その日は珍しく、霧が薄く視界が通っていた。
「おい、こっちだって!」
少年の声が弾む。
小さな水路の上を、器用に飛び越えながら走っていく。
「待てって!」
後ろから別の声。
笑い声が重なる。
水の国、霧隠れの里。
その外れ。
人気のない水辺に、五人の子供がいた。
その中の一人――
シンは、少し後ろを歩いている。
「遅いぞー」
振り返った少年が笑う。
「別に急ぐ理由ないっス」
シンは肩をすくめる。
ぶっきらぼうな言い方。
だが、足は止めない。
「なんだよそれ!」
「速く遊ぼうぜ!」
別の少年が水を蹴る。
しぶきが飛ぶ。
「おい、やめろって!」
「服濡れるだろ!」
言いながらも笑っている。
ただの子供達の遊びだ。
ただの――
「なあ」
一人が言う。
少しだけ、声のトーンが落ちる。
「明日、試験だよな」
空気が、ほんの少しだけ変わる。
「……そうだな」
誰かが答える。
「下忍試験」
言葉にすると、妙に重い。
「全員、受かるよな?」
無理に明るく言う。
誰も、すぐには答えない。
「……当たり前だろ」
別の一人が言う。
「ここまで来たんだぞ」
強がり。
でも、それしか言えない。
「……っスね」
シンが小さく返す。
短い言葉。
だが、否定はしない。
「誰か落ちるとか無しっスよ」
その言葉に、
少しだけ空気が軽くなる。
「そうだよな!」
「全員で受かって、全員で任務行くんだ!」
また笑いが戻る。
さっきまでと同じ。
何も変わらない。
はずなのに――
どこか、引っかかる。
「なあシン」
一人が近づいてくる。
「お前さ、もし落ちたらどうする?」
軽い調子。
ほんの冗談のつもり。
シンは少しだけ考える。
「……どうもしない....ってより、どうしようも無くないっスか?」
あっさり答える。
「それに、受かる前提なんで」
「はは、なんだそれ!」
笑いが起きる。
「じゃあさ、シン一人しか受からなかったら?」
別の声。
悪気はない。
ただの仮定。
その言葉に、
一瞬だけ、全員が黙る。
風が止む。
シンは、視線を少しだけ落とす。
水面を見る。
揺れている。
歪んでいる。
「……その時は」
小さく呟く。
顔は上げない。
「その時は、○○○○○っス」
その言葉に、
誰もが、驚いた顔をした。
少しだけ、間ができる。
そして――
「ま、どうせ皆んな受かるだろ!」
誰かが笑う。
固まっていた空気が動き出した。
「気を取り直して、今日は遊ぼうぜ!」
「そうだな!」
「明日終われば、自由だしな!」
また走り出す。
水を蹴る。
笑う。
声が響く。
シンも、その後を追う。
少しだけ遅れて。
振り返らない。
ただ、ついていく。
霧が、ゆっくりと濃くなる。
そして........
彼らの道は別れた。
霧隠れ上層会議
室内は静かだった。
ざわめきはない。ただ、空気は張り詰めている。
机上の報告書。
「水の国沿岸部にて、暁と思われる二名を確認」
誰も軽く受け取らない。
「情報は確かなのね?」
穏やかな声。
上座に座る 照美メイ が目を通しながら問う。
「はい。周辺を警戒していた上忍二名が目撃しております。その後、他の偵察班からも同じ報告が。」
「わかったわ」
短く頷く。
暁が、二人。
沈黙が落ちる。
誰も軽々しく意見を出さない。
「……対応はどうする」
低く問う声。
一瞬の間。
そして自然と、その名前が出る。
「シンを出すべきでしょう」
否定は出ない。
むしろ、空気が少しだけ整う。
“それが最適解”だと、全員が分かっている。
少し時間が経った後、部屋の扉が静かに開いた。
狐面の男――シン。
数人が視線を向ける。
「呼んだっスか」
いつも通りの声音。
軽い語尾。だが雑さはない。
「ええ、ちょうどいいわ」
メイが微笑む。
「暁が動いたの」
シンは、机の上の資料を確認した。
「二人っスか」
「黄色い髪の男と、仮面をつけた男」
淡々とした確認。そこに驚きはない。
「そうよ」
「位置は?」
「沿岸部。まだ水の国の内部には入っていないわ」
一瞬の間。
「なら、早めに処理したほうがいいっスね」
淡々とした結論。
シンの言葉に、
誰も異を唱えない。
むしろ、数人がわずかに肩の力を抜く。
“任せれば終わる”
それが共有されている。
「単独で行くっス」
自然な流れで言う。
僅かな不安を感じる者も居たが、多くはその言葉に賛成のようだった。
それもそうだろう。
彼には、確かな実力があるのだから。
だが――
「だめよ」
柔らかい声色とは裏腹に、明確な否定が入る。
メイの声。
シンは視線だけを向ける。
「どうしてっスか?」
シンの声に不満の色はない。ただ、そこにあるのは純粋な疑問。
「確実に終わらせるため」
間を置かずに返す。
「あなたが強いのは分かっているわ」
穏やかに言う。
「でも今回は“二人”」
その一言に、重みが乗る。
「部隊をつけるわ」
ざわめきは起きない。
信頼があるからこそ、冷静に受け止められる。
「索敵と封鎖を担当させる」
「戦闘時の貴方のサポートもね」
「あなたは仕留めることだけに集中するの」
役割は明確。
無駄がない。
シンは少しだけ考えるように間を置く。
「……邪魔にはならないならいいっスけど」
その言葉に対して、誰かが口を開くより先に、
メイが答える。
「させないわ」
微笑み。
だがその言葉には絶対の重さがある。
「あなたが動きやすいように配置する」
「それが私の役目よ」
沈黙。
納得は十分だった。
「……了解っス」
短く応じる。
それで決まる。
その瞬間、場の空気が一段と軽くなる。
不安が消えたわけじゃない。
だが、
一人の上忍がぽつりと呟く。
「これで、何とかなるな」
誰も否定しない。
楽観でもない。
彼らの間には先ほどの張り詰めた空気は無くなっていた。
メイが書類を閉じる。
「では決定ね」
穏やかに。
「暁の二人組――彼らにはこの国で何もさせない」
全員が頷く。
シンはただ静かに踵を返す。
その背を見送りながら、誰かが小さく言う。
「……頼りになるな、うちの"悪魔"ってやつは」
その声に、静かな同意が重なる。
その強さに対する恐れはある。だが、それ以上に
そこには確かな信頼があった。
会議を終え、里の大通りを歩くシンの横を、子供たちが駆け抜けていく。
「こっちだって!」
「待てよ!」
笑い声。軽い足音。
「......あっ!」
1人の少年が転んだ。
膝を擦りむいてしまったようだ。
少年の目にうっすらと涙が浮かぶ。
だが、
「大丈夫か?ほら、掴んで!」
すぐに、仲間の1人が手を差し出し、
そのまま引っ張られて走り去っていく。
少年の顔には笑顔が浮かんでいた。
小さな背中が遠ざかる。
静けさが戻る。
シンは足を止めない。
ただ、その目は走り去る少年たちを色濃く写していた。
「……」
シンが何かを小さく呟く。
誰に向けたものでもない。
そのまま視線を前に戻し、歩き続ける。
新たな任務の準備をするために。