気絶するように椅子に座って寝ていたところで目を覚ました。昨日は何があったっけとおぼろげな記憶を探る。そうそう、あの子がデカくなって、それでアイスをあげて、ハッピーエンドがどうこうっていう話をした。
痛む腰を抑えながら立ちあがって確認したら、もう朝の七時過ぎ。なんか忘れてるような……あ、そうだ、今日は平日だ。三連休は終わって、今日からまた平日が始まる。ただ、俺と酒寄さんの日常にはすでに非日常が入り込んでいる。あのハッピーエンド至上主義宇宙人をどうにかしないといけない。
「その相談、しないとな」
夜遅かったので朝になってからにしようと先送りした問題を片付ける必要があった。どっちかが監視していた方が良いに決まってる。ただ、酒寄さんは学校行きたいだろうし、俺が見ているのが一番かな。
隣の部屋は既に動き出している気配がある。何かの焼ける匂いが廊下に漂っていた。これは、小麦粉? あの少女のお昼ご飯でも作っているのかもしれない。
「おはよう」
「うぇーい」
少女がドアを開けてくれた。酒寄さんは鍵を渡すとか言っていたけど、正直この事態では共同戦線を張っているとはいえ、同級生の男子に鍵を渡そうとするのは良くないと思う。その話に関しては滾々と説得させてもらった。ここで受け取れるのがスマートなのかもしれないけど、そうするくらいなら俺はスマートじゃなくていい。
「高野、私服だけどいいの? 早くしないと遅刻するよ」
「あー、それなんだけどさ。やっぱりこの子、誰かが見ておいた方が良いと思うんだよね。だから俺は今日休む。出席日数は足りてるし……まぁいいかなって」
というか、この宇宙人さんまたデカくなってる。夜の間にだけ成長するのかな。でも、そろそろ成長が止まってくれないと困る。今ですら酒寄さんと同じくらいだし。月の種族の平均身長なんて知らないから、もしかしたらもっとデカくなる可能性があるのが不安だった。
朝起きたらアパートが崩壊していましたなんて洒落にならない。
「俺、そんなに学校に価値を感じてないから。酒寄さんにとっては大事だろうし、行ってきなよ」
「……分かった。ノートとか、いる?」
「いいや。なんか重要そうな連絡してたら、それだけ伝えてくれればOKかな。他に何かあれば連絡してくれれば、どうにかする」
酒寄さんは小さく頷いた。彼女にとってはやっぱり、学校は大事な場なんだと思う。それに、ここ数日はこの子の面倒を見るのに手いっぱいで綾紬さんや諌山さんとも遊べていないんだろう。二人は酒寄さんの
「じゃあ、行ってきます」
「えー! やだやだやだー! 一緒いて! 三人でいようよぉぉ~!」
「無理。学校休めないから。ここか、高野の部屋に絶対いて。あと、私の部屋から出るなら鍵は閉めて。ご飯はそこね。パンケーキ」
酒寄さんは皿の上に積まれた物体を指さす。なるほど、これがさっきまでの焼ける匂いの正体か。でもなんか、灰色っていうか、クレープの出来損ないみたいな色と形をしている。わぁ、と顔を輝かせた少女は速攻で口の中に突っ込んで咀嚼する。昨日の夜みたいな輝く瞳とは対照的なげんなり顔になっている。
「クソまじぃ……」
凄い感想を言い放った。俺もこっそりひとかけら切り取って食べてみる。なんというか、小麦粉と水の味がした。生焼けのホットケーキみたいな、やっぱりクレープの出来損ないみたいな、そんな無味乾燥な味。あと、なんか喉の水分を持っていく。これは酷い。
「ジャムが欲しい……。ウチにあったかな」
「ジャム?」
「甘いの」
「甘いの!?」
少女はやった、食べれるかもしれないという顔になっている。正直元の素材があまりにアレなのでどこまでやれるかは分からないけど、まぁジャムがあれば甘さで誤魔化せるはず。
「じゃあ、行くからね」
「待って、やだやだ! 学校ってそんなに大事?」
「命より大事!」
流石に命よりは大事じゃないと思うんだけど……という突っ込みも挟ませないくらいの勢いで酒寄さんは言い放った。でもまぁ、努力とか忍耐とかをして積み上げたモノなんだろうし、そう言いたくなるのも理解はできる。俺だってツクヨミは大事だ。流石に命よりは……でもどうだろう。時と場合によるかもしれない。
「あんたと関わったのは私の責任だけど、もう全部元に戻すから。ちゃんと高野のいう事をよく聞いて、大人しくしてなさい。いい? それで、月への帰り方を思い出す! 分かった?」
「むぅ」
「じゃあ、ごめんけど後はお願い」
「任された」
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
俺と少女を残して、酒寄さんはドアを閉める。なんか同居人との会話みたいだった。新婚さんってこんな感じなのかな。だとしても、配役がおかしい気がする。俺は何だろう、在宅ワークしている人? 確かに酒寄さんはキャリアウーマンの素質はある気がする。
部屋を見渡せばエナドリの缶と積まれた参考書と、戦時中みたいな標語の数々。どっちかと言えば、社畜の適正かもしれない。俺には無理な人生設計だ。
「ぶぅぅ」
そして、手のかかる娘枠が一人。この子を一日監視するのが今日の俺の任務だ。仕事しながらできるかな、まぁなんか映画でも見ていてもらうか。
「よし、じゃあ酒寄さん戻ってくるまで待ってようか」
「えー」
「なんかしたい事とかある?」
「したい事?」
「そうそう」
「さっき彩葉がしてたのやりたい」
「さっきって言うと、料理?」
「それ!」
料理かぁ。俺も一応一人暮らしの身。最低限の料理スキルはあるけど、あくまでも最低限だ。酒寄さんがどれくらい料理するのかは不明だけど、多分比べたら俺の方が出来ないと思う。焼きそばとかカレーみたいな楽なのは得意なんだけど。後は炒める系の男飯。
「そっかぁ、料理かぁ」
「楓、出来ない?」
「うーん、どうだろ。まったく初心者じゃないから、一緒にするんでも良いのなら出来るかもね」
「やった」
「じゃあ、このサイトを見て、作ってみたいのを探してね。でもあんまり難しいのは無理だから、ここに★マークがあるでしょ。これが二つか三つくらいのがいいかな。それが難易度的には合ってると思う」
今の時代は便利なもんで、お料理サイトなんて山ほどある。AIに聞いたらすぐ応えてくれるし、お料理配信も沢山ある。
「おぉ~すげぇー」
少女は食い入るように端末を見つめている。あれもいいなぁ、これもいいなぁという表情。その顔は無邪気そのもので、思わず笑みが零れ出る。休日のお父さんと子供ってこんな感じなのかな。そういえば、もっと幼い頃、父親と二人だけの日があった。そういう時に作ってくれた炒飯が妙に美味しかったのを覚えている。
「決まったら教えてね」
そう言って、小さいテレビをつける。
『続いてのニュースです。来る10月に控えましたサウジアラビア、リヤド万博における日本パビリオンの設置に関し、現地の建設状況を取材しました』
あぁ、そういえばそういうのもあったなぁとぼんやり眺めながら思い出す。万博って、あれか、月の石が置いてあるやつか。月の石よりもっととんでもないのがウチの家にいる。実質万博かな。
前に行ったのは2025年のだった。まだ俺が中学生になったばっかりの頃。父親と二人で行った記憶がある。何の話をしたのかはもうあんまり覚えていないけど、あの時月の石を確か見たんだ。ただの石だけど、そこには確かにロマンを感じたのを覚えている。作り物の翼で、人は月まで行った。その話をヤチヨにしたんだっけ。
「決まった!」
「そう? 見せてみて」
表示されていたのは、トウモロコシのポタージュ、新ごぼうとアスパラのカリカリサラダ、トマト煮込みハンバーグ・ズッキーニのソテーを添えて。
「お、おぉ、マジかぁ……」
「これ作れたら、彩葉喜ぶかなぁ」
「まぁ喜びはするんじゃないかな。あんまりちゃんとしたもの食べてないみたいだしさ」
ただ、これはちょっと中々難しそうなメニューに挑戦しようとしてる。やんわりと軌道修正を図ろうと思ったら、ウルウル目でこっちを見ている。
「楓~教えて~?」
「うぅーん」
「おねがーい」
「……分かった、分かったよ。だからその目は止めてね。まったくもう」
酒寄さんをちょろいとか思ったけど、俺も大概かもしれない。この子の目には、人を逆らえなくする魔力みたいなのがあるのか。
「ただ、作るには材料がいるからね。買い出しに行こう」
「行く行く!」
「その前に、服をちゃんと着替えよう。酒寄さんの服を借りればいいかな、サイズ的には。あと、靴も入るか試さないと」
「はーい」
「そして最後に大事な約束。俺から絶対に離れない事。勝手にどこかに行かない事。行きたいところがあるなら、必ず申告してから行く事。これを守れないなら連れて行きません!」
「守れる守れるー!」
大丈夫かなぁ、と心配になるが、取り敢えず信じて連れて行くことにした。
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「凄かったぁ」
スーパーは彼女にとって初めての経験。あちらを見てもこちらを見ても食べ物っていうのはちょっとしたテーマパークだったんだろう。凄く満足げな表情をしている。アレはなんだ、これはなんだと質問攻めにあってちょっと疲れた。この子は凄く好奇心旺盛で、色んなことが気になるみたい。それ自体は良いことだと思う。こっちの疲弊を無視すれば、だけど。
それと、なんか高いのを買おうとするので軌道修正にも疲れたなぁ。酒寄さんの資金力は不明だけど、多分それよりはあると思う、多分ね。無趣味で恋人も友達もいない男は使う当てもないので、ずっと溜まりっぱなしだ。……誠に遺憾ながら。自分で言っていてちょっと悲しい。
ともかく、それを放出すれば安い車くらいなら買えるだろう。ただ、それも無尽蔵にあるわけじゃない。節約を学んでもらわないと、今後厳しくなってしまう。今日は初めてなので、ちょっと大目に見た。お菓子も買ったし、少女はアイスを食べてご機嫌な顔になっている。
「じゃあ食材も買えたことだし、作っていこう。野菜の剥き方とかはこの動画を見ると良いかな。さっきヤチヨが教えてくれた」
「ヤチヨって、彩葉の推しだっけ?」
「そうそう。で、俺の上司」
「上司? 楓働いてるの? 無職じゃなくて?」
「誰がニートやねん! ちゃんと働いてます~」
関西弁で突っ込んだ。俺は関西出身じゃないし、関西弁なんか喋れないけど。
「ツクヨミっていうおっきな場所があって、そこを守る仕事をしてる」
「うぇーなんかカッコいい」
「そうかな」
そういう風に言われるのはちょっと嬉しかった。彼女の言葉は、純粋だからこそ人の心に刺さったり響いたりするのかもしれない。多分それは、俺だけじゃなくって酒寄さんにも。
「ま、それはいいから。作るなら作ろう。包丁はこれを、あとピーラーもあるから、皮はこれも使ってね。鍋とか熱いものを触る時は、必ずこの手袋すること」
キッチン用品もまとめて買っておいた。包丁は一応子供用のにしてある。最初から鋭利な刃物だと、流石に危ないし、見ているこっちの心臓が持たない。
「結構、難しい……」
「最初はそうだよ、焦らないでゆっくりね」
「むむむ」
なんか唸りながら試行錯誤している。ハンバーグに入れる玉ねぎの時は目をシバシバさせていた。月の人でも玉ねぎはきくみたい。地球産の野菜は強いな。もし月人に侵攻されそうになったら、玉ねぎを投げつけるといいかもなんて、くだらないことを考えた。
「いい感じ、いい感じ」
と言ってはいるけど、知ったかぶりでやってるみたいなもんなので、内心は冷や汗が出ている。さっきから合っているのかをチラ見しながら監視していた。流石チャットGPT。ヤチヨを筆頭にAI全盛期でもなお衰えぬそのパワー。淡々とこなしてくれるからありがたい。
月見ヤチヨは技術革新だったためか、それ以降のAIはみんなヤチヨ路線を目指している。でも、同等の物はまだ出来ていない。それに、ヤチヨは凄いけどレポートは代わってくれないと大学生の間ではもっぱらの評判だ。
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「か、完成……」
そんなこんなでAIに頼りつつの指導をしながらなんとか完成させた。我ながら奇跡だと思う。と言うより、この少女の呑み込みが早い。料理には結構ハマったみたいで、また明日は何にしようかと考えていた。包丁とかも使いこなせてきたし、成長速度は異次元だなぁ。ちょっと羨ましい。
「うぉっしゃー出来た~出来た~ルルルル~~」
良く分からない踊りと歌をしながら、少女は喜びを表現している。出来上がった完成品は確かに結構美味しそうに見える。ただ、俺の部屋の洗い場は凄いことになっていた。
「完成したのは良いけど、ちゃんと使ったフライパンは洗う事。片付けまでしてこその料理だから」
「後でやる―」
「今すぐやりなさい」
「えー」
ブーブーと言いながら、スポンジで擦っていた。凝った料理は作るのが大変なうえに片付けも面倒だったりする。ただ、すぐに泡で遊び始めたので、割とこの子は図太い。まぁ最初から酒寄さんに甘えていたりと図太さは全開だったし、今更かも。
「洗い終わった? じゃあ、ちょっと置いておいて自然乾燥を待つよ。その間に昼ご飯にしようか。折角酒寄さんが作ってくれたんだし」
「えぇ~あのくそまじぃやつ~?」
「ジャム買ったでしょ、文句言うから。人様の作ったものはきちんと食べなさい」
ジュースも買っておいた。ホントに子育てみたいになっている。世の中のお父さんお母さんは大変だなぁと、この何歳なのかもわからない子を前に思わされる。偉大な方々が世の中にはたくさんいるんだ。今度から、電車の席とか積極的に譲ろう。そう決意した。
「「いただきます」」
やっぱり食感は死んでるけど、ジャムのおかげで食えるようにはなった。流石、文明の力。あるいは、砂糖とイチゴの力。
「ねぇ、これ何?」
なんとか水と粉のパンケーキモドキを食べ終えた少女が突き出してきたのは携帯ゲーム機。たまご型のゲームで、ちょっと前に流行った奴だ。
「ゲーム機だね。ちょっとレトロな」
「へぇ~」
「それ、改造できるよ」
「改造? 面白そう!」
そんなに難しいプログラミングで動いているわけじゃないから、改造すること自体は難しくない。
「教えようか?」
「やりたい!」
「じゃあ、やってみよう」
料理に比べれば圧倒的に俺の得意分野が回って来た。パソコンと接続して、ちょっと初期操作だけやっておく。あとは簡単なコードを何個か教えていった。やっぱり教えたことを砂漠が水を吸うみたいに吸収していって、あっという間にカタカタと叩いている。
「色々試行錯誤しながらやってみてね。上手く行かないのも、どうやったら上手く行くのか考えて直して……っていうのが、これの楽しいところだから」
少女が集中モードに入ったので、一息つける。酒寄さんの家だと冷房代がかさむと思って朝からずっと俺の部屋にいた。自分の部屋でこんなに落ち着けなかったのは今までで初めての経験で面食らっている。
「どう? 問題ない?」
「だいじょぶ~」
「そっか。問題あったら呼んでね……。何か必要になったら酒寄さんの部屋に戻ってもいいし……」
どっと疲れが出てきた。ここ数日、あんまり寝れてないか、寝ていても寝落ちがほとんどで横になっていない。そのせいか、昼ご飯を食べた後だからか、異様に眠い。そして、俺は楽しそうにパソコンをカタカタしている少女を横目に眠りの世界へと落ちていった。
ハッと目を覚ます。時計はまだ午後三時だった。冷房の音がゴーと鳴っている。パソコンを使っていた少女の姿はなかった。代わりに俺の方に毛布が掛けられている。あの子が掛けてくれたのかな。自由奔放だけど、人を気遣ってくれる優しさはあるみたい。いい子だ。
さっきのゲーム機も無いし、酒寄さんの部屋に戻ったのかもしれない。様子を見ておこうと隣の部屋に行ったら誰もいなかった。一気に眠気が覚める。押し入れ、いない。お風呂、いない。トイレ、いない。アパートの周囲、いない。
勝手に出歩かないでって言ったのに……あぁでも、あれは買い出しに行くときの話で、その後の話は……してなかった。俺のミス、だよなぁどう考えても。色々不慣れな子を放置して寝ていた俺が悪かった。
携帯に酒寄さんからメッセージ。友達とカフェに行くので遅くなります、とある。一緒に探してもらおうと思ったけど、やめた。これは俺の責任だし、俺がどうにかするべきだから。彼女にとって大事な友達との時間を、俺のミスで奪ってしまうのは申し訳ない。行きそうな場所を片っ端から探すしかないだろう。
幸い、並外れた速度で走れるとかは無さそうだった。俺が寝てたのは一時間くらい。そう遠くには行けないはずだ。それに、あの子のことだし色々寄り道していると思う。レンタルサイクルは近くにあったっけ。無かったら走るしかない。
「書き置きくらいしてくれ~! あの自由人~!」
俺の悲痛な言葉は真夏の入道雲に吸われていく。青空と白い雲と照り付ける灼熱の下、俺は陽炎揺らめくアスファルトの上を駆けだした。まずは一番可能性のありそうな場所、俺たちの学校を目指して。