Obedience for You   作:壁達

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4話 デビルハンターへ

 バイトが休みの日、アザリは決まって近所の大型書店に足を運ぶようになった。目的はただ一つ、あの忌々しい服従の悪魔との契約を解除する方法を見つけ出すことだ。

 オカルトや都市伝説のコーナーには、悪魔に関する書籍がずらりと並んでいる。悪魔の存在が災害として日常に溶け込んでいるこの世界では、自己防衛のためのそういった本は常に一定の需要があった。アザリはその中から手当たり次第に本を抜き取り、片っ端からページをめくった。

 

『悪魔との契約、その光と闇』

『実録・悪魔憑きとの三十日間』

『悪魔学序説―契約のメカニズム―』

 

 タイトルだけはそれらしい本を何冊も読破したが、中身はどれも似たり寄ったりだった。憶測、伝聞、そして著者の希望的観測。実際に契約を交わし、無事にそれを解除したという確固たる事例など一つも載っていない。

 稀に「私はこうして悪魔から解放された」と銘打つ手記もあったが、著者の経歴を調べれば金儲けのための三流ルポライターばかりだ。結局は創作か、妄想の産物。そんな紙屑に縋ろうとしている自分が、アザリはひどく惨めに思えた。

 

 成果はゼロ。焦りがじわじわと胃を焼いていく。

 家に帰れば、あの悪魔が「ご主人様、次は何をいたしましょうか?」と期待に満ちた瞳で待ち構えている。日に日に、その「命令への要求」はエスカレートしていた。最初の頃は満足していた肩揉みは、とうに通用しなくなっている。今では全身のマッサージから、意味のない部屋の模様替えまで命じているが、それもいつまで持つか分からない。あの悪魔の言う「存分に」という言葉の底は、未だに見えなかった。命令が尽きた時、次に待っているのはあの耐えがたい頭蓋の激痛だ。

 

 本に答えがないのなら、人に聞くしかない。その道のプロに。

 ある日の午後、藁にもすがる思いで、アザリは多くの人が行き交う駅前の広場に立っていた。悪魔の被害に備え、こういう人だかりには必ずデビルハンターが巡回しているはずだ。

 案の定、鋭い目つきで周囲を警戒する、民間デビルハンターと思しきくたびれたスーツ姿の男たちをすぐに見つけることができた。アザリはその中の一人、人の良さそうな、しかしどこか酷く疲労した顔の中年男に狙いを定め、声をかけた。

 

「あの、すみません。ちょっとお聞きしたいことが……」

 

 男は一瞬面倒そうな顔をしたが、アザリのただならぬ切羽詰まった様子を見て足を止めた。アザリはあらかじめ用意していた嘘を並べ立てる。

 

「友達が、悪い悪魔に騙されて、不利な契約を結ばされてしまったんです。どうにかして、その契約を解除する方法はないでしょうか?」

 

 男は腕を組み、猜疑心に満ちた目でアザリを頭から爪先まで値踏みするように見つめた。

 

「……悪いが、悪魔に関する専門的な情報を一般の方に教えることはできない決まりでね。特に契約関係はデリケートな問題だ」

 

 にべもない返答。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。

 

「そこをなんとか! その友達、本当に追い詰められてて……このままだと、死んでしまうかもしれないんです! お願いします、何か少しでも情報があれば……!」

 

 アザリはほとんど懇願するように頭を下げた。その必死な様子に、男も根負けしたようだった。深く、ひどく重いため息をつき、諦めたように口を開く。

 

「……無理だと思うよ。悪魔との契約を、人間の都合で一方的に解除したなんて例は、俺は聞いたことがない。一度交わした約束は、魂に刻まれる。それを破るってのは、自分の魂を引き裂くようなもんだ。大抵の場合、待っているのは悲惨な死か、それ以上の『何か』だ」

 

 男の言葉は、これまでの調査結果を無慈悲に裏付けるものでしかなく、アザリの心をどす黒い絶望で満たした。しかし、男は憐れむような目でアザリを見ると、一つだけ極細の糸のような可能性を示唆した。

 

「……まあ、公安のデビルハンターなら、何か特殊な事例や、俺たち民間じゃ知り得ないような情報を持っているかもしれないがね。奴らは、俺たちとは持ってる情報も権限も、何もかもが違う」

 

 公安。

 

 その言葉が、暗闇の中に差し込んだ、細く、しかし確かな光のように思えた。このままジリ貧で理不尽な死を待つくらいなら、たとえそれが悪魔よりタチが悪いと噂される組織であろうと、飛び込んでみる価値はある。

 

 問題は、どうやって入るかだ。公安のデビルハンター。それは国に属する、いわばエリートの実力者たちだ。無気力にフリーターをしている自分が、何のコネもなく入れるような場所ではない。

 ひとまずアザリは、近所の図書館で公安について調べ始めた。しかし、得られたのは、公安のデビルハンターになるには、警察官採用試験か国家公務員採用試験に合格し、その後の配属で運良く選ばれるのを待つしかない、という絶望的な事実だけだった。

 

「無理じゃん……」

 

 アザリは思わず乾いた声で呟いた。勉強などろくにしてこなかった人生だ。燃えるような正義感もなければ、人並外れた身体能力もない。そもそも、奇跡的に試験に合格したところで、公安の対魔特異課に配属される保証などどこにもない。正規ルートは、完全に閉ざされている。八方塞がりだ。

 諦めかけたその時、ふと駅前で会った中年の民間デビルハンターの言葉が脳裏をよぎった。

 

『公安は優秀な民間デビルハンターをヘッドハンティングすることがあるらしい』

 

 ごく稀なケースだというが、もはやそれに賭けるしか道は残されていなかった。

 よほど優秀じゃなきゃ入れないだろう。ならば、やることは一つ。公安の目に留まるほど、派手な活躍を見せつければいい。悪魔を討伐し、狂ったように名を上げる。

 

 だが、デビルハンターになるには悪魔と戦う力、すなわち戦闘向きの悪魔との契約が必須だ。

 自分が契約しているのは、戦闘能力皆無の「服従の悪魔」。役に立たないどころか、常に命令という枷をはめてくる、足手纏いですらある。

 

 そこまで考えた時、アザリはふと気付いた。

 足手纏い。枷。だが、それは「絶対に命令を聞く」存在でもある。命令しなければ死ぬのなら、その命令を自分の利になるように極限まで使役すればいいのだ。これまでマッサージだの家事だの、その場しのぎの命令しかしてこなかったが、もっと根本的な問題解決のために使うべきだ。

 

考えがまとまると、アザリは真っ直ぐにアパートへと帰った。ドアを開けると、いつものように満面の笑みで出迎える服従の悪魔。その顔を、アザリは初めて、自らの生存のための『武器』として見定めた。

 

「おかえりなさいませ、ご主人様! 今日は腕によりをかけて、生姜焼きをお作りしました!」

 

「それは後でいい。アンタに命令がある」

 

 アザリの普段とは違う、硬質で冷たい声に、服従の悪魔はきょとんとした顔を見せたが、すぐにその表情を喜びに輝かせた。

 

「はい! なんなりと!」

 

「命令。私と契約してくれそうな、戦闘にある程度使える能力を持った悪魔を探してきて」

 

 その命令は、服従の悪魔にとって予想外だったらしい。一瞬、驚いたように奇妙な瞳を見開いたが、すぐに恍惚とした表情へと変わっていった。主からの、これまでとは全く質の違う、困難で意味のある命令。それは、服従を是とするこの悪魔にとって、最高のご馳走だったのだろう。

 

「……畏まりました、ご主人様。この身に代えても、ご主人様のお眼鏡にかなう悪魔を、必ずや見つけ出してご覧にいれましょう」

 

 深々と、陶酔しきった様子で頭を下げる服従の悪魔を見て、アザリは歪にほくそ笑んだ。これでいい。もし悪魔を見つけてくれば、自分は公安に入るための最低条件を手に入れることができる。もし見つけられなければ? それはそれで構わない。見つけ出すまで「探し続けろ」という至上命令が継続されるのだから、その間は契約違反で死ぬことはない。どちらに転んでも、自分に損はないのだ。

 初めて、この忌ましい首輪を逆手に取れたという感覚が、アザリの乾いた心にわずかな高揚感をもたらした。

 

 だが、命令してからわずか二日後。服従の悪魔は「見つけました、ご主人様!」と、宝物を掘り当てた子供のように満面の笑みで帰ってきたのだ。その異様な手際の良さに舌を巻きつつ、アザリは再び薄汚れたカーテンを被った悪魔に連れられて、郊外の廃工場へと足を踏み入れた。

 錆びた巨大な機械が墓標のように立ち並ぶ、だだっ広い空間。その中央に、それはいた。

 

 ゆらり、と陽炎のように揺らめく人影。実体があるのかないのか判然としない、緑色のガスの集合体のような姿。その中心に、二つの赤い光点が、まるで意志を持った目のように浮かんでいる。

 

「よお。オレはガスの悪魔だ。オレと契約したいってのは、お前か?」

 

 声は低いが、どこか飄々としていて、陽気さすら感じさせる響きがあった。アザリは油断なく警戒しながらも、単刀直入に尋ねた。

 

「うん。戦闘に使えるの?」

 

 すると、横から厚着で全身を隠した服従の悪魔が、自分の手柄だと言わんばかりに得意げに口を挟んだ。

 

「はい、ご主人様! 彼のガスは多彩で、可燃性ガスによる爆発から、吸えば眠りに落ちる有毒ガスまで、様々な効果を自在に使い分けることができるそうです! 高密度のガスを弾丸のように撃ち出すことも可能とのこと!」

 

 その説明に、アザリは内心で頷いた。直接的な腕力や破壊力はなくとも、使い方次第では十分に強力な武器になり得る。

 

「対価は、そうねえ……寿命三十年ってとこか?」

 

 ガスの悪魔がサラリと提示した対価に、アザリは思わず顔をしかめた。

 

「何言ってんの? 重すぎるでしょ。そんなのあげられるわけないじゃない」

 

「だってお前、全然オレの好みじゃないし。第一、お前はなんでオレと契約したいんだ?」

 

 ガスの悪魔の問いに、アザリは一瞬ためらった。だが、隣で控える服従の悪魔には聞こえないよう、数歩前に出て極小の声でこれまでの経緯を説明した。服従の悪魔との契約違反による死を避けるために、公安に入らなければならないこと。そのために戦闘能力が必要なこと。すべては消極的な生存のための選択であること。

 

 話を聞き終えたガスの悪魔は、赤い光点をひどく興味深そうに瞬かせた。

 

「ふーん……。ちょっと面白えじゃん。よし、十年でどうだ?」

 

「……私が言うのもなんだけど、いきなり減ったね」

 

 あまりの変わりようにアザリが訝しげに言うと、ガスの悪魔はケラケラと笑うようにその靄のような体を揺らした。

 

「そりゃあ、お前みたいな変わり者、そうそういねえからな。デビルハンターなんてのは大抵、家族の復讐だの、大層な正義感だの、重苦しい覚悟を決めてる奴らばかりだ。なのに、お前ときたら、そんなしょーもない理由で……。オレはガスだからな。そういう、フワフワした存在が好きなのさ。お前のその、フワッとした動機が、少し気に入った」

 

 寿命十年。決して安くはないが、三十年に比べれば破格だ。そして何より、公安に接触するための切符としては、支払う価値がある。アザリは、覚悟を決めた。

 

 ガスの悪魔との契約は済んだ。しかし、それはあくまでスタートラインに立ったに過ぎない。

 

 

 

 目標が定まると、アザリの行動は早かった。まずは基礎体力をつけるため、近所の河川敷を毎日走り込んだ。ただ走るだけではない。ガスの悪魔に頼んで作らせた、わずかに手足の動きを阻害する程度の低濃度のガスを常に纏って過ごすことで、日常生活の中で地道な負荷トレーニングを重ねた。

 

 そして、都内にある民間のデビルハンター事務所の門を叩いた。悪魔被害の増加で慢性的な人手不足だったのか、驚くほどあっさりと採用された。もちろん、すでに厄介な「服従の悪魔」と契約していることは隠し、事務所に入った後でガスの悪魔と契約したという体裁を整えた。

 

 灰色だったアザリの日常は、血と泥とガスの匂いに塗れた、デビルハンターとしての生活へと変貌を遂げていく。背後に絶対服従の猛獣を飼い慣らしながら。

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