Obedience for You   作:壁達

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民間デビルハンター編
5話 変貌


 デビルハンターとしての生活は、想像以上にアザリに合っていた。

 

 深夜のコンビニバイト時代とは比べ物にならないほど待遇は良く、生活は確実に潤った。専用のトレーニング施設で身体を鍛え、先輩ハンターから悪魔の生態や弱点について学び、そして現場で悪魔を討伐する。毎日がヒリつくような刺激と確かな達成感に満ちており、かつての自堕落で無気力だった自分が嘘のようだった。

 身なりにも気を遣うようになり、無造作だった髪は綺麗に手入れされ、くたびれた服はパリッとしたスーツに変わった。鏡に映る自分は、まるで別人のようだった。

 

 

 数ヶ月が経ち、そこそこの数の悪魔を討伐して経験を積んだアザリは、今日も仕事終わりに上司のデスクを訪れていた。

 中年で人の良さそうな所長は、アザリの顔を見るなり、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。

 

「いやあ、もちろん機会があるたびに掛け合ってはいるんだが…。何せあの公安だからなあ。いつも『検討する』の一点張りで、とにかく忙しいんだろう」

 

「…そうですか」

 

 アザリは隠すことなく、深いため息をついた。デビルハンターとして悪魔に関する知識は増えたが、肝心の『契約解除』の方法だけは、依然として皆目見当がつかない。服従の悪魔への命令も、なんとか誤魔化しながら繋いでいるが、それもいつまで持つか。根本的な解決には何一つ近づいていないのだ。

 

 「…前から気になってたんだが、どうしてそんなに公安にこだわるんだね?あそこは過酷らしいぞ。給料はいいが、死亡率は民間の比じゃない。公安からウチみたいな民間に転職してくる奴はごまんといるが、逆のパターンは聞いたことがないな。君はウチでも優秀な方だ。このままここでやっていけば、いずれ幹部にもなれる。それでいいじゃないか」

 

 所長の言葉は、純粋な善意と心配から来るものだとわかっていた。実際に、この会社は居心地がいい。だが、アザリにはここに留まれない理由がある。それを正直に話すわけにもいかず、曖昧に笑って誤魔化すことしかできなかった。

 

「いえ、もっと……大きな仕事がしたいだけです」

 

 嘘だった。本当は、ただ、死にたくないだけ。その一心で、今日もアザリは望みが薄い「公安からのスカウト」を待ち続けている。

 

 アパートに帰ると、チリ一つなく完璧に整えられた部屋で、服従の悪魔が恭しく出迎えた。

 

「お帰りなさいませ、ご主人様」

 

 その顔を見るたび、アザリの心は重く沈む。この呪いのような関係を断ち切る日は、本当に来るのだろうか。

 

 

デビルハンターになって収入が安定したのを機に、アザリはアパートを引っ越した。以前のワンルームでは、服従の悪魔と二人で暮らすには流石に手狭だったからだ。新しい部屋は、日当たりの良い2LDK。アザリの生活水準が向上したことを示す、ささやかな証だった。

 しかし、物理的な快適さとは裏腹に、アザリの心労は増す一方だった。その最大の原因は、他でもない、同居人である服従の悪魔の変貌にあった。

 

出会った頃の彼女は、どこか自信なさげで、常に俯き、些細なことでオドオドしていた。その卑屈さ、庇護欲をそそる弱々しさが、アザリに契約を決意させた一因でもあった。

 

 だが、ここ最近の彼女は、まるで別人のようだ。かつての卑屈な態度は完全に鳴りを潜め、代わりに全てを見透かすような、自信に満ちた静かな威圧感を放っている。話し方も、途切れがちだった舌足らずな口調から、落ち着き払った、しかし有無を言わさぬ『圧』を伴うものへと変わっていた。

 伏し目がちだった瞳は、今はっきりと開かれ、その渦巻くような模様の虹彩が、アザリの心の奥底までも見抜こうとするかのように、じっと見つめてくる。アザリはその同心円状の瞳に見つめられるたびに、言いようのない恐怖と、抗いがたい支配の気配を感じていた。

 

 その日も、疲労困憊で事務所から帰宅したアザリを、完璧に磨き上げられた玄関で、その悪魔が出迎えた。

 

「お帰りなさいませ、ご主人様。お疲れでしょう」

 

 労りの言葉のはずが、アザリの疲労の程度すらも初めから計算して見越していたかのような響きを持つ。そして、アザリが靴を脱いで返事をする間もなく、カイナはすっとその身を屈めると、驚くアザリの膝裏と背中に手を回し、軽々と横抱きにした。

 

「えっ、ちょっ…」

 

「リビングまでお運びいたします。これもご主人様からの『命令』ですので」

 

 そうだ。これも命令の一つだった。

 最初は足のマッサージ、食事の用意、掃除、洗濯。それが徐々にエスカレートし、「私が疲れていたら休ませろ」「身の回りの世話を全てしろ」といった曖昧で包括的な命令を乱発した結果、今やアザリの日常生活の大部分は、この悪魔の過剰な「奉仕」によって成り立ってしまっていた。アザリは、まるで手足をもがれた人形のように、悪魔の腕の中でなすすべもなく運ばれていく。

 

 ふわりとソファに降ろされ、目の前には最適な温度のハーブティーが置かれる。服従の悪魔は甲斐甲斐しく、しかし一切の感情を読み取らせない能面のような表情で、アザリの傍らに控えている。

 この行き過ぎた服従は、もはや支配と何が違うのだろうか。この悪魔から逃れるために公安を目指しているというのに、皮肉にも、その悪魔の力なしでは、もはや日常の生活すらままならなくなっている。この矛盾した状況が、アザリの精神を静かに、しかし確実に蝕んでいた。

 

 アザリがソファに座ってハーブティーを飲んでいる間も、カイナはじっとその様子を見つめていた。その視線は、もはやかつての卑屈なそれではなく、観察し、分析し、そして主人の全てを把握しようとするかのような、静かで鋭いものだった。

 あの渦を巻く瞳に見つめられると、まるで心の中を丸裸にされているような極度の居心地の悪さを感じる。数口飲んだところで、アザリは耐えきれずに口を開いた。

 

「……ずっと見られていると、飲みにくいんだけど」

 

 その言葉に、悪魔は表情一つ変えずに答える。その声は、水面のように静かでありながら、有無を言わせぬ圧を秘めていた。

 

「申し訳ありません、ご主人様。ですが、ご主人様の一挙手一投足を見守り、次なるお望みを先読みするのも、私の務めですので」

 

 その返答は完璧な従者のそれであり、アザリは何も言い返せない。言っていることは正しいのかもしれない。だからこそ、息が詰まる。この完璧すぎる服従が、見えない鎖となってアザリを縛り付けている。

 

 アザリが黙り込むと、カイナはすっと立ち上がり、壁の時計を一瞥した。

 

「お風呂の時間です。湯加減はご主人様のお好みに合わせてあります。さあ、参りましょう」

 

 そう言って、悪魔は当然のようにアザリに手を差し伸べた。再び抱き上げて浴室まで運ぶつもりなのだろう。その行動に、アザリは思わず声を上げた。

 

「うえっ!? それはいいって! 自分で入れるから!」

 

 さすがにそこまで世話を焼かれるのは、羞恥心が勝る。しかし、悪魔は差し出した手を引っ込めることなく、静かに首を横に振った。

 

「いえ、ご主人様は本日も激務でお疲れのはず。入浴という行為ですら、ご主人様のお身体には過度な負担となりましょう。浴室への移動、洗体、その全てを私が代行いたします。これも、ご主人様が私に与えてくださった『身の回りの世話を全てしろ』という、素晴らしい命令の一部です。――ご安心ください、ご主人様の尊いお身体に、指一本たりとも不敬な触れ方はいたしません」

 

 淀みなく告げられる冷たい言葉に、アザリは戦慄した。

 自分の下した適当な命令が、悪魔の都合の良いように完璧に解釈され、そして実行されようとしている。それは、アザリ自身の逃げ道を完全に塞いでいた。

 拒否すれば、それは自ら「命令違反」を誘発したとみなされ、あの激しい頭痛というペナルティが課せられるかもしれない。その恐怖が、アザリの抵抗を鈍らせる。

 

 一瞬の逡巡。その隙を、悪魔は見逃さなかった。

 ふわりと体が浮き上がり、再びその冷たい腕の中に収まってしまう。抗うこともできず、アザリは浴室へと運ばれていく。

 

 自分の意思が、自分の身体が、自分のものではなくなっていく感覚。それは、静かで、穏やかで、底知れないものであった。

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