「タケオ! おい、タケオ!」
暗闇の中にナオトの声が響く。頭が痛い。
何が起こったんだっけ。
いつもの帰り道、変な声が響いて、怪獣が出てきて、巨人が出てきて、それで……どうなったんだっけ?
目を開く。
そこにはいつもと変わらない、夏の街並みが広がっていた。
「……あれ」
何も起こっていない。怪獣が暴れた痕跡も、壊れた街もない。
「タケオ、お前大丈夫か? 熱中症か?」
「ユカん家で診てもらってこいよ」
「大丈夫だって」と言いながらタケオは足に力を入れ、立ち上がろうとする。しかし力が入らない。
タケオはユカの家、井上医院で様子を見てもらうことにした。
その様子を、少し離れたところからナイトが見ている。
「……あの光、あの少年。何者だ……?」
――異変――
翌日のこと。
タケオはどこか、心ここに在らずといった様子だった。ナオト達と一緒に居ても、会話に集中できない。それもこれも、昨日の白昼夢のせいだ。
怪獣が突然現れるなんて、まったく現実味がない。でも、街の燃える熱、人々の悲鳴。あまりにもリアルだった。いやアレは
「なぁ、昨日のことだけどさ。なんか変なことあった? 怪獣が出てきたとか、さ」
「怪獣ゥ? なんだよそれ」
「タケオ、昨日からなんか変よ」
「特撮映画じゃあるまいし、怪獣なんて……」
やはり白昼夢だったのだろうか。そう思い込もうとしても、焼ける熱だけが、妙に生々しく肌に残っていた。
夏の日差しが作る陽炎の向こう側に、スーツを着た人物が見える。その人物は灰色の髪で、腰には剣を携えている。……剣?
「藤堂タケオだな」
その人物は昨日見かけた、あの男だった。
男の声は冷たく、まるで研ぎ澄まされた刃の様だった。
「昨日の話を聞かせてもらうぞ」
「なっ、なんですかアンタ! タケオに何の用だ!」
冷たく言い放つ男に、ナオトが食ってかかった。
男の見た目は怪しい。腰の剣が本物なら危険人物だし、偽物でも十分不審者だ。ナオトらは、タケオを守る様に取り囲んでいた。
「……何も、覚えていないのか」
「覚えてないね! アンタみたいな奴、ひと目見たら忘れねーよ!」
今度はイッペイが答える。乱暴な口調だが、わずかに声が震えている。
「ナオト、イッペイ! 大丈夫だって」
しかし、タケオは守るように立つ三人を静止させる。
「俺は覚えてる。もしかしてアンタも……?」
「……場所を変えるか。ここは人目につきすぎる」
△▼△▼
四人はイッペイの自宅地下に秘密基地を作っている。地下なので空気はひんやりとしていて、夏でも過ごしやすい。
「藤堂タケオ、お前は一体何者だ」
ナイトは単刀直入にタケオに問いかけた。
「俺は昨日、怪獣に破壊された街が、光によって修復されるのを見た。そして、その光は、藤堂タケオ……お前から放たれていた」
「あの光はハイパーエージェントの中でも、特別な者にしか使えない物によく似ている」
怪獣、ハイパーエージェント。ナイトの口からは、訳のわからない単語が次々と飛び出してくる。
ナオト、イッペイ、ユカの三人は、目の前のスーツの男を訝しんだ目線で見ていた。
しかし、タケオは真逆だった。
白昼夢や幻覚と言われるより、よほど納得ができた。それに、『ハイパーエージェント』という言葉。どこか不思議と聞き覚えがある。
遠い昔に忘れてしまった、大切な何かを思い出すような。そんな響きがあった。
「俺は……」
それからタケオは、自分の覚えている範囲で事のあらましを説明した。
謎の声、二色の陽炎、怪獣。ナオト達は唖然としていた。ナイトは腕を組み、何事かを考えている。
秘密基地には冷たい空気が張り詰めた。
ブーンという冷蔵庫のモーター音が嫌に響いている。
ここは、秘密基地という名前の四人の溜まり場だった。
でも、何かが足りない気がする。すごく大きな何かが欠けている気がしていた。それが何かは、四人とも見当がつかない。
「……タケオ、お前、昨日から変だぞ」
静まり返った秘密基地の中、不意にイッペイが口を開いた。
「怪獣? ハイパーエージェント?そんなのある訳ねーって」
「でも……俺が怪獣を見たのは本当なんだ」
タケオはまっすぐイッペイを見つめる。その視線に嘘が無いことは、イッペイにもすぐにわかった。
「俺はこの人の言うことを信じる」
イッペイは世界の底が抜ける気がした。
そこから後は、何の話をしていたのかハッキリと思い出せない。なんだかフワフワとした、それでいて沈んだ様な気分で、ナイトとタケオが喋るのを聞いていた気がする。
怪獣、ハイパーエージェント、世界の異変。自分には関係のない話。でも、タケオは違う。
秘密基地を出た後も、イッペイの足取りは重かった。
夏の空気はまだ蒸し暑いはずなのに、胸の奥だけが妙に冷えている。
――俺はこの人の言うことを信じる。
タケオの声が、何度も頭の中で反響する。
冗談じゃない。そんな訳のわからない男より、ずっと一緒にいた自分たちの方を信じるのが普通じゃないのか。
ふざけた顔でスペシャルドッグを奢ると言って、馬鹿みたいに笑っていたさっきまでの時間が、急に遠く感じられた。
あの時のタケオの目に嘘はなかった。だが、それが余計に苦しい。
――失ってしまう。
インスタンス・ディストーション
声が響く。
悲しみは形を持たないまま、胸の奥で静かに歪み始めていた。
△▼△▼
川面が光を放ち、爆裂する。護岸壁が崩れ、水の中から怪獣が現れる。
無数に棘の生えた外殻。意思を移さない無機質な複眼。現れたのは、まるで巨大な甲殻類の様な怪獣だった。
それは咆哮をあげる事もなく、ただゆっくりと水際から身を引き上げた。
重い。
ただそこに居るだけなのに、周囲の空気が押しつぶされる様に沈む。
アスファルトがひび割れ、街灯や信号機が潰れる。
建物は自重に耐えきれず、ゆっくりと潰れていくように沈んでいった。
逃げ遅れた人々の足が、まるで地面に縫い止められたかの様に動かなくなる。
音が遠ざかる。
悲鳴も、サイレンも、全てが水の中に沈んだ様に鈍く響いていた。
逃げようとした人々の足が止まる。一歩も踏み出せない。
まるで、見えない重さに押し潰されているかのように。
膝から崩れ落ちる者。
その場に座り込む者。
誰も、前に進めない。
声を上げようとしても、喉が震えるだけで音にならない。
世界が、ゆっくりと沈んでいく。
怪獣は何かを探しているかの様に、ゆっくりと彷徨うだけだった。しかし、それでも周囲の被害は確実に広がっていった。
「オォォッ!」
その時、雄叫びと共に紫の巨人が現れる。グリッドナイトだ。
怪獣――グラバスの正面から迎え撃つつもりだ。
グリッドナイトがタックルを浴びせる。しかし、グラバスの歩みは止まらない。それどころか、グリッドナイトもろとも突き進んでいく。
「ぐっ……何ッ、止まらない……!?」
押し返しているはずなのに、手応えが違う。
硬いとか、強いとかではない。
――重い……ッ
グリッドナイトの足元が沈む。踏みしめているはずの地面が崩れ、脚が悲鳴を上げる。
その場に立っているだけで、全身が引きずり込まれるような圧力。
視界の端で、避難していた人々が次々と崩れ落ちていくのが見えた。自分だけではない。生き物も無機物も、全てが重力に囚われ沈み込んでいく。
グラバスはゆっくりと顔を向ける。
その無機質な複眼は、何も映していないようでいて、確かに何かを見ていた。
その視線は、高台の公園へ向けられている。
そこは避難場所だった。避難に成功したたくさんの人々が集まっていた。
だが、何か違う。
違和感。
目の前で戦っているはずのグリッドナイトではなく、ただひたすらに目標に向かって突き進む。
それは余裕や侮りではない。
グリッドナイトは直感する。あれは、群衆を見ているのではない。ただ一つの何かを、探している。
「……標的がいるのか」
低く呟く。
グラバスが、一歩、踏み出す。その進行方向にいた人々が、次々とその場に崩れ落ちる。
逃げることすらできないまま、道が沈んでいく。
「……させるものか!」
グリッドナイトが進路を塞ぐように立ち塞がる。
しかしグラバスは止まらない。
まるで、そこにいるグリッドナイトの存在すら認識していないかのように。ただ、目的地に向かって進み続ける。
グラバスの視線の先、高台の公園。そこにイッペイは立っていた。
動けない。
「……ッ、動け……!」
イッペイは必死に足に力を込める。だが、動かない。
逃げなければならないと分かっているのに、身体がまるで自分のものではないようだった。
グラバスが迫る。ゆっくりと、確実に。
「そこから離れろ!」
グリッドナイトが叫ぶ。だが、その声は届かない。
音はあるはずなのに、イッペイの耳には何も届いていなかった。
胸の奥に沈んでいる何かが、全てを押し潰していた。
「イッペイーッ!」
一人、こちらへ向かってくる影があった。
「……タケオ……?」
イッペイの視界に映る。タケオが走っていた。
足取りは、決して軽いものではなかった。踏み出すたびに、見えない何かに引き止められる。
泥の中を走る様な感覚だった。
だが一歩、また一歩と踏み出すたびに、足取りは軽くなっていく。青い光がタケオから漏れ出ているのを、イッペイは見た。
タケオは止まらない。グラバスの圧力の中を、まっすぐに走り抜けていく。
やがて、イッペイの目の前にたどり着いた。
「…….タケオ、お前……」
息が詰まる。言葉が続かない。
しかしタケオは、ただ短く言った。
「大丈夫」
その声は、はっきりと届いた。
タケオがイッペイの肩を掴む。
「だって俺たち、友達だろ」
イッペイの胸の奥にあった鉛のような塊が、静かに形を失っていく。
呼吸が戻る。指先に力がはいる。沈んでいた感覚が、ゆっくりと浮き上がってくる。
グラバスの複眼がわずかに揺らぐ。同時に、圧倒的な圧力が揺らいだ。
「ッ! ハァァッ!」
グラバスの見せた僅かな隙を突き、グリッドナイトが体当たりで突き飛ばす。グラバスの体勢が崩れ、大きく退いた。
グラバスの複眼が再びイッペイを捕らえようと蠢く。
「させんッ!」
グリッドナイトはグラバスと距離を取ると、背後の公園を守る様に立つ。グリッドナイトは一瞬だけ背後を確認する。その視線の先には、立ち上がった少年と、その隣にいるタケオの姿。
彼は右腕にエネルギーを迸らせると、それを一気に解放した。
「グリッドナイトォ……ストォォォムッ!」
グリッドナイトから放たれた、紫の光の奔流がグラバスを飲み込む。
そして、爆発。
怪獣――グラバスが消滅すると、重く沈んでいた空気が、ようやく解けていく気がした。
△▼△▼
「……悪かったな、タケオ」
「なにが?」
「なにって、そりゃ……怪獣のこと、信じてやれなくて」
「何だよ、そんなことかよ」
イッペイが気まずそうに言葉を吐き出す。しかしタケオはそんな事、気にもしていない様に笑って返した。
夕日が西の空に沈んでいく。前のマグマギラスの時ほどではないとはいえ、街はめちゃくちゃになっていた。人や建物、失われた物は大きく、多い。遠くでサイレンの音が鳴っているのを、イッペイとタケオはどこか他人事のような心持ちで聞いていた。
「藤堂タケオ」
そこに、巨人から人間へと姿を戻したナイトがやってくる。
「ナイトさん、街は?」
「……」
ナイトは無言で視線を逸らす。表情は変わらない。しかし内心では、僅かに動揺していた。
「俺に、修復の力はない……」
失われたものを、元に戻す術がない。
2代目が居れば、フィクサービームの力を擬似的に行使する事も可能だが、その2代目とはこの世界に来た時に、はぐれてしまっていた。
「だが、藤堂タケオ、お前なら……ッ!?」
ナイトがそう言いかけた瞬間、タケオの中で、何かが応えるように震えた。
それは彼の体を通して、青い光となって溢れ出す。それは光であり、意思そのものだった。
「タケオ……ッ! どうした!?」
「わかんないけど……これ、たぶん大丈夫だ」
青の光の粒子は、破壊された街へと広がっていく。
そして、それが触れたところは元通りの形へと修復されていった。時間を巻き戻すとかではない。文字通りの『修復』。あらゆる破壊の痕跡が、その事実ごと拭い去られていく。
「……これは、やはり……ッ」
そう。これと同じものをナイトは見たことがある。
「フィクサービーム……!」
△▼△▼
清掃活動の後、アカネ達はコンビニに寄り道して、雑誌を立ち読みしていた。日は傾き始め、空気が赤く色づき始めている。
彼女は、河川敷で出会った男のことが、心のどこかに引っかかっていた。まるで、ずっと前から知っていたような、そんな感覚だった。
「えっ、アカネってああいうのがタイプなの?」
「そんなんじゃないよ」
友人がからかってそう言うが、アカネの気持ちはそれどころではなかった。
そうだ、これは恋などという燃えるような感情ではない。それよりも『懐かしさ』に近い感覚だった。
何故だろう。あの青いアクセプターを見た時から、どこか気になって仕方がない。
「なんでだろう……。あ」
アカネが無意識のうちに開いた雑誌には、あの男の写真があった。
『次世代AI研究者、藤堂武史特別インタビュー』
沈鬱悲壮怪獣グラバス
インスタンス・ディストーション
Instance Distortion
存在歪曲