないだろう。ただ、未成年を子育て対象として行政が認知してくれるのかは不安だった。
「そこは何とかなりそう。ちょっとまぁ、頼れる場所に電話してみた」
技術の売却先は官公庁もあると聞いている。日本政府だけに売却するという独占契約も交わされているらしい。その辺の縁で色々働きかけてくれたみたいだ。それがどう作用するのかは分からないけど、取り敢えず立川市役所に行かないといけない。
若い夫婦と赤ちゃんが市役所にいてもそんなに不思議はないかな。楓が買って来てくれたベビーカーにかぐやを乗せて歩いていると、若い夫婦だなぁという目で見られる。予定よりはずっと早いけど、それでもこうして新しい家庭を作れたというのは嬉しい事だった。
「ママぁ~」
「ほら、あっち見てね」
あれから数年経った。かぐやも三歳になる年を迎えた。2033年の四月、私も大学の二回生だ。東京大学になんとか入れたのは確実に楓の支えのおかげだと思っている。愛しい娘と夫がいれば、私は無敵だ。決して楽な日々ではなかったけれど、どれも煌くような思い出になっている。芦花や真実も驚愕しつつも沢山支えてくれた。多くの人の愛に包まれて、私はここまで来れている。
楓とは十八になった瞬間に籍を入れた。これにより成人となり、かぐやは正式に私と楓の娘として記録されている。そんな娘の幼稚園の入園式が今日だった。真新しい制服に身を包み、小さい手で私の手をぎゅっと握りながら入園式の看板の前に立っている。目の前ではカメラをこちらに向ける楓の姿があった。
「撮るよー」
「笑って笑って」
「うん!」
ニパっと可愛い笑顔を浮かべている。私も思わず笑みが零れる。桜舞い散る門前に、パシャリとシャッター音が響いた。楓は滅多に着ないスーツに身を包んでいる。私も母親らしい恰好になる服を選んで着ていた。大体は母の様子を思い浮かべてではあるが。
幼稚園という場所だからか、結構若いお母さんやお父さんもいる。それでも大体が二十代後半だろうか。少なくとも、今年二十歳になるのは私と楓くらいだろう。
かぐやは人見知りをしない。誰にでも元気に話しかける性格だ。知らない人に話しかけるのは危ないので止めるように注意したりもするけど、学校とかでは楽しく過ごせると思う。入園式に出るため幼稚園の先生に預けた時も、ブンブンと手を振ってからルンルンと教室に向かって行った。中々珍しい子供じゃないかと思う。他所のお子さんが結構泣いているのを見て、そう思う。
「後で書類書かないとね」
「あぁ、そういうのもあったね」
「これからずっとあるんだよ。小学校とかでも、学年の最初にさ」
「昔は親にポイって渡してたんだけどね。今は自分が書く側か」
「後悔してる?」
「まさか。綺麗な奥さんと可愛い娘がいて、後悔なんてしない」
ツクヨミは今日も大盛況だ。数億人のユーザーが利用する、文字通り世界的なコンテンツになっている。ヤチヨと二人三脚で毎日運営を行っている。そのおかげで私たち家族は暮らせていた。ヤチヨもかぐやの事を認知して、温かく見守ってくれている。端末越しに遊んでくれたりして、そのおかげか私たちが忙しい時もかぐやは一人にならずに済んだ。ボーっとテレビを見せるよりは会話をしていた方がいいはずだし。
流石にあのボロアパートは引き払った。今は、かつて楓が住んでいたマンションに引っ越している。楓が育った場所で、私たちはかぐやを育てている。
「お母さんが写真送れってさ」
「後でやっておく」
どういう形であれ孫には甘いらしい。私と態度違い過ぎないか? と思うこともしばしばだ。実家の襖に穴をあけても「元気でええやないの」と終わらせたのは流石に目が飛び出るかと思った。
入園式の会場に来るまでの廊下には、色んな園児の写真が貼ってあった。遠足、運動会、お遊戯会、クリスマス、お泊り会などなど、本当にたくさん。そういう思い出をかぐやもこれから積み重ねていくのだと思う。
もちろん楽しい事ばっかりじゃない。喧嘩したり、怒ったり泣いたり、トラブルも沢山あるはずだ。でも人生はそう悪いものじゃないと私は知っている。きっと素敵な出会いがあって、大事な友達や家族に、愛すべき人たちに巡り合える。そんな理想論みたいなものを私は信じていた。信じられるようになった。私が、そうだったから。
『本日はご入園、誠におめでとうございます。間もなく入場してまいりますので、拍手でお迎えください』
扉が開いて、侵入園児が入って来る。その中には堂々と胸を張っているかぐやがいた。心なしかどや顔を感じる。自信満々な姿に思わず笑顔と嬉し涙が出てくる。電柱の中からやってきて、腕に抱き上げた日から随分と時間が経った。
寝返りして、ハイハイして、立ったりして、歩き始めて、離乳食を食べて、ママと呼んでくれて。その全部は映像の中に収められている。旅行に行ったりもした。美味しいモノも食べたりした。これからもそうやって積み重ねていこう。かつて楓がそうやって育てられたみたいに。楓のご両親のように。
あの冬の日、遺されたビデオメッセージを見て、絶対に幸せにすると誓った。私が死んだ後に天国のお母さんと出会えたら、ハッピーエンドと言ってもらえるように。まだその誓いは終わっていないし忘れてもいない。
窓の外は、清々しい青さが広がる春の空だった。
IF-IF√の続編があるかは不明です。