結局、アカネはあの雑誌を購入した。友達には「やっぱり恋じゃん」などとからかわれた。
家に帰ったアカネは、矢も盾もたまらず、すぐに編集部に連絡した。
話は意外なほどあっさりと進んだ。
翌日のこと。
アカネの姿は、ある一件の屋敷の前にあった。アカネの実家も大概だが、この家も相当なものだ。敷地面積はどのくらいなんだろう。
アカネがインターホンを鳴らそうと指を伸ばす。
ちょうど同じタイミングで、屋敷の玄関扉が音を立てた。
「あぁ、君か。たしか、河川敷で会ったね」
「し、新条アカネです。突然すいません。昨日の今日で……」
「いや、構わないよ。研究者とはいえ、半ば自由業みたいなものだから」
武史の視線が、ほんの一瞬だけアカネを観察する様に動いた。
アカネは促されるまま、屋敷の居間へと通された。
「……それで、僕に何が聞きたいんだい。AI技術について? それとも心理学?」
「えっと、何って訳でもないんです。ただ……えーと、何て言ったらいいのかな……」
アカネの言葉尻がゴニョゴニョとなる。
「……」
武史はそんなアカネの言葉を、無理に引き出す事もなく、じっくりと待っている様だった。しかし
「……ッ、ククッ、フフ」
不意に武史が吹き出す様に笑った。
「いや、すまない。実は、君の聞きたいことは大体わかってるんだ」
「河川敷にあったパソコンを解析したら、誰かがアクセスした形跡があってね。あれ、君だろ?」
「それに、君が一番気になってる物……」
武史はゆっくりと上着のポケットに手を入れる。
指先が何かを掴み、そのまま机の上に置いた。
それは青いアクセプターだった。
「こっ、これ! そうです!」
そう言いながら、アカネはわずかに息を呑んだ。
「……やはりそうか。君も"彼ら"に救われたんだね」
――追憶――
暗い空間。
どこか現実とは異なる、歪んだ構造の中にそれはあった。
「……ッ」
意識を取り戻した2代目が、かすかに顔を上げる。
その体は、見えない何かに拘束されていた。生暖かく、僅かに脈動している。
まるで生きている何かに飲み込まれている様な感覚だった。
「よぅ、やっと起きたかよ」
「ね、寝覚めは悪そうだな」
声の方向を見ると、そこには見知った顔が二つ。ツインテールの髪型の少年と、目つきの悪い病気っぽい男。
「ボラーさん! キャリバーさん! じゃあ……」
「僕たちもいるよぉ」
逆方向から響いてきた声の方を向くと、そこにも見知った顔が二つ。軽薄そうな優男と、鋼鉄のマスクをつけた大男だ。
全員、揃いの黒スーツを着ている。
「ヴィットさん、マックスさん!」
2代目の声が僅かに喜色を帯びる。明らかなピンチだが、それでも知った顔があると、心細さが和らぐ様だった。
しかし2代目の表情は優れない。体に力は入らず、胸の奥には理由のない不快感がジワジワと広がっていた。
それは不安ではない。それよりも、もっと濁った感情だった。
体の奥から、何かが引き剥がされていく感覚がある。
「その様子を見るに、君も捕まってしまった様だな」
「……ということは、皆さんも……?」
「め、面目ない」
そう言いながらキャリバーは僅かに顔をしかめる。見ればマックスやヴィット、ボラーも、同じように表情が優れない。
彼らは『新世紀中学生』。ハイパーエージェントの中でも、別格に優秀で、卓越した戦闘力を誇る者たちだ。
しかし、その彼らでさえ、こうして捕まっている。2代目の心の中に、黒いシミが広がっていく。
何に対してなのか、自分でもわからない。ただ、胸の奥に
その時だった。
胸の奥で、何かが軋む。
それは感情だった。だが、本来の形ではない。歪み、濁り、圧縮されていく。
どこか近くで、遠くで、音が響く。
それは確かに何者かが発した命令だった。
インスタンス・アキュミュレーション
△▼△▼
その怪獣はただ立っていた。まるで何かを待っている様に。
建物は破壊しない。人の気配にも反応しない。
ただそこに立っている。
その視線は、ただ一方向へと向けられていた。
「……」
風が吹く。季節は未だ夏だが、その風だけはどこか乾いていた。
静寂。
その時だった。
紫の輝きと共に巨人が姿を現す。
グリッドナイトは組んでいた腕を解き、怪獣へと向けて構え直す。
その瞬間、怪獣が僅かに動いた。
ほんのわずか。だがそれは合図にしては十分だった。
一瞬の静寂。
怪獣から光弾が放たれる。グリッドナイトもまた、同時に光弾を放っていた。二つの光の塊が空中でぶつかり合い、弾ける。
二者の間を、再び風が吹き抜ける。
決闘は、既に始まっていた。
怪獣――マッドテキサスが咆哮を上げ、グリッドナイトへ突っ込む。グリッドナイトもまた、応じる様に突進。
二つの巨大な質量がぶつかり合う衝撃波が、足元の車を吹き飛ばした。グリッドナイトとマッドテキサスは、手四つの力比べの態勢になる。
互いに力を押し合いながら、わずかな崩れを探る。足元のアスファルトが砕け、沈み込んでいく。
グリッドナイトが体勢をわずかに崩し、その腕を引き込むと同時に体を捻った。
背負い投げ。
マッドテキサスの巨体が宙を舞い、地面へと叩きつけられる。衝撃が周囲へと広がった。
だが怪獣はすぐに起き上がる。
間髪入れず踏み込んだグリッドナイトの拳が叩き込まれるが、その腕をマッドテキサスは掴み、同じ軌道で投げ返した。
巨体が反転する。
グリッドナイトは空中で体勢を立て直し、着地と同時に距離を取った。
風が吹く。
次の瞬間、両者は同時に光弾を放つ。それらは空中で衝突し、弾ける。
グリッドナイトが続けて三発放つが、マッドテキサスはそれを撃ち落とし、さらに一発を返す。
ナイトはそれを見切り、小型のナイトサーキュラーで一閃。光弾は切り裂かれ、二つに分かれて爆発した。
静寂。
互いに動かない。一瞬の後、同時に踏み込む。地面を砕きながら加速し、交錯。すれ違いざま、サーキュラーの刃が閃く。
二体は背を向けたまま停止した。
やがて、マッドテキサスの輪郭がわずかに歪む。
爆発は起こらない。
その体は風景へと溶け込み、静かに消失した。
△▼△▼
「今朝の怪獣、なーんか変だったよな」
「イッペイもそう思う? なんていうか、妙に正々堂々としてたっていうかさぁ」
「街も壊さなかったし」
「……うーん、たしかに。なんか変だよな」
夏の陽射しが照りつける公園。ベンチに座り、二人はアイスキャンディーを頬張っていた。
セミの鳴き声だけが、やけに大きく響いている。
二度目の修復を終えた後、イッペイは怪獣のことを覚えていた。理由はわからない。
ナイトは「同期、あるいは例外処理か」と呟いたが、二人には何のことだかさっぱりわからなかった。
カーン、と金属質の物が当たる音が響く。
音の方向を二人が見ると、そこにはナイトが居た。腰の剣がガードレールにぶつかった音の様だ。
「ナイトさん」
「ム」
タケオの言葉にナイトが短く答えた。
「何の話をしていた」
「え、あー。今朝の怪獣の話を……ちょっと」
ナイトの問いにイッペイがおずおずと答える。イッペイは、あの巨人の正体がナイトだと知って以来、少し距離感を測りかねている。
「なんか変だったなって話ですよ」
「……たしかに、少し奇妙だったな。怪獣にしては妙に……正々堂々としていた」
「怪獣"らしく"ない?」
一瞬、セミの鳴き声が途切れる。
タケオの言葉にナイトが眉をひそめ、わずかに視線を逸らした。
怪獣"らしさ"とは何だろうか。
その言葉はまるで自分に投げかけられたものの様だった。
グリッドマンを倒すために生み出され、力をコピーし、グリッドナイトとして新生した。
今の自分は何者なのか。その答えは、まだ持ち合わせていない。
「なんだよ、怪獣らしさって」
「え、やっぱ獣ってつくし、もっと"本能のまま"って感じじゃないの?」
「……本能」
ナイトがわずかに呟く。
怪獣とは、本来、衝動の存在だ。情動を糧に生まれ、そして衝動のまま暴れる。マグマギラスやグラバスもそうだった。
だが、あれは違う。
「……外から、いや内側から……?」
ナイトの脳裏に、新条アカネの存在がよぎる。
怪獣を生み出した創造主。同時に、自らの情動に呑まれた哀れな少女のことを。
刹那、街から爆発音が響く。
それは、まるでナイトの思考を遮るかの様だった。
「……来たか」
一言そう呟いた瞬間、ナイトの姿はガードレールの向こう側にあった。
セミの鳴き声が、遅れて戻ってくる。
「……やっぱ、人間じゃねぇよなぁ……」
「まぁ変身するしね……あ、"当たり"だ」
△▼△▼
街が、爆ぜていた。
轟音と共に建物が崩れ、炎と煙が立ち上る。だがそれは一度きりではない。同じ場所が、何度も、何度も撃ち抜かれる。既に瓦礫と化したはずの地点にすら、執拗な追撃が叩き込まれる。
破壊は終わらない。いや、終わらせようとしていない。
マッドテキサスが無造作に腕を振るうたびに、周囲が崩れ落ちる。その動きに意図は感じられない。ただ、衝動のままに暴れているようでいて、どこか歪だ。
紫の光が閃いた。
グリッドナイトが空中に現れ、そのまま光弾を放つ。直撃。爆発。
マッドテキサスは一瞬だけ、そちらに視線を向ける。だが、それだけだった。すぐに興味を失ったかのように街へと向き直り、再び破壊を再開する。
「……何ッ……?」
ナイトは低く呟き、躊躇なく踏み込んだ。マッドテキサスの頭に、拳が叩き込まれる。確かな衝撃。しかし手応えは薄い。
振り払うように放たれた反撃は粗雑だが、重く、強い。ナイトは体勢を崩されながらも距離を詰め、ナイトサーキュラーを展開する。
一閃。
刃が走り、マッドテキサスの左腕が切断される。だが次の瞬間、咆哮と共に異質な悲鳴が混じった。
それは聞き覚えのある女性の声だった。
ナイトの動きが止まる。
――今のは!?
思考を遮るように、切断された腕がうねりながら再生する。同時に背中が裂け、そこから二本の砲塔がせり出した。脚部も変形し、ミサイルポッドが展開される。巨体そのものが兵装へと変わっていく。
直後、全ての発射口が火を噴いた。
無数の砲撃とミサイルが、グリッドナイトと街を飲み込んだ。爆発が連続し、衝撃が全身を打ち据える。
ナイトは防御しながら、その軌道を見ていた。
この砲撃、見覚えがある。
「……まさか……2代目……!」
攻撃できない。
それは同時に内部の"彼女"を傷つけてしまう。
砲撃は止まらない。絶え間なく降り注ぐ中、ナイトは回避と防御に徹するしかなかった。その間にも街は削られ続けていく。
△▼△▼
「なんでだよ……!」
遠くでイッペイが歯噛みする。
「なんで反撃しないんだよ!」
タケオは答えなかった。ただ、グリッドナイトとマッドテキサスを見つめている。
その瞬間、タケオの中の青い光が脈動し、視界が強引に塗り替えられる。
マッドテキサスの内部。脈動する黒い泥の中に、半ば沈み込むように囚われた女性の姿が見えた。
「……これは……中に人がいる……!?」
その瞬間、胸の奥から何かが湧き上がる。助けなければ。
その思いに応えるように、青い光がタケオの体から溢れ出した。粒子となった光は戦場へと集まり、やがて青い巨人の形を取る。
しかしその姿は以前よりも不安定で、輪郭が揺らぎ、立っているだけでも崩れそうだった。
それでも前へ出る。
砲撃の中へ踏み込む青い巨人を見て、グリッドナイトは息を呑む。巨人はそのまま手を伸ばし、攻撃の構えを取った。
「待て!」
グリッドナイトの制止。
その一瞬、巨人と視線が交わる。
言葉はない。
だが次の瞬間、グリッドナイトの視界が歪んだ。ノイズが走り、マッドテキサスの内部構造が一瞬だけ透けて見える。
その中心。
「……そこか……!」
理解したグリッドナイトは即座に動いた。砲撃を浴びながら一直線に突進し、右手に光を集束させる。
光の剣。
それを胸部へと叩き込み、装甲を“切り裂く”のではなく、“切り出す”ように押し込んでいく。装甲の内側から、押し返すような圧力が走る。
抵抗と圧力を押し切り、ついに塊を引き剥がした。
塊は黒い粒子となって霧散し、中から2代目が現れる。
その瞬間、マッドテキサスの動きが止まった。
砲塔が崩れ、ミサイルポッドが消失。その巨体が不安定に揺れる。巨人がその体を掴み、力を振り絞って空中へと放り投げた。
グリッドナイトが構える。
「グリッドナイトォ……ストームッ!」
右腕にエネルギーが収束し、光線が放たれる。
マッドテキサスは光に飲み込まれ、やがて爆発した。
△▼△▼
ナイトが2代目を抱えたまま、公園へと戻ってくる。
つい先ほどまでの戦いが嘘のように、そこには静けさがあった。遠くでサイレンが鳴っているが、それすらどこか現実味を欠いている。
ナイトはベンチの前で足を止め、そっと2代目の体を横たえた。その顔色はまだ優れず、意識は戻らない。
「おい、大丈夫なのか……?」
イッペイが慌てて駆け寄り、スマートフォンを取り出す。
「救急車――」
言いかけたところで、その手が止まる。
タケオが一歩前に出ていた。
無言のまま2代目の傍らに跪き、静かに手をかざす。次の瞬間、掌から青い光が溢れ出し、淡く広がりながら2代目の体を包み込んだ。
やがて、かすかな呼吸の揺れとともに、閉じていた瞼がゆっくりと持ち上がる。
「……ここは……」
目を覚ました2代目の声に、イッペイは思わず息を呑んだ。
「え……? いや、ちょっと待て……今の何……?」
理解が追いつかないまま、言葉だけが漏れる。
ナイトはその様子を一瞥し、すぐに視線をタケオへと戻した。
「タケオ。お前のその力、やはり……」
タケオは自分の手を見つめたまま、小さく首を振る。
「……俺にもよくわからない」
その言葉を受け、ナイトはすぐには続けなかった。わずかな沈黙の中で、脳裏に一つの記憶が浮かび上がる。
響裕太。
グリッドマンと共にあった、一人の少年。あの時と同じように、人がハイパーエージェントと繋がっている。
ナイトはゆっくりと息を吐き、視線をタケオへと戻す。
「お前の中にあるのは、ハイパーエージェントの力だろう。完全な存在ではないにせよ、その欠片に近いものだ。青い光も、そう考えれば辻褄が合う」
タケオは顔を上げる。その表情に恐れはない。ただ、言葉をそのまま受け止めているだけだった。
「そうなんだ」
短く答え、少しだけ視線を落とす。
「あの光を使う度に、なにかを思い出しそうになるんだ。でもたぶん、それは俺の記憶じゃない」
「じゃあ誰の記憶だっていうんだよ」
イッペイが戸惑いを隠せないまま口を挟む。
タケオはゆっくりと首を振る。
「誰なんだろう。でも、この光とすごく通じ合っていたんだと思う。悪い感じとか、嫌な感じじゃないんだ。ただ……思い出せそうで思い出せないのが、すごくモヤモヤする」
言葉を終えたあと、しばらく沈黙が続く。
ナイトは何も言わなかった。ただ、わずかに視線を逸らす。まるで、何かを思い出しかけているように。
しかし、それを言葉にすることはなかった。
タケオは掌から視線を外し、空を見上げる。
その目は焦点を結ばず、ここではないどこかを探しているようだった。
△▼△▼
武史はしばらく黙っていたが、やがて視線を落とし、ぽつりと口を開いた。
「……かつて、一人の少年が悪の力に屈して、世界を滅ぼしかけた。知ってるかい?」
アカネは小さく首を振る。
「いえ。でも……似たようなことなら、私にもあります」
その言葉に、武史はわずかに目を細めた。
「そうか。君が知らないのも無理はない。もう二十年近く前の話だから」
そう言いながら、武史は自分の右手を見つめる。その仕草はどこか無意識のもののようで、同時に、確かめるようでもあった。
「でも彼が……いや、彼らが、僕を救ってくれた。今でも、大切な友人だ」
アカネは何も言わず、その言葉を受け止める。
武史は視線を外さないまま、続けた。
「その後、もう一度世界の危機が訪れた。かつての魔王の”弟”を名乗る者が、現実の世界にまで怪獣を出現させたんだ」
アカネの表情が、わずかに強張る。
「……現実に?」
武史は、ゆっくりと息を吐いた。
「僕は力を求めた。世界を思い通りにするためじゃない。守るための力を」
「それは……贖罪、ですか?」
アカネの問いに、武史は一度だけ顔を上げる。
「まさか」
即座に否定する。その声音には迷いがなかった。
だが、そのまま言葉を続けることはなく、わずかな沈黙が落ちる。
「……いや、どうだろうな。もしかしたら、そうだったのかもしれない」
武史は疲れたように笑う。
「結局、贖罪か」
その言葉は、自分自身に向けられたもののようでもあった。
「でも、そんな僕に、彼は応えてくれた」
「彼……。グリッドマン……!」
思わず身を乗り出すアカネに、武史は小さく首を振る。
「ああ。でも、少し違う」
そう言って視線を遠くへと向けると、武史の意識はすでに別の時間へと引き戻されていた。
冬の、よく晴れた日だった。
空気は冷たく、街の輪郭がどこか澄んで見えた。
その中で、蜃気楼のように歪む怪獣が、現実の街を壊していた。
武史はゴミ集積場の中を歩いていた。前日の雨が残した水溜りを踏み、トレンチコートに泥が跳ねる。
視界の端に、山のように積み上げられたブラウン管のモニターがあった。
その一つが、ふいに光る。
走る電光が、まるで意思を持つかのように動き出す。
光は集まり、形を成し、やがて武史の右腕へと収束していく。
それは、青いアクセプターだった。
記憶の中の光が、ふと現在と重なる。
目の前の机に置かれたアクセプターが、それを繋ぎ止めていた。
武史は、ゆっくりとその名を口にする。
「……シグマ」
その瞬間、青いアクセプターの奥で、ほんの微かに青い光が揺れた。
怨恨類類怪獣マッドテキサス
インスタンス・アキュミュレーション
Instance Accumulation
存在蓄積