サキュバスを召喚しようとしたら間違って最強のインキュバスを召喚してしまいました   作:佐久間 譲司

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第一章 いつもの朝

 朝食の香ばしい匂いが鼻をつく。

 

 羽月祐真(はづき ゆうま)は、毛布の中に潜ったまま、まだ覚醒しきらない頭で、ぼんやりと疑問に思った。

 なぜ、朝食の匂いがするのだろう。

 

 確か自分は高校生になって、アパートで一人暮らしをしていたはず。実家ではないのだから、自分が作らない限り、こうして朝食の匂いが漂ってくることはありえないのだ。あれ? それとも実家に帰ってたっけ?

 

 蜃気楼のように生まれ出た靄が、頭の中を占領していた。思考がはっきりとせず、前後の記憶も曖昧だ。

 しかし、やがては、曇りガラスを拭うようにして、頭の中の靄は薄れていった。意識がはっきりとなるに従い、記憶も呼び覚まされていく。

 

 ぱちりと祐真は目を開けた。

 

 見慣れた天井が見える。ここは間違いなく自分のアパートの部屋だ。古くて安い1Kの部屋。実家ではない。

 

 眠気の残滓が頭から離れ、ようやく祐真は完全に覚醒した。

 

 祐真は、ベッドの上で体を起こす。下方の床を見ると、布団が一組畳んで置かれてあった。以前、来客用に買ってあった布団だ。

 

 十畳ほどの部屋の向こうに、ガラス戸で仕切られた板張りのキッチンがある。そこで、ガラス戸越しに、人影が動いているのが確認できた。

 

 朝食の匂いの原因はあれだ。『彼』があそこで料理をしているのだ。

 

 祐真は、毛布から出て、ベッドに腰掛けた。そして、部屋を見渡す。

 

 部屋の右側にテレビ置かれてあり、その周りには、苦心して集めたアニメのフィギュアが並んである。その反対側には学習机。

 そして中央に、折り畳み式の丸テーブルが置かれてあった。その上には、すでに二人分の箸が用意されている。

 

 祐真は、それを確認すると、溜息をついた。それらは『彼』が用意したものだ。朝食を作ってくれるのはありがたいものの、はっきりと投げかけられる好意がやっかいだった。自分はその気はないのに。

 

 あまり『彼』とは顔を合わせたくないが、いかんせん、今は尿意を催している。トイレは、キッチン横だ。つまり、この部屋を出て、『彼』のそばを通らなければ辿り着けない。

 

 祐真は、仕方なく、立ち上がった。このままだと漏らしてしまう。そうなると、『彼』が喜んで片付けようとするだろう。それは嫌だった。それに、これから学校だ。モタモタしていては遅刻する。

 

 祐真が歩き出そうとした時だ。気配を感じたのか、ガラス戸が唐突に開いた。そして、『彼』が顔を覗かせる。

 

 「おはよう! 祐真!」

 

 透き通ったクリスタルボイスが、祐真の耳へと届く。『彼』は、手にお玉を持っていた。まるで、新妻のような風情だ。

 

 「……ああ、おはよう」

 

 祐真はそっけなく返事を返す。無視をしたらしたで、またしつこく絡んでくるに違いない。嫌でもここは、返事をしておくのが得策だ。

 

 「寝起きの祐真の顔も素敵だよ」

 

 『彼』は、整った顔をキラキラと輝かせ、そう言った。祐真はげんなりする。

 何も答えず、祐真は『彼』の脇を通り、トイレに向かう。その際、『彼』がこちらを見つめていることに気がついた。

 

 「覗くなよ」

 

 祐真は『彼』に釘を刺す。『彼』がここに住むようになってから、幾度となく覗かれそうになった。トイレのみならず、風呂もだ。

 

 「わかってるよ。朝ごはん、もうできたから」

 

 『彼』は、にこやかに笑って答えた。

 

 トイレを済ませ、部屋に戻ると丸テーブルの上に、朝食が用意されていた。ベーコンエッグに、銀シャケ。そして味噌汁と白飯。不本意な同居生活だが、こいつは料理が上手い。重宝できる特徴だと思う。こいつは人間世界の料理を短期間でマスターしたのだ。

 

 しかも食材の費用は、こいつ持ち。どうやって金銭を獲得しているか知らないが、経済面でも非常に助かっている。両親からの仕送はあるものの、充分ではなく、いつもギリギリなのだ。とはいっても、まだ食費が浮いて一ヶ月程度なので、充分に効果が発揮されてはいないが。

 

 祐真は『彼』と丸テーブルを挟んで、朝食をとる。銀シャケを箸でほぐしながら、目の前の人物の顔をうかがった。

 『彼』の名前はリコ=シュバルベルク=ノヴェチェシャドリコフ=スタヌスラヴェヴィッチ。本当はもっと長いが、覚えているのはここまで。名前からは、何となくロシア人のようなイメージを持つものの、もちろん違う。そもそも、人間ではない。

 

 祐真は、リコの容貌を確認する。

 

 リコは、この世の人間とは思えないほどの美貌を持っていた。精錬された彫刻のような端整な顔に、氷のように澄んだ目。そして、白い肌と美しい銀髪。銀髪はナチュラルマッシュ風に整えてあった。

 

 まるで、ルーペンズの絵画から抜け出てきたようなリコの容姿端麗さは、リコと出会ってからこれまでつぶさに見ている。自分もそこは認めていた。だからといって、彼の事あるごとに行ってくる誘惑に従うことなど考えてもいないし、これから先、ありえないだろう。自分もリコも男なのだ。『自分は』男には興味はなく、恋愛対象はあくまで女だ。

 

 リコと目が合う。リコはニッコリと微笑み、銀シャケの切り身を箸で摘んで、こちらに差し出してくる。

 

 「はい、祐真、あーんして」

 

 まるで恋人かのような行動に、祐真は嫌気が差す。

 

 「やめろよ。気持ち悪い」

 

 「だって、僕の手で食べさせたいんだよ。祐真の食べる仕草も可愛いし。なんなら口移しで食べさせようか?」

 

 「却下」

 

 祐真はピシャリと言い放つと、食事に戻る。毎度の如く行われるリコのアプローチに対するあしらい方も、随分と手馴れてしまった。それが、喜んで良いことなのか悪いことなのかはわからないが。

 

 朝食を済ませ、祐真は登校の準備を行う。リコはまるで侍女であるかのように、手伝ってくる。これは助かるので、好きにさせるが、着替えだけは手伝わせなかった。

 高校のブレザーに着替え、リコから弁当箱を受け取る。リコが作るようになってからは弁当持参だ。それまでは、購買のパンで済ませいていた。

 

 祐真は玄関で靴を履き、扉を開ける。

 

 「じゃあ、行ってくる」

 

 それだけリコに言い、部屋を出た。リコは玄関口に立ったまま、光のような笑顔で手を振って見送っていた。まるで新婚夫婦だ。

 

 溜息を一つつき、アパートの階段を下りる。通学路に入り、祐真は高校を目指して歩き始めた。

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